一番の幸福は生まれないこと。
二番目はすぐ死ぬこと。 ーーある格言
あるときは、空が流動して見えて、液体だと思った。
あるときは、個体だと思った。
昔、ギリシャの哲人は、動いている矢は
静止しているのだとさえ証明できたように、
見ようと思えば、空は何にでも見えることが
面白かった。
ところがある時、空が虚無に見えたと思った途端、もはや
虚無は虚無であって
虚無以外の何物をも連想することはできなくなってしまった。
美術部の奈々に言った。
「何でもいいから、デタラメな絵を描いてくれよ」
「何よ突然……わかった」
次の日。
「はい、昨日の宿題」
デタラメな絵を渡された。
一時間ほど退屈しのぎになった。
「奈々、明日も頼む」
「頭おかしいんじゃないの。別にいいけど」
部屋の壁は、いつしか
奈々の描いたデタラメでいっぱいになった。
僕が要求するデタラメは日に日に増えて
最初は奈々も
「デタラメならいくらでも描けるから」
と言っていたのに
今では僕の要求は大きな負担になっているらしく
奈々の顔はやつれて
テストの成績も下がり
それでも僕は奈々の
新しい絵が欲しくてたまらなくなって
夜
奈々にLINEで言った。
「今すぐ持ってきてくれ」
奈々はふらふらになって
素晴らしい絵を持ってきてくれた。
https://i.imgur.com/fPiC2As.jpg
奈々は転校してしまった。
奈々は僕から逃げてしまったのだという
噂を聞いた。
奈々のおかげで虚無を
僕は忘れることができていたことを
空を見上げて実感した。
部屋の壁の
何百枚もの絵を剥ぎ取って、
その中に埋もれてみた。
バラバラに破って、
さらにデタラメにしてみた。
そのうちに、奈々の作品はみな
使い物にならなくなってしてしまって
再び
空を見上げると
悲しみが止まらなくなった。
LINEが来た。
それは奈々からだった。
「相変わらず空ばかり眺めているんでしょ。
私、あんたから逃げたわけじゃないんだからね。
普通に、家庭の事情だから。
そりゃあ、
あんたは頭が少しおかしいし、
あんたのおかげで優等生ぶるのはやめてしまったけれど
その代わり
なんだか自信がついた。
あんたがいつも言っている虚無ってやつは
あんただけじゃなく
私にもあってね
私たちだけじゃなく
きっと
誰にでもあって
私の絵が少しでも虚無を隠蔽することができるなら
きっと
それは素敵なことだと思えたのよね
https://i.imgur.com/ztD4bMG.jpg 」
僕は笑って、返信した。
「なんだ、これは笑」