俺はこんなことを思ってる。
俺はこんなことを感じてる。
誰からも必要とされなくても、誰からも見られなくても
そこにあなたは実在しています。
ほら、あなたの「思い」が貼られましたよ…。
アルバイトなんてしなくてもスロットで食えるって。
今日、スロット行こうとしたけど金がなかったので、母親の財布から
金パクろうと思って開けたら、10年前の母の日に俺があげた肩たた
き券が大事そうに入っていた。
俺は泣きながら2千円を抜き取った。
↑前にも見た文章だけど思わず吹いたw
10:コピペ:2005/09/30(金) 12:07 ∧∧ ∩
( ・∀・)/ ブブカ頑張れ!!
⊂ ノ
(つ ノ
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もう四年近く前、大学に入ったばかりで男友達もいない頃。
その日は雨が降っていた。
大学を出て、俺は傘を持ってきてなかったので早く帰ろうと
近道になりそうな、いつもと違うルートで家へ帰ることにした。
今日も授業が終わったという独特な幸せな気分で歩いていた。
と、その時俺の頭に隣を歩いている人の傘があたりそうになった。
俺は反射的にそれをよけた。しかし再び傘が俺を襲ってくるじゃないか。
不思議に思った俺が横を見ると傘を持った背の低い女の子が背伸びして
俺の頭上に傘を届かせようとしている。俺はまた反射的によけしまった。
するとその女の子は俺に何か言葉をかけてきた。
(この時彼女がなんと言ったかは思い出せない)
この時初めて俺は彼女が俺を傘に入れようとしてくれていることに気づいた。
彼女は駅から電車で帰るので駅まで送ってくれると言った。(俺は徒歩で家まで)
もちろんこんな出来事生まれて初めてなので俺は戸惑ってしまい
しばらくの間は無言のまま彼女の傘に入って一緒に歩いていた。
その内向こうから積極的に話し掛けてきてくれて会話はぎこちないながらも続いた。
話を聞くと彼女も一回生で、学部は違うものの出身地方が俺と同じで親近感がわいた。
駅につくまで俺は終始どきどきして声も多少うわずった感じだと思う。
情けない話だけど小学校時代を除けば女の子とこんなに会話をしたのは後にも先にも
この時ぐらいのものだと思う。
やがて駅について彼女と別れなければならない時がやってきた。
傘から出た俺がしつこいくらいに「ありがとう」を繰り返すと
彼女は笑いながら「雨降ってたから当たり前だよ」と言った。
彼女が改札を通った後も俺はしばらく眺めていた。
最後の最後まで俺のせいで会話はぎこちなかった。
でも俺にとってはあまりにも新鮮な出来事だった。
しかしその女の子の名前は聞かなかったし、顔もなぜか忘れてしまい。
その女の子とはそれ以来、就職の内定した今でも会ったことがない。
それ以来別の女の子とも会話したことがない。
あの子はなんだったんだろう。
いつも通らない道を通った俺に神様がささやかなプレゼントをくれたんだろうか・・
入学当初で彼女も友達がおらずとにかく友達がほしかったのかもしれないな。
親切心で俺を傘に入れてくれただけなのにこんなことを考えるのは馬鹿げてるけど
やっぱりもてる人ならここで「お礼に・・」とか言って次回会う約束をとりつけるんだろうか。
でもあの時の女の子ありがとう。本当にうれしかった。こんないい人が世の中にいるんだなと思った。
12月24日の午後9時から翌25日の午前3時までの6時間は
1年間で最もセックスをする人の多い「性の6時間」です。
貴方の知り合いや友人ももれなくセックスをしています。
普段はあどけない顔して世間話してるあの娘もセックスをしています。
貴方が片想いしているあの綺麗な女性もセックスをしています。
貴方にもし年頃の娘さんや姉・妹がいて、いま家にいないのでしたら間違いなくセックスしてます。
貴方と別れたあの娘も貴方がその娘にやってきたことを別の男にやられています。
貴方の将来の恋人や結婚する相手は、いま違う男のいちもつでヒィヒィ言っています。
ずっと昔見た新聞のコラムに載っていた。
目の不自由な祖父、祖母と、
生活保護をもらいながら住んでいる女子中学生がいて、
二人の面倒を全部見てたが、ある日生活保護のお金を引ったくりされた。
これが地方ニュースになって、カンパが集まった。
役所は、そのカンパが臨時収入だからと言って、生活保護を打ち切った。
カンパの何十万円かなんてすぐになくなって、その子は役所に相談に来たけれど、
役所は臨時収入があったから再開できないと伝えた。
何度か役所に姿を見せたのは確かだが、その度に追い返したようであった。
生活保護を再開してもらえなかったことは、祖父母に言えなかった。
心配をかけたくなかったのか、どんな心境かは今となってはわからない。
目の見えない祖父母にはちゃんとオカズを作って食べさせながら、
その子はずっと、自分は塩とご飯だけ食べていたらしい。
ある時、祖父母がそれに気が付いて、
どうして自分だけそんな食事をしてるのか問いただした。
その子は笑ってごまかした、その夜、首を吊った。
●ノ
/■ ♪♪
く \ダンスマン
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。
●ノ
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く \ダンスマン
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容姿の劣る十代の若者は、外出もせずに家にこもる傾向がある。しかし彼らに言えることはそれだけではない。実は最近の研究によると、そういった若者は犯罪者になる傾向もあるのだそうだ。
この研究を行なったのは、コロラド大学の経済学者のNaci Mocan氏とジョージア州立大学の同じく経済学者のErdal Tekin氏で、彼らによれば、容姿の劣る若者は、いわゆる美男美女のみならず平凡な顔立ちをしている若者と比較しても、犯罪を起こす可能性が高いのだという。
2人は、連邦政府の資金援助の下、高校生1万5000人を対象に質問調査を行なった。2人はその際、調査官に対して、回答者の容姿をvery attractive(美)からvery unattractive(醜)までの5段階で格付けするよう指示した。そうして収集された回答結果と容姿の格付けのデータとの比較分析を行なった。
その結果、容姿の美醜の長期的影響は小さいものの、しかし確かにそこには一貫した傾向が見られるとの結論に至った。その結果によれば、器量がいい人ほど犯罪を起こしにくく、器量が悪い人ほど犯罪を起こしやすい傾向があることが明らかになった。尚、今回の研究で検討された犯罪は、不法侵入や麻薬売買など計7つの犯罪に関してのみである。
また今回以外にも、器量の悪い男性女性は雇用される確率が低い、また、器量のいい人に比べて稼ぎが少ない、という研究結果も出されており、このような境遇が彼らを犯罪に導いているのではないかと、Mocan氏とTekin氏は結論付けている。
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言い、強く抱きしめた。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
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アルゼンチンのプロゴルファー、ロベルト・デ・ビンセンツォは、あるトーナメントで優勝し、
賞金の小切手を受け取って帰る準備をしていた。
彼が一人で駐車場に向かっていると、一人の女性が彼に話しかけてきた。
彼女は彼の勝利をたたえた後、自分の子供は重い病気にかかって死に掛けているが、
お金がないために、医者に見せることもできないのだと彼に伝えた。
それを聞いて哀れに思ったビンセンツォは
「これが子供のために役立てば良いのだけど」
といって、獲得したばかりの賞金の小切手を彼女に握らせた。
翌週、彼がカントリークラブで食事をしているとテーブルにゴルフ協会の職員がやって来た。
「先週、駐車場にいたやつらが、君がトーナメントで勝った後、
そこで若い女性に会っていたといっていたが・・・」
ビンセンツォはうなずいた。「実は」と職員は続けた。
「彼女は詐欺師なんだ。病気の赤ん坊なんていないんだ。結婚すらしていないんだよ。君はだまされたんだ」
「すると、死に掛けている赤ん坊なんていないのか?」
「そのとおりだ」
すると、ビンセンツォは笑いながらこう言った。
「そうか。そいつは今週で一番の良い知らせだ」
俺、部落出身なんだ。差別がいやで故郷を捨てて一生懸命努力して自立した。
女の子は結構寄って来てくれるんだけど結婚するときに必ずばれる。
騙すわけには行かない。遊びだけなんていい加減なことはしたくない。
部落に戻ってあいて探す気もない。もう相手にしてくれないだろう。
幸せになるための俺の努力はなんだったんだろう?
時間だけがむなしく過ぎていく・・
・消防時代後半からほぼ毎年クラスの全女子からきもいコール
・年齢、属性に関係なく俺が女に話し掛ける時は無視かきもいのどっちか
・女子から石を投げられたことがある
・厨房時代、好きな女子を聞かれたので答えたらその人は勿論、その弟まで虐められる
・帰り道立っしょんしてるのを好きだった人に見られる
・ある女子が俺の隣が嫌で無理やり先生に席替え頼み込むも、くじでまた俺の隣になって号泣
・鼻歌歌ってただけで、椅子から扱けただけで、空を見ただけで、影が当たっただけできもい
・俺が女子に物を貸すと盗られるかぼろぼろになって帰ってくるかのどっちか
・家庭教師(♀)を親が雇うもしばらくしないうちに舌打ちやら独り言をされまくる
・良いお母さんなると言われてる優等生と4、5回連続で隣になり、その人も俺に聞こえるように陰口
・攻防時代、あだ名が「いやらし系」
・教師が委員長(♀)に俺と付き合っていると茶化されて本気で嫌そうな顔をされる
・性格悪いブスから陰口「○○君がいいけど…駄目なら(俺)?」そこでその女群が大爆笑
・2回帰り道が同じだっただけでストーカー扱い
・人生で唯一貰った(ママンとか知り合いのおばさんのお恵み以外)チョコを食べて1週間下痢
・いかにも小ばかにし腐ったようににたにた笑いながら「何で彼女作らないの?www」
・好きな女子を聞かれたので答えたらその人が次の学期から学校をやめた
・聞いてもないのに「私は○○君の方が好きだな〜」「○○君いるでしょ?私、付き合ってるから」
・躓くと気を引いてると思われきもがられる
・大学時代、俺と同じ学科の女子の講義選びの基準は俺がいないということ
・DQN女が足かけてきて「なんで人の足踏んであやまらないの?」
・妄想女が勝手に俺に好かれていると思い込んできもいコール
小学3年生の頃かな。
出たばっかりのGTOって車を親父の仲間の次男坊が買って 時々乗せてもらったっけ。
初めて乗るターボ車の走りが凄く面白くてカッコ良くて、
兄ちゃんが来る度に「乗せて!乗せて!」と言ってたっけ。
どんどん車のあちこちが改造されて、とんでもなく速い車になってさ。
最後はその兄ちゃん、病気で亡くなってさ…
GTOが暫くして売られたって時は泣き叫んだよ。
「どうして兄ちゃんの車、売っちゃったの!!」って、GTO=兄ちゃん、って感じがしてて。
それからもう10年。免許を取って運転に慣れた頃に親戚の叔父さんが
車を買う仲介をしてくれて、紹介された車がGT0だった。
もちろん即決。大して高くなかった。
それを兄ちゃんの家族に見せに行ったら、家族全員ボロボロ涙を流してた。
兄ちゃんを思い出して泣いているにしちゃオーバーかな、と思っていたら
親父さんが半泣きで、敷地内にある古ぼけた物置きを指差して
「あれ、使ってやってくれないか?」って言った。
漏れは全然意味が分からないまま物置きを開けたら
あの兄ちゃんがGTOに付けていたパーツがギッシリと。
漏れも泣いたよ。大泣きした。
「ボウズがいずれGTOを買うだろうから、その時にあげてくれ」と
病床の兄ちゃんは言っていたそうだ。そして手放す時に全てパーツを外して保管してくれていたのだ。
そうして今、兄ちゃんがくれたパーツを組んで漏れは走っている。
兄ちゃん。やっぱり兄ちゃんのGTOは速いんだね。
どんな凄いパーツ付けても、兄ちゃんの走ってた時代には戻れないや。
でも、ちょっと変わっちゃったけど 兄ちゃんが走ってた世界は良く見えるよ。
アイツはからかいながらも
いつもあたしのそばにいてくれた。
そして毎日毎日、まるであたしを待ち伏せでもしているかのように
いつもタイミングよくあたしの前に現れた。
だけど今からちょうど1ヶ月前の夜、、、、、
アイツはあたしの前からいきなり姿を消した。。。。
「また今度お前に会った時にこれ、絶対返すから。」
と言い残して行ったくせに。
「ほな、明日がんばるわ〜!!」
と言って去って行ったのがまるで昨日のことのよう。
だけどあたしは今でもアイツを待ち続ける。
いつもあたしの前では生意気に振舞っていたアイツを。
いつもあたしをわざと笑わかせてくれたアイツを。
あたしはどこにも行かずに待ち続ける。
だって・・・・・アイツのことが好きだから。
子供の時から、親父の部屋を覗きに行くのが好きだったんだ。
なにかしら楽しい物や、笑える行動があったよ。
コンコンとノックする。「おーい、お父さーん」「…なんだ?」
ある時は、机で姿勢正しくマンガを読む親父。横には「うる星やつら」全巻。
ある時は、家に無い筈のファミコンでマリオをしてた。
ある時は、虫眼鏡と極小ハサミで、紙を切って原寸大のアリの模型を作ってた。
ある時は、エレキギターを分解して、半田つけとかしてた。
ある時は、だらだら寝転がって、カフカとか読んでた。
ある時は、ダイエットボールの上でふわふわ揺れてた。
ある時は、パイプとベレー帽姿で油絵を描いてた。
ある時は、「フェルマーの定理」を解こうと紙に数字を書きまくってた。
ある時は、鏡文字の練習。裏から透かしてみたら、そりゃ見事な書体だったw
どれも中途半端で終わらなかったのが、すごいな。
先月に80歳で亡くなって、いま遺品整理にかかっている。
もう親父がいない部屋で、ビリーズ・ブートキャンプ見つけたw
爆笑してから、少しだけ泣いたw
親父、俺この部屋もらうよ。楽しかったよ、ずっとありがとな、お父さん。
小学1年生の八月と20歳の八月の長さはあまりにも違う
人間の一日の長さを、それまでの人生の長さがそのまま分母になるとすると、
80年生きるとしても、人生の折り返し地点は19歳
つまり、19歳までにイヤな思い出しかなかった奴は、そこから80歳まで幸せに生きても負け越し確定
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これを見た人は幸せですね。
これをたった2箇所に貼り付けると→【 】
に運命の人の名前が出てくるんだって!
半信半疑でやってみたら本当に出てきました。
チェンメですが、これは本当に分かっちゃうんです。
お試しあれ!
俺の友達でゲームがすげー好きなやつがいたんだよ。
ドラクエとか、誰より一番に解いたり、俺たちにヒントくれたりさ。
中学2年のとき、そいつ事故にあって、右手なくなっちゃったんだ。
やっぱ片手じゃうまくゲーム出来ないみたいで、というか出来なくて、
「、子供のあそびじゃん」とか言うわけ。
でもさ、そいつの家に行くと、隠してるつもりなんだろうけど、
ベッドの下にゲーム雑誌とかあるんだよね、普通エロ本だろうにw
でまぁ、そんなこんなで年月はたって、WiIIがでてこのドラクエがでたわけよ、
これならやつでもできるんじゃね?と思って、誕生日ってのもあって、
本体とセットでくれてやったんだ。
そしたら「こんなもんいらねーよー、出来るわけねーだろ、嫌味かよw」
とかいって開けもしなかったんだ。
んで、帰ってしばらくしたら、そいつの親から電話きて、
あの子が泣きながらゲームしてるんです、ほんとにうれしそうに・・・、ありがとうね!って。
深夜何時だよって感じだったんだけどさw、もう俺まで号泣だよw
聞いてくれ
俺は高校の時、DQN4人組にずっと悪質ないじめを受けていた。
チンポの写メとられたり、殴られたり、クラスの前でからかわれたり
机に悪口を掘られて、そこに修正液を流し込んで、悪口を消えなくしたり
牛乳パックを投げつけられたり、本当にいろいろされて死にたかった。
俺はそれがトラウマで高校はなんとか卒業したが、大学には通えなくなった。
今は底辺ニートやってるよ。
去年、急に俺のところに高校の同窓会の連絡が来たんだ。
いままで、一回も呼ばれたことなかったのにな。
俺は24歳ニートだったからもちろん断ろうとおもったよ。
でも、しつこく誘おうとしてる奴がDQN4人組の一人だと知った。
俺は同窓会に出ることに決めた。
同窓会が盛り上がってる最中に俺に人生狂わした4人のだれかをぶん殴ってそれで出て行こうと思った。
で、同窓会なんだけど最悪だった。
あいつら4人は本当に最低だった。
あいつら4人は同窓会遅れていった俺の近づいて来て、いきなり誤り始めた。
「昔、いじめて本当にごめん。ずっと反省してたんだ。一度、いじめた俺たち四人全員で誤りたかったんだ」
と言って、真剣に俺に謝ってくる。
同窓会終った後に、更に俺を呼び出して
「お前の傷が治るかわからないけど、本当に許してくれ」
とDQNリーダーは土下座までしてきた。
DQNの二人は旧帝卒のエリートになっていて、
残り二人もしっかりした仕事に就職した立派な社会人になっていた。
俺は悔しかった。DQN4人は最後まで極悪のDQN4人でいてほしかった。
なのに、会ってみると、人のできた立派な人間になっていた。社会的立場も良好だった。
逆に、俺は高校卒業からずっとニート、更にずっとお前らを憎んできて人間性なんて形成されずに止まってる。
社会性なんて身につきもしなかった。
俺の憎しみは対象を失って自分に帰ってきた。
同窓会の日はすごく死にたくなった一日だった
やってみてぇ!
この文を3〜10ヵ所貼り付け、回してくださいw
これをやった貴方は、夢や学校一のモテ子に
なりますw
やんなかったら不幸が突撃します
もうココまで読んでしまった人は最低3ヵ所は回さないと絶対不幸が100%突撃して死亡
するでしょう
これをやった人は、実際に
両思いになれたり、
学校一のモテ子になれたり、
夢が叶ったり
欲しい物が手に入ったり 。
キスされたり
告られたり
一気に幸せが手に入ります
だから移せば移すほどお得!
その他にもたっくさん叶った人がいます
だから回してね失敗した人なんていませんよ〜☆
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
チェルノブイリ事故は、メーデー前の金曜日深夜に起きた。
制御棒を完全に入れれば、炉心は止まる。
だが、中途半端に入れれば、残った核反応で
発電できるのではないか? という実験中だった。
#安全装置は切られていた。
金曜日の深夜。技師や作業員たちは、
「この仕事を終えれば休める!」と意気軒昂だった。
実験は暴走という結果を生み、休みは潰れた。災厄。炉心融解、メルトダウン。
炉心直下には、核反応を制御するための冷却水プールがあった。
メルトダウンが進めば、そのプールの水で水蒸気爆発が起きるだろう。
どうしたか?
3人の男たちが
汚染された水の中を泳いでいって、プールの栓を抜いた。
彼らのことは誰も知らない。
アンドレイ・アナネンコ ヴァレリイ・ベズパロフ ポリス・バラノフ彼らは、
ひどい事故が「よりひどい事故」になることを防いだ。
ヨーロッパ全域が「死の森」になることを防いだ3人。
彼らのその後は、あえて語らない。
小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。
足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。N先生がぶるぶる震えながら、
嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
蛇足かもしれませんが補足。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような過疎地へ
自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。みんなはもしかしたら、見たこと無いかもしれない。ユトリロっていう、
フランスの人でね、街や風景をたくさん描いた人なんだけど。空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。そして、A君はそれを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
初期 中期 後期 末期
毎日夏休みだ ニュー速は面白い 何をやってたんだ 法科で資格を取るんだ
ヽ( 'A`)ノ ヽ( 'A`)人( 'A`)ノ 全てが手遅れだ ( 'A`)
(O ) (へ ) (O ) :::::( 'A`):::::::: _φ___⊂)_
U > U :::::::::(∩∩ ):::::::: /旦/三/ /
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。