【最初に】
こちらで小説を作成するのははじめてなので、最初に自己紹介させていただきます。
普段、他のサイトで細々と小説を執筆させていただいております、音霧 想というものです。今回は、色々とわけありましてこちらで執筆することに決めました。
さっそくですが、この作品を読んでいただくに辺り以下のことを必読していただきご了承の上お読みください。
壱、感想やアドバイスは随時受け付けておりますが他の方を不快にさせるような発言、暴力的なコメントは禁止させていただきます。
弐、このサイトには不慣れなため誤字脱字などある場合があります。自分でも、出来る限り眼を通すつもりではいますがどうしても抜かしてしまうこともあるので目を瞑っていただければ幸いです。
※投稿した内容は変更できないため。
参、見苦しい点などまだ拙いところあると思います。なので、気になる点などありましたら遠慮せずお教えいただければ幸いです。
肆、現在は予定していませんが一部流血シーンなど残酷な描写が含まれる可能性がありますので苦手な方は閲覧をお控えすることを推奨します。
伍、古めかしい文章を使う場合がありますので、それをご了承した上でお願いします。
陸、現在、別サイトとのかけもちで更新が遅くなってしまう場合がありますが、気長にお待ちください。
長々とした要望でしたが、何卒よろしくお願いします。
国の名は大和。
千年もの桜がいたる場所にどうとそびえたつ。それらは春には淡い花を咲かせ、夏になれば青々とした若い緑の葉をさらさらとつける。
民はその桜は、お稲荷様が御守りしてくださっているのだ、と口を揃えた。
稲荷様が住まうのは、いなざくら。このいなざくらとは千年もの桜と、稲荷様の名を混ぜたことから来たと聞く。
ぞろり、と並んだ朱色の千の鳥居をくぐりぬければ、その先には2体のお狐様が出迎えてくれる。左のお狐様は稲穂を咥え、もう片方のお狐様は手を招く。そしてその間から見えるのが、妖桜神社の姿。
少しばかり皺を蓄えた女は、千の鳥居をくぐり人並みに揃え歩いていた。美しかったはずの着物は泥にまみれ、白い足は所々擦り切れている。どうやら山をひい、ふう越えはるばる遠くからやってきたらしい。その女の背には女が背負うには大きすぎる風呂敷。どこかのお偉いさんの御内室なのだろうか。
女は千の鳥居をくぐりぬけ終わると、人並みを鬼の形相でかきわけた。やがて、みえた神社の姿に足から崩れ落ちる。
「ああ、ああ……! 稲荷様、稲荷様……どうか、どうか! 息子のお命をお救いくださいまし!」
その女の姿に先に並んでいた参拝客は、蔑むようにざわついた。しかし、女はさして気にも留めぬ様子で風呂敷を背から下ろすと、包みを開けた。
そこには黄金に輝く稲穂の束。実はぷぅ、と大きく膨らみ艶もある。素人の目から見ても良い品と分かる米だ。
頭を地面にこすりつけるほど頭を下げた女。それを見て鳥居と同じ色の朱の瞳は細められた。
「……しかと、願い聞き入れたり」
静寂の中、切り裂くように冷たい声が響いた。
間もなく、不治の病とされていた女の息子は庭をぴょっぴょと素足ではねた。病は跡形もなく消え去ったとき聞く。
後に、稲荷様にはまるまるとした艶のある米が詰まれた米俵がみっつ奉納されたと聞く。
壱
四神獣の一神である「お狐様」を祀る陰陽師の百狐一族は、いなざくらに大きな神社を持つ。神社の名は「妖桜稲荷神社」お狐様を祀る陰陽師の総本殿である。
お屋敷の周りには様々な妖がひょっひょっ、といる。特に本殿である東の院には妖が特に多い。恐らくお稲荷様がいるからだろう。
秋に雪が降れば、それはお稲荷様に挨拶しに来た雪女の仕業。お日様がてんと照っているのに影が出来るなら、それはお稲荷様が大好きなぬり壁の仕業。夜、季節はずれの桜が咲いたなら、それはあの世を行きかふ冥界の管理人、死神様の仕業である。
そんな妖桜稲荷には多くの陰陽師が集まる。理由を聞かれれば
「親に仕えるように申されまして……」と皆口をそろえる。故に真面目に修行に取り組むものなどこれっぽっち。
そんなお社に嫌気がさし、少年は縁側でどたどたとわざと足音を大きく鳴らした。
「落ち着かんか」
そんな少年の背に呆れた声を男は投げた。
紅をそのまま吸い込んだような、赤い髪は腰辺りまで垂らされ三つ編みに。黄金のひとみは左目のほうは黒い眼帯で隠されていた。ところどころに傷があるその男はお世辞にも、優しいとは言いがたい容姿。
しかし、そんな男におびえるわけでもなく少年は声を荒げた。
「信じられへん、あのじじいども! 聞いとれば九尾様が悪いだの、封じるべきだの! なんで上にはあんな阿呆しかおらへん!」
わーわーとわめく少年に、男は大きく溜息をつく。そして、ひょうと飛び上がると風に身をまかせ、ふわふわと浮かぶ。
時期は飽き。しかし、お社の庭の枝垂桜は月下のもと、見事に花を咲かせていた。
「椿。お前と上のもんは違う。あいつらは、先祖代々受け継ぐもんやから、何もせんでも就けるんよ。お前だって、ちゃんと分かってんだろ」
男はそう言うとどこからか大きな鎌をひょっと取り出し、抱える。そんな男を少年は気に入らなかったのかきぃと睨んだ。
「んじゃあ、紅はこのままでええんか!? 俺は嫌や! なんで九尾様がそないなもんに巻き込まれなきゃあかん! おかしいに決もうとる!」
「誰もこのままでええ、なんて言ってないだろ」
むきになり、苛立つ少年を諭すように男は静かにそう告げた。少年の黒いひとみには薄らと潤んでおり、黒真珠のようなその目にはただ床の木目だけが映る。
それに男は黄金の目を細め、少年の頭を軽く叩いた。
「茶、淹れてくる。座って待ってろ」
男がそう微かに笑えば、少年は赤い唇をかみしめる。そして少し間をおき、震えた低い声で「あい」と頷いた。
少年の名は椿と言ふ。少し人よりかは白い肌と、たっぷりとした黒い髪を持った今年で十六の小僧だ。
椿は幼い頃、実の両親に捨てられていたところを妖に助けられた。その妖というのが先ほどの大鎌を担いでいた男、死神の紅緋である。
しかし死神というのは本当に、名前だけで彼は人を殺めることさえ嫌う。椿も理由は知らないが、ひとまず死神らしくない妖だと認識している。
見た目とは裏腹に面倒見のいい紅緋は、妖も当然のこと人間にも好かれている。ある意味、妖としては特殊すぎる存在。しかし、そんな彼だからこそ好いてるものは多い。紅緋はよくお社の厨房で巫女の手伝いをしている姿が見られる。そんな紅緋に口を出そう、などという上のものは少ない。なぜならば一度、口を出して散々な目にあった者がいたと聞く。どうも、女たちの怒りを買ったらしい。椿がそれを紅緋に聞けば、彼は眉尻を下げて苦笑い。
「いやぁ……ごもっともだと思って、止めようと思ったんだがな。なんせ女は強いのなんの……。俺は口を挟む隙すらなかった。改めて、いつの時代も女は強いと感じたよ。実のところあの男には本当に申し訳なかったと思ってる。機会があれば謝りたいもんだ」だそうだ。
正直、椿はこれを聞いて紅緋は本当に死神としてどうなのだろうかと考えてしまった。
椿はそんな紅緋や妖に育てられ、ここまでやってきた。このお社で働き、紅緋や妖にせめて恩を返せたら、そう思ったのに。ずんと椿の心は重くなる。
「ほうれ! しっかりせい!」
途端、背が勢いよく叩かれ「ぎゃっ」と椿は悲鳴をあげる。見上げれば紅緋が半ば呆れた顔で、仁王立ちをして椿を見下ろしていた。もう一方の手には白玉らしきものと、茶が盆の上に傾かずにのっていた。よう、こぼさないで立っていられるもんだ。
紅緋は盆を椿の隣に置くと、自分も縁側に腰をかけた。そして、白玉を手に取るとひょいと庭に放り投げる。するとどこからか子鬼がひょっと出てきて白玉を受け取って、今度は茂みに隠れた。
「椿の言いたいことはよう分かるけどな。自分の考えを相手に言わないで、陰で言うのはおかしいぞ。ちゃんと相手と面向かって言えるようになんなきゃな」
そう言って紅緋は椿の頭をわしゃわしゃと撫でた。
そんな紅緋に椿は、どこか悔しそうな表情で大きく頷く。紅緋だって思うところはあるはずだ。きっと、何か抑えてることもあるだろう。生きてる時間が違うから、我慢できるなんてものじゃない。その我慢は自分より弱い者への紅緋の優しさだ。何を言われようが、罵られようが……紅緋はただ黙ってそれを聞いていた。そして必ず言うのだ『そう思ったんなら、自分の意志を貫け』そう、黄金のまっすぐなひとみで。
椿はひいていた涙がまた零れそうになった。なんでだろう、どうしたら紅緋みたいに強くなれるのだろうか。優しくなれるのだろうか。
「俺にならなくていいさ」
その言葉に椿が顔を驚いて上げれば、紅緋は自分の膝の上に乗った子鬼の頬をつっついている。視線はその子鬼を向いており、優しい笑みを浮かべていた。
目をパチクリさせる椿に目を向けることなく、椿は夜空を仰ぐ。
「優しさも、強さも、正義も、生きるもん全部違う。お前は狭い世界で生きてるからよ、そんな狭い世界で俺ばかりが正しいと思い込むのはおかしいと思わんか」
意味が分からんと言わんばかりに目を丸める椿に、紅緋はふっと笑み、次には「はっはっはっ」なんて豪快に笑い始めた。
そして夜空の大きな月に手を伸ばす。
「それに……つまらん。ひとつのことを正しいと思いこんで生きるなんてつまらないだろう」
そう言って月を見つめる紅緋。釣られるように椿は月を見た。随分と大きな月だと思う。そんな月下の中立つ桜は、何故か命を吹き込まれたかのように風になびいていた。
壱話 稲荷神
夏の鋭い日差しも和らぎ、風が少し冷たくなってきた頃。椿は全身ずぶぬれで、ひとつ身震いした。
山の雪溶け水はやはりいつの時期も冷たい。こんなの被って、強くなるなら苦労せんわ! などと椿は内申呟きながら、塗れた白い着物の裾を絞った。すると目の前にひょっと桜が現れる。
驚いて目を上げれば、赤い瞳の少女と視線があった。腰まで伸びた桜色の髪。頭から生えた羊のような茶色の角。大きな瞳はるんるんと輝く紅水晶。巫女服の下は膝上で終っているが、不思議とはしたなさは感じない。
「……桜」
椿は少し目を細め、濡れた髪をわしゃわしゃとかいた。桜はふふ、と笑みを零し椿の頭に手ぬぐいをかけた。
「寒いでしょ。風邪引かないでね」
「おう、ありがとう」
椿はそう言ってくすぐったそうに笑みを浮かべる。頭にかけられた手ぬぐいで髪が含んだ水を丁寧に吸い込んでいく。それに桜は「もう一枚、手ぬぐいもらってくるね! あと着替えもお母さんにもらってくる」と縁側にひっこんだ。
桜は、鬼である。正確に言えば桜鬼と呼ばれる。もともと生命力が弱い鬼は、他の生き物の生命力を奪い自分に取り込む。なので、それぞれ成長した環境で容姿の色に個体差が生まれるのだ。桜の場合、名前の通り桜の生命力を吸い込んでいる。なので淡い桜色の髪と目を持っている。
そんな彼女もまた、紅緋に拾われた。桜鬼というのは鬼の中でも人数が多く、ある意味ひとつの妖として認識されている。そんな彼らは自尊心が高く、種族のしきたりが多い。その中で「角の形」がある。
本来鬼というのはまっすぐとした角を持っているため、桜のような角は異様らしい。だから捨てられた。 桜は椿が十四の頃に来たのだが、来た当初は頬もやつれ腕は骨が浮き出ていたのだけはよく覚えている。それでも当時からよく笑う子だった。
ついでに彼女の言う「お母さん」とは紅緋のことである。言わなくともがな紅緋は男だ。最初はお母さんと呼ばれた紅緋も結構戸惑っていたが、最近は慣れてきたのか普通に返事をするようになった。さすが、みんなのおかん。対応が良い。
恐らく桜が紅緋をお母さんというのは、自分が弱っていたときにつきっきりで世話をしていたからだろう。紅緋らしいといえば紅緋らしい。両親に早々と捨てられた桜は母親の代わりと認識してしまったのだと椿は思う。
椿がそんなことを考えていると、桜がトタトタと駆け寄ってきた。
「あんね、椿! お母さん、忙しそうだったから勝手に椿の部屋入った! これで大丈夫?」
「すまんな、助かった」
椿は着替えと手ぬぐいをうけとると、ふと違和感を覚えた。
紅緋は準備が良い。基本、忙しそうというところは……長い付き合いになるか、椿も見てない。いつも、ふよふよと風に流されつつ、穏やかに気の向くまま巫女さんの手伝いをしている。そんな紅緋が忙しいとはどうしたものだろうか。
椿は、桜に少し待ってくれるように頼むと、人影の少ない場所で着替え始めた。急いで乾いた白衣に身を通し、緋袴をはく。見られても決して減るもんじゃない、それが椿の考え方。さっさと、着替え濡れた服を使用後の布のかごにつめる。
そして椿は駆け足で、桜の元へ帰った。
「どうしたん、椿」
「いや……紅緋が急がしそうだなんてはじめてだから……何かあったんかなって思ってな」
そう椿が言うと、桜は小さく「なるほど」と頷いた。
結局、椿と桜はひょいひょいと紅緋の様子を伺いに行く。庭を見れば綺麗に整えられた紅葉が赤、黄に染まり、鯉の踊る池の中に溺れていた。しかしそんなものをのうのうと眺めため息を零す暇などない。
椿と桜はお社に続く廊下に差し掛かるとそっと覗く。たしかに巫女たちがバタバタと走り回り、せわしないようだ。見れば、紅緋が相変わらずふよふよと浮いているが、その表情はいつもの穏やかなものではなく、何かを考えてるようだった。椿と桜は二人揃って互いの顔を見合わせ、首を傾げる。と間もなく、紅緋の近くに駆け寄った。
紅緋は二人の姿に気づくと、驚いたような顔を浮かべた。
「椿、桜……どなんした」
「紅こそ。いつも、準備がいい紅が慌てるなんて珍しいと思ってな」
それに、ああ……と紅緋は気まずそうに黄色い目を横に流した。そして懐から折りたたまれた文を取り出し、椿に渡した。
開けば気難しい言葉が並んでおり、思わず椿はしかめっ面。それに紅緋は苦笑いを浮かべた。かと思えば次に気難しい表情で紅緋は口を開く。
「秋の作物がな、おかしいんよ」
「おかしい?」
椿が聞き返せば紅緋は頷いた。桜は不思議そうな顔で二人を見守っている。
紅緋は一度、考え込むように下を向く。そして少し唸るような声で話し始めた。
大和の稲桜から少し先。「鬼山」と言われる大きな山が聳え立っている。意味は名の通り。鬼が住まう山ということからつけられた。そこを越えると農民の多くが住んでいる。なんせ、気候がよろしいようで作物がよう実ること、実ること。
今年もまた、ほど良い雨とてんと照った日差し、そして柔らかな季節の香りが運ぶ風も吹いた。良い作物が今年も実る。皆、口をそろえてそう言った。しかし、今年の作物たちはいつまでたっても色を変えない。それに原因が全く持って分からないのだ。
椿は、視線を文へと配った。文の中にも同じような内容がかかれている。紅緋はどうしたもんかなぁ、と頭を掻き大きな溜息を零す。それに椿は「さあ」と肩を竦めた。
妖怪については知識はあるが農業に関しては全くである。うんうんと唸る紅緋を横目に、再び文に椿が視線を零せば黙りこくっていた桜が「あ」と声を出した。
「お母さん、雅様は?」
「雅?」
紅緋は、目を丸める。それに桜はうんと頷いた。
「雅様って作物の神様でしょ? だから、ほら……お祈りすれば!」
「……あのなぁ、桜」
椿は大きく溜息を零す。と、同時にある考えが頭をよぎった。紅緋もそれに気づいたのか、椿に金の視線を配る。
壱
椿と紅緋の二人は息を潜め、社へと足を運んだ。良いことか悪いことか見張りはおらず、すんなりと通ることができた。桜はといえば、よく喋るので見つかってしまうの間違えなし。なので、紅緋が好きな菓子を作ってやるとなんとか言いくるめ、自室で待ってもらうことにした。
ここから先、まっすぐいった場所に……稲荷神、雅の居る部屋がある。稲荷様はまあ酷く人間嫌いで、会うことが出来るのは妖怪とここの神主のみ。しかし、今回は緊急事態であり、死神の紅緋もいる。よって、大丈夫だろうと椿は踏んだ。
視線を辺りに配り、人影がないことを確認すると椿は早足で……音を立てぬように。紅緋はふよふよと宙を浮き椿の後ろについた。
艶やかな水仙やら菊やらの花々が描かれた襖の前に立つ。この先が稲荷の領域。椿と紅緋は目を合わせるとこっくり頷いた。
そしてゆっくりと椿は襖に手をかける。
その瞬間、襖に触れた右腕に酷い痛みが走り、椿は思わず飛びのいた。見れば、腕が火傷をおったかのように赤く腫れあがっている。残る酷い痛みに椿はその場に崩れ落ちた。紅緋は慌てて駆け寄ると同時に、顔を歪めた。
「大丈夫か」
「……う、ぐ、多分、平気やけど。普段から、こんなんなんか」
それに紅緋はいやと、首を横に振った。
紅緋は首を傾げる椿の腕をとり、どこからか白い布を取り出しそれを椿の腕に巻き始めた。それも、慣れた手つき。しかし椿はどこか違和感を覚える。
火傷なら……冷やさなければ。火傷の痛みをひかせるには、氷水で冷やすのが一番いい。こんな初歩的な傷の治療の仕方を……紅緋が知らないわけない。そう思った椿は眉根を寄せた。すると、それに紅緋は気づいたのか、視線は椿の火傷に向いたまま口を開いた。
「これはただの火傷じゃない。呪いの一種だ」
「呪い?」
「ああ。俺の目から見れば……『人の命を蝕む呪怨(ジュオン)』だろうな」
それに椿の目が大きく見開かれる。
呪怨とは、人に害をもたらす呪いの一種である。しかし、これは妖力(ヨウリョク)と呼ばれるものが必要な代物で、普通の人間が使えるものではない。使えるのは……妖怪とここで働く者たちのみ。
そもそも妖力とは、物を操ったり、出現させたり消すことができる力のこと。普通の人間にも備わっているのだが、それは命を繋ぐものであり人間が使ってしまえば命に関わる。
しかし、いなざくらで働く椿たちはこれを多少なりと使うことが出来る。それは、何故かと聞かれれば他でもない稲荷神である雅と、ここにいる死神、紅緋のお陰なのだ。
彼らが管理する支配下では、妖力を持った者が必要不可欠。しかし妖だけでは数は足りず、一部の人間が手を貸している。その人間たちに雅や紅緋が妖力を必要最低限と分けているのだ。あくまでも、管理のためだが。
「……九尾様がやったんか?」
「いや、違うな。あいつは人間が嫌いだ。だが、だからといって自分より弱いものたちにこんなことをするやつじゃあないと俺は断言できる」
「……つまり」
紅緋はそれに静かに頷いた。
「恐らく、あいつを嫌った誰かの仕業だろう」
椿は口を結んだ。ああ、なんてことだ。
雅は確かに前も述べたとおり人間を嫌っている。その証拠に社から人が通う場所は遠く離れているのだ。理由は定かではないが、紅緋曰く気が強いわ、傲慢だわ、らしい。しかし、椿が思うに雅は恐らく完全に人を嫌ってるわけではないのだ。その証拠に、まだここにいる。
俯く椿。なんてことだ。もし、今回の件で稲荷様の逆鱗に触れたら……。このいなざくらは間違いなく終わる。
絶句する椿に対し、紅緋はひとつ溜息をつくと布を結び立ち上がった。
「ほれ、椿。よく見ろ」
紅緋は、そう言って襖の中央を指差した。そこには何かが書かれた札。目を丸める椿に、紅緋は淡々と離し始める。
「あれが呪怨の札だ。外から張られてるということは、あいつ……雅じゃないことは断言できる。……まあ、雅ならできないこともないだろうが、面倒くさがりだからな。わざわざ、そんなことをするとは思わん。それに雅なら札なんて使わずとも、あの程度の呪怨ならかけられるだろう」
「おい、まさか紅緋……札、気づいてたんか」
うん? と首を傾げる紅緋に椿は頬を引きつらせる。
「まさか……それに俺は、一点集中型らしいからな! いたって普通に気づかなかった!」
満面の笑みでそう言う紅緋に椿は思わず、頭を抱える。こいつ……本当に妖怪なのか。しかし、そんな椿を一瞥すると、紅緋は再び襖に視線を戻した。
「それに、俺は人が死ぬところを見るのが嫌いだ。俺を慕ってくれてるお前が死ぬのは尚更な。なぁに、心配するな。今すぐ死ぬわけじゃないし、最短一ヶ月だ。それに、呪怨には必ず解呪する方法がある。解呪方法は……もう分かったしな」