人間、夢というものを毎晩見ますが、残念ながら起きたらすぐ忘れてしまう、というのが、
ほとんどの場合でごぜえやす。
中には、覚えている夢もありますが、それも結局は夢の一部にすぎません。
しかし、もし、夢の全てを覚えることができたとしたらどうなるでしょう?
現実よりも、夢の時間の方が多い、ということになりはしまいか?
すると、私たちが普段、目が覚めて夢を忘れるように、その人は、
夢の世界に行くたびに、現実の方を忘れてしまうことになるでしょうな。
これじゃ、夢が現実、現実が夢、何がなんだかわかりません。
しかし、こんな、何がなんだかわからない男が、現実にいるんだから、驚きですなア。
その男、名前はケントと言いまして、その男の話を、私はそのいとこから聞きました。それを
今からお話しましょう。
どうぞ、ごゆっくり、楽にして。なアに、たいした話じゃございません。
その男、生まれたのは北海道の寒いところ。雪の降る晩に生まれた彼は、
まあ寒さに強い。
外ではしゃげるくらいになると、裸ん坊になって、雪の中を、飼い犬と一緒に駆け回る。
おませな近所の女の子、梅子が、顔を手で隠して、
「まあケントさん。それしまってくださらない?」
いや、まあ、まだ梅子も子供ですから、大人の真似だけで、本気で恥ずかしがっているわけではない。
「ええ、だって、服なんか、暑苦しくて、着てられねえよ!」
とケントはあっかんべえ。
「まあケントさん!」
梅子は雪を丸めて、ケントに投げる。頭にベシャっ。
「やったな!」
「きゃあっ!」
「あはは」
「うふふ」
と、まあとっても仲が良いお二人でござんす。羨ましい限りですなア。
しかし、二人が中学校に行く頃になると、お互い目を合わせるのも恥ずかしくなり、
ケントはサッカー部で日々鍛錬。梅子はピアノのお稽古と塾でお勉強、という具合に、
二人の距離はいつのまにか遠くなってしまったのでごぜえやす。
二人はお互いのことを意識している。しかし素直になれない。
朝、登校中にばったりであっても、ぎこちない歩き方と、妙な距離感。
ケントは、そんな梅子を見て、梅子はそんなケントを見て、
ひょっとしたら自分は嫌われているんじゃないかと思い、余計に絶望する。
さて、梅子はケントじゃない、別の男と付き合うことになった。梅子にとって、その男は、ケントほど
好きではなかったのだけれども、ケントはどうやら、自分のことが好きでないようだから、
ちょっとこの男と遊んでみよう、というつもりで。
それを影で見ていたケント、元気がなくなり、食べる量も減り、サッカーも途端に下手になり、
みじめみじめのスパイラル。
ついに部屋から出てこなくなった。
ケントは一日中ぼーっとしているだけで、何をするわけでもない。
ただ、部屋に閉じこもってから、ケントは毎晩、なぜかいい夢ばかり見るようになった。
とても楽しい楽しい夢で、そこでは、梅子と結婚して、毎日毎日遊んで暮らしている、という具合で。
「これじゃあ、現実を捨てて、夢に逃げた方がいいぞ」
ということで、ケントはいつまでも眠るようになった。
親が心配して入ってきて、いくらケントを揺さぶっても、目を覚まさない。
こりゃ、大変だ、とご両親は病院に連れていく。
医者が言うには、
「身体に異常は何もございません。精神的なものでしょう。こうなっては、ケントくん本人が意思で目をさます気になるのを、
待つしかありません」
しかし、考えようによっては、ケントは最新型の人間である、
と言うこともできるのではありますまいか。
人間の歴史を考えて見ると、
結局人間の努力とは、夢、ただそれだけのためにあるものではないですかな。
ディズニーランドだって、そうでしょう。最近のヴァーチャルリアリティだって、
結局夢に引きこもりたいだけではないですか。マトリックスという映画がありますが、
このままいくと、人間はマトリックスを発明しそうな勢いじゃありませんか。
それでは、ケントはこのまま永遠に目をさます必要がない、と言う結論になるかと
思えば、そうではない。
梅子と付き合っていた男が、本当に猿みたいな男で、性欲のことしか頭になかった。
嫌気がさした梅子は、その男を振った。そして、ケントに自分の思いを打ち明けよう、という時に、
ケントの病を知った、というわけで。