罪とは何か権利とは何か社会とは何か

1 名前などない:2010/06/08(火) 01:24

また身の程知らずの戯言スレです

14 悪の権化:2010/07/22(木) 14:51

>罪とは何か
「意味の意味」と同じく、人が作り出した概念。
よって、それを決めるのは人であり、自分自身でもある。


>権利とは何か
他者より与えられる物。自分の力で得るのは獲得。


>社会とは何か
特定の集合体、相互関係。
 

15 無心:2010/07/22(木) 22:31

じゃあ弱さって何?

何故人は悩み生きなければならない

生きてたって後悔は拭えない

俺らは親が居て人並みの暮らしをしてるけど居ない奴だって居る

友達という関係が利益のみのものであるとは俺は言わないけど絆としてはとても弱い


なら誰が自分を守ってくれる?

誰を信じて生きればいい?

何も見えないだろう

そんなところに居たら

金が無くても、愛されていれば生きていける

誰かに縋れば

それすら出来なかったら

どうしたらいいんだ

人には関係が無い

誰にも関係のないのだから、自分一人の重荷でしかない
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16 無心:2010/07/22(木) 22:33

社会っていうのは猿山が進化した人間山だよ

いや・・・大して進化してないけど

17 無心:2010/07/22(木) 22:36

社会が悪いなんて思っちゃあ終わりだけどね

18 : 悪の権化:2010/07/23(金) 04:26

>>15
>じゃあ弱さって何?
相対評価です。


>何故人は悩み生きなければならない
悩むのは個人の勝手です、言葉を変えれば自由です。
自分の好きな物を選ぶのも同じ悩みです。
悩む権利すら奪われたいのですか?。

死人は「なぜ死ななければならない」とは考えません。
つまり、生死について考えるのは生きている人の特権です。


>なら誰が自分を守ってくれる?
人は、一人では人である事ができません。
多数の人々の協力によって現在の貴方が形成されています。
つまり、貴方がこうして存在している時点で多数の人から守られています。


>誰を信じて生きればいい?
信じる対象にこれと言った決まりはありません。
強盗団やマフィア、ヤクザなどを見れば分かるとうり、
信頼関係は対象が聖人だろうが犯罪者だろうが関係なく成立します。
つまり、信じる対象も信じるか否かも貴方が選ぶのですから
信じる対象が居ないとは、それは貴方の選択の結果です。
信じないのも自由の一つです。対象が居る・居ないは等価です。


>本当に孤独な人は一生孤独
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名前: E-mail:

始まりと終わり

1 : Mr.retort:2010/07/20(火) 01:37

何かが終わると同時にまた別の何かが始まる

今年が終わると来年が始まり
1ページ読み終わると次の1ページを読み始める

結婚すれば独身は終わり
眼がさめれば睡眠が終わる

そこで、こうは考えられないか
宇宙が始まるその時は
他の何かが終わった瞬間である
…と

8 横島 ◆XUuQ:2010/07/20(火) 23:52


割り込み失礼。

>>2
で『そのことから生まれる矛盾』って何なのですか?
終わりは何かの始まり、ってのは矛盾ないと思うし、
そのことから生まれる矛盾ってのが思い付かないのですが(汗)

9 : Mr.retort:2010/07/21(水) 01:11

>>7
そうか…物理学か

その変動性が始まりと終わりの存在を示してるんだよな
不変には終わりがないような気がするしな



>>8
矛盾がある確信は無いが
ありそうだなと

数に限りがないように、
何かがおこった時から
始まっては終わりをひたすら繰り返すということが言える
未来へと始まり→終わり→始まり・・・を繰り返すこととなる
また、
何かが終わったということはその何かはすでに始まっていたと言える
この場合過去へ終わり→始まり→終わり…を繰り返すことになる

この前後2方向への広がりは
宇宙の始まりを基準としても
宇宙の終わりを基準としても成り立つんだ
ってのも
今の宇宙が終わったとすればまた別の空間Aが生まれる
その空間から生まれた文明が同じように
Aが始まる前はいったい…と考えるなら
Aの始まり(=宇宙の終わり)を基準としても2方向へ広がっていくはずだ

なのに
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10 横島 ◆XUuQ:2010/07/21(水) 09:20


>>8
終わったときと始まったときは、同一の『時』点だけど、
その点を数直線上の原点に設定する必要はないし、
むしろあなたが「+の方向」と「-の方向」と言ったそれらの直線は
ある点で連続なものではない。何故ならば例えば、
『宇宙の終わり』は別の空間Aの始まりなら
A≠宇宙なのですから。宇宙はその点で『終わり』、
『始まった』のは別のものです。だから、連続なものというより、
y=3という直線がx=2という時点でy=4という直線に切り替わった、
というガウス関数的なイメージの方があってると思います。

かくて、そこには矛盾がないんです。
わかりづれぇ…

11 横島 ◆XUuQ:2010/07/21(水) 11:45


ああごめんなさい。
上のやつ、>>9でしたね。8でなく。

12 : Mr.retort:2010/07/28(水) 01:31

>>10
ありがとう
なるほど、ちょうどそんな感じだわ

でも、
自分の中でうまくまとまらないので保留にします;

名前: E-mail:

哲学みたいな話をしたい方

1 ティティー:2008/03/18(火) 00:07 ID:m-UWE

なんか哲学的なことを話し合いたい人はどうぞ。荒らしや誹謗、中傷は禁止です。
※この話し合いによって起こったことは私はいっさい責任を負いません。ご了承下さい。

当の私めは別に哲学に詳しいわけではないのでご容赦を。何か深〜いテーマを皆で[軽く]語りましょう!

58 横島 ◆OEis:2010/02/19(金) 00:23


トリップこれで合ってたかな…

書き込みありがとうございます。
とりあえず返レス。

>>56
具体的にどう矛盾があるとお思いですか?
またはどこに矛盾があるとお思いですか?

>>57
根拠に乏しいと思います。
あと、『意味』と『目的』は違いますよ。

59 横島 ◆XUuQ:2010/02/19(金) 00:32


申し訳ない、トリップはこれで合ってる。

60 ぴょん:2010/05/03(月) 22:13

はじめまして。よく日本では、自分がされて嫌なことは人にするな、と言われてますが、嫌かどうかが善悪の判断基準ではおかしくないですか?人間って、自分に都合の悪いことは基本的に全部、嫌ですよね?自分の都合や感情だけで善悪決めて善いのでしょうか?社会では自分が嫌な事でも、責任上、受け入れなくてはならない事など、いくらでもあると思います。相手が責務不履行なのかとか、自分に義務があるのかとか何も考えず、自分に嫌な不都合な事をしたら相手が悪いと短絡的に判断する人が多いのは、この教えのせいもあると思います。自分が迷惑だと思うような事は人にするな、なら解りますが。

61 名前など無い:2010/05/03(月) 22:48

というか罪とは最終的には強者の憎しみだから

裁きだの何だの言っても、憎しみで人を殺すことを僕等はしてる

人を裁くのは人だ

62 横島 ◆XUuQ:2010/06/22(火) 01:26


>>60

>嫌かどうかが善悪の判断基準

俺は、根本的にはこれはおかしくないと思いますよ。

>社会では自分が嫌なことでも、受け入れなければならない

確かにいくらでもありますが、『責任』だって、他の誰かの『嫌なことを押しつける為』の言い訳とも考えられるし、
或いは『嫌なことを受け入れる』こと自体が更なる嫌なことを回避するためであると考えれば、
結局嫌かどうかで善悪が構成されている訳です。

結構うまく仕組まれてるんだと思いますよ、社会ってのは。

遅くなりましたがとりあえず返レス。

名前: E-mail:

自分って何?

1 携帯匿名:2008/02/04(月) 17:37 ID:m-bXw

自分って何だろう?人生つまらないな。生まれた意味って一体?

97 匿名さん:2009/09/08(火) 16:26

\(^o^)/

98 匿名さん:2010/01/19(火) 21:33

「自分」とは何か・・端的に答えるならばそれは単なる言葉であって・・
その言葉が指し示しているものは・・実はありません。

99 : まりも:2010/04/30(金) 13:18

生命

100 名前など無い:2010/04/30(金) 21:18

では生命とは何であるのか

その本質が分からぬかぎり

自分という本質も結局は誰かの価値観に過ぎない

ではそれが失われたら

これは怖い事だよ

自分の名前すら解らなくなる

101 匿名さん:2010/06/14(月) 17:17

肉体ではないことは確かだな××

名前: E-mail:

芸術とはいったいなんなのか??

1 芸術家:2009/07/02(木) 23:33

芸術って自分のやりたいことをそのまま作品にぶつけるのってダメなことなのかな?私は自分のやりたいことをダイレクトに作品にしてるのに先生は、こんなのダメだ!というのです。芸術っていったいなんなの?そんなに技術やセンスが必要なの?自分は好きだから芸術に命をかけてやっている。でも芸術なんてなくても皆生きていけるし、まったく無意味なきがする。いったい芸術ってなんなのですか??

14 匿名さん:2010/05/01(土) 17:31

イメージを人に見せること。

15 匿名さん:2010/05/20(木) 03:24

まぁ、ストレートに表現しすぎると、
何を訴えたいかが分かりやすすぎる為に、

芸術性に欠けるって指摘はあるかもね
ダイレクトに訴えるやり方が、先進的で新しく、個性的あれば評価されそう

16 はーとぶった:2010/06/02(水) 01:31

評価かー難しいね

誰がどう評価するんだろ

お金にするのはむずかしいし

結局自分の生きた証として残していく方が芸術的かもしれないね

ただ方法は常に模索していくんだろうけど

みんな色んな事ちゃんと把握してるね

僕は疲れてます

17 匿名さん:2010/06/02(水) 01:49

芸術家とはただ普通の人と違う視点をもっている。ただそれだけの人。

18 匿名さん:2010/06/03(木) 01:41

そして世界はどこかおかしい。

名前: E-mail:

結局のところ哲学とは何なのか

1 なまえなどない:2010/04/11(日) 14:22

結局哲学と言うのは言葉に過ぎない
それも殆どが意味の無い言葉だ

例えば心理学などにおいて哲学の占めた地位は大きいが
それ以外では普通の論理学で十分だと思う

哲学と言うのは本来自分で考えた末に行き着く答えを
計算式そっちのけで他人から教えてもらうことだ

それ以上でも以下でもない

だから哲学は万物の学問の要と言われるのだな

必要か

必要ではないかも知れんな

ただ教育と言うものも同じ側面を持っているかも知れん

悪く言えば洗脳も

7 匿名さん:2010/05/05(水) 10:57

哲学者が変態というところに妙に納得した自分がいる。

8 匿名さん:2010/05/07(金) 05:10

どっちかと言うと哲学は、学問より武道のいわゆる”道”に近い。
わかりやすく言うと、根本に近いがゆえに、それ単体では存在しえないのだよ。

名前: E-mail:

記憶=命?

1 しゅう:2010/04/18(日) 15:23

人は何でできてるんでしょう?
記憶がなくなれば、別人なのでしょうか?

2 なまえなどない:2010/04/19(月) 00:42

性格、自己、世界、これ等はリセットされて
生を受け物心ついた段階に戻るだろうね

でもね・・・例え記憶が消えても

その人はその人だよ

人格が違っても

記憶が違っても

その人自身であることに変わりは無いよ

3 しゅう:2010/04/21(水) 11:05

もし知り合いが記憶をなくして、性格も変わってしまったら、あなたは同じ人として接することができますか?
接し方が記憶がなくなる前とは別人になってしまうことでしょう。

4 なまえなどない:2010/04/21(水) 13:46

今の俺ではそういうところはあるかもな

人の全てを受け入れることがまだ出来ないから

でも人格も記憶も同一性も人間も違っても同じ人であることに変わりは無いよ

誰かが誰かであることで安心してそれが無くなったら恐怖に駆られるというのかい?

名前: E-mail:

誤謬と瑕疵

1 匿名さん:2009/10/19(月) 02:38

基本っぽいので調べてね。

6 なまえなどない:2010/04/10(土) 12:35

要するに愚かな人を賢い人が操ること
で・・いいんだろ?

7 : 匿名さん:2010/04/14(水) 23:29

>>6 要すると
操る者は賢く操られる者は愚かだ。
賢いものは自らを操る。愚かものは自らに操られる。
自らに操られる事と自らを操る事に差などないのだから、賢いものは愚かものはと言葉に操られる事は愚かだ。
私は言葉を用い言葉を操るのだから、私は愚かである。
とか、どうでも良いことを考える余白を持つ。
釣り針にかかる魚と釣り針に気を取られる釣り人に違いはあるのか?
とか、一見どうでも良いことでも考える余白を持つ。
釣り人は釣り針に魚をかけその日の晩飯にありつく。
魚は餌を食い釣り人にありつかれる。
で、
釣り人は魚を食うために魚釣りに食われる。
とか、どうでも良いことを考える。
操られるのか操つらせているのか、とか、操るとはなんだとか、どうでも良いことを考える。
考えない。という余白を持つ。

8 なまえなどない:2010/04/15(木) 20:45

まあ何が正しい選択かは人による

俺みたいな男は真剣に物事を考えないと生きてけないし不安だが

例えば可愛い女の子はどうだろうな
深く考えて時間を無駄にすることなど無いだろう

可愛いという財産だけで幸福な人生を送ることが出来るのだから

まあよほどの不安がないと
そして自分で考えるという事でしかその不安に立ち向かえない状況下で

そういう状況になって人は始めて自分の頭を使うんだ
操られていると知りながらその意図にあえて従って生きるも

一つの選択だよ

9 なまえなどない:2010/04/15(木) 20:49

どうでもいいとおもうならそれが君の選択さ

訳わかんなくなっちゃたけど
賢い者が愚かな者を騙す
これ自体は今はもう教育とか誰でも受けられる時代だろ?
ネットだって発達してる
だからもう昔ほどは無いかなって思うのな

・・呆れてるだろ
どうでもいいと思うならこの話はもう良い

10 なまえなどない:2010/04/15(木) 20:52

こっからは全部独り言なんで
自分自身というのは意のままに出来ている様で居て
これもまた気難しい性質を持っているな確かに

自分自身ですら完全に操ったり制御下に置いたりする事は

高度な内観を必要とする

これもまた哲学といわれるな

名前: E-mail:

(´・ω・`)y━・~~~ニーチェの哲学

1 (´・ω・`)y━・~~~やまだ ◆K5Mc:2010/02/19(金) 20:19

ドイツの哲学者のニーチェの言葉を書き込みしていこうと思います。
自分の頭で考えるという生々しさで、自分の考えに刺激を与える為に、
(´・ω・`)y━・~~~

35 (´・ω・`)y━・~~~やまだ ◆K5Mc:2010/02/26(金) 14:07

『ニヤリ』ってよくわかりませんが、・・・。自慢にもやりませんが。
以後、貴方様の書き込みはご遠慮下さい。

36 (´・ω・`)y━・~~~やまだ ◆K5Mc:2010/02/27(土) 20:06

【自分自身を見つけたい人に】
>>2
『自分がどういう者であるか理解したい人は、次のような問いを自分に向け、真摯に答えてみればいい。これまで自分が真実に愛したものは何であったか?自分の魂を高みに上げたものが何であったか?何が自分の心を満たし喜ばせたか?これまでにどういうものに自分は夢中になったか?これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ。』
『ショーペンハウアー』より
(´・ω・`)y━・~~~

37 なまえなどない:2010/04/11(日) 14:06

ニーチェの哲学は迷いだ

彼自身の中で変化していく自己を書き殴っただけ

彼はおそらく、哲学を通して自分の価値を高めたかった

また人と違う自らの考えをあわよくば認め理解し受け入れ

そして答えを示して欲しかったのだろう

結局彼は自分自身を信じられずに虚しさの中で一生を終えたのだろうか

彼と人と何が違ったのだろう

彼だけが考えるのだろうか

彼に自分を受け入れてくれる居場所があっただろうか

僕の哲学と彼の哲学と
どっちが深いのだろう

結局自分の価値というのは権利とお金とだ

人間として彼は不完全品であったのだろう

彼の言葉が人に光を見せることは無い

38 なまえなどない:2010/04/11(日) 14:10

不完全な自己は完全な自己を与えることは出来ないし
自己とはそもそも経験が作るもの
言葉で与えるものは結局ああしろこうしろという言い回しになってしまう
それよりも本人が自分で歩いて自分で考えることが大切

39 なまえなどない:2010/04/11(日) 14:12

失礼した
やまだ殿
いや、別に貴殿に文句があるわけではないのだ
僕自身のスレは僕自身の日記帳に過ぎぬゆえ
人に偉そうなことを言える人間ではない

名前: E-mail:

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