注意事項
*ホラー系が苦手な方は閲覧を控えた方が良いです
*流血シーン有りです
*感想やアドバイスがありましたら、書き込んでくれると嬉しいです
*なりすまし、暴言、荒らしは厳禁
女性の突然の宣言に、誰もが言葉を失った。
無理もない。
無関係の人間が、事件の犯人を見つけてくれると言ったのだから。
「私一応、探偵事務所で働いているの。本業は浮気調査や身辺調査で、殺人事件とかは警察の仕事だけど、力にはなれると思う」
確かにただの一般人よりは良いだろう、と昴は女性の顔をじっと見つめる。
「なら、俺達はどうすればいいんだ?聞き取り調査でもすんのか?」
ため息混じりに、蓮が言う。
「それはするけど、まずはここから出よう。そうしなきゃ、何も始まらない」
「じゃあ、海斗の死体はどうするんですか?」
ブルーシートを突っつきながら、昴が訊いた。
「とりあえず、私の家に置こう。この学校から近いし、人通りも少ないから、誰にも見つからないと思うね」
彼等は僅かに考え込むが、彼女に頼った方が良いと思ったのか、反対する者は誰もいなかった。
だが、一人だけ女性に言葉を投げかけた。
「あなたは……何故ここに来たんですか?何故私達に協力してくれるんですか?あと、あなたの名前は何て言うんですか?」
質問したのは唯奈だった。
その顔は、大人しい彼女には珍しいくらい、鬼気迫っていた。
昴は眉をひそめながら、唯奈の顔をじっと見る。
「いずれはわかるんじゃない?全ては、皆の行動次第」
女性の意味深な発言に、彼等の背中に鳥肌が立つ。
彼等が、女性の【異様な雰囲気】を感じ取った瞬間なのかもしれない。
女性は教室の前方のドアまで移動すると、
「とりあえず、ドア開けとくから死体を廊下に運んで」
と、彼等に指示を出した。
その瞬間だった。
「……あれ?開かないんだけど」
女性はドアを何度も開けようとするが、一向にそれは開かない。
ただ、ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえるだけだった。
流石の女性も、この事態に顔をしかめる。
「……まさか、閉じ込められた?」
樹里がぽつりと呟く。
だが、その表情からは感情が感じ取れなかった。
「ちょ、冗談はよせよ」
笑いながらそう言う蓮も、目は笑ってない。
「後ろのドアなら、開くんじゃね?」
と、悠也が後方のドアに駆け寄る。
だが、そこでもただただドアノブの音が無情に響くだけだった。
最初は軽く見ていた者達も、困惑の表情を浮かべる。
「嘘でしょ……」
昴の隣にいる唯奈が、顔面蒼白で声を漏らす。
怖がりな彼女にとって、夜の廃校の教室に閉じ込められるというシチュエーションは死ぬより恐ろしいものだろう。
彼女はドアの前に立つ悠也の横に並ぶと、全力でドアを叩き始めた。
「ねぇ、出してよ!ねぇ!ねぇ!!出してよ!!」
狂ったように何度も叩き続ける唯奈の顔は、涙を流しながら笑っていた。
側にいた悠也も、狂気を感じる唯奈から目を離す。
すると、視線を【あるもの】に移した彼は、目を輝かせた。
「椅子でガラスを割ったらどうだ!?」
廊下の様子が見えるガラスに指を差す悠也。
「少し手荒だけど、いいんじゃない?」
美子が髪をかき上げながら、賛成する。
「怪我するなよ」
心配そうに悠也を見つめる昴。
ガラスの破片が飛び散ることを考慮し、悠也はレインコートのフードを被ると、1つの椅子を持ち上げた。
割りやすいように、美子はガラスを懐中電灯で照らす。
「じゃ、いくぞ!!」
気合いを入れるために大声を出すと、彼は持ち上げた椅子をガラスに叩こうとした瞬間だった。
異変が2つ起こったのだ。
1つ目は、美子が照らしていた懐中電灯が突然消えてしまったこと。
もう1つが、真っ暗な闇が訪れた数秒後に、何か大きなものが床に倒れる音がしたことだった。
「何で消えたの!?まさか電池切れ!?」
「待って。私の懐中電灯もあるから、今からつける」
半ばパニックになりつつある美子に、女性が冷静にそう言った。
だが、女性が懐中電灯のスイッチを押しても、カチカチと音がするだけだった。
どんどん増してくる不安に、彼等の中に【恐怖】の2文字が現れる。
そして、それがいつしか【絶望】に変わることを、まだ彼等は知らない。
「ちょ、ヤバい。つかないんだけど!」
「もうやだ!!帰りたいよ!!」
「どういうことだよ、これ!!」
女性の嘆き声から始まり、彼等は口から次々と不安をこぼしていく。
しかし、この状況の中で、一人だけ静かにある疑問を口にした。
「悠也は?」
声の主は樹里だった。
彼女の言葉に、一瞬だけ彼等は冷静になるが、すぐに強い不安にかけられる。
何故なら、樹里に名前を呼ばれた彼からの返事がなかったからだった。
「おい、悠也?」
僅かに震えた声を漏らす蓮。
しかし、彼の呼び掛けにも、悠也は返さなかった。
ただただ暗闇が目の前に広がるだけである。
「そうだ。スマホの明かりがあるよ」
携帯のことを思い出した昴の声は、少しだけ明るかった。
ズボンのポケットからスマホを出すと、ホーム画面の状態で床に照らした。
自分の位置を確認しながら、慎重にガラスの方へ彼は近付く。
全員が固唾を呑んで、スマホの明かりを見つめていた。
悠也がどうなっているのか、彼等は不安で堪らないのだ。
返事をしない限り、彼が普通でいることはまず有り得ない。
だが、嫌な想像もしたくなかった。
もしかしたら、彼は自分達を驚かすために、懐中電灯が突然消えたこの状態を上手く利用して、わざと返事をしなかっただけではないのか、などと都合の良い想像をしている者もいるくらいだ。
しかし次の瞬間、スマホの明かりによって、その期待はまんまと裏切られた。
「な、なんだよ、これ!!」
「ひっ!」
「嫌だ!!誰かここから出してよ!!」
照らされた床には、水溜まりを作っている赤い液体と、首をナイフで刺された悠也がいた。
残虐な姿の彼は、これ以上にないくらい目を見開いている。
だが、その瞳には輝きはない。
死んでいることは明らかだった。
「どういうこと……!?」
叫び散らすような美子の声。
「……殺された?」
茫然としながら昴が言う。
その顔は、まるで幽霊のように青白い。
「でも、悠也まで……!?」
「大体、この状況で悠也が殺されたなら、殺ったのは……」
蓮の言葉に、全員が黙り込んだ。
その先は、誰もがわかっていた。
悠也は、自分達の中の誰かに殺されたのだと。
すると、重い空気の中、手をパンパンと叩く乾いた音が聞こえてきた。
その正体は、女性だった。
「あんた達の誰かが悠也君を殺した、か……」
「それって、海斗を殺した犯人と同一人物だったりします?」
樹里が女性に訊く。
すると、彼女は徐に答えた。
「わからないけど、その可能性は高い。暗闇になった状態を利用して、犯人は悠也君を殺したのかぁ……」
「……美子が殺したんじゃないのか?懐中電灯を持っていたのは美子だろ。わざと電池を抜いてつかないことにして、その隙に悠也を殺したんじゃ……」
声を低くしながら、蓮が言った。
彼の推測に、弾かれたように美子が言い返す。
「そんなことしてない!大体、私が懐中電灯がつかないように仕掛けても、女の人が代わりに自分のをつけてくれるはずでしょ。でも、女の人の方もつかなかったんだから、その理由で私が犯人扱いされることはない」
彼女の反論に、押し黙る蓮。
すると、昴がぽつりと呟いた。
「でも、2つともつかないって有り得るか?しかも同じタイミングで。まるで、犯人が2つともつかないようにしたみたいじゃ……」
「だけど、私はあんた達に自分の懐中電灯を渡した覚えはない。それに、私もあんた達から懐中電灯を受け取ったこともない。だから、犯人が両方つかないように仕組んだことは有り得ないはず。つまり、懐中電灯の件は偶然なんじゃない?」
「【私も】って……あなたも犯人の候補に入るんですか?」
震えがちの声で、唯奈が訊いた。
「仕方ないよ。現場に私も立ち会わせたんだから、あんた達だけが犯人候補なのは不公平でしょ?それに、口には出してないけど、思ってたんじゃないの?私が犯人かもしれないって」
女性の言葉に、数人の身体がびくりと震えた。
暗闇のため、彼女にそれがバレないので、すぐに安堵のため息を漏らしたが。
「まあ、こんな嵐の日に一人でこんなところにいたら、悠也君を殺したのは私だって思われても仕方ないかもね。犯人は私じゃないけど。あ、口ではいくらでもそんなこと言えるか」
自虐的な割には、やや明るいその声に、彼等は困惑するしかなかった。
そんな空気をどうにかしたかったのか、美子が口を開いた。
「何で悠也は殺されたの……?しかも今。普通だったら、悠也が一人でいる時に殺害するわよね?」
「それは私も思った。悠也君を殺したかったのなら、海斗君の時みたいに、一人でいる時に殺してるはず。なのに、わざわざ暗闇になったところを利用して殺害するなんてめんどくさいこと、普通する?」
説得力のある彼女の説明に、誰もが頷く。
だが、しばらくすると異議を唱える者がいた。
それは、樹里だ。
「だけど、偶然暗闇になって悠也を殺害するなんて、不自然すぎじゃない?」
「どうして?」
昴が訊く。
「悠也はナイフを首に刺されて死んでいた。なら、犯人は最初からナイフを所持していたはず。でも、懐中電灯が両方つかなかったことが偶然だとしたら、犯人は暗闇になることは予測していなかったことになるよね。それだと、わざわざ何で暗闇が訪れてから少しの間で殺害することにしたのか……可笑しいと思わない?」
「確かにね。最初からナイフを所持していたなら、きちんと殺害するタイミングを考えていたと思う。例えば、帰り際に皆が目を離した隙を狙って、とか。なのに、暗闇とはいえ、皆がいるところで殺したなんて、不自然だね。もしかしてドアが開かないし、懐中電灯もつかない状況に混乱して、予定外だけど、タイミングを早めて殺した、とかなんじゃないかな」
次々と並べられる女性の推測に、彼等は事件の内容を整理する。
だが、そうする度に、彼等の友人に対する猜疑心は増していくばかりだった。
嵐が止み、月が姿を現した頃だった。
樹里は椅子に座り両腕を机に乗せた状態で、夜空を眺めていた。
塗り込められたように真っ黒な空に浮かんでいる満月は、腹が立つくらい美しい。
こんな夜は何かが出そうだな、と彼女は穏やかに微笑んだ。
結局、何度も悠也や海斗について情報を並べても、犯人は分からずじまいだった。
だが、全員が1つだけ確信したことがあった。
それは、同一犯説だ。
徹底的な証拠があるわけではないが、逆に二人を殺したのが別々の人間だとは、考えられないのだ。
でも、それだけでは犯人がわかるはずもなく、彼等は夜が明けるのを待つことにした。
このまま話し合っても、埒が明かないからだ。
しかも、海斗をここまで運んだり、友人の残酷な死体を見たことにより、肉体的にも精神的にもかなり疲れていた。
とりあえず、夜が明けるまで睡眠をとり、朝になったらなんとかここから脱出出来るように行動をする。
それが、今の自分達にとってするべきことだった。
携帯が圏外で連絡は取れないが、もともと今夜は今後のことについて話し合うため、この廃校から一番近い樹里の家に泊まることになっていた。
家族には既にそのことを伝えてあるため、帰って来ない自分を心配することはない。
樹里の両親が今、旅行で家にいないのも、明日が休日なのも、奇跡的としか言いようがなかった。
全員が席に座っているが、寝ている者は一人もいなかった。
ある者は携帯をいじり、ある者は涙を流し、ある者は頬杖をついて考え事をしている。
会話は一切なかった。
静寂した教室の中には、様々な彼等の感情が渦巻いている。
疑心、恐怖、不安、怒り……。
どす黒いオーラが教室を包み込んで見えても、おかしくないだろう。
だが、それらとはどれも当てはまらない感情を、樹里は抱いていた。
彼女は斜め後ろの席をちらりと見た。
そこには、視線を携帯の画面に注いでいる美子がいた。
「私もいつか恋とかするのかな」
軽いため息を吐きながら、美子はそう言う。
彼女が背負っているランドセルのキーホルダーが、柔らかな春風によって揺れた。
「するんじゃない?」
微笑みながら、私は答えた。
私達が座っている河川敷の向かい側では、野球部らしき中学生達がランニングをしている。
来年から彼等と同じ中学生になるのか、と思うと、それは遥か遠くの未来のことのように感じてしまった。
やがて、彼等の元気に満ちた掛け声が遠ざかった。
川のせせらぎしか聞こえなくなった河川敷を眺めていると、再び美子が口を開いた。
「樹里は?好きな人とかいないの?」
「私?」
自分の顔を指で差しながら、私は首を傾げた。
美子の瞳は、好奇心で満ち溢れている。
正直恋愛はあまり好きではないが、この空気では答えざるを得ないだろう。
私は顔から表情を消すと、彼女の質問に答えた。
「好きな人はいないけど……この前、三角関係だっけ?まあとりあえず、めんどくさいことがあったなぁ。しかも隣のクラスの人と」
「何それ!初耳なんだけど」
私の言葉に、彼女は瞠目した。
ここまで来たら、私は美子にあったことを全て話さなくてはならないだろう。
昔から、美子は知りたいものは知り尽くさないと、気が済まない性格なのだから。
「確か……」
「確か?」
「隣のクラスの男子が私に告白してきて……」
「してきて?」
「そしたら、そこにその男子のことが好きらしい女子が出てきて……」
「出てきて?」
「そしたら、その男子が女子に『お前のことは嫌いだ』って言って……」
「言って!?」
美子の瞳の輝きが最高潮に達した時だった。
突如嵐のような強い風が吹いた。
それにより、河川敷の向かい側にあるグラウンドでは砂埃が舞い、綺麗に整えられた美子の前髪は乱れた。
今日は比較的風が強いと言われていたが、ここまでになるとは思ってなかったため、少しだけ驚く。
「そろそろ帰ろ?風も強くなってきたし」
「そうだね。お腹空いたなぁ!ホットケーキ食べたい」
そう言って、彼女は甘いメープルシロップがかかったホットケーキを想像したのか、口元を緩めた。
そんな美子に、自然と自分も笑みがこぼれる。
「じゃあ、今からどっちが先にあそこの橋に着くか、競争しようよ。負けた方がホットケーキを奢る、ってことで」
河川敷のすぐ側にある橋を指で差しながら、私は言った。
すると、美子は合図もなしに、橋の方へ走って行った。
そんな彼女に私は文句を漏らしながら、美子の後を追いかけていく。
「それはずるいよ!待って!」
「やだね!ホットケーキは私のもんよ!」
私達の声は、強い風によってかき消されていく。
どんなに文句を言っても、どんなに息を切らしても、いつの間にか私達は笑っていた。
何かがおかしかったわけではないが、それでも意味のない笑いが私達を包み込んでいた。
その時だったかもしれない。
人生が一番楽しかった瞬間は。
笑いすぎてお腹が苦しくなったが、それすらも幸せに感じてしまう。
笑いが収まると、私は彼女の手を握りながら言った。
「別に彼氏出来なくてもいいや。私には美子がいるから」
私の言葉に、美子は顔を赤く染めた。
まるで、恋人同士のやりとりにすら思えてくる。
すると、彼女は白い歯を見せながらにっこりと笑うと、
「私も樹里がいるなら、それでいい」
と言って、私の手を引いた。
くしゃくしゃの笑顔を浮かべながら、手を繋いで走る私達を、何も知らない通行人が見たらどう思うだろう。
仲が良さそう?
それとも……。
この時、私達はまだ幼すぎたと、今になってやっと実感した。
こんにちは。割り込み失礼します。
ここまで読ませていただきましたが、
これは……かなりハイセンスッ!
文章構成もそうですが、
シナリオも素晴らしい。
スクールカーストを取り巻く、
未熟ながらに残酷な人間模様が描写されており、
真に迫ったメッセージ性を感じました。
そんな中、発生する密室の惨劇。
正直……オカルト方面にしか思考が向かなかったので、
【信頼できない語り手】の真相まで推理できませんでした。
番外編は本編とどのような繋がりを見せてくれるのでしょうか?
続き、楽しみに待ってます。
それでは。
>>129
ありがとうございます。
文章構成の方はかなり頑張っていたので、嬉しいです!
今後も精進して参りますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
けたたましい蝉の鳴き声が響く、ある夏の日だった。
「ねぇ、樹里。今日の放課後、書店行かない?」
移動教室の途中、教科書を抱えた友人がそう言った。
「いいね。行こっか」
私は微笑みながら答える。
それからは、最新の小説についての話に花を咲かせた。
中学に入ってから、私は美子とクラスが離れた。
それは非常に残念だったが、落ち込んでいる場合ではなかった。
私は、新しい友達を作らなくてはならなかったのだ。
同じ小学校の子はわりといるが、当時は美子とばかりいたため、彼女以外にこれといって親しい友人など私にはいなかった。
別にたくさん友達が欲しいわけじゃない。
信頼出来て、趣味の合う子が数人いれば十分だ。
そして、近くの席の子などに積極的に声を掛けた結果、それなりに友達と呼べる人は出来た。
お昼を一緒に食べたり、帰りに寄り道をしたり、休み時間に談笑したりして、孤独を感じることは一切なかった。
それは、中2になった今でもだ。
ただ、どこか変わったことがあった。
その正体は、とっくにわかっていた。
渡り廊下に差し掛かると、派手な女の子と話ながら、こちら側に向かって歩いている【彼女】が視界に入った。
美子だ。
以前は興味もなかったメイクを施しているせいか、唇はツヤツヤで、眉毛も綺麗に整えられている。
制服は適度に着崩しており、手首には水色のシュシュをつけていた。
彼女は私に手を振ることも、視線を向けることもなく、私と友人の横を通り過ぎて行った。
「美子ちゃんって変わったよね」
もう美子の姿は見えない廊下を振り返りながら、友人は言った。
彼女は私と美子が幼馴染みであることを知らない。
「……だよね」
「入学したての頃は結構やんちゃな方だったし、オシャレにも興味なさそうだったのに、いつの間にか凄い綺麗っていうか……垢抜けたよね」
彼女のその言葉に、私は肯定も否定もしなかった。
最もそれは事実であるが。
美子は、小学校の頃は外遊びが好きで、男子とも仲が良かった。
逆にオシャレには興味がなく、よく私服がダサいといじられていた記憶もある。
しかし、中1の夏辺りから彼女に変化が訪れた。
短かった髪を伸ばしたり、校則違反とされるリップなどを持ってきたり、休日は有名なブランド服の店に行くようになったのだ。
それは彼女の友人の影響だと、私は思っている。
美子の友人達は、世で言うギャルだ。
彼女らの言動などから、美子は外見に気を使い始めたのだろう。
それは悪いことではなく、むしろ幼馴染みが綺麗になっていくことに感心を抱いた。
しかし、それに比例して、美子との距離が遠ざかってしまったのだ。
一緒に学校に行くことも、一緒に出掛けることも、一緒にお喋りをすることもなくなった。
それどころか、今のようにお互いの姿を見ても、声を掛けることすらない。
別に、喧嘩をしたわけじゃない。
接点がなくなったのだ。
部活に励み、それぞれ別の友人と時間を過ごすことで、自然と距離が出来てしまったのである。
それがなんだか、とても気まずかった。
原因が喧嘩の方が、まだマシだ。
喧嘩なら、自分の過ちを認めて、謝罪が出来るのだから。
しかしこの場合、どうしろというのだ。
謝罪をしようにも、謝罪することがない。
このままお互い関わらずに、私達は大人になっていくのだろうか。
渡り廊下を過ぎると、私は壁に掛けられた縦長の鏡に視線を向けた。
そこには、自慢の黒髪を風でなびかせながら、白い半袖シャツの上に茶色のベストを着用した自分が映っている。
その顔は、自分でも鳥肌が立つくらい怖かった。
どうしてこうなったのだろう。
スマホをズボンのポケットにしまいながら、蓮は心の中で呟いた。
月明かりによって照らされている薄暗い教室にいながらも、彼は眩しい情景を思い浮かべる。
最初に脳裏によぎったのは、生前の彼の笑顔だった。
「テニス部って、朝練ないのか?」
ソファにもたれかかりながらジュースを口にすると、海斗はそう訊いてきた。
ここ、ファストフード店で流れるBGMに耳を傾けながらも、俺は答えた。
「ねぇよ。あったら入ってなかったな」
「何でだよ。俺んとこのサッカー部も、確かに練習大変だったけど、やりがいがあって良かったぞ」
彼は口を尖らせると、テーブルの上に置いてあるハンバーガーに手を伸ばした。
海斗が殺される2週間前、俺と彼は学校帰りにファストフード店に寄った。
部活はとっくに引退しており、受験勉強の息抜きと称した寄り道である。
と言っても、半ば強引に彼に誘われただけであったが。
「にしても、他に来てくれる奴いなかったんだよな。悠也は塾だし、無理矢理美子を誘おうとしたら、逃げられた」
「受験近いのに寄り道しようとするお前が、馬鹿すぎるんだよ。そりゃ誰も来ねぇわ」
「と言いつつ来てくれるお前優しいな。ツンデレかよ」
「お前がしつこすぎるからだろ」
彼からのしつこい誘いを何度も断ると、最終手段と言わんばかりに俺に抱きついてきたことを思い出すと、軽く身震いがした。
しかもそれをクラスの女子に、変な目で見られていたと思うと、地獄でしかない。
もともと、海斗のことはあまり好きではなかった。
中3になって初めて彼と同じクラスになり、話が合うことから、一緒に行動することが多くなった。
しかし、いつしか熱血的な性格や時折出てくる構って欲しいという態度から、俺は彼を鬱陶しく思い始めた。
だが、俺は海斗と縁を切ることはしなかった。
俺には悠也、昴、美子、樹里、唯奈がいる。
彼と絶交しても友達には困らないが、それを拒否してる自分がいたのだ。
鬱陶しい性格の海斗でも、一緒にいると、どこか居心地の良さを感じているのかもしれない。
口が裂けても、こんなこと言えないが。
「受験終わったら、まずどうする?」
ポテトをつまみながら、海斗が質問してきた。
「とりあえず、家でゴロゴロする。で、もし合格したら、卒業後に家族旅行に行こうって話になってる」
「家族旅行か……いいなぁ。俺の家、親なかなかいないから旅行行けないんだよな。合格祝いくらいはしてくれると思うけど」
すると、彼は顔を曇らせた。
「お前って何人家族?」
「母さんと父さんと姉二人の5人家族だけど……何か?」
突然の質問に、俺は眉をひそめながらも答えた。
「……羨ましいな」
海斗の表情がさらに暗くなる。
俺は激しい違和感を覚えた。
それはきっと、ただ俺に対して羨望を抱いているわけではない。
【何か】があると、海斗の表情が物語っていたのだ。
しかし、俺はその領域に敢えて踏み込まなかった。
訊いてはいけないような気がしたからだ。
それに、それを素直に打ち明けてくれない可能性だってある。
すると、海斗は淀んだ空気を取り繕おうと、
「そういや、この間の小テストどうだった?」
と、新たな話題を出した。
この時はあまり気にせずに、俺もその話題に乗ったが、今思えば訊けば良かったのかもしれない。
海斗が死んでしまった今、彼の口から真実が語られることはないのだから。
悠也が死んでから、何時間経ったのだろう。
美子は、斜め前の席に座っている樹里を見つめていた。
樹里はスマホをいじっているため、彼女の視線には気付いていない。
いつの間にか、美子と樹里以外は眠りについていた。
勿論、あの女性も含めて。
呑気なものだな、と呆れると同時に、美子は窓の外に目を向けた。
さっきの嵐が嘘のように、夜空には煌々と星が輝いている。
そして、そこにぽっかりと浮かんでいる満月が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
だが、幻想的なのはそれだけではない。
この廃校もだ。
廃墟に行くのが初めてだから、という理由もあったが、何よりこの学校での事件について、美子は考えていた。
今いる校舎のどこかで、例の殺人事件があったと思うと、ここは異世界なのではないか、という気持ちに襲われるのである。
美子は視線を夜空から再び樹里に移すと、脳内に幼い頃の思い出が徐々に浮かんできた。
美子はゆっくりと、目を閉じる。
すると、窓の外を横切っていくカラスが不気味な鳴き声を上げた。
幼い頃、樹里は身体が弱かった。
激しい運動が出来なかったり、そのせいで男子にからかわれたりして、よく泣いていた記憶がある。
そんな彼女を、いつも私が守っていた。
懐かしすぎて、思わず口から笑みがこぼれそうになる。
気付けば、私達はいつも一緒にいた。
運動が大好きで活発な私と、読書家で物静かな性格の樹里。
誰がどう見ても、私達は正反対の人間だったが、彼女を嫌いだと思ったことは一度もない。
喧嘩も時々するが、信頼出来て本音を言い合える仲だと思っていた。
小学生の時までは。
中学に入って、樹里とクラスが分かれた私は、クラスの中でも派手目なグループに入った。
最初は外見を重点に置いている彼女達に着いていけなかったが、徐々に私はオシャレに気を使うようになった。
それは彼女達に合わせているわけではなく、自らオシャレに興味を持ち始めたのだ。
自分でも変わったと思う。
だが、変化をしていくにつれて、どんどん樹里と距離が出来てしまったのだ。
樹里も新しく出来た友達と楽しく学校生活を送っているため、邪魔をしては悪いという遠慮が原因だと、私は思っている。
中1の5月辺りなら、お互いの姿を見ると会釈程度はしていたが、夏になるとそれすらもなくなった。
樹里はもう私には興味がなくなったというネガティブな考えを、私は何度かき消しただろうか。
微妙な気持ちを抱いたまま、時は過ぎていき、そしてついに中学三年生の春がやってきた。
その日は、清々しいくらいの晴天だった。
私は、桜が舞うグラウンドに足を踏み込む。
強い風が吹くと、髪やスカートが揺らめいた。
膝上のスカートを押さえながらも、昇降口にたどり着くと、私は真っ先にクラス分けの紙に視線を向けた。
紙の前にはかなり人がいるため、私は目を凝らしながらそれを見つめる。
やがて、自分の名前が見つかり、ついでに新しいクラスメイトの名前も確認した瞬間、私は強い衝撃を感じた。
無理もない。
そこには、樹里の名前もあったのだから。
私は、困惑するしかなかった。
違うクラスならば、今までと同じように距離を置くことが出来るだろう。
しかし、毎日のように顔を合わせるとなると、かなり気まずい。
空白の2年間を、何もなかったかのように埋めることが出来るのだろうか。
だが、心のどこかで喜んでいる自分もいた。
もしかしたら関係を元に戻すことが出来るかもしれない、というポジティブな考えも持っているからである。
私はとりあえず教室に向かいたかったので、下駄箱に足を進めたその時だった。
後ろから、優しく肩を叩かれたのだ。
驚いて目を見開きながら、私は振り返る。
「同じクラスになったね。美子」
そこには、柔らかい笑みを浮かべている樹里がいた。
樹里が身に纏っている薄いピンクのカーディガンが、おっとりとした彼女の雰囲気をさらに強めている。
「そ……そうね」
私の声は、やや裏返っていた。
この時、私は驚きと嬉しさが入り混じった気持ちになっていた。
まさか、樹里の方から自分に声を掛けてくれるとは思ってもみなかったのだから。
「早く教室に行こうよ。新学期から遅れたら嫌じゃん」
そう言って、樹里は私の手を引っ張った。
その手はとても冷たく、思わず鳥肌が立ちそうになる。
しかし、私の心はじんわりと温かくなった。
何事もなかったかのように、私と樹里は再び行動を共にするようになった。
だが、樹里以外にも友達を作ろうと思い、席が近いのがきっかけで、蓮達と仲良くなった。
若葉が萌える頃には、すっかり樹里も含めてグループの状態になっていた気がする。
容姿端麗でグループのリーダーである蓮。
噂話が好きで活発なタイプの悠也。
温厚で冷静に物事を考える性格の昴。
怖がりで泣き虫な唯奈。
そして、サッカー部の部長で正義感の強い性格の海斗。
皆それぞれ個性が違うが、私はこのグループが居心地良くて好きだった。
来年は学校が違うと思うと、惜しくなるくらいだ。
このままずっと中学校生活が続けばいいな、と何度思ったことだろう。
しかし、そんな私の心に暗雲が漂い始めたのは、あの夏の日だった。
夏休みが始まってから3日が経ったある日だった。
私は忘れ物を取りに行くために、学校へ向かった。
もしかしたら校門が開いてないかもしれない、と危惧していたが、そんな心配は無用だった。
よく考えてみれば、部活や補習の人がいるし、学校閉鎖期間はお盆からだったはずだ。
ちょうど時刻はお昼時で、私のお腹は空腹を知らせる音が鳴った。
さらに、頭上にあるギラギラと照りつけいる太陽が、私から体力を奪っていく。
私は逃げるように、駆け足で昇降口に向かった。
3階の廊下には誰もいなく、ただただ私の床を歩く音しかしない。
時折、開いてある窓から涼しい風が吹くが、私の額から流れる汗は止まらなかった。
だが、生憎タオルやハンカチは持っておらず、仕方なく腕で拭うしかなかった。
ようやく自分の教室の前に着くと、私はゆっくりと扉を開けた。
その瞬間、私は目を大きく見開いた。
私の視線は、窓から外の様子を眺めている彼女に集中する。
「どうしてここにいるのよ?樹里」
彼女の方に近付くと、徐に樹里は振り返った。
樹里の顔には、表情がない。
「それはこっちのセリフだよ」
「私はロッカーにレポート用紙を忘れて、取りに来ただけ。樹里は?」
もう一度私は質問すると、樹里はポケットから一冊の小説を
出した。
「受験勉強の息抜きに、小説を読んでたの」
彼女の返答に、私は眉間に皺を寄せる。
「何でわざわざ学校で読むの?家で読めばいいでしょ」
「別にいいじゃん」
すると、樹里はフッと微笑んだ。
彼女の視線は私に向けられていたが、どこか遠くを見ているような気がした。
「私ね、晴れた夏の学校の教室が好きなの。わからない?蝉の声、爽やかな風、輝く太陽……そして、青春の舞台となる教室。この空間が前から好きだったの」
「はぁ……?」
意味の分からないことを言う樹里に、僅かながら苛立ちを感じる。
「中1や中2の頃、学校閉鎖期間以外の昼間は毎日のように教室に来た。読書をしたり、窓の外を眺めたり、黒板に絵を描いたりして、楽しく過ごした。今年は受験生だから、週一程度しか行けないけど」
そう言うと、彼女は目を軽く閉じた。
「学校がある日と違って、教室には私一人しかいないから、自由に過ごせるの。何者にも縛られないんだよ。いいでしょ?」
樹里は口元に笑みを浮かべながら、目を開けた。
すると、彼女は私との距離を詰めてきた。
思わず後退りそうになるが、それを堪える。
「それよりさ……美子は、真の人間に興味ない?」
「……真の人間?」
また意味不明なことを言う樹里に、私は困惑した。
すると、彼女は持っていた小説を私の前に翳した。
「そう。この小説は、密室に閉じ込められた人々をテーマにした物語なの。そして、その中に黒幕がいる。その黒幕を殺したり、見つければ人々は助かる。最初は皆冷静に話し合って推理をしていたけど、ある日一人の男性が殺されてしまった。勿論、それは黒幕の仕業。次の日も、その次の日も、一人ずつ無惨に死んでいった。次に殺されるのは自分かもしれない、と怯える人々がとった行動は何だと思う?」
「……わかんないわよ」
「正解は殺し合い。自分達の中に黒幕がいるなら、やみくもに全員殺して自分だけ生きて帰るという気持ちが芽生えたの。それは罪のない人間をたくさん殺害することになるけど、自分が助かるなら、と人々は殺し合いを実行した。中には恋人や親友同士で殺し合いをする人もいた」
私は絶句した。
その残酷な話に対してではない。
このような話をしながら、樹里は微笑んでいるのだから。
「何が言いたいわけ?」
私は冷たく言い放った。
「皆はどんな本性をしているのか気になったの。例えばさ、蓮って普段はわりと自己中な性格だけど、根は本当は良い人とか……逆に大人しい性格の唯奈が、私や美子の悪口を誰かに言っていたりとか、そういう意外性を求めているの」
「意外性?」
私の言葉に、彼女はこくりと頷いた。
「うん。じゃあ例えば、私達のグループが小説みたいに密室に閉じ込められて、その中に黒幕がいるとしたら、皆どうすると思う?」
「知らないわよ!!」
思わず怒鳴ると、私はハッと手で口を覆った。
だが樹里は怯まずに、悠然と私の前に立っている。
「……樹里って変わったよね」
それは、無意識に口から出た言葉だった。
樹里は幼い頃から読書が好きだったけど、こんな風に残虐なことを誰かに言ったり、ましてや自分達と重ね合わせることなど、一度もなかった。
今、私の目の前にいる人物は、私が知っている樹里ではない。
いつから、こんな風になったのだろう。
もしかしたら、あの2年間で?
すると、樹里も呟くようにぽつりと言った。
「変わったのは、美子の方だよ」
その瞬間、窓から爽やかな風が吹いた。
白いカーテンと樹里の艶のある黒髪が、ふわりと揺れる。
それはまるで、スローモーションの映像のようだった。
樹里は笑っていた。
だが、目は完全に笑っていない。
「私、家に帰るね」
そう言って、樹里は私の横を通りすぎると、教室から出て行った。
跡を追うことはしなかった。
初めてだったのだ。
樹里のことを【怖い】と思うようになったのは。
私の気も知らずに、無神経に光輝く太陽なんて消えてしまえ、と私は窓の外を見た。
彼等が美子の悲鳴で起きたのは、日付が変わった頃だった。
一番最初に体を起こした昴が、悲鳴が聞こえてきたベランダの方を向く。
すると、そこには先端が赤く染まったカッターナイフを持っている樹里と、左手を押さえている美子がいた。
何事だ、と昴は目を見開く。
「助けて、昴!樹里が……!」
恐怖に顔を歪めている美子。
そして、そんな彼女を樹里は無表情で見つめていた。
「樹里!!お前何やってんだよ!!」
先にベランダに足を踏み込んだのは、蓮だった。
次第に唯奈も女性も、何があったのか理解した。
蓮は樹里からカッターナイフを取り上げると、彼女を思いきり睨んだ。
「お前、美子に何しようとしたんだよ」
怒気を含んだその声に、樹里は怖じけ付くどころか、不敵な笑みを浮かべた。
「何って……殺そうとしたんだよ」
彼女の言葉に、誰もが言葉を失った。
いや、予想はしていたが、聞きたくなかったのだ。
そして、その肝心な樹里である。
不気味、もっと言えば狂気すら滲み出ている彼女の表情に、彼等は恐怖心を抱いた。
「じゃあ、悠也と海斗を殺したのも……」
恐る恐る蓮は訊いた。
「半分正解で半分不正解。確かに海斗を殺したのは私だけど、悠也は違う。私じゃない」
彼等は2つの意味で驚愕した。
海斗を殺したのは樹里であること。
そして、悠也を殺したのは別にいるということだ。
だが、その考えを振り払うように、蓮は首を左右に振った。
「嘘つくなよ!悠也もお前が殺したんだろ!」
「だから違うって言ってるでしょ」
「……証拠はあるの?」
俯きながら、唯奈が言う。
「ない。でも、本当に違う」
彼女が顔から笑みを消したと同時に、さっきまで黙っていた美子が口を開いた。
「嘘つかないでよ!どうせ樹里が殺したんでしょ!!」
樹里は、明らかに敵意を向けている美子の瞳を一瞥する。
すると、突然樹里は笑いだした。
最初は小さかった笑い声も、徐々に大きくなっていく。
おかしくて仕方がないように、腹を抱えながら。
誰も止めなかった。
それこそ、止めようとすれば、殺されてしまいそうなのだから。
やがて彼女は笑いが収まると、ゼエゼエと息を切らしながら、口を開いた。
「これかぁ……人間の本性って。全部真っ黒。全部全部全部真っ黒!!」
樹里は一人一人の顔を見渡すと、再び話し始めた。
「自分達にとっての危険人物だとわかった途端に、手のひらを返して何も信じようとしない。面白いね。人間の醜態を見るのって」
一瞬だけ、樹里の視線は美子に向けられた。
「最高に最低なプレゼントをどうもありがとう」
そう言って、彼女は蓮が持っているカッターナイフを見つめた。
その瞳には、狂気が宿っている。
次の瞬間、女性は手を2回叩くと、重い空気が少しだけ軽くなった。
「そろそろ本当のことを言ったらどう?樹里ちゃん」
「何のことですか」
嘲笑するように、樹里が言う。
だが、誰もが女性の言葉を聞き捨てならないと、口を挟まなかった。
「私は悠也君を殺したのは、樹里ちゃんじゃないと思う。だって、樹里ちゃんは海斗君を殺したことを認めてるんだから、嘘をつく必要はないはず。そうだよね、樹里ちゃん」
同意を求めるように樹里を見る女性に、彼女は首を縦に振った。
「でも、何かおかしいと思わない?普通、本当に美子ちゃんを殺したかったとしたら、一発で心臓とかを刺すでしょ?確かに、じわじわと痛めつけた後、殺害するっていうこともあるけど、この場合さっきのように美子ちゃんが悲鳴を上げて、すぐに助けが来ちゃうから、それは出来ない」
「……何が言いたいんですか」
女性をじっと見据える美子。
彼女は、ゆっくりと答えた。
「つまり、樹里ちゃんは無実ってこと」
女性の言葉に、彼等は呆気にとられるが、すぐに美子が反論した。
その顔は、とても険しかった。
「違います!!私は本当に樹里にやられたんです!!大体そんなの推測だけで、証拠もないじゃないですか!!」
「証拠ならあるよ」
そう言って、女性はポケットからスマホを取り出した。
それを彼等に見せつける。
画面に映っていたのは、1つの動画の静止画だった。
そこには、ベランダで何かを話している美子と樹里がいる。
美子の顔が醜く歪んだのを、女性は見逃さなかった。
「私の寝た振り、上手いでしょ?実は、ずっと撮ってたんだ。美子ちゃんが樹里ちゃんをベランダに連れてきた時から」
「何で撮ったんですか?」
樹里が訊く。
「言ったでしょ?【犯人は私が見つける】って。なら、どんなに小さなことでも、記録したり疑った方がいいの。最初は気分転換に二人で外の空気を吸いに行ったのかな、って思ったけど、探偵の勘ってやつ?まあ、なんか怪しいなって思ったから撮ってたの」
すると、女性は不敵に微笑んだ。
「さてと、美子ちゃん。自分の口から真実を全て語るか、私によって醜態を晒されるか、どっちが良い?」
美子にとって、これは屈辱的な質問だった。
だが、黙っているわけにはいかない。
「わかったわよ!!全部言えばいいんでしょ!!その代わり、一生あんたのこと、呪ってやる!!」
美子は敬語も忘れて、女性を睨んだ。
その目には、激しい憎悪が含まれている。
だが、女性は怯む様子もなく、美子を見つめた。
「最初に言うわ!海斗を殺したのは樹里じゃない。私よ!!」
衝撃的な言葉を言い放つと、美子は語り出した。
10年前の事件と繋がる真実を___
もし、誰かに【兄弟はいるか】と訊かれたら、私は【いない】と答えるだろう。
実際、【今】はいないのだから___
私には、10歳年が離れた兄が一人いる。
いや、【いた】の方が正しいだろう。
何故なら、彼は私が5才の時に死んだのだから。
私は両親から、事故死だと教えられた。
彼が亡くなった当時は、死というものを理解しておらず、喪服を着た両親が何故泣いているのかわからなかったが、今思うと胸が痛くなった。
宿題をしている兄に遊んで欲しいとせがむと、最初は鬱陶しそうに突き放すが、最終的には付き合ってくれた記憶がある。
何だかんで私を可愛がってくれていたと思うと、痛みは尚更強くなった。
小学生になり、私が人の死を理解出来た頃から、兄の話はタブーとなった。
と言っても、リビングの横にある仏壇に彼の写真が飾られているが、日常会話などで兄の名前を出すと、両親の顔が曇るのだ。
それからは彼のことは胸の内に留めようと、それなりに楽しい学校生活を送ってきたが、小学6年生になったある日のことだった。
その日はパソコンの授業があり、コンピューター室に向かうと、私達はそれぞれパソコンが設置されているデスクに座った。
先生の指示で、Googleを利用して自由に何かを調べても良い、ということになり、クラスメイト達は楽しそうに調べものをしている中、私はパソコン画面を見つめたまま、何もしなかった。
「どうしたの?」
隣の席に座っている樹里が、私のパソコン画面を覗きながら言う。
「特に調べたいものがないんだよね。樹里は何調べてんの?」
私も樹里のパソコン画面を覗き込むと、そこにはオススメの小説が紹介されているサイトが映っていた。
樹里らしいな、と私は微笑する。
「あと、これって画像も出るらしいよ」
「画像ねぇ……」
私は机に肘をつくと、再び自分のパソコン画面を見つめた。
画像なら、生前の兄の写真が見てみたい。
兄の話がタブーとなった今、私は仏壇にある写真しか見れないのだ。
友達とはしゃいでいる姿や幼い頃の写真なども、見てみたかったのである。
私は冗談のつもりで、検索欄に兄の名前を打ち込んだ。
すると、また樹里が私の画面を覗いてきた。
彼女は私が打ち込んだ文字を、ゆっくり読み上げる。
「何これ……?【西尾皐月】?」
「ちょ、勝手に見ないでよ!」
「ごめんごめん。で、誰?芸能人にこんな名前の人いたっけ」
私は返答に困った。
樹里は私が一人っ子だと思っているため、兄のことを言うと、色々ややこしくなるだろう。
咄嗟に私は誤魔化した。
「親戚の人の名前を入れてみただけ。出てこないかなーって」
「いや、一般人の名前入れても普通出てこないから」
冷静なツッコミを入れると、樹里は再び自分のパソコンに目を向けた。
彼女の言葉通り、きっと彼の画像など出てこないだろう。
しかし、特に調べるものがない私は興味本意で、【検索】をクリックした。
その瞬間、私は驚愕した。
きちんとあったのだ。
兄の画像が。
しかも、画像だけではなく、様々なサイトの記事にまで彼の名前が載っていた。
しかもその記事のタイトルに、私は目を見開いた。
【いじめが原因か?高校2年生の男子生徒が同級生6人を殺害】
私は即その記事をクリックした。
やがて映し出された文章を、私は黙々と読んでいく。
【2017年当時、高校2年生の男子生徒(17)が、同級生6人を失血死、斬死、焼死、窒息死させた。猟奇殺害現場は、学校の教室。また、奇跡的に警察によって助けられた女子生徒(17)が事件から2か月後、失踪する。】
事件の概要がまとめられた文章の下には、被害者の写真が貼り付けられてあった。
その中に、兄の写真もある。
彼は同級生にガソリンをかけられ、ライターの火によって焼死したらしい。
さらにその後、その同級生は兄の死体をこま切れにした、とまで書かれていた。
胃から込み上げてくる吐き気と戦いながら、私はさらに記事を読み進めていく。
加害者の写真は載っていなかったが、名前だけは書かれていた。
「……小倉光貴」
私は自分でも聞こえるかどうかわからないくらいの声で、呟いた。
小倉光貴という人物が、私の兄を殺した。
そう思うと、どうしようもない感情が湧いてきた。
もし今彼に会えるのなら、真っ先に殺したい。
そして、それだけではなかった。
両親は私に、事故死と嘘をついていた。
身内が死んでしまったことに変わりはないが、悲しみを少しでも軽くしようとついた、優しい嘘なのだろう。
しかし、同時に悲しくもなった。
血の繋がった兄の死のことを、ずっと私だけ知らなかったのだから。
「……許せない」
ここにはいない小倉光貴に、私は言葉を投げ掛けた。
事件の内容から、兄は小倉光貴をいじめていた。
そして、この事件は小倉光貴による彼等への復讐らしい。
確かに原因は兄にもあるが、それでも私は身内を殺した彼が許せなかった。
彼が今どうしているか、私にはわからない。
事件後、精神病にかかってしまったらしいが、現在ではそれ
が完治して、どこかで普通に暮らしているのかもしれない。
それか、まだ普通の生活が出来る状態、または釈放することが出来ないのかもしれない。
もし前者であることを考えると、私は彼に対する憎しみが更に増した。
とりあえず、今の私に出来ることは、そっとサイトを閉じることしかなかった。
>>139
訂正
×私には、10歳年が離れた兄が一人いる。
○私には、12歳年が離れた兄が一人いる。
きっと対面することはないであろう人物に、憎しみを密かに抱いていたら、気付けば中学三年生になっていた。
樹里のこともあって、頭の中が小倉光貴への憎しみで埋まることはなくなったが、それでも私はその存在を忘れてはいない。
でも、恨みを晴らすチャンスも無いのだから、いい加減に忘れたかった。
一応兄も事件の原因を作ったのだから、悪いのは小倉光貴だけとは言えない。
しかし、毎日視界に入る仏壇の兄の写真が、私を苦しめていたのだ。
「なあ、もしかして髪染めてる?」
新学期に、席に座ろうとした私に話しかけてきたのが、海斗だった。
席が近い彼は、顔立ちはそれなりに良い方で、おちゃらけた笑みが印象的だった。
「染めてないけど」
胸元まである自分の髪をいじりながら、私は答えた。
「去年日焼けして髪が少し茶色くなったから、そう見えるんじゃない?」
「なるほど。たまに廊下とかで見かけたけど、お前って派手なイメージあったから、染めてんのかと思った」
初対面でお前呼ばわりされたことにカチンときたが、派手なのは否めない。
今年から受験生ということもあり、メイクは薬用リップのみにしたし、手首にアクセサリーをつけるのもやめたのだが。
「ていうか、あんた名前何?」
お前呼ばわりに対抗してあんたと呼んだが、彼は気に触った様子を見せることもなく、口を開いた。
「小倉海斗」
途端に、私は激しい動悸がした。
私の視線は、彼にしか注ぐことが出来なくなる。
「どうかしたか?」
氷のように冷たい私の視線に気付いたのだろうか。
彼は心配そうに、私の顔を覗き込んだ。
慌てて私は、首を左右に振った。
「な、何でもない」
兄を殺した人と名字が同じだけで、取り乱しそうになった自分を、私は諫めた。
小倉なんて名字の人は、全国にたくさんいる。
このくらいで、勝手に彼の印象を悪くしてはいけない。
私は逃げるように、彼から目を逸らした。
「お前は?」
「……西尾樹里」
「へー、よろしくな」
当初、私は彼に対して実に理不尽な不信感を持っていたが、それは最初だけだった。
清廉潔白とまではいかないが、努力家で人柄の良い性格や後輩に慕われている姿は、私のもやもやとした感情を全て取り払った。
気付けばお互い仲良くなっていて、昴達とも喋るようになった。
だけど、そんな平和な日々は長くは続かなかった。
出会いから半年以上経った昨日、私達は海斗の家で勉強会をすることになっていた。
試験間近、受験勉強も本格的なこの時期、お互い教え合って学力を高め合うことが目的である。
海斗から必要なものは全て貸してくれると聞いたため、あの日は皆手ぶらで行くと言っていたが、私は海斗と家が近いため家には帰らず、そのまま彼の家にお邪魔した。
既に私服に着替えていた彼は、制服姿の私に少し驚きながらも、快く私を迎え入れてくれた。
両親が共働きの彼の家には私と海斗しかいなく、誰もいない無駄に広いリビングには違和感を覚えた気がする。
すぐに私は海斗の部屋に案内され、彼は皆の分のお菓子とジュースを取ってくるために、いったん下に降りて行った。
暇になった私は、何気なく彼のシングルベッドに手を突っ込んで、男子中学生がこっそり持ってそうな本を探していた。
その行動が歪みを生じさせた。
「何これ……」
私は手に取った赤い本のようなものを開いた。
それは卒業アルバムだった。
しかし、これは中学のである。
しかも、私達の学校ではない。
彼の両親のどちらかのだろうかと、思ったが画質からそれほど昔ではない可能性が高い。
では、これは誰のアルバムだろう。
そして、何故彼は自分のではないアルバムを持っているのだろうか。
海斗が戻ってきたら、早速聞いてみよう。
そう思って、アルバムを閉じようとした時だった。
私の視線は運悪く、ある人物を捕らえてしまった。
それは、生徒一人一人の写真だった。
端にクラスと組、生徒の写真の下にはその生徒の名前が記載されている。
そこには、間違いなく『小倉光貴』と記されていた。
その上には、穏やかそうな男子が映っている。
いじめられていたとネットの記事に書かれていたせいか、勝手に陰気な容姿を想像していたが、その考えは180度変わった。
まだあどけなさを残しつつ、着実に大人らしくなっている顔立ちは、そこらの芸能人よりは上だろう。
他のページを捲ってみるが、そこには友人らしき人物達と楽しそうな笑顔で映っていた。
集合写真でもクラスメイト達と肩を組んだり、流行りのポーズをしたりしている。
彼が友達と上手くいっていたことは、明白だった。
ということは、彼が兄にいじめられていた原因は、彼の人格的な問題である可能性は低い。
あくまで偏見だが、人懐っこくて優しくて誰とでもすぐに仲良くなれそうな雰囲気だ。
「……ってそんなことどうでもいいじゃん!」
小倉光貴がどんな人物であったか、大体掴むことが出来た今、最大の疑問が降り注いだ。
海斗と小倉光貴は、何か関係性があるのではないか。
もしかしたら、知り合いからアルバムを貰って、その知り合いのクラスメイト、または同じ学年にたまたま同じ名字の小倉光貴がいたという可能性だってある。
だけど、見過ごすことが出来なかった。
私は他にも卒業アルバムはないかと、ベッドの下に再び手を伸ばすと、それに似た感触があった。
引きずり出したそれは、卒業アルバムではなく、よく見る家庭用のアルバムだった。
なんの躊躇いもなくそれを開く。
そこには、小倉光貴しか映っていなかった。
突然の目眩で倒れそうになったが、それを堪えるしかなかった。
最初のページは、小学校低学年くらいだった。
卒業アルバムに比べたらとても幼く感じるが、それでも彼の面影はある。
間違いなく本人だ。
ぱらぱらとページを捲ったその時、今にも叫ばずにはいられなくなった。
「何でここにいるの……!!」
高学年くらいのページだろうか。
そこに、確かに兄と小倉光貴が映っていた。
仏壇の写真とは比較的に地味な外見だけれど、やはり顔立ちから兄であることは間違いない。
次の瞬間、部屋のドアが開いた。
「何してんだ……?」
海斗は勝手にアルバムを広げている私を見て、お菓子やジュースを載せたお盆を持ったまま、唖然としていた。
「……どういうこと?このアルバムは何?」
「それは……」
海斗は言葉に詰まる。
お盆をミニテーブルの上に置くと、彼は卒業アルバムの方を手に取った。
その表情は、悩んでいるようにも見えるし、悲しそうにも見える。
いつもポジティブな海斗とは思えないほど、憂いを帯びていた。
「小倉光貴って誰?海斗と名字同じだよね?何か関係あるんでしょ!」
少し興奮を抑えていたが、語尾にそれが現れてしまう。
海斗は躊躇するように何も言わなかったけど、やがてか細い声を出した。
「多分、俺の兄弟にあたる人」
「【多分】ってことは、確定じゃないの?」
「知らない。俺が小さい時、この人によく遊んでもらったんだよ。だけど、年長くらいになった時、そいつは俺の前に現れることはなくなった。記憶が曖昧だから、それが自分とどのような関係だったのか、確かな証拠は掴めていない」
「じゃあ、このアルバムは?」
「小五くらいの時だな。自宅で友達とかくれんぼしてて押し入れに隠れたんだけど、たまたまこの二つのアルバムを見つけたんだ。で、興味本位でまず家庭用のアルバムを覗いたら、そいつがいたってわけだ。不思議と顔を覚えていたんだよ。衝動的にそれを自分の部屋にこっそり持ち込んで、それから毎日のように眺めていたよ。卒業アルバムに記載された名前から、そいつは自分の兄弟かいとこ辺りに該当する人物だってことは理解した。だけど、そのアルバムが俺の自宅にあるってことは、兄弟である可能性が高い」
思えば、海斗は小倉光貴と顔が少し似ている気がした。
たれ目がちな愛嬌のある目、筋の通った鼻、小さめな口。
徐々に目の前にいるのが海斗ではなく、小倉光貴である気がして堪らなかった。
少しずつ、私の理性という盾が破壊されていくのを肌で感じた。
「……その人の居場所、知ってる?」
「知ってるわけないだろ。親はずっと、俺を一人っ子として扱っていたんだ。そいつが親と正常な関係ではないことくらいわかっていたよ。だから、親にも話さなかった。今そいつが生きているか死んでいるかすらわからない」
自分から質問にしたにも関わらず、回答する彼の口を今にも塞ぎたかった。
話している内容が気に触ったのではない。
まるで、海斗が海斗ではないような錯覚に陥りそうだから。
「大体、何でそこまでこのことにこだわるんだ?」
別にいいでしょ、あんたなんかに言われたくない。
「ベッドの下に手を突っ込んだだろ?残念ながら、アルバム以外何も入ってねーよ」
うるさい、うるさい、黙れ。
「もうこの話はいいだろ、そろそろ皆来るだろうし」
勝手に終わらせないでよ!私の話はまだ終わってない。
「あ、もしかしたらさっき玄関の鍵を閉めるの忘れたかもしれない。ちょっと玄関行ってくるわ」
ちょっと待って!行かないで!人を殺しておいて、勝手にどこかに行かないで!!死んで、死んで、死んでよ!!
一瞬の催眠状態だったのかもしれない。
気付けば、私は海斗を殺していた。
近くにカッターで、海斗の背中を刺して。
途端に後悔の念が私を襲った。
なんてことをしてしまったのだろう。
バレたら、絶対受験受からないよね。
入るのは高校じゃなくて、少年院かな。
私の乾いた笑いが消え去った瞬間、部屋のドアが再び開いた。
「美子!」
そこにいたのは、私服に着替えた樹里だった。
ああ、そういえば皆来るんだったっけ。
自首しようと思ったけど、樹里に警察のところに連れていかれるのも悪くないかもしれない。
この時、私は完全に正常ではなかった。
樹里はこの惨状を認めると、私の両肩を掴んだ。
八の字の眉は、私を心配しているように見える。
「……美子が殺したの?」
「……うん」
「そっか……」
私から手を離すと、樹里は海斗の死体をじっと見つめた。
最初に死体を見た時、普通だったら叫び散らすくらいパニックになってもおかしくないのに、静かに私の方に駆け寄ってきたのを見ると、樹里らしいなと思う。
大人しそうな見た目に反して、怖いくらい物怖じしないその性格は本当に変わらない。
あの夏の日もそうだった。
大事な何かを食い殺されそうな幻覚は、今でも覚えている。
しかし、今はそんな彼女の不気味さが頼もしかった。
この時から、私は次の瞬間樹里が言うことを予測していたのかもしれない。
「誰が殺したか、バレないようにしよう」
そう言って、樹里は平然と背中からカッターを抜き取った。
手に赤い液体が付着するが、彼女は顔を少しも歪めることはなかった。
「でも、自首した方が……」
私が言い掛けると、樹里はゆっくりと私の身体を抱き締めた。
そして、耳元で囁く。
「私は美子のために言ってるんだよ?このままじゃ、美子は警察行きだよ。そんなの嫌だよね?受験勉強だって頑張ってきたのに、大事な時期に今までの苦労が水の泡。それに社会に戻ることが出来ても、皆からは偏見の目で見られたり、嘲られるかもしれないよ。ろくな人生歩めないよ。美子はそうなりたいの?」
私は真っ先に首を振った。
洗脳のような樹里の言葉には、決して逆らうことが出来なかったし、実際そうなりたくない。
「……わかった。そうしよう」
私が返事をすると、樹里は私の背中から手を離した。
そして、右手の小指を突き出す。
「これは、私と美子だけの秘密」
なるほど、指切りか。
私も小指を出してそれを絡めると、幼い頃もこんなことをしたことを思い出した。
あの頃は、もっと小さな秘密だった気がする。
親に黙って公園の犬にパンをあげたり、樹里と一緒にタイムカプセルを埋めたり、点の悪いテストを隠したり。
きっと初めて持った秘密は小さくて、最近持った秘密は大きい。
というか、今では秘密が多すぎて最初の秘密など忘れてしまっていた。
大人になるって、こういうことかもしれない。
昔は本音で話していた樹里にも、いつの間にか言いたいことが言えなくなっていた。
それによって、どんどん秘密は増していくんだ。
指切りげんまん
嘘ついたら針千本飲ます
指切った!
「つまり、殺したのは私。樹里は私を庇っていただけ」
真実を全て吐き出した美子の表情には、疲労が表れている。
残ったのは、重いこの空気だけだった。
そんな中、唯奈がおずおずと口を開いた。
「……何で樹里はそんなに美子のことを庇っていたの?そこは正直に警察のところに行くべきだったんじゃ……」
「友達なら正しき道に導かなきゃいけないだろうけど、私は嫌だった。私は、美子を守りたかった」
「樹里……」
樹里も美子も、先程よりは表情が和らいでいた。
いや、美子の場合は何もかも放棄したような無表情と化しているが。
だが、美子の心情が変化しているのは、手に取るようにわかる。
「美子は確かに、人を殺してしまった。だけど、私はそれを一切咎めない。それに、一人だけ取り残された犯罪者の美子が見てられなくて、私も共犯者になることにした」
その瞬間、樹里は口の端を吊り上げた。
彼女の目は、彼等を捉えていないようにも見える。
「それに、人が疑心暗鬼になる瞬間が見たかったから。さっきみたいに極限状態に陥った時、人はどうなるか肉眼で確かめたかった」
樹里の唇は、再び真一文字に戻った。
しかし、彼等は彼女への恐怖を拭うことが出来なかった。
1cmでも樹里に近付こうとすれば、今すぐ殺されそうだったからだ。
だが、それを僅かに忘れさせてくれたのは、女性の一言だった。
「……運命過ぎて笑えないわ」
途端に女性は蓮からカッターナイフを奪い、それは美子の首に狙いを定めた。
一瞬の出来事である。
何が起こったかわからなかった彼等は、ようやく事の重大さを理解した。
だが、時は既に遅し。
「な、何してんだよ!!」
「やめて下さい!」
女性は強く美子を抱き締めた状態のまま、彼女の首にカッターナイフを押し当てていた。
まるで人質のようである。
いつ自分が殺されるかわからない美子は、暗くてもわかるくらい顔を真っ青にし、口をぱくぱくさせている。
女性は美子を睨むように見つめた。
「ここだけの話。私ね、美子ちゃんや海斗君のお兄さん達と元同級生なんだ」
「え!?」
先に反応したのは、美子だった。
自分の危機よりも彼女の衝撃的な発言の方が、彼女としてはショッキングなものだったのかもしれない。
「最初は全然そんなこと知らなかった。だけど、美子ちゃんの話を聞いて全部わかったんだよ」
「だからって、何で美子にそんなこと……」
珍しく動揺を見せながら、樹里が言う。
「あのさ、美子ちゃん。美子ちゃんはお兄さんを美化し過ぎなの。正直言って、彼奴は悪魔だった。元同級生の私からすれば、あんな奴殺されて当然よ」
「何であんたなんかにそんなことわかるの!」
美子がキッと睨み返す。
「海斗君のお兄さんが美子ちゃんのお兄さんにいじめられていたのは知ってるでしょ?だけど、彼奴は他のクラスメイトにも色々迷惑をかけていた。他の殺されたうち二人の女子と二ヶ月後に行方不明になった子は、彼奴に弱味を握られていたの。事件が起きた年の年度初め、私は殺されたうちの一人の女子と仲が良かった。だけど、彼奴や彼奴とつるんでいた奴等のせいで、その子は弱味を彼奴に握られた。それを全く知らなかった私は、彼女を助けることが出来なかった」
「じゃあ、何で今そのことをあなたが知ってるんですか?」
「事件から一週間後、現在行方不明になった女子から全て聞いたの。その子も殺されかけたけどなんとか助かって、事件の真相を聞き出したんだ。結局、その子も消息不明になっちゃったけど」
「……つまり、あんたは大嫌いな奴の身内である私が憎くなったってわけ?」
挑発するように、美子がにやりと笑った。
それにつられるように、女性もまた口角を上げる。
「あんたも同じでしょ。同じ理由で海斗君を殺したんでしょ」
「……だったら何よ」
「兄妹揃ってろくでもないね。小倉兄弟もとんだ災難だわ」
美子は神妙な顔つきになると、小さくため息を吐いた。
「はぁ……そう。で、あんたは私を殺るつもり?」
「そうだよ」
「馬鹿みたい。私を警察に突き出す方がよっぽど賢明じゃないの?受験生だし、私の人生台無しに出来るよ。親を泣かせて学校の皆からも嫌われて世間からも白い目で見られる。それでも良いの?ここであんたが私と同じことをすれば、あんたが地獄行きになるけど本当に良いんだ?」
「……うるさい!!邪魔すんな!!」
美子を憎悪のこもった瞳で睨みつけると、カッターナイフを彼女の首に刺そうとした時だった。
女性のカッターナイフを持っていた手が止まった。
そして、女性の目はある場所に釘付けになった。
彼等の視線も同様に。
「……ドアが開いた?」
震える唯奈の声。
ギギギ、という耳障りな音とともに、風に吹かれたようにドアがゆっくりと開いたのだった。
「どういうことだよ……」
昴が頭を掻いた。
すると、昴の横を誰かが一瞬で通り過ぎていった。
女性だ。
カッターナイフを持ったまま、彼女は何も言わずに全力疾走で教室を出て行ったのだ。
「何なんだよ、あの女……」
蓮が呆れを含んだため息をつく。
「大丈夫?美子」
「大丈夫だよ、樹里。怪我はないけど……なんか色々衝撃だった」
「私もまさか海斗のお兄さんの元同級生が目の前にいたんだからね」
「おいお前ら。呑気に話してないで、俺らも逃げるぞ!」
蓮がドアの前に立った。
少し困ったように彼等は黙るが、やがて意を決したように頷いた。
https://ha10.net/novel/1531730581.html
新作です。是非読んで下さい。
運命過ぎて笑えないわ。
私の首にカッターナイフを押し当てる直前に女が発した言葉を思い出した。
それはこっちの台詞よ。
事件について熟知している人物に出会うなんて、想像もしたことなかったのだから。
月光を頼りに校舎を歩きながら、つくづく自分の運命を呪った。
人を殺した感覚。
殺される側の感覚。
そして、知りたくなかった兄の本性。
優しい過去の兄に執着し過ぎたのかもしれない。
記憶の断片で本当の兄を補正して美化していただけなのかな。
……結局、誰が一番悪いんだろう。
その疑問に辿り着いた瞬間、先頭にいた蓮が音を立てて床に倒れ込んだ。
「蓮!?」
「おい、大丈夫か!?」
蓮の後ろにいた昴が蓮の身体を抱き起こした。
が、もうダメだと瞬時に悟った。
蓮の口から出された真っ赤な血と輝きを失った瞳は、私達を混乱させるのに充分すぎる材料だった。
私は汗でべっとりとした拳を握りしめて口を開いた。
「ヤバいよ、私達このままじゃ殺されるかもしれない!早く逃げよう!!」
「殺される……?」
「だって、今の蓮の死に方見た!?悠也だって!!この校舎は呪われるんだよ!!悠也が言ってた都市伝説はきっと本当なの!!」
「この校舎に足を踏み込んだ奴は死ぬってやつ?」
「そうなんだよ!だから早く逃げよう!」
「だけど……」と蓮の死体に目をやる昴。
悠也の死体だって教室に置いてきたのに、そこまで構ってられない。
「今はそこに置くしかないでしょ!後で警察に言って運んでもらおう!」
「でも」
「昴は死にたいわけ!?私だって死体を放置して出たいわけじゃないけど、自分の命を守るためなんだから仕方ないでしょ!」
「……わかった」
そう言って、私達は急いで走り出した。
ゴミや枯葉、散乱した椅子や机のせいで足場は悪いけど、歩いてる暇はない。
得体の知れないものが私達に襲いかかろうとしている。
そんな予感が鳥肌を立たせた。
とにかく今は先頭にいる昴の姿をただ追いかけるしかなかった。
「着いたぞ」
昴の声とともに、私の頬を冷たい風が撫でた。
視界に入ったのは、満点の星空。
どうやらたった今、昇降口を抜けて外に出たらしい。
ああ……出れたんだ。
急激に込み上げてくる七分の安心感と三分の不安が入り混じって、涙が出そうになる。
「とりあえず、これからどうする?」
そう言って振り返ったが、見覚えのある姿が見当たらなかった。
……樹里がいない。
「樹里は!?ねえ、唯奈、樹里は!?」
声を荒らげて問う私に、唯奈は慌てて答えた。
「私の後ろをついてきたはずだったけど……」
唯奈が言い終える前に、私の足は自然と昇降口に向かっていた。
「おい!」
「美子!?」
驚く二人の声を無視して、陰気な校舎に戻った。
乱れた呼吸を整えず、一階の事務室辺りを探し回る。
「樹里!?樹里!!」
私の声が廊下に響き渡った。
だけど、私の声に答える者は誰もいない。
「ねえ、樹里……樹里!!」
一階の階段のそばに寄ると、ふと違和感を覚えた。
階段で丸くなった一つシルエット。
角度を変えて見ると、シルエットは窓からの月光を浴びて、姿を映し出した。
「樹里!!」
そこにいたのは、階段で倒れている樹里だった。
寄って抱き起こすが、蓮と同じくとても生きているとは思えない状態だった。
「樹里……」
彼女の服にこびりついた赤い液体を気にせず、彼女の身体を抱き締めた。
どうしてこうなったんだろう。
私はいつどこで間違えを犯したんだろう。
こんなはずじゃなかった。
海斗を殺さなきゃ良かった。
海斗は何も悪くなんかなかったのに、一時的な幻覚と怒りに任せたばかりに。
「ごめんなさい……」
この謝罪は海斗へなのか、死んだ皆へなのかわからない。
だけど、私の中に後悔という言葉が渦巻いているのは確かだ。
嗚咽混じりの声で、抱き締める力を強くした。
その時、雷が落ちるように激しい頭痛が一瞬だけ私を襲った。
「いった……」
その瞬間、ある違和感が湧いてきた。
それが何なのか、わからない。
だけど、誰かが私に【思い出して】と警告しているような気がした。
「あ、美子!」
校舎から出ると、唯奈が私に駆け寄った。
項垂れる私に、唯奈は察したように俯いた。
「昴は?」
「……それが気付いたら、どこにもいなくて」
まさか昴まで……。
「どんどん皆いなくなってる……」
自分で呟いた言葉は、よりこの場を冷感させた。
「唯奈は……いなくならないよね?」
「うん、絶対生きて帰って」
彼女の言葉に、私は苦笑した。
「それを言うなら、生きて帰ろうでしょ。その言い方だと、私一人生き残るみたいじゃない」
「あ、そうだね……」
その瞬間、私はある違和感を覚えた。
あれ……?
当たり前だったのに、当たり前じゃなくなった感じだった。
まるで魔法が解けたよう。
それは徐々に私を不安にさせていく。
認めたくはないけど、自分が異常でない限り、この感覚は間違いじゃないだろう。
私は人差し指で目の前にいる【少女】を指差した。
「あんた……誰?」
指を差された【羽柴唯奈という友達だと思い込んでいた】その少女は、目を見開いた。
「私?……唯奈だけど」
「……違う!私のクラスに【羽柴唯奈】なんて子はいない!!ましてや友達でも知り合いでもない!!」
唯奈は口を真一文字に結んだと思ったら、穏やかに笑った。
その笑みは、私を戦慄させた。
彼女の黒髪が風でふわりと舞う。
「……バレちゃったか」
「あんた、何者なの!?」
気付けば、私達の中に唯奈がいた。
彼女は自ら名前を名乗ることもなく、私達は紛れ込んだ彼女を普通に【友達の羽柴唯奈】として扱っていた。
違和感なんて何もなかった。
だからこそ、この少女の存在の可笑しさに気付いた今、彼女が恐ろしくなった。
「もしかして……皆を殺したのもあんたなの!?」
「違う!それは違うから!!」
「じゃあ誰なの!?」
「それは……」
「ほら言えないじゃない!!人の記憶を操作出来るんだから、人を殺害するのも簡単なんでしょ!!」
「確かに私が皆の記憶を操作して、【羽柴唯奈】として皆の中に紛れ込んだのは事実だけど……」
「【唯奈】としてなら私は信じていたけど、今のあんたは何も信じられないから!!どうせ私のことも殺しちゃうんでしょ!!返してよ!!返せ!!皆を返せ!!」
「殺さないから!!私を信じてよ!!」
必死に説得する彼女から、私は全力疾走で逃げた。
彼女は私のことを殺しに来るはずだ。
彼女は私が街の方に逃げると推測するかもしれない。
だから、私は迷わず校舎の背後に聳え立つ山を目指して、草木が生い茂る道に足を踏み入れた。
本当は今すぐにでも家に帰りたいけど、そうもいかない。
雨上がりのせいで足場が悪く、白いスニーカーが茶色く汚れ、靴下にも染みていきそうだ。
冬なのに冷や汗が収まらない。
だけど、後ろから少女が迫ってきていると思うと、足を止めることが出来なかった。
夜はまだまだ明ける気配がない。
今は一体何時なんだろう。
すると、視界に一人のシルエットが入った。
木に寄りかかっているその人物は、私の姿を認めると、手を振ってきた。
昴だ。
「昴!」
「大丈夫か、美子!!」
「私は平気。昴はどうしてここに?」
「いや、その……お前も気付いたか?唯奈が本当は俺達の全く知らない奴だったってこと」
「私も気付いたよ」
「で、ここに逃げてきたってわけか。俺も怖くなって、もしかして殺されるんじゃないかって思ったから、見つかりにくいこの山道まで逃げたんだよ」
「……ねえ、あの子が皆を殺したんだよね?」
「わかんないけど、その可能性は高いと思う」
そう、と答えると、私は星空を見上げた。
今夜は今まで生きてきた中で一番長い夜だろう。
今までは学校に行くのが面倒くさくて、夜が長くなればいいのに、なんて願ったこともあったけど、今は早く夜なんて明けてしまえばいいのに、と調子のいい願望を夜空に込めてしまう。
さて、これからどうすればいいか。
しばらくはここで待機していた方が良いけど、空が白み始めたら家に帰った方が良いかもしれない。
いや、警察に行く方が先かな。
海斗のことはきちんと説明するべきだろうか。
親には泣かれるくらい怒られるだろう。
受験には響かなきゃいいな。
クラスの皆からはハブられるかもしれないけど、あと数ヶ月で卒業だし、まあいいか。
昴もいるし。
昴は普段はあまり目立たないけど、凄く頼りになる。
自己中心的な蓮の考え方を、さりげなく私達のためになるように誘導したりしたことだってあった。
温厚で優しくて、見た目だって悪くない。
そう思うと、危険な状況にも関わらず、真夜中に男子と二人きりでいるのが急に恥ずかしくなった。
寒いのに頬が熱くなる。
その時、私は微かな温もりを感じた。
開いた口が塞がらない。
昴に抱き締められたのだから。
「昴……?」
「……ごめん、しばらくこうさせて」
全身が熱くなった。
別の意味で汗が額から落ちてくる。
「う、うん……」
さっきから、感情が次々と入れ替わっている。
怒って、悲しんで、怖がって、ドキドキして……。
まるで、四季を巡ってるみたいだ。
期待しちゃっていいのかな、これは。
だけど、再び大きな頭痛が私を襲った。
その瞬間、例えるならピンク色だった私の心は真っ白に変わった。
突如、腹部にちくりと痛みを感じた。
それは、頭痛よりも何倍に刺激を受けるものだった。
昴が私の身体から腕を離すと、私は土がぐちゃぐちゃに濡れた地面に仰向けに倒れた。
視界がぐるりと変わる。
十秒足らずの出来事に頭がついていけない。
「兄妹揃って、本当に最低だな」
歪んだ笑みを向ける昴の手には、ナイフが握られていた。
ナイフの先端は月の明かりで、鈍く光っている。
そして、彼は静かに私の前から去っていった。
……どうして。
「だから言ったのに」
どこからか、あの少女の声が聞こえてきた。
「私は皆を殺してない。むしろ、助けたかった」
ああ、やっぱりそうなんだ。
ごめんね、犯人扱いして。
でも、結局あんたは何者なの?
聞きたいことは山ほどある。
だけど、声を出す体力なんてなかった。
「皆の中に紛れ込んでいたのは私だけじゃない。昴もだから」
やっぱり。
刺される直前、私は私を抱き締めている男に少女と同様の強烈な違和感を覚えたけど、あれは正解だったんだ。
「校舎に入ったのは美子、樹里、蓮、悠也だけ。羽柴唯奈と森永昴なんて人はいないよ」
意識が少しずつ遠のいていく。
お願い、早く私が知らないこと全部話して。
「皆を殺したのは昴。そして、その昴の正体はあなたが憎んでいた小倉君」
小倉光貴が?
何であそこに……。
「小倉君は例の事件で私達人間を恨んだの。その激しい憎悪によって、彼の生霊があの校舎に潜むようになったんだよ」
生霊?
いきなりオカルト系の話なのね。
「彼自身はまだ生きてるけど、どうだろう。生霊がいるってことは、とても正常な状態じゃないはず。あなたのお兄さんに相当精神的にやられたから、社会復帰は難しいかもしれない」
十年経った今でも、か……。
彼奴、本当に何を思ってそこまで小倉光貴を追い詰めたんだろう。
「生霊とはいえ、実の弟の死体を目の当たりにしてショックだったんじゃないかな。私もびっくりしたよ。死体が小倉君の弟だったんだから」
……だろうね。
…………ていうか妙に小倉光貴のことをよく知ってるけど、何なの?
……もう、無理かも、意識が……。
「あ、そうそう。私の正体気になるよね」
……ごめんなさい、海斗。
……ごめんなさい、皆。
…………樹里のこと、いっぱい利用して裏切ったのに、私のことを守ってくれたのに、私は樹里のことを守れなかった。
……挙句の果てには、この子の言葉も信じないでいたら、このザマだ。
……ごめんなさい……そして、ありがとう……。
「私の名前は___」
視界に眼鏡をかけた二つ結びの少女が入った瞬間、私の意識はなくなった。
「またダメだった……」
2年A組のベランダから、私は街の景色を眺めていた。
群青色の空に浮かぶ星々の横では、東から明るいグラデーションが帯びている。
空が白み始める頃の夜空は、写真に収めたいくらい美しい。
向かいから寒々しい風が吹くけれど、私は何も感じなかった。
もう、私は死んでいるのだから。
「まさか、友村さんがここに来るなんてびっくりしたな」
事件の後、彼女は真っ先に生き残りの私に問いただしてきた。
私が知ってることを全て話すと、彼女は西尾君を激しく憎んだことは確かに覚えている。
だけどまさか、西尾君の妹を殺そうとしてしまうくらいだとは思ってもいなかった。
彼女もきっと、小倉君に殺されてしまっただろう。
何せ、この校舎に入ってきた人物で無事に生還した者はいないのだから。
勿論、小倉君の仕業だ。
小倉君本人は無意識だろうが、彼の生霊は何人もの命を奪った。
姿を変えて訪れた人物の記憶を操作して、彼等の中に紛れ込み、やがて殺していく。
そして、それを阻止するのが死んだ私の役目だ。
私が死んでから約一年後にこの学校は廃校となり、その数年後には肝試しでここに訪れる者がいた。
私も小倉君同様に訪れた者の年齢に応じて姿を変えて、彼等の中に紛れ込みつつ、これ以上校舎にいるのはやめよう、と止めていた。
だけど、誰も私の言うことなんて聞かなかった。
止める役になりやすいように、敢えて弱虫な性格を演じていたけど、効果なんてなかった。
皆死んでいった。
その上、姿を変えても魔法が解けてしまうように、いつか紛れ込んだことがバレてしまうのだ。
七年前くらいだっけ。
確か、バレた時に『この中には生霊が紛れてて、そいつがあなた達を殺そうとしている』って忠告した瞬間、彼がその場にいた全員を殺してしまったこともあった。
つまり、私の正体がバレても小倉君が殺そうとしていることを私が口外してしまえば、その時点で生きている人が全員死んでしまう。
だから、美子にも誰が皆を殺したか言うことが出来なかった。
しかも、私が紛れた中に毎回姿を変えた小倉君がいることにも、強烈な違和感を覚えた。
彼はほぼ毎回、温厚で優しい性格を設定している。
……いや、おかしくなる前の性格に戻ったと言った方が正しいだろう。
それにしても、今夜訪れてきた中学生集団は異例中の異例だった。
たいていやって来るのは肝試し目的だが、彼等は死体を隠すためにやってきたのだ。
しかも、死体は小倉君の弟、殺した犯人も分からないまま。
美子という女の子が西尾君の妹だと判明した時、開いた口が塞がらなくなってしまった。
「そういえば、もう十年か……」
昨日、あの事件から十年経った。
多分、友村さんが悪天候にも関わらずわざわざここに立ち寄ったのも、十年前の出来事を回顧するためなのかもしれない。
そんなことしなければ、生きていただろうに。
まあ、私が言えた口じゃないが。
私だって十年前、小倉君を裏切らなければ、今生きているはずだ。
私は世間では行方不明とされているらしいけど、実際にはとっくに死んでいる。
江川さんのお墓参りに行った日、崖崩れに巻き込まれて。
家族や友人にそう伝えたくても、幽霊という存在になった今、伝えられるわけない。
小倉君から守るために姿を変えて、人々に接する時以外、私には誰も話し相手がいない。
だけど不思議と、孤独は感じなかった。
寂しさや虚しさにいつか精神を崩壊されてしまうのではないかと懸念していたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
生前からこうなることを教えられていたみたい。
「あ……」
空に現れた美しい朝焼けに、思わず感嘆の声が漏れた。
もうすぐ夜が明ける。
今夜はまた誰かやって来るだろうか。
今度こそ、何かが変わるだろうか。
まあいい。
今度こそ、私が彼から守るから___
[End]