楽器弾きの日常

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1:ゆ:2018/07/26(木) 18:05

とある弦楽器を弾くこうこうせいの日記です。気が向いたら!

2:ゆ:2018/07/26(木) 19:13

今日は小学4年生くらいの女の子が一人でバスに乗ってきたのを見た。
なんだかせわしなくて心配になったけれど、私に声をかけてやるほど勇気はない。ただその代わりと言ってはなんだが、少し考えを巡らせてみた。
私はそれくらいのとき一人でバスに乗れただろうか?と。

きっと乗れない。
私は母親に耳掃除をしてもらって、授業参観で母親の姿を必死に探して、夜は母親と一緒に寝る。まだ反抗期も来ていない、そんな母親大好きっ子だった。
そんな私にとって、バスで一人だなんて。きっと世界を滅ぼすより難しかったんだろうと思う。
それは今にも多少受け継がれているわけだけれども、私は現に一人でバスに乗っていたわけだし、10年にも満たない年数でよくここまで成長できたものだ。歳月というものは恐ろしい。

成長が加速したのは高校に入ってからだと思う。
幼稚園は母親と一緒に通ったし、小中は一緒に行く友達がいた。
けれど高校というものは私の家の近くにはない。行くなら自転車かバスか電車か、どちらにせよ家の近い友達とは学力が違うわけで、結局私は一人バスに揺られる決意をしたのだけれど。

心細い、と思った。入学して初めて登校したときだ。
隣には誰もいない。周りには友達やら彼氏やらと登校する人たちの姿があった。
孤独というのはきっとこんな風景なのだと。未だ経験したことのない痛みだった。
仲のいい友だちはすぐできたのだけれど、みんな電車で通っているものだから。どうしても最後は一人になった。LINEしながらとか、音楽を聞きながらとか、そういうことをしてみても、隣に誰もいないことへの恐怖感は拭えなかった。はずだ。

けれど今はどうしたものか。毎日毎日自分で起きて、母親に見送られることなく家を出て、イヤホンを耳に挿しながらバスに乗っている。
なぜだかはわからない。一体自分にどういった心境の変化があったのか見当もつかない。

ただ私は、それが「慣れ」でないことだけを祈っている。

ひとりはこわい。それは今でも同じだ。
誰かと昼を食べて、誰かの宿題を写し、誰かとスタバの新作を飲みに行く。
ただ、帰りだけは一人。

私はそれに意味を持たせたい。今はまだないけれど、孤独の嫌いな私がわざわざ一人を選ぶ理由があってほしいのだ。
それがささいな反抗だと思ってほしい。まだ反抗期も来ていない、私の。


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