カウス=ルー大陸史・空の牙

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1:空牙姫:2011/05/17(火) 17:58

太陽(セラ=ニア)と月(カウス=ルー)は出逢わぬ筈だった。
隣り合い、肌の一部を触れ合おうとも、交わることのない世界だった。
だが、二つは出逢った。逢ってしまった。
人々は驚いた。
驚き、喜び、行き来を始め、愛し合い、数々の物語を生み、そして。
―そして、最後に災いを作り出した。

2:空牙姫:2011/05/19(木) 18:51

十六年前

外では、空牙(クウガ)が唸りを上げている。
安い木賃宿(きちんやど)の窓は、一週間ガタガタと激しく鳴り続け、もう、いつ音を立てて割れても不思議ではない。
「空牙……」
産褥(さんじょく)の床についた筮音(セイネ)は呟き、絶望に顔をおおった。
空牙。『空が牙を剥いたように荒々しい』というところから、派生した言葉。大抵は、嵐かその精霊を指し、同時に、得体の知れないものをも、意味する。
嵐の空は、すべてを内に秘める。聖も邪も、光も、闇も――。
未知数ゆえに、その力は計り知れず、――だからこそ、底のわからない不安を覚えさせる。
……子供は、生まれた日の天候で、その本質が決まるという。
「透緒呼(トオコ)……」
顔を横向けた筮音は、小さな木箱の中で、両手を握ってすやすやと眠る、生まれたての娘を見つめた。
「空牙の日に、生まれた子――」
筮音は透緒呼に手を伸ばした。まだ、外気を知らない頬は、信じ難いほど柔らかい。
「おまえは誰なの?その瞼の下の瞳を透視(み)たわ。紫、なのね。髪は黒……」
血の気のない指先が震える。娘から指を離し、そっと、自分の顔をたどる。
黒い髪、白い肌、《銀》の瞳――。
もう、会わないつもりの人々を、思い浮かべる。
『銀』の髪、青い瞳、亜麻色の髪、《銀》の瞳。《銀》の髪、《銀》の瞳、《銀》の髪――。
「透緒呼、おまえは……?」
――黒い髪、紫の瞳。
「…………。――!!」
筮音は悲鳴を押し殺し、こめかみに爪を立てる。知らずに力がこもり、皮膚が破れ、爪の間に食い込む……。
眼の奥に火花が散るほど、きつくつむる。
「客だよ」
乱暴に扉を叩く音がし、宿の女将が顔を出した。働き詰めで疲労した顔は、自然と無愛想になる。
「あんたの客のせいで、宿中が、びしょぬれだ。あとで、掃除代を取りに来るよ」
言うと、女将はずぶ濡れになった男を部屋の中へ押しやる。
この嵐の中を、歩いてきたのだろう。膝から下が、泥まみれになっていた。
「――筮音」
彼女はハッと眼を開ける。
聞き慣れた声。落ち着いて、低く、……心地好い。
一日中、自分の名を囁かれていたい。十年以上も、それを願っていた。
口にして叶えることは、決して出来ない、手に入る筈もない声(ねがい)、だったけれど……。
けれど、その声が私を呼んだ!
長めの銀髪を掻き上げるその人に、筮音は起き上がって叫ぶ。
「公(コウ)!」
女将は客だと認めた筮音に、突っけんどんに言った。
「その男も泊まるなら、あとで階下へ、家賃を持ってきな」
乱暴に扉を閉め、出ていく。
「―――」
部屋に残った二人は、しばらく向かい合ったまま黙っていた。窓を叩く雨風の音だけが、やけに大きく聞こえる。
薄暗い部屋に、雷光が閃く。
「…………」
筮音はやがて、ゆっくりと横を向いた。この男性に期待するのは、もう、何もない筈だった。爪の先ほどの優しささえも。
「……お引き取り下さい」
聞き取れぬほどの小声で、告げる。一年ぶりに再開した、かつて、自分の夫であった、界座大公・皐闍(カイザタイコウ・コウジャ)に――。
皐闍は、水の滴る外套を脱ぎ、まとめて床に置いた。寝台に歩み寄り、粗末な椅子を引き寄せて、座る。
「わたしと一緒に、城へ戻れ」
命令。
「従えません」
横を向いたまま、筮音は言った。
「わたくしは、もう、あなたとは何の関係もないのですから。ご覧ください。これは、わたくしの娘です。父をあなたとしない、わたくしの娘です……!」
組み合わせた指の先が、白くなっている。
大公は透緒呼を一瞥した。
「その父親とは、約束を交わしたのか?」
「父親なんか、存じません――」
強い視線が、筮音を厳しく見る。
「行きずりか」
「――――!」
筮音の指先に、さらに力が入ったのを、彼は肯定ととった。
「そうだな?――ならば、何も問題はあるまい。その娘は、わたしの子だ。正妃と第二婦人が、同時期に出産するのは、そう珍しくは、あるまいよ」
「!!」
その言葉に彼女はぎゅっと布団をつかんだ。
「花涼(カリョウ)にも、子供が――?」
胃が鋭く痛んだ。
皐闍の第二婦人・花涼。彼が見つけ、彼の意思で妃になり、その寵愛(ちょうあい)を一身に受けた、非の打ち所のない、女性(ひと)。
喉が痙攣(けいれん)するのを押さえ、筮音は言った。
「公の、御子(みこ)……」
「そうだ。そなたと同じ、娘であったよ」

3:空牙姫:2011/05/19(木) 18:56

カッ!

稲妻が部屋に射られ、雷鳴が轟いた。筮音の歪んだ顔が、照らされる。
「!!」
わめき散らし、手当り次第に物を投げたい衝動に、彼女は駆られた。
ビリっと音がし、握りしめた布団の布が裂ける。
「――お引き取りください。あなたは、何もわかってらっしゃらない」
押さえ込んだ、低く感情を持たない声が出てゆく。
「わかっておらぬのは、そなただ」
皐闍は筮音を見据えた。
「そなたは、婚姻を結ぶことの意味を違(たが)えている。」
「――――!!」
憤(いきどお)りに噛みしめた唇から、血がにじみだす。
泣き出さない自分を、筮音は不思議だと、どこかで冷静に思っていた……。
「わたくしは、飾り物だと?」
問い。
「否(いな)とは言えまい」
「そう……」
筮音は笑った。空牙が乗り移ったのではないかというほど、荒々しく、高らかに。
「そう。――では、公。そのお飾りのために、空牙(えたいのしれない)の娘を持つことを、肯(がえ)んじますか?黒髪に紫の瞳。叉幻月(サカンゲツ)の<銀聖色(ギンセイショク)>を持たぬ、父知らずの娘を……!」
「銀――祝福――を、持たぬ……?」
皐闍は眉をひそめた。
「お疑いなら、どうぞ透視(み)なされませ」
――遥かな昔。月神、叉幻月は世界・カウス=ルーを創りたもうた。太陽神・オンディーセンが、世界・セラ=ニアを創りたもうたように。
民たちをこよなく愛した叉幻月は、そこに住まう人々に、それぞれ祝福を与えた。いつまでも、自らの象徴である色――いわゆる<銀聖色>――が、彼らを守るように、と。
月光の銀色を、《すべての民》の髪か瞳に――。
「…………」
確かめた皐闍は、絶句した。この様な子供を、見たのは初めてであった。
大陸にあって、<銀聖色>を持たぬことは、『稀(まれ)』や『珍しい』ではすまされぬ異常なこと。
《その昔は》、友好関係にあったセラ=ニアの聖色――こちらは対して<金聖色(キンセイショク)>と呼ばれる――でもあれば、祖先に混血があったとでも言い繕いようがあるのだが……。
「父は、……誰だ?」
尋(たず)ねる声は、低く、真剣だった。
「存じません、と申し上げた筈です」
「カウス=ルーの、民か?」
筮音は答えない。皐闍は、ちらりと透緒呼を見、慎重に、言葉を押し出した。
「<陽使(ヨウシ)>、か――?」
<陽使>。セラ=ニアから送り込まれた、侵略の布石。人に取り憑き魂を喰らい、惑乱を呼び込む仇敵(きゆうてき)。同胞と見分ける術は、<銀聖色>の、有無(うむ)だけである。疑うのも、無理はない。
「……わかりません。あの方が誰であるのか、はっきりと申し上げる術はございません」
筮音は頑(かたく)なに答えた。
「残したものは、ないのか?」
「ございません。……ただ一つ、あると言えば、それは――この娘です」
「名は?」
「透緒呼、と」
「トオコ」
口にして、皐闍は赤子を見つめた。眠る姿は、普通の子供と同じように、あどけない。
彼はその姿勢のまま、答えた。
「城に戻るがよい、筮音。この娘は、わたしが、――責任を持とう」
「公。下らぬ約束をすると、後に苦しむのはあなたです。お取り消しください」
「取り消さぬ。わたしは口に出したことは、すべて通す男だ。知っておろう?」
筮音は頷(うなず)いた。
皐闍という男は、一度宣言したことは、周囲が何を言おうが、どう思おうが通す人だ。その調子で、彼は花涼も妻にした。貧しく、みなしごだった彼女を……。
「わかりました」
視線を強く受け止める。
皐闍は一領の主、界座大公だ。≪正妃≫たる自分の夫だ。……決して、悪いようにはしないだろう。
この娘を、透緒呼を少しでも強い庇護(ひご)のもとに置けるだろう。界座大公の娘という地位は、中傷(ちゅうしょう)から固く守ってくれる筈。
見返りは、自分。
元王族という確かな血筋だけを誇る、飾り物の正妃。偽(いつわ)りの妻――。
妥協(だきょう)だけが在る、密(ひそ)やかな協定。
わたくしたちは、共犯者。ただ、ただそれだけの関係……。
複雑な思いを振り払うように、筮音はしっかりと顔を上げた。
堂々と、告げる。
「界座城へ、帰還(きかん)します。」




『透緒呼……。空牙の日に生まれた娘よ。
目覚めるがよい。扉を開け、運命を回せ。
その手に、力を握れ。
風をつかまえよ。
嵐を――』

4:空牙姫:2011/05/20(金) 19:33

☪ゆみはり月の少女☪

世界は、まだ凍っている。
薄墨のように暗く、まどろんでいる空と海を、透緒呼(トオコ)は塔の屋根に座り、眺めていた。
もともと、見張り用に作られた塔は、視界を何者にも遮らせないほど高い。
雪どけの始まった春先。まだ、夜明けの風は冷たくて、息を吸い込む度に、肺に突き刺さる。
透緒呼は痛みに顔をしかめて、かじかんだ両手に息を吐きかけた。
「…………」
蒸気がたちまち昇る。彼女はそれを何度も繰り返し、手を擦(こす)り合わせた。
「さむ……」
呟きも、すぐ煙となる。決して防寒用とは言えない、黒革の上下だけで登ってきたことを、透緒呼は少し後悔した。
稽古着(けいこぎ)にしているそれの下衣は短く、踝(くるぶし)まである靴から上がむき出しになり、透き通るほど白くなっている。
「参ったわ。降りようかしら……」
呟いてみる。けれど、そうする訳にもいかなかった。
母大陸・カウス=ルーの南にある小島、ここ、偃月(エンゲツ)島は、各領土の組織する<月徒(ゲット)>――侵略者<陽使(ヨウシ)>に対抗する人々の総称――軍士官候補の学校のため、やたらと朝が早い。
今ごろは、起床係が部屋を回って寄宿生たちを、叩き起している時間だ。おちおち考え事もできない。
「我慢するか……」
言って、透緒呼は身震いした。
やがて朝になる風が海から吹き、くせのない長い髪を持ち上げた。
髪は、玩(もてあそ)ばれて、扇(おうぎ)のように広がる。
透緒呼はそれを押さえるどころか、逆に掻き回して溜め息をついた。
「もぉ、あの夢。いったい何なのよ……」
白み始めた世界を、睨むようにする。
……ここ四日ほど、彼女は同じ夢に付きまとわれていた。
無機質な空間を歩いていくと、扉に突き当たる。その扉を開けると、中から大量の光と冷気が溢れて、一瞬、髪の長い長身の男が見える。という、単純なものなのだが――。
「あの、男――」
喉に、傷があった。
焼けた鉄の棒を押しつけたような、赤黒くひきつる、火傷(やけど)のような傷跡……。
透緒呼は自分の喉に、手をあてた。まるで、自分の喉がひきつるかのように。
「何で、今ごろ……」
唇を噛む。なぜ、十年もたった今、あんな夢を、連日見てしまうのだろう……。
淡い――淡い茶色の髪の男。彫(ほ)りが深く、自分と同じ紫の瞳が、一際(ひときわ)鮮やかで、――美しかった。
忘れる筈は、なかった。
あの顔を、あの姿を、あの、傷を――!
「…………」
よみがえる光景に、透緒呼は顔を覆(おお)う。
忘れはしない。なぜなら。
なぜなら、かつてあの男を傷付けたのは、自分なのだから……。
近づく彼が、怖かった。ぞっとする美しさが、怖かった。
だから、透緒呼は傷付けたのだ。男の喉を。
誰にも、話したことはなかった。記憶の底に封じ込めて、あっけらかんとしていた訳でもなかった。
むしろ、気にして――気にして、事あるごとに思い出しては、胸に鋭い痛みを覚えていたのに!
「今さら、現れなくたっていいでしょう……?」
あんな顔をして。蝶を絡めとる蜘蛛のように笑って、私に指を伸ばして。喉の傷跡を、ひけらかすようにして!
まるで、責めるように……。
屋根の上でうずくまった彼女は、しばらくして、勢いよく顔を上げた。
「ああ、いや! ――うっとうしい!」
数回、軽く頬(ほお)を叩く。
「ぐじぐじするなんて、私らしくもない。もう、いい。そういう夢見の時期なんだって、諦めてやるわよ!」
空に向かって、わめき散らす。
「ふんだ。朝練でも、真面目(まじめ)にやって、忘れるわよお……っだ!」
言って、キッと顎(あご)を上げる。途端(とたん)、朝日が海を渡り、島に届いた。水晶のような紫の瞳が、いっそう深い色に輝く……。
同時に、彼女の耳に自分を呼ぶ、聞きなれた声が届いた。


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