prologue
あたしは、卒業したあの日から、
一歩も前に進めていない。
桜が満開の日の
あの日から―。
「初めての殺意」琥珀side
―キキーっ!
トラックが急ブレーキをかける音と一緒に聞こえてくるのは、何かがぶつかったような鈍い音。
反射的に閉じていた眼をゆっくりとあけると、最初に視界に入ってきたのは男の子から流れ出る鮮血。
そして、擦りむいた膝と肘、頬の痛みからわかったのは、誰かがあたしを助けてくれたこと。
そして、その男の子は―……。
「……く、琥珀っ!」
ぱちりと目を開ける。
すると、そこには心配そうな顔をした姉のゆり子があたしの顔を見つめていた。
「あ……お姉ちゃん……」
あたしがおはようと言うと、お姉ちゃんはそれには答えずに、髪を撫でてくれる。
「琥珀……どうしたの?泣いてるよ?」
何だか眼元がひりひりすると思ったら、涙が乾いてたのか……。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
お姉ちゃんに心配かけたいようにしないと。
あたしはこわばっている頬を無理に動かして笑顔を作った。
「平気よ。それよりもお腹すいたー」
本当は全然食べたくないんだけど……。
それでも何とか話題をそらさなければ、お姉ちゃんはごまかせない。
あたしは別に食べたくもない食パンを食べて、いつも通り学校に向かった。
あたしの名前は井上琥珀。
今日から高校2年生になる。
桜の木の下を軽い足取りで歩いていると、後ろから肩をたたかれる。
振り返らなくても、誰だかすぐにわかる。
「おはよ、瑛人」
あたしが顔を見ずにそう言ったためか、瑛人の驚いた声が聞こえてくる。
「うわっ、お前、エスパーかよ?」
「あんたの気配くらい、すぐにわかるっつーの!」
言い返しながら、あたしは瑛人と一緒に歩く。
瑛人とは生まれた時から一緒で、家もお隣。
世間でいう、幼馴染ってやつだ。
「なぁ、琥珀。俺の足の速さを見たいだろ?」
そう言いながら足を動かす瑛人を見て、あたしは冷たく言い返す。
「別に」
「うわぁ……冷徹女だ……」
「うっさいっ!」
あたしの攻撃をかわして瑛人は少し駆け足になる。
瑛人を追いかけると、あたしは足を止めた。
……まさか。
瑛人はあたしの足音が止まったことに気付いたのか、ゆっくりと振り返る。
……いや、そんなはずはない。だって、だってあいつは。
「琥珀?」
瑛人は……違う。瑛人は瑛人。
でも……もしもそうだったら―……。
「琥珀っ!」
パンッと目の前で手をたたかれ、あたしはハッと顔を上げた。
瑛人が心配そうな顔をしている。
お姉ちゃんと、同じ顔……。
「あ……何でもないよ。行こ?」
あたしは、少し早足になる。
あたし……何やってんだろ。
お姉ちゃんだけじゃなく、瑛人まで困らせるなんて。
でも、さっきは本当に、あいつが……。
いや、きっと違う。絶対にありえない。
あたしは、ゆっくりと顔を上げた。
桜の花びらが舞っている。
ねぇ、雄太……。
あたしは、とうとうあなたよりも大人になってしまいました。
大勢の人でにぎわっている玄関へと近づく。
そこには、クラス分けの紙が貼ってあった。
「えーっと……あたしは……」
2年B組か。
「琥珀!」
またまた肩をたたかれ、あたしは振り返った。
すると、そこにはにっこりと可愛らしい笑顔を浮かべている女の子の姿が。
彼女の名前は、荒木あかね。
ポニーテールの髪型をした、可愛い女の子だ。
ちなみに、彼女も幼馴染。
幼稚園の頃から、ずっと一緒。
「あかね、おはよう!」
「うん、おっはぁ」
ほわんとした声で返事をしながら、あかねは早速自分のクラスを探し始める。
「あぁ!ねーねー、あかねたちみんな同じクラスだよぉ?」
「マジか!」
「マジで!」
あたしと瑛人の声がぴったりと重なる。
あたしたちは顔を見合わせて笑った。
雄太……あたしは、この先もずっと幸せになりません。
それが、あたしがあなたにできる唯一の償いだから―……。
入学式が終わり、一週間もすれば、みんなだんだん落ち着いてくる。
あたしは、B組の教室であかねとおしゃべりをしていた。
ちなみに瑛人は陸上部の朝練中だ。
「あ、そぉいえばぁ、今日ぉ、転校生が来るらしいよぉ」
「へぇ。男?女?」
「男子らしいよぉ?しかも、すっごいイケメンだって」
イケメンかぁ……。
あたしは今までイケメンというものにあったことがない。
瑛人は結構モテるらしいけれど、あたし的にはイケメンとは思わないし。
「……ねぇ、琥珀」
「ん?」
不意に、あかねの口調が変わる。
あかねが語尾を伸ばさないでしゃべるときは、授業中と、真剣な話をするときだけだ。
「大丈夫?」
「え?」
「まだ……忘れられない?」
その言葉に、1年前のあの光景が脳裏にフラッシュバックしてくる。
「……ごめん。まだ無理」
「……そっか」
短い沈黙が訪れる。
「夢とか、見るの?」
「まぁ、たまに」
たまにじゃない。
本当は毎日見ている。
でも、あたしの過去は、あたしだけで背負わなくちゃいけない。
あかねには、関係ないんだ。
「そう」
それだけで、あかねは何も言わなかった。
ごめんね……あかね。
雄太……あたしは、どうすればいいと思う?
幸せになっちゃいけない。でも、みんなに心配はかけたくない。
もしも、あなたの事を忘れたりしたら、そのとき、あたしは―……。