名も知らない君に。

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1:翠◆vc:2016/11/27(日) 00:33

プロローグ



穏やかな春の日差しが校舎内に降り注ぐ。
入学式の最中を抜け出した校舎内ほど
静かな場所はないと僕は思う。

背中の中央で少しばらついた長さの黒い髪。
少し先にいる君の結いていないその髪は
光に当たると絹のようにそれは
滑らかに、艶めかしく輝く。

春風の吹く、改築されたばかりの白い校舎内で
1人伸びやかに鼻歌を歌う君。
僕の足音に気づいた君はくるりと振り向く。

「聞いてたの? 」

驚く君は僕がうんとも言わない間に、
目を少し細めふわりとした笑顔を浮かべた。
微笑むと、また何事も無かったかのようにまた歩み出す。

名も知らない君に僕は────。

2:翠◆vc:2016/12/01(木) 03:01

(訂正※1人→一人)


第一話/春の訪れ


彼女と出会った時のことはよく覚えている。
その日はやたらと暖かい日で、桜が満開だった。
その花弁は彼女の姿によく似合っていた。

──季節は、巡る。

春というのはやけに心が弾むものがある。
特に新しい環境はより一層僕の心を弾ませる。
中学三年生という称号が高校一年生に切り替わるのだ。
きっと僕以外にも似たような気持ちを持つ人はいるだろう。

空気中にある酸素という酸素を
吸い込むように深呼吸をした。
校門付近の掲示板で見つけた自分の名前と、クラスを交互に見やる。
ただ生徒の人数も多く人波に飲まれそうになった。

慣れていない制服の身動きのしづらさに
苦戦しつつも校舎内に入り、下駄箱に靴を置く。
説明会やらで何度も来たはずのこの校舎。
何度来てもやはり真新しさを感じる白さがある。
柔らかな日差しのせいもあってか、ペールオレンジ色の廊下は白く、色がとんでいた。

下駄箱付近にいた教員から貰った校舎案内のプリントを頼りに教室を目指す。
なかなか広かった校舎のはずだがその広さを持っても生徒の多さには勝てないようで、道が狭く、階段ではほぼほぼ押されるように進んでいた。

幸いにも僕は教室が階段の目の前だったためその人混みから抜けるのが早かった。
ふぅ、と息をついてからドアを開ける。
僕がドアを開けた瞬間中にいた十数名はちらりとこちら西線を送る。だがそれは一瞬で、またすぐに元の様にそれぞれ話をしたり、座席に座っていたりとしていた。

3:翠◆vc:2016/12/01(木) 03:02

※西線→視線です

4:翠◆vc:2016/12/01(木) 03:02

こちらに視線を送るです。

5:翠◆vc:2016/12/01(木) 21:19


中学時代も僕は友達の多い人間じゃなかった。
誰かの傍にいたら迷惑がかかるのではないか、そんな
気持ちもあって誰とも関わろうとはしなかった。
勿論そんな僕に興味を示す人間や関わってくるような物好きなんていうのも居なかった。

今までもそれはそうだし、これから先もずっとそうだろう。
きっと僕は誰かを愛すようなこともないし僕が誰かに愛されることもない。
人間関係で揉めるようなことだってないから居もしないような神様を恨むこともない。

高校生になったとはいえ、僕が僕で在る事には
これから先も変わりはない。

ただ、何かの拍子に僕の運命が変わるようなことでもあれば。そう例えば恋愛とか。
そんなことがあれば僕の中身はほんの少し変わるかもしれない。

ひらりはらりと舞い散る桜の花弁にそんな想いを馳せてみる。

澄み切った青空に、ソメイヨシノの白みががった桃色の花弁はよく映えていて不思議とこれから僕にいい事が起こるのではないかという夢さえ見させてくれる。

そんな夢から僕を現実に引き戻したのはこれから
何百回も聞くであろう鐘の音だった。
それと伴いがたがたと座席に座る音や教師がドアを開ける音もする。

「これから君たちは入学式で──」

スーツに身を包んだ若い女性教師が滑らかに
話を進める。
その教師の優れた容姿に見惚れ、鼻の下を伸ばす輩もいた。
話が終わると体育館に移動するよう放送が入る。

長く脈絡もない校長の話とか、やたら声の大きい生徒会長から新入生に向けての話とかとにかく退屈な入学式だと思っていた。
それだけならいい。耐えられるものなのだが
ただ、どうにも腹が痛い。
こっそりと列から抜けて適当な先生に声をかける。
「腹が痛いんでしばらくの間トイレ行ってきます」
先生は心配そうに僕のことを見つめ、了承してくれた。
腹痛自体はトイレに行ったら治ったが今更
あの重苦しい空気に飛び込むのは僕にはできない。

なんとなく校内をふらついて時間を潰そう。そう思った。

6:翠◆vc:2016/12/02(金) 21:03


今思えばこの思いつきが僕の高校生活を色濃くするものになった。

何十メートルもあるのか分からないほどの
長い廊下をひたすら歩く。端に着いたら
階段を上って、また歩く。
学校探検、というのはなかなかスリルがあって面白いなんてくだらないことを思う。
校舎内は人も居ないためか、校舎内の白さが際立って見える。
白く真新しいそれはまるで霧の中のようだった。
僕以外にこの霧の中を彷徨う人はいない、はずだった。

聞こえる。
僕以外の足音、微かな鼻歌と共に。
奥の階段から聞こえるその音は、どんどん近づきやがて僕の今いる四階でほんの一瞬止まった。
同時に一人の女生徒が音の先の階段からひょっこりと現れ、僕の前を鼻歌交じりで歩き出す。
先程の靄がかかっていた鼻歌も鮮明に聞こえる。
何より彼女のその足取りは桜の花弁のように軽やかで
今にも飛んでいきそうなほどだった。

前を歩く名前も知らない生徒。今わかるのは
上履きの色が同じ、つまり学年が同じということだけだ。
ただ、僕は生まれて初めてこんなにも人を美しいと思えた。

「あの」


僕の声を遮るように彼女は僕に言う。
「聞いてたの?」
何が、と僕が聞かずともその答えは分かっていた。
うんとも言えない僕に対して彼女はふわりと微笑む。

挙句の果てに正直に話すことにした。
「ごめん、ただ綺麗だなあって思って」
そう僕が答えると彼女は目を細めて笑った。
「いいよ。私も気を緩めすぎてたしね。
気にしないで」
彼女は入学式のことは一切触れなかった。
僕も彼女がどうしてここにいるか触れなかった。
しばらく歩いていると彼女が小さく呟く。

「屋上、開いてるかな」

どこか儚げに彼女はそういった。
「行くだけ行こうよ」
その言葉に彼女はまた目を細めて微笑んだ。

7:翠◆vc:2016/12/05(月) 17:47


屋上から見える空は手を伸ばせば指先が触れてしまいそうな程に近く感じた。

そこへ繋がる階段には鎖が掛かっていたがドアは開いていて案外管理が緩いものだった。
隣にいる彼女は真上に広がる大空に手を伸ばす。

「手が届きそう……ほら」

そう言う彼女の伸ばした細い指先は雲のように白い。
「空ってこんなにも青くて、
広いものなんだね」
まるで今まで見たこともなかったかのような口ぶりだった。

「私ね、窓越しでしか空を見たことが
なかったの。家の窓と病院の」

何も言えなかった。平気そうに言う彼女の
内にある気持ちを考えたら僕は、何も言えなかった。
華奢な彼女の中にどれだけの鉛≠ェ詰め込まれてるのだろう。
「急に意識≠フスイッチが切れちゃうんだよね」
一気に息を吐き出しながら彼女は背中を伸ばして踵を上げる。

「眠り姫みたいだ」
僕がそういうと彼女は目を丸くさせ、笑った。
表情をころころと変えていく彼女は
なんの汚れもなく可憐だ。
転落防止の彼女の胸ほどまである鉄格子に彼女は腕と顎を乗せた。

「王子様のキスで目覚めたらどんなにいいことか」

彼女は何処か遠くを見つめて小さく呟く。
「君みたいな綺麗な人ならいくらでも
王子様は現れてくれるんじゃないかな」
僕がそういうと彼女は何それ、とくすくす笑っていた。

8:翠◆vc:2016/12/06(火) 22:02

彼女と十分ばかりその場にいたあと、
そろそろ入学式も終わってしまうので
戻ろう、という話になった。
彼女は名残惜しそうに空を見上げて
「またね」
と笑顔を空に向けながら言っていた。

とんとんと軽い二人分の足音が階段に響く。
先に歩く彼女は長い髪を足音に合わせて揺らしていた。
「……君は、病気なのかい? 」
何となく聞きたかった。どうせここの生徒の
人数なら滅多に彼女と遭遇することなんてないだろう。だから聞いても許される気がした。
彼女は踊り場のあたりに着くとくるりとこちらを向いた。
「病気なのかな。体質だって私は
思ってるんだけどね、明確じゃないんだよ」
少し悩んだ様子を僕に見せながら彼女は答える。
「まあ、無理しないでよ色々と」
僕がそういうと彼女は何かを思い出したかのような表情を浮かべた。

「そうだ。私、貴方の名前を知りたいな」

「梅田……梅田樹」
「樹くんかぁ。いい名前だね」
初めてだった。名前を褒められるのなんて。
彼女はきっとお世辞で言ったんじゃなく、
本心でそう言ったんだと彼女の浮かべる笑顔から思った。
表情からそう読みとれるほど彼女は表情に出やすい。
「そういう君の名前は? 」
僕の問いに対して彼女は困ったような笑みを浮かべながら答える。
「……花澤椿。名前が綺麗すぎるなって自分でも
名前を出す度に思うよ」
そんなこと一切ない。少なくとも名前に
恥じないような美しさは持っていると思った。
彼女はゆっくり歩き始めると同時に話を切り出す。
「ある意味、花のような人生だから
合っているかもしれない」
どうして、と聞く間もなく彼女は滑らかに語っていく。

「──花は芽を出し花を開かせ、散っていく。
そしてまた同じ季節が来るまで眠って、それを
繰り返していくの」

淀みなく語る彼女の横までいつの間にか
僕は追いついている。彼女の目はどこか寂しげだった。
彼女は僕が追いついたのが分かると横目でこちらを見て少し驚いていた

「植物の椿ってね『春の訪れ』を表すんだって。
春の訪れとして有名なのは桜の方だけどね」
自分の曇った表情を打ち消すようにそんなことを話し出した。
「そういえば私たち、両方春を表す植物が
名前に入ってるよね」
「僕達が出会ったのも運命だったのかもね」
運命かあ、と彼女は繰り返す。

「……もう着いちゃったみたい。
私とお話してくれてありがとう」

彼女は相談室と書かれた札がぶら下げられている
周りとは違った雰囲気を持つところへ
僕にひらひらと手を振ってから消えていった。

9:翠◆vc:2016/12/07(水) 01:40

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修正とかの都合上で小説家なろうにてこの先は
連載させていただきます。


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