揺天涯

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1:のん◆Qg age:2018/02/04(日) 22:35

荒し、誹謗中傷はご遠慮下さい。

小説板は、かなり久しぶりのような気がします。自分を試すつもりで挑戦しました。精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します。

2:のん◆Qg age:2018/02/04(日) 22:38

<主人公>
白淵
 中国、北宋時代に生きる少年。
 南部に暮らす。

3:のん◆Qg age:2018/02/04(日) 23:39


 どうして生きるべきなのか、と、昔父に尋ねたことがある。その頃は母が死んだばかりで、生活はそれ以前にも増して厳しかった。父とひとり息子だけの家族である。六歳であった白淵にとって、なによりも母親という大きな心の支えを失ったことが辛かった。そしてその悲しみは、父も同じに思えたのだ。そんな大きな悲しみを抱えて、暮らしでこんなに苦しい思いをして、どうして父は必死に生きようとするのか。
およそこのようなことを思い、白淵は尋ねたのである。父は少し驚いたような声で、淵、そりゃあお前、と言った。
「生きることは、試練だからだよ」
「試練?」
「そうだ。生まれた時に課される試練だな。母さんのように、死んでしまった大切な人たちに見守られながら、皆この試練を乗り切るんだ。…なんだ、お前もしかして、もう死んでしまいたくなったのか?」
「ううん」
「それじゃあ、一生懸命生きろよ。精一杯生きて、もう自分の力ではお手上げだ、というところまで全力を尽くす。それが、人間というものだろう」
それが、ここまで苦しい思いをする答えになるのだろうか。
白淵はまだ釈然としない気持ちで、じっと父の顔を見上げた。すると父は、少し照れ臭そうに笑ったのだ。
「…とは言ってみたが、お前にそんな納得のいかない顔をされちゃあなあ。実は今の答えは他人の受け売りだ。仕方がないから、本当に私が思っていることを言うぞ」
そして一呼吸置いて、
「それはな、生き物だからださ、私もお前も、もちろん他の皆も。獣や昆虫と同じ命なんだ。この世に生を受けたからには、必死で生きようとする。ご飯を食べ、夜は眠り、そして次の世代に未来を託す。結局のところ、人間だって動物なのだから、このように生きたいという本能を持っている」
と続けた。
「それが、人間が生きる理由なのではないかな」
白淵には少し難しいことに聞こえたが、何故だかその言葉は心に染み込むように理解出来るものだった。
それでも。
白淵は声を出した。
「それでも、こんなに苦しいことばかりじゃあ…例え母さんが見守ってくれていたって、あんまり嬉しくないじゃないか」
父が一瞬首をかしげる。そして、ああ、と言い、それから大声で笑った。
「何が面白いんだよ?」
剥きになった白淵は彼に食ってかかろうとしたが、父はその小さな頭にぽん、と手を置いた。それで思わず見上げると、優しい笑顔であった。
「安心しろ、淵。今は辛くても、いつか必ず楽しいこと、嬉しいことがやって来る。生きていれば、必ずだ。苦しい中にも同じくらい良いことがあるからこそ、人は生きていけるのだろう。…お前にも、それが分かるといいなあ、淵」
母が生きている間も家族は三人共、毎日の食べ物のことで必死だった。それでも確かに、楽しいことはあったのだ。
「父さん、生きるよ、精一杯」
父の言うことは正しい。
白淵なりにそう判断したからこそ、漏れた言葉である。
うん、その意気だ、淵。
父は満足そうに言い、頷いた。

4:のん◆Qg age:2018/02/05(月) 00:06

ミスでした、申し訳ない
×「それはな、生き物だからださ」
○「それはな、生き物だからさ」

5:のん◆Qg:2018/02/23(金) 21:27

天命とういのは、生きていた頃の母から聞いた言葉である。周囲のあらゆるものに興味が湧き始めた年頃の白淵にとって、その話はとても新鮮なものだった。
「私達の生命は、全てが神様達によって決められているという考えがあるの。これを天命というのよ」
母は言った。
「決まっている?」
「そうよ」
「そんなの嫌だ。淵は自由に生きたいです、母さん」
その時は小さいなりに、白淵はなんだか大きな理不尽を感じた気がしたのだ。強く首を振ると、ふふふと母が笑う声がする。
「そうね。母さんも嫌よ、淵。母さんや淵、生き物達が生きていることが誰かから決められているなんて、絶対に嫌。だからね、母さんこの言葉が嫌いなの」
母は白淵に悪戯っぽい笑顔を向けた。

その話はそこで終わってしまったのだが、数日後にこんな出来事があった。

当時の白淵、父と母の三人家族は、山の中の粗末な家に暮らしていた。一番近い町まで歩いて二刻はかかったものだ。畑を耕して作物を育てる毎日で、時々町に下りてそれらを売る。だが役所に税は納めていた。決して楽な生活ではなく、天候が悪い日が続いたりすると二、三日連続で水しか口に出来ないこともある。何故こんな山中に住むのか白淵は知らなかった。生まれた時からその暮らしだったからである。
父母が居たので悲しくはなかったが、遊ぶ仲間がおらず、白淵は寂しかった。
だからその鯉は、白淵にとって友だちのようなものだったのだ。父がある日、魚を釣りに行った帰りに持って帰って来た一匹の鯉。大きな桶の中で泳ぐ鯉を一目見るなり、すっかり気に入って、飼ってもいいかと父にせがんだ。
生き物を飼うからには大切にしろ。
父はただそう言った。
その日以来、畑仕事などを手伝う合間に鯉を眺めるのが日課になった。自分の食べ物を少し残して餌とする。口をぱくぱくと開けて鯉は食べた。指を入れると恐る恐るつついてくる。その感じが白淵はとても好きだった。

6:のん◆Qg:2018/02/23(金) 23:00

その犬の姿を、白淵はそれ以前から何度か見たことがあった。黒い毛の、まだ大人になりきっていない野犬である。酷く痩せ細って、飢えているのかその足取りはふらついていた。時々茂みなどから現れ、白淵を見ると低く唸る。犬が自分の鯉を狙っているのは明らかだった。白淵は鯉が入った桶を、農具が置かれた棚の上に移した。自分の二倍の高さの棚である。犬などに絶対に届くことは無いだろうと思った。

そんなある夜、高い所から物が落ちた様な音で白淵は跳ね起きた。農具置き場からだ。盗賊がこの山中まで来ることはないにしても、両親からは護身用に寝る時は必ず刃物を側に置いておくよう言われている。それを引っ掴んで表に向かって駆け出した。
桶が引っくり返されていた。水はみんな溢れてしまっている。あの犬がいた。
鯉。鯉はどこだ。
走りながら目を凝らす。鯉は地面に放り出されていた。白い腹を上にしてぴちぴちと跳ねている。犬がよろよろとそれに近付いた。食らおうと口を開けている。その犬に目がけて体当たりをした。犬はたやすく吹っ飛んだ。そちらには目もくれなかった。
鯉。鯉はどうなった。
地面に目を落とす。鯉はぴくりとも動かなくなっていた。死んでいるということは、幼かった白淵にも分かった。どす黒い感情が突き上げてきたのを感じた。
鯉は犬に殺された。
その事実だけが頭に浮かぶ。振り向くと、犬は立ち上がったところだった。弱々しくこちらに向かって吠えている。白淵は刃物を持ち直して犬に近付いた。骨ばかりのその体は、簡単に押さえつけることが出来た。左腕に噛み付かれる。だが犬はそれ以上力が入らない様だ。あまり痛くない。構わなかった。刃物を使える手が無事ならいい。白淵は犬をじっと見つめた。
お前が、私の友だちを殺したんだ。
刃物を振り上げた。だがその手が動かなくなる。振り向くと、母が腕を引っ掴んでいた。
「淵。やめなさい」
しっかりした声でそう言う。振りほどこうとしたが、母の力には敵わなかった。
「何があったのか、説明するの」
白淵の目を見ている。母の目は真っ直ぐだった。
「この犬が鯉を殺したんだ。だから鯉の仇を討ってやるんだ」
白淵は話したが、自分の声が震えていることに気が付いた。まだ腕を掴まれたままだ。
「生き物を、無闇に殺してはだめ」
母は言う。
「無闇なんかじゃないよ。だって」
「淵、その犬の目を見て」
思わず言う通りにしてしまうような力を、母の声は持っている。白淵は押さえつけた犬の顔を覗き込んだ。
突き刺すような光が、見えた気がした。犬もこちらを見ている。
「犬は生きるためにそうしたのよ」
白淵は声を出すことができなかった。生命の力と向き合っている。その意識は分からなくても、それは身体で感じたことだ。犬はようやく白淵の左腕を離した。
「離してあげて」
最後に母がそう言うと、白淵は自然に犬を解き放っていた。犬は大きく体を震わせた。そして一度こちらを振り向くと、またふらふらとした足取りで茂みの中に消えて行った。
「母さん、あの犬は自分で生きているんですね」
呟くように言うと、母はふふふと笑った。
「そうよ。天命なんかじゃない。自分で、生きたがっているのよ」
母が先日行ったことの意味が、ようやく分かった気がした。

7:のん◆Qg:2018/02/24(土) 00:08

死んでしまった鯉は、墓を作って埋めてやることにした。墓といっても、土を山盛りにしただけのものである。それでも白淵の心は穏やかだった。
この鯉は無闇に殺された訳ではない。生きるために為されたことで、何かを憎むことは間違っている。
このことに気がつけたのは母のおかげだ。白淵は鯉の墓の前で思った。鯉はいつか土に還ることだろう。そうやって生き物は巡るのだ。

あれ以来白淵が気になっていたのは、あの黒い犬の行方だった。両親の仕事を手伝っていても、休憩していても、外でぼんやりしていても犬は現れない。
お腹いっぱい、食べることが出来ただろうか。
鯉がいなくなった桶を見つめながら思った。

あの夜から数日後、白淵はこんな夢を見た。
黒くてもやもやした煙のようなものから逃げている夢である。煙は世界を大きく二分していて、煙の向こう側は真っ暗で何も見えなかった。煙が自分に迫ると冷え冷えと冷たいものを感じる。何となくこの煙が死というものだろうと思った。自分以外にも、大勢が同じように逃げている。
呑み込まれたら、死ぬ。
嫌だった。白淵は懸命に煙から走って逃げた。何人もが転んだり、息切れしたりして、煙に飲み込まれていく。彼らはおぞましい叫び声をあげた。白淵は振り返らなかった。
生きたい。誰かから決められて生きるのではない。あの犬のように、自分で生きようとしていたい。
そんな気持ちが自分の中にあるのを感じる。
何里も走ったような気がした。黒い煙とは大分距離を取っている。行く手に、崖があるのが見えた。その対岸まで飛び移る。ここまで来たら大丈夫だという確信があった。
煙はまだ前進を続けていた。その煙から、黒い犬が一匹逃げている。白淵のいる対岸に向かって懸命に駆けていた。あの犬だ。もう少しで煙に呑み込まれそうである。
「こっちだ」
白淵は叫んでいた。
「犬、こっちに来い」
犬は一直線に走ってくる。煙はその真後ろに迫っていた。犬が膝を折って倒れる。もう駄目だと思ったが、煙に呑まれる直前で跳ね起きて駆け始めた。
そうか。そんなにも、お前は生きたいんだね。
白淵は崖の淵で両手を広げた。再び叫ぶ。
「もう少しだ、頑張れ」
犬が崖から跳躍した。白淵に飛び付いてくる。白淵はその痩せ細った体に、強く生き物の力が宿っているのを確かに感じた。

そこで目が覚めた。朝日は昇っていないが朝がきたようだ。両親はまだ起きていない。外で不意に桶がひっくり返されたような音がした。白淵は裸足のまま表に出た。
あの犬がいた。黒い毛並みはあちこちが薄汚れ、以前見た時より更に痩せている。しかし目はしっかりこちらに向けられていた。犬が横に倒れた。同時に白淵は家の中へ駆け込んだ。食糧を蓄えてある場所まで全速力で走る。そこを漁ると、干し肉が何十本もあった。町に下りた時猟師から買ったものである。肉を持ち出す時は父の許可が必要だったが、白淵は迷わずそれらの全てを掴んだ。
再び走って犬の所に戻る。犬は弱々しく白淵を見上げた。そっと干し肉を一本側におくと、犬は殆ど飲み込むようにしてそれを食べた。二本、三本。あっという間に全ての干し肉を平らげると、犬は白淵の手をぺろりと舐めた。恐る恐る犬の頭を撫でる。犬は気持ち良さそうに喉を鳴らして目を細めた。
ふいに空が明るくなった。朝日が昇り始めたようだ。犬の黒い毛がきらりと光る。白淵は犬の目をじっと見て言った。
「お前は私の友だちだ」
犬はあの強い光を持った目でこちらを見つめ返している。

8:のん◆Qg age:2018/02/27(火) 21:27


暁光。黒い犬に白淵がつけた名である。暁の光という意味だ。この犬とは、夜明けの光の中で本当に出会えたように思えたからだった。暁光は目に強い光を宿している。それは生命の力なのだ。生きたい、という思いに溢れている暁光の瞳。
自分にはまだこんなに強い力がない。生きたいという気持ちも、この犬ほど強くはない。
白淵はその目を見つめて思った。生きたいという意思を強く持ったが、あれはあの夢の中のことなのだ。夢から覚めても、ずっとその気持ちを感じていたい。だからこそ自分もこう在りたいという、尊敬のような念もあって犬に暁光という名をつけた。 暁光はすぐに白淵に懐いた。
両親には酷く叱られることを覚悟した。何しろ干し肉を無断で持ち出した上に、それらを全て暁光に与えてしまったのだ。白淵は覚悟を決めて二人に全てを話した。ところが母は、黒い犬に光なんて変なのと微笑み、父は白淵の行為を一切責めずに暁光を飼うことを許可したのだった。信じられなかった。その日の食うものにも事欠くことがある生活だったのである。しかし両親は犬を飼わせてくれると言ったのだ。幼かった白淵にも、父母がどれほど苦労をしているのかはよく分かっていた。
これ以上二人に面倒をかけてはいけない。
そう思ったから、暁光の餌は自分の力で調達することにした。自分の食事を少し残しそれを与える。成長の途中であろう犬にはとても十分な量とは言えないが、それでも暁光は毎回有難そうに食べる。その様子を見ていると自分が腹を満たしているわけではないのに、白淵は嬉しくなるのだった。

9:のん◆Qg age:2018/03/05(月) 23:31

母が死に、父と白淵は山を下りて村に移り住んだ。白淵が六歳の時である。街から外れた田舎の農村だった。それでも当然のことながら、山中暮らしの時よりも生活に必要なものは手に入り安かったし、様々な情報も人々の会話から得られるようになった。生活は大分苦しくなったが、暮らしの便利さにおいてはそれ以前とは比較にもならなかった。
友達が出来る。何より白淵はその期待に胸を膨らませていた。母を失ったことで、白淵の心にはぽっかりと穴が開いたようになっていた。それを埋めようとするかのように、村で知ったこと一つ一つに感動したり驚いたりと激しく感情を動かす。同様に期待も大きく持ち過ぎてしまったのかもしれない。その期待は間もなく消えてしまうのである。

初め、村の子らは余所者の白淵を避けるようにしていた。当時は悲しい思いをした白淵だったが、今なら彼らの気持ちも分かる気がする。子らも山から来た少年が怖かったのだろう。
白淵もそれで諦めたりはしない。仲良くなろうと必死に話しかけたりしていく内に、遊ぶ仲間に入れてもらえるようになった。その時は本当に嬉しかったものだ。しかしすぐに気が付いた。皆と合わせて遊んだり、物事を決めたりすることが上手く出来ない。白淵にとって、大勢と同調するのは苦痛であった。山中で生まれた時から一人で遊んできたのだ。そう感じてしまうのも仕方のないことだった。そういう思いを隠し、懸命に周りに合わせて振る舞おうとした。たが本当の気持ちは、それらの行動の端々に表れてしまっていたようだ。ふと皆の顔を見ると、どこか冷めたような視線が白淵を刺す。
いたたまれなくなって、白淵の方が先に彼らから離れた。村の子らも無理に呼び戻そうとはしなかったので、結局白淵は友人がいない状態に逆戻りしてしまう。人間の友を大勢持ちたいという希望は急速に萎んでしまった。人間の友人への期待が大きかった分、落胆もした。
だがそうなってみて初めて、白淵は暁光の存在がどれほど大切かを思い知った。一人きりではない。そう思わせてくれるのが、唯一の友でもあるこの黒い犬である。家の近くにある野原で一緒に転げ回ったりした回数は数え切れない。他の誰といるよりも、暁光と共にいる時が一番楽しかった。村では白淵は暁光と共に育ったと言っても良いほどである。

10:のん◆Qg age:2018/03/10(土) 23:41

村での暮らしが始まると同時に、白淵は農作業の担い手になった。それまでも両親の手伝いという形で携わってはいたものの、この時から借りた土地を父と二人で本格的に耕すようになったのだ。だが育てるのは野菜ではなく米である。この村は地方の役所から、村人全員が米作りをするようにと定められていたからだった。
移住者である白淵たち親子にとって、まず苗を得るところから容易にはいかなかった。村に入ったその日の内に、父子で村中の家に頼んで回ったのだ。しかしほとんどの家から追い返されてしまった。皆口を揃えて、うちには他人に分けてやれるほどの余裕がないと言うのである。日が暮れるまで家々を訪ね、やっといくつかの苗をもらうことができた。
父には畑仕事の経験しかなかった。しばらくの間は、村人達にやり方を尋ねながらひたすら親子で農耕に励んだ。穂が実ると鳥の害に気を付けるように忠告されたが、暁光が吠え立ててそれらを追い払った。立派な犬だと皆が感心して言ったので、白淵は自分のことのように誇らしかった。
そんな甲斐があったのか、その年の白淵父子の家は大収穫であった。村人らも初めてにしてはかなり良いと驚いた程である。あまりの嬉しさに、白淵は暁光と共に飛び跳ねるようにして喜んだ。
山中で畑を耕すより、村での米作りは安定した収穫があって良いと父も笑っていた。二人掛かりで米を数袋に詰め込み、家の中に並べる。もう山での生活のように飢えなくて済むと思ったものだった。

11:のん◆Qg age:2018/03/11(日) 18:41

「六割だ」
役人達がこう言って親子の家に来たのは、そんな折である。白淵は何のことか分からず父を見たが、父もまた困惑した表情だった。
「収穫の六割を、国への税として出せ」
もう一度、確かめるように彼らは言う。それで白淵は我に返った。
六割とは半分以上ではないか。そんなに持って行かれたら、毎日の食い物に困るくらい暮らしが厳しくなってしまう。そういうことは当時の白淵にも分かった。
「それ程大量の米を納めてしまったら、私共は生活ができません。この村では、本当に毎回七割もの米を出さなくてはならないのでしょうか」
父が静かな口調で抗議する。すると、役人達は顔を見合わせて笑い声をあげた。一人が父の眼前に一枚の紙を突き出す。
「これが国からのお達しだ。どうだ、ここにちゃんと七割と書いてあるだろう。ほら、大臣殿の印まである」
父は字が読めなかった。それは当然白淵も同じである。だからその紙に何と書かれているかも分からない。
嘘に決まっている。
白淵は短絡的に思った。いきりたち、何か言ってやると口を開いたのと、父が言葉を発したのは同時だった。
「分かりました」
ぎょっとして父を見る。目が真っ直ぐだと思った。逆らいもしないが媚もしない。続けて彼は言う。
「そこに米の入った袋がございます。今回の収穫はそれらが全てです」
父がちらりと白淵を見た。
何も言うな。
確かにそう言われた気がした。役人達が頷き、米の袋を持ち上げ始める。彼らの目は底なし沼のように真っ黒だと白淵には思えた。
「今期の量では、このくらいを徴収する。次回からも怠ることなく納めるように」
そう言い残して彼らは去っていった。 袋はもうあまり残っていない。
「何故ですか、父さん」
悔しくて、遂に白淵は声を漏らした。
「あんなに持っていかれてしまったのに、何故平気な顔をしてるんですか。これじゃあまた、食い詰めなくちゃ生きていけない」
父が口を開いたのは、白淵の喚きが全て終わった後だった。
「村を出て行かなくてはいけなくなる」
びくりとするくらい落ち着いた声である。
「もうお前をあんな辛い目に合わせたくない。せめて親子で静かに暮らしたい。そんな願望からかな。こんな受け答えをしてしまったのは」
白淵は何も言えなかった。この村に辿り着くまでにいくつもの村々を訪れたのである。だがそのどれ一つとして、白淵ら家族を受け入れてくれた村はなかった。
「淵、これがこの辺りの村の現状なんだ。村人は役人に逆らえない。山で暮していた時には、お前は知ることが出来なかっただろう」
「そんな」
言葉が詰まる。首を振り、父は言った。
「だがな、淵。お前には私のようになってほしくないんだ。情けない父ですまない」
父がこちらを見つめている。寂しそうだと白淵は思った。
「父さん、私は」
言葉が出ない。父はそれきり何も言わなかった。

12:のん◆Qg age:2018/03/16(金) 21:07


「ふうん。それじゃあ、あの片田舎に住む于さんの倅も、大出世しちまったというわけかい」
十二歳になった年の正月に、白淵の耳に飛び込んできた会話である。
「ああ。南京応天府で働き始めてから、まだ半年しか経っていないのにさ。早速高官様の御目に留まったらしい。その人の手引きで、今年の春から開封府に呼ばれるそうだよ」
白淵は息を呑んだ。開封府とは、この国の都ではないか。
「それはもう勉学に励んだんだろうね。于さんも大層孝行な息子を持ったもんだ」
「まあ、運も良かったよ。何しろ袖の下じゃなくて、実力で評価してくださるお人が応天府には居たんだから。田舎役所とは違うにしても、このご時世に珍しいことだ」
たまらず、白淵は彼らのもとへ駆け寄った。
「その話、本当なの」
会話をしていたのは二人の船乗りである。つい先程、今日の分の積荷をこの船着場まで運び終えたのだ。それらの荷をまた別の舟に移すのは白淵の仕事である。
休憩の途中だったのだろう。突然会話に割り込んで来た白淵に、一人が笑いながら言った。
「なんだ、誰かと思ったら荷運びの小僧か。また駄賃をねだりにきたのか」
白淵は首を激しく横に振った。
「違うよ。ねえ、そんなことより今の話本当?」
もう一人の船乗りが頷く。白淵は目を輝かせた。
「それじゃあさ、懸命に勉学をしたら、私もいつか都に呼ばれるかなあ」
その言葉に、一瞬二人は顔を見合わせた。そして豪快な笑い声をあげる。
「ははは、そうだな。だがな、応天府まで上り詰めるのにだって大変な苦労を伴うんだぞ。それこそ、こういう仕事の休み時間を全て勉学に使ったりするのさ。いや、それ以前に科挙に通らなきゃ話にならん」
「科挙」
白淵は思わず繰り返した。初めて耳にした言葉だ。
「おじさん、科挙って何」
そう尋ねると、彼は苦笑して答えた。
「おいお前、科挙も知らないのか。役人になる為に受ける試験のことだよ。これのまあ難しいこと。だから本当は地方の役所で働けるのも、大したことなんだ。」
「それがそんなに難しいの」
「当たり前さ。毎年国中から大勢の人間が受けるんだから。でも採用されるのはほんの一握り。これに落っこちて、首を括っちまった者の話も聞くね」
白淵はとても納得できなかった。
「嘘だよ。だって、ここら辺にはたくさん腐った役人達がいるよ。あいつらも難しい試験を通って働いてるだなんて、信じられないな」
別の船乗りが口を開いた。
「うん。最近はもう、賄賂や親の金のおかげで科挙に受かってしまう者も居るんだ」
「全く許せねえ奴らだよ。そいつらのせいで、真面目に勉強していても報われない人達が出てきちまうんだから」
「私なんかにはとても無理だ」
二人の話を聞いていたら、都に呼ばれるかもしれないなどと言った自分が恥ずかしくなってしまった。俯くと、ぽんと肩を叩かれた。船乗りが言う。
「まあ、全く無理ということではないさ。そんなに簡単に諦めるもんじゃないよ、何事も。でも、都に呼ばれるなんてさすがに無理かもな」
「おいおい」
その言葉で、白淵の中の何かに火がついた。
二人は別の話を始める。
「そういえば、明日の荷は麦で良かったかな」
「粟じゃなかったか。あ、おい小僧」
作業に戻ろうと彼らに背を向けると、呼び止 められた。
「ほら。今日の分の賃金。今回はいつもより少しだけ多いぞ。持って行って、家族を喜ばせてやれ」
銭の入った袋を渡される。
「うん」
白淵は笑顔で頷いた。

13:のん◆Qg:2018/03/17(土) 20:28

重大な間違いを発見
>>10で、
×「それ程大量の米を納めてしまったら、私共は生活ができません。この村では、本当に毎回七割もの米を出さなくてはならないのでしょうか」

◯「それ程大量の米を納めてしまったら、私共は生活ができません。この村では、本当に毎回六割もの米を出さなくてはならないのでしょうか」



×「これが国からのお達しだ。どうだ、ここにちゃんと七割と書いてあるだろう。ほら、大臣殿の印まである」

◯「これが国からのお達しだ。どうだ、ここにちゃんと六割と書いてあるだろう。ほら、大臣殿の印まである」

14:猫又◆j.:2018/04/18(水) 23:36

冒頭の文章が長ったらしいし、
インパクトがまるでない。

ずっと説明聞いてるみたいでつまんない。
全体的に文が見づらいし、
何より景色とか雰囲気とかまるでないから
感情移入できないし、作品として味がない。

……のは、スレッド6番目ぐらいまでかな。

こんにちは、のん様。
猫又です。
冒頭から罵詈雑言ですね。
どうぞ恨んで下さいw

さて、ここまでが初めてこの作品を読んだ時の感想です。
ちょっと冒頭の文章がまどろっこしくて
ちょっとゴチャ付いたというか、読みにくい印象を受けました。
それについては後述しますが、それ以降はというと……。

読み返すと温かみが滲み出る。
感情描写も派手さもない
淡々とした文章の中で、
なぜか主人公、白淵を始めとした登場人物達に心惹かれ、
同時に心に温かいものが溢れてくる。

登場人物たちの一挙一動が染みゆくように面白かったです。
勉強になります。ありがとうございました‼

いやー名作です。
冒頭であんなこと言っておいてなんですが名作です。はい。

私、表現力とか印象とか読みやすさとか、
カッコよさとかロマン……とにかく見た目重視の演出派なので、
このシンプルさで、この面白さとか……
書けないです。はい。

登場人物が庶民的で共感があるので多くを語らずとも共感できる。
行動の中に趣がある。(暁光と白淵の出会いから共感の部分とかグッ…と来ました)
それは分かるんですけど……。
逆にどうやったらそんな物語が思いつくのか、
教えてほしいです。切実に。

というわけで『飾らないシンプルな良さ』+『すばらしいストーリ性』がこの作品にはあると思うんですけど、
やっぱり所々インパクトに欠ける部分はあったかなって思います。
特に冒頭はもう少し……うーん。って部分があったので、アドバイスという名目で
冒頭の『どうして』から『ううん』まで勝手に手直ししちゃいたいかと思います。
(あくまで私のやり方です)

15:猫又◆j.:2018/04/19(木) 00:02

どうして生きるべきなのか。

母が死んだばかりで以前にも増して生活が厳しかったその頃、白淵は父にそう尋ねたことがある。
父とひとり息子だけの家族となり、当時六歳であった白淵にとって、
母親という大きな心の支えを失ったことがなによりも辛かったからだ。

そして、その悲しみは父も同じに思えた。
そんな大きな悲しみを抱え、暮らしでこんなに苦しい思いをして、
どうして父は必死に生きようとするのか。
およそこのようなことを思い、白淵は尋ねたのである。

父は少し驚いたような声で「淵、そりゃあお前」と言った。
「生きることは、試練だからだよ」
「試練?」
「そうだ。生まれた時に課される試練だな。母さんのように死んでしまった大切な人たちに見守られながら皆、この試練を乗り切るんだ」

ややあって父が口を開く。
「なんだ。お前もしかして、もう死んでしまいたくなったのか?」
「ううん」

と、こんな駄文書いてまで提案したいのは3点。

1 頭のインパクトで読者を引き込む
『どうして生きるべきなのか』作品のテーマであるこの一文を頭にドーン! と、置いて、
読者を引き込む作戦。作品をぱっと見た時にこんな一文あったらドキッとしますよね。

2 細かく文を切り離す。
見どころに『一レスの内容量が多い所』と書いてあったのでもしかしたら嫌かもしれませんが、
句点(。)で改行したり、1、2行スペースを開けてはどうでしょう?

もちろん本当の文庫本では詰めるのが正しいのですが、
ここは掲示板ですし、やはり「文章が詰まってると読む気が……」という人もいるかもしれないので。
それにのん様の場合、一文一文が輝いてますので切り離して飾るように書いても……いえ何でもありません。

3 セリフの内容。
ちょっと父親のセリフが長かったかな、って思います。
特に途中で三点リーダ(……)沈黙が入ってること。沈黙している間に一度会話が切れているので、そこで何か父親の表情とか変わってないのかなーって思いました。
あと全体的にセリフの読点(、)が多い気がします。一度セリフを読んで息継ぎする所、読みにくい所に打ってみて下さい。

と、大した事ではないですが、そこがちょっと気になった所です。
一人で熱くなって大変お邪魔なのは分かってるんですが……。
冒頭で読む気が失せてこの作品の本当の面白さに気づかない人がいるのは、
かなりもったいないので。……スミマセン。

とにかく、本当に面白かったです。
続き。待ってます。

お邪魔しました。では〜

16:猫又◆j.:2018/04/19(木) 00:17

あ……手を加えたとはいえ、
駄文とか言ってました。
本当にゴメンナサイ……。

17:のん◆Qg age:2018/04/22(日) 11:29

>>猫又様
的確かつ丁寧なご指摘、本当にありがとうございます。
恨むだなんて、とんでもありません。
昨日、改めて一から自分の作品を見つめ直しました。

1:確かに、読者を引き込むべき冒頭での文章が見辛く、インパクトが欠けておりそこが最大の欠点であると気が付きました。

2:はい。このご指摘を受けるまで私は正直なところ、あくまでも「小説」であるということに固執し、文の間を開けるということに多大な抵抗を感じておりました。しかし、私の自己中心的な感じ方をこの場に押し付けるのは誤りだと思えるようになりました。ありがとうございます。今後は見やすさを優先し、適度に間隔を取ります。

3:このご指摘は目から鱗でした。その通りですね。台詞の切れ目の感覚を上手く掴めず、悩んでいた所だったのです。自分自身で声に出すことで、長さの不自然さを改善していきます。

一旦切ります

18:のん◆Qg age:2018/04/22(日) 11:53

>>16
お褒めいただきとても嬉しかったです。いえ、むしろ大変参考になる手直しに感謝しております。

私は以前のように自分の文章を卑下するのは止めました。自分の文章を自分自身が理解し認めていないと、続けられる訳はないと思うからです。
また「揺天涯」は一回毎に思い入れのある作品なのでしっかり人物らと向き合って執筆していきます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

19:のん◆Qg age:2018/04/23(月) 22:10

「これだ」
走りながら白淵は興奮気味に呟いた。
「これだったんだ」
家へ帰る途中である。普段よりやや多い賃金を受け取ったこともあって、彼の喜びは増していた。
思わず笑顔になってしまう。それ程の喜びだ。

一刻も早く家に帰り、父を喜ばせたい。
そんな気持ちから最後は全速力で駆けていた。
家の入り口まで辿り着く。
「今帰ったよ」
息を弾ませながら中に飛び込んだ。
だが、そこに父は居なかった。
代わりに暁光が飛びついて来る。
「暁光!」
白淵は暁光の鼻面に、自分の鼻を合わせて叫んだ。

「これだったんだよ!」
その大声に暁光は少し驚いたようだ。喉を鳴らし、不思議そうに白淵を見つめている。
「科挙!私がすべきこと!」
興奮のあまり次から次へと言葉が出る。
「今の役人が駄目な奴らならば、私が役人になって世の中を変えればいいんだ。どうして今まで思い付かなかったんだろう!」
白淵は一度犬から鼻を放した。
その顔には恍惚の表情が浮かんでいる。

そしてすうっと息を吸うと、再び暁光に顔を近付けた。
「暁光。父さんがね、言ってたんだ。今の環境に文句をつけるよりも、まずは自分が変わる努力をしろって」

不意に言葉が途切れる。
白淵は目を閉じ、以前の父との会話を思い出していた。

20:Romania◆Qg:2018/06/30(土) 23:29

また再開する予定なので、上げる

21:Romania◆Qg:2018/07/03(火) 21:44

それは白親子が村に移住して半年ほど経った時のことだった。

「淵、どうした」
父の声が頭上から降ってきて白淵はびくりと肩を震わせた。
家の裏の大木の下。先程までずっとこうして俯き膝を抱えて座り込んでいたのだ。

嫌なことがあった。といってもくだらない事だ。
この邑の保正の長男に名指しでからかわれたのである。
村自体があまり裕福とは言えないのだが、当時はその中でも特に移住して来たばかりの白家の貧窮が際立っていた。それを皆の前で馬鹿にされたのだ。皆もくすくすと笑っていた。
村の子らの仲間になることができて二か月ほど経つのに、このようなふとした時に感じる疎外感はずっと消えないままだ。

仕方がないじゃないか。私だってなりたくて貧乏になっている訳じゃない。少しでもこんな生活を良くするために父さんも私も精一杯頑張っているんだ。暁光だって。お前らなんかに今までの私達の苦労が分かるものか。

その時を思い返した今になって怒りが込み上げてくる。こんな自分も情けなかった。

そしてその長男は白淵に向かって、田植えもろくに出来ない父親を持つなんてお前は不幸だと言った。

あの時殴りかかってやれば良かった。
父さんを馬鹿にするな。そう大声で叫んでやれば良かった。
父を侮辱されたことが一番悔しかったのだ。

けれどその時の白淵にはそのどちらも実行出来なかった。ただ悔しくて、自分を侮辱した相手のことを憎み、そして自分を笑っている周りの子らから顔を背けて黙っていただけだった。

皆に笑ってほしくなかった。いつもは仲良くしてくれるのにどうして。どうしてこちらをそんな目で見ていたのだろう。

白淵はその時始めて集団を恐ろしいと感じた。
ほとんどの村の子らは普段白淵とよく遊んでくれ、また彼らの方から話しかけたりしてくれていたのだ。
それなのに大勢が集まると突然こんな風に残酷になる。いつも穏やかな子でさえ集団の中だと冷ややかな視線を投げつけてくる。

もうこれ以上皆と上手くやっていくのは難しいかもしれない。
そんな不安も今日あの事があって以来白淵にまとわりついて消えなかった。

22:Romania◆Qg:2018/07/04(水) 21:07

そのような事があったので、白淵は家に帰るなり真っ直ぐこの場所まで来たのだ。

この木の下は落ち着く。

白親子の家は村の一番端にある。だからこの木より後ろには人の気配はない。ただ森が広がっているだけだ。

この場所は静かで、そしてなんだか優しい。

白淵はそんな風に感じていた。悲しい事があると大抵この木の下に来るのだ。家の裏は森のせいもあってほとんど陰になっている。しかしだからこそ晴れている日には木漏れ日が降り注いで、他の場所よりもより一層美しくなるのである。

「おい、顔ぐらい上げたらどうだ」

再び頭上から父の声が聞こえた。

上げたくても上げられないんだよ、父さん。

心の中で答える。しばらく白淵が何も言わないようにしていると、父は面白そうに笑い声を上げた。

「ははは、黙っていてもこっちにはお見通しだぞ。お前、泣いていたんだろう」

ぎくりとした。その通りだったのである。
実は俯いた顔からは涙が流れたまま乾いておらず、鼻をすするのも父がここに来た先程から我慢していたのだ。目も恐らくまだ腫れているだろう。

こんな情け無い姿を、特に今は父に見られたくなかった。

声を上げないようにしていたはずなのに。なぜ父さんは分かったのだろう。

白淵は観念して顔を上げた。同時に思い切り鼻をすする。
父が目の前に立っていた。膝に両手を当てた中腰の姿勢でこちらを見ている。
さっきよりもだいぶ日陰が狭くなったなと思った。

23:のん◆Qg age:2018/07/19(木) 21:01

「父さん」

白淵は口を開いた。父はなんだと応える。

「何があったのかだけでも話してみろ」

父の声と共に木の葉がそよ風に吹かれる音がした。真夏の青々とした葉が2、3枚地面に落ちる。父は続けた。

「そうすれば少しはお前の気も晴れるんじゃないかな」

父の目はしばらく葉が落ちる様を追っていたが、やがてゆっくりとこちらに向けられた。

「そのまま」

白淵の言葉はほとんど彼の口の中だけで発せられた。

「何だって?」

父が聞き返してくる。

「父さん、そのままそこにその姿勢で立っていて下さい」

「そうすればお前落ち着くのか?」

不思議そうな顔の相手に白淵は首を横に振ってから淡々と答えた。

「いいえ。ただそうしたら日陰が丁度私の所に来て、いい具合なんです」

すると父は一瞬きょとんとした表情になり、それから大笑いし始めた。

「あっはっはっはっ、何だお前、まだそんな風に抜かす元気があるんじゃないか。心配してちょっと損した気分だぞ」

尚も父の笑いは止まらない。

「なっ、何がそんなにおかしいんだよ?!」
白淵の方としては戯言を言ったつもりはなかったので、父の反応に半ば困惑した。

「だって今泣いたそばからそんなこと真顔で言える奴があるか、あははははは」

父は笑い過ぎて目に涙まで浮かべている。

「何だって言うんだよ、父さんまで私のことを馬鹿にして笑うのか」

もう何もかもが嫌だと思った。白淵の目からまたしても涙が流れてしまう。

「ははは、すまんすまん。そんなに泣いてくれるな淵」

ほら落ち着けって。父は笑うのを止めてそう言った。

24:のん◆Qg age:2018/08/08(水) 06:33

「実は」

ゆっくり顔を父の方へ上げて言う。

「父さんに謝らなくちゃならないことがあるんだ」

その言葉が終わるか終わらないかの内に父があっと大声を上げたので、白淵は仰天して思わず尻餅をついてしまった。

「淵、やっぱりアレはお前の仕業か!」

父はそれにも構わず、ずいと鬼気迫った表情をこちらに近づけてくる。

「あ、アレとは」

だが父があの場面を覗き見でもしていない限り、今白淵が謝りたい案件について知るはずもない。
一体何のことだと困惑しつつ訊ねると相手は鼻息荒く答えた。

「野菜饅頭九つ!腐らぬ内に朝飯に食おうと思って、今朝がた田畑の様子を見る前に卓の上に置いておいた。しかも包みのままでだ」

今度は白淵があっと叫ぶ番だった。


野菜饅頭というのは、白家が町の饅頭屋に頼んで作ってもらっているものである。
そこで使用されている野菜は白家で育てたものだ。

山中暮らしであった親子にとって畑を耕す作業は手慣れたもので、米作りと並行して野菜も作っていた。
だが当然のことながら、以前のように自給自足が可能になるというところまで量を栽培するのは不可能である。

そこで父は悩んだ末、育てた野菜をすべて食材として直接町のいずれかの食べ物屋に買い取ってもらうことに決めたのだ。卸売は通さない。
というのも、これは税として納めない代わりに野菜を売って得た収入の半分を保正に渡すという条件付きで通った話だったからだ。
この交渉でも役人らになけなしの金を握らせねばならなかった。

そしてその食べ物屋というのが町の饅頭屋、満譫が営む店である。当時彼はまだ二十代半ばと若年で両親から店を引き継いだばかりであった。

結果父のこのやり方は大当たりで、予想以上の利益が白家に入ることになる。そしてこれはまだ米作りに不慣れだった親子にとっては貴重な生命線でもあった。

とはいってもただの工夫の収入の半分以下くらいの額だ。要するにその頃の白家はそれくらいまで窮まっていたということである。

白親子が町まで行く折には、必ずこの満譫の店に寄り饅頭をただでいくつかもらっていた。
満譫は人の良い好青年で、親子の窮状を慮りいやな顔一つせずたくさんの饅頭をくれる。

父の言う野菜饅頭というのもその前の日に満譫からもらってきたものだった。

25:のん◆Qg age:2018/08/14(火) 15:17

思った通りだ。
父は怒ったような声でそう言い頷くと、そのまま額を白淵に突きつけた。

「それで?アレらをどこにやったのだ淵」

答えていいものか一瞬躊躇する。目を泳がせてみたが父には通じなかったようだ。逆に早く言えと急かされてしまう。
そこでとうとう白淵は白状することにした。

「今日遊ぶ時、お前が何か食い物持って来いって皆に言われたから・・・」
相手の目が見開かれる。
「ま、まさかお前」
「全部食べられてしまいました」
ああ、と声を上げ、それから父は力が抜けたように白淵から顔を離した。
「分かった。聞きたかったことはそれだけだ。饅頭についてはもういい・・・」


「饅頭の話で思い出した。父さん、私が謝りたかったこと聞いてください」
ついさっきまで言い辛かったことのはずなのに、いつのまにか白淵の方からあの話を切り出していた。

すると父は突然愉快そうに笑ったのだ。
「あははは、やっと言う気になったか」
先程までの落胆ぶりが嘘のようだ。

白淵はその変わり身の早さに驚き、どうしてと尋ねようとしたがはたと気がつく。
「父さん、ひとしばいうちましたね」
代わりに得意げな顔で言った。それに相手は少し驚いたらしい。
「おっ。五つのくせに難しい言葉使うじゃないか。どこで覚えてきた?」
「この前満譫から。転んだふりして嘘泣きしたんです。慰められれば饅頭もっとねだれるかと思って」
父は呆れたように腰に手を当てて首を振った。

「淵、お前なあ・・・まあその通りだ。お前言い出し辛かったんだろう?」
白淵はこくりと頷く。
「でも少し気持ちが楽になりました。父さんの饅頭の話のおかげなのかな。話しやすくなった気がする」

それなら、と言いながら父は白淵の隣に腰を下ろした。
「何があったのか話してみろ」

今度ならうまく話せる。
そう思ったから白淵は再びこくりと頷いた。

26:のん◆Qg age:2018/11/19(月) 22:52

久しぶり再開する予定なのでage
ここから、前よりも一節を短く区切ることに致します。


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