泣ける葉っぱ天国

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1:幼音アリア:2013/11/16(土) 16:38 ID:hf.

ここは、みんなで感動して泣ける話を
書く所です・・・

早速スタート・・・

2:まい ◆JHwI:2013/12/29(日) 03:48 ID:H4E

怪談の方のまいです☆
こちらでもよろしくお願いします!

チョコレート

私は喘息を持っていて、歩いただけでもすぐ喘息が起こる。
しかも今は12月。
乾燥する季節なので特に危ない。

学校も母が送り迎えしてくれる。
学校以外は外へでられない。


そんなある日私は、チョコレートが食べたくなってお使いに行きたいと母に言ってみた。でも駄目の連発だった。

私は、こんな不自由な体なら産まなきゃ良かったのに と思って部屋に閉じ籠った。

次の日朝起きると、机の上に沢山のチョコレートが置いてあった。
私が驚いているとおばあちゃんが入ってきて、「・・、そのチョコはアンタのお母さんが買ってきてくれたんだよ
アンタが悲しい気持ちにならない様にってね」と言っていた。

私は、これからお母さんを大事にすると決めた。

〜おわり〜

3:お(^ω^)侍 ◆neu.:2013/12/29(日) 12:30 ID:YhQ

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、 認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

最後の親孝行に片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、
2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。

この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。
肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

4:ティムポ大明神 ◆CTCU:2013/12/29(日) 12:42 ID:qsE

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

5:幼音アリア:2013/12/29(日) 13:27 ID:OkE

皆さんありがとうございます、自分のスレですが私も書き込み致します

私は4歳の誕生日に、両親を亡くしました
誕生日が12月24日ということもあって、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを買いに
行く途中、事故にあいこの世を去りました。今18歳の私からすれば、4歳の時の記憶なんて
ほとんどもうなくて、お墓参りに行く度に涙がこぼれるばかりでした。
ですが、この前家の掃除をしていたら、一冊の日記帳が見つかりました
中には、私と姉のことがいっぱい書いてあり、こんなにも愛情を注がれていたんだと思うと
お墓参りの時以上に涙が止まりませんでした
日記帳を呼んでいくと、母は体が弱く、それでも頑張ったという事がかかれていました
今思えば、私がプレゼントをおねだりしたりして、事故に遭ったのかな、とも思ったりします
両親が目の前で亡くなった際にも、私にはまだ当然理解ができませんでした
ですが、両親がいなく泣いていると天国の両親も悲しむと思い、もう今は泣くことはあまりありません
幼音アリアというこのネームは、日記帳に私が歌や音楽が好きなことが書いてありつけました

6:お(^ω^)侍 ◆neu.:2013/12/29(日) 18:08 ID:YhQ

お母さん
お母さん
お母さん
お母さん

さようなら


特攻隊の遺書

7:迅武 ◆xgnU:2013/12/29(日) 20:50 ID:OPE

>>6
おいコイツ久しぶりだぞおい

8:匿名さん:2013/12/29(日) 22:13 ID:ez-xP.

>>皆さん

この手の話なら「隠れ掲示板」中の「コピペ掲示板」の「泣けるコピペでも集めるか」というスレに沢山ありますよ…↓

PC 版↓

http://ha10.net/copipe/1103873988.html

携帯電話版↓

http://ha10.net/test/i.cgi/copipe/1103873988/

9:まい ◆JHwI:2013/12/29(日) 22:27 ID:H4E

私の母

私には父がいない。事故に合って死んでしまった。
でも 母もいないと同然だ。
母は毎日毎日仕事をしている。風呂も入らずに服も着替えずに。

ある日私が学校へいこうとすると母が「ちょっとまって これ、ママが作ったお弁当」と言って弁当を渡してきた。
私は「・・・、ありがとう」だけ言うと、学校へ出掛けた。
そしてお昼、弁当を食べる前にトイレで弁当が変じゃないか確認した。
「・・、何よこの弁当」色合いも悪いし、最悪だった。
私はその日弁当をトイレに流した。

家に帰ると、母が「今日のお弁当、どうだった?美味しかった?」等とうるさい。私はブチ切れて、「うるさいなぁ あんな弁当捨てたよ!」と言ってしまった。
次の日起きると母は死んでいた。
母の死体の近くに日記が置いてあった。
「○月○日」それは昨日の事だった。
「仕事で疲れ切った手が震えて○○のお弁当が上手に作れない。」と歪んだ字で書いていた。

私は後悔した。


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