王女と召使

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1:全自動不良品:2011/03/20(日) 14:58

部屋の押し窓を開くと、冷えた空気と共にかすかな花の香りが流れ込んできた。遠くにそびえる山々から、太陽が半分ほど顔を覗かせている。
窓から身を乗り出すぼくの眼下には“彼女”の好きな花やハーブが隙間なく敷き詰められた庭が広がっていて、窓を開けたときに香ってきたのはこれらの花々だ。

ひとしきり外の空気と花の香りを堪能しきったぼくは、窓に背を向けて部屋の中へと目を向ける。薄い黄色の絨毯と真っ白な壁で彩られた広い部屋の隅にある、レースのカーテンに覆われたベッドの傍に立ったぼくは、一つ咳払いをしてからベッドの中で眠りにつく“彼女”に呼びかける。

「おはようございます、王女様」

もちろん、反応はない。しかしぼくの方も、第一声で目を覚ましてくれるだなんてこれっぽっちも思っていない。

「おはようございます、王女様。朝でございますよ」
ベッドを覆うレースのカーテンを開いて、毛布にくるまっている体を軽く揺すりながらもう一度呼びかけた。
するとなにかを小声で呟いたかと思うと、毛布の隙間から細い腕が伸びてきて、欝陶しそうにぼくの手を払いのける。
“彼女”の寝起きの悪さを誰よりも知ってるぼくは当然、これにも動じない。
今度は毛布をめくり、ダンゴムシのようにまるまっている彼女の耳元で再三呼びかける。

「朝食に、スコーンと紅茶を用意しております。はやく起きないと冷めてしまいますよ」

朝から洋菓子というのも個人的にはどうかと思うけれど、甘いものと紅茶に目がない“彼女”を起こすにはこれが一番手っ取り早い。ぴくんとその小さな肩が跳ねたのを見て、“彼女“の意識が覚醒したのを把握したぼくは、ゆっくりとベッドから離れる。
目が覚めたときに視界に入っていると、顔を真っ赤にして乙女の寝顔を云々と喚いて、機嫌を損ねてしまうのだ。
しばらくの間もぞもぞと毛布の中で蠢いてから、やがてゆっくりと体を起こす。ねむたげに半分ほど閉じた瞳がゆっくりとぼくに向けられる。
ぼくは心の底からの笑みを作って、軽く会釈をする。

「おはようございます、王女様。朝食の準備が整っておりますよ」

ぼくの言葉に応答するように、わずかにそのあごが上下に揺れる。それから緩慢な動作でベッドから降り立った“彼女”は、ぼくに近づいてきて手を伸ばしてくる。

「……おはよう。……レン」

無表情ではあるが、寝起きのときにこんな風に“彼女”の方から甘えるような仕草をしてくるのは、機嫌が非常に良いことのあらわれだ。
だからぼくは、これ以上ない優しい手つきでその手を取って、ゆっくりと“彼女”の手を引いて部屋の外へと歩きだした。

「では、はやく参りましょう。――リン王女様」

このとても小さな娘の名前はリンという。
彼女こそが、周辺の国々を統べるも、悪逆非道で独裁的な国として広く知れ渡り、他国に忌み嫌われているこの王国の頂点に君臨している王女で。
そしてぼくはそんな彼女に仕える一介の召使にして、……これはぼくと彼女以外には知る者はいないのだけど、


リンとは血の繋がった、実の双子の兄妹だ。

2:全自動不良品:2011/03/20(日) 17:20

2


「あら、おやつの時間だわ」

そうリンが呟いたのは、午後三時を告げる鐘の音が鳴り響いたときだった。
城の裏手に広がる、花畑に囲まれた広大な遊歩道をジョセフィーヌと名付けられた愛馬に跨り、日課である散歩を楽しんでいたリンは手綱を引いて馬体を制止させると、鐘楼のある方角へと振り向いた。

「そのようですね」

リンの傍らに着いて歩いていたぼくも、足を止めて鐘の音に耳を傾ける。
芝生の上を舐めるように流れていく緩やかな風が、リンの黄金色に煌めく髪を攫っていく。乱れる髪を手で押さえながら、リンは鐘の音が鳴り終えるそのときまで、ただ静かに目を閉ざしていた。
リンもぼくも、この鐘の音をとても気に入っている。



一体どういった運命のいたずらなのか、齢十四にして一国の頂点に立ってしまったリンに国を動かそうなどできるわけもなく、無邪気な彼女はその絶対的な権威を幼さという暴虐のままに国民に向かって振りまいた。
望むものはなんでも手に入り、誰にもわがままを咎められることもない。
不自由という言葉をご丁寧に取り除かれた道の上を闊歩し続けたリンは、いつしか悪の華として畏れられるようになった。
その可憐な容姿から、隠そうともせずに剥き出しのまま伸びる鋭い茨の刺。
他者の意など一切気にかけず、少しでも己の意にそぐわぬ者は例え家臣や臣下でも一切の慈悲をかけることなく粛清してしまう。
そんなリンをずっと傍で見てきたぼくは、この悪の華という異名を疎んじていながらも、実は心の中では納得していた。綺麗な薔薇には刺がある。まさに彼女そのものじゃないか。

でも、今こうして鐘の音の余韻に浸って静かに笑みを浮かべているリンを見ると、時々ふと思い出してしまう。
ぼくとリンが、今よりも幼くて小さかったときのことを。
花畑を無邪気に駆け回り、勢い余って転んで土まみれになるぼく。泣きそうなぼくの頭に、リンが手で編んだ花の冠を乗せてくれる。そうしてぼくもリンも、額同士を寄せ合って笑う。
そのとき、ちょうど今のように教会の鐘が鳴り響く。

そんな、遥か遠くに置いてきてしまった昔の記憶。
もしも、こんな運命のいたずらに巻き込まれずにあの無邪気なぼくとリンのまま、今を迎えていたら。
そんな泥沼のような感傷に浸っていたぼくの意識を、リンの声がひっぱりあげた。

「レン、……レンっ?」

はっと我に返ると、すぐ目の前にリンの顔があった。その大きな瞳がぼくの心までも見透かしているような気がして、思わず一歩退がる。

「どうしたの、さっきから。わたしの声にはなによりも最優先で応えなさいといちも言ってるでしょう、バカ」
「……申し訳ありません。では、急いで城の方に戻りましょうか。すぐにおやつの準備を、」
「いらないわ」

ぼくの言葉を、途中で遮るリンの声。
そのときのぼくは、これ以上ないくらいに間抜けな顔をしていたんだろう。ぼくの顔をみたリンが腹を抱えて笑い出してしまったほどだ。
でも、まさかリンがおやつをいらないだなんて。どこか具合でも悪いのか?
一瞬本気で心配しかけたぼくの手首をリンが捕まえる。

3:全自動不良品:2011/03/20(日) 17:24

驚いたぼくがなにか言う暇もなく、道から外れて花畑へと駈けていく。

「ジョセフィーヌ! そこで待ってなさい!」

振り返ってそう叫ぶリンの声に応えるように、黄色く煤けた毛色をもつ愛馬はひひんといなないた。
花畑の真ん中あたりまで来ると、リンがスカートに足を引っ掛けて転びそうになった。慌ててぼくが体を抱き止めて引き寄せると、今度はぼくに向かって体重を押しつけてきた。たまらず、二人揃って花の上に倒れこむ。

「お、王女様?」

困惑しきっているぼくが起き上がると、リンはぼくの胸に飛び込んできた。

「なぜかしらね。おやつなんかよりも、こうしてレンとお花畑で遊びたかったの」
「え、ええと」
「ねえレン。さっきあなた、昔のこと思い出していたでしょう?」

心臓を直接握り締められたような気がした。言葉に詰まったぼくが黙っていると、構わずにリンは言葉を続ける。

「わたしもね、思い出してたの。さっきみたいに鐘の音がしてる中で、わたしとレンが笑ってるの。それで、すごく、すごく楽しいの。うれしいの。今の方が楽しいせいか、それだけしか覚えてないけど」

ぼくの脚の間でそういうリンの目は、ぼくを見ているようで、見ていない。ここではなくて、どこでもない、まったく違う世界に思いを馳せるようで。

「王女様……」
「ねえ、レン。お願いがあるの」

お願い。そう言ってリンは、ぼくの胸に額を押しつけてくる。

「二人だけのときは、お花畑にいるときだけは……召使をやめて。わたしの双子の、ただのレンでいて」
「……わかったよ、リン」
そっとリンの髪を、指で梳いた。
ぼくは本当にバカだったのかもしれない。例えどんな運命のいたずらに巻き込まれようと、例えどんなに悪逆非道であろうと、悪の華といわれようと、リンはリンでしかない。

悪の華でも構わない。どれだけ誰かに忌み嫌われようと、きみを守るためなら、ぼくは悪にだってなってやる。
茨の刺で傷ついてしまっても、構わない。

4:全自動不良品:2011/03/20(日) 20:55


3


王女と召使という立場になってから、初めてぼくはリンとの距離が縮まった気がした。条件があるとはいえ、ただの双子として接して欲しい。リンはぼくにそう言ってきてくれた。
嬉しかった。あまりの嬉しさに気持ちが浮ついていたせいか、リンのおやつに作っていたケーキの生地を三日連続で焦がしてしまったくらいだ。機嫌を直すのに一週間もかかったし、その一週間の間にリンはいくつもの無理難題を家臣たちに吹っ掛けては困らせ、果てには国民に無茶苦茶な屁理屈をつきつけては膨大な量の税金を巻き上げてしまった。

そう、いくらリンとぼくの距離が縮まったといっても、リンは相変わらず悪の華なのだ。
浮ついてばかりいては、しまいにはぼくが処刑されかねない。
だからこれからは、また心を入れ替えて、ぼくも召使を全うしようと思う。

「……なので、少しでいいから荷物をもって貰えないかなあ、リン」

大量の荷物を両脇に抱えて、背中にもぶくぶくに膨らんだ袋を背負ったぼくは、軽やかな足取りで先を歩くリンのペースに追いつけずに足を止めてしまう。
するとリンがこちらに振り向いて近づいてきて、ぼくの顔を覗き込んでくる。

「だめよ。最近のレンはたるんでる。今朝だって、乙女の顔を勝手に覗いてっ」

そう、今朝のことだ。いつも通りにリンを起こしに部屋に向かうと、いつもはダンゴムシのように毛布にくるまっているのだけど、今朝は無防備にもその寝顔を晒していた。
部屋に二人きりということもあって、“王女様”ではなく、“かわいい妹”の寝顔をついリンが目覚めるまで眺めてしまっていた。
もちろん、リンの機嫌を大変損ねてしまい、こうしてぼくは罰として隣の国でたくさんの荷物を抱えるはめになっている。
ちなみにこの荷物の中身、すべてお菓子の材料である。なんでもこの国のブリオッシュは世界的に絶賛されているらしく、今回不幸にも――ぼくにとっては、だが――リンの目に留まってしまったということだ。
ぼくはこの大量の材料を持ち帰ってからすぐに、リンのためにブリオッシュを作らなければならない。
あまりにもひどい仕打ちではないかと抗議してみたところ、

「罰なんだからひどくて当然じゃない。処刑されないだけありがたく思いなさい」

これである。しかしぼくも、実際にはそこまでこの荷物持ちもいやではない。あの悪逆非道と畏れられている悪の華も、ぼくと二人のときはただの可愛いわがままな妹だ。
リンが無邪気に笑っている。それだけで、ぼくはいい。
それだけで、ぼくはよかったのに。

5:全自動不良品:2011/03/20(日) 20:58


このままでは帰りが日が暮れてからになってしまうから、せめて荷車くらいは必要だというぼくの提案を、リンはあっさりと許可してくれた。

「たまには優しいところもあるんだね」

荷台に荷物をすべて積み込んだぼくが振り返ると、そこにリンの姿はない。どこに行った? まさか迷子になってないだろうな。

「どこ見てるのよ。こっちこっち」

上から声が降ってきて、見上げるとぼくを上から覗き込むリンの顔が逆さに見える。
振り返ると、荷台の上で仁王立ちして踏ん反り返っていた。

「何してるんだよ」すかさずぼくはつっこむ。
「見てわからない? 荷台に乗ってるの」

即答された。
これには開いた口が塞がらない。ぼくは目頭を指で押さえながら、一応訊いてみる。

「まさかとは思うけど、リンを乗せたまま荷車を引いて歩けってこと?」
「当然じゃない。わたしにあの道のりをまた歩けってっていうの?」

そういってリンは、荷台の上に座り込む。何があっても動かないつもりだ。
やけにあっさりと提案を呑んでくれたと思ってたら、最初からそのつもりだったのか。呆れたやつだ。
しかしこのまま口論してても埒があかないし、本当に日が暮れてしまう。
人間一人分の体重が追加されるとはいえ、リンの体重はその華奢な見た目の通りにものすごく軽い。背負って一日中立ってろと言われても、平気でできそうなくらいだ。

「わかりましたよ。揺れてお尻が痛いだなんて、あとになって文句言わないでよね、王女様?」

しかしぼくも黙ってはいられないので、嫌味たっぷりにそう言ってやる。
返事の代わりに無言で頭をはり飛ばされた。


荷車に荷物とリンを載せて広場を横切って歩いてると、ふとぼくの目がある一点を捕えた。広場の一角にある花屋。そこから花束をもって出てくる、緑の少女。
一目で心惹かれた。
そして彼女が笑う度に、言葉を発する度にぼくの心は彼女を捕えて離さなかった。
だから、彼女の隣を歩く青い男性の姿など、まったくもって視界に入らなかった。海の向こうに栄える青い国の王子が、彼女と仲睦まじく歩いていることなんて、まったくわからなかった。

「……リン?」

不意に、リンがぼくの肩から身を乗り出してきた。
ぼくと同じように、どこかある一点を凝視している。その視線の先を追うも、特に目を引くものは見当たらない。緑のあの子の姿も見失ってしまった。
このとき、ぼくは気付くべきだった。
“リンが慕う青い彼が、緑のあの子と笑って歩いてること”に。
それがどういうことなのかにも、気付くべきだったんだ。

6:こばと。:2011/03/20(日) 21:19

鏡音リン•レン「悪の召使い」「悪の王女」
のイメージ小説かな…?とても私のイメージと合ってて素敵です!!

7:全自動不良品:2011/03/20(日) 23:01

>>6
物語の舞台や人物などはご存知の通り歌から拝借させて頂いています。
しかし、彼らはみんな登場人物のただのそっくりさんです。とても良く似ていますが、赤の他人です。

不良品の頭の中で、不良品の都合のいいように解釈された、そっくりだけどまったく違う物語です。ただのイメージでしかありません。

でもその不良品が勝手に思い描いたイメージが、>>6さんにとっての歌のイメージにピッタリだというのであれば、それはとても嬉しいことです。ありがとうございます。

長々書いてますがほめていただいてすっごい嬉しいわーい! ということです。

8:全自動不良品:2011/03/21(月) 00:38


4

城へと戻ったときにはもうほとんど陽が落ちていて、ぼくもお腹をぺこぺこに空かせてしまっていた。
荷車を引いている間は、あの緑の子のことで頭がいっぱいだったせいか疲れを感じなかったけど、ふと落ち着くと一気に体が脱力感に襲われた。

「疲れた……リン、せめて荷物を降ろすくらいは手伝ってよ」

荷車の後ろへとまわり、荷台で膝を抱えているリンに手を差し伸べる。でもリンは返事もせずに、ただ無言でぼくの手をとって荷台を降りるだけである。
さっきからずっとこの調子だ。予想通り、荷台の上はかなり揺れたはずなのに文句ひとつ言わなかった。ぼくがなにか話し掛けても、返事もしてくれない。
それなりに長い道のりだったし、慣れない荷台の上で疲れたのか?

「リン、大丈夫? お腹空いた? すぐに用意するから」

荷台を降りても、うつむいたまま立ち尽くしているので本当に心配になってくる。髪に隠れて顔も見えないし、どうしたらいいのかさっぱりわからない。
しばらくの間、気まずい沈黙がぼくらを支配する。

「……リン」
「放っておいて」

痺れを切らしたぼくが、伏せたリンの顔を覗き込もうとしたところで、ようやく言葉を発した。

「疲れただけだから。晩御飯もいらないわ。部屋にいるから一人にしてちょうだい」

早口で一気にそう言い切ると、ぼくが声をかけるのにも構わずに早足で城の中へと入っていってしまった。一人、取り残されるぼく。
どうしたっていうんだろう。ずっとリンの傍にいたけど、こんなリンは初めてだ。
しかし熱しやすく冷めやすいリンのことだ。頃合いを見計らってブリオッシュでも作って持っていってやれば、またすぐにいつものわがまま王女様に戻るだろう。
適当な兵士を呼び付けて、荷車と荷物を押しつけて城内に運ばせる。疲れているのはぼくも同じだ。部屋に戻るとしよう。
窓を揺らしている強い風が、なにか不吉な気配を運んでいる。そんな気がしてやまないぼくは、自室に戻る途中に何度も後ろを振り返った。いくら振り返っても不吉な気配は消えなかった。



部屋に戻ってベッドに腰掛けて少し落ち着くと、またあの緑の子のことを考えていた。
今まで、こんなことはなかったな。リンに構ってばっかりで他の存在をないがしろにしていたぼくにしてみれば、これは凄いことだ。
でも、忘れられない。あの髪が、あの笑顔が、あの声が。どうしてこんなに心惹かれてしまうのかわからない。
そういえば、リンも海の向こうの青い国の王子様にご執心だったな。ことあるごとに、ぼくに向かって彼がどれだけ素晴らしい人間であるかを蕩々と語り尽くしてくれたっけ。
これが、誰かを慕うということなのだろうか。言葉にするのも恥ずかしいけど、恋なのかもしれない。

まだぼくにも、そんな感情があったなんてな。そう自嘲気味に笑いながらも、頭の中ではずっと緑のあの子のことを考えていた。
でも心の本当に奥の方では、まだリンのあの様子が気になっていたのだ。
そのことに、どうして気付けなかったんだろう。

9:全自動不良品:2011/03/21(月) 00:40


翌日、ぼくがリンの部屋へと向かうとベッドはもぬけの殻だった。リンがこんな時間に起きる?
これも初めてのことだ。
空のベッドの前で考え込んでいると、背中を家臣に叩かれた。

「王女様が庭にてお待ちです」

そういって、窓の方を指差す。窓のところに立って外を見ると、花とハーブを敷き詰められた庭の中央に、リンがいた。
なんだかいつも以上に背中が小さく見える。

「……すぐに向かう。朝食の準備は任せる」

嫌な予感がしたぼくは、家臣にそう告げて足早に部屋を後にした。

庭に出るには、一度城の外へ出てから、またリンの部屋があるところまで城壁に沿って大回りしなければならない。
全速力で走って行ったぼくかリンのいる庭につくころには息も絶え絶えになっていた。それでも、シャツが乱れることも厭わずにリンの背中に駆け寄る。

「どうし、たん……だよ、リン……はあっ……」

息を荒げながら声をかけるが、リンはなんの反応も示さない。ぼくに背を向けてしゃがみこんでいる。

「……レン、あのね」

唐突にリンが口を開いた。その声を聞いた瞬間、ぼくは全身に鳥肌が立った。なんて、冷たい声。今ぼくの目の前にいるのは、本当にリンなのか?

「お願いがあるの」

ゆっくりとぼくに背を向けたまま立ち上がると、リンは横に向かって握りこぶしを突き出した。

「気にいらないものがあるの」

その声音は、まさしく悪逆非道の悪の華と呼ぶに相応しい。だって、リンの声や仕草の一つ一つに、温度や感情と呼べるものをまるで感じられない。血が、通っているとは思えない。だけど、だから、ぼくはリンの言葉を黙って聞くしかなかった。

「昨日、行ったよね。隣の国」

ぼくはただ頷くだけだ。リンはさらに続ける。

「あの国にいる、緑の髪の娘をね」

リンが横に突き出した握りこぶしが解かれて、くしゃくしゃに握り潰された、緑色の花弁が落ちる。
緑? 緑だって?

「一人残らず、塵も残さずら血の一滴も残さずに……消して欲しいの」

ふざけるな。そんなことできるわけないだろ。でもぼくはそれを言葉にすることができない。
何故なら、こちらに振り向いたリンの瞳が、涙に濡れていたからだ。
ぼくの意識が火に焼かれたように真っ赤に染まる。
喉の奥が熱い。吐き出してしまわないと、気が狂ってしまいそうだ。





そこから先の記憶はあまりない。
気付けばぼくは、夜の街の中に立って、血溜まりに倒れる緑のあの子を、無感動に見下ろしていた。
周りで誰かの悲鳴や、怒号や、火の音がする。
でもそのどれらも、ぼくの耳には入ってこなかった。
心は恐ろしいまでに磨耗して、平坦なのに、どうしてか涙が止まらない。
止まらない。
止まらない。

10:全自動不良品:2011/03/21(月) 18:42


5


リンが下した命令は、周辺の都市や村を巻き込んだ大混乱を招いた。
いや、混乱程度ですまされるものではない。災害といっても差し支えなかった。

「緑の髪の娘はすべて 殺してしまいなさい」

この嵐のような無慈悲な命令は、瞬く間にすべてを飲み込んで、そしてつつがなく完了した。
一体なにがリンにこんな命令を下させたのか。緑のあの子に目が釘づけになり、その隣を歩く青い国の王子の存在に気付けなかったぼくには、知る由もなかった。
でも、すべてを知っていたとしても、ぼくの起こす行動に変わりはなかったに違いない。
だって、可愛い可愛い妹の涙を見て、黙っていられる兄がどこにいるっていうんだ?


緑のあの子をぼく自身がこの手にかけたというのに、ぼくの心は驚くほどに揺れ動くことはなかった。悲しむことも、または憤りを感じることもない。
ただ、涙だけが止まらなかった。
多分、ぼく以外の誰かが彼女を手にかけていたなら、また話は別だったかもしれない。でもそんなのはいやだった。たった一度、街中で見かけただけなのに、彼女の今際を他の誰かに看取られるなんて、我慢ならなかった。


「ただいま、リン」

隣国では今この瞬間にもたくさんの命が消えていっているというのに、リンは相変わらずだった。ぼくがリンの部屋に入ったとき、優雅にティータイムを楽しんでいたのだ。
だからぼくも、いつもと変わらぬ調子で、それこそおつかいから戻ってきたかのような調子で、帰りを告げる。
それなのにリンは、ぼくを見るや否や顔を真っ青にしてしまったのだ。

「レ、ン……?」

リンの震える手が、ティカップを取り落とす。薄い黄色の絨毯に、茶色い染みがじわりと広がっていく。ああ、クリーニングに出さないといけないな。

「レン、あな、た……」

一歩ずつ、リンがぼくに近寄ってくる。なにか信じられないものを見るような目。なんで? リンの望みを叶えてきたんだよ?
ふと、リンの視線がぼくの胸の辺りに向けられていることに気付く。視線を落とすと、シャツが血で真っ赤に染まっていた。ああ、あの子の返り血だ、これは。そうか、血まみれの姿を見せたら、そりゃあリンもびっくりするよな。


「びっくりさせちゃった? ごめん、着替えてからくれば良かったね。大丈夫、ぼくの血じゃないから。ぼくは平気だから」

リンを安心させようと、ぼくは笑みを顔に張りつけようと努める。でも何故だか、うまくいかない。いつもなら、リンの前でなら、完璧に笑えるのに。
なんでこんなに、頬が引きつっちゃうんだ。
平気なのに、そのはずなのに。

「い、や……、レン、やだ、いや……あ、ああ、あ」

リンの手が、ぼくの肩に触れる。嗚咽を洩らしながら、顔を胸に押しつけてきた。だめだよ、そんなことしたら、リンが汚れてしまうじゃないか。
なのに、リンはぼくを離してくれない。まるで、必死につなぎ止めるかのように、ぼくの背中に手をまわしてくる。
ぼくはここにいるよ。大丈夫だよ。泣かないでよ。

「いやっ――!」

リンの叫びがぼくの頭を衝く。
泣いて欲しくなかったのに、なんで泣くんだよ。なにもわからないよ、リン。

11:全自動不良品:2011/03/22(火) 04:39

パニックを引き起こしたリンを落ち着かせるのに、随分と時間がかかってしまった。しかしぼくの胸でひとしきり泣いて疲れたのか、落ち着いたかと思うところりと眠りについた。

ベッドの上ですやすやと寝息を立てるリンの髪を撫でながら、唇を噛み締める。
なんてまぬけなやつなんだろう、ぼくは。あんな格好でリンの前に出るなんて、不用意にもほどがある。
あんなに泣かせてしまったし、リンを血で汚してしまった。
兄としても、召使としても失格だ、これじゃあ。

「……おやすみ、リン」

そう告げて、ベッドを離れて部屋を出た。
なんだか、ぼくもひどく疲れた。今日はもう眠ってしまおう。眠って、また明日から気分を入れ替えよう。ぼくは兄であり召使だ。いつも通りのぼくを見せて、リンを安心させてあげないといけない。

シャツも替えないと、もうこの有様では使い物にならない。いくら洗ったところで、この血の色も臭いも、落ちやしないだろう。
でも、どうしても捨てる気にはなれなかった。捨てないと、いけないのに。捨てて、また明日からまっさらのシャツを着て、いつも通りのぼくでいて、リンにおやつを作ってあげないといけないのに。なんで、捨てられないんだ。

「……あ」

また、涙が零れてきた。もういいや。頭の中がぐちゃぐちゃだ。なにも考えられない。
部屋に戻ったぼくは、血にまみれたシャツをクローゼットに押し込んでベッドに体を投げ出した。
ほかの衣類に臭いがうつってしまうかもしれないけど、もうどうでもよかった。シーツに顔を押しつけて、目をきつく閉じる。
本当に、明日からまたいつものぼくでいられるんだろうか。不安でしょうがない。
あれこれと考えているうちに、眠気がぼくの足にじわじわと絡み付いてくる。
眠りはすぐにやってきた。

翌朝の目覚めは予想外に、いつも以上にいいものであった。
思考も目も怖いくらいに冴えている。なんだ、心配することなかったじゃないか。意識的にクローゼットを視界から追いやって、ぼくはハンガーにかけられている新しいシャツに腕を通した。


リンを起こしに部屋までいくと、既にリンは起きていて、部屋に入ったぼくを迎えに出てくれた。

「……お、おはよう、リン」

ドアを開けたらそこにリンが居たので、ぼくは面食らってしまう。
当のリンは、なにかを訴えるような視線を送ってきたかと思うと、なにも言わずに部屋の中に戻り、窓辺に置いた椅子に座った。ぼくも部屋の中に入って、リンの傍らに立つ。
窓の向こうに顔を向けるリンの表情は窺い知れない。リンもぼくも口を閉ざしているけど、決して居心地の悪い沈黙ではない。
だからぼくも、あえてこの沈黙を守った。
先に口を開いたのは、リンの方だった。

「昨日は、取り乱しちゃってごめんなさい」

リンが膝に置いた手を、ぎゅっと強く握り締める。昨日のことを気にしていたのか。リンが謝る必要なんてないのに。

「レンを見て、びっくりしちゃって。だって、あんな、血がいっぱい。それに……」

リンはそこで言葉を詰まらせてしまう。
それに?
それに、なんだっていうんだ。ぼくは平気なんだから、リンが気に病むことじゃないはずだ。

「気にしないで。リンはなにも悪くないから」

自然と、昨日は作れなかった笑顔が浮かんだ。良かった、これなら、ぼくはいつも通りのぼくをやっていけそうだ。
おずおずとぼくに振り向くリンの顔は、まだ少し固い。

「……朝だけど、おやつにしようか」
「えっ……?」
「ブリオッシュ、食べたいって言ってたよね?」
「あ……」

リンの顔が、途端に明るくなる。

「今日のおやつはブリオッシュだよ。材料はいっぱいあるから、好きなだけおかわりしていいよ」

だから、リンには笑っていて欲しい。好きなだけおやつを作ってあげるから。望むことはなんでもしてあげるから。例え世界の全てが敵になっても、ぼくが守かるら。
きみはそこで笑っててよ、リン。

「ふ、ふふっ……。口に合わなかったら承知しないんだからね」

花が開くように、リンが笑う。無邪気に笑う。だからぼくも、つられて思いきり笑った。
よかった、やっと笑ってくれた。リンはやっぱり笑っているのが、一番いい。


程なくして、この国で革命が起こった。
だからリンの笑顔をぼくが見たのは、これが最後になる。

12:全自動不良品:2011/03/23(水) 12:55

街の陰から陰を歩きわたり、ぼくはなるべく人目につかぬように城を目指していた。街には火の手があがり、その中を赤い鎧で着飾った武骨な兵たちが足並みを揃えて歩いている。彼らはみな、ただ一つの感情によって統率されていた。
怒りだ。獅子のたてがみのごとく猛々しく、そして真っ赤に燃ゆる炎のような怒り。

城下の広場にたどり着くと、そこも真っ赤な炎によって埋め尽くされていた。武器を手にした兵の数は、目測だけでも有に千を越えている。それに加えて、彼我の軍の間には絶対的な士気の差があった。

「だめだ、これはもう保たない」

口走ってから、冷静な判断を下す自分に嫌気が差した。ばかか、そんなこと言ってる場合じゃないだろ。とにかく、なんとかして彼らが城に攻め入る前に戻らないと。
建物の影を離れて、城とは違う方角へとぼくは走る。直接城に向かうのでは、確実に赤い兵に見つかってしまう。だからひとまず城の裏手に周り、あの遊歩道から忍び込む算段だった。

「暴君、悪の華! 彼の者にこれまでの悪逆非道な行為の、その報いを受けさせようぞ!」

ぼくがその場を離れるとき、勇ましい女の声がびりびりと響いた。世界中にさえ届きそうな、声が。見ると、整列した兵の先頭に立つ一人の赤い女が、高らかに剣を掲げあげていた。焔という文字に手足が生えて歩いているような、実に勇ましい姿。
剣の穂先を城へと向けて、高らかに謳う。

「怒れ、怒れ! 貴様らの怒りはその程度か! 悪の華がどれだけの暴虐を振りまいたと思っている! 怒れ! 燃やせ! 我らの怒りの炎を以て、あの城を炭へと変えてくれよう!」

なんて声だ。聞くだけで思わず許しを請うてしまいそうなほどの、力強い声。その声にああまで煽られては、兵の士気も天を衝く勢いだ。
ああ、赤い女のあの背中。なんて美しい姿だ。まさに戦女神。まさに英雄。剣と鉄火をもって悪を討つ、正義の味方。

「報い、か」

城の裏手に続く遊歩道への道を走りながら、ぼくは皮肉げに笑う。嗤いが、こみあげてくる。嗤わずにはいられない。
これが報いだというのなら、ぼくはそれに逆らってやろう。
お前たちがどれだけ正しくても、リンがどれだけ悪くても、ぼくはリンの味方だ。
何故か、なんて、聞くまでもないだろう?

13:全自動不良品:2011/03/23(水) 14:16


6

もうすぐ、この国は終わる。火の粉の舞う遊歩道を走りながら、ぼくはその事実を他人事のように復唱していた。

もうすぐ、この国は終わる。それも、怒れる国民たちの手によって、だ。
これまで民草がリンの暴虐ともいえる振舞いに黙っていたのは、リンを畏れていたからだ。悪の華のその美しさに心から魅入られていたからだ。

しかし、今回リンが下した悪夢のような命令は、それまで民草を支配していた畏れの鎖を呆気なく砕いてしまった。水の圧力に耐えきれなくなったダムが決壊するように。
そして、彼らの怒りは濁流となってリンの足下へと流れ込んだ。

さらに怒りは他の怒りを連鎖的に呼び起こし、今や世界中がこの王国の敵になっていた。海の向こうの、青い国さえも。

もうすぐ、この国は終わる。

でも、リンは。リンだけは助ける。
どれだけリンが悪業を重ねてきたかなんて関係ない。ぼくはリンを守りたい。守るんだ。


城にはまだあの炎のような軍勢はなだれ込んでいないようだった。
ほっとするのも束の間、ぼくは城中に蔓延する不自然な静けさに気付く。なんだ、これ。静かすぎるだろ。自分たちの城が、国が攻められてるんだぞ。

「リン」

もぬけの殻と化した城内を、リンの部屋に向かって一直線に駆け抜ける。

「リン!!」

ドアを蹴破って、リンの姿を探した。視界が忙しなく動き回る。両の目玉が、ぼくの意思とは関係なしに部屋中を巡った。
リンの姿は、どこにもない。

「嘘だろ……リンは、リンは?」

どこだ? リンはどこに行った?
膝ががくがくと震える。いい知れぬ恐怖がぼくの頭に靄をかける。ここにいないということは、どこか別の場所にいるということだ。簡単な理屈なのに、思考が全く上手く働かない。

意識が混乱の坩堝に叩き込まれそうになる直前、ぼくはそれを見つける。テーブルの上に乱暴に投げ出された、食べかけのブリオッシュ。リンのやつ、こんなときだってのにおやつを食べてのか。

頭が、冷える。膝の震えも止まる。
ぼくはリンのクローゼットを開け放ってドレスを一着手に取り、部屋を出た。急げ、時間はもうそんなにない。
長い廊下を一息に駆け抜けて、ぼくはリンの下へと向かう。リンがどこにいるかは、もうわかってる。予感ではなく、確信をもてる。

「リン――!」

たどり着いた先は、ぼくの部屋。ドアは開け放たれていて、部屋の真ん中でリンはへたりこんでいた。
体がびくりと跳ねて、怯えに染まった目がぼくを見る。

「――リン!」
「……レンっ」

駆け寄って、小さな肩を抱き締めた。黄金色の髪に頬を押し付けた。リンも、ぼくの背中に手を回してくる。良かった、無事だった。リン、リン!

「レン、レン……恐かった、みんな、みんないなくなっちゃって、空が赤くなって。恐かった、こわかったよ、レン」
「大丈夫、大丈夫だから。ぼくはいる。ぼくがいる」

やっぱり、城の者はみんな逃げ出したのか。
我先に逃げ出す家臣を見て、最後に独り取り残されるリンの恐怖は一体どれほどのものだっただろう。
これで、本当の意味で世界中が敵になってしまった。もうどこにも頼れる味方はいないのだ、リンには。

ぼくを除いて。

「ねえ、どうしよう、レン。どうなっちゃうの、わたし。殺されちゃうのかな、死んじゃうのかな」

震える声でつぶやくリンの顔には、もう悪の華の美しさはどこにもない。ただ、迫りくる恐怖に怯えるだけの小娘のものだ。
ぼくはリンの肩に手をおいて、真正面からその瞳にかたりかける。

「リン、よく聴いて。リンが助かる方法は、まだある」

そう、もうどうしようもなく、どう覆すこともできない状況ではあるけど、ひとつだけある。リンを助けることのできる、魔法のような手が。リンだけが助かる、そんな都合のいい奇跡のような魔法が。

リンだけが、助かる。

「ほら、ぼくの服を貸してあげるから。これを着て、リンは逃げるんだ。大丈夫、ぼくらは双子だよ。きっと、誰にもわからないさ」
「……え?」

ぼくの言ってる意味がわからないんだろう。リンは呆然とした表情で、ぼくを見つめ返してくる。

「レン、は?」

ぼく? 決まってるだろ、リンを守って、死ぬ。
召使として、これ以上の喜びはないだろ?

14:全自動不良品:2011/03/26(土) 06:29





互いの服を取り替えたぼくらは、ふたり揃ってまるで違和感がなかった。まるで鏡でもみてるようだ。リンも同じことを思ってるんだろう、道端でばったり自分のクローンを見つけてしまった時のような顔をしてぼくのことを唖然として見つめている。
実際の鏡の前に立って、ドレスの裾を指でつまんでくるりとまわってみた。これなら、誰の目にもリンに見えるだろう。

「レンは」

後ろからリンの震える声が聞こえてくる。ぼくは直接振り返らないで、鏡に映るリンに視線を向ける。

「レンは、どうなるの」

リンの声音には、答えはわかっているけどそれを絶対に認めたくないという色が滲んでいる。どうって、影武者の末路なんて、ひとつしかないだろ?

「だめよ」

リンの手がぼくの背中に触れる。

「いやよ、そんなの。……なんでレンが。おかしいじゃない」

区切り区切りに、リンは声を絞りだす。ぼくの返事をを待つように。でもぼくはなにも答えない。答えられない。これから死ぬっていうのに、どんな言葉をリンに遺していいかわからない。なんて言えばリンは安心してくれるんだ。

「なにか言ってよ、ねえ」

背中に触れるリンの手がドレスを握り締める。こっちを向けと言わんばかりに、引っ張られる。

「……リンひとりだけしか、ぼくには救えない。それは裏返すことはできないし、覆すこともできない」

ようやく出てきた言葉は、事実は変えられないということを伝えるものだった。だって、リンに嘘はつけない。

「どうして。おかしいわ、そんなの。そんなのわたし、わたし、は……」

リンの言葉は、涙に呑まれる。そして、すがりつくように背中を抱き締められた。リンの胸の鼓動が、ぼくの背中を打つ。背中を通り超して、心臓までも届く。ぼくとリンの心臓が脈打つリズムは、コンマ単位で同じだった。

「……レンはなにも悪くないじゃない」

最初は静かに。そして、

「レンはなにも悪くないじゃない! なのに、なのになんで!」

肩を掴まれて、無理矢理に振り向かされた。そこには心の底から怯えた顔をして、泣きながら感情をぶつけてくるリンの……ぼくの姿があった。まるで鏡が、音を発しているようだ。笑いだしてしまいそうなほどに、おかしな光景だった。だから、ぼくは心の底からの笑みを浮かべた。

「リン」

その小さな肩に手を乗せると、リンはびくりと震える。そのまま思いきり抱き寄せて、真正面から、見据える。自分の顔したやつにこんなこと言われたら、どう思うんだろうな。

そんなことを考えながら、ぼくは、最期の言葉を、リンに、

「 」

リンに、

「そのときはまた、」

リンに。

「遊んでね」

そうしてぼくは泣き崩れるリンを背にして、部屋を後にした。どうせなら玉座で堂々と待ち受けていてやろうと思い立って玉座の間に向かっている途中で、赤い女に見つかった。
あっという間に鎧たちに取り囲まれ、なにか大声をぶつけられながら床に組み敷かれた。更に上からなにか声が降り注いでくるけど、ぼくの頭はそんなものは一切聞き入れずに、さっきリンに言われたことを思い出していた。
レンは悪くないのに、なんで。
それはとても簡単なことだ。兄だからだ。リンを悪と呼ぶのなら、ぼくにだってその血が流れている。

15:全自動不良品:2011/03/26(土) 07:27

それからリンがどうなったかは知らない。ただ、「同じ顔をした召使」については、ぼくが処刑台に立つその時まで、誰にも触れられることはなかった。よかった。少なくとも、見つかってはいない。これからリンには辛いことも沢山あるんだろうけど、生きてくれるなら。

いつか、どこかで笑ってくれるならそれでいい。





悪の華……つまりはリンに成り済ましたぼくが捕らえられてから数日間、飲まず食わずで城の牢に入れられていた。自国の城の牢に入るなんてとんだ笑い話だな、と笑いを溢したら、見張りの鎧にふざけるなと殴られた。


それから更に数日してから、赤い女と鎧たちに引き連れられて城下の広場に出た。壁が焼け焦げ、崩れた建物に囲われた広場には、悪の華を捕えた報を耳にしたであろう人たちが押し寄せてきていた。
様々な人たちの感情と視線の前に晒されて、リンをこの場に立たせなくて本当によかったなあ。なんて感想が真っ先に思い浮かぶ。こんな大勢の負の感情の前に立ったら、きっと泣き出してしまうだろう。


「聞け! 民衆よ!」

赤い女が、この数日間で用意したであろう処刑台の横に立って、集まった人たちになにかを叫んでいる。これまでの悪の華の所業をつぶ一つにいたるまでに列挙していき、民草の中で積もりに積もった怒りを煽る内容のものだった。

その間、なんだか楽しくなってきたぼくは悠然と広場に集まった人たちを眺めていた。突き刺すような視線に四方八方から射ぬかれる。

「悪の華よ! 前に出ろ!」

ひとしきりリンの所業を咎めた赤い女がこっちに振り向き、腰に提げた剣を抜き放った。背中を鎧に槍でせっつかれて、ぼくは一歩踏み出し、それからゆっくりと処刑台の下へと歩きだした。さあ、悪の華の最期の大舞台だ。さしずめこの人垣は、ぼくにとっての花道ってところだろう。

唐突に、確信に近い予感がふとぼくの胸を穿つ。リンのやつ、来てるな。

きっと、なにかで顔を隠してるんだろう。てっきり遠くに逃げたものと思ってたのに、しょうがない妹だ。ぼくの首が飛ぶところなんて見せたくないのにな。

悪の華らしく、ぼくは脇目も振らずただ真っ直ぐ前だけを見る。そして、処刑台の前に立った。無感動にそれを見下ろすぼくの横で、赤い女が腕を振ってどこかに合図を送るのが見えた。その途端、どこからか大きな鐘の音が響いてくる。
からんからんと広場の中で反響を繰り返して、広場に佇むすべての生き物を打ちのめした。

鐘の音を聞きながら、ぼくは空を見た。視界に広がる世界はこんなにもぐちゃぐちゃに荒れ果てて乱れきっているのに、空だけは場違いなほどに青くて、澄み切っている。

赤い女が、高々と剣を振り上げてぼくの首に狙いを定める。視線で遺言はないかと問うてきた。レンとしての、ぼくの言葉はもう遺してきた。だから、悪の華らしく、締めくくりの言葉を遺そう。それでようやく、リンが助かる。

例え世界中のすべてがリンの敵になっても、ぼくは、ぼくがリンを守るから。
だからリンはどこかで生きていて欲しい。生きていれば、いつくっと笑える日がくるから。いつになってもいいから、それが今際の時でもいいから、
きみはどこかで笑ってて。
「あら、おやつの時間だわ」

16:たかっき〜♪:2011/03/26(土) 09:19

悪の召使?

17:全自動不良品:2011/03/26(土) 20:15


ξ

舗装された道から砂浜に降りて、波打ち際に向かって歩いていく。その途端に、それまで息を潜めていた潮風がわたしの体に絡み付いてきた。磯の香りを目一杯吸い込んで、風に流されて視界を遮る前髪をかきあげた。
夜明け前の空はまだ薄暗くて、水平線と空の境目も溶け合っている。すべてを飲み込んでしまいそうな闇が、ただ口を開けてたたずんでいる。あんな暗いところじゃあ、毎日寒いんだろうな。そんなばかなことを考えて、手の中のものを強く握りしめた。

わたしの隣にひっそりと浮かぶ、幽霊のような港。昔はそれなりの規模をもって栄えていたそうだけど、今ではもう御覧の有様。
いくあてもないわたしがどうしてこんなところにいるのか。それは、あの国から逃げ出して数日も経たないときだった。たまたま辿り着いた小さな村で耳にした、この海に古くからあるといういいつたえ。

願いを書いた羊皮紙を、小瓶に入れて海に流せば、いつの日か想いは実るでしょう。

もちろんそんないいつたえを真に受けてるわけじゃない。いいつたえひとつに一喜一憂するような時期は、とっくの昔に通り過ぎた。でも、今のわたしはそのいいつたえにすがりついている。そうでもしないと、とても立ってられないから。もうわたしの傍らで支えてくれる人はいないから。

波を踏み越えて、沖へと進んでいく。遠浅なのである程度までなら歩いても、膝から上は海に浸からない。海の中で半ば泥と化している砂を踏みしめて、わたしは手にもった小瓶を波間に浮かべた。
少しずつ、少しずつ小瓶は波に運ばれて、わたしから遠ざかっていく。願いを込めたメッセージはぷかりぷかりと揺れて、この海を越えていつか誰かの手に渡るのだろうか。その誰かとは、わたしが望むその人なのだろうか。わたしが望むその人は、このメッセージをちゃんと読んでくれるのだろうか。
問い掛けた言葉は、風と波の音に飲み込まれて、わたしの耳にすら届かなかった。

18:全自動不良品:2011/03/26(土) 20:53

一筋の光がわたしに差し掛かった。瞬く間に光は幾条にも広がっていき、世界に光が満ちていく。世界が朝を迎えての、初めての呼吸で、わたしはその名前を呼んだ。

「」

その声に応えるように、小瓶が陽の光を反射してわたしの目を刺した。とっさに腕をあげて目を庇って、瞳を閉じた。遠くに近くに聞こえる波の音が、わたしの記憶を呼び起こしていく。瞳を閉じたまま、わたしはその記憶に逆らうことなく身を委ねた。
いつも困ったような顔をして笑うきみ。いつだって、そんな顔をしてわたしの傍にいた。衝かず離れず、そう、離れずにだ。そしていつもいつも、わたしのわがままを受け容れてくれた。わたしはわたしがわがままであることを、理解してた。それでも、わたしのわがままを受け容れてくれるきみに、完全に依存してた。
一番最初の記憶から今にいたるまで、階段を一歩々々登るようにひとつずつ瞼の裏に投射していく。そして一番最期の記憶の端っこに足をかけた瞬間、脳みそが自らひっくり返るようにしてそれを頑なに拒む。無理に思いだそうとすると、胃からなにかがせりあがってきて、吐き気を催してしまう。

苦しい。助けてほしい。瞳を開けて、いつもすぐそこにいる陰を探した。でも、この海の中に立つのはわたしひとりだけで、だから寄る辺なく立ち尽くすしかない。そうだ、願いを叶えてくれるきみがもういないから、こうしてこの海にわたしの想いを託したんだ。いつか、いつの日か、届きますようにと。叶いますようにと。

小瓶はわたしの下を大分離れて、もう手の届かないところまで流されていた。それでもわたしはその場を動かない。ただひたすら、波間に見え隠れする小瓶を眺めていた。

太陽がようやく、その頭を覗かせた。

19:全自動不良品:2011/03/26(土) 21:29

小瓶がいよいよもって見えなくなろうか、という所で、朝焼けが海を燃やし始めた。黄金色に燃える海からの熱がわたしに届いて、そのわたしが吐く息が空気を暖めて、そうして世界に熱が生まれていく。色が生まれていく。

青ではなく、黄金色に燃える空は、わたしの髪の色にとてもよく似ている。それはつまり、
それは、つまり、

「」

またしても、名前を呼ぶ声は波と風に飲み込まれる。それでもわたしは、その名前を呼ばずにはいられない。この黄金色の空に、きみを見ずにはいられない。何度も何度も、わたしはきみの名前を呼ぶ。
そこにいるんだよね。そうなんだよね。わたし、きみにメッセージを送ったよ。この海の向こうに、この黄金色に向けて、願いを託したんだよ。小瓶は朝焼けを反射して、絶えずわたしに向かって光を送る。まるでわたしに手を振るように、行ってきますを言うように。
だからわたしも、その光が水平線の彼方に静かに消えていく最後の最後まで、瞬きすることなく見届けた。きっと大丈夫、このメッセージは、この願いは、きっときみに届く。

「もしも生まれ変われるならば、 」

言葉の続きは、風に乗って、波に揺れて、あの水平線に消える。
わたしを包む朝焼けの光が暖かすぎて、寒気がしてきた。両腕を抱いて、わたしはその場に崩れ落ちる。

「」
「」
「」

何度も何度も名前を読んで、わたしはただひたすら泣いた。堪えていたものを全て吐き出すように、心にあふれかえった熱を、ぶちまけるように。

遠くに近くに響く波の音に背中を押されて、あの黄金色の朝焼けがわたしの手を取ってくれている気がした。だから、だからこそ、わたしがもうひとりになってしまって、きみがもうこの世界のどこにもいないのだということを、これ以上なく強く実感する。孤独が、わたしを打ちのめす。


いつまで経っても泣き止まないわたしを見守るように、或いは無尽蔵に溢れてくるこの涙を燃やすように、陽の光はわたしを照らし続けた。

20:たかっき〜♪:2011/03/27(日) 22:39

こんどは、「リグレットメッセージ」?

21:みょん:2011/04/05(火) 00:38

悪ノシリーズの小説ですか!
上手ですね〜(^^)
最後のトコがイイです♡

22:全自動不良品:2011/04/06(水) 09:00


1

木々が血管の如く張り巡らせている根に爪先を引っ掛けてしまい、手に提げた水入りのバケツをひっくり返してしまった。ばしゃんと音を立てて、なみなみと注がれていた水が放射状に飛び散る。
川のように流れていく水を目で追っていると、誰かの小さな悲鳴が耳に入ってきた。見ると、そこには村の娘がいて、どうやら舞い散った飛沫を被ってしまったらしい。私は慌てて頭を下げる。

「ごめんなさい」
「いえ」

娘は長い緑の髪を耳にかけなおしながら素っ気なく一言返すだけで、私に視線向けることすらなく行ってしまう。私の横を通る間際、小さなため息を漏らした。ような気がした。

「またこの娘?」

そんな侮蔑の色を、多分に含んだため息だった。ような気がした。所詮それは“気がした”だけであり、本当に今の娘がそんな感情を私に向けているかなんて確かめる術もない。だって、これまでずっと頭を下げて生きてきたのだから。誰かと向き合ったことなんて、ないのだから。
しばらく頭を下げていた私だったが、やがて思い出したように地面に転がっているバケツを拾って来た道を戻りはじめる。もう一度、水を汲んでこないと。
再び根に爪先を引っ掛けてしまわないように慎重に歩く私の前から、二人の村の娘がやってきた。私は意味もなく咄嗟に目を伏せて、道の端へと寄って娘たちとすれ違う。すれ違いざまに視界に入る緑の髪を見て、私の気分は更にどん底に落ちた。

周辺の国々の領地から切り離されたような秘境に、息を殺すような静けさを以て森の中に居を構えるこの小さな村。そこに住まう娘たちはみな一様に綺麗な緑の髪をしており、私もまたその村に住まう娘の一人だった。しかし、私は他に類を見ないような大きな、とても大きな欠陥を抱えている。

23:全自動不良品:2011/04/06(水) 09:58

森の奥へと続く道は、道の両端に立つ無数の樹から伸びるいくつもの枝が折り重なるようにして天井を形成しており、まるで洞窟のような雰囲気を醸し出している。そのため陽の光もあまり届いてこないので、薄着をしていると少しだけ肌寒い。
長く続く森の廊下を抜けると、それまでの閉塞感が嘘のような広い空間が現れる。周囲から高く伸びる木々が、その頂点で僅かに湾曲することによってドーム状の空間を形成している。

その領域の中心にはとても巨大な大樹がどっしりと根を広げて鎮座しており、直径を計るのも馬鹿らしくなるほどの太く逞しい幹が広げるいくつものたおやかな腕は、遥か上空で交わる木々の切れ目から注ぐ陽の光を受けて、エメラルドのように煌めいている。
いつからこの大樹があるのかは誰も知らない。ただ、その神聖とも言えるほどの、他とは一線を画す圧倒的な存在感から、私は「千年樹」と心の中で名付けている。
この領域には不思議な静謐さが満ちていて、風に揺れる木々のさざめきの音や、どこからか飛んでくる小鳥たちの囀り。あらゆる生命の息吹が完全に溶け合い、一律たりとも狂うことなく調和している。確かに音として存在していながら、音という概念が消えているのだ。ここで一人目を閉じて佇んでいると、その静謐さの一部分に加わっているような気分がやってきて、私の心を何かが満たしていく。

「千年樹」の根元には清々しくなるほどに澄み切った清流が流れていて、ここから水を汲むのが私の日課だった。
でも、その日は違った。私はバケツを置いて「千年樹」の隠密の前に跪いて、両の手を組んで祈りを捧げる。

私の傍らで流れている清流に映る、この領域の色彩の調和を乱す白。私はこの色が嫌いだった。憎んでいると言ってもいい。

この世に神様がいるならば、こんな、こんな白い髪に私を作った神様を、私は心底恨むことだろう。
私の抱える欠陥。それは、この村の住人には相応しくない、真っ白な髪だった。

24:全自動不良品:2011/04/06(水) 10:57

私の持つコンプレックスを体現したような白い髪。他人との大きな差異。それに加えて、生来のネガティブシンキング。物心ついたころからこれらに苛まれて生きてきた私には、いつしかこんな口癖が染み付いてしまっていた。

「生きていてごめんなさい」

ずっと弱音ばかり吐いて生きてきた。周りと違う自分が嫌でしょうがなかった。小さなころからコンプレックスに苛まれて疑心暗鬼に陥り、自ら壁を作って独りでいようとする私に関わろうとする人も、いつしか完全にいなくなってしまった。友人はおろか、知人と呼べる人さえも、私にはいない。

この「千年樹」の領域で、一人目を閉じている時に心を満たすもの。それは、孤独に他ならなかった。この調和の中に加わった気になっていても、やはりこの調和に人が交じることなどできやしないのだ。環の傍に近寄れただけであって、環に入れたわけじゃない。むしろ、余計に孤独にうちひしがれるだけだ。

私は「千年樹」の御身に向かい祈りを捧げる。孤独に生き続けることは、とても寂しいことだ。だから誰でもいい。話がしたい。向き合いたい。視線を合わせたい。共有したい。共感したい。本当に、本当に誰でもいい。友達と呼べる人が、欲しい。

でも、その願いを聞き届けてくれる者はいない。どれくらいそうしていたのか、私は長い祈りを終えて目を開く。けれど、傍には誰の陰もない。この「千年樹」の圧倒的な存在感の前に晒されているのは私独りだけで、だから寄る辺なく立ち尽くすしかない。
当たり前だ、こんな祈りになんのも意味もない。それは私自身が一番わかっている。祈ることで願いが叶うなら、私はこうして独りで生きていない。
それでも、祈りを捧げずにはいられない。もうこの祈りにしか、私が縋れるものはないのだから。

祈りを終えてその場で立ち尽くしていた私は、やがてバケツを取って清流の水を汲み始める。帰ろう、いつも通り日課を終えよう。それで、また明日からも同じ日の繰り返しだ。

でも、その日は違った。

バケツを手に提げて立ち去ろうとする私の視界の端に、寒気がするほどの美しい緑色が映ったのだ。すぐさまそちらを向いて、私は目を剥いた。バケツを放り捨てて駆け寄る。

「大丈夫ですか」

「千年樹」の根と根の間に倒れている、緑の髪の女性。その髪は恐ろしく美しく、私は女性に声をかけながらも、その髪から目を離すことができないでいる。
村の娘ではない。こんなにも美しい髪ならば、すれ違うだけで目を奪われるだろう。

女性が僅かに呻いた。息はある。特に外傷もない。私は声をかけ続けながら、彼女の体を引き起こして背中におぶさった。
急いで家に連れて帰らないと!

25:不良品:2011/04/06(水) 15:53


2

村の離れにある私の家まで女性を運び込み、ベッドにそっと仰向けに寝かせて濡らしたタオルを額に乗せてやる。ひとまずの処置を終えた私は、ベッドの傍らに椅子を置いて腰を落ち着けた。顔色も悪くないし、呼吸も安定してるし、暫く安静にしてれば目も醒めるだろう。
それにしてもこの女性、びっくりするほど軽い。「千年樹」から私の家まではそれなりに距離があるのに、まるで苦にならずに背負って歩くことができた。
チラリとベッドの上の女性の肢体を上から下まで観察してみると、なるほどあの軽さも納得のスラリとした体付きだ。かと言って細すぎるわけでもない。筋肉と脂肪のバランスが絶妙なんだろう。

「……いいなあ」

自分の体を見下ろす。私もそれなりに細い方だが、単に筋肉も脂肪もなく痩せ細っているだけで、とても貧相な体だ。骨と皮しかない。一体なにを食べて過ごせばこの女性のような理想の体型になれるのだろうか。
それに、この、緑の髪。この村のどの娘よりも、この女性の髪は美しい。羨ましさや嫉ましさよりも、真っ先に感動を覚えてしまったほどだ。こんな、造りもののような髪があるだなんて。
加えてよくよく見てみると、緑の髪がよく映えるとても整った顔をしている。顎のラインにも無駄がなく、俗世で言うところの小顔というやつだ。
そんな女性に魅了されてしまったのか、私は無意識のうちに女性の髪に手を伸ばし、その手が髪に触れるか否かというところで我に帰った。
それまで苦しげに閉じられていた女性の瞼がくわっと見開かれたからだ。心臓が左の鼻から飛び出そうなほどびっくりする。

「ううわわわごめんなさいやましい気持ちはないんですスイマセンごめんなさい!」

驚きのあまり三メートルくらい飛び上がった私は、椅子を蹴倒して壁に後頭部をぶつける勢いで後ろに退がる。
頭をぶつけたせいでチカチカ星の飛び散る視界の向こうで、女性が上半身をバネに弾かれるようにして起き上がらせる。額に乗せていたタオルが女性の膝の上に落ちた。
暫くそこからなんの動きも見せなかったが、突然その端正な顔が私に向けられる。私はビクリと飛び上がって、女性の様子をおっかなびっくり見守る。

それから数十秒近く無言のまま顔を見合わせていた私たちだったが、女性の腹から鳴り響く地響きのような音が、その沈黙を木っ端微塵に叩き砕く。

「……お腹が空いているの?」

恐る恐る問い掛ける私に、女性は首を縦に振って頷いた。

26:全自動不良品:2011/04/06(水) 17:57

とてつもない勢いで鳴らされるお腹の音で空腹を訴える女性に、作りおきしていたブリオッシュとコーンスープを振る舞うと物凄い勢いであっという間にそれらを胃に収めてしまった。

「おかわりをください」

しまいにはおかわりまでも催促してきた。その勢いと眼光に完全に気圧された私は、催促されるがままに次のブリオッシュを焼いている。
なんでこんなことしてるんだろう。ごうごうと唸るオーブンの前に立った私は、そこではっと我に返った。チラリと後ろを肩ごしに覗き見ると、すっかり快復した彼女が私の淹れたミルクティを上機嫌な調子で堪能している。
聞きたいことはたくさんある。貴女は誰? なんであんなところに倒れていたの? どこの人なの? ……でも、なんかもうそんなことを質問できる雰囲気でもない。おかわりを平らげた後に笑顔で「それじゃあ次は貴女の命をください」なんて言われても、今なら勢いで「あ、どうぞどうぞ」と快く差し出してしまいそうだ。
もうどうにでもなあれ、と私が自棄になりはじめたところで、オーブンがチンとベルを鳴らして中の生地が焼き上がったことを告げる。

断熱ミトンでオーブンの蓋を開けると焼き上がったばかりのブリオッシュの甘い香りが一気に部屋に充満して、私の背後でガタンとテーブルに手をついて彼女が立ち上がる気配がした。

ブリオッシュを皿に乗せて振り替えると彼女と目が合って、自分が立ち上がっていることに気付いた彼女は恥ずかしそうにしおれて椅子に座りなおす。

「オーブンから出したばかりのものは、とても熱いので気をつけてくださいね」
「はい!」

ブリオッシュの頭に切れ目をいれて、そこに生クリームを挟んで彼女の前に差し出すと、私の忠告も無視して生クリームを挟んだ部分に大口を開けてかぶりついた。さっきの威勢のいい返事はなんだったの?

「〜〜〜〜!!」
「ああ、ほら……熱いって言ったばかりじゃないですか、もうっ」

顔を真っ赤にしてる彼女に水を注いだコップを差し出すと、私の手からコップを引ったくって口をつける。少しずつ彼女の顔色に戻っていく。かと思えば、今度は喉の器官に水が入ってしまったらしく、思い切りむせて咳き込みはじめた。なんて忙しないんだ。

「大丈夫ですか……ほら、ブリオッシュは逃げないから、ゆっくり食べてください」

呆れながらも背中を擦ってあげると、彼女は涙を目尻にため込みながら何度もこくこくと頷いた。それから、今度は私の忠告を守って慎重にかぶりつく。
まったくもう。なんだか一気にどっと疲れてしまった私は、もそもそとブリオッシュを口に入れていく彼女を尻目に、空になった食器を持ってシンクの前に立ってそれらを洗っていく。
そこで、ふと気付いた。私、今、人と触れ合ってる。

これが、私と彼女の始まりだった。

27:全自動不良品:2011/04/06(水) 19:34

計四つのブリオッシュを平らげてしまった彼女は、自らをミクと名乗った。
洗い物をすべてすませてから、彼女――ミクの対面に座ると、深々と頭を下げてくる。

「助けて貰ったみたいだし、その上こんな美味しいものまでご馳走していただいて……ありがとうございます」
「あ、いえっ。お粗末さまでした」

釣られて、私も何故か同じように頭を下げてしまう。なにやってるんだ。それより私、声震えてない? 大丈夫? 誰かとまともに会話するのなんてもうずっとしてなかったから、何かおかしなところがないか不安になってくる。
ところが、頭を上げてミクと目が合うと、自然と言葉が口をついて出てきた。

「ええと……ミク、さんは、なんであんなところで倒れていたの?」

するとミクは家出がバレた年頃の娘のようなバツの悪い笑みを浮かべては、視線をあちらこちらに泳がせ始める。まさか、本当に家出?
暫くあーだのうーだの唸っていたミクだったが、やがてぽつりぽつりと身の上話をし始めた。

「わたし、この辺りの人間じゃないんです。もっともっと遠いところから来ました。そこでは緑死病っていう、体が植物に飲み込まれて死んでしまう恐ろしい流行り病が蔓延してて。……あ、でも、特効薬が発明されて、緑死病自体はなくなったんですよ! そしたら、わたしを見た町の人が『その緑の髪は緑死病を連想させて不謹慎だ!』って。結局わたしは国外追放です。あてもなく彷徨ってる時に、この辺りに緑の髪の人が集まる村があるって聞いて遥々尋ねてきたんだけれど、森の中で道に迷って。なんとかあの大きな樹のあるところまで辿り着いたっていうところで、そこで力尽きちゃいましたっていうか……」

一息で話し終えたミクは、まるで己の小さな恥を吐露してしまったかのような軽さで照れ笑いを浮かべている。けど、いや、それは、普通に笑えない話なんじゃないのか。反応に困っている私の様子に気付いたミクはしまったという顔をした後、気まずそうに苦笑いを浮かべてしぼんでいく。

「いや、あの、初対面の人間にこんな話されても迷惑、でしたよね、アハハ」
「やっ、そんなことはっ。それはそれはお気の毒に……」
「…………」
「…………」

私とミクの二人の苦笑が重なり、そしてすぐに消えて、気まずい沈黙がやってくる。だ、だめだー。ここまで重い事情があったなんて思いもしなかった。なんて言葉をかけていいかわからない。お気の毒にって言って大丈夫だったの?
お互いに肩をちぢこめて押し黙っていたが、この空気に耐えきれなくなったらしいミクの方から、努めて明るい口調で切り出してきた。

「あのっ、貴女のお名前は、なんと言いますかっ」

でも、その質問はひどくクリティカルに私のコンプレックスを抉るもので、私は更に陰欝な陰を背負いながらミクの質問に答えることになった。

「……あ、私は。……私は、ハクといいます」

ハク。
白。
白色。
私の大嫌いな色。どうして私は、自分の名前にまでコンプレックスを感じなければいけないのか。とことん神様を恨んでしまう。
でも、そんな私の事情を知らないミクは、「あ、髪の色に因んだいい名前ですね」なんてことを言ってくる。

「嘘。やめてください、そんなこと言うの」

28:全自動不良品:2011/04/06(水) 23:15

「私、この白い髪が嫌いなんです。だからやめてください」

自分でもびっくりするくらいに、切り捨てるような冷たい声が出てきた。ばか、何をいってるんだ、私は。彼女は、ミクは何も知らないだけなのに。すぐさま我に返って今の失言を謝罪しようとすると、ミクはいまいち要領を得ないという顔をして謝罪を突っぱねた。

「よくわからないけど……本当にいい名前だと思います、わたし。こんなに綺麗な、白い髪なのに」

テーブルから身を乗り出してきたミクの手が、私の髪に触れる。今まで、誰にも触れられることすらなかった、私のコンプレックス。そこに無遠慮にミクは手を伸ばしてきた。

「な、うう、あう」

私はもう怒ってるんだか驚いてるんだか恥ずかしいんだか判らなくなって、魚のように口をぱくぱくさせながら固まることしかできない。ただ顔だけが熱くて、きっと今の私は凄く赤い顔をしているんだと思う。
そんな私の内情を知ってか知らずか、ミクはにこりと笑った。

「それにほら、ミクとハクってなんだか似た名前じゃないですか。偶然出会った二人なのに。運命感じちゃう」

出会ったというか拾ったというか。ミクの言葉を聞きながら、私はそんなどうでもいいことを考えてしまう。そして、ミクの言葉に心を揺さ振られている自分に気付いて、踏みとどまる。本当に、そう思うのか。本当に、貴女はこの髪を褒めてくれるのか。

「……ミクさん」
「はい?」
「少し、ついてきてくれませんか」

一瞬不思議そうに首を傾げて、ミクは二つ返事で応じる。
テーブルを立って、ミクを引きつれて外に出る。貴女はこれを見ても、まだ私の髪を綺麗だと言えるのか。こんなにも異端である私を見ても、まだ褒めてくれるのか。
家を離れて暫く歩いた私たちが着いたのは、村の入り口。後ろでミクが小さく息を呑んだ。外を歩いていた村の娘たちも私とミクに気付いて、みな一様に好奇の視線を向けてくる。

「ここが、貴女の探している緑の髪の娘が集まる村です。私も……この村で生まれました」

それなのに、私の髪はこんなにも白いのです。あの緑の調和を乱す、異端なのです。徐々に人が集まってきて、村中の視線の前に私たちは晒される。私の異端さが、より際立つ。それに耐えきれなくなった私は俯いて自分の爪先に視線を落とす。膝が震えてきた。

「へーえ……」

ミクが私の隣に立って、品定めするような視線を村の人々に向けている。それから私に寄り添ってきたかと思うと、小さな声で私にだけ聞こえるように囁いた。

「あそこの人たちより、ハクさん……の髪の方が、ずっと綺麗ですよ」
「……え?」

呆気に取られた私がミクに振り向くと、ミクはまたにこりと笑顔を私に向けて、村の人々の方へと歩いていく。

「皆さんこんにちは。わけあって国を追われた可愛そうなわたしを受け容れてくれませんか。この通り髪も緑です」

一気に人波が騒めきに揺れた。明らかに皆、ミクを訝しんでいる。それはそうだろう。いくらなんでもあけっぴろげに過ぎる。でもミクはそれにも動じず臆せず、無遠慮に語り掛けていく。
初めは渋い顔をしていた村の人々の表情はみるみる内に柔和に溶けていき、なんとミクを受け容れることを由とし始めた。あっという間に広まった歓迎ムードを遠くから眺めながら、私はまだ戸惑っていた。

29:全自動不良品:2011/04/06(水) 23:53

まだ、ミクの言葉が心に引っ掛かっている。でも、その当のミクは村人たちに囲まれて、もう住まいはどこがいいかなんて話をしている。それを見てるとなんだか居たたまれなくなって、私は踵を返した。ミクはもう大丈夫。あの様子なら、このまま村人たちに歓迎されてすぐにこの村に馴染むことだろう。そっとその場を離れようとすると、ミクの大きな声が背中を叩いた。

「あの人! ハクさんの家がいいです!」

沈黙がその場を支配した。
一体何をいってるんだろう。ミクが何をいってるのか、さっぱりわからない。それまでミクを取り巻いていた村人たちも私と同じことを思ったようで、皆固まってしまっている。
私がぎこちなく振り向くのと、村人たちの視線が私に注がれるのはほぼ同時だった。

「……はい?」

声が裏返ってしまった。ミクはそんな私を指差して、さらに言葉を続ける。

「倒れていたわたしを拾ってくれたし、美味しいお菓子をわざわざ作ってご馳走してくれました。だから、わたしはハクさんの家がいいです!」
「……別に構わないけど、それでいいの?」

それまで黙ってミクの言葉を聞いていた村人の一人が、声を発した。そしてチラリと私の方を伺う視線を向けてくる。あんな白い髪なのに? と言外に私を攻めている。ような気がした。

「はい!」

しかしミクは一瞬たりとも迷う素振りもせずにそう答えて、私の下へと走りよってくる。そして私の背中をぐいぐいと押しながら、村人たちを振り返って手を振る。

「それじゃあこれからよろしくお願いしまーす! …………さあ行きましょう、ハクさん!」

ミクに背中を押されるがまま、私の足は勝手に進む。結局そのまま家まで歩いてしまったので、そのとき村人たちがどんな顔をしていたのか私はわからない。

「ただいまー!」

家に着くと、ミクは我先に玄関を開けて中に入っていってしまった。と思いきや、再び玄関が勢いよく開いてミクが飛び出してくる。

「ハクさん、お帰りなさい!」

ミクに腕を引っ張られながら、私はまだこの状況を受け容れることができずに、真っ白になった頭の中でこう繰り返し続けるのみだった。

「まじで?」

30:全自動不良品:2011/04/08(金) 08:58


3

カーテンの隙間から差し込む光に瞼を焼かれて、眠りが醒める。より一層きつく目を閉じて寝返りを打つと、柔らかな感触が腕に伝わってきた。なんだろう、これ。腕の中になにか柔らかいものがある。
こんな柔らかい枕なんて持ってたっけ。モヤがかかったように意識のはっきりとしない頭を稼働させて、腕の中にあるそれがなんなのかを確かめようと鉛のように重たい瞼を引き上げる。
ミクがいた。

「えええええええええ」

被っていた毛布を弾き飛ばしながらベッドから転げ落ちた。え、なに? なんでミクが私のベッドに?

「……そうだ。寝呆けてるんだ、私」

だよねー。まさかミクが私のベッドで寝てるなんてそんなことあるはずがない。自嘲の笑みを浮かべてベッドの枠に手を掛けて体を起こす。

ベッドの上にミクがいた。

「ええええええ……」

余りにも非現実的過ぎる光景に、私はがっくりとベッドに突っ伏す。当のミクはすうすうと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていて、たまに寝返りをうっては「おかわりください」と寝言を漏らしている。

ぐしゃぐしゃと私は髪を掻き乱して、昨日の記憶を呼び起こしていく。たしか、ミクにベッドを譲って床で寝ようとしたら「なんでですか一緒に寝ましょうよ!」とミクが駄々を捏ねてきたのだ。それで遅くまで言い合っている内になんやかんやでベッドに引き上げられて、そのまま力尽きて二人で眠ってしまったんだっけ。

31:全自動不良品:2011/04/08(金) 23:07

冷静になってきた私は、ミクの寝顔を見ながら落ち着いて現状を振り返る。

「千年樹」の麓で行き倒れていたミクを拾って、その日のうちに紆余曲折することもなく私の家に住まわせることになった。
こうして簡潔に纏めてみると一見とても単純な話だが、とある事情からこの十余年、他人との触れ合いを持つことなく一人孤独に生きてきた私にしてみれば、恐ろしく衝撃的なことである。いま私がこうしているこの時がすべて嘘で、現実の私はすでに死んでいるんですよとご親切に教えられても、「ああやっぱり」とあっさり納得できてしまいそうだなほど。

でも私の目の前でへらへらとだらしない笑みを浮かべながら眠りこけているミクは間違いなく現実のそれで、手を伸ばせばこうして触れることだってできる。

「…………」

いつの間にか、焼きたての餅のように柔らかいミクの頬をつまんでしまっている私がいた。しまった、触り心地がよさそうだったからつい。

「……おはよーほはいまふ」
「 」

どうやらいまので目覚めてしまったらしいミクの宝石のような瞳が私を捉える。驚きのあまり心臓が二つにわかれて両方の鼻から飛び出そうになった。

「違うんですほんとにやましい気持ちなんてこれっぽっちもないんですほっぺた餅みたいだなとしかごめんなさいスイマセンごめんなさい!」

最早自分でも何を言ってるかよくわからない。しりもちをついてそのまま三メートルくらい後退った私の頭が机の角にすごい勢いでぶつかる。その痛みに頭を抱えながら床の上でのたうち回っていると、ベッドの上から私を呼ぶミクの楽しそうな声が振ってきた。

涙を目尻に浮かべながらミクを見上げると、にこりと微笑んでくる。

「おはようございます、ハクさん」
「……怒ってないんですか?」

恐る恐るたずねるも、ミクは微笑みを崩さぬまま何も答えてくれない。なんだろう。怒ってるわけじゃないみたいだけど、私がまだ何かを言うのを待ってるような。
ミクの意図を読めないで困惑してると、再びミクが私を呼ぶ。

「ハクさん」
「は、はい……」
「“おはようございます”」
「え、……あ」

ようやくミクの意図が読めた私は、恥ずかしくなってきて顔を伏せてしまう。だって私はこんな単純なことすら、これまで一度もすることなく生きてきたのだ。どんな顔をして言えばいいのかわからない。

でもミクの方に引き下がるつもりはないようで、ひたすら笑顔で私の返事を待っている。……声が震えませんように。

「お……はよう、ございます」

朝の挨拶はおはよう。こんな常識的なことも、私は身につけずに生きてきた。おはようと言える相手すらいなかったからだ。でも、今の私の目の前には、私の「おはよう」を受けとめてくれる人がいる。

たったそれだけのことで、気を緩めた途端に泣きそうになってしまった。

32:全自動不良品:2011/04/15(金) 18:12

朝食を終えたミクが「村を回ってくる」と家を出ていったので、一人取り残された私は食器を洗ってダイニングのテーブルに座り、ため息を吐いた。ミクのテンションは朝から一切衰えることなく常に最高潮な上に、とにかくかしましい。今の気分は手のかかる子を得た母親のそれだ。

「でも」

私しかいない家はとても静かで、今までこんな静けさにずっと曝されていたのかと思うと寒気がする。たった一日しかミクと一緒に暮らしていないのに、その一日で色んなことに気付かされる。

「“おはよう”」

今まで使うことのなかった言葉を、天井の木目を目で追いながら繰り返しつぶやく。

「いただきます、ごちそうさま、いってきます、いってらっしゃい」

どれもこれも他愛のないありふれた言葉。だというのに、それらをだれかと交わすだけでこんなにもウキウキと心が躍る。心なしか体の調子もいつもよりいい気がする。
言葉には力が宿るという話をなにかの本で読んだ気がする。たしか、言霊といったか。今の私を包むこれがそうなのだとしたら、言葉が持つ力のなんと強いことだろう。知らず知らずのうちに自然と微笑みさえ浮かんでくる。

「あ、ハクさんが笑ってる! なにかいいことあったんですか!」

自分が微笑みを浮かべていたことにも気付かないで物思いに耽っていた私の意識は、耳元で聞こえたミクの嬉しそうな声で弾けた。

「えっ!? えっ!! なにっ!?」

椅子に座ったまま三メートルは飛び上がりそうになって、危うく椅子から転げ落ちそうになった。え? わらってる? だれが、ミクが? ていうかいつの間に帰ってきたの? いま何時?
様々な思いが頭の中でこんがらがっている。それでもなんとかテーブルにしがみついていた私は、ミクが両手に見知らぬ子供を連れているのを見て、ほんとうに椅子から転げ落ちてしまった。それを見たミクは、両手の子供と目を見合わせてから、床に這いつくばる私の身体を慌てて引き起こす。

「どうしたんですかハクさん! あっちこっち転がり回ってだるまみたい!」

だれのせいだ。それにその子供たちはなんだ。まさか誘拐とか。待て、それじゃあこの家の主の私も共犯になるの? そんなばかな。
「あの、その子たちは?」
「あ、この子たちですか? 可愛いですよね!」

そういってミクが子供たちを抱き寄せて頬擦りする。いやそうじゃなくて!

「……どこから連れてきたの?」

噛み合わない会話に頭が痛くなってきた。眉間を押さえながら質問の仕方を変えると、質問の意図をようやく察したミクは子供たちを抱えてはしゃぎながら答えた。

「村に行く途中の道で迷ってるこの子たちを見つけたから、取り敢えず連れてきたんですよー」
「キャアアアア。いいいいますぐ元の場所に帰してきなさい!」

ほんとうに誘拐してきちゃったよ! なにを嬉しそうに語ってるのこの人は!
思わず玄関を指差して怒鳴ってしまう私を、ミクが涙目になって見上げる。

「そんなあ! ちゃんと世話もするから!」
「そういう問題じゃないでしょ! いいから帰してきなさい!」
「お願いお母さん! 今日だけでいいからっ」

だれがお母さんかっ。

33:全自動不良品:2011/04/19(火) 23:14

陽が暮れる前には必ず村へと送り届けるから、とミクに泣き付かれて折れてしまった私は、オーブンの前に立ってこの子達のために(ミクと私の分も含む)ブリオッシュを焼いている。非常に不本意ではあるが、お昼ご飯の用意もしていなかったしまあ丁度いいよねと自分に言い聞かせることにした。
ちらりとダイニングテーブルに座るミクたちの様子を伺ってみる。満面の笑みを浮かべて愛おしそうにちょっかいを出しているミクとは対照に、ミクが連れてきた二人の女の子は浮かない顔をしている。時折私の方に視線を向けてくるが、勿論、それはミクが鬱陶しいあまり私に助けを求めているというわけではない。
私を怖がっている――否。正確には、解らないんだろう。
この村では極めて特異な白い髪を持つ私。そして、余所者とはいえ村のだれよりも美しい緑の髪を持つミク。だから、解らない。そんな対極の二人がこうして仲良く一緒に暮らしているということが、ただただ解らないんだろう。

「ハクさあん、まだですかー?」

いくらちょっかいを出しても芳しい反応を得られないのが面白くないのか、それとも単純に待ちきれなくなったのか、不満そうにミクが口を尖らせた。

「もう少し待ってね。……暇なら水差しの中身を足してて貰えませんか」

働かざるもの食うべからずの意も込めて、少し嫌味を込めて言ってやる。しかしミクはそんな私の嫌味のこもった声色も意に介さずケロリとした調子で「了解でありますサー!」と立ち上がって敬礼して、水差しを片手に颯爽と表へと出ていった。“千年樹”で汲んできた水は表に作った溜め池に貯水してあるのだ。
騒がしいミクが居なくなって私と女の子たちだけが残されると、途端に気まずい沈黙が降りてくる。お互いにどういう態度を取ればいいのか計りかねている状態だ。子供とはいえ、村の人と一つの部屋に一緒にいるというだけで、私はもうどうしていいのかわからなくなる。ほんとにどうしよう。なにか優しい言葉をかけて安心させてあげればいいの?
“お嬢ちゃん可愛いネ。その頬っぺた食べちゃいたいヨ!”……駄目だ、誘拐犯の誘い文句よりもひどい。これじゃただの変態だ。

そうやってあーでもないこーでもないと葛藤していると、女の子の片割れが恐る恐る声をかけてくる。

「……あの、」

しかしそこで丁度オーブンのベルが鳴ってしまい、私は慌ててオーブンの蓋を開ける。部屋中に焼き上がったブリオッシュの香りが充満すると、女の子たちの表情は途端に明るいものへと変わった。さらにそこにミクが戻ってきたので、それまでの気まずい沈黙が嘘のように拭い去られた。

34:全自動不良品:2011/05/06(金) 23:27

「ほらほらハクさん、はやく食べましょうよ!」

ホッとするわたしの内情などそっちのけで、ミクが肩を掴んでがくがくと体を揺さ振ってくる。わかったからおとなしく座って待っててくれないかな。正直鬱陶しい。

「せっかちなお子ちゃまにはオアズケですよ」
「ええー……はあい」

ぷうぷうと頬を膨らませて、渋々席につくミク。そわそわしながらも姿勢を正して待っている子供たちを見ると、もうどっちが子供なんだかわからない。
クリームを乗せたブリオッシュをテーブルに置くと、三人分の喉を鳴らす音が聞こえてきた。この子たちはともかく、ミクはもう何回も食べてるだろうに。

「それじゃあ、みなさん手を合わせてください!」

わたしが席に着いたのを見計らって、ミクが両手を合わせる。それにならって、わたしや子供たちも手を合わせた。

「……いただきます!」

全員に目配せをしてから、とびきりの笑顔でいった。

35:久しぶりに書けた不良品:2011/06/02(木) 22:33

私が焼いたブリオッシュを相当気に入ってくれたらしく、女の子達はおかわりを要求してきた。しかしミクとは違い、直接言ってこないでチラチラとオーブンと私を見比べるのだ。もうその様子が壊滅的に愛らしく、とても断れるものではない。子供ってこんなに可愛かったんだ……。


それから、ミクがひたすらに私をダシにして彼女達に話し掛けていると窓から斜陽の光が射し込んできて、窓辺に歩み寄って空を見ると、既に陽が落ちようとしていた。ミクが彼女達を連れてきた時には、真上に陽が昇っていたはず。いつの間にこんなに時間が経ってたんだ。

「大変……。ミクさん、陽が完全に暮れちゃう前にその子たちを帰してきてあげて」

「……ハクさん、ダメ元で訊きます」

両手に女の子達を抱えたミクが、珍しく真剣な眼差しで窓の外を睨む。
思わず私は喉を鳴らして聞き返す。

「……なんですか?」

「この子達をこのままうちの子にするっていうのは」

「ほんとう駄目だよそれは」

本物の誘拐犯になるつもりか。

「だってー! こんなに可愛いんですよー!」

「いいからさっさと帰してきなさい」

頑なに拒むミクを玄関まで押しやり、その両手に女の子達の手を繋がせてやる。最後まで頬を膨らませていたミクもついには諦めて、彼女達を連れて歩きだす。しかし途中で振り返って、訝しげな目線を送ってきた。

「……ハクさんは来ないんですか?」

「あ、いや、私はほら、あの、晩御飯の用意を済ませたいし。それに……」

それに。私がついていけば、親御さんに良い顔されないのは目に見えている。それどころか、私と共にいたことで彼女達が咎められてしまうかもしれない。そんなのは駄目だ。

「美味しい御飯作って待ってますから、ね?」

「……わかりました」

私の胸中を察してくれたのか、ミクはそれ以上は何も聞かずに、再び彼女達の手を取って歩きだした。これでいい。村全体から歓迎されてるミクと一緒なら、何も問題は起きない筈だ。

遠ざかっていくミク達の背中を見送り、家の中へと入ろうとすると、片方の女の子がこっちを向いた。なんだろう、忘れ物かな。

「あ、あのっ……ええと……」

彼女は一度俯いて言葉をため込み、再び顔を上げる。

「また、あの美味しいパンを食べに来ても……いいですか……!」
「――――」

驚きのあまり、声も出なかった。気付けば、ぶんぶんと頭を縦に振っていた。

「あ、あっ……はい、いつでも、いらっしゃ、い!」

36:☆〜:2011/06/03(金) 17:19

「あ、あは、は、い、いもでも食べてらっしゃ、い」

37:全自動不良品:2011/06/14(火) 10:21

幕間劇

「ご馳走様でした!」

晩御飯の皿を空にしたミクが両手を合わせる。村まで女の子達を送ってお腹が空いていたのか、二杯もおかわりを要求してきた。作るのは私なんだから少しは遠慮というものを覚えて欲しい。

「まさかこんなに美味しい肉じゃがを食べられるなんて。思わず二杯もおかわりしちゃいましたよ」

個人的にはあまり好きではないのだけれど。芋が入ってるせいで、少し食べたらすぐにお腹が膨れてしまう。芋はできるなら食事ではなくおやつとして食べたい。

「じゃあなんで作ったんですか?」
「……なんとなく、芋を使った料理を作りたくなって」
「ふーん」

どうして作りたくなったのかは私にもよくわからない。稲妻のような天啓が降りてきて、芋を食えと命じられたような気がしたのだ。

「ほら、ミクさん。一緒に手伝ってください」
「了解ですサー! なにをすればいいですかサー!」

ミクが立ち上がって敬礼する。その返事のしかたはやめてくれないかな。

「私がお皿を洗うから、ミクさんはこれで拭いていって」
「イエスサー!」

背中にぴょんぴょん飛び跳ねてしがみついてくるミクに布巾を押しつけて、食器を洗う作業を再開する。隣でミクが頬を膨らませて「ハクさんノリ悪い」などと呟いているが、聞こえてない振りをした。

「さっさと終わらせて、お風呂に入って寝ましょう。明日は水を汲みに行かないと」

いつもならまだ水の貯蓄には余裕があるはずなんだけど、近頃は消費量が倍に増えたせいであっという間になくなってしまった。加えて今日は一気に四人分も使ったから、文字通り底を突いている。

「はいはい! それじゃあ今日は一緒にお風呂に入りましょうよ!」

突然隣でミクが大声を出すので、皿を落としてしまいそうになった。今なんて言った?

「ここのお風呂結構広いし、頑張れば一緒に入れますよ!」

いや流石に狭いんじゃないのか。そう言いかけて、ミクと私の細さなら本当にいけるんじゃないかと思い直してしまう。
いや、でも、ねえ。皿を洗う手を止めて、私とミクの体を見比べる。一目でわかる圧倒的なボディの戦力差に、思わず絶望を感じずにはいられない。主に胸囲の辺りに。

「……駄目っ」
「えっ。なんでですかいいじゃないですか」
「……………………駄目っ」
「そっ、そんな溜めて言うほどイヤですかっ? ハクさんのケチ!」

ミクが腕にしがみついてくる。ええいうるさいやつだ。私とミクが裸になって並ぶなんて、もはや拷問に近い所業じゃないか。

「この腕に押しつけてくる柔らかいものを切り落としてくれたら考えるわああ憎たらしい」
「ハクさん怖い!」
「冗談に決まってるじゃないですかやだなあハハハ」

私だって冗談の一つや二つ言えるんですよ?

「目が笑ってない、全然目が笑ってないですよ!」

それから、埒があかないと踏んだミクの泣き落としに折れて結局一緒にお風呂に入ったのはまた別の話。

38:全自動不良品:2011/06/30(木) 00:50

千年樹の麓に流れる清流のすぐ傍にかがんで、底まで覗けるほどに澄んだ水面に手をつける。今日は少し気温が高いので、手に感じるひんやりとした感覚がとても心地よい。
手が冷たさに慣れてきたところで、今度は思いきって裸足を浸してみた。さすがにまだきついんじゃないかと考えていたが、予想以上に快適だった。
スカートの裾をつまみあげて、川底をしっかりと踏みしめる。周りに誰もいないのを確認してから、川の流れに逆らうように足を蹴りあげて、水しぶきを飛ばしてみた。宙に舞う水滴が、木々の隙間から射し込む陽の光を反射してきらきらと輝く。なんだこれ、すっごく楽しい。
他に誰もいないのをいいことに、私は暫くの間、水遊びに精を出すことにした。帰りが遅い、とミクがうるさいこと言いそうだけど、普段から散々世話をしてやっているのだから、これくらいの役得は容されてもいいはずだ。
そもそもいつまでたっても起きてこないミクが悪い。よって文句を言われる筋合いはない。証明終了。



ミクが連れてきた双子の姉妹――名前はメルとロベリアというらしい――を家に招き入れて以来、頻繁に彼女達が訪ねてくるようになった。どうやら私の作るお菓子や料理を気に入ったようで、近頃はミクを見習い遠慮なくおかわりを要求し始めるようになってきた。
そのため、使う水の量がこれまでの四倍にまで膨れ上がり、今では毎日水を汲まないといけないようになってしまった。非常に面倒な上に、家から千年樹までは結構な距離があるので凄く疲れるのだ。

39:近々続きを書くので:2011/11/23(水) 22:16

あげます。
クソスレあげてごめんなさい。

40:不良品:2011/11/25(金) 17:33

でも、これはこれで不思議と悪い気はしない。
ミクと出会う以前の私なら、こんな気持ちで水を汲みにくることなんて絶対にありえなかった。ましてや、水を汲むついでに水遊びに没頭するなんて。


だから私は、村の人が同じように水を汲みに来たことに、声をかけられるまでまったく気付けないでいた。
「ねえ、ちょっと」

「はいっ!?」

声のした方へ振り向くと、迷惑そうな顔をした、私とそう変わらないくらいの年頃の女性がバケツを持って立っていた。

「……水、組みたいんだけど」

ちくちくとした声。細められた目。明らかに私のことを疎んでいる。ここまで露骨な態度を取られたのははじめてのことで、思わず頭が真っ白になって、身動きひとつ取れなくなってしまう。

女性の顔が苛立ったように歪み、ため息混じりにさっきより強い声で繰り返した。

「水、組みたいんだけど」

「あっ、ごめんなさいすいません!」

私はそれだけ答えると、慌てて川からはい上がった。入れ違いに女性が水面に寄り添い、膝をついて水を汲みあげる。
重たい空気に居たたまれなくなった私は小声で「すいませんでした」と再び謝り、バケツを持ってそうっとその場を離れた。
暗い気持ちで村に繋がる道を歩いていると、「おねえちゃん!」とかしましい声で呼ばれた。顔を上げてそちらを見ると、双子の少女達――メルとロベリアだ――が丁度駆け寄ってくるところだった。

ミクが誘拐同然にうちまで連れてきたこのふたりは、はじめはミクにしか懐いていなかったものの、お菓子を作ってあげているうちに私にもべったりとくっついてくるようになっていた。

餌付けされた犬猫のように見えなくもないけど、それをミクに言ったら「お菓子もそうだけど、ふたりともちゃんとハクさんのことが大好きなんですよ!」となぜか怒り気味に叱られてしまった。

「おねえちゃん、どこ行ってたの?」メルが私の服の裾を掴んでぴょんぴょん飛び跳ねる。服が伸びるからやめて欲しい。

「水を汲みに行ってたのよ」

「ふうん。ねえ、今日も遊びに行ってもいい……ですか?」

控えめな笑顔に、控えめな口調。ロベリアのこの上目遣いを交えたおねだりは反則級に可愛くて、私はついついなんでもしてあげたくなってしまう。

「いいわよ。ミクさんったら、いくら起こしても起きてくれないの。起こすの手伝ってくれたらお菓子も作ってあげる」

「ほんとっ? やったあ。メル、頑張ってミクちゃん起こすよ!」

「もうお昼なのにまだ寝てるんですね、ミクちゃん……」

このふたりはミクのことをミクちゃん、私のことをおねえちゃんと呼ぶ。小さな妹ができたみたいで嬉しいけど、なんで私だけ名前で呼んでくれないんだろうと少し複雑な気持ちにもなる。

「それじゃあ行きましょうか」

「うん! おねえちゃん、メルがバケツ持つよ?」

「あ、メルずるい。……私が持つの」

41:大和:2011/11/25(金) 18:19

不良品さんっ!
アドバイスありがとうございました!
ボカロ小説ですね〜、僕もボカロ好きですよ。

42:不良品:2011/11/25(金) 18:22

「ちょっと、子供が変な気遣わなくても」

「「おねえちゃんは黙ってて!!」」

「あ、すいません……」

異口同音に怒られて、思わず子供相手に敬語で謝ってしまう。なんで怒るんだろう、意味わかんない。
結局ふたりで一緒に持つことになり、私が不安げにその様子を眺めていると、突然誰かの叫び声が背中に浴びせられた。

「なにしてんのっ!?」

びくり、と私が肩を竦めて振り返ると、さっきの女性が凄い形相で私達を睨み付けていた。いや、違う。明らかに私個人を見ている。なんだ?

メルとロベリアも同様に振り返ると、ひゅっと息を吸って黙り込んでしまった。ふたりの知り合いなのかな、なんて呑気なことを考えていると、女性は手にしていたバケツを放り出してつかつかと大股で近寄ってきて、どんっと私の肩を突いた。

「あんたさあ、人んちの子供になにバケツ持たせてんの?」

はあ? あまりにも突然すぎる展開についていけず、ただひたすらに開いた口が塞がらない。言葉も出てこない。っていうか待って、人んちの子ってことは……。私はメルとロベリアと、目の前の女性を見比べる。

「違うの、お母さん!」

ふたりが私と女性の間に割り込んでくる。お母さん? この、私とそう変わらない顔で?
もう何から驚けばいいかわからずぐちゃぐちゃになった私の頭を、ぱあんという渇いた音が真っ白に塗り潰した。

捻れるメルの首。ばしゃん、と音を立てて落ちるバケツ。ロベリアがなにか言いたげに女性を見上げると、メルと同じように頬を張りとばされた。

怒りゆえだろうか。女性はぶるぶると身を震わせながらきっと私を再び睨み付けると、メルとロベリアの手を取って私から引き剥がすように距離を置いた。

「最近よくどっかに出かけてると思ったら……あんたが家に連れ込んでたの!?」

まるで、親の敵を見るような、女性の目。

「なにもしてないでしょうねえ! なに、なんなの? うちの子連れ込んでなにするつもりだったの?」

メルとロベリアが、目に涙を溜めて女性を見上げている。なぜか、叩かれてもいない私の頬がじん、と痛んだ。

「あんた達も! こんな女のところに毎日毎日……よくもまああんなに楽しそうな顔で通えるわね!」

女性の怒りの矛先がふたりに向けられる。ぐいっと手を引っ張りあげられて、ロベリアが呻いた。

「いい……? よく聞いてちょうだい? あんた達がさあ、あの女みたいに白髪になっちゃったらさあ! もううちの子じゃないからね? ほんとに捨てちゃうからね!? わかった!?」

メルが震える声で「……はい」と呟き、ロベリアは無言で頷いた。
女性の怒りはまだ収まらないらしく、また私を睨み付けた。

「あんたにはさあ、村に入って来なかったから今までなんにも言わなかっただけなの。今度こんなことしたら、追い出すからね!? あのミクって子もそうよ! なんであんたなんかと一緒に住んでんの? 頭おかしいんじゃない!?」

43:不良品:2011/11/25(金) 18:30

>>41
アドバイスを出せる立場にいるわけでもないのにえらそうに口を出してしまって申し訳ありませんでしたっー!

ボーカロイドについては悪ノ華シリーズと、知名度の高い曲しかわからないんですよね……。

44:不良品:2011/12/09(金) 13:45

びりびりと私の頬を叩く彼女の怒声。
息を荒げて肩を上下させていた彼女は、それで気が済んだのか、私に背を向けるとメルとロベリアを引き摺るようにして遠ざかっていく。
その背中が、遠目に見える突き当たりを曲がって、私の視界から消えても。

私はその場で立ち尽くす以外に、できなかった。


そっと自分の頬に触れる。思い出すのは、張り飛ばされた頬を腫らして涙を浮かべる、メルとロベリアの顔。

あ、これはだめだ。と独白した瞬間に、私のもろい心は自責の念に圧しつぶされてしまった。

45:不良品:2011/12/09(金) 21:50

家に帰った時の私は、それはそれはひどい顔をしていたんだろう。ミクが「ハクさんおかえりなさいお腹空きました!」と出迎えてくれたけど、私の顔を見るなり、唖然として黙り込んでしまった。

「ただいま、ミクさん。すぐになにか作りますね」

自分で笑ってしまいそうなくらい、からからに渇いた声が出てきた。
なにか言いたそうなミクの顔。でも私は目も合わせられずに、キッチンに立って夕飯の支度をする。

あのミクって子もそうよ!
なんであんたなんかと一緒に住んでんの?
頭おかしいんじゃない!?
あの女性の声が、ずっと頭の中でこだましている。
彼女だけなのか。いや、そんなはずはない。きっとみんな、表面上はあんなに親しげにしておきながら、ずっとミクのことを色眼鏡かけて見ていたのだ。
私と、一緒にいるから。
私が、一緒にいるから。
だから、メルとロベリアも、あんなふうに、頬を叩かれてまで叱責を受けるはめになった。
私がいるから。


食事の間、ミクはなにも訊いてこなかった。空恐ろしいほどの沈黙の中、咀嚼の音だけがやけに大きく響く。

「ハクさん、食べないんですか?」

ミクがいきなりそう言うので、私はびくりとして皿に視線を落とす。そこでようやく、私は自分が一口も食べていないことに気がついた。
でも、どうしても食べる気になれなかった。

「ごめんなさい。私、先にお風呂に入って寝ますね。ちょっと疲れちゃった。あ、かわりに食べてもいいですよ。お腹、空いてるでしょう?」

がちがちに固まった泥のような笑みを顔に張りつけて、私は席を立った。


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