昔の日本

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1:コピペ:2015/07/17(金) 22:55

内山によれば牟田口は傷病兵を見て「貴様等のこのざまは何だ。それでも帝国陸軍か!
こういうのを魂の抜け殻と言うのだ」と怒鳴り散らしていた。
それでも兵達は動こうとしなかった。また、兵隊達が年次の低い兵を小突くように、お供していたある少佐を衆目の面前で
「軍法会議ものだ。恥を知れ恥を」と殴りつけた
高野が見たその少し後の場面では、撤退し、他の将兵と同じようにぼろぼろとなっていたある師団の少佐が
牟田口を見つけ、路上で申告した。牟田口は「貴様は病気を口実に後に下がった。
自分の部下をどうしたのか。病気は何だ」と難詰し、少佐が「負傷とマラリアと下痢であります」と答えると
「そんなものは病気じゃない。貴様のような大隊長が居るから負けるんだ。
この大馬鹿者」と手持ちの杖でその少佐を何度も叩いた。高野もこの一団に誰何されたが、その際の内心を次のように書いている。
「てめえらにシンから敬礼する気持ちのある兵隊なんざあ、一日中駆けずり回ったところで、一人でも居るかってんだ。
(中略)てめえら俺達兵隊を虫ケラとでも思ってやがんのか!

2:コピペ:2015/07/17(金) 22:56

高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない。
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2−3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・粉末ジュースは甘くて苦かった
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった

3:コピペ:2015/07/25(土) 23:31

http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/img/431.jpg
●数部族に分かれていますが、まぎれもない絶滅危惧部族です。
●Y-DNAの「D*」遺伝子を持つアンダマン諸島先住民は、50000年〜60000年前頃には  
当時まだ陸続きの陸橋だったアンダマン諸島弧部分に住み着いたと考えているようです。アボリジニの先祖Y-DNA
「C4」がオーストラリア亜大陸に到達した頃と同じ古さです。もしかすると一緒に移動していた可能性もあります。
●彼らの、外来者をすべてを殺す習慣はオリジナルの「D」遺伝子や言語を見事に維持し続けた、と考えられています。
アンダマン諸島先住民は縄文人の先祖の血を守ってきてくれているのです....感謝!
    出アフリカしたホモサピエンスの生きた化石なのです。日本人は彼らを大切に保  護しなくてはなりません。
●アンダマン諸島において、耕作は未知でした、そして、彼らは特有のブタを狩ったり、釣り、などで食生活し、集合して生活をしていました。
●唯一の兵器が、弓と、手斧と木製のもりでした。
●絶滅したタスマニアの先住民とアンダマン諸島先住民のみが19世紀に入っても火を作る方法を全く知らなかった人々だったそうです、
木への落雷によって引き起  こされた炎から燃え残りを慎重に保存したそうです。
●ところがイギリス人の上陸で1867年のアンダマン諸島では、たくさんのOnge部族民がイギリス人の海軍に殺されました。
●1940年代に、Jarawa部族は彼らの敵意のための日本軍によって爆撃されました。  
日本軍は世界でチベット人と並ぶ唯2の縄文人の親戚民族であるアンダマン諸島先住民を爆撃するという愚挙を行ったのです。大反省....です。
  イギリスの最初の上陸時にはおよそ5,000人の先住民がいたそうですが、虐殺、文明国が持ち込んだ病気、アルコール中毒、
インド亜大陸やビルマ(カレン族)か らの移住者などの影響で、1901年までには600人に減り、1927年には100人の生存者 だけになったそうです。
1961年には19人に減りましたが、現在約50人に回復してい るそうです。その間絶滅した部族はかなりあるそうです。アンダマン諸島の古代先 住民
Y-DNA「D*]が絶滅する前に、同じ「D」の遺伝子を持つ日本人が彼らの調査を行えるといいですね!
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/

4:コピペ:2015/08/11(火) 12:14

もう一つの「南京大虐殺」
http://agora-web.jp/archives/1651012.html

きょう放送の「そこまで言って委員会NP」は、また南京事件。
櫻井よしこ氏が持論を展開したが、死者が30万人という数はありえないにせよ、
日本軍が民間人を殺害したという意味の「虐殺」はゼロではないだろう。

それより確実に証拠のある虐殺が、同時期に行なわれた。南京・広州・重慶などの戦略爆撃である。
特に重慶爆撃は日本軍みずから記録している大規模な絨毯爆撃で、
1万人以上といわれる死者のほとんどは民間人である。
これは世界史上初の大規模な無差別爆撃であるばかりでなく、3年間に218回も爆撃した回数も世界記録だ。

満州事変について日本政府が不拡大方針を表明した直後に行なわれた錦州爆撃は、
石原莞爾が「軟弱外交を爆砕」するためのものだった。
このときから軍事拠点のみならず都市全体を爆撃する手法が始まり、それが最大規模で行なわれたのが重慶だった。

これは非軍事施設の攻撃を禁じる国際法に違反しており、
1937年9月、国際連盟は対日非難決議を23ヶ国諮問委員会の全会一致で可決した。
アメリカのルーズベルト大統領は議会演説で「非戦闘員を無慈悲に殺害する非人道的行為」を強く批判し、
このような「疫病」を文明社会から隔離すべきだ、と日本に対する共同制裁を主張した。

このとき重慶に滞在していたエドガー・スノー、アグネス・スメドレーなどのジャーナリストは
日本軍の執拗かつ残虐な爆撃を世界に報じ、写真誌『ライフ』は重慶にセオドア・ホワイトを派遣して、
爆撃を多くの写真で報じた。これは真珠湾攻撃とともに「アンフェアな日本」というイメージを世界に植えつけた。

公然たる民間人の「虐殺」を日本軍が大規模に始めたことは、南京事件より重要である。
これが前例となってドレスデン爆撃や東京大空襲や原爆投下などの戦略爆撃が行なわれ、
それは広島や長崎に重慶をはるかに上回る犠牲をもたらしたのだ。

5:コピペ:2015/08/15(土) 12:33

 陸軍省は、本土決戦を前に1945年4月8日、阿南陸軍大臣の名をもって
「決戦訓」というものを全軍に示達した。その第一項は次のとおりである。

  皇軍は神勅を奉戴し、いよいよ聖諭の遵守に邁進すべし。聖諭の遵守は皇国軍人の生命なり。
神州不滅の信念に徹し、日夜聖諭を奉誦して、これが服行に精魂を尽すべし、必勝の根基ここに存す。

 神勅とは、古事記や日本書紀の神話に出てくるもので、天皇家の始祖とされる天照大神が、
日本は代々自分の子孫が治める国で、それは永遠に続くだろうといったという話である。
聖諭というのは、明治天皇が軍人に"賜った""軍人勅諭"のことで、これも日本の軍隊は天皇が統率するのだということを強調したものである。

 敵の日本本土上陸を迎え撃つにあたって、「愛する妻子、両親のために戦え」
「その生を育んでくれた祖先伝来の愛する国土を守れ」と奨励するのなら−−だれがしかけた戦争なのか、
といった今次大戦の本質論は別にして−−これに感奮興起するものも少なくないだろう。

しかし、そうではなくて、"えらい神様"が、「日本は代々自分の子孫が支配する国だといった」と、
どこかの成り上がりのオーナー社長の訓辞のような話を奉戴しろというのである。
また、その神様の言葉に、「自分の子孫は永遠に栄えるといった、とあるのだから、
その神様の言葉を信じておれば、日本は戦争には絶対負けない」というのである。

 こういう、なにかわけのわからない主張を聞いていると、昭和の陸軍軍人のエリートは、
幕末の勤王の志士、しかもそのなかでももっとも狂信的な尊王攘夷派と、知能程度は同じか、
むしろ劣っていることがわかる。(若槻泰雄『日本の戦争責任』上巻67−68ページ)

6:コピペ:2015/08/17(月) 17:31

鶴見俊輔が戦場で味わった「恐怖」と戦後に下した「決断」

鶴見さんの周囲には捕虜を試し切りしたのを自慢する兵士がいた。

鶴見さんが後で同僚から聞いた話では、そのインド人に〈毒薬を飲ませたんだが、死なないんだ。
それで生きたまま、穴に入れて土をかけたんだが、まだ死ななくて、グウグウ言ってうめいていた。
それからピストルを乱射して、土の中でうめくのが止まったから、ようやく帰ってきた〉のだという。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44581

7:コピペ:2015/11/05(木) 09:13

米軍報告書による日本軍の実像
 
・個人の射撃は下手で接近戦は弱い。陣地、偽装は優秀。
・組織戦に優れるが、頭脳や自分で考える力を考慮に入れれば、日本兵は三流。
・日本兵は互いに愛情を持たない。上官の命令なしに他の中隊を助けることはない。
・死者は丁重にとむらうが、傷病者への待遇は劣悪。
・風呂には毎日入るが、食堂は不潔で医療体制は低レベル。
・いったんとらえた日本兵捕虜は実に御しやすく、有用である。
・日本兵の賃金は世界中の陸軍でおそらく一番安い。

8:コピペ:2015/12/03(木) 10:31

4人に1人が死んだ沖縄戦
なぜこれほどの人が死ななければいけなかったのか?
http://www.geocities.jp/toyobox1/okinawasen.html

日本兵
住民は捕虜になって初めてアメリカ兵と接するわけです。
水や食料、チョコレートをくれる。ケガを治療してくれる。
老婆をおぶってくれる。沖縄方言もしゃべっていい。
鬼と教えられていたのにえらい違いです。

それに対して自分達を守ってくれるはずだった日本軍は高圧的な態度での横暴ぶりが目につきます。
日本刀を抜いてヒステリックに脅迫し食料を奪う。
物資を無理矢理提供させる。アメリカ軍よりも友軍(日本軍)のほうが恐かったとも言いわれています。

悪質なものになると、ガマの中で泣く赤ん坊は米軍に見つかるので射殺する。投降しようとするものは後ろから狙撃する。
捕虜になった住民を収容所から拉致してきて殺す(食料を奪うため)。

また方言しかしゃべれない老婆をスパイといって日本刀で切り殺す(みせしめ)。中国などで日本軍がやってきたようなことが沖縄の住民に対しても行われたのです

9:コピペ:2015/12/03(木) 10:39

1945(昭和20)年3月に前任の師団長が自決。その後、
副官の立場にあった立花と森が中将に昇格。
全体の指揮権は立花が握ることになった。
立花中将の副官的存在が的場少佐であった。
的場は、気が荒く酒乱の傾向があり、気に入らないことがあると
部下を半殺しの暴行を加えて周囲を恐れさせていた。
実際に柔道、剣道など合わせて10段以上の腕前と大きな体躯は周りを恐れさすには十分であった。

さて、ここで陸軍と海軍の高級将校達の酒盛りが連日行われた。
終戦末期の物不足の中、貴重品である酒を連日酌み交わした。
だが、゛つまみ゛が無い。 そこで立花らは米軍捕虜の肉を食べて戦意高揚を図ろうと軍医に捕虜の解体を命じた。
針金で大木に縛りつけた米軍捕虜に立花が、「日本刀の凄みを披露する絶好の機会じゃ」
と言って、試し切りの希望者を募って殺害。
その後、遺体を解体させて宴会の゛つまみ゛にした。
後の日本兵の証言によると、米兵の手足の肉や内臓を立花が食べると、
「これは美味い。お代わりだ」とはしゃいでいたという。

10:コピペ:2015/12/03(木) 10:40

「洞窟の外で泣いている女の子を見たことがある。背中に爆薬が仕掛けてあった。
数十メートルほど後方に、日本兵の姿が見えた。日本軍は、このように子供を
ブービートラップ(仕掛け爆弾)として使うことが多かったという。
米兵は子供を見ると、必ず駆けていって助ける。日本軍はそれを知っていて、
敵をおびき寄せる手段として子供を利用したのだという。マックの記憶では、
その子供は無事救出された」

フランク・マック(イリノイ州シートン在住)
第六海兵師団第二二連隊衛生兵

「沖縄戦 米兵は何を見たか 50年後の証言」吉田健正 彩流社 P164

11:コピペ:2015/12/08(火) 13:26

 三笠宮さまは1943年1月から1年間、お印にちなんだコードネーム“若杉参謀”として南京に赴任され、戦後は東大でオリエント史を学ばれた。
56年には『帝王と墓と民衆』(光文社)を上梓。ご自身の戦時中の感慨について、同書に付された『わが思い出の記』の中で、

〈わたくしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実体に驚きはてたのである。
罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。
かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉

〈この失敗は軍および日本政府首脳者に真剣な反省をうながし、新たに対華新政策なるものが決定され、わたくしが南京に在住していた一年間は、司令官以下この新方針の徹底に最大の努力をした〉

 と、現地で見聞した日本軍の行状をひたすら嘆かれ、

〈新政策が発表されるや、軍司令官はただちに「四悪」を禁止するという厳重な命令をくだした。四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。
(中略)ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。今までは敵のいた家は焼きはらって進んだので、自分の大隊の第一線がどの辺を前進しているかすぐ分かった。
ところがこんど放火を禁ぜられてみると、第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった〉

〈聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉

 当時から、聖戦への信念を完全に失っていたと明かされているのだ。

「特集 『三笠宮殿下』百寿祝いで思い出す『紀元節反対』と『南京虐殺言及』」
※「週刊新潮」2015年12月3日号

12:コピペ:2016/01/28(木) 22:28

古い話になるが、幕末に水戸の天狗党が群馬の下仁田で高崎藩と戦争した「下仁田戦争」のとき、敗軍の高崎方の捕虜の中に
医者のくせに見事な切腹をしたのがいて「武士でもないのに胆が据わっている。あやかりたい」
と天狗党の奴らがその医師の内臓を引きずり出して食べたという話がある
会津戦争のときには会津人も官軍に食われてたな

13:コピペ:2016/01/28(木) 22:28

アンブロークンで主人公をメチャクチャ暴行しまくる日本人看守のモデルになった
渡辺睦裕元軍曹のインタビュー映像
https://www.youtube.com/watch?v=c3-S3_j9j-8

↓こういう人
>元捕虜の証言によれば、渡邊は捕虜たちを度々殴打し、それが重傷の原因になった。
>冬の時期、渡邊は捕虜である将校を掘っ立て小屋の中で、ふんどし1枚にして4日間過ごさせたと言われている。
>65歳の捕虜を16日間、木に縛り付けて毎晩部下にその捕虜を殴るように命令した。
>虫垂切除患者で柔道の練習をした。渡邊は捕虜虐待によって性的快感を得ていた。
>渡邊は、情緒不安定であり、捕虜を1分間殴り続けた後に、キャンディやタバコを捕虜に差し出した。
>渡邊は大森収容所の捕虜の中でも特にルイス・ザンペリーニに対し関心を持ち
>その理由はザンペリーニが渡邊に対して反抗的だったからである。
>渡邊はザンペリーニに対して重い木製の梁を37分以上担がせ、それが終わると彼の腹を殴って虐待した。
>渡邊は捕虜を一列に並ばせ、敬礼をさせ、ミスをした捕虜を殴りつけた

14:コピペ:2016/03/19(土) 20:17


 私はひとりになった。静かに涙が溢れてきた。反応が遅く、いつも人よりあとで泣くのが私の癖である。私は蝋燭を吹き消し、暗闇に坐って、涙が自然に頬に伝うに任せた。
 では祖国は敗けてしまったのだ。偉大であった明治の先人達の仕事を、三代目が台無しにしてしまったのである。歴史に暗い私は文化の繁栄は国家のそれに随伴すると思っている。
 あの狂人共がもういない日本ではすべてが合理的に、望めれば民主的に行われるだろうが、我々は何事につけ、小さく小さくなるであろう。偉大、豪壮、崇高等の形容詞は我々とは縁がなくなるであろう。(大岡昇平「俘虜記」)

15:コピペ:2016/04/02(土) 22:02

「銃剣と射撃が下手な日本兵」
「日本軍はハッタリを重視している」
「準備された防御態勢下では死ぬまで勇敢に戦うが、予想外の事態にはパニックになり叫び、逃げる」
「将兵は同じ食事を食べ、飲酒によって団結し、行き詰ると「ヤルゾー!」「チキショー!」と叫んで一体感を保つ」
「日本軍は死者には丁重だが、急いでいる時には傷病者をおきざりにする」
「傷病者が引き金を引ける時には自決を求められる」
「ガダルカナルでは、負傷者の80%が不適切な治療、医療材料の不足、後送する意志と能力の欠如により死亡したと見られる」
「ささいな訴えは軍医の注意をひかない。不平を言う兵士は怠け者呼ばわりされて、仲間外れにされる」
「ささいな病気は兵士が自分で治療することが求められ、これが性病と結核の蔓延となっている」
「患者は軍事作戦の妨げとしか見なされないし、治療を施せばやがて再起し戦えるという事実にもかかわらず、何の考慮もされない」
「日本軍は対戦車人間地雷を投入した」

http://agora-web.jp/archives/1592262.html

16:コピペ:2016/06/06(月) 14:13

インパール作戦失敗後の7月10日、司令官であった牟田口は、
自らが建立させた遥拝所に幹部将校たちを集め、泣きながら次のように訓示した。

「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。
 食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。
 皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。
 兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
 弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。
 腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。
 日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。
 神々が守って下さる…」

訓示は1時間以上も続いたため、栄養失調で立っていることが出来ない幹部将校たちは次々と倒れた。

17:コピペ:2016/06/16(木) 14:27

フロイスの日本覚書
欧州 未婚女性の最高の栄誉は財産と貞操であり、純潔が犯されないこと
日本 処女の純潔をなんら重んじない。それを欠いても栄誉も結婚する資格も失わない
欧州 立派で整った眉を誇りとする
日本 ただの一本も残さぬようにすべて毛抜きで抜いてしまう
欧州 技巧と調合物で歯を白くするように努める
日本 鉄と酢とで歯を黒くするように努める
欧州 衣服の袖は手首にまで達する
日本 袖は腕の半ばにまで達しない。腕や胸を露わにすることを不真面目とはみなさない
欧州 堕落した本性にもとづいて、男たちの方が妻を離別する
日本 しばしば妻たちの方が夫を離別する
欧州 娘や処女を俗世間から厳重に隔離する
日本 娘たちは両親と相談することもなく、一日でも幾日でも一人で行きたいところに行く
欧州 妻は夫の許可なくして外出しない
日本 夫に知らさず、自由に行きたいところに行く
欧州 堕胎は行なわれるがたびたびではない
日本 いとも普通のことで20回もおろした女性がいるほどである
欧州 嬰児が生まれた後に殺されることは滅多にない
日本 育てることができないと思うと、嬰児の首筋に足を乗せてすべて殺してしまう

18:コピペ:2016/07/27(水) 21:32

当時、小野田さんが発見されるまで戦争が終わってるのを知らなかったというのは嘘で、確実に知ってたのに出てこなかったのは上司の命令がなかったからだ、ということは他の書物にも書いてあったので、ある程度は知っていました。

しかし、ルバング島の島民を「ドンコー」と呼び、動物以下の存在と考えながら殺傷していた事実にはやはり驚かされます。
例えば、
『こっちには弾に限りがありますからね、
 一発で一人殺すんじゃもったいない、何とか二人いっぺんに
 殺す方法はないかと考えました。

 ドンコーは臆病だから、けっして一人じゃ山に登ってこない。
 かならず三、四人でくる。
 だから木かげで待伏せすることにしたんです。
 そして奴らが横一列になったところをねらってぶっ放つ。
 そうすりゃあ一発で二人殺れますからね』

などと生々しく書かれてあります。

この時点で小野田さんは、島民たちには殺意がないことが
わかっていたそうです。
ではなぜ殺意のない島民を殺すのか、ということについて次のように語っています。

『われわれの占領地域に勝手にはいりこんできたからです。
 われわれはいずれ島全体を占領するつもりでした』

またドンコーに銃を突きつけ食料を奪ったことについては、

『ドンコーの奴ら、われわれの邪魔ばっかりしやがって。
 敵の食糧、弾薬を利用するのが遊撃戦のイロハです』

などと平然と語っているのです。
そしてさらに衝撃的なのは次の一節です。

『「その犬をドンコーの奴ら、われわれにけしかけやがるんです。
 あんまり癩にさわったんで仕返ししてやったことがある」

 と寛郎が口を挿んだ。

「どんな仕返しをしたんです?」

「ある村の副村長が何度もけしかけやがったから、そいつを
 三日間つけねらって一人になったところをぶっ殺してやった。
 まず膝をねらって一発射ち、歩けないようにしておいて
 ボロ(蛮刀)でたたっ斬ってやった。
 その野郎、腕で顔をかばいながらいざって逃げようとしたが、
 こっちは日頃の恨みで容赦しねえ……」

 寛郎は左腕を曲げて顔をかばう島民の真似をし、その次に
 ボロを何度も振りおろすジェスチャーをして見せた』

これはもう戦争ではなく私怨による虐殺になっていますね。

↑は「小野田少佐との三ヵ月「幻想の英雄」 津田信」を紹介したブログから

19:コピペ:2016/12/27(火) 16:50

日本兵が日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に 「住民虐殺、強姦・強奪許せず」

 1945年の沖縄戦で激戦地となった摩文仁で、日本兵が沖縄住民を殺害したり強姦(ごうかん)したり食料強奪をしたりする事態を我慢できず、
別の日本兵がその日本兵を殺害する出来事があった。当時、沖縄で戦闘に参加した元日本兵・飯田直次郎さん(95)=神奈川県在住=は
自ら日本兵を銃殺したことを証言した。飯田さんは知人の協力を得て、中国で戦争に参加した体験や沖縄戦の詳しい足跡を原稿用紙129ページにまとめた。

 45年6月、球部隊に所属していた飯田さんは摩文仁の壕に潜んでいた。一緒に逃げて仲良くなった日本海軍兵や周辺住民から
「自分が隠れている壕で住民にひどいことをしている軍曹がいる」と聞いた。その内容は、住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり食料を強奪したりするほか、
その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めにしているというものだった。

 ある日、飯田さんも「佐々木」という名の軍曹による「悪行を目撃」した。「見るに堪えない。もう限界だ。同じ日本の兵隊として許せねえ」と殺意が湧いた。
海軍兵に「このまま見て見ぬふりできねえ。島民が殺されているんだぜ。やつさえいなければ皆なんとかしのげる。水も飲める」と殺意を明かした。

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-417850.html


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