ふしぎ遊戯♡ オリジナル小説

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1:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 13:22 ID:fZE

ここでは、知っている人じゃなくても、ふしぎ遊戯を知れる。そして、感動できる小説を書きたいと思います。

2:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:21 ID:fZE

序章 「再会」
レイカク山は、とかく夜の冷え込みがキツイ。
おまけに深い山林と、険しい丘陵。足場は言うまでもなく、最悪に悪い。
地元の山賊たちですら、こんな真夜中には、用事でもない限り足を踏み入れるのは避けるものである。
その凶暴な山に、しな垂れる大木を押しのけるようにして入り込み、無謀にも山間部を目指す者たちがいた。
「なあ〜、井宿〜〜〜〜!!!」
「・・・」
「井宿〜て!聞いとるんか、ボケぇ!」
井宿と呼ばれた青年は、振り返らない。否、振り返るつもりなど、毛頭ないようだ。その細く窄められた瞳で、ただずっと、掻き分けられた木立ちの奥を静かに見据えている。水色の長い前髪が、ふっと秋の夜風に揺れて、暗い闇の海を魚の如く泳いでいた。
「一体この先に何があるゆうんや!」
「しーっ。少しは静かについてくるのだ、翼宿。もうすぐなのだ、この奥の湖なのだ」
「湖イ〜〜!?それがどないしたんや。んなとこにこんな時間から、なんの用があんねん!」
翼宿は、静かにしろという彼のたしなめを、まるで聞くこともせず、いつもどおりの大音量の関西弁で、井宿の背中に向かって不満を投げつける。平素からの吊り目が、不機嫌によって、こころなしか更に鋭く吊り上っているかのように見える。井宿の背中を追いかけて、翼宿が小走りになると、その短いオレンジの髪の毛が、闇夜の中で燃える炎のように揺れた。
「ここに、いつもとは違う、気の乱れを感じたのだ」
「き〜〜〜〜〜!?木ぃなら、そこらに腐るほど生えとるがな!ほれ」
翼宿は、ちょうどすぐ眼前に聳え立った裸の木の幹を指差して、叫ぶように張り上げた声で、得意のボケをかます。
「だーっ!違うのだー!こんな時にボケるのはよすのだー!」
「いだっ?」
井宿は、持っている錫杖で、翼宿の頭に容赦なく突っ込んだ。翼宿は、頭に盛大なたんこぶを作り、その場にひっくり返って派手に倒れこむ。これもいつものお約束である。

3:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:22 ID:fZE

「なんだか、変な感じなのだ。気は確かに乱れているのに、辺りは静まり返っているのだ。おまけに、その気の正体がまるで・・・」
「なんや、また魔物が暴れとるんかい!?」
一年ほど前、魔人テンコウの企てによって、平穏を保っていたこの紅南国は、魔物と呼ばれる人外のモノに侵されていた時期があった。だが、それも無事に解決し、いまや再び元の平和を取り戻しつつあるというのに。
「・・・いや。魔物とは限らないのだ。だが、万一のことを考えて、翼宿を戦力として、ここまでこうして連れて来たのだー」
「連れて来たのだーっ、やないわ!阿呆ゥ、おのれ分かっとるやろ!俺らはもう朱雀七星士やないんやで!お前と違うて、今の俺は術もろくに使われへん。人間とか、動物相手やったらええけど、もしホンマに魔物との戦いやったら、魔封じ出来ん俺やのうて、他の術者の・・・」
「それでも、君は強いのだ。その鉄扇の炎が無くなったとしても、十分な戦闘能力があるのだ。おいらは、信頼できる仲間に、背中を預けたいと思ったのだ」
「・・・」
井宿の静かな声音が、静寂に凛と響く。
翼宿は、彼の真っ直ぐな視線を受けて、諦めたように、或いは腹をくくったかのように、ふっとひとつ息を吐いた。
「しゃーない奴っちゃな。そないな事言われたら、俺も退けるかい!・・・帰ったら上等な酒でも奢れよ」
「わかったのだ!」
あの戦いから、確かに時が流れていても、お互いの間の絆は消えてはいなかった。たとえ星に定められた仲間としての印が、もう失われてしまっていたとしても。

4:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:24 ID:fZE

濃い紺色を称えた、どこまでも続く闇のように深い湖。そのほとりにたどり着くと、二人は身構えて、気配を探る。いつでも対応が出来るようにと、井宿は錫杖をしっかりと構え、翼宿は、背に背負った鉄扇に、手をかける。
辺りは合いも変わらず静かだ。邪悪なものの片鱗も、まるで感じ取れない。静まり返った空気の中、翼宿は口を開く。
「なあ、井宿、ホンマにここで間違いないんやろな?」
「そのはずなのだ」
「せやけど・・・なんも」
おらんやんけ。と言いかけた、翼宿の言葉は口内で押しとどまる。目の前の濃紺色のはずのあの湖の水が、薄紅色に、見る見る染まっていくのだ。
異変に気づいた井宿は、錫杖を顔前に翳すと、二人の体をすっぽり覆うように、円形状の結界を張り巡らせる。
「井宿!」
「この状況では、こうするしかないのだ。もしかしたら、何かの術かも知れないのだ。下手に動かずにしばらく様子を見るのだ」
湖は、瞬く間に紅に染まった。そして、その中心で、更に深い赤色が、ゆらゆらと輝きながら、水面に浮かび上がってくる。まるで何者かが、深い水の奥から生まれ出でて、地上に現れんとするかのように。
「井宿、よう見てみい!なんや光の玉が・・・」
やがて、赤い光は、湖の上に浮かび上がった。その光の真ん中に何かの影が黒く、くっきりと浮かび上がる。
「なっ・・・!あれは、人の影なのだ!」
「なんやて?」
驚きのあまり、口をあけたまま固まっている翼宿を尻目に、次の瞬間、井宿は湖に向かって駆け出した。
「ちょお・・井宿!」
井宿は、翼宿の静止の言葉を振り切り、あっという間に湖にその体を沈め、赤い光から落ちてきた人間を、両腕でしっかり受け止めた。その瞳は、変わらず細く窄まれているのに、笑顔の仮面の奥の、彼の眼差しは、動揺と、戸惑いの感情に激しく揺れ動いていた。

5:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:25 ID:fZE

「おい、井宿、どないしてん?!」
まだ結界の中にいる翼宿には、井宿の様子がよく見えてはいない様だった。翼宿は、湖から、謎の人物を抱きかかえたまま上がって来る井宿に、すぐさま近寄る。
そして、その途中で異変に気がつき、思わず足を止めた。信じられない光景がすぐ目の前にあったから。
否、そんな現実は、信じられなかったから。
「嘘や、ろ・・」
声がみっともなく震えるのに、彼は気づいていた。
井宿も、その少女を先にまず地面にゆっくりと横たえると、焦りと動揺を滲ませた声音のまま、一言、こう言った。
「・・・美朱なのだ」

6:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:26 ID:fZE

第一章 「美朱」

美朱は、あの魔人テンコウとの戦いの後、鬼宿が転生した姿のタカと、共に現代に戻った。
その日もいつもと変わらず、二人の日常は、現実の世界でつむがれていたのだ。
勿論、二人の関係にも変わりはない。
ただ、大学生活が充実し出し、日々忙しくなったタカと、アルバイトを始めた美朱との予定が合わない日が増えて、会う時間が以前よりは減ったくらいである。
「寂しいな〜」
ここのところ毎日のように愚痴る美朱を、親友の唯は、飽きることなく優しくたしなめる。
「もう。ぼやかないの。今度の日曜には、また会えるんでしょ?もうすぐじゃん」
「うん。そうなんだけど・・・」
「やれやれ、今日はあたしも哲哉さんと約束があるから無理だけどさ。明日にでも、駅前の店でケーキおごってやるから」
何時までも嘆いている美朱の頭をぽんぽんと叩きながら、慰める唯の言葉に、美朱はぱっと顔色を変えた。瞳には光が灯り、これでもかと爛々と輝いている。
「ほんとーー?唯ちゃんっ。流石!持つべき者は親友!」
「ほんっとに現金ね、あんた」
いつもと変わらないやりとり。穏やかに流れていく、日常。そして、その中でも、色あせない日々の思い出が、美朱と、唯の胸のうちには、今でも残っている。

7:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:27 ID:fZE

「ただいま〜」
勢い良く玄関のドアを閉めると、母親のたしなめる言葉を無視して、どたばたと足音を響かせながら、美朱は、二階の自分の部屋に向かった。今日は、バイトもない。唯ちゃんも彼氏の哲哉さんとデートで、遊べない。大好きなタカにも逢えない。
こんな風に少し寂しくなったとき、学校で嫌なことがあったとき、母親とけんかしたとき、彼女はこの本を手に取る。そして、本の中で、大切な仲間たち「朱雀七星士」たちと撮った、一枚の写真をじっと眺めて、その冒険の日々に思いを馳せることが、今でもあるのだった。
「皆、元気かなあ・・・」
あの時、太一君は言った。
【今のお前たちなら、どの次元でも触れ合える】【望むなら、この四神天地書の世界にもいられる】と。
だが、仲間たちの暖かい後押しがあり、また、タカの支えがあり、こうやって美朱たちは、現代に戻ってきたのだった。あれ以来、天地書の中には、入ることは出来なくなった。そもそも、あれには、そう簡単には入れないのだ。こちらとあちらを繋ぐ媒体も、美朱は置いては来ていないはずだし、何より神獣の力が働かなくてはならない。こうしていると、この天地書も、ただの本となんら違わない。中身が、自分たちの成した歴史を書き綴っていたとしても。
ぱらぱらと無造作にページをめくって見る。そこここに覗く、仲間たちの名前、大切な人たちとの掛け替えのない記憶、思い出。すべてが愛おしい。
皆の顔を思い浮かべていたその時、最後のページに、何やら気になる文書を見つけた。
中国語がまったく読めず、せっかくの天地書が読めないのでは悲しいからと、兄や、唯に簡単な文法だけでも、教わっていたおかげで、その文章になんとか気づくことができたのだ

8:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:28 ID:fZE

「え、何、これ。今の本の中の出来事が、書き出されているの・・・?」
天地書は、もう主人公の巫女が居なくなって、普通の本に戻っていた筈なのに、新たな出来事が書き綴られるなんてことがあるのというのか。美朱は、その文章を声にして読んでみる。
「『翼宿、井宿、共に、山・・・湖に・・・向かう・・・邪悪な、何か、を・・滅ぼ・・と・・す?』どういうこと、二人が今、本の中で危ない目にあってるってこと?邪悪な何かって・・・」
だが、彼女には、ところどころしか、内容を解読することは出来ず、それ以上はわからない。
美朱は、思わずその場に立ち上がった。
「どうしよう、良く分からないけど、もしこれがホントだとしたら、二人が・・・」
だが、いくらいきり立ったところで、彼女にはもう本に入る術はなかった。しばらく立ち止まって、思考をめぐらせていると、妙案を思いつく。
「そうだ、お兄ちゃん!あれから四神天地書を調べてたお兄ちゃんなら、何か知ってるかも。それから、タカにも知らせて・・・!」
そうと決まれば、兄とタカがいる大学に行かなくては。悠長に待ってなんかいられない。すぐさま美朱は部屋を飛び出した。手にはしっかりと四神天地書を握り締めて。だが、あまりにも慌てていたのだろう。もともと落ち着きのなさは、定評のある美朱のことである。足がもつれてしまい、あろうことか階段を踏み外してしまった。
「っきゃ・・・・!」
そのまま、勢い良く、一直線に真下に落ちていく。
それは、時間にしたらほんの一瞬の出来事のはずなのに、まるで深く続く、暗い穴の中に滑り込んでいくかのように永い時間に感じられた。景色がぐるぐる激しく揺れていく。そして次の瞬間、後頭部に激痛が走ったと認識したときには、彼女の視界は、真っ白に濁ってしまったあとだった。
「いっ・・・・」
「美朱っ・・!?」
遠くで母が、悲痛に叫んでいる声が聞こえたような気がした。だが、その時には、美朱の意識はもうそこにはなかった。

9:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:30 ID:fZE

「おい、どういうことやねん!なんで・・・なんで・・・」
「・・・・」
翼宿の繰り返しの問いかけに、井宿はずっと押し黙ったままだった。なぜなら、彼にもその答えが分かりかねていたから。
突如、あの湖から光に包まれて飛び出してきた美朱は、意識を失っていた。翼宿は目を開かない美朱を背に背負って、井宿と共に山をただ黙々と下ったのだった。彼女を、アジトである山賊の屋敷に連れ帰ると、こうして自分の部屋に匿い、寝台に寝かせた。
「かなり衰弱してはいるが、生きているのは間違いないのだ。大丈夫。たぶん、眠っているだけだと思う。美朱が目を覚ましたら、詳しい話を聞くしかないのだ」
「・・・せやかて、美朱がこっちにおるっちゅうことは、たま・・・タカは?あいつもこっちに来とるんちゃうんか?」
「それも、わからないのだ。だが、あの時確かに気の乱れを感じたのだ。それが、どこかおいらの知っている気配に近いものだったから、気になってあそこに向かったのだが。まさか、美朱だとは思いもしなかったのだ。七星士で無くなってから、あちらの世界の住人である美朱や、タカの気配もつかみ取り難くなってしまったのだ」
井宿は、それきり言葉を閉ざしてしまった。
翼宿も、何も言わない。
重い沈黙が流れる。
しばらくの静寂の後、口火を切ったのは、井宿だった。
「おいら、一度対極山に戻ろうと思うのだ。この事態、太一君なら、なにか知っているかもしれないのだ」
井宿の提案に、翼宿も頷いた。
「ほんなら、早速・・・!」
「だーーーーっ!翼宿は来たら駄目なのだ」
「なんでや!」
「美朱を、ここに一人で置いていくのだ?」
「せやから、俺がまた担いで!」
「それも駄目なのだ!どういう経緯があってこっちに来たのかも分からないのだ。外傷は見当たらないけど、この状態から察するに、もしかしたら体には相当な負荷がかかったかもしれないのだ!目覚めるまで、出来るだけ安静にしておくのが良いのだ」
「そんでも・・・」
言い返せなくなって途端に静かになった翼宿を見つめながら、井宿は、言い聞かせるように告げる。
「君は、美朱についていてあげて欲しいのだ」
「・・・」
「翼宿?」
「・・・わかった」
観念したように、翼宿は呟いた。その表情には、未だに現実を掌握できていない不安と、深い戸惑いが滲んでいた。だが、彼の瞳は、一年前となんら変わらずに、真っ直ぐに美朱を見つめていた。井宿は安心したように頷き返すと、もう一度美朱に視線を送ってから、一人で、傘の中へと消えていった。

10:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:31 ID:fZE

どれくらいの時間がたっただろうか。
翼宿は、美朱が眠っている寝台の横の椅子に腰掛けて、うとうとと、居眠りをしてしまっていたようだった。
「あ〜・・アカンアカン!」
慌ててフルフルと首を振り、目を覚まそうとする。
自分は他の仲間たちの部屋にでも行って、休ませて貰おうかとも思ったが、もしも美朱が目を覚ましたとき、こんな知らない場所に一人きりでは、不安になるだろう。そう思って、こうして彼女の傍にずっと付いていた。静かに横たわる彼女に、そっと話しかける。
「美朱・・・なんで戻ってきた?」
目の前には、もう二度と会うことは無いだろうと思っていた、朱雀の七星として自分が仕えていた巫女である少女が、そして、密かに淡い想いを寄せていた女性が、眠っている。それも、自分の屋敷の、自分の部屋で。そんな現実は決して実現しないと思っていたのに。
「タカは、どないしてん・・・?ちゃんと、傍におんねんやろ?」
美朱は応えない。未だ目が覚める気配は無かった。
翼宿は、彼女の白い手首をそっと握った。
「安心せぇ。必ずもう一度、俺が・・俺と井宿が・・、元の世界に・・・返したる・・から」
言葉をつむぎながらも、意識がしだいに薄れていく。そして、翼宿は美朱の手を握り締めたまま、眠りの底へと落ちていった。

けたたましい鳥たちの鳴き交わす声と、ふすまの向こうから差し込む朝日が、まぶたをくすぐった。
ひとつ、大きくあくびをすると、翼宿は体を持ち上げようとした、が、すぐ目の前の美朱の顔に驚いて、椅子ごとコロンと後ろに倒れてしまった。
「うごあ〜〜〜〜っ!あ〜〜〜!びっくりしたな〜〜!も〜〜〜!」
そうやった、美朱がここにおったんやった。おのれ、心臓に悪いんじゃ。などと思いながら、ようやく事の次第を理解した翼宿は、慌てて彼女の様子を確認しようと傍に近づいた。そっと美朱の額の髪の毛を梳きながら、顔を覗き込んだとき、同じく他の部屋で休んでいた仲間たちが、翼宿の叫び声に驚いて、目を覚まし、ざわつき始めた。なにやら、複数、こちらに向かって近寄ってくる足音まで聞こえる。
「頭〜〜〜!!!どうしたんですか???」
「幻狼!?なんや、どないしたんや?」
「って、アホ〜っ!来るんやない〜!ただの寝言や、寝言〜〜〜」
昨日の夜のことは、信頼できる部下数名と、功児には話してあるのだから、別に誰かが、部屋に入ってきても問題は無いはずだが、この状況が突然気恥ずかしくなった翼宿は、またしても屋敷中に響き渡りそうな大声で叫んでしまった。
「んな無駄にデカイ寝言あるかいっ!」
取り乱す頭、幻狼の様子が目に浮かんだのだろう。
あきれ返ったような、功児のつっこみが、後から聞こえてきた。

11:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:32 ID:fZE

「んん・・・」
「美朱!?」
ちょうど正午だった。翼宿が昼飯を乗せたお盆を持って、自室に入ろうとふすまを開けたとき、いままであれだけ周りが騒いでいても目を覚ます気配の無かった美朱が、確かに布団の中で、もぞもぞと身動きをしたのが見えたのだ。あまりに驚いた翼宿は、瞬間お盆の存在をすっかり忘れて取り落とし、廊下に思い切り中身をぶちまけてしまった。この惨状では、後に功児の長い説教が待っていることだろう。だが、今はそれどころではない。すぐさま、寝台に駆け寄ると、声をかける。
「美朱!?気ぃついたんか?しっかりせえ!」
「・・・?」
美朱は、まぶたをゆっくりと開いた。二、三瞬きを繰り返すと、顔を覗き込んでいる翼宿と、一度目を合わせた。だが、何か様子がおかしい。彼女はそれ以上何も反応を返さない。ただ黙って、虚ろなまま、視線を宙に泳がせるばかりだ。まるで、目を合わせたのにも関わらず、翼宿の姿が見えていないかのようだ。
「美朱・・・?」
翼宿が、ためらいがちに彼女の名を再び呼んだときだ。
「翼宿!」
突如ふすまを開け放ち、井宿が入ってきた。
井宿は、平素の彼からは、想像も付かないくらい、取り乱した様子だった。恐らく、ここまで相当急いで駆けつけたのだろう。やや息も切れているようだった。
「井宿!戻ったんか!ちょうど良かった、美朱が・・・!」
翼宿が、彼に助けを乞うかのように言葉を投げかけたときだ。二人に、戦慄が走ったのは。
「・・・あなた達、だれ?わたし、美朱って言うの・・・?」
「・・・なっ・・・!」
あまりの衝撃に、翼宿は、虚をつかれ、それ以上の言葉が出てこない。全身から、血が引いていくような、そんな不気味な感覚にひたすら襲われるばかりだ。
「・・・事態は、思った以上に悪いようなのだ・・・」
井宿も、力なく俯くと、翼宿に向かって呟くようにそう言った。

「太一君は、言ったのだ。今の美朱は、精神だけがこちらの世界に飛ばされた状態らしいのだ」
井宿は、静まり返った翼宿の部屋で、とつとつと語り始めた。ふたりは、椅子に腰掛け、緊張した面持ちで長机を挟んで向かい合っていた。あれから、美朱は再び眠ってしまった。どうやら、井宿の言うように、そうとうな負荷が今の彼女にはかかっているのかもしれない。
「あちらの世界で、美朱に何かあったのは確かなのだ。肉体に強い衝撃を受けて、そのショックで魂魄、精神が一時的に離れてしまったのではないかと、言っていたのだ」
「肉体に、衝撃やて・・・!?美朱は、美朱はそれで大丈夫なんか?魂魄が体から離れるて、もしこのままやったら・・・!」
「余り長い間、体から魂魄が抜け出たままだと、美朱は二度と、あちらの世界にある、自分の体に戻ることは出来なくなるのだ」
「・・・」
握り締めた拳を、ひざの上で震わせながら、翼宿は沈黙を切り裂き、口を開く。手のひらだけではない、体も小刻みに震えていた。
「なあ!どないしたらええんや?どうやったら、美朱、助けられるんや?なんや知らんが、記憶までまるで無いみたいやし!」
「翼宿、落ち着くのだ。太一君の力を借りれば、おいら達で、美朱の精神を、元の世界の美朱の肉体に、返してやることは出来るかもしれないのだ。だが、問題は翼宿が言ったとおり、今の美朱に、自分のこれまでの記憶が無いことの方なのだ」
「それは、そやろ・・・。例え元の世界に戻してやれたかて、何も自分のこと、周りのことも、分からへんのやったら。そんな状態で返したっても、意味があらへん」
「その通りなのだ。まずは、美朱の記憶を取り戻すことが先決になるのだ」
「せやけど、どうやって・・・」
「・・・・」
また、重苦しい沈黙が流れる。こればかりは流石に井宿にも、答えることが出来ずにいた。暫くためらう様子を見せた後、井宿は言った。
「おいらも、どうすれば記憶を取り戻せるかまでは、分からないのだ。ただ、今の記憶障害が、肉体が受けた衝撃に寄る、一時的なものなら、時間が立つうちに、自然に回復することもあり得るのだ」
「そうやったとしても・・・美朱にはそないな時間、ないんやろ・・・?自然に記憶が戻るんなんて、何時になるか、わからへんやんか・・・」

12:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:34 ID:fZE

井宿も、翼宿の言葉に、より神妙な顔つきになる。
「そうなのだ・・・。数ヶ月か、あるいは、一年か。それとも・・・」
一刻も早く、精神を肉体に戻さなければ、美朱は、どの道助けることは出来ない。タカが待っている元の世界には、二度と帰れなくなる。そうなってしまっては、記憶が戻ろうと、戻るまいと、意味がまるでなくなってしまう。
「太一君の話の限り、美朱の精神が、肉体と離れていても、あちらの世界に戻すことが可能な刻限は、十四日間なのだ・・・」
「二週間か・・・ほんなら、それまでに美朱の記憶を呼び戻して、太一君のところに連れてったれば、美朱は助かるんやな?」
井宿は、こくりと頷いた。
翼宿も、しっかりと頷き返す。
「よっしゃ!やったるわ!美朱は必ず、助けたる。元の世界に、返したるんや」
「その通りなのだ。このまま美朱を失うことはできないのだ。おいらも、出来る限りの手を尽くすのだ。なにか少しでも記憶を呼び戻せる術がないか、調べてみるのだ」
もう、彼女は朱雀の巫女ではない。自分たちも、朱雀七星士ではない。それでも、今でもこの少女は、大切な仲間であることに、少しも変わりは無いのだ。
翼宿と井宿は、それ以上言葉にしなくても、同じ思いをお互いの瞳の中に、確かに感じ取っていた。
「ちゅうか、あの砂かけばばあが、美朱の記憶戻すことは出来へんのかいな!?こんなときの為の、神様ちゃうんか!?」
もっともな翼宿の問いだが、井宿は、首を横に振った。
「確かに、太一君なら可能なのだ。だが、その太一君でも【今の状態の】美朱には施せないのだよ。せめて、彼女の精神力がもう少し回復しないことには・・・それに・・」
「それに、なんや!?」
「いや。その時になればすべて話すのだ。今は、まずおいら達の力で、出来る限りやってみるのだ」
この日から、美朱を再び元の世界に無事に帰すために、朱雀七星の二人が、力を合わせる日々が始まったのだった。

翼宿は、井宿に、仲間に用意させた空き部屋をひとつあてがった。翼宿の部屋には、まだ美朱が寝ているが、彼女がある程度回復して動けるようになったら、すぐに綺麗な部屋に移してやるつもりでいる。いつまでも、自分の部屋に彼女を置いてはおけまい。いろんな意味で。そう、彼は思っていた。
井宿が部屋を出て行った後、翼宿は小さく、消え入るような声で、美朱の寝顔に向かって、呟いた。
「なあ・・・、タカ。お前何やっとんねや・・・!どんな時でも、美朱は自分が守ったるて、ゆうとったやないか・・・!」
返事はない。そんな事など分かっていた。だが、言わずにはもういられなかった。
翼宿にとって、一番許せないのは、ただひとつ。
タカが、こんな状態の美朱の傍に、付いていないこと。
ここに、タカが居ないこと。
それだけだった。

13:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 14:35 ID:fZE

第二章 「俊宇」

「俊宇(しゅんう)〜!!」
縁側に腰掛け、所在なげに秋の雲ひとつ無いすんだ空を眺めていた彼は、美朱が自分めがけて駆け寄ってくるのに、ようやく気が付いた。それが、自分を呼んでいるのだと脳が認識して、リアクションを返すまでに、数刻かかるほどだった。
というのも、ここでは、自分は山賊の頭としてのニックネームである、『幻狼』で通っていたし、井宿を初めとする、かつての朱雀七星士の仲間、もしくは、七星士のことを知っている紅南国の人たちは、みな自分のことを七星名の『翼宿』と呼ぶ。本名で呼ぶものなど、せいぜい離れて暮らしている血縁の五人の姉たちと、母親のみである。
「俊宇ったら、聞こえてる?」
アカン、動揺すんな!と、心の中で自分に言い聞かせると、なんとか口角を無理やり持ち上げて、ぎこちない笑みを返す。
そんな自分は、我ながら不器用だと、翼宿はひとりでに苦笑した。
「お、おう。・・・すまん。ちいと考え事しとったんや。なんや、美朱、腹でも減ったんか?」
「う〜ん。・・・ちょっとね」
そういって照れ笑いする美朱は、もうここへ運んできた当初から想像も付かないほど、顔色も良くなり、性格も快活そのものになっていた。それは、翼宿の良く見知っていた当時の彼女と、なんら変わったところはないようにも思える。
たとえ彼女が、これまでの記憶を、自分のことさえも、すべて失っていたとしても。

美朱がこちらの世界へ来て、もう四日が過ぎた。
彼女を元の世界に返すことが出来る期限まで、あと残り十日だ。
美朱は、ここへきて最初の三日間、眠っては目覚めてを繰り返すばかりだった。それでも翼宿は、出来る限り彼女に付き添うようにし、彼女が目覚めると、まず、根気良く、少しずつ事情を説明した。初めのうちは、言葉の意味すら、よくわかっていない様子だった美朱も、次第に翼宿の話を聞き入れ、何とか落ち着いてきたようだった。今ならば、ようやく、美朱の記憶を取り戻すための、行動が起こせそうだ。
しかし、ほぼつきっきりで、山賊の頭にしては傍から見たら滑稽なほど、献身的に彼女についていたせいだろう。
「俊宇、今日は一緒に町に出てくれるんだよね?」
「お、おう・・・・」
・・・見事になつかれてしまった。
嬉しいやら、悲しいやら、である。
勿論、井宿が付いていてくれたことも三日の間に何度かはある。だが、井宿は、翼宿とは違い、記憶を取り戻す術がないか調べ物をしてくれているし、美朱を元の世界に戻すための準備も、対極山で、同時に進めてくれている。それらは、翼宿には、どうすることもできない。
よって、必然的に、翼宿が美朱のお守り、というか面倒をみる形になっていたのだ。
それにしても。
「俊宇、『こうなんのみやこ』って、どんな所なのかな?ふふっ・・・。楽しみ」
美朱は、朱雀の巫女として、あの都で過ごしていたのだ。現地に直接連れて行ければ、何かしら思い出すきっかけになるかもしれない。時間も、限られているのだ。今はこの状態であっても、彼女を連れて行動するしかなかった。
「ほな、飯食うたら、さっそく行こか。そん代わり、俺から離れたらアカンで。ええな?」
「うん」

14:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 15:50 ID:OEQ

美朱は、うれしそうに微笑んで見せた。
久しく見ていない笑顔だった。
初めて会った時とは違い、確実に年を重ね、容姿は少しだけ大人っぽくはなったものの、こうしてみると、あの頃となんら変わることも無く、屈託の無い、素直な明るい笑顔。
いつもこうやって、本当は、笑わせてやりたかったのに。そんな感情が胸にこみ上げそうになって、慌てて封じ込める。
それが出来るのは、その役目を果たすことが出来るのは、自分ではないのだと、もうずっと前から、翼宿は知っていたからだ。
楽しそうに自分の隣に寄り添い歩いている「いまの彼女」は、美朱であって、美朱ではない。それが翼宿の心を、どうしようもなく苛んでいた。
「早う、思い出さしてやらんとな・・・」
「?」
「記憶や。お前の記憶、綺麗さっぱり無くなっとるんやで。お前も不安やろ?自分が何処で生まれて、今まで何をして過ごしてきたか、まるで思い出されへんのは」
翼宿が、口でいくら説明したところで、実際に彼女が思い出さなければ意味が無い。頭で理解するだけでは、心が納得することはないのだから。今の美朱は、まさか自分が別の世界から来た人間などとは、本気で信じてはいまい。自分が朱雀の巫女だったことも。仲間の七星士のことも。あんなに愛し合っていた、鬼宿。いまでも共に元の世界で、幸せに暮らしているはずの、恋人のタカも。
・・・それから、翼宿のことさえも。
だが、翼宿は、自分のことを忘れたままである分には、それでいいと思っていたのだ。
彼女が、せめて元の世界のこと、そこで待っている家族や、親友の唯のことや、愛するタカのことさえ、思い出すことが出来たら、最悪、それでかまわないのだと。そんな思考を巡らせていたとき、美朱は、翼宿の考えを知ってか知らずか、彼の顔を見つめて、目を細めると、微笑みかけながら言った。
「だったら、あたし、一番に俊宇のこと、思い出さなきゃ!」
「・・・なんやて・・・?」
翼宿はあまりに驚いて、思わず立ち止まった。そんな返答が彼女から返ってくるとは、想像もしていなかった。
「だって、ずっと傍にいて、あたしの面倒見てくれた人のこと、何も覚えてないなんて失礼じゃない!」
「そないな事・・・俺が勝手にやっとるだけやろ!お前はなんも気にすること、あらへん!お前は、俺やのうて、ちゃんと、自分のことだけ考えぇ、な!」
「駄目だよ、あたしが嫌だもん」
こうなった美朱は、意地でも意見を曲げないだろう。長い付き合いだ。どれだけ自分が彼女のことを理解しているか、翼宿は、嫌というほど思い知っていた。

15:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 15:52 ID:OEQ

「・・・・なんでや・・・」
それ以上何も言えず、声をかみ殺して、代わりに自分の手のひらをきつく握り締める。彼女から視線を逸らすことしか出来ない。真っ直ぐな美朱の瞳を、見つめ返すことなど、今の翼宿には、出来なかった。
応えることが出来ない自分が、無性に憎かった。

きっかけは、二日前の夜だった。その時はまだ、うたたねばかり繰り返していた美朱が、珍しく起き出して、寝台に腰掛けたまま、翼宿を待っていた。ちょうど井宿が戻ってきたところで、美朱の付き添い役を交代し、翼宿が休憩に入る前の出来事だった。
「どうも、ありがとうございます。あたしの面倒を見てくれて」
美朱が腹を空かせたときのためにと、籠一杯の桃を抱えてきた翼宿に、そう、彼女は告げた。
「桃、好きやったやろ、お前」
「・・・そう、なんだ」
美朱は首を傾げた。だが、翼宿の気遣いは、しっかり伝わったのだろう。薄く微笑み返した後、翼宿と、ふすまの傍に立ったまま、静かに美朱を見つめていた井宿に向かって、問いかける。
「ねえ、あなたの、あなたたちの名前、まだあたし、知らないよね。教えてくれますか?」
すると、ゆっくりと美朱に向かい、井宿は近づいてきた。寝台の前までやってくると、そのまま優しく美朱の手を取って、落ち着いた声音で、美朱を安心させようとするかのように、囁いた。
「美朱、おいらは井宿というのだ。おいらはこちらの世界では、君の仲間の一人だったのだ。そして、いま隣に居る彼もそうなのだ・・・」
井宿は目配せをし、翼宿のことを紹介しようとした。その時だった。翼宿の口から、井宿が予期もしていなかった言葉が出てきたのは。
「俺は、俊宇っちゅうんや。よろしゅうな」
「翼・・」
井宿は、一瞬目を見張って、翼宿の名を呼んだが、すぐに次の言葉を飲み込んだ。黙って、すぐ横に立った親友の姿を見つめ返す。翼宿の横顔には、悲哀と、微かな迷いが滲んでいた。
「・・・ちちりと、しゅんう・・・?」
「ああ。そうや」
「よろしく、ね・・・」
それだけ眠気眼で言うと、美朱は再び、こてんと寝台に寝転んでしまった。
美朱が眠りに付いた後には、静まり返った部屋に、どこか苦痛に満ちた表情をしたまま立ち尽くす翼宿と、相変わらず、その姿を見守るかのように見つめている、井宿が取り残されていた。

16:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 15:55 ID:OEQ

「なんも言わんのか」
「君の気持ちは分かるのだ。おいらから言うことは何もないのだ。君が、それでいいのなら」
井宿は、そっと微笑んだ。
「なんやろな〜・・・、そう言いたかってん」
まだ、翼宿は自分で自分の発言に戸惑うばかりの様子だった。
その空間の中で、井宿だけが、真実に気が付いていた。
翼宿はいまも、きっと心の奥底の、自分すら意識していない部分では、「朱雀七星士」としてではなく、山賊の頭領としてでもなく、ただ「俊宇」という、ひとりの男として対等に、美朱と向き合いたいと望んでいるのだという事に。

「俊宇!みてみて!すごい人!市って色んなものが売ってるんだね」
昼飯を終えた二人は、町に下りて、市をぶらぶらと見学していた。美朱は、数日前のあの様子とは打って変わって、すっかり興奮し、目をキラキラさせながら、出店を見て回っている。
翼宿は、美朱に付き合い、彼女の身を案じながらも、自由にさせていた。こんなにも、楽しそうにしているのだ。今こうして、町見物をしている間だけは、記憶を無理に思い出させようとするのは、止めようと思っていた。かえってその方が、彼女にとっても良い影響をもたらすかも知れない。そんな事を考えながら、美朱の後ろについて歩いていたときだ。
「美朱っ?」
ほんの一瞬、翼宿が目を離しただけなのに、美朱の姿が大通りの人だかりの中に紛れて、何処にも見当たらなくなっていた。翼宿は目を疑ったが、すぐにがっくりと、肩を落とすリアクションをしたあと、人並みを掻き分けて全速力で駆け出した。
「あんのアホがっ!毎度毎度、お約束すぎて、よう笑えんのじゃ!ボケぇ〜!」
しっかり口で、美朱をどついてから。

17:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 15:57 ID:OEQ

お約束とは、これである。注意力散漫で、すぐに食べ物のにおいに釣られて何処へでもほいほいと走り出し、あげく一人で勝手に道に迷って、敵に襲われ、危険な目にあう。
「タマの苦労が、今更ながらよう分かったわ・・・こないな事ばっかしやったら、俺のほうが先に死んでまう・・・」
翼宿は、息を切らせて走り回ったが、美朱の姿は、大通りには見当たらない。道行く人たちに訊ねても、見かけた人はいない。という事は、まさか裏路地にでも迷い込んだのか。このパターンは嫌な予感しか、しなかった。

「ちょっと、離してよ!」
表通りと比べると、人通りもまるでなく、寂びれた裏通りの道。
「なんだよ、のこのこ付いてきたのは、てめえだろうが」
美朱は、ここで数人の、明らかにガラの悪そうな男たちに全方位から、囲まれている状況だった。
あたりを見回しても、助けを求められる人は他に誰も居ない。
「こいつも売り飛ばしてやるか!」
「イタっ・・・」
恐らくこの集団のリーダー格なのだろう。一番背が高く、やや小太りな男が、美朱の腕を乱暴に掴み上げる。美朱は、痛みに顔を歪めながら、男をにらみつけて気丈に叫んだ。
「なによ!嘘つきっ・・最低っ!この豚じじい!あんたたちなんかに、負けないん、だからっ・・・!」
「なんだと!」
「っぐ・・・」
今度は、豚じじいがよほど気に障ったのだろう、激昂した男は、美朱を無理やり、石の壁に押し付けた。そのまま躊躇無く、首に手をかける。容赦ない力に美朱は、目の前が濁っていくのを感じた。でも、可笑しなことに、思考の中でもう一人の自分が、こう言っているのだ。「これと似たようなことが、以前にもあった」と。
とうとう息苦しさに、抵抗する気力を失い、目を閉じたその時、
「そいつを放せぇ!」
声が聞こえた。いつも傍にいてくれたあの声が。
「・・・しゅん、う?」
「なんだ、てめえは!」
豚じじい呼ばわりされている男は、美朱の両腕を掴んだまま、背後に立っている、翼宿に目をやった。
ちょうど、夕日に照らされて、燃えるような緋の色の髪の毛が、両の瞳が、強く輝いていた。
いつの間にか、美朱を取り囲んでいた悪漢の仲間たちは、全員地面にひれ伏している。
「親分、ヤバイですよ、こいつ、本物の・・・」
地面にひざをついたまま、一人が言う。
翼宿は、その男の言葉をさえぎるように歩みを進めると、美朱を拘束している豚じじいの前に立ちはだかった。
「放せゆうたん、聞こえへんかったか。忠告はしたで」
「・・・っ」
まだ、翼宿は男に何の手出しもしていない。それにもかかわらず、低い声音に滲んだ鋭い殺気に、男は口を噤む。男が気圧されたのが、美朱にもはっきりと分かった。腕の拘束が、明らかに緩んだのだ。

18:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 15:58 ID:OEQ

「俊宇っ」
美朱はその隙をつき、残る力を振り絞って男の腕を振りほどくと、すぐさま翼宿へと駆け寄る。
「貴様っ!」
あとから、男の手が、再び美朱に伸びる。男がその手首を掴もうとした瞬間だった。
・・・激しい打撃音がした。
翼宿の放った拳が、男の腹に命中し、そのまま男の巨体は、投げ飛ばされて、壁に思い切り打ち付けられたのだ。
周りの取り巻きの悪漢どもも、「ひいぃ〜!」と、うめき声を上げながら、ちりじりに逃げ出してゆく。
すぐに、あたりは不気味なほどに、静まり返った。
「・・・俊宇・・・あの、あたし・・・。っ!」
「アホかぁっ!お前はあっ!」
何から言えば良いのか、言葉が詰まっていた美朱は、今度は息が詰まって、何も話すことができなくった。すぐ目の前に、翼宿のしっかりとした胸板があって、顔が押しつぶされていたからだ。
「何べん人を驚かせたら気ぃすむねん?心臓止まりよるかと思ったわ!」
「ごめん、なさい・・・」
きつく抱きしめられながらも、翼宿の手からは、温かいぬくもりが感じられた。この優しい人を心配させてしまったことを、美朱は後悔した。
「あたしが、俊宇とはぐれちゃって、迷ってたら、あいつらが裏路地から出てきて、言ったのよ。一緒にいたのは、山賊だろう、俺たちの知り合いだから、連れて行ってやる、って」
「なんやて?」
「それであたし・・・」
「ドアホぉっ!」
「いたっ」
翼宿は、美朱の額を小突いた。いくら記憶がないとはいえ、あんな見るからに三下の小悪党と、自分たち山賊の区別もつかないとは。
「んなわけあるかい!あんな下品な知り合いおらんわ!ちゅうか、俺らはただの山賊や無い!義賊や!女に手荒なまねなんかせえへんわ!なして、あんな野郎の見え見えの嘘信じて、のこのこ着いていくんや!」
翼宿はむきになって、怒り出した。その様子は、さっきまでの山賊の頭としての凄みは消えていて、その変わりように、思わず美朱は笑ってしまった。
「何笑ってんねん!?まったく、少しは反省しぃや。もう知らんやつには、勝手についてくな、ええな?ああ、でも知っとる奴らにも、時と場合によってはなぁ・・・」
なぜ、小さな子供に言うような注意を、良い年のおなごにせねばならないのか。言いながら、翼宿は、ため息を心の中でついた。
「大丈夫だよ。助けてくれて、ありがとう、俊宇」
「はあ〜っ・・・」
ホンマに大丈夫かいな。
「だから、その・・・・、放して、くれる?」
「あ」

19:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 15:59 ID:OEQ

翼宿は、自分がまだ美朱を抱き締めたままなのに今更ながら気づくと、明らかに取り乱しながら、腕を放し、今度は一気に後ろに飛びのいて、距離をあけた。
「す、すまん・・・!」
「う、ううん・・・こっちこそ、ごめんね。いろいろ・・・」
微妙な空気が流れる。
どこか気まずいような、でも、嫌な雰囲気でもないような。翼宿はまだ動揺していた。このような空気は少なくとも知らなかった。そもそも、女性と二人きりでまともに出かけたことなんて、生まれてこの方、一度たりともないことに気がついた。
今までだって、いや、今までの美朱とだったら、一緒に出かけてもこんな雰囲気にはならなかったろう。なぜなら、美朱には、鬼宿が、タカがいたからだ。彼女は、他の男など、まるで眼中にもなかったのだ。
もうそんな事は重々承知でいたのに、なぜ今になってこんなにも狼狽しているのか。その理由は、すぐに分かった。美朱の頬が、自分と同じように、少し赤く染まっていたからだ。
意識されているのだ。少なくとも、「今の」彼女には。その事実が、翼宿を激しく動揺させていた。

「ね、俊宇」
「・・なんや」
井宿や、アジトの皆にもと、美朱と選んだ饅頭や、お茶菓子を両手に持たされた翼宿は、先ほどから口数は減ったものの、今度は前を楽しげに歩く美朱の背中を見失わないようにと、神経を尖らせていた。
「あたしね、思い出してきた、少し」
「・・・ホンマか?」
「うん、さっき襲われそうになったときに、前にもあったな、これ、って思ったの。そうしたら、次々と、色々なことが浮かんできて・・・」
「さよか・・」
ちゅうか、お前、つかまるのが得意やったからなぁ・・・。
と、翼宿は心中で密かに思ったが、今はそれどころではないので、言わなかった。
「あたしね、この世界に初めて来たときにね、唯ちゃんっていう、友達といっしょだったわ。そのときにも、ああいう人攫いみたいな奴らに襲われた」
「・・・・」
「そうしたら、さっきの俊宇みたいに、誰かが助けてくれたの」
「・・・」
翼宿は黙っていた。言われずとも、その「誰か」の正体も良く知っている。だがあえて、美朱の口からその言葉を聞くのを待っていた。そして、自分に早く、その現実を突きつけて欲しいと願っていた。

20:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:01 ID:OEQ

「・・違うの?」
「何がや?」
だが、そこへ来て、なぜか逆に美朱に疑問を投げかけられる。翼宿は拍子抜けしたが、美朱はより残酷な方面へと、言葉を繋げてゆく。
「助けてくれたの、俊宇、じゃないんだ・・・?」
「・・・」
翼宿は、声を失った。美朱の記憶は、ほんの少し戻ったように見えて、肝心の部分が、まだ不揃いなままなのだ。ほんとうに、一番彼女に必要な部分が。
「俊宇だったら、よかったのにな・・・」
ちいさな声で、美朱が呟くのが聞こえた。
彼女は振り返って、さびしそうに一度微笑みを向けると、すぐにまた、歩きだした。
「・・・俺やない・・・」
翼宿は唇を噛み締める。
「・・・俺やないんや・・・っ」
美朱は、もう振り返ることはなく、翼宿もまた、何も言わなかった。

21:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:03 ID:OEQ

第三章 「翼宿」

「それで、どうだったのだ?」
井宿は、相変わらず、術式を組む為の解読作業をしながら、翼宿に話しかける。
休憩するために、翼宿たちの居る、アジトへ戻ってきたというのに休む暇も無く、分厚い資料を片手に格闘中だ。井宿も、それだけ必死なのだろう。美朱を助けたい気持ちは、翼宿と少しも変わらない。
翼宿は、食事を取っていない井宿を気遣い、桃を、山賊たちが使っている万能ナイフで、意外と器用な手つきで皮剥きしてから、出してやった。
「どうもこうも、ないのだ」
井宿のくちまねをして、翼宿は、口を尖らせた。おちゃらけたようでいて、こういうときは案外凹んでいるのだと、井宿は良く理解していた。
「美朱、思い出してきたようだね」
資料を机に置くと、井宿は、左手でいつもの能面をはずした。その様子を横目で見ながら、翼宿は、自分の分は皮を剥くのも面倒臭いのか、そのまま桃を丸かじりしながら、答える。
「そうや。今は、自分が朱雀の巫女やったっちゅうことや、仲間の七星士のことも、だいだいわかっとる」
「そうか、それなら安心なのだ。この調子なら、おいらの術が仮に間に合わなかったとしても、期限までには記憶が戻るかもしれないのだ」
井宿は、僅かに安堵したが、翼宿のどこか沈んだ様子に気がついていた。
「どうしたのだ?それもこれも、翼宿が美朱の傍にいて、支えているおかげなのだ」
翼宿は答えない。黙って俯いていた。
だが、井宿に真っ直ぐな視線を注がれ、もう堪忍したかのように、ぽつぽつと語りだした。
「あいつな、思い出せへんねん。どんなに俺が口で言っても、分からへんっちゅうねん」
「何をなのだ?」
「・・・タカのこと、思いださんのや!」
翼宿は、俯いたまま声を荒らげた。それは、ひどく痛々しく、見ているだけで、胸が締め付けられそうな、弱々しい彼の姿だった。

22:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:04 ID:OEQ

「翼宿」
「なんでや、なんで、思い出さんのじゃ!あんなに好いとったのに!一番に思い出してもええはずやのに!なんで・・・っ」
「翼宿。落ち着いて聞いて欲しいのだ、美朱は、今の美朱はきっと・・・」
その時だった。ふすまが唐突に開けられた。
井宿は再び能面をつけ、翼宿は、涙ぐんだ目じりを指で雑にこすって顔を上げた。
「入ってもいい?俊宇、井宿」
そこには、何時もどおりに、にこりと微笑む美朱がいた。正確には、「いつもどおり」では、今は無いのかも知れないけれど。
「おっまえな〜〜〜!もう入っとるやんけ!遅いわ!」
「美朱、どうしたのだ?」
「うん。あたし、早く記憶を取りもどしたいなって、思って。だから、また外へ連れて行ってくれないかな」
「・・・」
「美朱、気持ちは分かるのだ。でも、昨日も遅くまで外に出かけていたのだろう?体調は、どうなのだ?無理をしては、また最初の頃のように、起きていられなくなるかもしれないのだ」
井宿は、美朱を自分の隣の椅子に座らせると、落ち着いた声音で、優しく話しかける。美朱がどこか思いつめたような表情をしているのは、すぐに分かった。そして、その原因は、恐らく・・・。
「なあ、美朱、ほんならたまには、井宿と行ったらどうや?」
井宿は、翼宿の唐突な提案に、面越しでも分かるくらい、困った顔をした。
「もしかしたら、俺とおるときとはまた別の、記憶を思い出すきっかけになるんちゃうかな・・・」
「俊宇・・・」
美朱は、翼宿の名前を呟くと、それ以上何を言っても彼の気が変わることはないのだと悟ったのだろう、諦めた様子で、井宿に向き直った。

23:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:05 ID:OEQ

「井宿、あたしに付き合ってくれる?」
井宿は、美朱と翼宿を交互に見つめる。そして、もう一度説得するかのように、翼宿に静かに告げた。
「そういうことではないのだよ。君も分かっているはずなのだ。美朱の中の、鬼宿の記憶が戻らないのは、もっと違う、別の原因があるのだ」
「せやかて、俺にはこれ以上何してやることも、出来へんやんけ。やから、ひょっとしたら、お前のほうが」
「やれやれ。意固地なのだ。素直じゃないのだ。昔から君は、そういうところは変わらないのだ〜」
井宿は両手を挙げて、やれやれと大きくため息をついた。翼宿は、井宿の言葉の真意がいまひとつ分かっていないようで、明らかに不服そうに反撃する。
「そりゃ、どういうこっちゃ!」
「わかったのだ。今日はおいらが美朱に付いているのだ。君は、よく休んでいるのだ。ここのところ、あまり眠っていないのだろう?」
「・・・」
「俊宇、いって来るね」
美朱は、顔を伏せたまま、呟くように小さくそういうと、井宿に手を引かれて、後ろ髪をひかれる様に、翼宿の部屋を出て行った。

「美朱、俊宇のことを、許してやって欲しいのだ。彼も精一杯やっているのだ。彼は、誰よりも君の記憶が戻って、もとの世界に帰れるように、願っているのだ」
井宿に連れられて、森の中の小さな泉に、美朱はやって来ていた。そこは、ゴツゴツした岩場と、木々に囲まれており、辺りに他の人の気配も無く、しんと静まり返っていた。泉の水は透き通っていて、時々野鳥たちが、水を飲みに近づいてくる姿が見える。井宿は、のっぺりとした大きな平たい石の上に胡坐をかくと、美朱にも、自分の隣に座るように促した。
「わかってるよ。俊宇が、一生懸命なこと。だから、俊宇があたしのことで、苦しんでる姿、見たくないから。少しでも早く、思い出したかったの

24:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:06 ID:OEQ

「・・・美朱、今、どのくらいまでなら、思い出せたのだ?教えてほしいのだ」
美朱は、自分の思い出した記憶を語りだした。
「あたしは、もともと向こうの世界の東京ってところから、この世界に、四神天地書って本を通してやって来たの。そのときは、まだ中三で、受験生だった。この世界で朱雀の巫女になって、朱雀の七星を全員集めることができれば、何でも願いが叶えられるって聞いて、それで七星士集めの旅に出た・・・」
「その通りなのだ」
美朱は続けた。
「七星士は、まず、優しい皇帝の星宿。美形なのに、力が強くてオカマの柳宿。すごい術者のお坊さんで、今もあたしを助けてくれている井宿。お医者様で、治癒力の使えるみつ宿、子供だけど、とっても賢い張宿」
美朱は、そこまで言い切ると、押し黙る。
「それから?」
井宿が先を促しても、美朱は頭を抱えこんで、言葉を閉ざすばかりだ。
「わからない・・・。後二人のところで、思い出そうとすると、すごく頭が痛くなっちゃって・・・」
「それは・・」
井宿には、もうほぼ、確信が持てていた。美朱の記憶は、ほとんど戻りかけている。だが、彼女の心が混乱しているせいで、後一歩のところで、いつまでも肝心のところが呼び起こされないのだ。恐らく、俊宇として目の前に現れた翼宿と、自分のかつての過去の記憶にあった翼宿の姿とが、うまく結びついていないのだろう。そこには、美朱の希望的観測が、大きく影響を与えてしまっている。美朱の心の中では、『鬼宿』が、『俊宇』なのではないかと言う勘違いが起きてしまっているのだ。
・・・無理も無いかもしれない。
すべての記憶を失った、言うなれば生まれたての赤子のような、真っ白な心のままの美朱を、ここへ来てから、ずっと傍で支えてきたのは他の誰でもなく、タカでもなく、翼宿なのだから。

25:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:07 ID:OEQ

だが、このままではいけないことは、井宿も痛いほど理解していた。美朱は、自分の愛している鬼宿と、自分の仲間の一人である翼宿とを、思い出さなくてはいけないのだ。井宿は、隣で、頭痛に苦しむ美朱の頭をやわらかく撫でながら、優しくかたりかける。
「美朱、七星士の、もう二人のことは、まるで分からないのだ?」
「・・・名前は知ってる。一人は、『鬼宿』でしょ。『鬼宿』のことは、ちょっと俊宇にも聞いたから。でも、どんな人だったのかは、どうしても分からない・・・」
「美朱、では、聞いて欲しいのだ。実は・・・」
井宿が、真実を告げようとしたその時、やや離れた場所で、確かに茂みが揺れる音が聞こえた。美朱は怯える素振りをみせたが、井宿は一瞬にしてその気配を悟り、警戒をといた。小さく苦笑いしながら。
「来るとは思ったのだ。気になって追いかけるくらいなら、初めから君も一緒にくればよかったのに」
そういいながらも、井宿はどこか嬉しそうだった。
『翼宿は、やっぱりこうでないと』と、その表情に、はっきりと表れているようだった。
「じゃかあしい!」
いつもの威勢のいい関西弁で叫ぶと、翼宿は、空たかく飛び上がった。あっという間に井宿たちが腰掛けている岩に飛び移ると、ほうけに取られている美朱を、両腕でがっしり抱きかかえて、また跳躍する。
「きゃああ!」
突然のことに、悲鳴を上げる美朱だが、その刹那、なにかはっきりとしたデジャブが脳裏に浮かび上がる。
ああ、これも前にあったんだ。確かに。
「美朱、堪忍な。俺の勝手な気まぐれで、お前の記憶、混乱させよって。こないにお前、苦しませるくらいなら、初めから俺の正体を言うとくべきやったんや。・・・すまんかった」
「・・・」
美朱は、ただじっと目の前の男を見つめる。
夕日色に染まった、短い髪の毛。鋭く尖った、オレンジの瞳。聞き覚えのある関西弁に、にかっと笑うと口元に覗く、二本の八重歯。この人を、あたしは知っている。
「俺、昔な。こうやってお前を抱えて、攫うたことがあんねんや」
両目を見開いて、こちらを見つめている美朱に、翼宿は自分の服のすそを捲り上げて、右腕を突き出した。そこには前のように、紅に輝く文字は浮かび上がっていなかった。その代わり、翼宿が自分で書き付けたのだろう、汚い筆の朱文字で、『翼』と記してあるだけだ。

26:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:09 ID:OEQ

「・・・」
美朱は、両手で口元を押さえた。丸くなった瞳から、今にも零れ落ちそうな涙が揺れていた。
「俺の名前は俊宇!ニックネームは幻狼!そして、お前を守る為に生まれてきた朱雀七星士の一人、翼宿や!」
「たす、き」
美朱は、ようやく胸の奥の大きな痞えがひとつ解けたのだろう。或いは、記憶を失っていたもうひとつの自分の心が、俊宇との別れに、涙を流したのかも知れない。
「ひさしぶり、翼宿・・・!」
「おう、暫くぶりや」
翼宿は、照れ隠しのように、ニッと微笑んだ。
「ようやく、お前に会うた気ぃするわ」
「うん。・・そうだね」
様子を見守っていた井宿も、柔らかく微笑んだ。二人の間の空気が、変わっていないことが嬉しく思えた。
「元はといえば、翼宿がかっこつけて、俊宇なんて名乗らなきゃ良かったじゃない!」
すっかり以前の調子を取り戻しすぎて、すぐさま小競り合いを始めるのも、どうかと思うけれど。
「やかあしい!その俺に危のうトコ助けられて、『きゃあっ!俊宇!素敵!かっこいい〜!』って、頬染めて喜んどったのは、どこのどいつやねん!」
「な・・っなによそれ!そんなこと言ってないじゃない!それにっ、それは・・大体・・・翼宿が・・・っ」
「なんや」
「・・・翼宿のくせに・・・」
最後の美朱の呟きは小さく、それは翼宿には届かなかった。
「ほな、日も暮れてきたし、そろそろ戻ろか」
翼宿は、また、すっかりあの頃に戻ったかのように、美朱の肩をぽんと軽く叩くと、先に前を歩くように促す。お前の後ろは、俺が必ず守ったるから、という事なのだろう。
美朱には、それはもうしっかり分かっていたし、翼宿が七星士の役目に再び徹しようとしている気持ちも、伝わっていた。だけれど、何故か心のどこかで、それを淋しく感じている自分が存在している。
「なんだろう・・・」
あと少しで、すべての記憶は戻ってくるのかもしれない。自分でもそう確信しているのに、未だに抜けたままの「鬼宿」の記憶と、「翼宿」に対する小さな違和感が、美朱の胸の内を、不安で苛むのだった

27:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:10 ID:OEQ

元の世界に帰れるタイムリミットまで、残り五日を切った。美朱はというと、先ほどから翼宿が持ってきてくれたプルプル名物豚まんを、もくもくと頬張り続けていた。これでみっつめを食べ終えるところである。
ただ、その間、何をするわけでもなく、じっとこちらをテーブル越しに眺めている翼宿の様子が妙に気になって、よっつめは、流石に手が止まったけれども。
「な、何よ、翼宿?あたしの顔に何かついてる?」
とうとう我慢できず、翼宿に突っかかると、なんとも愉しそうに噴だして笑われた。
「相変わらずやなー。さっきからず〜っと見とったんに。食いもんに気ぃ取られすぎや」
「だって、せっかく買ってきてくれたのに、残したら悪いし・・・」
「アホ。俺の分まで食う気か!最後の一個は俺んや」
「え。でも、四つ目も、もうかじっちゃった」
「なんやて!?」
いつの間に!?ちゅうか、今の何処に食うタイミングあった!?
流石に記憶の戻ってきた美朱は、油断できない。もう食欲もすっかり元に戻りつつある。翼宿は、怒る気力も湧かず、諦めて椅子を立ち上がった。
「あれ?どこか行くの?」
「ちいと、功児に呼ばれてんねん。・・・淋しいか?」
余裕たっぷりにニヤリと微笑まれると、なんだか腹が立った美朱は、
「別に。井宿がいるもん」
と、あえて目を逸らして、強気で言い返した。
「せやな」
翼宿はさして気にした素振りもみせず、その一言を残して、美朱の横を通り過ぎようとする。美朱は、それを自分がどんな表情で見送っていたか、気づいてもいなかったが、目が合うと、翼宿は困ったような顔で、苦笑した。
「捨て犬か、お前は」
「へ?」
「そない顔せんでも、どこへも行かへん」
そういって、ぽんぽんと頭を叩いた後、翼宿は部屋を出て行った。
こんなことは、あの朱雀召喚を目指して旅をしていた間にも、幾度かあった。そんなことを、美朱はふと思い出した。翼宿は、いつもそうだったのだ。さりげなく気を使って、差し入れを持ってきたり、話を聞いてないふうにみせて、実は心配してくれていたり。柳宿と二人で、星祭りに連れて行ってくれたこともあった。

28:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:11 ID:OEQ

まるで兄のように、彼を頼りにしていた部分もあった。
それは今も変わってはいない。なのに何故か、今までとは違う違和感が、どこかにあるのだ。
時々、それを強く感じることがある。たとえばさっき、豚まんをかじっている自分を、翼宿がじっと見つめていたとき。また、悪漢どもから自分を救出し、抱き締めてくれたとき。ふとした瞬間に、翼宿は、翼宿ではなく、「俊宇」の表情を見せているからかもしれない。美朱は、ひとり取り残された自分の部屋で、そんな考えに思い至った。それが、普段の翼宿とどこがどう違うのか、よくは分かっていなかったけれど。

あてがわれた部屋の中は、突然一人きりになってみると、やけに広く、空虚に感じた。
記憶をまるでなくしていた間のことは、はっきりと覚えている。意識が曖昧で、眠りについていたとき、ずっと傍に翼宿が居てくれたことや、自分の寝台を美朱に取られて、翼宿自身は隣の椅子か、あちらの世界でいうソファの様な長い椅子の上に横たわり、足を乗り出して窮屈そうに眠っていたことも。
「・・・」
これまでの翼宿とのことを、いざこうやって思い返してみると、胸がざわざわした。
「あたし・・・」
この感情は、「以前の自分」が、「誰か」に寄せていたそれに、似ているのではないか。
「鬼宿・・・?」
鬼宿のことは、翼宿や井宿からも何度か聞かされているのに、名前以上のことは、なにひとつ思い浮かばなかった。美朱と、七星士の鬼宿とは、ずっと愛し合っていたのだと言われたけれど。しかし、それなら、その彼のことがこんなにも思い出せないのは一体何故なのか。まるで、何者かが、美朱に真実を見せることを妨害しているかのようにも感じた。
「うだうだしてても、始まらないよね。急がないと、もう向こうの世界に戻れなくなっちゃうんだもの」
元の世界には親友の唯がいて、家族が居る。友達もいる。美朱が突然居なくなったら、彼らはどんなにか悲しむだろう。それから、あと、他にも自分を待っている大切な人がいたような気がする。

29:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:13 ID:OEQ

「・・・誰だったかな・・・」
思考を集中させると、頭が割れそうに痛み出す。
しかも今度は胸の奥まで、ズキズキと軋んだ。たまらず、胸元を掴んで、その場にしゃがみ込む。
「美朱〜!待たしたな!出かけるで〜」
その時、状況を知らない翼宿が、ふすまを開け放ち、明るく入ってきた。彼は、床にうずくまっている美朱に気が付くと、血相を変えて駆け寄り、彼女を抱きかかえた。
「どないした!?また思いださんと、苦しゅうなったんか!?」
「痛い・・・」
「頭か!?っとに、アホ!そない無理せんでも、大丈夫や!井宿もお前の為に、術の準備してくれとる!お前はまず、自分の体のことだけ心配しとればええ!」
翼宿は、苦しむ美朱を寝台に運ぼうとする。が、耳元で聞こえた美朱の呻くような声で、足が止まった。
「胃が・・・っ」
「・・・は?」
「食べ過ぎたみたい・・・」
翼宿は、ひとつ大きく息を吸い込んだ。
笑いをなめてはいけないのだ。ボケもつっこみも、全力投球!それが、翼宿のポリシーだ。
「俺の分まで、飯食うた奴のいう事か〜〜〜〜〜っ!」
「いひゃ?」
勿論、鉄扇でどつくのも忘れてはならない。
「ほんなら、元気みたいやし、出発するで!今日は、タマの住んどった村へ行こうと思うねん」
「鬼宿・・・」
「そうや。そこへ行ければ、お前もタマのこと、きっと思い出せるやろ」
「そう、だね」
鬼宿の村、そういわれても、やはり情景が浮かんではこない。それに、美朱の頭は、いま別に気にかかることがあり、そこに意識が集中してしまっていた。

30:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:14 ID:OEQ

「どないした?」
「なんか、さっき抱き締められたとき、翼宿から、変な匂いがした・・・」
「なんやて?おかしな〜・・。昨日風呂入ったんやけど・・・まさか、そんな臭いんか!?」
翼宿は、しきりに自分の服を引っ張って、匂いを確かめようとする。一見強面で、三白眼の兄ちゃんではあるが、その心はいつまでも、少年のようにナイーブだ。
「あ、違うよ。臭いとかじゃなくて、なんか・・どっちかって言うと、・・・香水・・?こっちの世界でいうと、お香?・・みたいな」
「・・・」
「それも、なんかちょっとキツめの香りで、そっち系のお店のおねーさん方がつけるような・・・」
そういいながら、美朱の心に疑惑が満ちていく。さっき、功児に呼ばれていると言って、出て行ったけれど、まさかあれは。
「鼻きくな〜、お前」
「なっ・・・!翼宿!記憶を失って、心細い想いをしていたわたしを尻目に、自分はキレーなお姉さんと宜しく遊んでたのね?」
「わ〜〜〜!?ちゃうちゃう!まて!話を聞けて!ちゅうか、お前ホンマに心細い思いしとったんか?豚まんに夢中になっとった気が・・・」
「ばかっ!嘘なんか吐かないで、正直に言えばいいじゃない!もういいよ!今日は、井宿が帰って来てるから、一緒に行くから!」
美朱は、感情が高ぶって、すっかり話を受け付けなくなっていた。こうなってくると、あの鬼宿でも、苦労するところだろう。
「じゃあね!」
それだけ言い残すと、すごい勢いで部屋を走り出て行ってしまった。
「・・・っとに、なんなんや。女っちゅ〜のは、ホンマに手ぇのかかる・・・っ」
後には、頭を抱えた翼宿が取り残された。と、思いきや、
「翼宿、浮気でもしたのだ?」
意気消沈して、椅子にもたれ掛かった翼宿の眼前に、いつの間に入ってきたのか、井宿の狐顔がドアップで現れた。
「どあ〜〜〜〜?やから脅かすなゆうてるやろ!井宿ぃ!」
「美朱が、さっき出て行ったようだが」
「お前を探しに行ったんやろ・・・っ。追いかけたれや。ちゅうか、浮気ってなんやねん!俺は今も昔も、浮気なんぞ、したことあらへんわっ!その手ぇのネタで、俺弄るんやめぇ!・・・おもろないんじゃ・・・っ」
「・・かわいそうに。だいぶ凹んでいるのだね・・・」
「見りゃわかるやろが?しばくぞ!」
「冗談なのだ。それより、はやく美朱を追いかけて、一緒に行ってくるのだ」
井宿は、うな垂れる翼宿の手を引いて椅子から立ち上がらせると、穏やかに微笑んで続ける。
「美朱も、今頃反省しているよ。もっと君の話を聞いておけばよかったと、後悔しているはずなのだ。事情をちゃんと話して、君の気持ちを伝えてくるのだ」
井宿は、たしなめるように、諭すような口調で告げたが、翼宿は、いまいち要領を得ていない。
「なん

31:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:15 ID:OEQ

「なんやねん・・・。気持ちて・・・」
「告白してくるのだ」
井宿から、耳を疑うような台詞が聞こえた。勘違いか、自分の耳がおかしくなったのか。翼宿は思わず噴出した。
「ぶっ?」
「どうしたのだ?」
「どうしたのだ?じゃないわ!アホか、お前は?何言うてんねん、こんな時に!ボケるのも大概にせえ!」
翼宿はいきり立って、井宿にくってかかる。
だが、井宿はいたって平静に、真剣なまなざしで、彼に対して言葉を続ける。
「こんなときだからなのだ。美朱の記憶が、完全に戻らない。それも、ほとんどが、鬼宿のことだけなのだ。どうしてだと思う?」
「・・・それが分からんから、困っとるんやないか」
翼宿は、口を閉ざす。井宿は、これだけは言いたくはなかったというかのような、苦虫を噛み潰すような表情になって、ゆっくりと告げた。
「美朱の記憶が戻る妨げになっているのは、君なのだ。翼宿・・・」
「・・・なんや、て」
突然、頭を鈍器で、殴りつけられたあとのようだ。真っ白な思考で、ひどく呆然としたまま、翼宿は呟いた。
「・・・確かに、俺が最初、本名を名乗ったせいで、混乱はさせよった。それは、俺の責任や。せやけど、今あいつは、七星士の俺のこと思い出しとるし、ちゃんと・・・」
「違うのだ。俊宇を名乗ろうが、翼宿を名乗ろうが、結果は恐らく変わらないのだ。そうではなくて」
「なんやねん!早う言え!もうなにゆわれても、驚かん。俺のせいなら、ちゃんと直す!やから・・・」
井宿は、その言葉がいかに翼宿を追い詰めるか、これまでずっと分かっていた。だからこそ、このまま隠し通せるなら良いとも思っていた。しかしいずれ、きっと気づくときが来てしまう。
「・・翼宿。美朱は、いまの美朱は、君が好きなのだ」
「・・・なっ?」
翼宿は、息を呑んだ。冗談にしては、到底笑えない話だ。
美朱が、自分を好きだなどと、そんなことは信じられない。否、信じたくはなかった。
「アホなこと抜かすなや・・・っ。そないな事、有るわけない。あいつの好いとるんは、タカや!鬼宿だけや!」
翼宿は、その事実を揺ぎ無く信じてきた。あの二人の絆を疑ったことなどない。それが如何に強靭な物であったか。それこそ次元を超えるほどの愛。自分など、到底届くはずも無い二人の世界。美朱が記憶をいま失っているからといって、その強い愛情まで、変わったりするものか。

32:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:17 ID:OEQ

「あの二人の間に・・・、俺なんか入る隙間あらへんのや・・・っ。今までも、この先も・・・っ」
「君にも、心当たりがあるはずなのだ。俊宇として、彼女の傍にいたときに。そして、さっきも。美朱は、やきもちを妬いたのだ。それで、あんな風に、君の前から逃げ出したのだよ」
「・・・」
「今の美朱は、厳密に言うと、【鬼宿を愛した記憶を持たない美朱】なのだ。そして、なにも知らぬまま、この世界で初めて俊宇という青年に巡り会って、自然に恋をしただけなのだ。ちょうど、以前の美朱が、こちらの世界で鬼宿と恋に落ちたのと同じようにね」
翼宿は、愕然としてそれ以上言葉が出てこなかった。
井宿も唇を結んだまま、黙った。
二人、しばし沈黙した後、心ココに有らず状態だった翼宿だが、突如我に帰ると、叫ぶように言った。
「思い出させへんと・・・!タカを、思い出させへんと・・・!」
「翼宿」
「思い出せば、きっとあいつも!」
翼宿は、井宿の肩をきつく掴むと、まるで懇願するかのように、許しを乞うかのように、彼にすがりついた。
その瞳の奥の光が、頼りなく揺らいでいた。あたかも、恐怖に怯える、傷だらけの子犬のように。
「・・ならば、なおのこと君が、美朱と行くのだ」
井宿は、翼宿の腕を掴み返した。親友を、あえて奮い立たせるために、凛とした鋭い声音で。崖から突き落とすかのごとく、冷酷に。
「君が、鬼宿のことを、彼女に思い出させたいと願うなら、行くのだ。わかっていると思うが、それが出来るのは、翼宿、君だけなのだ」
「・・俺は」
「大丈夫なのだ。いざというときは、おいらの術がある。この術は、太一君が使うものと、同じものなのだ。万一、君が記憶を取り戻させるのに失敗しても、最悪、おいらが後は、なんとかしてみせるのだ」
「せやけど、術があるんやったら、先に」
翼宿の言葉を、井宿はしかめ面で否定する。
「この術は、おいらも初めて使うのだ。それに、美朱が、こちらの世界に着たばかりの頃、話したはずなのだ。これは、君が思う以上に、リスクが大きい。出来るなら、自然に彼女自身の力で、記憶を取り戻すのに越したことはないのだ。詳しくは、そのときになったら、必ず説明するのだ。だから今は、君にお願いするのだ」
井宿は緊張した面持ちだった。彼がここまで躊躇うとは、その方法も簡単ではないのだと、流石に翼宿にも伝わってきた。
・・・もう逃げられんのやな。
翼宿は、拳を握り締めた。

33:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:19 ID:OEQ

「わかったわ。・・・行ってくる」
「任せたのだ」
井宿は、そっと友人の背中を見送った。
信頼しているからこその、穏やかな微笑を浮かべて。

「井宿・・・どこだろ」
この屋敷は、いかんせん広い。部屋にも居なかったし、走り回ってあちこち見学して回ったものの、美朱は、井宿を見つけることは出来なかった。しかし、これがすべて頭である翼宿のものだとは、恐れ入る。将来、翼宿のお嫁さんになる人は玉の輿だな、と下らないことを考えているうちに、先ほどの出来事を思い出してしまった。
「翼宿、いまごろ怒ってるよね・・・」
ろくに彼の言い分も聞かず、勝手に逃げ出してしまった。
まさか、こんなことで気が動転するなんて、美朱が一番驚いていた。それも、翼宿が原因である。
彼は、仲間だったはずだ。ともに旅をした、あの頃の記憶も、取り戻したんだから。だが、そう言い聞かせても、心のどこかでそれを否定している自分が居る以上、どうにも誤魔化せない。
その時。
「美朱」
突如、自分を呼ぶ声で我に帰る。
翼宿が、早足で美朱へと歩み寄ってきた。
「翼宿?」
「お前なにしとんねん。井宿と一緒に行くんやなかったんか?」
「そ、それはっ」
正直、井宿が見つけられず、途方にくれていた所だ。だが、それを素直に言うのも、あれだけ強気で出て行った手前、なんとなく気がひける。美朱のふくれっ面を見た翼宿は、ふっと、短く息を吐いた。
「何を勘違いしとるんか知らんけどな。おれは、女と遊んどったんちゃうで」
「えっ?」
「姉貴やねん」
その言葉に、美朱はふと思い至った。翼宿には、五人の姉がいるらしい。確かに以前、そんな噂を柳宿から聞いたような記憶がある。
「わざわざ山登って、俺の様子見に来とってん。いつまでもプラプラせんと、親父のあと継げ〜言われたわ。おまけに、散々引っ付いてアジトを案内させた後、俺に暴言吐いて、さっさと帰りよったわ!」
これやから、女っちゅ〜生き物は・・・云々、小さく愚痴を零している翼宿を見て、美朱は、自分の誤解にようやく気がついた。
「じゃあ、あの香水の匂いは、お姉さんの・・・」
「そーゆうこっちゃ」
とんだ早合点で、翼宿に言われない疑いをかけてしまった。彼がこんな状況のときに、女性と遊ぶようないい加減な人ではないと承知していたはずなのに。

34:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:20 ID:OEQ

「ごめんなさい。あたし勝手に勘違いして」
翼宿は、苦笑いした。
「なんや、ヤキモチやいたんか」
そういいながらも、美朱と目を合わせない。まるで、自分の言葉を否定してくれと、言わんばかりだ。その態度はあまりに不自然に見える。いつものように、面白おかしく、美朱をからかう風でもない。
美朱は翼宿の異変に、すぐに気づいた。
「そうだよ!」
あえて、誘いに乗ってみる。なぜ、翼宿がそんなにも不安そうな面差しで自分を避けているのか、知りたいと思った。美朱の言葉に、翼宿は硬直した。目を剥いたままで。そして、ふっと、自嘲ぎみに微笑んだ。
「お前・・・おかしなってんや・・・。タカの記憶のうて、不安で、埋まらん部分を俺で埋めようとしとるだけや・・・」
「翼宿、それは違うよ!あたしは・・・!」
美朱は、翼宿の腕を掴んだ。なんとか、こちらを向いてもらおうと、躍起になった。
翼宿は、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにその手を逆に握り締めた。
「出かけるで」
その力の強さに驚きつつも、そのまま引っ張られ、美朱は駆け足で着いて行くしかできない。
「ちょっと!翼宿っ!待ってよ!何処へ行くの?」
「ゆうたやろ。タマんとこ」
美朱が息苦しそうに叫ぶと、翼宿は振り返らずに、それだけ答えた。


第四章 「横恋慕」

美朱と翼宿は、山を降りてからは馬を借り、その麓にあるという、鬼宿の故郷である農村を目指した。
翼宿は、美朱を馬の後ろに乗せている間も、何も語らなかった。ときどき美朱が、気まずさに耐え切れずに話題を投げかけても上の空で、「せやな・・・」とか、「さよか・・」くらいの適当な相槌しか反応を返さなかった。
いつもの無邪気で、快活な彼とはまるで真逆の振る舞いに、美朱もどうしたらいいかわからない。
「ここや」
「この家がどうしたの?」
翼宿は、村の中を数分ほど黙々と歩き回り、やがて、古ぼけた小屋のようなちいさな家の前で、立ち止まった。だいぶ寂れてしまっている。

35:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:21 ID:OEQ

「タマと、タマの家族がおった家や」
それだけを告げると、後ろについてきた美朱を振り返ることなく、ひとりで先に部屋の中へ入ってしまう。
「鬼宿が・・・」
美朱も、その後に続いた。
ここが、鬼宿の家、そういわれるとそんな気もするのだが、やはり、美朱には何も記憶がない。実感もまるで湧いてこなかった。
中に踏み入ると、外観よりもさらに荒廃具合が酷く、椅子は脚が折れているものもあったし、机は真っ二つに割れて、残骸は床に無残に転がっていた。御勝手も、埃や土が被り、見る影もなかった。
鬼宿どころか、その家族の姿も見えない。誰も、ここには存在しない。
「ねえ、翼宿・・・、鬼宿の家族の方って・・・」
美朱が、翼宿に向かって疑問を投げかけようとしたときだ。
「!」
翼宿に、後ろから抱き締められていた。
突然のことに、驚いて何も次の言葉が出てこない。なんとか腕から逃れようともがいたが、その拘束はきつく、美朱の力ではびくともしない。
「ちょっと・・・!翼宿・・っ。何して・・・」
その問いの答えは、美朱の耳元で、微かに聞こえた。静寂のなか、消え入るような、儚い響きで。
「・・しんだ」
「え・・?」
「みんな・・・死んだ。・・殺されたんや・・」
・・その言葉は、ゆっくりと身体を巡って、ようやく美朱の意識まで行き届いた。
ああ、そうか。こんな状況なのに、見たことのある映像が、津波のように押し寄せてくる。鬼宿の家族は、もう居ないのだ。・・どうして忘れていたんだろう。こんな悲壮な出来事を、全部。衝撃が大きすぎて、何て言っていいのか、反応すらできない。
それで、その時彼は、鬼宿はどうしたのだろう。彼は、どんな風だったのか。鬼宿とは、どんな人なのか。そんな考えを、めぐらせようとした時、美朱の思考はぷつりと途絶えた。自分の頬に、自分のものではない涙が、伝うのがわかったからだ。
「翼宿・・・?」
翼宿が、泣いていた。
「っ・・・っく・・・」
声を殺して、小さく震えながら、美朱をきつく抱き締めたまま。彼は、ただ、鬼宿のために泣いていたのだ。こんな風に、きっとこの人は、自分のためにではなく、仲間たちのために、涙してきたのだろう。そう実感すると、美朱にも、ようやく感覚が戻ってきたのか、涙がにじんできた。鬼宿の家族のことは勿論だが、いま、こんなにも鬼宿を思い、悲嘆にくれている翼宿の姿が、より美朱の悲しみを増幅させていた。
「美朱・・・、俺は一年前、お前とタカと別れたあと、もう二度と、お前らの顔見れへんやろうなと、思っとった・・」
美朱の肩に、翼宿の呟きが落ちる。
「お前らの幸せを、ずっとこの世界で祈っとった。それが、俺に出来る唯一のことやってん」
そうかすれ声で呟くと、今度は腕を解き、美朱を正面に向かせる。美朱は、戸惑いを隠せなかった。彼はもう泣いていないのに、酷く傷ついた表情を浮かべたままだった。
「それやのに・・・っなんで・・・っ!」
「翼宿・・・?」
「その俺が!お前らの邪魔しとるんかよぉっ」
悲痛な声だった。まるで翼宿の魂から、直接振り絞られた、叫びのように。美朱は、その迫力に押され、思わず後ろへ大きく後ずさった。だが、彼女が退くその度に、翼宿は、いっぽいっぽ美朱へ迫ってくる。美朱は、今までに見たことの無い彼の威圧感に圧されるばかりで、なす術なく、逃げることしかできない。気がつくと、壁際にあった古木の寝台の前まで、追い詰められていた。

36:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:23 ID:OEQ

「痛・・・」
美朱は、足元に気づかず、そのまま躓いて、寝台の上にしりもちをつく。
彼女の目の前にたどり着いた翼宿は、そのまま手首を掴むと、力任せに押し倒して、体の上に覆いかぶさった。
「た・・翼宿・・・?」
あまりに突拍子も無い翼宿の行動に、美朱の脳の理解が追いつかない。頭はパニック状態だ。記憶を思い出すどころか、このまま自分の意識がはるか遠くへ飛んでいきそうだった。
「ねえ!翼宿ってば!どうしたのよ?ねえ・・・」
すぐ近くに彼の顔があり、温もりが感じられ、やや早い心臓の鼓動までが、はっきりと聞き取れた。自分の体の温度なのか、それとも彼の温度なのか。余りに密着しすぎてそれすらもわからない。
動悸と圧迫で、胸が苦しくて息も出来ない。
こんな時すら、翼宿の髪を撫でる仕草が、「俊宇」のものと変わらないことだけが、確かな現実として美朱にのしかかる。そのどこまでも優しい指先が、余計に恐怖を煽っていた。心臓も頭も、狂ったように鳴り響き、ただ痛むばかりで、何の役にも立たず、美朱は抵抗さえ出来なかった。
「『今度こそ』本当に、井宿もタマも、誰もけえへん」
翼宿の熱のこもった唇が、首筋に小さく触れる。
反射的に、顔を背けた。しかし、逃れようとすればするほど、翼宿の拘束はきつくなる。
「逃さへん」
熱さで頭がくらくらした。混乱を極めた思考の中、誰かの面影と、彼の眼差しが、一瞬重なる。
けれどもこのまま身を委ねるのは、余りに悲しすぎた。
今の翼宿の行為には、純粋な欲望すら、ないから。
理解してしまったのだ。彼の、行動の真意を。
それはただ、美朱を想うが故に、彼を深く傷つけるだけの、悲しい行為であることを。
「・・・たすき、・・・ごめ・・」
じわじわと視界に涙が浮かんできて、喉は締め付けられてしまい、肝心の言葉が、途中で途絶えてしまった。
だが、翼宿が、その一言に身じろぎするのがわかった。
「あたしに・・思い・・ださせる、ために、わざと・・」
「・・・」
「でも、こんなのおかしいよ・・。こんなこと、翼宿は、出来るひとじゃない・・・」
美朱は、言葉を紡ぎながら、ひとつひとつ記憶が蘇るのを確認した。これは、前にあったのだ。このやり取り。彼の温もり。流した涙。確かに記憶にある。
翼宿はなにも答えなかった。その代わり、美朱を抱く腕の力が、急に弱まった。そして、それが合図だったかのように、少しずつ、お互いの体が離れた。
・・・夢から醒めていくのを示唆するように、ゆっくり。

37:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:24 ID:OEQ

「一年前はな、この後、タカがお前、助けにきたんや。あいつがもし、あのまま来んかったら、俺は敵に操られよったまま、お前、襲っとった・・」
「・・・」
美朱は、目の前の彼の顔を見つめた。
あたしは、またこの人を傷つけている。そう思った。
翼宿は、遠い目をしていた。これは、この出来事は、彼にとっては今までの人生で一番、つらいことだったのではないか。人一倍、仲間思いの彼にとっては、身を切られるほどに、思い出すことさえ、苦しい記憶に違いない。
「よかったわ。あん時、タカ来よって。そうや無かったら、俺、一生後悔した」
美朱は、黙っていた。翼宿が自分を、敵に操られて襲おうとした。鬼宿から、奪い取ろうとした。そんな大筋の記憶ははっきりしたのに、何かが足りない。やはり、思い出せずに、ぼやけてしまう。鬼宿の輪郭が、その結末が。自分の気持ちが、どんどん違うところに流れていってしまうのが分かった。
「・・・駄目なんか?」
俯く美朱の姿に、翼宿は、力なく訊ねる。
「思い出せへんのか、やっぱり・・・」
「・・・」
美朱は、答えられなかった。彼の今までの努力が分かっているだけに、そんなことは口にしたくなかったのだ。まさか、自分の気持ちさえも、鬼宿へ寄せていた思いさえも、これっぽっちも思い出せないなど、どれ程翼宿を落胆させるかしれない。けれど、もうこれ以上、彼が傷つく顔も見たくない。
翼宿は、ため息をつくと、諦めの滲んだ眼差しで、美朱を見つめて、言った。
「できんかった・・・。俺は、お前の記憶・・、タマの事、思い出させへんかった・・すまん」
後悔に満ちた言葉が、静まり返った部屋に、虚しく響き渡る。それきり翼宿は、なにも言わなくなった。
自分に背を向けた、痛々しい彼の背中を見て、美朱はようやく自覚した。「いまの」自分の正直な、偽りない心のうちを。
そして、それを告げるのは、お互いにとってふさわしくない事で、よほどの強い覚悟を要する事も。
それでも美朱は、翼宿に真実を伝えなければならないと思った。あたしのために、二度も自分を傷つけてしまった、心優しいこの人に、隠し事をしたままではいられない、逃げてはいけないのだ、と。

38:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:25 ID:OEQ

「ねえ、あたしね。たしかに鬼宿のことは思い出せないよ。でも、それって、翼宿のせいじゃないの、全部、あたしが悪いんだよ」
「・・・」
翼宿は、神妙な面持ちのまま、美朱を振り返った。お互いの視線が、真っ直ぐに交わる。
「あたしは、元の世界にもうすぐ帰らなきゃいけないって、わかってる。だって、あっちにはこんなあたしを待っててくれる人たちもいるから。でも、たとえすぐに帰らなきゃいけないからって、記憶が、完全に戻らないからって、いまの自分の気持ちと向き合わないまま、終わらせようなんて、卑怯だと思う・・・」
「・・・」
翼宿は静かに美朱の言葉を聞いていた。すこし、驚いたように、目を見張って。
「だって、いまのあたしだって、『夕城 美朱』だもの。記憶が完全じゃなくったて、なにも変わらないよ。ここにもう一度来て、俊宇・・・翼宿や、井宿にまた出会った。ここで、感じた想いだって、本物でしょ?」
その間も美朱は、怯むことなく、翼宿を見つめていた。だが、きっと心は震えているのだろう。言うべきか、言わずにいるべきか、この瞬間まで、迷っている。手のひらをひざの上で握り締めて、なんとかそれと戦いながら、ぎこちなく笑顔を作ってみせた。
「いまのあたしに言えることは、俊宇に逢えてよかったって思ってるってこと。たとえそれが、前の自分とは違う、想いだったとしても」
「美朱・・・」
「たとえ、いつか離れるときがきても、鬼宿のこと思い出しても、この気持ちは、絶対忘れない。ううん、忘れちゃいけないんだよ」
「・・・」
美朱の表情は、ぎこちなかった笑みから、やがて、ようやく心が解きほぐれたのを体言するように、緩やかな微笑みへと変わっていた。もう何も恐れる事はない、覚悟を決めたとでもいうかのように。翼宿はその笑顔を黙って見つめていた。
そうか、タマはいつも、こんな顔を見とったんか。
そんな風に想いながら、眩しそうに、じっと。
「俊宇を、好きになって良かった」
「・・・・・・・・・」
それは、美朱にしてみれば、勇気を振り絞った、今の自分の偽り無い、本心からの告白だった。
だが、先ほどから、石像のように翼宿は固まっていて、そこだけ見事に、時間が止まっている。
「あの、翼宿ってば・・・?聞いてる・・・?」
が、次の瞬間、再び息を吹き返した翼宿は、辺りをきょろきょろと確認する素振りを見せる。
「なにしてんの・・?」
美朱は、念のため聞いてみた。
「・・・・俺か?」
「アンタ以外誰がいるのよ!だれが!」
美朱は、怒りの鉄拳右ストレートで翼宿を派手に吹き飛ばした。悲鳴と共に、彼は壁に激突する。
「え、エエつっこみやないかい・・・」
「・・怒るよ」
美朱は、すっかり真っ赤なふくれっ面になって、怒っている。そのさまをみて、翼宿はさも愉快そうに笑った。だけれど、茶化すわけでもなく、からかう訳でもなく、本当に嬉しそうに。
「・・お前って、ホンマにしょーもない奴っちゃな・・」
「どっちがしょうもないのよ!こっちは真剣に話したのに!」
翼宿は、まだぷりぷりしている美朱の頬にそっと触れる。美朱は、無意識に身をこわばらせた。今翼宿が自分に触れるのは、さっきのように、義務的な理由なんかじゃないと分かっているから。
ただ頬を撫でるだけの仕草。それなのに、どこまでも繊細で、臆病な手つきだった。やっと手に入れた自分だけの大切な宝物を、壊さないように、慎重に守ろうとするかのような。
「美朱」
名前を呼ぶ声が、愛を紡ぐ言葉のようにも聞こえた。そう錯覚してしまうほど、甘い声音だった。

39:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:26 ID:OEQ

翼宿の瞳には、再び焔の光が宿り、最初に出会った頃の彼らしい強い輝きが、戻っていた。
そして、数刻ただ見つめあったのち、ゆっくりと翼宿の指はその頬から離れてゆく。
「ほな、戻ろか」
美朱の頬には、彼の熱だけが暫く宿っていた。
立ち尽くす美朱を背に、先に家を出た翼宿は、口の中だけで、独り言のように、小さく呟いた。
その言葉は、きっと届く事は無いけれど、彼なりの精一杯の譲歩だった。口に出して、自身の気持ちを伝えてはいけない。彼女の元の世界に帰るという決意を、決して鈍らせてはならないのだ。
「おおきにな・・・俺も絶対、忘れへん・・」


お前の事、
・・・好きやから。

40:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:27 ID:OEQ

第五章 「我愛イ爾」

俺は、ホンマにアホやと思う。
一年も前に、とっくにケジメつけたつもりやったんにな。
お前の幸せと、俺の身勝手な願いと
今また、同じ天秤にかけようとしとるんや。

情けのうて、かなわんわ・・・。
・・・笑うてくれや。

なあ、美朱。
堪忍してな。
俺、お前に何をゆうてやることもできへん。
お前に、何もしてやれへん。

・・こんなとき、タマやったら、どないすんねんやろ?
愛の言葉の一つや二つ、掛けてやるんやろか。
抱き締めたるんやろか。
俺はそんなん、何も知らん。
山賊っちゅーのは、そうゆうもんなんや!
むやみに女口説くゆうんは、性に合わんのや!

・・・なんて、な。
ホンマは悔しい。
なんで、俺やなかったんやろ。
なんで、最初にお前に会うたの、俺やなかったんやろ。
なんで、俺はお前の傍に、いてやれんのやろ。

今かて、
俺やなくても、向こうの世界で、
タカがお前を幸せにしよるって、信じとるよ。
せやけど、俺、今度こそ、お前失うたら・・・

美朱。
俺、怖いわ。
生まれて初めてそう思う。
誰にも言わんといてな?
頭が、こんな弱音吐いとったら、
功児に、あいつらに、あわせる顔、あらへんわ。

ほな、おやすみ。

明日には、井宿が、お前に術使うたるから。
そんで、なんもかも思い出して、
鬼宿と、タカ思い出して、
そしたら、
お前をちゃんと
元の世界に、返したるから。


今だけ・・・

眠っとる間だけでええ。

俺だけのモンでおってな。


・・・今だけ・・・・・

・・・・・・・・・・・

「翼宿!?」
自分の叫ぶ声で、美朱は布団から跳ね起きた。
「・・・ゆめ・・・?」
夢にしては、胸が張り裂けるほどに苦しい。
さっきまで、ここに彼が居て、自分に語りかけてでもいたかのような、そんな名残が残っている。
「夢じゃない・・・!」
あれは、確かに翼宿の声だった。
聞き間違うはずが無い。

41:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:28 ID:OEQ

鬼宿の村から戻った後、美朱は突然、強い全身の倦怠感を覚え、すぐに自室に戻って、休むことにしたのだ。
井宿から聞いていた話によれば、いまの自分は、精神体で、この世界に多少馴染んできてはいるのだが、魂を守る肉体が無い分、何をするにしろ他の人間よりも多く、負担がかかるのだという。
それで、疲れがやはりたまってしまったのだろう。いつのまにか眠ってしまったのだ。きっと、その間、翼宿が様子を見に来ていたに違いない。
その証拠に、机の上に、籠に入った桃が置かれていた。
美朱の目が覚めたら、きっとお腹が空くと思ったのだろう。
「・・・・」
翼宿のことを思うと、胸は痛むばかりだ。
あれだけ、鬼宿を思い出させようと奮闘してくれたというのに。その彼の努力を、こんな形で裏切ってしまうとは。
だが、記憶を持つ以前の自分と、現在の自分では、やはりなにか違う。・・・同じ美朱自身だというのに。まるで過去の自分の「恋人」というフォルダの中の「鬼宿」を、「翼宿」で上書きしてしまったかのようだ。そういう感覚が、一番表現にすると、的確な気がする。

美朱は自分の告白が、彼にとって迷惑なのではないかと
ここに帰ってきてから、ずっと不安だった。
何せ、自分はもうすぐもとの世界に帰らなければいけないし、記憶が無いとはいえ、向こうの世界には、恋人もいるというのだから。避けられぬ別れが、もう目前に迫ったこんなときに、言うべきことではないと、分かりきっていた。
それでも、今、耳に残っている彼の声は優しい。
どうしようもなく優しすぎて、その優しさのひとつひとつを、思い出すと涙が出る。
あのまま夢を見続けられていたら・・・。
そんな逃げるような自分の考えに、美朱は、ぶんぶんと首をふって対抗した。
こんな甘い気持ちでは、到底本来の記憶など取り戻せない。
鬼宿の、自分の「本当の」恋人のことを。
しかし、記憶を取り戻したところで、鬼宿と、また以前のように生活していけるのだろうか。
この世界で、翼宿を好きになってしまった自分の心を抱えたまま、帰って平然と、知らん顔で、また鬼宿と平和に日常を過ごすなんて、どう考えてもありえない。
そもそも、そんな中途半端な気持ちで、恋人と付き合っていくなんて、絶対、許されるはずがない。

42:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:29 ID:OEQ

「お〜い!百面相!」
「?!」
突如、神妙な思考を、能天気な一声が遮る。
「なんや、ようやく腹減ったか」
翼宿が、ふすまを開けて、ひらひらと手を振る動作をした。
「翼宿!」
さっきまでのことを思い返すとなんとなく、照れくさくなってしまう。
美朱が縮こまって恥ずかしがるさまを見ると、それを見た翼宿まで、何故か気恥ずかしそうに頭をかいた。
「あほ。何ガラにもなく照れてんねん!俺まで照れるやろ!」
「なっ・・・翼宿が勝手に照れたんでしょ、もう」
いつもの軽い冗談めいたやり取り。変わらない彼との時間、それももう、じきに終わる。
「・・・美朱、あのな」
翼宿は、美朱の寝台の前に近寄ると、すぐ傍の椅子に腰を下ろした。
「なあに?」
「今日の晩にな、井宿がお前に術、かけよるねん」
「うん」
それは、知っている。もう元の世界の体に戻れるまでの刻限は、あと三日に迫っているから。
時間としては、まだ余裕があるように見えるが、万が一のことも考え、帰るなら早めに行動したほうがいいということは、井宿にも言われていた。
「夜まで、まだ時間あるやろ・・・」
「・・・うん」
「・・・最後に、どっか行きたいとことか、こっちでやりたいこととか、ないか?」
翼宿の「最後」という言葉に、美朱は胸が抉られるように痛んだ。そうだ、もう彼と一緒にいられる時間は限られている。ほんとうに、これで最後なのだ。
「あたし・・・」
美朱の答えは、もう決まっている。
「翼宿と一緒にいたいな」
美朱の視線と、言葉のあまりの真っ直ぐさに、翼宿がたじろいだのが見て取れた。分かりやすく真っ赤になり、目を逸らされる。
「せ、せやけど!それやったら、いつもと変わらへんやろ。なんか、こう〜・・・」
翼宿は、なんとか巧く言葉を紡ごうと奮闘しているが、結局なにも思い浮かばなかったのか、しどろもどろになってしまった。こういうところは、普段の強気な態度の彼とは対照的で、可愛らしいところだと美朱は思う。
「じゃあ、町にでも下りて、デート、・・・とか」
最後の一日くらいは、普通の恋人同士のように。
美朱のせめてもの願いはそれだけだった。
「でーとってなんや?」
翼宿に不思議そうな顔をされてしまったが。
「・・・あ、こっちの世界だと、『デート』って言わないんだよね!えっと、何ていうのかな、『逢引』?じゃなくて?、『逢瀬』?」
「・・・・!」
黙りこくる翼宿に不安を覚えて、さらに頭を振り絞って美朱は続ける。自分は、もしかして記憶を失ってしまったせいで、正しい言葉を使えていないのかもしれない。
「あれ?違うの?じゃあ『駆け落ち』・・・のわけないし・・・まさか『不倫』?」
「わ〜〜〜〜!最初ので合っとるがな!やめえ、なんや不穏になってきよった!」
「あ、そっか。そうだよね、ごめん」
・・・わざとか?わざとやっとるんか?
・・・縁起でもないわ。
翼宿は、頭を抱えながら俯いた。しかし、それは本当に痛いわけではなく、やはり、照れくさかったからのようだ。
「っとに、お前っちゅー奴は、よくもそないなこと、恥ずかしげも無く・・・っ」
「でも、翼宿と思い出作っておきたいもの。ね」
美朱は、苦悶している翼宿に、満面の笑みで告げた。本当は、この先のことを思うと、美朱とて辛くなってしまう。でも、だからこそ今は、なるべく楽しく、二人きりの時間を過ごしたかった。
「ほんなら、まず・・・」
翼宿が、美朱の希望通り、町へ行くことを提案しようとした矢先・・・
ぐううううううぅ〜っ。きゅううぅぅうう・・・。
奇怪な音が、部屋中にこだました。

43:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:30 ID:OEQ

「あはは、おなか減っちゃったみたい・・」
「食い気か!」
まったく、こいつは。
翼宿は思わず、本気でつっこんでしまった。
「ごめんね、翼宿・・・」
それでも、美朱らしいと思う。彼女は、やはりこの自由奔放さがあってこそだ。
「じゃあ、町に下りたら、まず中華まんに〜、パオズに〜、春巻きに〜、杏仁豆腐ね!」
「結局、食い気か!」

 昨日の晩の事だ。
「翼宿」
体調を崩して、休んでいる美朱を見舞って来た翼宿は、廊下で井宿に呼び止められた。もちろん、理由など決まっている。
「すまん、井宿!俺あいつに・・タマのこと何も思い出させへんかった・・。お前が、俺信じて、任せてくれたんに・・・」
翼宿は、井宿に向かって思い切り頭を下げた。
「俺は、結局最低なヤツやった。あん時と同じや・・・」
「・・・」
「美朱に、好きって言わせてしもた・・・」
「翼宿・・」
根が生真面目な、彼のことだ。自分が傍に付いていながら、美朱の記憶を取り戻せなかったことに、かなり責任を感じていたのだろう。おまけに記憶どころか、自分が美朱の愛情を、鬼宿から奪ってしまった現実も、彼をどうしようもなく追い詰めているのだ。井宿も、そんな翼宿の姿に心を痛めた。
「やめるのだ、翼宿。君はいままで本当によくやっていたのだ。むしろ、おいらこそ悪かったのだ。君の気持ちを知った上で、酷なことを頼んでしまったのだ」
「・・・」
「翼宿、今のおいらは、君の苦しみが分かるのだ。恋も友情も、秤にかけられるものではない。そしてどちらを選んだとしても、どちらかは失うことを、避けられない」
井宿は、遠くを見つめたまま、呟くように語った。
翼宿の気持ちが、心から理解できているからこその言葉だった。
「君にも、美朱にも罪は無いのだ。このような形で巡りあって、互いに惹かれあったのも、また避けられぬ宿運だったのかも知れないのだ。おいらたちが、朱雀の七星として、こうして生まれたときから、ずっと」
「・・・」
翼宿は手のひらを握りしめたままだった。口を硬く結び、ただ頭を垂れたまま。井宿は、そんな彼を穏やかに見つめながら、いよいよ話を本題へと進める。
「場所を変えて話したいことがあるのだ。明日、美朱に施す、術について」

井宿と翼宿は、二人連れ立って中庭へと来た。
秋の夜風が身にしみる。
庭のあちらこちらの茂みから、澄んだ虫の音が聞こえてきた。
「まず、なぜいままでこの術を使わなかったか、順を追って説明するのだ」
井宿の静かな声音が、空気を振動させ、凛と響く。
翼宿は、黙って井宿の隣に腰を下ろすと、その横顔を見つめた。
「美朱は精神体だといったね。これは、最初に話したとおりなのだ。現在も肉体はあちらの世界に存在している。そして、太一君の遠視により、あちらの彼女の体は、どうやら脳に強い衝撃を受けたことで、いま昏睡状態にあるようだと分かったのだ・・・」
「・・・なんやてっ?」
翼宿は、思わず叫ぶ。まさか、昏睡状態なんて。
「やから・・・記憶がないんか・・・!」
「その通りなのだ」
「・・・そんなんって・・・」
呆然とする翼宿に、井宿は続ける。
「本来なら、美朱は記憶を失ったまま、あちらの世界で眠り続けることになっていたかもしれない。だが、その事故が起こる前に、美朱は、『四神天地書』を強く握っていたそうなのだ。強い想いに支配されていた彼女の精神が、頭に受けた衝撃をきっかけに体を離れ、こちらへ引き寄せられてしまったのだ」
「美朱は、その事故に遭う前に、こっちに来とう思っとったんか?」
「・・・おそらく、そのはずなのだ。これは憶測に過ぎないが。彼女は、事故の記憶についても思い出せていないのだ」
遠くの宴会場では、山賊たちの笑い声や、話し声が微かに聞こえてくる。そこから遠く離れ、この場所だけ別世界のような感覚で満ちていた。

44:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:32 ID:OEQ

「記憶を完全に戻して、精神を元の世界に返すということは、あちらの世界でいうと、「昏睡状態から目覚める」ということになるのだ」
「なるほどな」
「君は言ったね。術があるのなら、最初から使って記憶を戻せばいいだろうと」
「おう。言うたな」
「こちらに着たばかりの美朱は、あちらの世界から強引に引き剥がされたことにより、魂魄が弱ってしまっていた。あの状態では、無理な術の関与は、きわめて危険だったのだ。しかし今は、ある程度時間も経ち、美朱の精神もだいぶこの世界に馴染んだのだ。記憶もほぼ、自然に取り戻しつつあり、魂魄も安定している。だからこそ、ようやく術を使えるという状態になったのだ」
井宿の説明は的確だと、翼宿は納得した。確かに最初にこの世界に来たばかりの彼女は、ほとんど寝てばかりで、かなり衰弱していた。
それら全ての理由が、今ようやくはっきりした。
「ほんなら、その術使うたら、残りの思い出せへん記憶も、取り戻せるんやな?タマのことも・・・」
「・・・」
井宿はそこで何故か黙してしまう。
先ほどまであんなに説明を長々としていたというのに。
「どないした、井宿?今更やっぱりおいら出来ませんー言うのは、無しやで」
翼宿は、井宿の神妙な雰囲気に不安になり、思わず彼の肩を揺すぶる。
「翼宿。おいらも太一君と相談したのだ。その術も、もう完成させてある。しかし、それは、君と・・・」
「・・・なんや?」
「君と美朱にとっては、つらいことになるかもしれないのだ」
翼宿は、ははは、と声を出して笑った。「何を今更」という心持ちだった。なぜなら、もう翼宿は美朱が元の世界に帰ることは知っているのだから。お互いの想いが、ひとつに通じ合えたのに、尚、別れなければならないという現実。それ以上に辛いことなど、あるのかというくらいだった。
「翼宿。美朱と明日、二人でたくさん、思い出を作ってくるのだ・・・」
「・・・」
「・・・元の世界に戻ったとき、美朱は」

なあ。
世の中ちゅうモンは、ようできとるんやな。
願いを叶えるには、
それ相応の代価が、必要っちゅうこっちゃ。
・・・そりゃ、そうやろな・・・
気づかへんなんて、アホやな、俺も。

美朱、大丈夫や。
お前の代わりに俺が、
ずっと忘れへんから。

せやから、鬼宿のこと、
ちゃーんと思い出さなアカンで!

なあ、神様!天帝様!
仏さん?
・・なんでもええ!
ホンマにいてるんやったら、
頼むわ。

あいつを一人で、泣かせんように、したって。
俺は、傍で笑わせたること、
もうできへんねんから。

城下は、相変わらずの賑わいを見せていた。
美朱は、人々の喧騒に負けないくらいの明るい笑い声を響かせて、翼宿と町並みを歩いていく。
ここは、俊宇を名乗っていた頃の翼宿と、以前訪れた市である。
「まだ食うんか?」
先ほどから、美朱の食べ歩きは止まらない。
「だって、この世界の味をしっかり堪能しておかなきゃ、もったいないわ!」
「これやもんな〜」
翼宿は、覚悟を決めてきたものの、一向に満腹になる様子のない美朱に、自分の全財産を食事で使い果たすのではあるまいかと、一抹の不安を覚える。
「うそうそ!これで最後にするから!」
「って、結局食うんかいな!!」
・・・異世界のおんなっちゅーんは、みんなこない食うんやろか。大変やな、野郎は。
翼宿は、見知らぬ異世界の男性一同に、つくづく同情した。

45:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:35 ID:OEQ

「次、どこ行きたいんや?」
満足そうに微笑む美朱の手を引いて歩く。
そのぬくもりを、今は決して放さないように。
「翼宿は?あたしの食事にばっかり付き合わせちゃったし、あたし、どこにでも一緒に行くよ?」
どこにでも・・・。
ホンマにそうやったらええのに。
このままお前攫うて、遠くへ行ってまいたい。
なんもかも忘れて。
そんな考えが過ぎっては消えていく。翼宿は、自分の諦めの悪さに、嘲笑を浮かべた。往生際の悪い男だと、腹の底から笑って、自分ごと笑い飛ばしたかった。
今までこんなに己を情けなく思ったことは無い。
頭領になって、少しは一端の男になったと勘違いしていたけれど、実際は愛した女一人、自分の手で守ってやれないような、ちっぽけな奴だったのか。
「翼宿、そんな顔しないでよ」
美朱は、翼宿の表情をじっと見つめていた。だからこそ分かった。彼が、自分を深く責めていることが。
美朱は、この二週間近く、彼とずっと一緒にいたのだから。そしてその間、誰よりも、翼宿を見て来た自信があった。
「あたし、欲しいものがある!」
突如、良いことを思いついたとでもいうように、美朱は声を張り上げた。
「おう、ええで!なんや?なんでもゆうてみ。買ったる、買ったる」
「え〜〜〜〜〜〜っと・・・」
「食いモン以外なあ!」
「まだ言ってないのに・・・もう」
「予防線はらな!危険やからなあ〜」
翼宿はくくっ、と意地悪そうに不適な笑みを浮かべた。こういう笑い方をするのは、久しぶりに思える。美朱は、ほっと肩を撫で下ろした。

美朱は、翼宿を引っ張って、耳飾や腕輪などの装飾品を扱っている出店にやって来た。
「ほう、意外やな。お前がこない女っぽいモン欲しいゆうとは」
「どういう意味よ!あたしだって、普通の女の子なんだから、アクセサリーくらい買うことあるよ」
美朱は、ブスくれたフリをしてみせる。
もちろん、実際はそんなことはない。
翼宿と二人で、最初で最後のデートである。こんなやり取りが出来るのも、今だけなのだから。
「ほんで?何が欲しいんや?なんでもゆうてみぃ」
「今日は太っ腹ね!翼宿!」
「あほ!俺はいつだって太っ腹じゃ!」
そういって、美朱の額を小突く。
彼の温かい手のひらが、どれ程ありがたいものだったのか。
この世界に来て、心から美朱は実感した。
寝たきりのとき、ずっと握り締めてくれていた手。
髪の毛を優しく撫でてくれた手。抱き締めてくれた手。
そんな彼の温もり、ひとつひとつに、感謝したい。
「向こうではね、恋人同士って、お揃いのアクセサリーつけたりするんだよ。・・だから、翼宿とも」
「・・・」
「翼宿?」
美朱が、黙っている翼宿の顔を見上げると、翼宿は、一瞬だけ、その眼差しに、寂しさを滲ませているようにみえた。すぐに陽気な笑顔に変わって、美朱の頭を撫でたけれど。
「おし。それやったら、ええモンやるわ!」
「え?」
翼宿は、自分の右の耳飾りを、取り外した。
そして、そのまま美朱の手のひらにポンと乗せる。
「これ、翼宿のピアスなのに・・・いいの?」
「お揃いがええんやろ。それやったら、他に誰もつけとる奴、おらんから。俺がこしらえたヤツやし」
それは、翼宿がいつも身につけていた、青い涙形の水晶がぶら下がったピアス。
大振りで、ちょっと派手なのが何とも翼宿らしい。自分が付けたら、似合うかは自信が無いけれど。
「しかも手作りなんだ・・・」

46:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:37 ID:OEQ

意外。と美朱は思わず呟きそうになったが、折角こんな素敵な物をプレゼントしてくれた彼を傷つけないように、なんとか声を飲み込んだ。普段の彼は、失礼ながら、どちらかと言うと短気で、あまり集中力に長けているように見えないのに。けれども、翼宿はピアス以外にもさまざまな珍しい宝石をジャラジャラ繋げたネックレスも身につけているから、こういう物には、こだわりがあるのかもしれない。
「いいな、こういうの作れるって。しかもオリジナルなんて、世界にひとつってことだもんね」
美朱は、彼の手作りの贈り物を、大事にポケットにしまった。まだピアスの穴はあけてはいないから、付けられないけど。絶対大切にしようと思いながら。
「・・・残念やな。もっと時間があったら、一から作り方教えたるんに。石やって、お前に似合うの選んできたるし。なんぼやって贈ったるのに・・・」
翼宿は本当に残念そうに、呟いた。ふたりには余りに時間が足りない。
「それから、あと、これも買うた」
「あ・・」
美朱の髪に、翼宿は綺麗な髪留めを留めてくれた。
長方形の、金の土台の中央に、紅色をした丸い宝石がキラキラと眩い光を放っている。
さっき店で見ていたときは、ちょっと派手だと思ったけれど、こうして身につけてみると、意外と自分に合っている様な気がした。
「翼宿、これ高かったんじゃ・・・」
そもそも、あの店自体、それなりに根の張るものばかりが並んでいたのだ。中でもこの髪飾りは、装飾の細かさや、使われている素材の質感など見ても、高級な品な事くらいは、宝石に詳しくない高校生の美朱にも、なんとなく分かる。
「お前なあ。俺を誰やと思うてんねん。あの山丸々持っとる頭やで、頭!金なんか吐いて捨てるほど有りあまっとるっちゅーねん」
そういって、いつもの翼宿節を見せた後、
「よう似合う。さすが、俺!」
すっと目を細めながら、眩しそうに微笑んだ。その表情は、いつもの彼らしい、屈託の無い明るい笑みとはまた違う、大人の男性の表情のように思えて、美朱はふとドギマギしてしまう。
「・・・ありがとう。うれしい・・・」
・・・さすが俺、はいらないけど。
その後も、二人で他愛ないおしゃべりを交わしながら、市中を見て回った。
笑ったり、はしゃいだり、冗談を言い合ったり。
美朱が望んだとおり、まるで普通の恋人同士のように。

「ここや〜〜」
夕暮れ時になり、二人で、アジトに戻る途中、翼宿は突然、馬を止めて美朱を抱き下ろした。
「翼宿?どうしたの、いきなり」
「ええから、見てみい!」
「!」
そこは、見晴らしの良い、城下を見下ろせる崖の上だった。町並みと、夕日との陰影のコントラストが、また一段と美しい。
「危のうから、あんま先っちょに近づいたらアカンで!落ちたら、死ぬで〜」
翼宿は、口調こそ冗談ぽく言ったが、心は本気だった。
美朱なら、やりかねない。
「翼宿〜〜、すごい!きれーだよ!ほらっ」
そういって、両手を広げて案の定、元気に走り出した。
「こらあ!アカンゆうてるやろ、危のうから!」
翼宿は、慌てて美朱の手を掴むと、そのまま自分の腕の中に抱きとめる。
「っきゃ?」
「お前は、こうでもしてへんと、どこ行くか分からんっ」
美朱は、さっきまでと打って変わって静かになった。
翼宿の胸がすっかり顔を覆いつぶしているので、文字通り、声も出ない。確か、前にもこんなことがあった。
俊宇と名乗る翼宿とふたり、市見物をした日に。
しばらくふたり、ただお互いの温度を実感していた。秋の夕暮れは肌寒いが、こうして寄り添っているだけで、そんなことすら忘れられる。
やがて、名残惜しそうに、どちらとも無く体を放した後、二人は寄り添って地面に腰を下ろし、一面に広がる夕焼け空を眺めた

47:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:38 ID:OEQ

「今日、楽しかったね」
「そうやな。終わるん、勿体無いわ」
・・・
それきり、沈黙してしまう。美朱も翼宿も、これ以上なにか口にすれば、もう二度と離れることができなくなるんじゃないかという、予感があった。きっと、元の世界に帰りたくないと、返したくないと、決して許されないことを、お互いに口に出しそうだったから。
美朱は、余りに美しい夕焼け空に、胸が締め付けられながらも、目を逸らさずに見つめ続けた。

あの夕日は、なんだか翼宿と似てる。
瞳の色も、髪の色も同じで。
近づいたと思ったのに、手を伸ばしても届かなくて、
見つめると、切なくて。

「翼宿、あとひとつだけ、お願い聞いてくれる?」
「おう。勿論!・・なんや?」
「あたしの気持ちは、翼宿に言ったのに、まだ翼宿の返事、聞いてないよ」
「・・・」
それは、美朱がもっとも気になっていたところだ。
自分を憎からず思ってくれていることが伝わるくらい、大切にしてくれているのに、その返事だけは、あれ以来聞いていない。
「・・・それは、言われへん」
だが、翼宿はやはり口を閉ざしてしまう。ふいっと顔を反対側に反らされてしまった。
「お願い聞いてくれるんでしょ?だから、一度でいいから、聞かせてほしいな」
「・・・」
「一回でいいから。絶対忘れないから・・・」
美朱は、じっと翼宿を見つめながら、切実に懇願する。
「・・・忘れ・・」
翼宿は、小さく呟くように言った。
静かな夕焼けの空の下、はかなく消え入るように。
「・・・翼宿?」
「忘れてくれ・・・頼むから」
「・・・」
翼宿はほんとうに、ようやく喉の奥底から搾り出したかのような掠れた声で、そう告げた。だが美朱が、今にも泣き出しそうに隣で震えるのを感じて、ひとりでに、きつく唇を噛み締めた。二人とも、もうこれ以上、互いを傷つけたくはない。だからこそ、譲ることの出来ない部分があった。
「・・・美朱」
瞳に涙を溜めた美朱を、翼宿は引き寄せた。美朱は、驚きの表情を浮かべたまま、翼宿の胸に、体をそのまま預ける。
「・・どうして、忘れろなんていうの?翼宿、あたし・・・翼宿のこと忘れないって・・・!」
「泣くなや。・・・泣くな」
美朱は、とうとう泣きじゃくりだした。
忘れろという言葉とは対照的に、自分を離すまいときつく抱いてくる彼の優しさは、余計に涙を誘った。
「忘れたら、なんぼでもゆうたる」
「・・・えっ?」
「お前が忘れた時は、お前にゆうたる。どこまでも追いかけて、ひっ捕まえて、俺を思い出せるまで、なんぼでも」
美朱は、目を丸くして、翼宿を見つめ返す。
オレンジの夕日を映した煌く瞳に徐々に吸い込まれていく。唇に、一瞬だけ熱が灯った。
触れたか触れぬかも、分からない内の口づけだった。

48:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:40 ID:OEQ

翼宿は、美朱のことをよく分かっていたのだ。
自分の気持ちを告げることは、彼女をここに縛り付けてしまうことだと、理解していた。だからこそこのまま、言わずに美朱を見送ろうと思ってきた。
だが、例えいま、自分の想いを伝えようとも、彼女の記憶は「なくなる」としたら。
そう、これまでの、翼宿に関すること全て。
短い口づけの合間、昨日の晩の井宿の言葉が、翼宿の心中を、冷たく吹き抜けていく。
【元の世界に戻った時、美朱は、君の事を覚えていない。もちろん君だけでなく、おいらのことも】
【この術は、美朱の精神状態を、彼女の世界でいう「昨日」の状態へと、強制的に巻き戻すもの。つまりは、美朱の心は、事故に遭う前の「四神天地書」に吸い込まれる前の、状態に戻るのだ】
【この世界に再びやって来て、二週間余りの時間を過ごしてきた記憶はすべて、彼女にとって「なかったこと」になる。そして、元の肉体へと帰って行く】
「我愛イ爾、・・・美朱」
なんぼでもゆうよ。
今だけや。
このときだけやから、
きっとタマかて許してくれるやろ。
砂粒くらいでええ、
ほんの少しでええから、
お前に何かを、残してやりたいんや。

・・・せやから、忘れてくれな。
それが、お前の幸せのために
俺が出来る最後のことや。

「翼宿、・・・泣かないで」

ははは。
なんや、男のくせに、泣いてばっかで、
かっこ悪いな、俺。
お前に、情けのうとこばっか見せて。

言うたよな?
俺は、お前を忘れへんから。
お前の分まで、覚えとるから。

「愛してる」

せめて、失うてくお前の記憶の中の
最後の一瞬まで、残うてるもんは、

「俺」やったら、ええな・・・。

 

第六章 「狼ノ牙」

時はめまぐるしく過ぎた。
アジトである、レイカク山の屋敷へと戻り、その後は美朱も翼宿も多くは語らず、二人そろってそれぞれ自分の部屋に戻った。美朱は、ここへ来た時に身につけていた、高校の制服に着替えなおしていた。
ここに世話になっている間は、翼宿が手下たちに買ってこさせた上等な着物を着替えとして何着も貸してもらっていたけれど、それも、もう今日で着ることはない。
この部屋で、翼宿と他愛ない話をしたり、桃を食べたり、井宿と翼宿の漫才のようなやり取りを見て笑ったりすることも、無くなってしまう。
思い出が蘇る度、やはり別れはつらい。途方も無く美朱はつらかった。

49:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:43 ID:OEQ

「ごめんください。どなたですか?一人でウジウジしちょる、さびしい幻ちゃんに会いにきた、とってもダチ想いの、かっこいいお兄さんです〜。まあ、素敵!お入りください!ありがとう〜」
「・・・功児」
屋敷に戻ってから、部屋でぼーっと井宿を待っていた翼宿は、いつもの一人芝居で勝手に人の了解を得て、入り込んできた功児の姿を見ても、到底、明るく応対する気力も湧いてこず、ただ、ふ〜っとため息をついただけだった。
「なんや、ノリ悪いな!・・・マジやったんか?」
「・・・」
功児は、翼宿の正面の椅子に、向き合うように座った。
彼は手土産に、上等な酒も持ってきていた。
「珍しな〜!女なんか好かん言うとったんに」
「・・・」
「奪い取ったれ」
「ぶっ・・・!」
翼宿は杯を手から滑らせ、机に落とした挙句、口からは飲みかけの酒を吹き出した。勿論、噴出した酒は、功児の顔面にまっしぐらである。
「汚っ?何すんじゃ、幻狼ー!」
「お前こそ何ゆうてんねん!あほか!」
まったくお前は・・・と、ぐちぐち言いながら、酒を注ぎなおす翼宿に、功児はいたってまじめに話を続ける。
「アホは、どっちやねん。俺らは曲がりなりにも、山賊やで?欲しいモンは奪い取ってなんぼじゃ。ちゃうか?」
「・・・」
翼宿は、何も答えず、黙って酒を煽る。
否、答えようにも、答えられないのだろう。
彼にも良くわかっているのだ。今の自分がいかに「幻狼」らしくないのかを。
「お前、変わったな、幻狼。前やったら、前のお前やったら、きっと俺にこないに言われんでも、奪いとってたんちゃうんか?」
「・・・」
「朱雀の仲間らと出会ってからのお前、楽しそうやったからな。せやけど、幻狼を好いてくれる女なんて、そうそういるもんやないで〜。ああ、勿体な〜。次に女が出来よるんは、何年後かなあ〜?」
「けっ。じゃかあしい。お前に言われとうないわ・・・」
翼宿はスカした口調で切り替えしたが、功児からは、信じられない一言が返ってきた。
「何言うてんねん!俺には昔から仲良うしとる女くらい、四、五人は、おるわ!!」
「なんやて!?」
いつの間に!しかも四、五人やて?
翼宿は、またしてもお約束でぶっと酒を噴出した。
「功児!俺に黙っていつの間に女なんぞ作りよった?それも五人て・・・っ」
予想をはるか上にゆく功児の言葉に、動揺を隠せない。
「女と遊ぶなゆう決まりなんぞ、なかったやろ。おまえやって、あの娘と毎晩仲良う遊んどったんやろ、どうせ。ご馳走様でしたあ〜♪」
「だっ!誰が毎晩何しとったってえっ?お前と一緒にすな!このアホンダラがぁっ!」
見る見る顔が赤くなったかと思うと、頭にまで血が上って激昂した翼宿は、容赦なく鉄扇を功児に叩き込んだ。ぐあっ!といううめき声と共に、功児は、机に思い切り顔をめり込ませる。それでも、翼宿の怒りは収まらないようだ。
「俺と美朱は、そんなんやない!」
まあ、今日の逢引は、それなりに恋人同士のようには過ごしたけれど、所詮股がけで、女遊びの激しい功児には自分の気持ちなど分かるまい。翼宿は嘆息した。
「そんなんどうだってええ。とにかくな、ちっとでも未練あんなら、今からでも引き止めえ」
「・・・俺は」
「頭のお前が、んな情けのう落ち込んでると、仲間ら、心配すんやろが!」
功児は、ダンっ!と音を立てて、思い切りテーブルを叩いた。「幻狼」にはっぱをかけるために。翼宿は、そんなことは、功児がここに来た時点で十分に理解できていた。
「俺は、あいつに幸せになってほしい思うとるだけや。あいつには、自分の世界があって、向こうには家族も居るんや。あいつが・・・ほんまに好いとる男もおる」
「事情はおおかた井宿さんから聞いとる。せやけど、それでお前、ホンマにええんか?お前が引きとめたったら、あの娘やって、きっと・・・」
確かに、翼宿が引き止めたら、美朱はここにのこると言い出してしまうだろう。彼女は、自分の気持ちに正直なのだ。鬼宿のときも、そうだった。彼に誘われて、この世界に残りたいとまで、言っていたくらいなのだから。
・・でも、だからこそ、引き止める言葉など言えない。

50:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:47 ID:OEQ

「俺な、美朱だけやない。タマかて大事なダチやねん。やから、二度もあいつ裏切れへん」
「幻狼・・・」
功児は、はあああ〜っ、と大げさに肩を落としてため息をついている。お人よしやがな!と。
「幻狼、気持ちはわかるけどな・・・お前は絶対、今日彼女帰したら、後悔するで!」
「そないなこと・・」
・・わかっとるわ・・
口のなかでそれだけ呟くと、翼宿は杯に映る自分の顔をみて、密かに歪んだ笑みを浮かべた。
「まあええ、ホンマにそれでええんなら、そうせえ!」
功児は諦めたように、机を離れていく。そして、ふすまを開けようとしたが、部屋を出る間際もう一度、翼宿を振り返った。
「ほんでも、もう一度お前らがこの世界で巡り会うたんは、なんかの縁やって俺は思う。もしそれが運命っちゅーやつやったら、お前らはまた結局、離れるなんて、出来へんのちゃうかな・・・」
「・・・戻ったら、もう二度とあいつはこっちには来いひんのにか」
翼宿がそういうと、功児は二カッと笑いながら、
「いや、あの娘のことやから、来るよ。なんぼでも、お前に会いとうなったら、な」
それだけ言うと、出て行った。
また静寂が訪れた部屋で、翼宿は力なく呟いた。
それだけは、決して無いのだと、苦笑して。
「美朱は、戻らん。・・・俺を忘れて、今度こそ幸せになれるんやから・・・」

夜もふけ、井宿から出発の声が掛けられたのは、あの午後の楽しかったデートから、本当に一瞬後のことのようにさえ感じるほど、すぐのことだった。
翼宿と美朱は、お互い最後のときまでの短い時間を惜しむように、手を繋いだまま、井宿の後ろを付いて歩いた。対極山麓までは、井宿の傘を通り抜けてきたが、山を登るくらいの間でも、二人の時間を少しでも長く持たせてあげたいと願う井宿の、せめてもの気遣いだった。

「ひさしぶりじゃの・・・。美朱、まさかお主が再び、この世界を訪れる日がこようとは」
「太一君・・・どうしたの、そんな玉の中に」
山を登りきり、大きな鏡のごとく透明な水を湛えた湖の前にたどり着く。そこに、奇妙なことに、丸い球体が浮かんでおり、その中に、太一君の姿がうっすらと浮かび上がっていた。
「知っての通り、このわしもテンコウとの戦いにおいて、かなりの神力を使ったのでな。かりそめの姿を一時的に封印して、力の回復を図っておる途中なのじゃ。久しぶりに会ったのに、このような姿ですまぬな」
「なんや。ずっとその玉ん中に居れば安全なんに!」
翼宿の悪口とほぼ同時に、彼の頭上で雷鳴が轟き、稲妻が、その脳天に見事に直撃した。
「ぎゃあああああああっっ?死ぬぅっ!今度は俺が記憶失うてまう〜〜〜〜っ」
「ふんっ。愚か者!力が衰えたとはいえ、お主を躾ける分の力くらいは残っておるでな!口の聞き方に気をつけることじゃ」
「・・・だから、言わなきゃいいのに」
井宿のほとほと呆れ切った呟きが、黒焦げの翼宿に向かって放たれた。

「この上で、横になって目を瞑ればいいの?」
美朱たちは、太一君の力で、とある一室に空間移動させられた。そこは、途方も無く白い床と壁が、無限に続くばかりの部屋で、入り口のような扉も無かった。あるものと言えば、すべてが銀で作られた豪勢な寝台が、ひとつだけだ。その寝台には、朱雀のようにも見える鳥の姿が、一面に彫られており、布団などの寝具はすべて、真紅色だった。
「そうじゃ。目を瞑って、そこに横たわり、意識を元の世界へと集中させい。そこに、わしと井宿の術をかける。術が発動すると、お主は眠りに付く。そして、目が覚めたころには全ての記憶は戻り、元の世界についているじゃろう」
「・・・」
翼宿は、ただじっと太一君の話を聞いていた。
美朱が、ほんの少し不安げに彼を振り向くと、
「美朱・・・大丈夫や。井宿と、太一君なんやで。必ずお前を無事に、あっちへ送ったるに決まってるやろ。安心せぇ」
と、優しく微笑みかけながら、彼女の背をぽんと叩いた。ただこの手のひらがあるだけで、美朱は何よりも安心できるのだと、心から感じた。この手を、叶うならずっと握り締めていたかった。そう思うとまた、引っ込めていたはずの別れへの淋しさが湧き上がりそうになる。
「翼宿、あたしがちゃんと向こうへ行くまで、あたしの手を握っていてくれない・・・?」
「・・・俺はそうしてやりたいねんけど。術の邪魔にならへんのか?」

51:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:48 ID:OEQ

翼宿は、井宿に問いかける。そうすると、井宿は太一君と視線を交えた後、穏やかに微笑んで告げた。
「問題ないのだ。そうしてやって欲しい。美朱の恐怖を和らげてやってほしい・・・」
「ありがとうな・・・」
翼宿も、その言葉にほっと安堵して、緩やかに微笑み返した。ふたりのやり取りを見守っていた太一君だが、何かを思案するような表情を浮かべた後、彼らに言う。
「どれ、少しばかり時間をやろう、翼宿」
「あ?」
「美朱と話したいことがあるなら、これが最後の機会じゃ。その間、わしと井宿は席をはずす」
「太一君・・・!」
美朱は、少し戸惑った様子ではあったが、翼宿と目を合わせるとお互いそんな微妙な表情を浮かべていたので、思わず笑いあった。

何もない部屋の中で、寝台に腰掛けた二人は、暫く無言のままだった。ただ、ずっと手を握り締めたまま。
いざとなるとこんなにも、言葉が無力とは。
けれども、本当はいつまでもこうしていたいのだと互いが想いあっているからこそ、こうしてこの時を静かに過ごせるのかもしれない。
これから訪れる出来事は、翼宿にとっては、真実の意味で、恋人との永久の別れの瞬間。
そう思うと、情けなくもまた弱音が口を付いて出そうになる。それを塞ぐかのように、翼宿は美朱の手を握りしめたまま、彼女の手首に自分の唇を押し付けた。
「翼宿・・」
美朱は驚きつつもその口づけを受け入れる。
深い悲哀の口づけ。それも、あの時とは違う。
一瞬なのか、永遠なのか、そもそも感覚がこの部屋にはないのかもしれないけれども、それすら分からないほどに、気の遠くなりそうなほど、彼の唇はそこから離れなかった。
「翼宿・・・ってば、ちょっと、痛い、よ・・」
「・・・すまん」
翼宿はそういって、悪戯っぽく笑った後、手首を開放するが、今度はそのまま彼女の肩を掴むと、布団に押し付けた。
優しく髪を撫でながら、口づけをおとす。
首筋にも、頬にも。優しいだけのときもあれば、時折、牙をたてられた。まるで獣が噛み付いているかのように。
「・・・っ」
普段見せている、暖かく、陽気な優しさの中にある、翼宿の中の秘められた激情が、その口づけひとつひとつに惜しみなく込められている。
どれだけそうしていたのか、翼宿は最後に唇にも口づけを落とすと、美朱から体を離した。
「ちょっと?翼宿、この手首!」
ついさっきまで翼宿の甘い攻撃に、すっかり放心しかけていた美朱だが、さきほど口付けられた左手首をみるやいなや、突如叫んだ。そこには彼の二本の牙のあとがくっきり赤く残っていた。加減だけはしっかりわきまえているのか、血も滲んではいないし、ちょっと痛むくらいなのだが、まるで痣のようになっている。暫く消えることはなさそうだ。

52:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:50 ID:OEQ

と、楽しげかつ、意地悪く微笑んだ彼の表情に、ようやく事の次第に気が付いたのか、美朱が自分の体を見直すと、目に付くところにかなりの数の「牙痕」が付けられていた。やられた・・・!
美朱は、顔を真っ赤にして、翼宿に抗議する。
「元の世界に戻ったって、こんなのついたまま、学校いけないでしょ?」
「大丈夫やって〜。ちゃんと服着とけば、見えるトコにはついてへんから。気ぃつくとしたら、タカくらいちゃうん?」
「それって、喧嘩させようとしてる・・・?」
「あはは〜。そんなまさかぁ〜!僕が、タカ君と、美朱ちゃんを?そんな〜。恐れ多いです〜」
「なに!?そのワザとらしい標準語!」
美朱は、お仕置きの左フックを翼宿に命中させる。恒例のお約束で、翼宿はベットから床に思い切り吹っ飛ばされた。
「ええやんか。お前は今は俺のモンやさかい。俺のモンに俺の痕つけて、なんか悪いかぁ・・・」
ぶちぶちと拗ねる翼宿は、ついさっきまで獣のように美朱に噛み付いていた男には見えない。いつまでも傷つきやすい少年のような彼は、本当に憎めないなと美朱は苦笑した。
「タマに大事な宝モン、返したるんやから・・こんなん可愛いもんやって」
そう呟くと、翼宿は、切ない笑みを浮かべた。美朱も、彼の、鬼宿へのささやかな抵抗がいじらしく思えて、それ以上責めることは出来なかった。

53:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:50 ID:OEQ

「では、始めるのだ」
美朱は、寝台に横になり、目を閉じた。
すぐ横では翼宿が、彼女の手を握りしめて、祈るようにじっとその顔を見つめている。
そして、二人が居る寝台からやや離れたところに、印を組んでいる井宿と、球体に映し出されている太一君がいた。二人が呪文を唱える声が、遠くから微かに聞こえる。
「・・・」
美朱は、意識を集中させる。
元の世界を思い出す。学校。家族。友達。
自分の生活を。
その中に、「誰か」の影が入り込んでくる。
・・・記憶が戻っていこうとしているのが、揺れ動く意識の中で実感できた。
「た・・ま、ほめ・・・?」
手のひらには、翼宿の温もりがはっきりと伝わっているのに、何故だろう。記憶が戻ってくるのと同時に、鬼宿が自分の中に徐々に蘇っていくのと同時に、「翼宿」の存在が、少しずつ自分から消えていってしまう。
翼宿の声も、やや熱い体温も。その暖かい笑顔も。
その全てが、別の男性の感覚と、すり替わってゆく。まるで、鬼宿と引き換えに、翼宿を失ってしまうような。
「いや・・・!」
「・・美朱、集中せえ!」
翼宿が、思わず声を掛ける。美朱が明らかに集中を乱していた。
「気ぃしっかりもたんと、次元の狭間ん中に、閉じ込められてまう!集中せえ!」
「でも・・・翼宿が・・・っ。消えちゃうよ・・・っ」
「俺は、・・・・消えん」
美朱の体が、赤い光に溶け込むように消えかかり始める。翼宿は、その薄れゆく手のひらを、優しく握りしめたまま、彼女の姿を見つめ続けた。
井宿と太一君の声が、ひときわ大きく、その凄みを増してゆく。
「大丈夫、や・・・。お前が、忘れたら、俺が、思い出させ、たるから・・・なんぼでも・・。ゆうた、やろ」
翼宿の声が、はるか遠くから、微かに響く。もしかしたら、泣いているのかもしれない。もしそうなら、美朱は今すぐ、彼の涙を拭ってあげたかった。けれど、もう目を開けることも出来ないし、手を動かすことも出来ない。それ以前に、この声が届くかも分からない。
「泣かないで・・・翼宿・・」
あたし、忘れない・・!
「・・・」
だって、言ったもの・・!
あたしは、翼宿を忘れないって・・・。
美朱の体は、もはやその輪郭すら光と同化してしまった。もう手のひらも何処にあるかわからない。
それでも翼宿は、その光を最後まで離さなかった。

54:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:51 ID:OEQ

好きやゆうてくれて、ありがとう」
美朱は、最早自分の存在が、ここには「ない」ことを実感しながら、見えない彼の姿をもう一度探した。
あたしが消えていく。そして、きっと。
あたしの中の、彼も・・・。
「ほな、さいなら」
「・・・・」
自らを取り込んで輝きを増してゆく光の粒子が、この体をここにとどめて置けないのなら、せめてこの想いだけは消えないで欲しい、そう美朱は願っていた。けれど、それすらも跡形なく奪われてしまう。
最後にあの人は微笑んだ。
この別離が、永久であることを微塵も感じさせないのは、いまこの瞬間にすら、柔らかな笑顔を見せる、あの人のせいだ。もう、彼の名前さえも思い出せないことが、途方もなく、辛い。
「・・・さよなら・・・」
やがて自分の声すら、美朱の耳に届かなくなる。
次の瞬間、光は一段と大きく膨れ上がり、弾けて、跡形も無く消滅していった

55:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:53 ID:OEQ

最終章 「夕日」

なんだか、すごく悲しい夢を見ていた気がする。
誰かがずっとあたしを呼んでいた。
手を取ってくれた、傍にいてくれた、
あたしを愛してくれた。
そして、最後は、泣いていたの。
ずっと・・・。

「美朱!美朱!」
・・・窓から差し込む、オレンジの光で、目が覚めた。
意識の戻った美朱は、見知らぬ場所の、真っ白な天井をじっと見つめていた。
頬には、一筋の涙が伝っている。まだ、胸がつかまれた様に痛くて、息苦しかった。
「先生!美朱が・・美朱が・・・っ!」
両サイドには、美朱の母と、兄の圭介が立っていて、涙を浮かべながら、ベッドに横たわる、美朱の顔を覗き込んでいる。そして、直ぐ傍には、彼女の手をずっと握りしめている、恋人のタカがいた。
「美朱っ・・・。心配したんだぞ。階段から落ちるなんて、いくらお前でもやらないとは思ってたのに、俺が甘かったよ」
タカが、美朱に思い切り抱きつく。その感触に、ようやく美朱は口を開いた。
「・・・た、か・・・」
そう、タカだ。不思議なことに、たった二時間程、意識不明だっただけで、タカとも昨日会って別れたばかりだというのに、もう長いこと、この人に会っていなかったような、そんな感覚だった。或いは、遠い過去の記憶を、垣間見ているかのような。自分の事だというのに、まるで他人事のように、彼の感触を、ただ受け入れることしかできない。
皆が口々に、美朱の目覚めを喜ぶ中、美朱の瞳は、病院の窓の外に広がる、一面の夕焼け空だけを見つめていた。
「どうした?美朱・・・?まだ頭が痛いのか?」
タカが、美朱の様子を気にして、声を掛ける。
美朱は、ふるふると首を振ると、さびしそうに微笑んだ。
「違うの・・・あんまり、綺麗だから、だよ。きっと・・・」
こんなに夕日とは、暖かい光だったのだろうか。
ただ、遠くて、手が触れられないのに、ひたすら気高く美しいあの橙色。
見つめると切ない。けれども、目を逸らせない。
涙が、ほろほろと、零れた。
タカは、一瞬驚いたが、すぐに腕を伸ばして、美朱を力強くかき抱いた。彼女の抱える悲しみを、覆い隠そうとするように、きつく。

56:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:54 ID:OEQ

「美〜朱っ」
午後の授業が終わり、美朱は一人で今日も屋上に昇った。
最近美朱は、よく放課後、ココへ来ている。
何をするでもなく、ここから見える夕焼けをただ見るためだけに。その手の平には、夕日の輝きを浴びて、より煌きを増す、金の髪飾りが握られていた。これは、美朱の記憶に無いものだったが、なぜか、あの病院で目覚めた自分が気づいたら、ずっと握りしめていたものだった。
「また、屋上?あんた、事故にあってからすっかり夕焼け空にはまってるよね?ほんとは、なんかあったの?あの眠ってる間に・・・」
唯が、後ろから話しかけてきた。最近の美朱の様子が以前と何処と無く違うことは、幼稚園からの付き合いの彼女には、否が応でも分かるというものだ。
「ううん、何もないよ。でも、あれ以来夕日を見るのが、日課になっちゃって」
美朱は、自分でもわからないという風に、舌を出して笑った。
「なんか、夕日に恋でもしてるみたいだね、あんた」
唯は、茶化すように笑い飛ばしていたが、美朱はその言葉に、はっとしたような表情になった。
「そうか、好きなんだね、きっと」
それは、唯が想像した答えと違った。思わず目を丸くする。そんな呆気に取られる唯に、美朱は続けた。
「ねえ、あたし、夢の中でね・・・」
「美朱・・・?」
そういって、口元に人差し指をつけて、ささやき声で、こう付け加えた。『みんなには、内緒だよ』と。

あの日以来、美朱は、夢の中で、確かに誰かを愛していたことをおぼろげながら、感じるようになった。
それは、不思議な感覚だった。
美朱自身は、確かにこの日本という国に生まれて、ここで生活をしていたはずなのに、それらすべてがみな、後付された捏造の世界のようだと、心のどこかで感じているのだ。こうして、自分という人間は、確かに存在しているはずなのに、まるでココではない、どこか違う場所にでも、心を置き去りにして、不完全なまま生きているのではないかという不安定さが、あの事故以来、彼女の心を蝕み続けている。

57:なっちー&◆jE:2015/01/25(日) 16:55 ID:OEQ

体調が元にもどり、久々に、タカとデートしたその夜、美朱は、彼と大喧嘩をしてしまった。
「なんだよ、これ?」
最初は、美朱の左手首に痛々しく刻まれた傷跡を、心配する様子を見せていたタカだったが、それと同じ痣が、美朱の肩口にも有ることに気が付き、突如として、様子が一変した。
「・・何・・?どうしたの、タカ・・・?」
「お前、この傷、まさか・・・!」
美朱は戸惑いを隠せなかった。それもその筈だ。自分の体に、身に覚えの無い、でも明らかに、「誰か」が故意につけたとしか思えない「痕」があちこちに、ついていたから。
意識不明になるまえも、タカとは、忙しくてろくに一緒に過ごしていなかった。もちろん、こんな痕を付けられるような機会もなかったはず。
「どういうことだ、美朱!」
タカは、肩をわなわなと震わせ、明らかに平素の落ち着きを失っていた。思い切り美朱の両肩を揺さぶりながら、声を荒げる。
「タカ・・・!違う・・っ。あたしにも分かんないよ・・・っ」
その痛みと激しさに、美朱は必死にこの傷のことを思い出そうと記憶を振り絞るが、何一つ心あたりはなかった。
タカではない。そもそも、こんな「噛み痕」のような付け方を、タカがするとは思えない。そうなるといよいよ、自分には、これがなんなのか、皆目見当がつかない。
タカに何も答えることはできず、タカも「もういい」としか言わなかった。何も覚えていないなど、なんの言い訳にも、証明にもならないことは流石に理解できていた美朱は、ただ彼の罵倒を受けるしかなかったのだ。
こんなに険悪な喧嘩なんて、二年付き合っていて、初めてだったかもしれない。そう、美朱は思った。
タカは、去り際に、一度も美朱を振り返ることなく、吐き捨てるように言い残した。
「お前が、俺を裏切るようなヤツとは、思わなかったよ・・・!」

その日以来、もう二週間、美朱は、タカとは連絡を取っていない。本当は、何度も電話しようとしたし、大学まで行こうともした。しかし、会っても、まずなんと言えばいいのか分からない。この傷痕のことを問い詰められたら、何て答えればいいのか分からなかったのだ。
以前だったら、タカと一日でも離れていたら、美朱はみっともなく子供みたいに泣いて、ひたすら淋しがっていたはずだ。そして、なんとしても直ぐに、自分の身の潔白を証明して、仲直りをしようと躍起になったことだろう。
けれども今は、美朱には、そのような焦燥感も、孤独感も湧いてはこず、意外と落ち着いている自分自身に驚いていた。

58:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:20 ID:pGo

「今」は、無理にでも一緒に、ふたりべったりと寄り添いあっていることだけが、「愛」なのではないと、思い知ったような気がしているのだ。たった二時間意識不明だっただけで、自分は一体、何を経験していたというのだろう。
美朱には、そんな自分自身の心境の変化こそが、一番気に掛かることだった。
タカが大好きで、仕方なかった自分。
子供のようにその愛だけにすがっていた、タカが居なければ生きていけないとさえ、思っていた自分。
『鬼宿』の転生を願ったのは、他でもない自分なのだ。
美朱は、そんな自分のことが、遠い過去の物語の出来事のように感じられて、その感覚がひたすら恐ろしく、タカには申し訳ないと思いつつも、訳も分からないまま、悲嘆にくれることしかできなかった。

夕日が、沈んでゆく。
美朱は、ようやく帰る気になったようだ。
「唯ちゃん、帰ろう」
「ね、美朱。タカとも色々合ったみたいだけどさ。あたしは、あんたの味方なんだから、なんでも正直に話してよね。考えが、纏まったらでいいから・・・」
唯は、誰よりも美朱の身を案じてくれていた。
タカが自分を疑いの眼差しで見つめるようになっても、唯だけは、美朱のことを責めることはなかったのだ。
それが、いまの美朱を、支えてくれている。
「うん。唯ちゃんには、隠し事はしないよ。大丈夫。気持ちの整理が出来たら、ちゃんと全部話すから」
「約束だよ!あんたがそんな暗い顔してるの見たくないからさ。あんたには、幸せになってほしいから」
「・・・うん」
唯の暖かい微笑みに、美朱はようやく自分の心が解きほぐれるのを感じて、しっかりと頷き返した。

59:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:21 ID:pGo

美朱は、自分が階段から落ちて、頭を打ったことは母から聞かされていた。しかし、その原因は未だ分からない。
退院後、どんなに事故のことを訊ねても、兄と、タカの二人が、それをひたすら隠していたからだ。
美朱は、唯一自分の味方になってくれそうな、母を必死に問い詰めて、ようやくあの時の自分の状態を、教えてもらうことに成功した。もうあの事故から、はや二ヶ月の時が流れていた頃だった。
「あんたはね、なんだか訳の分からないような本を持って、大慌てで階段を下りようとしていたのよ」
「・・・わけの、わからない、本?」
「そうよ。中国語みたいな字が書かれている・・・」
「!」
四神天地書!
あれからどうしてそこに気づかなかったのか。
自分でも驚いてしまう。
という事は、もしかしたら自分は、意識不明だったんじゃなく、事故の起こった後、本の中にいたのかもしれない。美朱はそう確信した。
「その本なら、もう無いわよ」
「・・・えっ?だって、あれはあたしの・・・!」
「お兄ちゃんが持って行ったわよ。これがあると、またあんたが、危ない目に遭うからって・・・。どういう意味かしらね・・・」

60:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:22 ID:pGo

兄の圭介が大学から戻ったので、夕飯のあと、美朱は彼の部屋のドアをノックした。
すぐにいつも通り、「はい、どうぞ〜」という声がして、美朱はそれを確認してから、ゆっくり扉を開けた。だが、一見冷静にも見える行動とは裏腹に、その心中は焦りと、戸惑いでかき乱されていた。
「ねえ、お兄ちゃん。あたし、あの日四神天地書を持っていたんだってね」
「・・・・!」
「何で、教えてくれなかったのよ?」
今まで抱えていた不安と、そして、兄が隠していたその真実に、激しい怒りの感情がこみ上げてきて、美朱は思わず怒鳴った。だが、圭介は特に動揺する様子は見せず、ただ、顔を伏せたまま、低い声音で言った。
「それを知って、お前はどうするつもりだ?」
「どうって・・・」
予想以上に冷たい口調で、逆に設問するかのような兄の言葉に、一瞬美朱は息を呑む。けれど、もしあの本の中に居たのだとしたら、当事者である自分が、それを知らないでいるのはおかしい。
「本の中で、なにかあったんでしょ?だったら、あたしはそれを知りたいもの!」
「美朱、いい加減にしろ!」
勇気を振り絞って言い出したけれど、圭介に強く言葉を制されてしまう。
「お前は、あの本のこと、どう思っているか知らないけどな。兄ちゃん、あれから哲哉やタカと、サークルで色々調べていたんだよ。あれはな、何度も言うが、結局のところは、魔道書なんだよ!人間が関わっていいモンじゃない!」
「そんなこと・・・!」
「お前だって、もう何度もあっちの世界に飛ばされているんだから、思い知ったろ?これ以上関わって、もし、お前があの本の魔力に魅入られて、また取り込まれたら、今度こそ、こちらには戻ってこれないかもしれない!吸い込まれる度に、そうそう都合よく、帰ってこれるとは限らないんだぞ!」
圭介は苦しげな表情で、叫ぶように声を荒らげながら、美朱の肩を掴み、続けた。
「お前は、もう十分すぎるくらい、あの本と関わり合った。タカをこちらに転生までさせちまったんだぞ・・・。もういいだろ?これ以上望むなんて、贅沢な話だよ・・・。それこそ」
「・・・」
美朱は、兄の言葉に何も反論が出来なくなった。
確かに、忘れてしまいそうになるけれど、あの本は、四神天地書とは、魔道書なのだ。あの中で巫女をやっていた時、幾度となく、こちらの世界では考えられないような命の危険に晒されてきた。多くの人々が、いとも簡単に亡くなり、また、傷つけられる姿を直接見てきた。自分だって、何度も死すら覚悟した。
「それこそ、次に、「何か」を望んで、あちらに行っちまった時は、本当の意味で、お前があの「本」に食われちまうかもな・・・」
圭介は、かすれ声で独り言のように呟いた。
その眼差しには、覇気がなく、虚ろだった。だが美朱は、うすうす感づいていた。兄は、きっと四神天地書の中身を、あの後読んだのだろう。そして、自分が何をしていたのかも、とっくに知っているに違いないと思った。

61:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:23 ID:pGo

「・・・・」
押し黙ってしまった圭介に、その後も必死に美朱は頼み込んだのだが、どうやら彼は、四神天地書を、もとの持ち主である大杉さんのもとへ返してしまったという。どうか、この本を厳重に管理して、信頼出来る人に、供養してもらってくださいとお願いして。
美朱が、かたくなに口を閉ざす兄に、これ以上は何を言っても無駄だと、諦める決心がついて、部屋を出ようとしたとき。
圭介は、彼女の背中に向かって、最後にこう言い残した。
「お前のためにも、あの本のためにも、こうするのが一番だ。忘れたままで、いいことも有るんだよ。幸せになる為には、な」と。

自分の部屋のベットで、何度も寝返りを打っても、眠れない。四神天地書のことを考えると、悠長に寝る気も湧かない。もう、あの本に、なにか手がかりがあるとしか思えないのに。どうしたらいいのだろう。兄は忘れたほうが言いといった。それは、一体どういう意味なのだろう。もしかして、この左手首の痣や、体に付いている痣と、関わりがあることなのだろうか。
答えの出ない悩みに頭を煩わせていたとき、こんこんと、ドアを叩く音が聞こえてきた。
「は・・・い」
美朱は、考え事に夢中で、上の空だったので、気力のない生返事をした。やがてドアが開けられると、思案顔の母が、そこに立っていた。
「あんたには、黙ってろって、お兄ちゃんには言われてるから、内緒よ」
部屋に入ると、母は、小声でこういいながら、美朱の手のひらに、何かをそっと乗せてきた。
「こ、れ・・・は・・?」
それを目にした瞬間、美朱の心臓が、大きく音を立てる。
全身の細胞が、知らずに震えるのを感じた。歓喜なのか、悲痛なのか、よくは分からない。ただその脈動に、心が突き動かされるのを感じる。
「あんたが倒れたとき、病院で着替えさせたのよ。その時に、制服のスカートのポケットの中にあったの。お兄ちゃんは、美朱に分からないよう処分してくれって言ってたけど。こんなに綺麗な石だし、あんたの大事なものだったらと思って、ずっと持ってたのよ」
涙色の水晶がぶら下がった、大振りのやや派手なピアス。
「・・・・っ」
「美朱・・・?どうしたの・・・?」
淀んでいた視界がふっと開けていった。
それと引き換えに、瞳からは、涙が一気に溢れ出してゆく。強引に閉ざされた、その記憶の扉の鍵が、やっと見つかった。
このピアスを、あたしが忘れるわけは無い。
・・・忘れていいはずが無い。
「ありがとう、お母さん。これ、・・・大事なものなの」
美朱は、そのピアスをぎゅっと手のひらに握りしめる。
ここには決して存在しない、記憶の中だけの、かりそめの恋人ごと、抱き締めるかのように。
「そう。なら、お兄ちゃんには内緒で、あんたに返すわね」
お母さんは、美朱の涙を手で拭うと、優しく微笑みながら、「おやすみ」と言い残し、部屋を出て行った。

62:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:24 ID:pGo

「幻狼〜〜〜!」
「なんや?」
功児が、どたばたと部屋に駆け込んでくる。その慌てようはただ事ではないと、瞬時に翼宿にも理解できた。
「向かいの山んヤツらが、攻めてきよった!」
紅南国は多くの山々に囲まれた国。
それぞれの山には、それぞれの山賊グループが暮らしている。勿論、何かしらの用事や、集まりでもない限り、お互いの領域を侵さないのは、暗黙のルールだ。大挙を成して攻め込んで来るなど、持っての他である。
「よっしゃ、直ぐ向かう!場所はどこや?」
「湖んとこや!」
「・・・湖」
何やら表情を曇らせた翼宿に、功児は気づいたが、今はそれどころではなく、
「直ぐに準備せい!頭のお前が先頭で引っ張ってくれんと!」
というと、自分もすぐ、他の仲間たちの援護に一足さきに向かっていった。
翼宿は、部屋の片隅に立てかけた鉄線を再び自分の背中に背負う。山賊の頭領らしく、口元には、不適な笑みを浮かべて。闇夜を見つめる瞳の色は、獰猛な獣の如く瞬いていた。

「ここは俺らの領分じゃああっ」
「他所モンは、はよ失せえ!」
既に湖の周りの林は、山賊たちの戦場と化している。
怒号、剣の交わる金属音。血の匂い。
生と死が、常に隣り合わせの緊迫感。
戦乱の渦中に、一人の男が飛びこんでゆく。
ひときわ大きな雄たけびを上げながら。
「てめえらぁ〜〜〜!この俺に断りもせんと、この山に入りよるとは、ええ度胸やないかい!」
一斉に、その男に注目が集まる。
一方では、歓声が、また一方では、鋭い殺気が浴びせられる。その全てを背負って、翼宿は揺ぎ無く強い眼差しで、鉄線を夜空に向かって真上に振りかざす。あの満月に宣誓でもするかのように。
「俺の名は、幻狼!この山の頭や!ここを奪い取りたいんやったら、俺の首でも取ってみせろやあっ!」
その言葉と同時に、翼宿は自分に飛び掛ってきた賊の一人の剣を空中で難なく交わし、その男の頭を踏みつけると、足場にして更に上空へと、舞い上がる。
次々と、その首を狙ってくる、相手方の賊達を、鋭い鉄線の一撃で、的確に倒す。相手の剣先が、自分の鼻先を掠めるほどの距離で軽々と避け、怯むことなく、懐へと逆に飛び込んでゆく。彼の銀の一線は、確実に敵の急所を突くためだけに、振り下ろされるのだ。その戦い様は、朱雀七星士として幾多の死線を掻い潜って来たからこそ、体得したもの。常人との戦いでは、決して引けを取ることは無い。いつの間にか、相手側の山賊たちも、また、功児たちも、その鮮やかな戦神振りを、呆然と見守ってしまっていた。
やがて、つみ上がった数多の屍の上に、ゆらりと立ち上がる人影が、月光に映し出されて、湖の上に伸びていく。
彼は間違いなく、獲物を貪る「狼」そのもの。
誰の目にも捉えられぬ、「幻」。
その名の通りの男だった。
力量の差を見せ付けられ、戦意をなくした相手の山賊たちが手を引いて行ったあと、そこに立ち尽くす男は、親友の功児ですら、知らない男のように見えた。
翼宿は、あれだけの激闘を繰り広げたにも関わらず、右肩を軽く切られるだけの怪我ですんでいた。彼にとっては、この程度は日常茶飯事。これといって珍しいことではない。だが、翼宿は、その場を何故か動かなかったのだ。
空を仰ぎ見て、彼が、小さく呟いたのが聞こえた。
左耳のピアスを、血塗られたその指先で、そっと撫でながら。
「・・・・」
功児は押し黙った。
これが幻狼という男やんな。と、ふっと、息をはいて。

63:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:25 ID:pGo

『泣くな。俺は大丈夫やから』
翼宿の耳のピアスから、彼の赤い血液と共に、それとは違う別の、透き通る雫が混じりあい、零れ落ちてゆく。
雨なんか、降るよしもない、秋の美しい月夜の下で。

夢を見ていたの。
時間にしたら、たった二時間余りの
恋の物語を。
その人はあたしの手を握ってくれて、
あたしの傍にいてくれて、
愛してくれた。
あたしのために、
あたしを遠くへ、手放した。
あたしの幸せが、この世界にあると信じて。

左手首の痣が、きしりと痛む。
ただ手首をきつく押さえつけて、あたしは一晩中、声を殺して泣き続けた。
その雫が、手のひらで握りしめているピアスに落ちては、吸い込まれるように、消えていく。もしかしたら、この涙さえ、彼の元へ向ってゆくのかも知れない。たとえ雨になってでもいいから、届けばいいのにと思った。

それから、数え切れない程、たくさんの涙を零した後、あたしは一人、新幹線の窓から見える外の雪景色を、じっと眺めていた。
ずいぶんと、遠くへきてしまった。
東京とは全然違う、凍えるような冷気と、真っ白な純白の雪だけに覆われた村々が、ぽつぽつと見える。
・・・お兄ちゃんは言っていた。「次に何かを望んだら、あの本に食われてしまうかもしれない」と。
ねえ、お兄ちゃん。
あたしは食われることなんか、もう怖くないんだよ。
だって、こんなにお願い事を叶えてもらったのに、あたしからは何も無くならないなんて、おかしいよね。
だからこれが、自分勝手で、我侭なあたしが、全てと引き換えに望む、最後の願い。
「あの人を・・・」
かつての、朱雀七星士のひとりで、負けず嫌いだけれど、誰よりも仲間思いの、情に厚い『翼宿』。
山賊の頭のくせに、ちっとも悪者になりきれなくて、そんな気さくな性格から、多くの仲間達にいつも慕われている『幻狼』。
どうしようもなく不器用だし、口は悪いけど、本当は優しすぎるくらい優しくて、ちょっと泣き虫で・・・。
今でもあたしの体に、自分の痕を残して、束縛し続けている。
あの世界にしか存在しない、『俊宇』。

「・・・あたしに、下さい・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

64:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:26 ID:pGo

燃えつきたように沈む 夕陽さえ 独りさ
大地にも 海原にも 抱かれることなく
深い心の底で 眠らせているのに
ふいをつく 茜色の 切ない情熱

君の涙の先に 笑顔があるなら
頼もしいやつのまま 見守っていよう
「壊れるほどスキさ」
どんな言葉も足りない
叶わない恋ならば 幸せを願うだけさ
夕陽がまた沈む 情熱を抱いたまま
人知れず 眠りつく

切なくても、ずっと・・・


・・・END・・・

65:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:28 ID:pGo

後日談 
其の壱 「選んだ未来」

ホンマに女ちゅー生き物は、よう分からん。
さっきまで、機嫌よう笑うてたと思たら、突然怒って顔に酒ぶっ掛けて来よるし。なんやねん、あいつら。魔物かなんかちゃうんか!?

功児が、呆れ顔で部屋に入ってくる。手にはいつもの通り、酒瓶を持って。飲みなおそうということだろう。
「せっかく、お前を気にいったちゅー女を、紹介してやったんになあ・・・」
功児が連れてきた女は、最初こそ愛想よくお酌をしていたが、途中で幻狼に対して、やたらなれなれしくなり、横柄な態度をとった為、彼が怒ったところ、逆に女の顰蹙(ひんしゅく)を買い、酒を顔にぴしゃりと掛けられた。という顛末だった。
「誰が女、紹介せえゆうた?お前、最近しつこいんじゃ。俺は、当分女はいらん」
「せやかて、お前もええ年やし。俺らとしては、はようお前に身ぃ固めてもろて、山の跡継ぎの問題とかあるし・・・」
「お前は、俺のオカンか!?姉貴か!?」
功児の発言が身内と瓜二つで、げんなりする。
幻狼自身は、まだ当分現役のつもりだし、嫁のことなど考えたこともなかった。
「今日は、なんで怒らしたんや?」
功児は、ひとつため息をつくと、幻狼に問いかける。
幻狼は、けっ。と悪態を付いたあと、しぶしぶ話し始めた。
「あの女、俺に突然擦り寄って来よって、なんや思たら、俺の耳についとる飾りの宝石が欲しい言いよった」
「ほ〜う・・。その石、珍しいヤツやしな。ほんで?」
「これだけは絶対にやらん!気安く触るなや、このボケぇ!はよ失せろ!って、ゆうた」
・・・
功児は、思わず口を開けたまま固まった。
それでは、怒るわけである。
「あんな〜、幻狼。あの石は確かに珍しいモンやけど、お前やったらいつでも手に入れられるやろ。女っちゅーんは、ああいう宝石欲しがるもんなんやって。欲しいゆうたらとり合えずやったら、うまくいったんに」
功児は、女子供に優しいが、こういうところは幻狼には理解できない。いくら親切な人間でも、自分の大切なものまで、ほいほいくれてやることは出来ない。
「こいつは、例え誰であろうと、やらん!」
「せやけど、言い方っちゅーもんがあるやろ。大事なら大事て、ちゃんと伝えったって、他のモン代わりにやればええんやから・・・」
「とにかく、もう女なんぞ、連れてこんでええからな!」
幻狼は、大層ご立腹のようだった。功児も、こうなったらもう暫くは放っておくことにした。
「俺は、お前を心配しとるだけなんやけどなあ・・・」
功児の呟きに、幻狼は返事をすることなく、手酌で酒を注いだ。ありがたいとは思うが、好みでもない女(しかも皆よりによって、化粧が濃くて怒ると怖い、自分の姉みたいな部類)を連れて来られても、困るのである。

66:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:30 ID:pGo

早いモンやな、あれから二年も経ちよる。
俺は、お前失うてから、山賊の頭として奔走しとった。
山守ったり、他のあっちこっちの縄張り守ったり、
仲間内の小競り合いなんとかしたり、飯作ったり、掃除したりな。
あと、姉貴がたまに連れて来よる、甥っ子姪っ子の世話。
・・・雑用みたいやって?
頭っちゅーても、所詮そんなもんなんや・・・。
ま、あれこれしとったおかげで、あんま時間経ったっちゅー感じせえへんな。

お前は、いまどないしてるんやろ。
今更やけど、ちと後悔もしとるんや。
功児までもが、はよ嫁娶れ〜!うるさいねん。
なんなんや、あいつら?オカンといい、姉貴といい。

誰か知らん女を嫁にせなアカンくらいなら、
お前、やっぱり無理やりにでも引きとめたれば・・・
な〜んて!アホやな〜。
せやけど、お前にやったら、
この山かて、まるごとやったるのに。
ずっと傍におってくれって、ゆうのに。

「こんにちはなのだ〜〜〜〜〜っ」
「うわ〜〜〜〜〜〜〜!出たなぁ、井宿!」
幻狼が、縁側で桃をかじっていると、突然眼前に、例のごとく狐顔のドアップが現れた。幻狼は、危うく喉に桃が詰まりそうになる。
「なんやねん!?また、怪しい気でも感じたか!?」
「いいや、今回は違うのだ。君に、ちょっとした用事があるのだよ」
そういって、井宿は、そっと微笑むと、彼の隣に静かに腰を下ろした。
「さっき功児君にあったのだ。君が塞ぎこんでいるのをずっと心配しているようだったのだ」
「・・・」
「なんでも君と、この山の幸せのために、君のお嫁さんを、探しているとか・・・」
ぶ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!
幻狼は、桃の種を高速連射で吐き出した。
なんじゃそりゃ。頼んどらんし。
俺の幸せ願うなら、そんなんやめろっちゅーの!
「あいつ、井宿にまでそないなこと言うたんか?」
「それで、もし心当たりがあるなら、いい女の子を紹介してやって欲しいと言われたのだ〜」
「・・・井宿に紹介できる女いるんか・・・?」
幻狼が、ぼそっと皮肉を込めた意味合いで言うと、井宿はどこか含みのあるような、悪戯な微笑を返してきた。それは井宿にしては、珍しく、ちょっとおどけたような表情にも見える。
「居ないこともないのだ」
「・・・へえ〜。どないなやつやねん?」
「変わった子なのだ」
「・・・」
それだけじゃ分からんやろ、と突っ込みを入れたくなった幻狼だが、ぐっと堪え、先を促す。
「ほんで?」
「今日君に会いに行くから、『夕日の見える場所』で待っていてくれという伝言を、おいらは預かって来たのだ」
「・・・夕日の見える・・、やて?」
「そうなのだ。確かに、伝えたのだ!」
そういうと、井宿は、あっという間に自らの傘の中に消えていってしまった。後には、呆気にとられて立ち尽くす幻狼だけが、取り残された。

67:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:34 ID:pGo

この場所は俺が、最後の別れの日に、あいつを連れて行った場所や。山間の、木々と木々の間に隠れるようにしてある、ぽつんとした、見晴らしのいい場所。
夕日がよう見える場所。

幻狼は、そわそわしていた。昼の食事も手につかず、功児にまた心配を掛けてしまった。自分でも分からないが、再びあの場所に行くというだけで、胸がざわざわと落ち着か無くなる。ただ、井宿が紹介する女に会いに行くだけだというのに。井宿のことだから、功児のように、遊女のような女を紹介してくることはないと信じているが、その手の類だった場合は、彼には悪いが、はっきり断るつもりだった。やはり、あの手の商売をしている派手な女は、自分には合わない。

「良く来たのだ」
だが、約束どおり幻狼が訪れた待ち合わせの場所には、じゃらじゃらした錫杖に、能面を身につけた、僧侶のような姿の男・・・、というか、井宿しか立っていなかった。
「・・・まさかとは思うが、井宿、お前」
「・・・」
「お前・・・っ、俺に気ぃがあったんか・・・?」
幻狼の顔から血の気が引いていき、一気に青紫色になる。その体は悪寒で、ぶるぶると震え始めた。まさか、親友と思っていた男が、自分をそんな心情でずっと見つめていたなんて・・・。ちょっとしたホラーである。
「違うのだ」
「ぐあっ・・・」
井宿は持っている錫杖で、思い切り幻狼を叩く。
顔も、声音もまったく無表情のままで。
どうやら、お怒りのようだ。
しゃん!といういつもの杖の鈴の音と共に、幻狼は、バタリとその場に倒れこんだ。
「まったく。おいらは君たちを引き合わせるために、ココまで来ただけなのだ〜」
「冗談に決まっとるやろ〜がっ。本気で殴るヤツおるかいっ?」
「もうすこし面白い冗談をいうのだ〜」
井宿はいつもどおりのレクリエーションを終えると、冷静な態度を崩さぬまま、語りだした。
「翼宿。おいらと太一君の術は、完璧だったのだ」
「・・・?」
いまいち要領の得ない、唐突の言葉だった。幻狼が、首を傾げる間に、彼はどんどん話を続けていく。
「美朱は、元の世界に無事帰り、鬼宿のことも思い出して、平和に暮らしているようだよ」
「・・・ほうか。そりゃ、よかったわ・・・」
幻狼は、ほっと安堵すると、そのままくしゃりと微笑んだ。心から、素直に喜んでいる自分を、今は褒めてやりたいと思った。本当に、よかった。

68:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:35 ID:pGo

「それでも、人の心というものは、奥が深いのだ。
とくに、愛という心は」
「・・・はあ?」
「記憶が戻っても、以前の自分の生活を取り戻しても、
どこかに眠っている、かつて誰かを【愛した】という事実は、きっと術などでは、消せるものではなかったのだね」
幻狼の顔が、夕陽に照らされて、橙に染まり始める。その瞳には、不安定な炎が揺れるように踊った。彼の心中の戸惑いを、物語るかのように。
「翼宿。おいらは遠い昔、婚約者を親友に奪われた。彼女を激しく責め、ヒコウを強く憎み、結果、二人共守りきれず、死なせてしまったのだ。君も知っているね。過去は変えられない。それでも今は、それを乗り越えることができた。彼女の気持ちも、彼の気持ちも、全て受け止めて、生きると決めたからなのだ。だから、今こうしてここに居られるのだ。最後にヒコウのことを救えたのも、君と、タカと、美朱のおかげだ。ありがとう」
「井宿・・・」
「君たちも時間は掛かると思う。受け入れてゆくのは、幸せになっていくのは。それでも君たち二人には、幸せになってほしいのだ。おいらの分も、そして」
井宿は、そこまで言うと、後ろを振り向いた。
そこには夕陽が一面に広がり続ける景色があるだけのはずだったのに。まるで井宿のその言葉が、合図だったかのように、いつのまにか、そこに人影が現れた。
夕陽がきらきらと、その姿を照らし出す。
その人の右耳に、青い涙の色彩が、輝いて見える。
自分の左耳に、揺れている片割れと同じ光が。

「・・・・な、んで?」

「タカくんの分まで、彼女を幸せにしてやって欲しいのだ。彼女もたくさんあちらの世界で悩んで、傷ついて、最後にようやく君という答えを、選びとったのだから・・・」
「・・・」
幻狼は、文字通り声を失った。
・・・信じられなかった。
彼女とのあの別れから、二年。
まったく後悔をしていなかったかと言えば、嘘になる。情けなくも泣き言を言い出しそうになる、そんな醜い自分の心を、散々罵倒して、ひとり乗り越えてきた。
そしてこの山の頭として、ただ仲間たちの為だけに、命を懸けて、生きていこうと誓った。功児や身内には、将来のことを気にかける余りに、他の女で寂しさを紛らわせと勧められたが、結局、代わりに誰かを愛することなどできないままで。
『ひとりでいい』と、漸く思えるようになったというのに。なぜ、この期に及んで、その姿を目の当たりにした瞬間に、気がついてしまうんだろう。
本当は、こんなにもまだ、愛していたのだという真実に。
彼女が、一歩一歩ゆっくり、こちらへ近づいてくる。
笑っているのか、泣いているのか。
そんな曖昧な表情を浮かべながら。
いや。涙を浮かべながらも、その心のうちでは、微笑んでいるのかもしれない。
いつか、そうだったみたいに。

69:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:37 ID:pGo

「泣くなって、ゆうたやろ・・」

幻狼は、腕を伸ばした。これはあの夕陽の見せる、都合のいい幻なのではないかと、まだ疑っていた。恐る恐る抱き寄せて、その確かな温もりを感じると、ようやく夢ではないのだと実感する。
「翼宿、あたし忘れなかったよ・・。約束、だもんね。俊宇のこと、忘れないって、約束、した・・から」
「アホ・・・っ。アホぉ・・・っ。なんで、せっかく帰したったんに・・・っ。お前の世界は、あっちなんやで・・・?なんで・・・!」
言いながら、涙を流しながら、幻狼は美朱を抱き締めた。二年の空白が嘘のように埋まっていく。一人背負っていた孤独が、またたくまに、暖かい涙に変わって、零れ落ちていく。
「あたし・・、忘れなかったけど。言って、くれるよね・・・?」
「・・・しゃーないなぁ・・まったく・・・」
井宿は、ふたりの姿を、ただ優しく見守っていたが、やがてその姿は、風のようにその場から消えていた。
夕陽が二人のひとつの影を、長く伸ばしてゆく。
いつまでも、ずっと。

『我愛イ爾』



・・・続・・・



後日談
其の弐 「同心結」

「ねえ、翼・・・じゃなかった、俊宇!待ってってば!ねえ!」
「じゃかあしい!付いてくんなっちゅーてるやろ!この裏切りモンがぁっ」
美朱の必死の呼びかけにも、翼宿の怒りは一向に静まらなかった。
それどころか、美朱がむきになって、彼の後を追いかければ追いかける程、余計に彼の神経を逆撫でしてしまっているように見える。
その様子を、はたから見守っていた功児だったが、いい加減ふたりが、ドタバタと走り回って屋敷中が煩くてかなわん!という苦情が仲間たちから出ているので、仕方なく止めに入ることにした。
「やめえ!二人して!夫婦喧嘩は犬も食わんゆうやろ!仲間ら迷惑して・・・」
「誰が夫婦やねん、誰が!」
「そうよ。夫婦どころか、俊宇からは、まだお付き合いしましょうとも言われてないんだから」
「なんやとおっ?お前、今まで一体何聞ぃとったんや?何べん言わせれば気ぃすむねん!」
「はいはい、分かったから。お前らが仲良しなんは、よう分かった。分かったから、静かにせえ」
功児は、やれやれとため息をつきながら告げたが、翼宿はその一言に、怒りマックスに達してしまったようだった。
功児の胸倉を掴みあげると、その鋭利な目つきを、一段と鋭く尖らせたまま、睨み付ける。

70:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 02:39 ID:pGo

「ほ〜ぅ・・・?よくもまあ、そないな口が叩けたモンやなあ!もとはと言えば、お前が美朱を誑かしたんやろうが!」
「誑かしてへんて・・・。俺は、お前が居らん間、美朱ちゃんが淋しないように、付きおうてただけやがな・・・」
功児は、翼宿の勢いが予想以上に激しかったため、やや引き気味に弱々しく答える。
「俊宇ってば、聞いて!功児さんはあたしが一人きりで、心細いだろうって、いろいろ連れて行って、この世界のこと教えてくれてただけ・・・」
「なあにが、『美朱ちゃん♪』じゃ、ボケえ!ええか、美朱。功児はなぁ、こう見えて、とんでも無いタラシやねん!五股やで?五股!お前、気ぃ許しすぎなんや」
「なんか、変なオプション♪付いてるみたいやけどな。俺がタラシなんは、この際どうでもええやろ。いくら俺でも、お前の嫁に手え出さんっちゅーねん。んなことしたら、殺されるわ!」
「やから、嫁やないゆうてるやろ〜がっ!!」
そう叫ぶと、鉄線の一撃で、功児に強烈な突込みを叩き込む。
もはや、美朱は蚊帳の外である。だが、成り行きを見守るしかできない。下手に自分がでしゃばっても、余計に翼宿は怒り出しそうだ。確かに、翼宿が仕事で山を空けていたこの一ヶ月、功児に色々と世話になっていたのは事実だ。だが、美朱の思い人は、俊宇、つまり翼宿ひとりである。自分の世界を諦め、かつての恋人を傷つけ、今までの自分の生活もすべて失い、それでも尚、彼だけを愛するという覚悟を背負ってまで、ここへ彼を求めて、戻ってきたのだから。
後ろ暗いところが無いのに、下手に言い訳をするのも、おかしな話だ。
「それにな、俺だけやない。お前がおらん間、井宿さんやって何回か来とったんやで!井宿さんに聞いてみい!俺は、美朱ちゃん誑かしてへんって・・・」
「井宿はええんや!あいつは、安全パイやからなあ!」
「・・そうやなくて!」
翼宿がこれほどまで、嫉妬深い男だったとは。功児にもまるで予想外であった。だが、考えてみると、それもそうかも知れない。友として、仲間として過ごしてきた間、功児から見てもあきれてしまうほど、彼には女性の影が無かった。初めての恋人、それも、幾多の壮絶な苦難のすえに、漸く手に入れた大事な女性である。彼の気持ちを思えば、これも仕方の無いことといえば、そうなのだが・・・。
「まず、その『美朱ちゃ〜ん♪』ゆうのやめえ!」
「やから変なオプシ〜ョン♪付いとるがな。っちゅーか、それやったら、呼ぶとき困るやろ」
「普通に呼べっちゅーてるやろ」
「幻狼のことやから、呼び捨てにしたら怒るやろが、どうせ!」
成り行きを呆然と見守っていた美朱だが、そろそろ意味の分からない言い争いに、呆れ返ってきた。こうなると、ほとぼりがさめるまで、自分は退散したほうがいいのだろうか。
「じゃあ、お前の嫁やから、姐さんでええやろ!」
「やから、嫁じゃないわああああああ!」
「ちゃうなら、んなムキになんなやあぁあぁぁ・・」
またしても、激怒した翼宿の鉄線の攻撃で、功児は吹き飛ばされ、庭の池にどぼんと落ちてしまった。叫び声と共に、激しい水しぶきが飛び散る。

71:なっちー&◆jE:2015/01/26(月) 09:09 ID:cX2

「ふんっ!」
翼宿は、鼻息も荒く、どしどしと足を踏み鳴らしながら、その場を立ち去ってしまった。
「功児さん・・・、ごめんなさい・・・」
美朱は、哀れな功児の手を引っ張り、池から引き上げる。
「美朱ちゃん、俺はええから、はよあのアホを追いかけたってくれや・・・」
功児はぐったりしながら、美朱に言ったが、美朱は首を振った。
「でも、功児さん、ずぶぬれじゃない。すぐ、お湯を沸かして来るから・・・」
「あんた、ホンマええ子やなあ〜」
感涙した功児が、感極まったようすで美朱に抱きつこうとしたが、美朱はその邪な気配を察したのか、功児の手が伸びる前に、思いきり顔面にストレートパンチをお見舞いした。
「ぐはっ・・・!?」
「調子に乗らないでください!また俊宇と喧嘩になっちゃうでしょ?」
「まったく、あの幻狼にして、この嫁ありやな・・・」
うな垂れる功児を宥めながら、美朱は乾いた布で、彼の頭をとりあえず拭いてあげた。功児はお調子者ではあるが、ずっと親切にしてくれていたし、世話になっているのは事実だ。彼が風邪でも引いて寝込んでしまっては、流石に心配である。すると、なすがまま頭を拭かれ続けていた功児が、突如神妙な面持ちになって、言った。
「せやけど、美朱ちゃん。幻狼あれで、頭やし、色々やることあって、これからも山を空けたりするかも知れん。そうなったとき、女ひとりで、困ることもあるやろ。男には言えんこともあるやろし。そん時は、ゆうてな。俺の知り合いの侍女、紹介したるから」
「功児さん・・」
功児は、さりげなく美朱のことを気遣ってくれる。それが美朱にはありがたかった。なにしろこの山賊屋敷できちんと話が出来るのは、翼宿と、功児くらいのものだ。あとの人には、挨拶くらいはするものの、なるべく近づかないようにしている。やはり他の男の人達となると、少し怖い部分があった。
「しかし、美朱ちゃん、最初に会うたときより、ずっとベッピンさんになったよなぁ〜。あんときはまだ女っちゅーか、子供っちゅー感じやってんけどな〜。変わるもんなんやな〜」
「へ?」
功児はそういいながら、ぽんぽんと美朱の頭を撫でる。
「やだな〜。煽てたって、何にもでませんよ!」
美朱は、突然の褒め言葉に、少し気恥ずかしくなり、愛想笑いを浮かべたが、功児はまだ真面目な顔のまま、美朱の耳元でささやくように言った。
「やから、気ぃつけえ。・・他の奴等に、何かされそうになったら、幻狼、直ぐに呼ぶんやで」
「・・・」
「幻狼おらんときは、俺でもええ!・・・わかったか?」
「・・・はい」
あまりに真剣な様子なので、ちょっと身構えてしまう。けれど、功児の言うとおり、いくら翼宿や功児も共に居るとはいえ、ここは男ばかりの山賊の館だ。やはり、自分自身が毅然とした態度で、気を張っていなければならない。
気遣ってくれる功児に心配をかけまいと、美朱も明るく微笑みかけながら、言い返す。

72:なっちー&◆jE:2015/03/05(木) 23:28 ID:wjU

話を変えます。
主人公は美朱と井宿です。

第一章 本の中へ再び
「美味しそうー!」
ケーキ屋で働くことが決まり、並んでいる商品を見ながら涎を垂らしているのは、どこの誰でもないこの私だ。だって、匂いだけでもお腹すいちゃうよぉー。
「美朱っ、せっかくバイト決まったって言うから、哲也さんと来てやったのに。やっぱりこの有様かぁ。」
こう言っているのは、私の親友・本郷唯。今でも、心宿の耳飾りを着けている。やっぱり、二年も前のことでも、みんな覚えているよね?あの本の中での事。
「美朱っ、私の顔何かついてる?」
「ううん、なんでもないよ。それより、何か食べる?」
「オススメある?」
「じゃぁ、これとかどうかな?カップルには定番なんだよぉ。」
カップルって言葉に反応したのか頬がちょっと赤い。
「じゃぁそれで。美朱ちゃん、ここのバイト結構合ってるね。」
「ありがとうございます。」
営業スマイルを哲也さんに向けると、注文を繰り返し言い、レシートとお釣りを渡した。
「美朱っ、もうちょっとしたら終わりでしょ?ちょっと行きたいところがあから、待っててもいい?」
「うん。いいよ。」
そう伝えると、レジに並んでいる人の注文を受けた。

「待たせてごめん。・・・、で、行きたい所ってどこ?」
「市立図書館。」
そこは、四神天地書と初めて巡り会えた場所だった。綺麗な鳥・朱雀に導かれ、その本に巡り会った。それは、兄曰く魔導書だけど、私にとっては掛け替えのない、一生忘れる事のできない、思い出の本だった。
「着いたよ。」
哲也さんの運転で、市立図書館へとやって来たわたし達。一体この先どうなるのだろう?私には全く想像のできなかった。

73:なっちー&◆jE:2015/03/07(土) 23:03 ID:pw2

「んじゃ俺、四神天地書とってくるわ。」
そう言って、哲也さんは図書館の中へと足を踏み入れた。
「ごめんね。こんなことに付き合わせちゃって。哲也さんがどうしても必要だって言うから。」
唯ちゃんが、恋する女子みたいに頬を染め、そう言った。最後の方は小さかったけど、よく聞き取れたよ。
「遅くなってごめんね。」
哲也さんがそう言って四神天地書を唯ちゃんに渡すと、運転席に座った。
「美朱っ、この本開いてくれる?」
突然唯ちゃんがそう言った。哲也さんまでもこんな事を言った。
「大丈夫だよ。何も起こらないって。」
「わかった。」
私は唯ちゃんたちにそう言うと四神天地書の表紙を開いた。するとっっっ。赤い光が放たれ、またもやほんの中に吸い込まれてしまった。

ここは、どこ?
そう思いながら辺りを見回した先に、驚く人物がいた。こっちに気が付いたのか、その人が声をかけてきた。
「美朱なのだ?」
私は頷きながら、その人の顔を見た。青い髪に笑った顔の覆面を着けている。そう、井宿だった。
「どうして、江州に・・・?」
覆面を被っているが、驚きを隠せないような面でこちらを見ていた。
「ここに入るのだ。太極山につながっている。」
そう言って私を抱えると、太極山に辛がっている袈裟の中へと入っていった。

「なるほど、またもや来たのか美朱。」
太一君にそのことを話すと、私にそう言った。
「うん。何でかは解らないけど。」
そうだった。丸で最初入ってきた時と同じ様な感じだった。最初入ってきたときは、プロローグを読んで次のページをめくった時だった。でも、今回は違う。表紙を開いただけでこの世界に来た。しかも、江州に。

74:なっちー&◆jE:2015/03/09(月) 22:09 ID:Us.

いつも、本を開けて入ると着いた所は、紅南国だった。最初ここに入ってきたときは、鬼宿に助けられた。そして、彩賁帝・星宿に会った。そして、朱雀七星士に会った。ここには沢山の思い出がある。確かに嫌な事もあった。でも・・、あの人が側にいてくれたから。
「美朱。君はどうするのだ?」
不意に井宿が話しかけてきた。
「どうするって、何が?」
「だから、こっちに残るのか、向こうに戻るのかなのだー。」
こっちに残るのか、向こうに戻るのか。それは今の私にとって重大な決断。こっちにいたいよ。でもそれは、現実逃避に過ぎない。それにこっちに居たら、またみんなに迷惑をかけてしまう。せっかく、元の人間に戻れたのに、あんな嫌なことまた思い出させる訳にもいかない。特に“あの”人に迷惑かけたくない。
「美朱ちゃん、みんなの事は考えなくていいのだ。巫女を護るのが七星の役目。だから、自分の意志に従うのだ。それが例え辛い選択でも、自分の意思を尊重するのだ。俺みたいに、後悔しないように・・・。」
最後は、ぼそっと言ったので聞こえなかったが、井宿が言っていることはわかる。でも・・・、私にとって七星の仲間は、大事な人達なんだ。それにもし、今戻ったら、大切なこの過去(きおく)を忘れてしまう事になる。鬼宿との過去(きおく)も。

75:なっちー&◆jE:2015/03/10(火) 20:38 ID:uyk

でももう、あれから何年も経ってる。鬼宿だって、素敵な人と結婚してるはずだよね?・・・、何でだろう。心臓を掴まれた様な感じだ。
「太一君。ちょっとだけ、時間をくれるかな?帰る前に鬼宿に一目会いたいの。」
「分かっておる。一週間時間を与えよう。その時に、返事を聞く。」
鬼宿だけじゃない。他の七星の仲間にも会いたい。太一君は全て分かっていて、一週間時間をくれたんだ。これから、私にとって、苦痛な事が起きるとも知らずに・・・。

「美朱ぁ。お前来るなら来るってちゃんと連絡せんかい。心臓破裂するわ。」
最初に会ったのは翼宿。鬼宿が蠱毒を飲んでいた時、私を守り戦ってくれた人。かなずちだけど、いざとなれば助けてくれた人だ。純粋で傷つき安くて・・・。とっても優しい人。普段は格好付けてるけどね。
「ごめん。ちょっと色々あって・・・。」
「そ〜か。んで、鬼のとこはもういったんか?」
私は押し黙った。私の様子を見て、井宿が私の代わりに言ってくれた。
「これからなのだ。それで翼宿も一緒にどうかな?柳宿達に会いに行きたくはないかい?」
「そりゃ、行かんとなぁ。功児、またやけどええか?」
「ええで。行ってきいな。」
心優しく、功児さんは翼宿に行って来いと言ってくれた。やっぱりいいな、こういうの。仲間という存在がどんなのいいか。また、思い出さされた。仲間を守るために死んでいった四人。柳宿、張宿、星宿、軫宿。死ぬ時、見届けられなかった、星宿と軫宿。その場に居たら絶対に泣いていただろう。仲間の死に涙しない物は居ないだろう。

76:なっちー&◆jE:2015/03/16(月) 20:40 ID:rUQ

それから数時間たって、鬼宿の家に着いた。中から、子供がないている様な声が聞こえて、鬼宿の声が聞こえた。小さくてよく聞こえなかったが、子供をあやしているようだ。
「お邪魔するのだぁー。」
そう言って、扉を井宿が開けた。
「おぉ、久しぶりだな、井宿に翼宿。」
そして、私の顔を見て驚いた顔をした。そして、私に近寄って来た女性が私に声を掛けた。
「久しぶりねー、美朱。」
ふと間近で顔を見てみた。するとっ。
「うっ、うそー。ぬりこー?」
「そうよー。あたしねー、たまちゃんと結婚したのよー。」
ふと体型を見ると、ちゃんと胸もあるし・・・。嘘ー、生まれ変わりってことー?
「でも・・・、柳宿は星宿が好きなんじゃ・・・。」
「星宿様の事は今でも忘れらんないよ。でもね、違うって気づいたのよ。まぁ・・・、それより・・・美朱?」
私は居ても立ってもいられなくなり駆け出した。そんな私を助けてくれたのは、井宿だった。

「美朱。もう大丈夫なのだ?」
泣いていた私を、隣で支えてくれたのは、井宿だった。

77:なっちー&◆jE:2015/03/22(日) 20:49 ID:uZc

「井宿・・・ごめんね。服濡らしちゃって。」
私は掠れた声でそう言った。井宿は仮面を取りながら、私の目の際に残っている涙を拭き取った。
「大丈夫なのだ。おいらも、美朱と同じ思いをしたことがあるから。」
そうだった。井宿は昔、大好きだった二人を失ったと言っていた。一人は親友。もう一人は婚約者。目にある傷は、その時に作った傷だった。仮面を外した井宿の目の端には、今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まって居た。私は井宿の顔に手を伸ばし、目の端に当て、涙を拭き取った。
「っ///」
私がそうやった後、井宿は頬を染め、そっぽ向いた。私も自分がやったことなのに、物凄く恥ずかしくなり赤面した。そこにさっきまで鬼宿と話していた翼宿がやって来て、こう言った。
「美朱っ。驚いたやろ?すまんなぁ。俺・・・実は知っとったんや。」
「翼宿のせいじゃないのだ。黙っていたおいらも悪い。」
すっかり自己嫌悪になってしまい、二人が下を向いた後、私は笑顔で二人に声を掛けた。
「二人とも、何やってんのよ。みんなに会う時間無くなっちゃうじゃない。それに、帰ってきてから、三人で遊びたいし。」
空元気なのが分からぬよう、とびきりの笑顔を二人に向けた。二人共、心配そうに私を見てはいたが、私の気持ちに気付いたのか、翼宿がこう言った。
「そやな。はよ済ませよ、井宿ぃ。」
井宿は何も言わなかったが、私を見ていたのだけは確かだった。

そして、みんなにあった後、私達はレイカク山に戻り、休んだ。ここにいた一週間は、悲しいこともあったが、皆に会え、後、残り二日となった。私は、ある決断をしていた。そう、こっちに残ると言う決断だった。確かに、向こうには色んな思い出や、大切な家族や友達が居る。けれど、こっちには大切な人がいるのだ。仲間は勿論、辛い時傍に居てくれた井宿と離れたくなかったのだ。例え、地球へ戻って来いと言われても、帰るつもりもない。この時はそう思って居た。

78:なっちー&◆jE:2015/03/27(金) 06:56 ID:jrM

トントンっ
突然ドアのノックの音が聞こえ、井宿の声が聞こえた。
「美朱、失礼するのだー。」
そう言って部屋の中へと入って来た。私は、前きた時に残していた、白いポンチョに青のワンピースを下に来ていた。
「美朱、体調は大丈夫なのだ?」
「うん、だいぶ良くなったよ。早くお祭り行こうよ。」
実は、みんなにあった後、風邪を引いて寝ていたのだ。高熱を出したので、今日のお祭りは行けないって思ってたけど、無事に熱は下がり、体調もだいぶ良くなった。
「じゃぁこれ。浴衣なのだ。」
「ありがとう。・・・キレー」
花柄で色は薄い青。グラデーションになっており、花柄は夜空を煌めく星空のように光っていた。
「じゃぁ、外で待ってるのだァ。」
そう言って部屋の外に出ていった。私は、来ていたものを下着以外全部脱ぎ、下地を手に取った。それを来て、腰辺りにタオルを巻き付けた。そして浴衣を羽織ろうとした時井宿が声を掛けてきた。
「美朱。オイラの話、聞いてはくれぬか?」
「うっ、うん。」

79:なっちー&◆jE:2015/03/30(月) 04:10 ID:002

「おいらは、玉華以外愛した事が無いのだ。将来結婚するのなら、玉華以外考えられなかった。」
(玉華って言うんだ。井宿の彼女なんだから、よほど綺麗だったんだろうな。)
「でも、玉華は親友である飛皐と口付けをしていた。その場を偶然目撃したのだ。おいらは、前に人を殺したも同然だという話をした。この目の傷も一生消えない心の傷も、大切な思い出なのだ。大切な人を失った時、生きてる意味があるのか、と自分に問いかけたのだ。おいらは、自分がどれだけ自己中心的なのかと思った。」
井宿は自己中心的なんかじゃない。
優しくて、
いつも自分の事は棚にあげて人の事ばかり。
周りの事ばかり考え、いつも助けてくれた。
仲間の中では一番と言ってもいいほどの
“繊細”で傷つきやすい。
皆にはそんな素顔は見せないが。
「美朱。元の世界に戻った方がいいのだ。確かに、こっちに残ると言う事も出来る。でも、美朱はそれでいいのだ?友達とも家族とも一生会えない。おいらは、大切なのは家族だと思うのだ。確かにオイラ達は“仲間”なのだ。でも、それはただの“仲間”でしかないのだ。家族より大切なものは無いのだ。失ったものの悲しみは深く、心に残るのだ。・・・、美朱っ。今ここで別れても、いつか巡り会える日が来るのだ。だから、美朱は自分の世界に戻るのだ。」
今この時どんな顔をして居たのか
どんな感情で喋っていたのか
それは痛いほどに身にしみてきた。
自分がどれだけ
恋に対して意気地が無いのかが分かった。
無鉄砲で、
空気も読めないし、
料理は下手だし、
迷惑をかけてばかりだった自分。
井宿はそんな自分を今更気づかせてくれた。

80:なっちー&◆jE:2015/03/30(月) 23:49 ID:lZU

「井宿。」
私はドアを開けて、井宿を呼んだ。
「どうしたのだ。美朱」
ずっとこっちを向いて話していたらしく、ドアを開けるとそこには井宿の顔があった。
「私・・・、井宿が好き。でも・・・、戻らないといけない。・・・、井宿。また絶対会えるよね?」
「当たり前なのだ。何年かかっても美朱に会いにゆく。約束なのだ。」
井宿は私を抱きしめながら絶対に会いにいくと誓ってくれた。私は、一生井宿が会いに来てくれるのを待ってるよ。何年かかっても・・・、ずっと。

「決心は着いたのか、美朱。」
何もかもお見通しの様な声で私に問いかけてくる。
「うん。私元の世界に戻る。唯ちゃんたちが心配してるから・・・。」
「分かった。では集中せい。」
私に手をかざし、目を閉じた。私も太一君同様目を閉じ、地球のことを考えた。だけれど、出てきたのは井宿の事ばかりで・・・。
「集中せんか。集中切れで変なとこに飛ばされても知らんぞ。」
肩の力を抜き唯ちゃんや、お兄ちゃんの事を思った。すると段々と眠気がさしてきた。やっとの思いで井宿の手を取ると、ちょっと握った。その後の記憶は残っていなかった。寝ていたからだ。目が覚めてあった場所は、自分の部屋らしき所だった。
「やっと目を覚ましたか。哲也から聞いて驚いたぞ。元気だけが取り柄のお前が寝ながら涙を流していたって。」
「ごめん、でも大丈夫。ほら、このとおり。」
「そうだよな。」
お兄ちゃんは安心したのか、ほっとしたのか、ため息を着くと部屋を出ていった。私はあれは夢じゃないのかと思う。随分と重々な夢だと自分でも思うが、今はそう考えるのが自分が楽だから。
「そ言えば美朱っ。今日バイトじゃ無いのか?」
「ほんとだ。急がなきゃ。」


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