以前この場所に投稿していた小説のキャスフィ版です。
キャスフィに投稿するにあたって設定を大幅見直ししたので中身は完全に別物となっております。
質問・感想等はこのスレに、なおこのスレでの雑談は禁止です。
first chapter
【邂逅——The Encounter】
昼の暑さも和らぎ涼しい風の吹き向ける夏の夜、桜扇(さくらおうぎ)アスカは港近くの100mあるかないかの低い山の山頂にある街を一望できる展望台に居た。
「もう、あれから半年経つのか、早いな、ミハル」
アスカにとってこの展望台は特別な場所だ。
今は亡き恋人、羽衣(うい)ミハルと運命の出会いを果たした場所であり同時に永遠の別れを経験した場所だからだ。
ミハルはこの展望台から見る夜景が好きだった、デートの最後はいつもここに立ち寄ってからそれぞれの家に帰る、それは二人の間で暗黙のルールとなっていた。
アスカはミハルが息を引き取ったベンチに腰を下ろしあの日の事を思い返す、半年も前の事だけど今までもはっきりと覚えている、あの忌まわしい日を忘れられるはずがない。
消しゴムでノートに書いた鉛筆の字を消すみたいに脳内から記憶を消せたら過去に戻って人生をやり直せたら、そう思った事が何度もあった、きっと自分が弱いからそんなくだらない事を考えてしまうのだ。では、強い者はくだらない事を考えないのかと問われれば、それは否だろう。
どんなに心が強くても、どんなに財力が、権力が、知力が、そして体力があっても、怖いものは怖いし、嫌いなものは嫌いなのだ、忘却してしまいたい過去の一つや二つあったところで何もおかしな事はないし、それが普通の人間なのだとアスカは思う。
「あの時、俺が飲み物を買いに行かなかったらミハルは死なずにすんだのかな。体の傷はもうすっかり治ったけど俺の心の傷はまだ塞がりそうにないよ」
寂しげに言って腕の銃創を見つめる、銃大国のアメリカならまだしも平和な日本で友人に撃たれることがあるなんて、そして恋人を殺されることがあるなんて、普通思わないし思いたくもない。
この事件、警察はミハルをストーカーしていた友人による殺人事件としているが、アスカは納得出来ずにいた。その友人は昔から大きい音が苦手だったのだ、そんな人物が凶器に銃を選ぶだろうか、そして一体何処で実銃を入手したのか、アスカの知る限りヤバイ連中との付き合いはない。
「これ以上考えても無駄か」
言ってアスカは立ち上がり、転落防止のフェンスに寄りかかり遠くを見つめる、こうしていると心が落ち着くのだ。
アスカの視線の先には再開発中の臨海地区がある、ミハルと出会った頃はそのほとんどが更地だったが今は建物の数も増え街らしくなってきた。日々変わり行く街の景色を見てミハルは何を思ったのだろう。
「アスカ発見!」
突然後ろから声をかけられた、明るく元気の良い声が鼓膜を震わす、アスカはこの声の主をよく知っていた、玖我七海(くが ななみ)だ、もう10年以上の長い付き合い、聞き間違えるはずがない。
「わぁー綺麗、こんな場所があったんだ〜」
展望台からの夜景に感嘆の声を漏らし、七海は手に持ったレジ袋をガサガサ言わせながら歩み寄りアスカの隣に立つ。
「はい、おにぎり使ってきたから食べて」
「あぁ、わざわざすまない」
レジ袋へ手を伸ばす、中にはラップに包まれたおにぎりが幾つか入っていた、そのうちの一つを取る、海苔すら巻いてないシンプルなおにぎり、きっと具も入っていないのだろう。手に取った白米の集合体を大口を開けて頬張る。
「普通にうまい」
米作りの専門家が作った米を、米を炊く専用の機械に入れて炊いたご飯、それを握ればおにぎりは完成する、よっておにぎりを不味く作るのは至難の技だ。
おにぎりを一つペロッと食べ終えて、アスカは七海に向き直る。
「なぁ七海、この景色を見てどう思う」
そして暗く沈んだ声音で七海に問いかけた。
「え、どうって……綺麗だよ」
アスカは今にも泣き出しそうなほどに悲しみの込められた眼差しを遥か遠くの町明かりに向ける。
「この景色はいつも同じように見えていつも違うんだ、だからいつ来ても飽きない。それは人間も同じ、いつもと変わらないようでも少しづつ変わってる。ミハルが言っていたよ『何かつらい事や悲しい事があった時はここに来るの、ここに来ると嫌なことなんて忘れちゃう』って……俺、ミハルがこの景色を好きな理由がなんとなく理解出来たような気がするんだ、きっとミハルにとってここから見る景色はかけがえのない宝物なんだ、ミハルは……」
「ストーップ!、暗いよ、暗すぎるよ! ネガティブオーラ出てるよ、ほらおにぎり食べて元気出して! ここただでさえ暗いんだから」
七海は声を張り上げておにぎりをアスカの口許に押し付ける、この場のシリアスな空気を少しでも面白おかしくしようとしているようだ。
「ねぇアスカ、明日どうせ暇でしょ? 良ければ二人であの辺ウロウロしない?」
七海が指差す先は再開発で次々と新しい建物が建設されている臨海地区だ、巨大ショッピングモールや水族館なんかもある。
「それ、デートのお誘いってことでオッケー?」
「なっ、何言ってんの、そ、そんなデートとかじゃあ」
「違うのか」
「ちっ、違っ……違っ、違わない……」
顔をトマトみたいに真っ赤にして七海は小声でぶつぶつ呟いている。たかがデートぐらいで真っ赤になる辺り七海はまだまだお子ちゃまだなとアスカは思った。
思わず二人の口から笑みが溢れる、笑い声は透明な竜巻となって重苦しい空気を何処かへ吹き飛ばした。
しかし、アスカのひび割れた心の深奥にまで根を張った深い悲しみは、こんなそよ風では小揺るぎもしない。
「久しぶり……だよね、二人でどっか行くのって」
「そうだな」
「じゃあ帰ろうか」
二人は展望台を後にした。
アスカと七海は臨海地区に向かう人気の少ない道を自宅へと向かって歩いていた、
そんな二人から数十メートル離れた空き地、昼間は子供達の遊び場になっているであろう空き地から突然何の前触れもなく火柱が上がった、高さは電信柱と同じかそれ以上、夜空を焼き焦がす勢いで炎の柱が燃え上がる。
「ちょっと何あれ、火事!? ヤバくない?」
真っ先に声を上げたのは七海。
「ヤバイかもな、ちょっと様子見てくる、危ねぇからお前はここで待ってろ」
「気を付けてよ!」
アスカは一人火柱の上がった空き地へと向かった、そこでアスカの見たものは異様としか言い様のない光景。
人が燃えていた、三人の男が炎に包まれもがき苦しんでいる、火柱はこの男達から立ち上っていた、遠くからは一つに見えた火柱は三つの火柱が合わさったものだった。
男は地面に倒れた、血液は沸騰し皮膚はマグマのごとくドロリと熔けていた。
目の前で繰り広げられる地獄絵図のような惨状を目の当たりにして、しかしアスカは冷静であった、理解できないと言う感情が恐怖や驚きといったその他の感情を抑え込んだのだ、あまりにも非現実的で、まるで映画を観ているような気分だった。
「人体発火……」
いや、そんなことあるはずがない、とアスカは首を振る、気持ち悪くなって胃の中身を吐き出してしまう前に、アスカは待たせている七海の元へ戻ることにした。
もしここで吐いたら心配した七海が駆け付けて来るだろう、そうしたらあれを見る事になる、焼死体なんて見せたくないし見たくもないだろう。
「ねぇ、どうなってたの?」
「そうだな、良い表現が見当たらないが強いて言うなら、焼き魚があった」
「焼き魚……あんまり想像したくないんだけど」
「想像しなくて正解だ、あの空き地通り過ぎるまで目ぇ瞑ってろ」
言ってアスカは手をさしのべた、その手を七海がギュッと握りしめる、言われた通り目を瞑った七海の手を引いてアスカは歩き出した。
アスカの頭の中は空き地を通り過ぎた事にも気づかないほどに“焼き魚”の事でいっぱいだった。
「あの、もう目開けても良いよね?」
「ああ、ごめん」
「謝らなくて良いよ、なんかこうしてると本当にカップルみたい」
アスカ達が通り過ぎて数分、先程の空き地は禍々しい黒い霧が立ち込めていた。
墓場で発生した瘴気がそのまま流れて来たかのような冷たく重い霧は、一ヶ所に寄り集まって密度を増し、喪服めいた漆黒のドレスに包まれた銀髪の少女の姿を形成した。
人ならざる黒衣の少女は道端の石ころを見る目付きでもって足元に転がる犠牲者達の亡骸を一瞥した、その視線からは死者を悼むという感情を微塵も感じられない。
黒衣の少女は嗤う、それに呼応して黒い霧はまるで意思を持った生き物のように亡骸にまとわりついて喰らい始めた、いや亡骸が霧と同化していくと言うべきか、どちらにせよ死体は消えていく、何も残らない。
この名状し難い光景を目撃して正気を保っている者がいるとすれば、それは少女の同類か元からイカれている奴かのどちらかで、常人ならば良くて発狂、最悪自ら命を絶つだろう。
そして氷の冷笑と共に少女の輪郭はおぼろ気になり夜の闇に溶けていった。
アスカは自分達の家の前に見知らぬ二人の少女がいることに気が付いた、二人は何かを言い合っているようだ。
「何してるんだろう、あの二人」
「さあな、お前の知り合いってわけでも無さそうだし」
一人はブロンドの髪の少女で見るからに活発な笑みを浮かべている、もう一人は長い黒髪、ノースリーブのパーカーを着て塀に持たれかかっている、二人ともファッションモデルか女優をしていてもおかしくないほどのルックスだ。
アスカはいつになく温厚な口調で二人に話しかけた。
「ここ、俺たちの家なんだけど、何か用事ですか」
夜という名の塗料で塗りつぶしたとでも言うべき黒髪に青く透き通る双眸の少女は、冬の月のような凛然とした視線をアスカに向けた、アスカは微かなときめきとほんの少しの剣呑さを感じた。
「ここ、あなたの家なの、ちょうど良かった、この家にミハルと言う子はいるかしら」
「君たちはミハルの友人なのか?」
「あたし達はミハルちゃんの大親友です!」
アスカが訊ねるとブロンドの髪の少女が見かけ通りの明るさで答えた、黒髪の少女もそれに反論はしない。
「……ミハルは死んだよ半年前に」
「そうか、ミハルちゃん死んじゃったんだ……」
アスカの言葉に驚いた様子を見せるブロンド髪の少女、黒髪の少女はやけに落ち着いて最初からその事を分かっていた風な態度をとる。
「ありがとう、それが分かっただけでも十分よ、さようなら」
「待って!」立ち去ろうとする二人に今まで呆然と眺めていた七海が口を開いた。「あ、あの……今日はうちに泊まっていきませんか」
「おい、七海」「アスカは黙ってて」
七海の目は本気だった、アスカは七海がこういう目をした時は刺激せず、やりたいようにさせるのがベストだと心得ていた。
「……分かったよ、口挟まねぇから好きにしろ」
「良いの? 私達を泊めて?」
「はい、ミハルの友人ならわたしの友人でもありますから」
「ふふ、あなた面白い事言うのね、でも本当に良いの?」
「大丈夫です、ミハルちゃんの部屋が空いてます」
七海は即答した。
「どうする、カミラ?」
「……あなた達が良いなら明日泊まっても良いかしら、今日はホテルに帰らないといけないから……それと私はカミラ・リーゼロッテ・フォン・ブルートヴァルト、カミラって呼んで、こっちの金髪は」
「あたしローラ・ルミエール、よろしく〜」
「わ、わたしは玖我七海って言います、でこいつは桜扇アスカ」
「ナナミにアスカ、覚えたわ、じゃあ、また明日」
「はい、お待ちしてます」
颯爽と夜の街へと去っていった二人を見送り、七海はぼそりと呟いた。
「アスカ、わたし恋したかも」
【chapter1】
【邂逅——The Encounter】
【END】
【chapter 2】
【襲撃——The Raid】
一夜が明けてなお、アスカは二人の事が頭から離れずにいた、ミハルの友人だと言う二人の少女、彼女らは一体何者なのだろう。
もしアスカよりもっと観察眼に優れた人物が二人を見たら薔薇のようだと思ったに違いない。月明かりの下に咲く一輪の薔薇、美しい花に見とれて迂闊に手を伸ばすと棘がその手を傷つける、しかしその棘が花の美しさを引き立て人を惹き付けるのだ。
だが、それだけではない、美しい黒髪の少女——カミラは不壊の信念を持った者だけが持ち得る迷いのないまっすぐな澄んだ目をしていた。そしてその目はあの展望台でアスカに夢を語るミハルの目に似ていた。
アスカは思考を巡らす、その耳には街を行き交う無数の人々の喧騒も七海の呼び掛けも届かない。
「アスカー! ちょっと聞いてる? おーい」
「ごめん、聞いてない、何の話だっけ」
はぁ、まったくあんたは……と七海は呆れ果てた口調で呟いてアスカの方へ向き直り。
「さっきからずっと、ぼーっとしてるけど……もしかしてミハルちゃんのこと?」
「いや、ミハルの友人だと言っていたあの二人のことだ」
「……実はわたしもカミラさんのことを考えてたんだ、カミラさんと目が合った瞬間胸がキューンって締め付けられるような気がして、これって恋なのかな?」
「そうか、俺はあの目が怖いよ、全てを見透かされているような気がして」
カミラの恐ろしいほど青く澄んだ双眸、アスカの知るどの女性よりも美しく剣呑だった。だからこそ、アスカの野性の勘が働いたのかも知れない、一方七海は「気にしすぎだって」と笑うだけで、そういった感情を抱いていないように思えた、あるいは恋に落ちた衝撃で霧散してしまったか、どちらにせよ今七海は無防備だ。
「気を付けろよ、七海」
「何に?」
「カミラとか言う奴だ、ブロンドの方はそうでもないが」
「だから気にしすぎ、あんな可愛い子に悪い人はいないよ、可愛いは正義なんだよ」
「100%いないとも言い切れないだろう、あぁ、その続きはルインズでしよう、喉も乾いたし」
——喫茶ルインズ、その名が示す通りこの建物は廃墟だった、それを今のマスターが買い取り喫茶店に改装したのがこの店だ。
アスカがこの店の存在を知ったのは七海がここでバイトを始めた時だった、もう10ヶ月以上経つのだろうか、慣れた様子で七海が店の扉を押し開ける。
「いらっしゃい、おや、七海ちゃん今日は休みのはず……」
「あ、マスター今日は客として……」
「あぁ! そうかそうか客か! あははははは!」
マスターは手を叩いて陽気に笑う、それは40を過ぎた中年男性の笑いではなく、まだあどけなさの残る少年のような、あるいは人生を楽しむ術をよく知る者の笑いだった。
「アスカくん、せっかくだからボクの特製手打ち蕎麦食ってみないか」
「ソバ?」唐突に投げ掛けられたその二文字に軽く混乱した、それはおよそ喫茶店には似つかわしくない食べ物、場違い感が半端無い。
「俺はコーラフロートで」アスカに続けてわたしもそれでと七海が言う、マスターは見るからにがっかりした様子でグラスにコーラを注ぎだした。
コーラフロートを挟んで向かい合い、二人はこの店に訪れた目的、七海の恋愛相談に取り掛かった。
相手が自分のことをどう思っているのかから始まり、途中マスターの蕎麦の話に寄り道し、本格的に恋愛相談をするのは今日カミラに会って、この感情が本当に恋なのかどうかを確かめてから、と言うことで話はまとまった。
「けっこう長居したな」
「そうだね、そろそろ買い出し行かないと、四人分の夕食と朝食作るのアスカも手伝ってよ」
「わかった、わかった、じゃあさっさと行こうか」
割り勘でお代の700円を支払い、店を出ようとした二人にマスターは「近頃物騒な連中が彷徨いているから、日が暮れる前には家に帰っておけよ」と声を掛けた。
アスカ達が喫茶ルインズを出てスーパーマーケットに買い出しに向かう途中のこと、なかなかお目にかかれない光景に出くわした、二十代前半ぐらいのチンピラ風の男が同年代の青年の胸ぐらを掴み脅している、恐喝だ。
しかし人々は一様に見て見ぬふり、青年を助けようとする者はいない、誰もが被害者になることを恐れている、誰もが現実から目を背けている。
青年自身も自力でこの状況を打開しようとしていないように見える、金品が奪い取られるのは時間の問題だろう。
この瞬間、この場所にヒーローはいない。
「七海、お前だけ先に買い物行ってくれ」
「え、でもアスカ……」
「俺は大丈夫だ、心配すんな」
「わかった、怪我しないでよ」
「あぁ、出来る限り期待に応えよう」
何時振りだろう、こんなに心が昂ったのは、アスカの胸の奥に火が灯る、その火は一歩男に近付くたび大きく明るさを増して燃え上がる。
男は青年の胸ぐらを掴んだままアスカを見やり面白いおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせた。
青年は男が腕の力を弱めた隙に走り去っていった、しかし男はもうそんなものに興味はないと言わんばかりにアスカに怒声を浴びせ掛けた。
「桜扇アスカ! ようやく出会えたな、今すぐオレサマと勝負しろよぉ!」
「……」
「おい、しらばっくれるなよ、オレのこと忘れたんじゃねぇだろうな」
男は威圧的な口調でアスカに迫る、だがこの手の人間は基本的に自分より弱そうな人間しか相手にしない、言葉と態度で武装すれば大抵何もせず逃げていくものだ。
「知らないな、人違いじゃないのか」
彼は人なり、我も人なり、我何ぞ彼を畏れんや。アスカは不要な感情を押し殺し、チンピラの目を真っ直ぐ見つめ毅然と言い放った。
「そうか知らねぇか、まぁ俺はどっちでも良いんだ、どうせお前はここで死ぬんだよ」
「借りを返させてもらうぜ——アンファング!」男の呟いた、アスカにとっては聞き慣れないその言葉がトリガーとなって男を異形の怪物へと変貌させる。
男の両腕の筋肉が異様に発達し、皮膚はひび割れまるで溶岩のように赤熱して湯気を立ち上らせている。
「こいつ、人間じゃないのか!?」
瞠若、驚駭、まさに青天の霹靂、そしてアスカは彼我のパワーバランスが大きく崩れたのを感じとった、だがそれがどうした? この程度の修羅場なら何度も潜り抜けて来たではないか、アスカは男を睨みつける。
「来い!」
アスカの一声が開戦の号砲となった。
男は待ってましたとばかりに口元をニヤリと歪ませる、そして地面を強く蹴って跳躍にも似た疾走、生身の人間のスピードを超越した速度で男の剛拳が飛んでくる、ファイティングポーズを取る間もなく胸と背中に強い衝撃。
殴り飛ばされ背後のブロック塀に叩き付けられたのだと理解するには数瞬の時間を要した。 痛みが爆発により生じた爆風の如く全身に広がる、さすがに無傷とはいかないが骨は折れてない内臓も破裂していない、そう判断しブロック塀にもたれかかりながら立ち上がる。
そこに男の拳、速い。だが——
「躱せない速さじゃない——っ」 言葉通りそれを身を屈め相手の足元を転がるようにして躱す。
「——ッ、グアアアアアアアア!!!」
しかし、その回避行動も怪物の前には何の意味も為さない、体勢を立て直す暇も与えず男はアスカの右腕を灼腕で鷲掴みにし凄い力で締め上げる、熱せられた石の車輪に轢かれてるみたいな激痛と熱さにアスカは顔を歪める。
次の瞬間自分の右腕がへし折れる音を聞いた、少し遅れて先程とは比べ物にならない痛みが身体を蹂躙する。
「————!!!!」
叫び声を妨害するかのように腹に拳が打ち込まれた、さらに一発、さらにもう一発。
「クハハハハハハハハハハ」
哄笑と共に男の乱撃がアスカの身体をめちゃめちゃに破壊していく、怪物の驚異的な膂力から放たれる拳は一撃がとてつもなく重く鋭い。身体が爆散したと錯覚するほどの衝撃を伴うそれを都合30発も叩き込まれてなお生きているのは奇跡と言って良いだろう。
そして31発目、アスカの心臓にとどめの一撃が振り下ろされようとしたその時、攻撃の手が止まった、怯えた表情で男は振り返る、視線の先には夜色の長髪を風に靡かせ、断頭台に向かう処刑人のような足取りでこちらに向かう一人の少女の姿があった、夕日を受けて輝く青い瞳は紛れもなく昨日の少女のものだ。
しかし中身はまったくの別物のように思えた、昨日感じた剣呑さを薔薇の美しさを引き立てる緑の棘とするなら、これは刃、研ぎ澄まされた刃に他ならない。
「お前は、ロード・パンデモニウム……」
カミラは魂まで凍り付くような冷たい眼差しを男に向ける。
「私をその名で呼ぶな、真祖(ロード)などと言う忌まわしき名で」
男の顔が青ざめていく、喧嘩慣れしているアスカを一方的に叩きのめすことの出来る怪物が徒手の少女に気圧されているのだ。まるで古代の巨大な石像を前にしたかのような威圧感、この感覚は眼前の男にも似ているがそれとは比べ物にならない、桁違いだ。
一歩、また一歩、カミラが近づく。
男は恐怖で身動きが取れないように見えた。
しかし、男は不敵な笑みを浮かべ、赤熱した拳を地面に叩きつけた。
「焼き尽くせ!!」
叫びと共に地面から炎が吹き上がる、天を衝く炎の柱、それは昨夜アスカの見たものと酷似していた。
一つ、二つ、三つ、上がる火柱、その全てを躱してカミラが迫る。
『邪法・径路切断(イリーガル・シャットオフ)』
閃く銀色、カミラは表情一つ変えず、刀身の中心に楕円の空洞のある奇怪な形の短剣を男の胸に突き刺さした。
傷口から迸ったのは赤い血ではなく、虹色の光、苦痛ではなく驚愕の表情。
炎の柱は消え、男の腕は元の人間の腕に戻った。胸に刺さった短剣を抜こうと柄に手を伸ばした瞬間、男は糸の切れた操り人形のように地面に倒れた、勝敗は誰の目にも明らかだ。
カミラはマネキンのように動かない男の体を道の端に蹴り飛ばし、アスカの元に歩み寄る。
「これからあなたにパスを繋ぐのだけど……ごめんなさい、もう説明している時間がないの」
そう言うとカミラはアスカを抱き起こし、ゆっくりと愛撫するように柔らかなピンク色の舌でアスカの口許の血を舐め取っていった。
頬を紅潮させ、アスカを見つめるその瞳は年相応の少女のものだった、威圧感はもう何処にも無い。
そしてカミラは短剣の鋒を自らの舌先に押し当てる、ピンクが濃い赤へと変わる。
唇と唇が重なる、それはアスカにとって二度目となる血の味のキス。カミラの舌がされるがままのアスカの口内に侵入する、二つの舌が触れ合い絡み合う、広がる鉄の味、脳裏に浮かぶあの夜の光景、ミハルの横顔、向けられた銃口、フラッシュバックする最悪の記憶。
(ミハル!!) アスカは叫んだ、しかし声にならない、アスカの命の炎は、そよ風一つで消えてしまいそうなほど、小さく弱くなっていた。
目を開けているのも辛い、だが今閉じてしまったらもう二度と開く事がないような気がした、でもこんなに綺麗な少女の腕に抱かれて死.ねるなら、それも悪くはないと思った、きっとミハルも同じ気持ちだったのだろう。
「さぁ、帰りましょう、あなたを待っている人の所へ」
カミラはアスカを抱きかかえて、もうすぐ夕焼け色に染まる道を歩き始めた。
【chapter 2】
【襲撃——The Raid】
【END】
【chapter 3】
【休息――Vorkriegszeit】
薄暗い室内、時計の針が16時を指し示す頃、アスカは右腕の痛みで目を覚ました、最悪の目覚めだ。
「痛てぇ〜、くそ最悪だ……あれ?」
動かない、右腕が動かない。他の部位は痛みこそあるが動かせない訳ではない、だが右腕だけはそこだけ自分の身体ではないみたいにピクリとも動かない、これはまずいな。
喧嘩慣れしているアスカでさえこれほどの怪我は初めてだった。
「怪物か」
アスカは動かない右腕をさすり呟いた、そうあれは怪物、人間の勝てる相手ではない、生きて帰れただけでも僥幸だ。
もしあの時男が炎の力を使ったら、もしカミラが来なかったら、一昨日の哀れな犠牲者のように焼け死んでいたかも知れない。
あの時、アスカは恐怖を感じた、あの男が恐ろしかった、だがそれよりも恐ろしいのはあの二人だ。
カミラはあの怪物を簡単に退けた、ローラとか言う金髪も同等の力を持っていると思った方が良いだろう、彼女らが七海に危害を加える前にどうにかしないと、何かあってからでは遅いんだ。
「七海、ちょっと来い!」
可能な限り声を張り上げ、七海を呼ぶ。
「はーい、今行くよ」
声から少し遅れて下の階から足音が響く、足音の主はドンドンドンと小気味良いリズムで階段を上ってくる、そしてドアが開く。
「やっと目が覚めたの、あんた24時間近く眠ったままだったんだからね? カミラちゃんとローラちゃんがボロボロのあんたを運んできた時は本当に死んじゃうかと思ったんだから、葬式するお金なんかないんだから勝手に死なないでよ、というか一体どんな喧嘩をすればこんな大怪我になるのよ、まったく介抱する方の身にもなってよ、このバカ」
七海は発言の隙を与えぬ言葉の機銃掃射をアスカに浴びせかける。
だが、玖我七海という生き物は不安だったり心配なことがあったりすると口数が多くなる、とにかく喋りまくることで不安を紛らわそうとしているのだ。
「で、調子はどう?」
「右腕が動かん、全身痛い」
「ちょっと、そんなにひどい怪我なの? カミラちゃんは見た目ほどひどい怪我じゃないから病院に連れていく必要は無いって言ってたけど」
「その言葉を真に受けたのか!?」
「うん」
うん、じゃねーよバカ。
「ねぇ、アスカ、勝虎は今どこで何してると思う?」
「どうした唐突に」
「もしあの時、勝虎がいたらアスカはこんな怪我しなくて済んだのかなって」
「さぁな、あいつが居ようと居まいとこうなる運命なのかも知れないぞ」
そう、ちょっと喧嘩の強い奴が居たところでこの運命は変えられない、あんな怪物にステゴロを挑んで勝てる人間なんていない、それはアスカ自身が一番よく理解している。
もし、あの時勝虎がいたら、きっと二人とも……
ダメだ考えるな、アスカは首は大きく振って、嫌な考えを振り払った。
「七海」
「ん、何?」
「腹減ったからテリヤキバーガーとポテトのLを買ってきてくれ、ドリンクは何でもいい」
アスカは言って、七海に視線を向ける。
七海は意地悪げな微笑を頬に浮かべて言った。
「……それだけ食欲があるなら大丈夫だね、ちょっと安心、でも今日ピザだから、テリヤキはまた今度ね」
七海は部屋を出ようとする、
「あ、ピザのサイズはLで良いよね?」
「好きにしろ……」
アスカは力なく呟いて枕に頭を乗せた。
それから1時間後、ピザ屋のバイクが家の前に止まった。
アスカの意向を汲んでかサイドメニューのポテトが注文されていた。
キャラクターは良いんだがストーリーが問題だな、もう少し伝奇要素を入れるべきだったか。
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