手の焼ける男(物理)

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1:風李蘭:2020/07/20(月) 11:15

襲われる心配もなく外出できて、友達と会えて、腹いっぱいにご飯も食べられて、YouTubeを見て寝て次の日を迎える。
何の変哲もない、当たり前の日常だろう。

そんな安穏を、手に入れたくても手に入れられない人がいる。
流れ星に願っても、サンタに頼んでも、七夕の短冊に書いても、初詣で祈っても、手に入れられない人がいる。


今でこそ平凡な生活を送れている僕だが、あの時の血と泥の味を忘れられずに生きている。

2:風李蘭:2020/07/20(月) 11:18

来田熾央(らいた しおう)。

今年で19歳になるこの青年は、幼い顔立ちに不釣り合いなほど波乱万丈な過去を背負っていた。
彼の人生で伝記を作るなら、前半は下手なB級映画より濃い脚本ができるだろう。
しかし後半は驚くほど平凡で、映画にするにはつまらなさすぎる人生だ。

「来田、配達行ってこい!」

なぜなら現在は、ピザ屋で店長にコキ使われてはヘコヘコしている、どこにでもいそうなフリーターとして生きているからだ。



「えぇ〜僕無免許ッスよ! バレたら俺と店長の首がお陀仏ッスよー」

まさかこの軟弱そうな男子大学生が、壮絶な経験を背負ってきたなんて誰も思いはしないだろう。
強面の店長も例に漏れず、"ただのヘラヘラした大学生"として見下し、パワハラじみた扱いをしていた。

「無免許がなんだってんだ! 俺ァ15で不良と呼ばれてな、盗んだバイクで走ったもんだぜ」

ギザギザハートな武勇伝を得意げに語る店長に、熾央は一瞬だけ蔑みの視線を向けた。
人の目を見て話さない店長はそんな些細な変化に気がつくことも無く、相変わらず人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべているだけだ。

「ヘラヘラしたナリしやがってよぉ!配達行かねぇってんなら、今月減給だからな!」
「減給!? それは痛てぇ……あーもう行ってきます!」

三食パンの耳で食い繋ぐフリーターにとって減給はかなり辛い。
熾央はしぶしぶタブレットと商品のピザを受け取ると、スクーターの並ぶ駐車場へと向かった。

3:風李蘭:2020/07/20(月) 14:13

「……あのクソ店長、クリーニングしたてのシャツにケチャップたっぷりのピザ落として絶望しちまえばいいのに」

文句を垂れながらも、渡されたタブレットに表示された配達先を確認する。

「メージュビル25階……美富命充(みとみ めいじゅ)社長……あそこのビルか」

遠くからでも一際存在感を放つ超高層ビルを見据えて、熾央は不慣れながらもゆっくりスクーターを走らせた。


彼の住む秦尾市には、世界的に有名な医療器具メーカー"メージュ"の本社ビルがある。
義手や義足の世界シェアはトップで、世間に疎い熾央でも会社名は知っていた。

5年前──2025年に終結した"世界連盟大戦"で手足を失った軍人が、メージュ製の義手を使用したことから知名度が飛躍したのである。
終戦後の年間売上は50億ドルを超えると言う。

「メージュの社長だってどうせ、戦争はビジネスだとか言ってるジジイに決まってら」

社長にしては珍しく、メディアでの顔出しは一切しない為、熾央の想像する"美富命充"は椅子にふんぞり返ってピザを貪る、脂ぎった中年のデブだった。

1万円札を燃やして『どうだ明るくなったろう』とか言ってみたり、シルクを雑巾にするような贅沢をしているに違いない。
過去の記憶や店長の仕打ちから、権力者に良い思いを抱いていない熾央は、そんな偏見を思い浮かべていた。

特に熾央にとって"社長"は、母親の仇でもある。

4:風李蘭:2020/07/20(月) 14:16

『最終目撃情報のあった日から1ヶ月経過しましたが、美香さんの足取りは未だ掴めず──』

バイクインカムから流れるラジオの時報を軽く聞き流していると、女性アナウンサーが読む不穏なニュースへと切り替わった。

「最近多いな……行方不明者」

数ヶ月前から秦尾市では、月に三度のペースで行方不明事件が起きていた。

主に10代から30代までの比較的若年層で、男性も女性も見境なく行方を眩ませている。
誘拐の疑いが高いが目撃情報や手がかりもなく、事件(?)は依然として膠着状態だった。
出歩きたがらない人が増えたので、その分デリバリー業の売上げは芳しいが。

大半の住民が平凡な日常を繰り返すこの市で、少しずつどこかが狂い、ズレ始めている。
きっと裏では、一市民の考えにも及ばないような"おぞましい何か"が起きている。
かつて平凡から遠い生活をしてきた熾央は、敏感にそれを感じ取っていた。

5:風李蘭 hoge:2020/07/20(月) 17:50

閑静な住宅街の入り組んだ道に入ると、熾央はより強く平和を実感した。
小鳥がさえずり、主婦の井戸端会議と子供がはしゃぐ声が聞こえる、そんな平和。

「せっかく平穏な日々を手に入れたんだ……」

貧乏でもいい、バイトしてパンの耳食いながらYouTube見る、無機質な毎日の繰り返しでもいい。
このまま日本で平和に暮らして、味蕾に染み付いてしまった血と泥の味を忘れたい。
思い出すだけで嘔吐しそうな、排泄物と死体と火薬の混じった臭いを忘れたい。

いつまでも消えない、過酷な記憶に思いを馳せていた時だった。

「ゥウ……ワン! ヴァッヴァッ!」

突如、熾央の行く手を阻むようにして、白いポメラニアンがトコトコと車道に飛び出した。

「……へっ? ゔぉい! そこの犬! 危ねぇッ!」

ポメラニアンは舌を出しながら、ゼェゼェと短い足で車道を走り回る。
とてもブレーキが間に合う距離ではなかった。

「クッソ、この毛玉野郎ッ!」

口は悪いが、ハンドルを握る熾央の手はポメラニアンとの衝突を避ける為に、本来直進するべき十字路を強引に左折していた。
なんとかギリギリ犬との衝突は避けられたが、次の瞬間、またもや災難が熾央を襲う。

キィィッと甲高いブレーキ音に反応してすぐに顔を上げると、目の前でトラックの運転手と目が合った。
相手の極限まで見開かれた黒目には、間抜けな顔をした熾央が映し出されている。

「嘘だろ──!?」

割れたヘルメットの破片が飛び散る。

熾央が朦朧とした意識で最後に見たのは、青空をバックに空中でくるくると舞うピザだった。

6:風李蘭:2020/07/21(火) 00:50

「うーん……誰にしよう……」

一方、配達先であるメージュビル25階社長室では、一人の女性が険しい顔で履歴書の束を見つめていた。

まだ成人したての彼女だが、堂々と社長の椅子に足を組み、どっかりと腰掛けている。
彼女こそ、若干20歳にして世界的医療器具メーカー"メージュ"社長の美富命充(みとみ めいじゅ)である。

「支倉(はせくら)さん、秘書募集したんだけどすげー量の履歴書で選べねーよ……」

命充は気が滅入るような履歴書を、白衣の男に押し付けるようにして渡した。
支倉と呼ばれた男は履歴書を受け取ると、パラパラと捲ってザッと目を通す。

「有名大卒に帰国子女、一流企業の元社員……優秀そうな人材だと思うけどな。社員はどーゆー人材をご所望なわけ?」

大企業の社長秘書というだけあって、他社では喉から手が出るほど欲しがるような人材がこぞって応募しているが、社長の顔は曇ったままだ。

7:風李蘭:2020/07/21(火) 01:01

「うーん……なんていうかこう、強くて信頼できて、鋼のメンタルを持つ特撮ヒーローの主人公みたいな人材」
「絶滅危惧種をご所望かよ。紗宵(さよい)の理想の結婚相手よりレアだぜ?」

支倉は、奥の方でデスクワークをする女性に視線を向けた。
紗宵と呼ばれた女性も支倉と同じく白衣を纏っているが、その下はメイド服というちぐはぐな組み合わせである。

「なっ、アタシはそんなワガママじゃないわよ!」

それまでパソコンとにらめっこを決めていた紗宵だが、支倉の言葉に激昂して怪獣のぬいぐるみを投げつける。
支倉は軽く避けると、涼しげな顔でパイプをふかした。

「どうだかな。毎日毎日コスプレで出社しやがって」
「いーでしょ別に! ていうか、服が煙臭くなるから社長室でパイプ吸うのやめてくれないかしら?」
「工具のオイルだって臭うじゃねーか! 臭い気にするなら技術顧問辞めちまえ!」
「質のいい潤滑油はベルガモットの香りがするの!」
「嘘つけ!」
「それに毎日毎日受付嬢に手出して不愉快だわ! 何のために出社してるわけ? 支倉(はせくら)じゃなくてただのセクハラじゃない!」

医療部門の技術顧問である支倉と、工学部門の技術顧問である紗宵は日々口論が絶えない。

二人とも黙っていればただの色男とナイスバディな美女なのだが、色々と残念だ。
支倉は女好きだが女運が悪く、恋人は常に死ぬか裏切るか寝盗られるかで、一年以上関係が続いたことは無い。
紗宵は紗宵で、毎日高クオリティなコスプレで出社しては、機械に名前を付けて会話をするので変人のレッテルを貼られている。

8:風李蘭:2020/07/21(火) 12:06

折り合いの悪い二人を仲裁するのが命充の日課となりつつある。

「二人とも落ち着け。支倉さんは医者の癖にパイプ吸い過ぎだし、紗宵さんはTPO考えて!っていうかピザ来るのおっそ!?」

命充はつい2時間前に電話でピザのデリバリーを注文していたことを思い出したのだが、ちょうどその頃は配達を担当していた熾央が事故に遭遇している為、届く訳がなかった。
命充の注文した激辛ピザもアスファルトに散乱している。

「諦めて外のコンビニで買ってきたら? 冷蔵庫の中も空だし」
「紗宵さん……簡単に言うけどこっから下降りるのメッチャ大変なんだからな!?」

わざわざ25階の社長室から下りてコンビニへ向かうのも億劫で、雑用を頼んでいた秘書も寿退社してしまっている。
内線で連絡すれば社長室まで届けてくれる社員食堂や売店も今日は休みだ。
この後は医療器具を提供した病院への視察を控えているので、時間もあまりない。

「意地張ってないで"指紋魔法"使えよ」
「やっぱ"指紋魔法"を使うしかないか……」

支倉に促され、命充は右手に着用していた黒い革手袋を外した。

白を基調としたメタリックな塗装に、黄金のラインが眩しい義手が現れる。
彼女の肩から伸びているのは決してパワードスーツの類ではなく、正真正銘、彼女の神経と繋がって動く義手である。

「私利私欲の為に使うのは気が進まないけど……!」

命充は義手である右手でポケットから100円玉を一枚取り出すと、コイントスをするようにして100円玉を弾いた。

9:風李蘭:2020/07/21(火) 12:08

天井スレスレまで飛んだ100円玉から、独特な指紋の形が浮かび上がる。
まるでファンタジー映画などに出てくる、魔法陣のCGのようだった。

「……=天秤(イコール・バランス)」

命充が静かに呟くと、100円玉は空中で瞬時にサンドイッチへと姿を変え、命充の手元に落下した。

「さすが……触れた物を同価値の物と交換できる指紋」

一連の鮮やかな魔法を見た支倉は、感心したように呟く。

「多分今頃100円玉は売店のダンボールの中だぜ。販売員のおばちゃん気づくかな。まぁいいや、いっただきまーす」

サンドイッチの包装をバリバリ破りながら呑気に語る命充の右腕は、命充の父である先代社長が事故で右手を失った命充の為に開発した物だ。
特殊な金属で作られており、指先には指紋型の魔法陣が刻まれている。

先代社長は5本目の魔法の義手の制作に取り掛かったまま、4本の義手と共に失踪した。
指紋の力を狙った者の仕業なのか、自主的にフラッと旅に出たのか真偽は定かではない。
唯一の手がかりである置き手紙には、"義手は世界のどこかにある"とだけ走り書きされていた。

義手を追うことが先代社長を見つける方法だと思った命充は、指紋の力を狙う勢力とぶつかりながらも義手の行方を追い続けている。

「今も世界のどこかにある……残り4本の義手も見つけねーと」

命充が義手の掌を握って開く度に、ガシャガシャと機械音がした。

10:風李蘭:2020/07/21(火) 20:17

熾央は重い瞼をこじ開け、意識を取り戻した。
見慣れない天井に驚いて飛び起きると、左肘辺りに激痛が走る。
妙に軽い左腕に違和感を覚えて、冷や汗をかきながら視線を落とすと──

「えっ……ゔえええぇええぇ──!?」

左腕が──肘から下が、綺麗にバッサリと無くなっていた。
ピザ屋の制服の袖から伸びていたはずの左腕は、忽然と姿を消したのだった。

「僕の手……えっ……なんでェ!?」
「あぁ良かった。目を覚ましたね、来田熾央君」

声がした方に視線を滑らせると、物腰柔らかな男性が、大きめのアタッシュケースを片手に引き戸を開けていた。
20代後半程の青年と呼べるような若さで、彫刻のモデルにでもされそうなほど整った顔立ちをしていた。

白衣を纏っていることから、医師であると推測するのはたやすい。
彼の手に嵌められたゴム手袋の独特な臭いが、熾央の鼻腔をくすぐる。

「僕の名前……」
「あぁ、学生証をちょいと拝見してね。大変だったよー、応急処置」
「すみません……ありがとうございます……」

医師曰く、非番だったので散歩していると偶然血を流して倒れている熾央を見かけ、自分の勤務する病院まで運んだという次第らしい。
トラックの運転手の姿はなく、いわゆる轢き逃げということだった。

「あの、警察に連絡しちまいましたか!?」
「警察には連絡してないよ」
「ありがとうございます……僕、無免許なんで……」

絶望と怒りの矛先をどこに向けたらいいのか分からない。
直接的な原因になったのは無垢なポメラニアンで、慰謝料を請求などできなかった。
脅されていたとはいえ、無免許で運転していたこちらにも非があるわけで。
強いて責任を追及するとしたら店長だが、それは後だ。

「とりあえず家族に連絡は必要かい?」
「いえ、別に……バイト先には後で自分から連絡しとくッス」

台に置かれていた自分のスマートフォンのボタンを押すと、画面はバキバキに割れているが辛うじて電源はついた。
しかし指紋認証しようにも、設定していた指紋を持つ左手を失っていたことに気が付き、焦りとため息が止まらない。

「あの、治療費は……」
「君、保険は?」
「……入ってないッス」

学費を納めるのに精一杯な熾央に、保険料の支払いができる猶予などない。
不幸なことに今回は自分に非もある上に警察沙汰にできないので慰謝料の請求も難しい。

11:風李蘭:2020/07/22(水) 11:56

「手、もう戻らないんッスか!? 僕手がねぇと仕事も出来ねぇし……っ」
「普通の義手をつけるとしたら100万はかかるよ」
「ひゃ!? 100万……ッ!」

民間の金融機関で借りようにも審査は通らないだろうし、かといって闇金に手を出しては利子が膨れ上がって破滅する。
けど腕が無ければバイトも出来ずに収入は途絶える、大学も中退、それどころか家賃払えず野垂れ死に。
熾央はそこまで思考を巡らせると、もう片方の手から汗が吹き出した。

「よりにもよって利き腕が切れるなんてツイてねぇぇぇ! ゔあ゛ぁ! もう僕の人生おしまいだぁあァ!」
「……君が良ければだけど、義手代タダにすることもできるよ」
「────は?」

鼻水と涙でシーツを濡らしていると、医師はカルテを記入しながら軽く言った。
おかわり無料ですよーくらいの軽いノリ、危うく聞き流すところであった。

「今、タダって……?」
「耳も治療が必要かな? 義手代タダって言ってるんだよ」

医師は幼児にでも聞かせるように、ゆっくりと言い直した。

「あっ……あああ怪しい! 義手代はタダだけど治療費100万とか、そんな詐欺にひっかかるような熾央君じゃあねぇッスよ! 貧乏人なめんな!」
「そんな狡猾な真似はしないさ。全額無料で付けさせてもらうよ……ただし実験台ってことになるけどね」
「実験台?」

熾央は訝しげに医師を睨んだが、彼は微笑み一つ崩さず答えた。

12:風李蘭:2020/07/22(水) 16:51

「義手に適合するかしないかは、装着するまで分からない。最も、適合失敗したら死ぬけれど」
「なんッスかそのデメリットしかない義手は!?」
「しかし適合すれば、リスクを補っても有り余るほどのメリットがあるのさ──魔法が使えるというメリットがね」
「……はぁ? 魔法?」

熾央が素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。
少なくとも彼の住む世界の中心は科学で、魔法なんてファンタジーの中の産物という認識が一般的なのだ。
魔法があるなんて言い張るのは、それこそガキか詐欺師か教祖くらいだ。
熾央はますます医師に疑いの目を向ける。

医師は抱えていたアタッシュケースをゆっくり開き、熾央に見せた。

「これは世界で5本しかない"魔法の義手"。メージュの初代社長が残した最高傑作さ」
「メージュって、医療器具メーカーの……!」

熾央はやたらと巡り会うメージュの存在に、何か引力のようなものを感じていた。
偶然と片付けられればいいが、なにか不穏な予感がするのだった。

「No.5……先代社長が最後に制作した義手」

開けられた箱を覗き込むと、そこには色が何も着いていない、真っ白な義手と鍵が一本鎮座していた。
石膏像のように無機質で艶もなく、空っぽのような手だ。

「まだ真っ白だけど、適合したらその人の持つ精神の色になるよ。辛い過去を乗り越え、強い精神力を持った者だけが義手に認められ、指紋が魔法陣となる。使える魔法は乗り越えた過去による」
「……うさんくさ。そんなアニメみたいな話があるかよ!」

あまりの馬鹿馬鹿しさに、熾央は吐き捨てるようにして叫んだ。
医師は気味の悪いくらい穏やかな笑顔だ。

13:風李蘭:2020/07/22(水) 17:15



「"手"って、素晴らしいと思わないかい?」
「……は?」

脈絡のない質問に、熾央は気の抜けた返事をすることしかできない。
熾央の反応の悪さなど気にすることなく、医師は続ける。

「このベッドも、テレビも、隣の高層ビルも、全て"人の手"が作り上げてきた物だ。もちろん機械作業もあるけれど、その機械を構成する部品だって元を辿れば人の手で作られているだろう? 」
「そ、うッスね……」
「私はそんな"手"を無償であげると言っているんだよ? 」

言いたいことは分からなくもないが、熾央としては段々と胡散臭くなってきた医師から一秒でも早く離れたい気持ちでいっぱいだった。

「あの……なんか怖いんで僕もう……」
「逃がさないよ、来田君」

医師はベットから出ようとする熾央を押さえつけると、ベット脇に備え付けられているボタンを押した。

ベットは怪しげな機械音を発し、次の瞬間、熾央の右手首と両足首は、鉄の枷によってベットに縫い付けられた。
唐突すぎる展開に、自分が拘束されたと気がつくまでタイムラグが発生した。

「なっ、どういうつもりッスか!? 」
「暴れないでね? 手元が狂うからさ。せっかくの実験体だ……傷つけたくない」
「話聞けや! 先生こそ耳の治療した方がいいんじゃないんッスかね!?」

医師は相も変わらず優しそうな微笑みを浮かべてはいるが、やろうとしているのは不合意の上での人体実験だ。
大声を出しても看護師や他の医師が飛んでくる気配はない。

14:風李蘭:2020/07/22(水) 21:34

「死ぬかもしれない義手なんか付けたくねぇッス!」
「死なないかもよ? 君に強靭な精神力があればの話だけど」
「やめ、ろ……っ! 離せ!」

医師は熾央の肘を掴むと、熾央の腕に巻きつけた包帯をしゅるりと外した。
まだ重みのない義手を熾央の左肘に宛てがい、義手の鍵穴に鍵を差し込む。

「やめろ! ふざけんなッ!」

医師はトドメと言わんばかりに、ガチャリと鍵を回した。
文字通り手も足も出ない熾央に止めるすべもなく、義手はピタリと熾央の左腕を侵食していく。

「ゔあ゛ぁあ゛っ──!」

次第に腕が焼けるように熱くなり、鉄でも溶かしたかのようなオレンジの光が病室中を満たした。
身体中の血液がマグマにでもなってしまったかのような熱さに意識が飲み込まれそうになる。

「あ゛っつい……!? なんッスかこの義手……! 身体中が……っあつい!」
「はぁ。今回"も"ダメか……」

"も"という言葉に、熾央は意識を失いそうになりながらも反応した。

15:風李蘭:2020/07/23(木) 01:32

「まさっか……ッ、僕以外にも……!?」
「この市の若者を何人か攫って、腕を切って適合者を探したよ──まぁ、みんな精神力が脆弱だったから、義手に選ばれずに死んだけれど」

熾央の脳内にラジオのニュースがフラッシュバックした。
こともなげに言い放たれた一言に、熾央の熱はさらに加速する。

「……最近の行方不明者は、アンタの人体実験の為に……!?」
「そうかもね」

熾央の"嫌な予感"は的中してしまったようだった。
平穏な日々を営む町の隙間に入り込んだ悪魔。
背後に潜む影として平穏に暮らす市民達に忍び寄より、少しずつ町を狂わせていく悪魔だ。

16:風李蘭:2020/07/24(金) 00:52

「適合者しないということは、どこにでもある平凡な命ということだ。一つや二つ無くなったところで世界は変わらない」
「ふざけ……な……ッ!」

数々の命がこの手からすり抜けていくのを見届けた熾央にとって、命を弄ぶような発言は何よりも許し難いものだった。

「命は平等……なんて綺麗事はよしてくれよ? この世には何百人ものSPに守らせる命もあれば、戦場で弾としてあっけなく散る命もあるんだ 」
「お前な……んかに、何……が……ッ……! ゔあっ!」

あまりの憤りに罵倒の一つでも飛ばそうと思ったが、熱で肺が火傷したのか呼吸すらままない。
叫びは嗚咽に変わるだけだった。

17:風李蘭:2020/07/24(金) 00:53

「近頃の若者はさァ、精神力が弱いんだよ……言われるがまま義務教育を受けて、なんとなく地元の高校に進学して、そこそこ手を抜きながら指定校推薦とって、大学の授業も最低限の単位分だけ。君もそんな平凡な輩の内の一人だろう? なァ!?」

なかなか適合者に巡り会えず苛立ちを貯めていた医師は、熾央を煽るように嘲笑う。
熾央は医師の充血して血走った目を睨みつけながら、なんとか喉を動かした。
その顔は苦しみの中でも、少し微笑んでいるようだった。

「いいじゃないスか──平凡で……。少なくとも僕は──僕は、そんな人生……送りたかっ……ぁ」

熱で潰れそうな声帯からは、干からびたような声しか絞り出すことが出来ない。
それでも熾央は言葉を紡いだ。

「僕は──僕は……そんな平凡な人生が……欲しかったんだ……」

全身の血が沸騰するような苦しみの中、走馬灯のように記憶を巡らせた。
瞼を閉じると、鮮明に祖国の光景が蘇る。

18:風李蘭:2020/07/24(金) 00:54

一年かけて大切に育てた畑の作物は、投下された爆弾で引火し、一瞬にして灰となっていく。

手足は真っ黒に煤けて、煙が肺を満たし、額からはとめどなく汗が滴り落ちる。
煙で痛くなった目をこすりながら、歩き続けた。

おぶってくれる父親も、手を引いてくれる母親もいない熾央は、一人小さな身体一つで戦火の中逃げ惑う。

積み重なる瓦礫を乗り越え、屍となった友を踏み越え、頽れては立ち上がる。
涙で火を消そうと、眼球がしぼむような勢いで泣きじゃくり、両手に涙を貯めては火にかけた。
お願いだから消えてくれと願いながら。

全てを失い、ふらつきながら逃げた最悪の夜が脳内を駆け巡る。


そうだ。
僕は全てを焼き尽くされたあの日、北極星に叫んで誓った。
僕はいつか、必ず平穏な日々を手に入れ、必ず幸せに死んでみせると。
父も母も幸せに死ぬことができなかった、看取られることさえ許されなかった。

あの夜に比べたら、こんな熱なんかまだ──

19:風李蘭:2020/07/24(金) 16:27




「──ぬるい……」

歯が潰れるくらいの強い歯ぎしり。
熾央は伏せていた瞼を開くと、カッと目を見開いて医師の姿をその瞳の真ん中に捉えた。

「ぬるいんだよ……! 千の命を焦がしたあの業火に比べたら……ッ、こんな熱、残り湯より生ぬるいッ!」

石膏のように真っ白だった義手は指先から黒く染まり、マグマのように光るオレンジ色のラインが入った。
そして五本の指先には、指紋の形をした魔法陣が浮かび上がる。

「地獄の底で焦げ狂ってろ──!」

彼の手足を拘束していた鎖は赤い光を放ち、一瞬にして液体となって溶けだした。
熱の前では硬い鉄の面影などない、ただの水飴だ。

「驚いた……ただのヘラヘラした大学生かと思ったら、かなり強靭な精神力を持っているらしい」

強力な魔力の出現に、医師は畏怖するどころか興奮した様子で静観している。

「なるほど……君は火にまつわる過去を乗り越えたというわけか」
「……いーから今すぐ普通の義手に変えろ! その鍵で外せるんだろ」

拘束の解けた熾央はベットから立ち上がると、未だに余熱が冷めない手で壁を殴った。
真っ白だった壁は一瞬で大部分が焦げ、白い煙が立ち上る。

「せっかく適合したのに手放したい、と? 適合者はみんな喜んで魔法を受け入れたのに」
「僕の望む平穏な暮らしに、物騒な魔法は必要ない!」

誰よりも平凡でありたい男と、誰よりも非凡でありたい男。
そんな真逆な二人が衝突しないはずがない。

20:風李蘭:2020/07/25(土) 08:40

──時を同じくして、病院前。

命充は提供した医療器具の視察をする為、偶然にも熾央が運ばれた病院を訪れていた。

「全然人いねぇ……なんで入口閉まってんの?」

こじんまりとした診療所ではあるが、平日は常にお年寄が検査に訪れるはずだ。
しかし人の気配はなく、深夜の廃病院のような静寂さが漂っていた。
休院日というわけでもなければ、命充が視察の日程を間違えたというわけでもない。

どうしたものかと命充が困惑していると、突如ボトリと足元に何か赤い液体が垂れた。

「何!? 鳥の糞!?」

謎の液体はアスファルト上でじゅっと熱そうな音をたて、湯気を上らせている。
命充が急いで見上げると、すぐ真上の部屋の窓ガラスが赤い水飴のように熔けていく光景が目に入った。
熔けたガラスは外壁を伝い、地面へ滴っていく。

「は!? 何が起きてる!?」

病院の中へ入るべく自動ドアを叩いたが、電源が入っていないのか、ボタンを押しても反応はない。
厚い磨りガラスからは中の様子を伺うこどできず、もどかしさが溜まる一方だった。
胸騒ぎで暴れる心臓を押さえつけ、命充は手袋を外した。

「=天秤(イコール・バランス)!」

自動ドアに触れて指紋陣を発動させると、適当に自動ドアとほぼ同価値の万年筆に変換して扉を消し、病院へと駆け込む。

21:風李蘭:2020/07/25(土) 23:09

「どなたかいらっしゃいませんか……ぁぁあああ!?」

病院内では静かにするというのがマナーではあるが、命充が大声を張り上げてしまうのも仕方がない。

院内へ突入した命充が真っ先に目にしたのは、待合室の床で患者が折り重なるようにして床に横たわっている光景だった。
受付をしていた看護師2人も意識はなく、カウンターに突っ伏している。
命充が叫ぼうと、注意する者は誰もいないのだ。

「もしもし! もしもーし! どうしたんですか!?」

耳元で声をかけても返答はなく、返ってくるのは規則正しい寝息だけであった。
睡眠ガスの類を受けたのか定かではないが、何者かの仕業であることは明白だ。

「やっぱおかしい、この病院……!」

立ち止まっていても時間の無駄だと判断した命充は、例の窓ガラスの部屋を目指して二階へ駆け上がる。
二階へ近づくに連れて、ぶわりと激しい熱気が命充を襲った。

「あっつ! この熱は……あそこから漏れてるのか!?」

突き当たりのドアの隙間から、尋常ではないほどの熱気が漏れている。

「おい、一体何が……!」

勢いよく引き戸を開けると、命充の視界は陽炎のように歪んだ。

22:風李蘭:2020/07/26(日) 21:36

「ああ゛ぁ゛っづい! なんで! なんで熱が止まらねぇんだよッ!」

真っ先に命充の瞳に映ったのは、青年──熾央が床に這いつくばり、もがき苦しむ姿だった。

彼の手指からすり抜けていく溶岩のような液体は、つい先程まで金属だった手術用のメスだ。
刃物だった原型を留めていない。

「なるほど、義手が神経と繋がるまでは制御が難しいようだな……」

サウナ状態の診察室だというのに、涼しい顔をして静観する医師。
命充は一瞬目を見開いて唖然としていたが、すぐに固く唇を結んで睨みつけた。
誰よりもこの医師の業を深く知っており、命充がずっと追いかけ続けた因縁の相手。

「まだこの世にいたのか──燻風(いぶかぜ)!」

怒りでぶれた声が響く。
扉を開けられても無視を決め込んでいた医師──燻風だったが、名前を叫ばれてようやく命充の方を振り返った。

「メージュの社長……まさかこんな所で会うとは」
「やっぱりまだ人体実験してやがったな……この町の人達を使って……ッ!」

燻風(いぶかぜ)──それが医師の名だった。
最も、命充は人の命を弄ぶ燻風を、医師として微塵も認めてはいないが。
燻風は命充を無視し、地を這う熾央を見下ろした。

「来田熾央。義手に選ばれた君は、研究所の幹部として所属する権利があるが……どうする?」

檜のフローリングには、熾央が手で焦がしてできた手形が無数に散らばっている。
這いつくばった跡だ。

「協力するわけねぇだろ、この外道ッ! 僕の手を戻せッ!」
「その要求は呑めないな」

燻風はパイプ椅子から立ち上がると、おもむろに右手のゴム手袋を外した。
熾央と命充は、顕になったその手に息を呑んだ。

手首から下が赤黒い血のようなカラーリングの義手になっており、DNAの二重螺旋のような模様が入っている。

「やっぱり義手を付けてやがったな……燻風ッ」
「君の父上から、ちょいとNo.3を拝借してね」
「なにが"拝借"だ。どうせ強奪したんだろ!」

待合室で眠らされていた患者も、恐らく彼の指紋魔法によるものだろう。
未知数の指紋魔法の能力に、命充は警戒した姿勢をとる。
燻風は人体模型を見据えた。

23:風李乱:2020/08/18(火) 22:51

何度も申し訳ございませんが、ストーリーを大きく変えたので新しくスレ建て直します!
他サイトで2話まで執筆したものを載せていきます


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