まだある。

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1:匿名さん:2013/09/17(火) 10:40 ID:ez-CA2

…「昭和が懐かしい」という方はドウゾ!!(^_^)v↓

http://www.showanavi.jp/

http://www.ozorabunko.jp/arunavi/

2:虎夫:2018/01/25(木) 21:19 ID:wRE

《三色ふりかけ》
小型の円筒形の容器に、のりたま、タラコ、ゴマ塩がそれぞれ分けられて入っており、口を回して好みのふりかけを掛ける仕様になっていた。最後は必ずゴマ塩が残り、結局使われないまま始末されていた。
もう絶滅したと思っていたが、数年前に隣街の焼肉屋に置いてあるのを発見し、いたく感激した。

3:虎夫:2018/01/25(木) 21:28 ID:wRE

《ぷくぷく》
大型化したバブの様な固形の粉末ジュースの元で、中に星等を形取った小さいキャンディーが埋め込まれていて、回りが水に溶けると浮き上がって来た。
毎回何が出てくるのか楽しみで、友達の一人はそれを食べずにコレクションしていた。
ジュースの味はオレンジとレモンの二種類だったと思う。

4:虎夫:2018/01/29(月) 00:37 ID:wRE

《怪獣の世界》
ウルトラ怪獣(Q〜レオまで)のカードがアトランダムに5枚一組で売られていて、本体のアルバム(別売り)に貼っていき自分で怪獣図鑑を完成させるというもの。ダブったカードは友達とバクったりして、どうしても入手困難なカードは出版社から買い取り出来る様になっていた。
日本のオリジナルかと思いきや、何とあのヒトラーが同じ形で自分のアルバムを国民に作らせていたらしい。やはり色んな意味であの人は怪獣みたいな存在だったんだな…とつくづく思った。

5:虎夫:2018/02/02(金) 23:01 ID:eKA

《超合金シリーズ》
シリーズは今もまだ続いているが、初期のロボットアニメやロボコンものにはやはり強いインパクトを当時は感じたし、懐かしさも多々ある。
マジンガーZに限らず、どのロボットも両手がロケットパンチ仕様になっており、遊んでいる内に大抵は紛失してしまい、ほとんどのロボットが死ぬ直前のアミバ様状態でオモチャ箱に片付けられていた。

6:虎夫:2018/02/05(月) 22:01 ID:eKA

《ジャンボマシンダー》
ぶっちゃけ言ってしまえば、大型ソフビ人形。当時人気のアニメロボット(グレートマジンガーやライディーン等)が直径約70〜90pくらいの大きさで結構クオリティ高く作られていた。
子供心を大いに刺激したが、余りの大きさ故に他の怪獣人形と釣り合いが取れず、遊ぶ時にかなり持て余していた記憶がある。
小型化、軽量化が進む現代では、まず実現不可能なオモチャ。
それっ、大きい〜事はい〜ことだっ🎵(by山本直純)

7:虎夫:2018/02/08(木) 01:09 ID:eKA

《牛乳瓶のフタ》
記憶が正しければ、小学生高学年までは給食の牛乳は瓶で出されていた。そのフタでメンコ遊びをクラスメイトとするのが流行っており、当然男子はフタを捨てる事無く、毎日コツコツとコレクションしていた。
凝った者は裏面を器用にイラストや細工したシールでデコレーションし、そうすると丸い厚紙を重ね貼りしただけのフタが随分と価値あるモノに見えたりした。ルールはひっくり返す他に相手のフタの下に滑り込ませてもOKで、こちらは「くぐらせ」と呼ばれ、もっぱらプロ野球ガード争奪戦の方で多用された。

8:虎夫:2018/02/08(木) 01:40 ID:eKA

《ジーパン刑事》
伝説の俳優松田優作演じる「太陽に吠えろ」の2代目若手刑事柴田純(ジーパン)を、当時小学生だった自分(と友達)は完全に特撮ヒーローと同じ感覚で見ていた。襲い来るならず者達をキックやパンチで打ち倒していく姿は、ショッカー怪人を蹴散らすヒーローと完全にダブって見えたものだった。だから最後に腹を撃たれて「なんじゃこりゃぁ」で殉職した時は、あの強いジーパンが一発撃たれただけで死んじゃうのか、と意外に思ってしまった(そりゃあ死ぬさ、人間だもの。みつお)。
刑事ドラマにもヒーローがいた時代。そんなドラマを見れない今の子供達は…、ま、今はゲームソフトの中にヒーローは腐る程居るし、自分自身がヒーローになれたりも出来るしね。逆に今の子は、こんな面白いゲームで遊べなかった昔の子供達は可哀想って思ってるだろうね、多分。

9:畑作:2018/02/09(金) 20:47 ID:BhE

>>7 自分が通ってた小学校も瓶だったんですがこっちでは蓋をベイブレードのようにどちらが長く回るかってやってましたね。

10:虎夫:2018/02/10(土) 17:24 ID:kSU

>>9
そういう遊び方もあったんですね!
コマの様にするという事は、真ん中に楊枝かマッチ棒でも刺して作ったのかな…?

11:虎夫:2018/02/11(日) 23:53 ID:eKA

《ロケットペンシル》
今時の文房具事情にはかなり疎いので、果たして現存するかどうかは定かではないが、小学生の頃シャープペンシルに取って代わられるまでは、筆記用具の花形的存在だった。
先が丸くなった代え芯のパーツを引っこ抜き、それを座薬をさす様に本体のケツに差し込むと、中に連なって入っているパーツが押し出されて新たな先の尖った芯がペンの先端に顔を出す、というシステムになっていた。
小学2〜3年の頃に全盛を極めたと記憶しているが、前記した様にシャープペンシルの登場と共に急激に衰退し、卒業する頃には所有者は一人もいなくなっていた。

12:虎夫:2018/02/13(火) 23:31 ID:eKA

《バンバンボール》
小学生の頃に出回ったコカ・コーラの懸賞品。
団扇の様な形をした厚さ5o程のプラスチック板にスーパーボウルみたいな球が細いゴム紐で繋がれていて、その球を板で連打して遊ぶというモノ。
大した思い出は無いが、当時の
"バンバンボールでババババーン🎵"
というCMだけは妙に心に残っている。

13:サビぬき。◆Ow:2018/02/13(火) 23:52 ID:QGI


玩具と云うよりもほとんど兇器に近かったアメリカン・クラッカー

14:虎夫:2018/02/14(水) 23:31 ID:eKA

少しは危険を感じられる方が買って面白い事もあると思うんですよ。
最近の日本の小売り業、サービス業、その他接客業諸々、消費者に対して過保護(サービス過剰)過ぎると時々思ったりもするんですよ。
ドンパッチなんて、最近売られてるんですかね…?

15:虎夫:2018/02/14(水) 23:45 ID:eKA

《レッツゴーヤング》
35年程前のNHKで、日曜夕方にオンエアされていた、今で言う所のJpopの番組。
ブレイク直前のALFEEが二度ほど出演していたのを覚えている。確か「別れの律動」と「ジェネレーションダイナマイト」を歌っていたと思う。
この番組のユニット"サンデーズ"のメンバーで出ていた頃の日高のり子女史を知っておられる御仁はこの板には…
いないだろうなぁ〜( ´_ゝ`)

16:虎夫:2018/02/26(月) 23:18 ID:eKA

《ゴダイゴ》
小学生高学年の時初めて買って貰ったレコードが「モンキーマジック」と「ガンダーラ」だった。英文の歌詞というのが当時はとても斬新、新鮮で、歌詞カードを見たって分かる訳もないが、それっぽくマネしてよく歌っていた(ボーンホマーエーンガージョマーンテーントップ……みたいな感じで)。
このゴダイゴの登場と、ほぼ同時期のジュディオングの「魅せられて」のヒット以降、歌謡曲界に「サビに英語の歌詞を入れる」という手法が広がって行った様な気がする。

17:虎夫:2018/02/27(火) 23:05 ID:eKA

《サスぺリア》
子供の頃に公開されたイタリアのホラームービー。
自分が臆病だった事もありほとんど興味もなかったが
「決して一人で観ないで下さい」
というキャッチコピーが、今で言うなら流行語大賞を受賞してもおかしくないくらい、巷で大ヒット(?)した。

18:TWICE大好き♪ TWICE:2018/02/28(水) 16:48 ID:Yag

ふーん…。昭和時代ってサー。そういう時代だったのか( ゚д゚ )彡(平成でごめんなさい🙇)

19:虎夫:2018/02/28(水) 18:00 ID:z.U

>>18
平成は平成でまたいいもんだよ!
Youtubeとかのおかげで昭和の映像を見る事が出来るから(^_^)v
その平成も後もう少しか。
それ以降はどうなってしまうのか…?

20:虎夫:2018/02/28(水) 23:22 ID:eKA

《回るグラス》
確かリボンシトロンを買った時に付いてきたと記憶している。
丈の低い太目のグラスの底が緩やかに膨らんでいて、コマの様に回す事が出来た。
そんな不安定なグラス使えないやん、とつっこまれそうだが上手く出来ていたもので、中身をこぼしてヒドイ目に会ったという記憶はほとんどない。
続編として異様に細長いグラスというモノも出たが、オフクロが洗いずらいとこぼしていて、あまり評判は良くなかった。

21:虎夫:2018/03/01(木) 20:56 ID:42.

《1年B組 新八先生》
あの「金八先生」の姉妹作品として放送されたTVドラマ。
主役(新八先生)役に岸田智史。主題歌は主役自らが歌う(シンガーソングライターだからね)、「重いつばさ」
と、記憶にあるのはここまでで、当時は裏番組の新日本プロレスに夢中だったせいもあり、内容やその他のキャストに関しては一切知らない。大した話題にもならなかったから、金八人気に便乗した二番煎じというイメージは拭えなかった。
ここから更に派生して「2年B組 仙八先生」というドラマまで作られたが、これに至っては主役すら曖昧である(確か川谷拓三さん…?)。もう各々ググってちょうだい💦
こうして見ると何となくラブライブにだぶって見えるな。PDPなんてこの先どうなるんだろうね?正直、もうどーでもいいけど。

22:虎夫:2018/03/07(水) 00:11 ID:42.

《東映マンガ祭り》
映画を観たけりゃ映画館に行くしかない、まだDVDもBSもない頃ならではのチビッ子(死語)の夏休みの娯楽。
構成は、大体オリジナルの長編に当時人気のアニメや特撮番組が4、5本付く形で作られ上映されていた。こうして見るとかなりの長時間だが、そこは巧みに編集していたのだろう。
その中で異色というか、時代を表していたのが「巨人軍の野球教室」で当時(第一次長嶋監督初期)の巨人の主力選手(柴田、高田、堀内etc.)が少年野球チームの特別コーチをするという内容の短編モノ。V9終了後の低迷期とは言え、巨人の人気はまだトップクラスだった。今なら別のチームの方が…というか、他のスポーツに取って代わられるんじゃないだろうか?「浦和レッズのサッカー教室」とかww

後、タイトルを見て分かる通り"アニメ"ではなく"マンガ"なんですよね。当時は"テレビまんが"とか言われてましたから。その"テレビまんが"が後に日本を代表するカルチャーになるとは、当時の日本人のほとんどが予想してなかったでしょうな。まだまだ「漫画なんか読んでると頭悪くなる」と言われていた時代でしたから…。

23:虎夫:2018/03/07(水) 00:33 ID:42.

《のび太の恐竜》
長ったらしいレスの後で恐縮だが、もう1つ映画関係のネタ。
ドラえもんの記念すべき劇場版第一作(当時は大長編と言っていた)は幸いにしてリアルタイムで鑑賞する事が出来た。剛田タケシ映画版善人説のルーツは意外と昔にあったのだwww
主題歌の作詞が武田鉄矢というのもスゴイが、同時上映が「モスラ対ゴジラ」なのも今思うと昭和っぽいというか、何気に感慨深い。
当然、次回二作目の"大長編"にも過度の期待を寄せたが、情報源であるコロコロコミックを買い逃してしまい、うだうだしてる内にどーでも良くなってしまって、結局二作目以降は1つも鑑賞する事無く終わってしまった。もちろん同時上映に至っては知る由もない(別に知らなくてもいいけど)。

24:虎夫:2018/03/09(金) 23:01 ID:42.

《怪ケシ》
昔はどこのガチャガチャコーナーにも怪獣消ゴムの台が必ず置いてあり(一回百円)、モノにした怪獣でトントン相撲をやるのが当時の定番だった。
負かされた怪獣は勝者の手に渡ってしまうのだが、二本足+尾のゴジラスタイルの怪獣が基本的に安定していた為、それらは切り札として温存された(四つ足の怪獣は使用禁止)。
そんな中で圧倒的チートっぷりを発揮していた怪獣がコンピューゴン(ザ・ウルトラマンに登場)で胴体が箱形の為、容易な事では倒れず、実際の強さや知名度では遥かに上の怪獣達を片っ端からひっくり返して、土俵上はさながら下剋上のミクロの決死圏、闘いのパラレルワールドと化していた(古舘伊知郎調で言ってみた)。
中学生の終わり頃にはそれらがキンケシ(キン肉マン消ゴム)に取って代わられ、今やキャラ消ゴム自体が過去の遺物になってしまった。そりゃカードの方がコンパクトで、持ち運びや収納保存も簡単だしなー。

25:虎夫 hoge:2018/03/12(月) 15:33 ID:42.

>>22
書いててイマイチしっくりこなかったんだけど、ひょっとしたら東映と東宝を間違えて記憶してたかも知れない…。
あれだけエラそうに書いといて後で指摘訂正されてもカッコ悪いので、先に断っておきます。年寄りの粗相だと思って勘弁して下せえ。
因みに我が日本ハムファイターズの前身がこの東映が親会社だったフライヤーズで、あの″喝″でお馴染みの張本さん等が主力選手だった1962年、元巨人監督の水原茂の指揮で初の日本一に輝いています。

26:虎夫:2018/03/22(木) 00:13 ID:42.

《ウルトラマン80》
文字どおり1980年に制作されたウルトラシリーズの当時の最新作。
今まで夕方の再放送でしかウルトラシリーズを見れなかった自分としては、初のリアルタイム進行の作品を観ることが出来るので大いに期待した訳だが、一話を見ただけで止めてしまった。
理由は、弱かったから。
変身して颯爽と登場してから必殺光線を放つまで怪獣にボコられっぱなしで、何と頼り無いウルトラマンだろうと失望してしまい、以後見る気を無くしてしまった。やっぱ第一印象って大事だよね。
主人公(名前忘れた)の設定も、防衛隊(名前忘れた)と高校教師の掛け持ち(中学だったかもしれない)という支離滅裂なモノで、当時、金八先生や熱中時代等の教師ドラマが人気だったのでそれに便乗したのだろうが、子供から見ても明らかに無理があった(シリーズ途中で掛け持ち設定は取り消された)。
主題歌だけは当時としてはカッコ良かったが、今改めて聴いてみるとバックコーラスの男性陣の声のテンションが明らかに低く(棒読みならぬ棒歌い)、やる気あるのか?という出来映えになっている。この番組だけのせいではないが、これ以降のウルトラシリーズは一切鑑賞していない。パワードとコスモスの主題歌だけは好き。

27:虎夫:2018/03/22(木) 21:57 ID:42.

《JSL》
Jリーグ発足前、アマチュア時代の日本サッカーの記憶を思い起こしてみると
*呆れる程弱い代表チーム
*乱発される宇宙開発シュート
*冬になると茶色になる穴だらけの芝
*戦術という概念の欠片もない試合
*糞やかましいだけのチアホーン
*試合中継中に無遠慮に突っ込まれるCM
と、暗黒時代を象徴する負の要素しか思い出せない。こんな時期に、将来はW杯を日本で開催したい、と言い出した当時のFIFA会長のアベランジェ氏(故人)は、ある意味凄い人だと思う。開催権の半分を下朝に横取りされて、共催になってしまった事に関しては想定外だったと思うが。

28:虎夫:2018/03/23(金) 22:46 ID:42.

《高校サッカー今昔物語》
冬の選手権の日程も今は大部調整されているが、ひと昔前の大会はサッカーの常識からかなり逸脱したスケジュールによって進められていた。
1月2日に開幕してその日(1回戦)から3回戦までが3日ぶっ続けで行われ、ベスト8が出揃ってようやく1日休み。次の日からまた準々決、準決、決勝と連日に渡って試合が組まれていた。その為優勝候補と呼ばれながら敗退するチームも多々あった。
もしそれらのチームが今の大会に出場していたら…と思うといささか残念な気もするが、中には個人的にそう思わせないチーム(高校)も理由は様々だが幾つか存在した。
その内の1つが清水商業(静岡)だった。チーム自体は別に嫌ではなく、理由は客席にあった。チャンスやピンチの場面になると沸き起こる「ワァーッ」や「オォーッ」といった歓声が、このチームに限っては「キャ〜ッ(黄色)」だったのである。何でここだけジャニーズやねん!?と当時からキモヲタ族だった自分としてはどうにもこうにも納得が行かず、自然と清水商業に対してはアンチに成らざるを得なかった。
他の高校だけではなく、同じ静岡県代表の東海第一の試合には普通の健全な歓声が起こっていたのに、何で清水商業に限ってあんなに黄色かったのか、今もって全くの謎である。知りたくもねぇけど。

29:虎夫:2018/03/26(月) 00:31 ID:42.

《ゲームウオッチ》
「もぐら叩き」等の第一弾から、4つボタン、アラーム付き、ワイド、とシリーズが続いたが、基本は「出て来る(落ちて来る)モノに当てる」パターンと「出て来る(落ちて来る)モノを避ける」パターンに分かれていた。
今だとリサイクルショップ等で入手が可能です。手軽に持ち運べて気軽に遊べて、更に反射神経の鍛練や指の運動にもなるので、認知症予防にも効果的!
さぁ、アナタもLet's try!!

30:虎夫 hoge:2018/03/26(月) 00:59 ID:42.

>>29
Let's playの方がいい様な気もする。
好みに合わせてお好きな方をどうぞ。

31:虎夫:2018/03/30(金) 21:51 ID:42.

《初代ファミスタ》
⚾プロ野球開幕記念⚾
この頃はまだセ・リーグとパ・リーグの人気の差が如実で、このゲームでもセは全チームが登録されていたのに対し、パは単体チームが西武のみで、残りは2チーム(日ハム&ロッテ、阪急&南海&近鉄)に分けられていた。
自分はその「日ハム&ロッテ軍(フーズフーズ)」をよく使っていたが、三番おちあいの打棒が半端なかった。エースは「むらた」だったが、フォークを投げ過ぎると疲弊するので、カーブとストレートを多用した。カーブで打者を打ち取る村田投手というのも、ファミスタならではで、面白かった。
1つ心残りがあるとすれば、もう少し阪神を使って「ばあす」の超人ぷりを堪能しておけば良かった、という所か。

32:虎夫:2018/04/08(日) 23:06 ID:o9.

《ポップキャンディー》
「パピプペポップ不二家の〜ポップキャンディ〜🎵
1本10円!」
というCMが今だに頭に残っている(CMスレでも良かったか)
チュッパチャップスサイズの小判形の棒付き飴で色は赤と緑。
1本10円という子供にも分かりやすい値段の為、自分にとって他の商品を値打ちを測る基準になった(100円という事はポップキャンディー10本分かぁ…みたいな)。
基準商品の座はその後チロルチョコに代わられ、ポップキャンディー自体も今はどうなってしまったのか、不明のままである。

33:有栖◆6I:2018/04/08(日) 23:36 ID:L.2

>>32

こないだ丸亀製麺のレジで子どもがもらってました。ということで今も健在!
ところで私自身も子どもの時にうどん屋さんでもらってた覚えがあるのだけど、あれってそういう位置づけのキャンディなんですかね(笑)

34:虎夫:2018/04/09(月) 20:45 ID:o9.

>>33
まだ現役なんですね‼
ランクは商品から景品に下がったみたいですが。
今だといくらになるのかな…?
さすがにもう10円ではないと思うけど。

35:有栖◆6I:2018/04/09(月) 21:27 ID:L.2

>>34

バラで売ってるかどうかはわからないんだけど、大袋に入ってスーパーに置いてあるのは見かけますよ

36:虎夫:2018/04/09(月) 23:44 ID:o9.

《アポロチョコ》
こちらも今だに健在のロングセラーで、お土産屋では特大サイズが売られてたりする。
お菓子ってこうして見ると結構長寿の商品が多い。かっぱえびせん、meijiチョコボール、グリコキャラメル、etc…。それに加えて駄菓子の人気もまだまだ衰えていない。そして更に新しい商品がこれからも次々出て来る。
日本は世界で最もお菓子に恵まれた国であると思う。

37:虎夫:2018/04/16(月) 00:03 ID:o9.

《欽ちゃんのCM大賞》
一時期あの仮装大賞と並行して、土曜の夜に不定期的に放送されていた特番。
視聴者が製作した色んな宣伝用のCMのビデオを審査して大賞を決めようという企画だった。当然、ある種の笑いの要素や編集技術が採点基準になったが、イマイチ期待に応える内容の作品が集まらず、仮装大賞の時の様なスタジオでのアクションにも乏しかった為、自然と先細りになり3、4回の放送で打ち切られてしまった。
欽ちゃん自身にとっても黒歴史的な番組だったのではないだろうか?案外、本人はキレイに忘れてしまってたりして…。

38:虎夫:2018/04/20(金) 22:28 ID:o9.

《スーパーカーブーム》
記憶が正しければ、小学3、4年の頃に当時の少年達の間で外国産車の人気が高まり、グラビアやTV等で様々な車(主にスポーツカーが中心)を愛でる現象が起こった。熱心な子はプラモデル等を購入して組み立てていたが、自分はせいぜいカード等でその形状を眺めるだけにとどまった。その為当時はかなりの車種を見たつもりだが、今ではランボルギーニとポルシェしか覚えていない。「カーグラフィックTV」をその頃に放送していたら、かなりの視聴率を取れたのではないだろうか?最もあの内容は子供にはイマイチ受けが悪いと思うが…。
関係ないけど、スウェーデンの外車で、ボルボはよく街中で見かけるのだが、サーブの方は殆んどお目に掛からない。何でだろう?

39:虎夫:2018/05/08(火) 23:19 ID:AYs

《王選手の756号》
小学3、4年の時だったと記憶しているが、当時は野球より怪獣やアニメに夢中だったので、リアルタイムで記録達成を追い掛けて興奮したという思い出はない。王選手が新記録作ったらしいよ、とニュースか言伝てで聞いて、スゲー、ヤッターと多少は喜んだ事は覚えている。
興味が無かったとは言え、何となく勿体無い事をした、という気持ちがあったのか、数十年後にイチロー選手がメジャー3000本安打を達成した時には、その分を取り返すべく、特集雑誌や記念Tシャツやらを買い込み、一人で大いに騒ぎまくった。

40:虎夫:2018/05/17(木) 20:34 ID:AYs

雑記

アミマーユヤユーヒムヒムヒーヒーパッパー

これをご存知の方は相当な昭和通だ…と、勝手に思ってみたりする。

41:虎夫:2018/05/24(木) 23:23 ID:AYs

《夕焼けニャンニャン》
と言えば、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」が定番だが、番組スタート当初のOPは、チェッカーズの「あの娘とスキャンダル」だった。そのせいか、いまだに番組名を聞くとチェッカーズの名前が浮かんで来てしまう。個人的な話しですが。

42:虎夫:2018/05/24(木) 23:30 ID:AYs

《西部警察》
後に、ママチャリサイクリングで何度か通る事になる豊平川の河川敷で、当時あんな戦争映画みたいなシーンの収録を敢行した石原プロに、改めて敬意を表したいと思う。

43:虎夫:2018/06/18(月) 23:28 ID:oJM

《三菱銀行猟銃立て籠り事件》
自分がリアルタイムで目撃した凶悪犯罪の中で最も印象に残り、且つ戦慄を感じた事件(確か小五、六の頃)。
その内容については、様々な番組や書籍の中で述べられているので、ここでは割愛するが、個人的には新潮文庫の麻生幾氏の一冊がオススメです。今時の下手な刑事ドラマ何かよりずっと凄い。
現在の凶悪犯罪はこの頃に比べると、かなり陰質化している感じがする。相手は誰でも良かった、なんてソイツのいい加減な生き様が、犯行目的にまで表れていて、思い切り草。

44:虎夫:2018/09/23(日) 01:03 ID:.hU

《東村山音頭》
東村山と聞いて即志村けんを連想する人は立派な昭和人。
そもそも何故東村山市がチョイスされたのか?
志村けんを取ってしまったら何も残らんだろうに。イヤ、別にdisっている訳ではないので誤解無き様。お気を悪くされたら失礼。
m(__)m

45:虎夫:2018/11/08(木) 00:19 ID:Ax.

《口裂け女》
怪談板の都市伝説スレを見てて思い出したが、レスしたら世代が知られそうなので、こっちに書くことにした。
発生源は岐阜県の何処だかの街らしい。当時は様々な噂が飛び交ったが、血生臭い事件とは一切無縁の田舎にいた自分にはあまり実感が沸かず、気づいた頃にはブーム(?)は終息していた。もし現代に出現していたなら、色んな動画がUPされて、さぞネット上を騒がしていただろう。早過ぎた都市伝説の先駆者と言った所か…。
あ、血生臭い事件とは無縁と書きましたが、ウチの故郷はあの永山則夫氏の出身地でもあります…と書いたらまた世代がバレるな…。程々にせいや。

46:虎夫◆ZAk:2018/12/06(木) 01:02 ID:wV2

《カックラキン大放送》
番組で関根勤が披露していた「カマキリ拳法」は、絶対に"トシちゃん25才"からパクったに違いない、と当時から信じ込んでいた(今でも半分くらいそう思っている)。
当人に確認してみたい所だが、まず100%無理なので、勝手に決め付けてしまう事にする。だってタイムリー過ぎるもん!ねぇ、鴨川つばめ先生?

47:豹◆Po hoge:2018/12/06(木) 16:28 ID:upI

乱入失礼しまッス

>>45
ネットが普及していなかった時代に全国であんなに話題になったって凄いですよね。
…最近では、岐阜で街おこしに使われていますよw

失礼しましたッ

48:虎夫◆ZAk:2018/12/06(木) 19:37 ID:wV2

>>47
これはわざわざ、書き込みありがとうございます。
怪談板のスレ、何度か拝見しております。
やっぱり発生源は岐阜だったんですね。
最近は海外で"スレンダーマン"たる怪人(?)が活躍している様で、やはりどこの国にも似たような都市伝説って存在するんですね。

49:虎夫◆ZAk:2018/12/10(月) 20:23 ID:sQc

《ロサンゼルス暴動》
スレチでスマソ💦
遅れ遊ばせながら「アナザーストーリー」で取り上げられていたのを、録画したHDで観た。
あの暴動のほんの数週間前、自分はそのロサンゼルス市内にいた。当時既にバブル景気が終息に向かっていたが、まだまだその余韻は残っていた。それにあやかる形で、その年の春に入社した生協の新入生は研修旅行として、小売業の激戦地であるロス&サンフランシスコへの、約1週間の旅行を体験する事が出来たのである。
研修旅行と言っても半分以上は観光で、本場のディズニーランドやフィッシャーマンズケープを巡ったりしたのだが、何日か目に宿泊したホテルのテレビに、あの白人警官による黒人容疑者への集団暴行のシーンが写し出されたのである。当然字幕も吹き替えもなかったが「大変な事が起こってるね」と同室者同士で話したのを覚えている。そして自分達が帰国した後の不平判決で、警官全員が無罪。直後にロスの街は地獄へと化した。
ロスの街は広いし、わざわざ危険地帯に行く事もないだろうが、もし日にちがもう少しズレていたら、あの大暴動の余波を何らかの形で受けていたかも知れない。当時はあまり実感が湧かなかったが、改めて見ると結構タイトな海外研修だったと思ったりもするのである。
その旅行の途中でサンフランシスコを訪れた時に、たまたまパトロール中だった現地の白バイさんと会話をした(もちろん通訳付きで)。様々な装備が備わった日本ではお目にかかれぬ白バイで、こういうのは日本には無い物だと、そのポリスさんも言っておられたが、逆にここまでしないと治安を保てない現地の事情も垣間見えた。あの暴動でその類いの白バイはどこまで役目を全う出来たのか?バイク1台でどうにかなる騒ぎではなかったけど。
ちなみにウィキペディアを見ると、暴動の背後には警官の暴行事件の他に、地元黒人の韓国移民への怒りも含まれていて、韓国移民による黒人少女殺人事件の判決(軽い刑)も、暴動の引き金の一つになっていたらしい。しかし番組では、運悪く被害に会ったという一人の韓国人店主のインタビューを流したのみで、原因のほとんどが黒人達の警察による不満という形で、話しが進められていた。またネトウヨ連中に叩かれるぞ、イヌエチケー。4Kなんてどーでもいいから、偏見隠蔽体質を何とかしろや!

50:虎夫◆ZAk:2018/12/20(木) 22:43 ID:Cew

何だかんだで50レス到達記念(何を?)

《平安京エイリアン》
前に他者様のスレでもチラと書かせて頂いたが、アーケード版インベーダーゲームとほぼ同時期かやや後に登場し、コロコロコミックの人気漫画「ゲームセンター嵐」でも取り上げられる等、当時はちょっとした人気を誇ったゲーム。
名の通り、平安京を思わす碁盤の目状に張り巡らされた通路を、数体のエイリアン(飛び道具無し)が動き回っており、プレイヤーは検非違使を操って、路上に掘った穴にエイリアンを埋めて退治するという、何ともシュールな方法で画面をクリアして行く内容であった。
慣れないと中々難しく、自分はいつも一面クリアまで後二.三匹という所で、検非違使を全滅させていた。何回でも出来る家庭用ゲームと違い、一回プレイにつき百円投入しなければならなかった為、そんなに裕福ではなかった当時小学生の自分にとっては(他のゲームでも遊びたかったので)平安京ばかりに集中する訳にも行かず、結局腕前は少しも上達しなかった(元々下手なせいもあったが)。
その他当時印象に残っているのは、バルーンボンバー(ニーナの曲を連想させますな)、トランキーライザーガン、ギャラクシアンと言った所か。ギャラクシアンはファミコンを購入して貰って、最初にプレイしたゲームでもあり、結構インパクトが強い。ゼビウスやパックマンも、アーケードとファミコン両方でプレイ出来た。
スーパーファミコン以降ゲームとは一切関わっていないので、今時のゲーム事情はさっぱり分からんが(当時より相当複雑化している事だけは理解)、スマホゲームで平安京エイリアンをプレイしたら、別の意味で滅茶苦茶シュールな感じがする。ボーナスステージ的な扱いでもいいから、昭和から一時代またいで復活してみるのも、面白いかも知れない。俺はやらないと思うけど(言うだけかよ!)。

51:虎夫◆ZAk:2019/03/28(木) 01:22 ID:JWs

《トシちゃん》
たのきんトリオ時代の田原俊彦氏の曲で、「ラブシュプール」という、当時彼の出演していた映画の主題歌にもなった歌があり、当時はもちろんレコード販売であったが、映画関連の為か、レコードが白色という特別仕立て。更にジャケット(歌詞カード)のみが当たり前であったその頃の風潮に反し、ミニ写真集付きという、今で言うところの特典満載の豪華シングル盤で発売されていた。
トシちゃん自体には、興味のカケラも無かった当時の自分(中2)も、そのモノ珍しさに一枚欲しくなり、出勤中の父に帰宅する際に購入して貰う様、お願いした。しかしそれだけ当時としては、無理して特典満載仕立てにした事もあり、限られた枚数のみの限定販売となっており、自分が"ベストテン"でその特典情報を知った時には、既に完売していて入手は不可能になっていた。その事を知らない父が街に一件しかないレコード屋に寄って、「ラブシュプール」の在庫を店員に聞いたらしいが、当然北海道の片隅の小さなレコード屋に在庫等ある筈も無く、結局白レコード&写真集の特典を拝む事は出来なかった。
それにしても血気盛んな十代の女子が、トキメキながらトシちゃんのレコードを買いに行くというのならともかく、背広姿のオジサンが同じ品を求めて在庫を確認するいうシチュエーションは、アニメグッズを血眼で漁る今の自分に勝るとも劣らない異様さで、さぞかし店員も怪しく思ったに違いない。今にして思えば父親には誠に酷なお願いをしてしまったと、重々反省する次第である。
そして数十年後、その因縁の「ラブシュプール」の白レコード盤に、中古屋でイヤという程顔を合わせる事になろうとは、さすがに当時の自分には知る由も無かったのである。

52:虎夫◆ZAk:2019/04/02(火) 23:54 ID:FMY

《スター・ウォーズとスウォーム@》
SF映画の金字塔「スター・ウォーズ」の記念すべき一作目が上映されたのは、確か小3か4の頃だったと記憶している。
それにしても「スター・ウォーズ」封切りの際の熱狂ぶりは凄かった。関連書籍は出るわ、グッズは出るわで、ウチのクラスの男子ほとんどが、何らかの形でスター・ウォーズの商品を所有していた。当然本作も、友人達と共に街の小さな映画館に、ワクワクしながら見に行ったのだが、膨れ上がった客の群れを映画館側がサバき切れず、全ての客が席に着く前に上映を開始するという異例の処置が行われ、そんなドタバタの中、ようやく視聴する事が出来たのである。
その為ストーリーの最初を見逃してしまい、作品全般の中身をよく把握する事が出来なかった。それ以外でも、当然子供向けに作られた作品ではないので、円谷特撮番組とは異なる世界観等に中々馴染めず、期待した割にはほとんど感動も驚愕もせず、結果的に大した印象にも残らずに、映画を見終えてしまった。そのせいかどうかは知らんが、スター・ウォーズの作品はそれ以降ほとんどと言っていい程視聴していない(TVでは何度か観た)。やっぱり個人的にはXウイングよりウルトラホーク1号に魅せられるんだよなぁ…。

53:虎夫◆ZAk:2019/04/03(水) 00:18 ID:FMY

《スター・ウォーズとスウォームA》
そんな結果的にスカされた形に終わった「スター・ウォーズ」の同時上映作品が「スウォーム」と言う、殺人蜂の大群が襲う内容のパニック映画で、スター・ウォーズ終了後のダレた気分で観ていた自分に、想像以上の衝撃を与えた。
ストーリー序盤、ピクニック中の家族が蜂の群れに殺されるシーンで、全身蜂まみれになった被害者の姿に気持ちが悪くなり、後はひたすらビビりながらスクリーンを観ていた。後日何かの映画批評で、この「スウォーム」はB級映画扱いされていたが、むしろ小学生のガキんちょには、この手の内容の方が馴染み易く、よく分からんウチに終わった「スター・ウォーズ」より、遥かにインパクトがあった。
こういうパニック映画は、得てして名作扱いされる事が少ないが(ヒッチコックの「鳥」は例外)、CG技術が発達した現在なら、かなり迫力のある作品が作られるのではないだろうか?生憎映画に関してはあまり造詣が深くないので、詳しくは分かりませんが。仮にアニメで作られたとしたら……やっぱり気持ち悪くなるからヤダ。楳図かずおワールドになってしまうな。「ヒィィィ〜ッ!」

54:虎夫◆ZAk:2019/04/03(水) 21:04 ID:FMY

平成が終わって平成を懐かしむのが主流になって来たら、自分みたいな昭和懐古派は(少なくとも葉っぱ天国では)絶滅危惧種呼ばわりされるかも知れん(笑)

55:虎夫◆ZAk:2019/05/26(日) 00:34 ID:JmQ

《バブル就活事情》
日本中がバブル景気に浮かれ捲っていた頃、自分はまだ学生だったので、好景気の有り難さを味わう事は出来なかったが、就職活動でぞの恩恵だけは十分被らせて貰った。
とにかく空前の買い手市場だったので、どの企業も面接を受けた時点で、100%内定は決まっている様な状態だった。合同面接で、こんな奴採用したって害にしかならんだろう、と思わせる様な輩と一緒になった事もあったが、そんな奴にも信じられぬ程アッサリと内定が出されていた。中には面接官にタメ口をきく不届き者もいたが、追い返される事もなく、丁寧な扱いを受けていた。
面接が終わった後も、少し大手の企業になると、ちょっとした豪華なレストランで昼食をご馳走してくれたりした(ハンバーグステーキ食った)。そこまで行かなくても、何かしらの記念品をプレゼントしてくれた。当時はまだ携帯が無かったので、よくテレホンカードを貰ったりした(今でも保管しています)。人事課の人が自宅まで車で送ってくれた事もあった。
そうやって、自分は五つ程回った会社全てから内定を貰ったが、最終的に一つに絞った後、他の会社にお断りの手紙を出すのが大変だった。至れり尽くせりしてくれた事もあり、非常に申し訳ない気持ちになって、中々上手い言葉が出て来なかったので、父にも手伝ってもらい文章を考えた。そうしていざ就職して、社員研修でアメリカに行った事は前にも書いた。それからバブルが完全に弾け、景気も売り上げも瞬く間に下降。日本は"失われた二十年"へと突入して行くのである。
その後都合で退職し、再び就活を始めた時には、どの企業も見事に態度を一変させていた。食事やテレホンカードなんて何処ぞの話。失礼極り無い質問や態度も当たり前で、テメェブッ頃すぞ!寸前まで行った事だって、幾度とあった(中小零細の分際で💢)。そういった点で、自分は就活に関して言えば、まさに天国と地獄を見てきた、と言う事が出来るのである。
令和になった現在も、不況はあまり改善されていないが、少子化が進みどの企業も深刻な人手不足に喘いでいる。今時の就活で、企業側はどの様な態度を、応募者に対して取っているのか?外国人に門戸を開いている位だから、バブル崩壊後の様な無礼極まり無い面接官はまずいないとは思うが、応募者にあそこまで下手に出る事は、恐らく永久に無いだろう。今から思えばまさに夢物語そのものの就職活動であった。

56:虎夫◆ZAk:2019/06/07(金) 01:17 ID:zmE

《甘くないチョコレート》
商品名は忘れた。小学校高学年の頃と記憶している。
その名の通り甘さの全く無い、今からにして思えばよく商品化したモノだと思う様なお菓子(そもそもお菓子と言えるのか?)。宇宙食の一つとパッケージに書かれていたので、当時から珍しい物好きの片鱗が現れていたらしく、美味しくないと思いながらも数回に渡って購入し食していた。
同時期だったと思うが「ママもこれならOKさ」と言うキャッチコピーの付いたシュガーレスガムのCMがよく流れていたが、このチョコにも、それに相応しい宣伝文句の付いたCMがあったら、少しはセンセーションを起こしていたかも知れない。「毛利さんもこれならOKさ」って、その頃はまだ宇宙に行ってないし。

57:虎夫◆ZAk:2019/06/17(月) 00:49 ID:zmE

《少年探偵団シリーズ》
別の回顧スレに何回か登場したK君から、小学校中学年の頃(多分…)に貸して貰った「空飛ぶ二十面相」を読んだのが、最初の出会いだったと記憶している。出版社の名前からポプラという木の名前を知った。
一応ジャンルは推理小説だが、自分の中では完全にSFか特撮モノの扱いになっていた。だってタイトルからして、もう推理小説なんか連想出来ませんよ!「青銅の魔人」「鉄人Q」「電人M」「魔人ゴング」「夜光人間」「灰色の巨人」「宇宙怪人」etc.…
全部二十面相の変装だと読む前から知ってはいたが、いざ読み出すと完全に引き込まれた。小学生時代は自分の生活の中に、怪獣と並んで趣味の二大巨頭として堂々と居座っていたのである。円谷監督と乱歩先生は偉大なり。
ポプラ社の全シリーズを読破し(後半の血生臭いシリーズも面白かった。「緑衣の鬼」とか)、これで推理小説の味を占めたのか、以降はホームズ、ルパン、ポアロと突き進んで行く事になるのだが、基本漫画より活字の方が性に合ったらしく、今でも書店や古本屋に行くと、漫画コーナーは完全無視で素通りする。
子供の頃は偉大な漫画家の先生方の全盛期でもあったのに、それでも活字に傾いたという事は、自分は本の虫だという自覚が、無意識の内に頭の中で巣を作っていたのだろうか?移動する時とかも、スマホ弄るより本読んでる方が多いしなー。

58:虎夫◆ZAk:2019/06/23(日) 00:55 ID:zmE

《昭和の歌謡曲》
主にレコード全盛期の頃の曲って、何でフェードアウトで終わるケースが多かったんだろうか?そのせいもあってか、歌番組で披露された時はどういう〆方をするのかを聴く事も、当時の楽しみの一つだった(田舎在住&ガキ時代だったのでコンサートは未経験)。中には半ば強制的にフェードアウトされている曲もあるし、何かしらのルールが当時の業界にあったのかも知れない。よく分かりませんが。

59:虎夫◆ZAk:2019/06/25(火) 22:28 ID:zmE

《勝手にシンドバッド》
小6(小5だったかも知れない)の頃、この曲をひっ下げてサザンオールスターズが世に出て来た時には、ちょっとした騒ぎになった。
とにかく、曲自体がこれまでの歌謡曲(当時はJpop等と言う単語は存在しなかった)にはない画期的なモノだった。「さっきまで俺1人〜」の部分、今ではどうって事ないが、当時は無茶苦茶早口で歌っている様に聴こえ、そこを歌いこなせた奴はちょっとしたヒーローになれた。またサビの「今何時?」はプチ流行語にもなった。そもそもタイトルが「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」の組み合わせだと言う事自体フザケていた。この曲の影響もあってか、当時のサザンオールスターズは、時々コミックバンドの様な扱いをされ、実際その頃人気だった欽ちゃん(萩本欽一氏)のお笑い番組からも、出演のオファーが舞い込んで来たりしていた(もし出演していたらそれはそれで興味深いが)。
そんな世間のイメージを「いとしのエリー」でひっくり返して、一流アーティスト(この呼び方も当時はあまりなかったなぁ…)の仲間入りを果たして以来、かれこれ四十年近くもトップクラスの地位に居るのだから、大したモノである。「勝手にシンドバッド」に吹き出し笑っていたあの頃、誰が今のサザンオールスターズをイメージ出来たであろうか?
ちなみに桑田佳祐さんは大のプロレスファンとしても有名で、昔さいたまスーパーアリーナでの年越しライブの時に、当時現役だった蝶野正洋氏や馳浩氏(元文部科学大臣、現衆議院議員)を招いて、何とも形容し難いシュールな寸劇を披露しておられたが、今のアスリート競技化しつつあるプロレスには、どのような感想を持っていられるのか?無理とは知りつつも、是非一度意見を伺ってみたい所である。

60:Iu Onklo:2019/06/29(土) 16:05 ID:ueg

偶然見つけた「昭和をもっと知ろう」という謳い文句の「昭和ガイド」なるサイト。御参考まで。m(_ _)m↓

http://showa-g.org/

https://showa-g.org/

61:虎夫◆RAw:2019/07/12(金) 22:05 ID:JZA

>>60
ここにもレスされていたのですね。わざわざありがとうございます。m(__)m

62:虎夫◆RAw:2019/07/12(金) 22:33 ID:JZA

《レコード》
当時(今でも)よく手入れをしていないレコードを掛けたりすると、曲の途中辺りからこもった様な音に変わる事があった。回っている内にレコード針が表面に着いたホコリを引っ掛けるので、そのホコリが溜る事によって、針がレコードの溝を細かくなぞれなくなるのである。
だから時々静電気防止スプレーをレコードに吹き掛け、クリーナーでホコリを除去する必要があった。今からして見ると手の掛かる事この上ないが、その分レコード一枚一枚に愛着が湧き、大事に聴いたり保存したりする気になったものだった。
お陰で未だにお気に入り曲の音源として健在である。それに対してあのMDって何だったんだ?あの頃は便利だと言って大部分のカセットの曲を移行したのに、アッという間に廃れてしまい、今やデッキを確保するのにあちこちの中古屋を廻らなければいけなくなった。逆にカセットの方がしっかり生き残って、一体何の為の音源だったのか?今となってはただの徒労にしか思えて来ず、何ともアホらしい限りである。

63:有栖◆6I:2019/07/13(土) 19:58 ID:yxc

>>62

その昔、出産の時に産院で
「産声を録音できるんですが、MDとカセットテープどちらがいいですか?」
って聞かれて、つい
「えっ、その2択ですか?;」
って返したのを思い出しました。

当時でも既にかなり下火でしたが、劣化を考えるとデジタルの方がまだマシかと思いMDを選択。
でもプレイヤーがなくて今まで一回しか聞く機会がなかったという…

64:虎夫◆RAw:2019/07/15(月) 00:49 ID:JZA

今はリサイクル店でも、ちゃんとしたMDデッキの入手は困難になってます💦ジャンク品で"CDはダメだがMDは何とか再生可"という位のモノにしかお目にかかれません(泣)
後は奇跡を信じてMDウォークマンの発掘に賭けるしかない様です(´д`|||)

65:有栖◆6I:2019/07/15(月) 22:18 ID:yxc

>>64

うわぁ…MD一枚の為にプレイヤー探して買うのはさすがに厳しいですね( ´△`)
その手の業者さんに頼んで、別媒体にダビングしてもらうのが確実な気がしてきました;

66:虎夫◆RAw:2019/07/17(水) 00:30 ID:JZA

《華麗なる刑事+諸々》
あの「北の国から」でお馴染みの田中邦衛さんが、昔々刑事ドラマの主役をやっておられた、と言っても余りピンと来ないかも知れない。五郎のイメージが強すぎるから無理も無いと思うが、主役と言っても草刈正雄氏との二枚看板で、スポットライトは専ら草刈氏の方に当たっていた(これも又無理の無い話し)。
これなど、まだギリ納得出来る範囲内だが、もっと凄い(酷い)のになると「ルパン三世実写版」の映画にも出演していた。役は━━次元大介(笑)!「ルゥプゥアァン」とか言いながらマグナムをブッ放していた訳ではないが、製作側は何を基準に配役を決めたのか?まぁ記憶が正しければ、この頃はまだルパン三世のアニメは放送されていないか、されて間もないかのどちらかだったので「スケジュールの空いてる役者なら誰でもいーや」的なノリでキャスティングされたんだと思う、つかそーに決まっている。何故なら銭形警部役が━━伊東四朗(呆)!「ルゥパァ〜ン、逮捕だ〜!」とはさすがに言ってなかったが、この方がクールに「盗んだのは貴女の心です!」なんて言ってるのを想像したら……イヤ、しない方が良い、絶対に良い!
ちなみに同時上映されてたのは、故丹波哲郎氏主演の「ノストラダムスの大予言」。あの頃はみんな本気で信じてたんだな、恐怖の大王。振り返って見れば、翌年の"2000年問題"の方が深刻でしたねww

67:つみき:2019/07/28(日) 00:30 ID:/.U

MD!
いまだに使うことあります。ラジオ録音に使ってます
デッキまだ動くから、壊れるまでつかおうかと
MDウォークマンは流石に、壊れた

時代に逆行キライじゃない。

68:虎夫◆RAw:2019/07/28(日) 00:45 ID:JZA

>>67
もうMD全盛から10年近くたちましたが、ウチでも全音源の約4分の1がMD頼りの状態です。自分用に特別に編集したモノに関しては取り替えが効かないので、今はデッキが1日でも長くもってくれる様祈るばかりです💦

69:虎夫◆RAw:2019/08/30(金) 23:58 ID:Crg

《オールナイトニッポン》
自分が学生時代に聞き始めた頃のラインナップは以下の通り
月曜日 中島みゆき
火曜日 坂崎幸之助(ALFEE)
水曜日 タモリ
木曜日 ビートたけし
金、土曜日 笑福亭鶴光

多少の記憶違いがあるとは思うが、これだけの面子が並ぶ事は今後も早々ないだろう。ま、正式には火曜日夜(AM1:00)からのスタートだけどね。

70:つみき:2019/09/04(水) 23:12 ID:DEk

AANああ、学生の頃だれだっけかなぁ?
とんねるずさん
木根尚登さん
福山雅治さん
ユーミン??
2部も聞いてたはず…思い出せない…

71:虎夫◆RAw:2019/09/05(木) 00:34 ID:GHw

>>70
69の次の面々……の様な記憶があります(自分も自信なくて恐縮ですがf(^_^;)
これも中々の豪華メンバーですよね。

72:つみき:2019/09/05(木) 00:49 ID:DEk

>>71
分かります?そうなんです。
本当豪華でしたね。ウィキ見れば分かるんですが、自力で記憶を辿ろうと。
最近は、聞かないですね。

73:虎夫◆RAw:2019/09/05(木) 08:52 ID:GHw

>>72
自力で及ばずWikiで分かった後の、安堵感とちょっと複雑な無念の意……。誰もが年を重ねるごとに増えて行く"あるある"ですよね(^_^ゞ
「ここまで出て来てるのにィ…」って時は尚更です(笑)

74:つみき:2019/09/06(金) 23:46 ID:DEk

思い出し作業(無い頭をカラカラと振ってみた)をして、毎日夜9時にヘビロテで、聴いていたラジオを思い出しました。
FM NHKのミュージックスクエアです。
月曜日の渋谷陽一さんから金曜日の中島みゆきさんまで、洋楽邦楽と影響受けた音楽もあったなぁ。
エリッククラプトンが好きになったきっかけも、ミュージックスクエアのおかげでした。

75:つみき:2019/10/03(木) 19:10 ID:Dgg

懐かしいで思い出したのですが、スレチだったらごめんなさい。CMですが昔、SSK野球だったかな。「速く、強く、逞しく」
立浪和義さんだったかなぁ。プロ野球選手が使う同じものが欲しくなるもんで、親にねだりました。

76:虎夫◆RAw:2019/10/03(木) 20:29 ID:aQs

>>75
ここの板に「なつかCM」というスレがありますので、宜しかったら一度覗いてみて下さいませ♪(俺の立てたスレじゃないけど💦)
SSKのCM、そのスレにも登場しましたが、確か同スペルの別会社として紹介されていた記憶があります。時代が経っている事もあって、ややこやしさ満載でしたww

77:つみき:2019/10/03(木) 23:45 ID:Dgg

>>76 はい、ありがとうございます。

78:虎夫◆RAw:2019/10/08(火) 21:29 ID:aQs

《宇宙人》
今や宇宙人のビジュアルと言えば"グレイタイプ"でほぼ決まりだが、ウチらの子供の頃はタコの変形型が主流だった。ジョージウェルズの小説「宇宙戦争」が下地になっていると思われるが、それが何時グレイにイメチェンしてしまったのかはハッキリしない。それに似たタイプなら、1961年のヒル夫妻のアブダクション事件で既に登場しているが、日本においては、やはり矢追さん(と水曜スペシャル)の功績と言えるかも知れない。
今でも時々見かける、喉元に空手チョップを打ちながらの「ワレワレハ……」に関しては、ウチらの頃から存在していたと記憶しているが、元ネタが何なのかは残念ながら覚えていない。
当時は、宇宙やUFOに対しての未知のイメージが溢れかえっていた時代だったから、侵略者にしても、おかしな友達にしても、遥か星の彼方からやって来るのが定番だった。それが今では、異世界やゲームの中の世界(ダンジョンとか言うやつですか?)とやらに変わってしまった感がある。恐らく宇宙人のメインキャラクターは、今後はどの業界にもほとんど登場しないだろう。生き残るのはウルトラマンとラムちゃん位ではないだろうか?

79:つみき:2019/10/09(水) 23:33 ID:Dgg

>>78 ムーをふと思い出し、確かに宇宙人といえば何故か風貌は一辺倒だと思いました。その頃は、それが本当に宇宙に存在すると信じてw ムーで、取り上げた中に超能力が流行った時代で、火付け役はユリゲラーだったと。テレビの前に動かなくなった時計を置いて、念じました。清田青年のスプーン曲げは、真似してたなぁ。家のスプーン曲げた子供や大人あるあるだったと思います。

80:虎夫◆RAw:2019/10/11(金) 20:14 ID:aQs

>>79
あの頃は超常現象熱が熱かったですね。
そー言えば、日本の漁船が太平洋で「恐竜の死骸」とやらを引き上げる、と言う"事件"もありましたね。正体は大型の鮫だったらしいですが。

81:Iu Onklo:2019/10/16(水) 14:19 ID:8wQ

>>皆さん

「なつかCM」と「なつか CM」でググってみました!\(^O^)/↓

http://www.google.com/search?q=%E3%81%AA%E3%81%A4%E3%81%8B%EF%BC%A3%EF%BC%AD

http://www.google.com/search?q=%E3%81%AA%E3%81%A4%E3%81%8B+CM

(まぁ、同じ事かもしれないけどね…)

82:虎夫◆RAw:2019/10/16(水) 20:29 ID:aQs

>>81
これはわざわざありがとうございます
m(__)m

83:虎夫◆RAw:2019/10/24(木) 00:17 ID:aQs

《野球盤ゲーム》
今でも販売している筈なので昭和限定のネタにはならないけど、"消える魔球"の装置ってまだ健在なんだろうか?あれを使われると、片っ端から三振を取られ捲って、正直ゲームにならなかったので、ウチらの(少なくとも周りの友達の)間では禁じ手にされていた。結果、それぞれの守備位置の穴にボール(玉)が落ちないとアウトにならないので、試合はいつも乱打戦の模様を呈していた。それ以外は、その都度ルールをいじくりながら遊んでいたと記憶している。正に「俺がルールブック」なスタジアムになっていたのである。
関係ないけどこのゲーム、ウチらの時代は「王選手のプロ野球盤」とか言う商品名が付いていた。コレに限らず、野球に関する商品には大抵"王選手の〜"という文句がよく添えられていた。別に山本浩二や田淵クン、はたまた張本選手でも良かった様な気もするが、当時は本塁打新記録で日本中が沸いていて、克つ巨人のブランド力も今からでは想像出来ない程強かったので、球界の顔として、少年ファンを惹き付ける役割を受け持たされていたのだろう。今選手名を付けるなら、絶対「大谷選手のプロ野球盤」になるだろうなぁ。そのクラスの大物がもう日本にいないのは、実に寂しい話である。


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