日本のアイデンティティ

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3:とおりすがり:2018/05/17(木) 21:03 ID:QBM

岸田秀「日本近代を精神分析する」より

 日本は精神分裂病的であり、内的自己と外的自己が分裂した状態にあるという。

 鎖国時代は外国(中国やオランダ)との付き合いを一方的に絶交できる幼児的な関係だったが、外圧により突然開国を迫られる。築いてきた価値観を今すぐ否定せよという。しかし自分の価値観を否定することは容易くない。そのジレンマの中で日本は、これまでの価値観は内的自己に押し込め、外圧に屈する現実は外的自己として立てることで対処した。そこから精神分裂病的な状態がスタートする。

 それは尊王攘夷論や和魂洋才(和魂=内的自己と洋才=外的自己)として幕末期、明治期に顕在化した。それまで細々と続いていた尊王思想が急に一般化したのは、天皇の歴史によって内的自己=旧来の価値観を補強するためである。


 内的自己=自分固有の価値観の否定はつらい。そこで内的自己を別の対象に投影し否定することで慰める。その対象が朝鮮である。西欧が植民地を家畜扱いして差別したのに対して、日本の征韓論が朝鮮人を徹底的に日本人化した上でこっそり差別した点に表れている。

 またここには「攻撃者との同一化」(フロイト)も見られる。欧米→日本という攻撃者→被攻撃者の構造を、日本→朝鮮とスライドさせる。幽霊が怖い子供が、自分で幽霊の格好をして怖さを紛らわせるのと同じである。

 自己同一性(外的/内的自己の統一性)を破壊された者は、他者の自己同一性の破壊に対して鈍感である。朝鮮の植民地化が「かえって朝鮮のためになった」と本気で考えている人がいるのはそのためである。


 そうして慰めながらも、分裂は構造的に進行してゆく。

 現実との接触を失った内的自己は、純化・美化され妄想的になる。皇国史観が日本古来の文化を強調し中国や朝鮮の影響を過小評価するのは、分裂病者が実の両親を認めず神の子や皇帝の落胤を自称するのと同等である。

 妄想的になった内的自己は外的自己を「本当の自分ではない」と否定するようになる。外的自己が「敵の同盟者」のように見えて実際以上に他者を驚異的に見せてゆく。


 このように進行する分裂に耐え切れず、仮面を外して「真の自分」として生きようとするとき、精神分裂病は発症する。これがアメリカへの宣戦布告である。

 外から見れば狂っていても、現実感を失った内部から見れば真剣な、自己を取り戻す戦いである。特攻隊なり総玉砕なり精神戦になるのも、非国民として外的自己を排除するのも当然である。これは一部の支配者の強制ではなく、国民の側に心理的に受け入れる準備があったからできたことである。


 精神分裂病は、現実を無視して内的自己を押し通す=徹底抗戦=発病期か、外的自己を立てて内的自己を守る=全面服従=病前期かの極端な選択肢しか取り得ない傾向にある。中間がなく突然切り替わる。

 戦後、アメリカに対する態度がまるで転回したのはこのためである。国際社会に認められようと努力し、外国の評判を気にするのも外的自己を立てている以上当然である。


 戦後の経済成長は一種の内的自己と外的自己の妥協である。戦後「戦死した仲間に申し訳ない」と仕事を頑張る人が多かったが、それは戦時中の努力と経済活動での努力を同一視しているためである。戦争という露骨な発露なしに、あくまで外的自己を表に立てつつ内的自己を表現したのである。

との事らしい。


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