1800年6月
イギリス帝国がプロイセン王国領アムステルダムへ侵攻
イギリス軍:40000、総司令官ヨーク、スタニスフフ、ジョージW、シュリダン
プロイセン軍:44400、総司令官プロイセン王ヴィルヘルム、ツィーテン、タウエントツィーン、バサースト、ビューロー、カンブロンヌ
1日、イギリス軍のスタニスフフがプロイセン軍に寝返り(この時点でスタニスフフは損害700)。ヨークの軍勢に攻撃をかける。ヨーク以外の部隊はヨーク隊を無視して、前進する。
7日プロイセン軍は出遅れたヨーク隊と前衛部隊を分断、しかも4個部隊でヨークの軍勢を包囲した。このときヨークは渡河中であって、地の利もなかった。
9日渡河を終えたヨーク隊だが、この時点で損耗率は5割に達しており、すでに追撃を振り切る力はなかった。
イギリス軍損害:9700、捕虜2000、寝返り9300
プロイセン軍損害:数百程度
・スペインのクエスタがロシアに亡命
ヨーク公は降伏