まったりと。

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1:しぃ◆hI:2014/10/06(月) 02:55

お久しぶりです。1年ぶりくらいかな…?
なんだかんだで葉っぱに戻ってきてしまいました(笑)
色々変わっていて驚きましたがまたここで色々思ったことを呟こうかと思います。

238:しぃ:2017/05/05(金) 03:10

知らない人を嫌な思いにさせて、知らない人に嫌な思いをさせられて、何回も何回もそれを積み重ねて生きて来たんだなって考えると、壁にこれまでのこと全部怒鳴りつけて、このままどこかに逃げてしまいたいってそう思います。もし私が本当の意味でキラキラした子だったら、一生を通してもこういう気持ちを持つことは無かったんだろうなあ。今日、自分はあっち側には行けないんだってはっきりと分かった出来事があって。その時、膝に擦り傷と痣が出来たんですが、私はこれからこれを見る度にどうしようもなく悲しくなるんだと思うと、全部が嫌になりますね。
どれだけ必死にもがいて、どれだけ頑張ったとしても、私はああいう風に全部楽しいって全部を遊べるようなそんな人間にはなれないから、でも私は、今はもがかなくちゃいけなくて、何もかも頑張らなきゃいけなくて、それは自分の為でもあって他人の為でもあって。頑張らなきゃって頑張っている時間は、どんな失敗をした瞬間より辛くて。私はこれからも絶対誰にも勝てないのに。頑張らなきゃいけない、今は。何で。

239:しぃ:2017/05/05(金) 03:15

サイダーの中を泳ぐ

240:しぃ:2017/06/18(日) 22:39

好きな人がいて、その人は私のことを1人の友人としてとしか見ていなくて、2人で何度出掛けても時間を過ごしてもそれには何の意味もなくて、どんなに期待しても返ってくるものは何もなくて。こういうのってある意味学生らしい悩みなんですかね(笑)最近考えてるのはこればっかり。恋は病だなあ。
人の上に立つようになってから、やっぱりこういうのってギブアンドテイクなんだなとしみじみ感じます。違う部分があるとすれば、与えた分が返ってくるのは運が良ければのことだってこと。でも与えないと返ってくる可能性は0だって思うし。私は返ってこないかもしれない何かを与えて与えて、って、人の上に立つってそういうことなんだろうか。そう思ってみたところで認められないことが辛いのには変わりないんですが。私のこと何も分かってない人が知ったような口で、冗談のつもりで私のことを詰ることは相手にとっては遊びに過ぎなくて、私は遊びごときで傷付いてる面倒な奴で、こんなことで傷付いてる私がおかしいんだって思わないと、そう思ってないと苦しくて仕方がないですね。傷付けられてるって認識は、私を誰よりも惨めにします。私を誰よりも弱くします。小さなプライドさえズタズタに切り刻んで、選択肢を与えてくれないから。自分が惨めだから苦しいし、自分が可哀想だから泣くんです。人の為に泣かなくなったし、笑うことも減っちゃったなあ。絵を描くことしか能が無いので、今日も絵を描こうと思います。魅力的な人間には当分なれそうにないなあ。

241:しぃ:2017/06/29(木) 00:45

明確に分からないものばかりだし、分かり合えるかもって思う時は自分の気持ちがちゃんと塗り分けられてる時だけで。どうしようもない気持ちは頑張ったところで汚いから、自分が分かってない気持ちは他人に伝えちゃいけないってそう思います。そんな中で、綺麗なだけじゃダメで寧ろぐちゃぐちゃで汚い部分を魅力的に出来る数少ない手段が絵なんです。
好きな事をやるために、最低限のことはしようって決めました。絵を描くために、全部やらなきゃいけないんです。好きなことだけを都合よくやるには、それなりの環境がないといけないんです。だから頑張らないと、私。

242:しぃ:2017/06/30(金) 23:32

私は結局甘やかされたいだけのゆとり人間だから少し強く当たられると死にたくなるし優しくされると軽率に好きになるしでもう最悪ですね。軽率女はゴミだって300万年前から言われてるのにどうして私飄々と生きてるんですかね。世界不思議発見。ほんと、恋愛に関してあまりにもだらしないな。学生だからって言ってしまえばそれまでですけど。

243:しぃ:2017/08/02(水) 00:08

楽しいことだけ考えて、楽しいことだけしよう。好きなことをして、好きなように生きよう。大切なことは1つずつ自分のペースでやろう。自分は自分だから、私は心臓の中に自分を留めて、流れ出すことがないようにしなきゃいけないよ。そしたらそれが私の描く何かに繋がるってそう思うから。

244:しぃ:2017/08/02(水) 00:10

他人との頑張るのラインの違いに苦しむ毎日

245:しぃ:2017/08/11(金) 01:15

八十八ヶ所巡礼のライブに行ってきました。
やっぱり歌舞伎町は怖い(3回目)
胸にズドンと落ちてくるベースの音とか、好きなものが一気に耳に流れ込んで来る瞬間はやっぱり最高だなあと思いました。何歳になっても、何らかの形で音楽がやれてたらいいなあ。でもその為には、自分自身でそれが出来る環境を切り拓いていかなきゃですね。好きなことが出来る場所は、自分で作っていかないと。私、やっぱり楽器も音楽も大好きだし。

人によって気持ちの伝え方って違くて、アーティストにとってはそれが1つの曲だったり、私みたいな人間にとってはそれが絵だったりもするんですよね。けど根本的にはみんな一緒で。くだらないことでもいい、何かを本気で伝えようとして作られたものはいつでも本当にキラキラしてると思うんです。綺麗事ですかね(笑)

あと最近よく考えてるのは「こだわる」ってことについてですね。私の好きな曲に「こだわり続けるのを諦めたら壊れちゃう」って歌詞があって、初めて聴いた時にそのフレーズが凄く腑に落ちたといいますか。やっぱり自分の中にこうじゃなきゃダメだっていう意識っていつでもあって。曲作ってる時でも、絵を描いてる時でも、これはこうじゃなきゃダメだっていうのは、統一していつもあるんです。そんな大層なものが作れる訳じゃないけど、私の中でのこだわりはきっとその「こうじゃなきゃダメだ」っていう部分なんだなって。そこを捨てたら私の作品じゃなくなって、それこそ私が作っている意味がなくなるんです。大衆受けするものを作って、ちやほやされることなんて誰にだって出来るし。ていうかそれって誰の記憶にも長くは残らないです。私らしいものが他人に評価された時の方が、やっぱり断然嬉しいですよね。去年初めて絵を公募展に出して賞をもらった時、私自身が褒められたような気持ちになりました。それって大事な気持ちなんだな、たぶん。
手の届かないものってあるけど、その手の届かないものから私に対しても、きっと手が届かない部分ってあると思うんです。私は私のほんの少しの才能を私という人間を表現する為に使うし、私はそれを誰のためでもなく、楽しいからやるんです。それ以上でもそれ以下でもないな。私にとって好きなものがずっとそういう存在でありますように。好きなものがそういう存在であれるように、頑張れる大人になれますように。なんかゴチャゴチャしてきちゃって自分でも何言ってるかわからなくなってきたけど、頭の中の整理の一環なので許してくださいね。ではまた

246:しぃ:2017/08/16(水) 02:56

構って欲しかったらもう少し構ってもらえるところに行きますよ。掲示板をこういう風に使うことのメリットは文章を作っていく中で自分の考えの整理が出来るという部分にあると思います。自分で考えを巡らせて自分で完結させることに意味があるんですよね(笑)

247:しぃ:2017/08/24(木) 00:06

センスって経験を積んで初めて成立するものなのに、元々あるものみたいな言い方をする奴が多すぎるんだ、だから軽視される…個々のセンスの根っこは皆あるのに、周りに沢山転がってる素敵なものを吸収しないのは他の誰でもなく自分自身なんだけどな…

248:しぃ:2017/11/18(土) 00:23

見つかって嬉しい

249:しぃ:2018/04/18(水) 00:18

最近の子供達って可哀想なほど「責められること」に慣れてしまっていて、逆に「褒められること」には極端に慣れていない。誰にだって直さなきゃいけない部分っていうのはあって、それは大人だって同じなはず。けれど子供達を見る大人は出来ないことや欠点にばかり目を向けて、出来ることや長所を少しでも汲み取ろうとしない。前出来なかったことが出来た。それって小さなことだとしても進歩に他ならないのに、当たり前だと言って誰もそれを褒めようとなんてしない。怒られて怒られて、優しくて物腰の柔らかい子が沢山出来上がっていくけれど、その子達って皆自分に自信が無くて、自信がないことによって「消極的だ」ってまた責められて、怒られる。
私は子供の成長にとって認めること程重要なことはないと思っていて、特に、過程を褒めてあげることが重要なんじゃないかと思う。結果ではなく過程。でもそこを褒めてあげたり認めてあげたりする為にはしっかり子供のことを見てないとダメ。例えばテストの点で考えると、絶対的な感覚で「90点なんて凄い!」って褒めるんじゃなくて「前回より20点上がったね!勉強の成果だね!」って褒めてあげるべきで、それはその子の過程を見てあげてることになると思う。本来なら親がそういう風に認めてあげるべきなんだけど、共働きの親がほぼほぼな中で子供の過程をしっかり見てあげられる親なんているはずなくて。そうなると、親に認められない子供達を認めてあげられる周りの大人って教師以外にはいないと思う。教師の役割も、親のあり方と共に少しずつ変化していってる。子供を誰よりも近くで見てあげられるのは寧ろ教師かもしれない。教師がどうやって「親の代わり」になるかは、難しいところだけど、子供達の成長にとって一番重要な「認めて伸ばしてあげること」はもはや教師にしか出来なくなってしまったのではないかと思う。


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