私のじいちゃんを、唐突に思いだした。
まだ命日でもないのに、思いだした。
だから淡々とひとりで語らせてもらおうと思う。
また抱きしめて欲しい
17:匿名:2015/11/02(月) 01:05会いたい
18:匿名:2015/11/02(月) 01:05謝りたい
19:匿名:2015/11/02(月) 01:06ありがとうっていいたい
20:匿名:2015/11/02(月) 01:06ほんとうにすきだった。大好きだった
21:匿名:2015/11/02(月) 01:06あいたい
22:匿名:2015/11/02(月) 01:06あいたいよ
23:匿名:2015/11/02(月) 01:06じいちゃんってよびたい
24:匿名:2015/11/02(月) 01:07もういっしょうあえないなんていやだ
25:匿名:2015/11/02(月) 01:07なんでまだ忘れられないの
26:匿名:2015/11/02(月) 01:07忘れたくない
27:匿名:2015/11/02(月) 01:07ずっと一緒にいたかった
28:匿名:2015/11/02(月) 01:08焼酎のおつまみを作ってあげたかった
29:匿名:2015/11/02(月) 01:08成人式見るって言ってたのに
30:匿名:2015/11/02(月) 01:08ずっと一緒にいたかった
31:匿名:2015/11/02(月) 07:43 俺氏、期待して開いたのにストーリー性皆無で不満顔
これただジッジが亡くなっただけやんけ
ちなみに享年は?
ストーリー性皆無ですまんかったな!
ちょっと荒ぶってた。このスレを消し去りたいくらい、今恥ずかしい。
死んだのは、64歳の冬でした。
冷静にストーリー性があるのを書こう。
ってかストーリー性ってなんやねん!!私の人生はそんなドラマチックじゃないぞ!!
じいちゃんがどれほどいいじいちゃんだったか、思いしってくれたら嬉しい。
とりあえず、私。
ガキであり、今年受験生の中学三年生、性別はメス。
私が住んでいるのは、G県としましょう。特に県は出てこないんですけどね。
私が、三歳だった時、両親が離婚した。
くっきりと覚えているのは、母が父に叩かれる瞬間、そして私が父に「大嫌い」と言ったことくらいです。
兄もいたけれど、兄との記憶はあまりなく、今は顔も覚えていません。兄は、父に引き取られました。
私が三歳の時住んでいたのは、A県。G県のすぐ近くでした。
父の実家がA県で、そちら側で暮らしていたんですが、私と母は離婚後にじいちゃんの待つG県の実家へ。
きっと母は、頼みこんで住まわせてもらったんだと思う。幼かった私は、何もわからない。
けれど、駅のホームで手を振るじっちゃんの姿は、何故だか覚えている。
じいちゃんは、私を沢山可愛がってくれた。昨日荒ぶってた時も言ったように、いつも笑っていた。
もしかしたら、怒られた事もあるかもしれないけど、それはあんまり覚えていない。
母が小さい頃なんて、じいちゃんは食べかけを食べてくれた事なんてなかったという。
私はよく、「お腹いっぱい」といってじいちゃんに食べてもらっていたから、それを聞いた時はびっくりした。
何せ、じいちゃんが食べていたものを食べさせてもらった事もないと言うのだから。
じいちゃんはよく、居間で肉を焼いていた。
焼酎を嬉しそうに飲みながら、もう還暦も過ぎているのに焼肉を食っていた。しかも朝から。
私が起きると、「食べるか」とものすごい笑顔で言ってた。
小さい頃の私は「うん」と言って、嬉しそうに食べていたけれど、大きくなって、何故かじいちゃんの焼く肉を素直に受け取らなくなった。
「いらない」というと、じいちゃんは「なんでや、くえくえ」と言った。うっとおしかった。うるさいな、と思った。
それが伝わっているかのように悲しそうな顔をするじいちゃんを見て、私はいつも最後には「食べる」と言っていた。
なんだかんだ言って、じいちゃんが焼いている、安いステーキ肉が、大好きだった。
私が小学5年生ごろになると、じいちゃんはよく私にこう言った。
「じいちゃんが年寄りになって、なんにもできんくなったら、おつまみ作ってな」とか、そんな感じの言葉。
私はいつも、「いいよ」と言っていたけれど、結局一回も作ってあげたことなんてなかった。
一回くらい、私はじいちゃんにおつまみを作ってあげたかった。
その他にも、私によく言う言葉があった。
それは、「成人式」。「○○が成人式にいくぐらいまで、じいちゃん生きてられるかな」なんて言いながら笑っていたじいちゃん。
そんなじいちゃんに、私は「絶対見れるよ、じいちゃん100歳まで生きそう」なんて言っていた。
本当に、そんな気がしていた。
じいちゃんが居なくなる、なんて考えを、した事もなかった。
読んでて凄いボロボロ泣いてた俺氏ww
39:匿名:2015/11/02(月) 18:11 中学一年生、6月頃だった。
私は学校に行かなくなった。理由なんてないのに、だんだんだんだん、引きづられるように行けなくなっていった。
そんな私を心配して、母は厳しくなった。でも、じいちゃんは相変わらず、優しいままだった。
たまに言われた、「学校行け、いかなお前が辛いんやぞ」という言葉。
私はそれを聞きながら、鬱陶しいと思った。うざいとも思っていたし、お前に何が分かるんや、とも思っていた。
でも、それはその通りで、私はじいちゃんの言う事を聞いておけばよかった、と今でも思う。
そう言えば、じいちゃんの口癖に「いつか「あー、じいちゃんのいうこときいておけばよかったー!」ってなるぞ」ってのもあった。
私が学校に行かない状況で、ひいばあちゃんのボケが始まったのは11月頃。
私を、泥棒扱いして、昼夜問わず喚き散らした。
自分で隠した財布を、見つけられずに私が盗んだと言って、深夜に近くに住む親せきを呼び出すことまでした。
私は疑われるたび泣いた。そりゃあ悲しいよ。12年も一緒に住んでいたのに、そんなこと言われて。
親戚も「やってないんやろ?」と言っていた。
けれど、私は知っていた。その言葉の裏で、少し半信半疑な気持ちを持っている事。
ほんの少しでも、私を疑っている事が、全部分かった。
でも、母とじいちゃんは違った。
母は「お前が学校行かずに家におるでそんなこといわれるんや」ときついことを言いながらも、ひいばあちゃんが私を疑う度に怒ってくれた。
じいちゃんは、「家族を疑うなんて、本当にボケた」と言っていた。
これっぽっちも、私を疑ってなんて居なくて、私はまた泣いた。
>>38私も書きながら思い出しボロボロしてた。
42:匿名:2015/11/02(月) 18:22 そんな事があったから、母は家を出る決意をした。
家賃が3万円くらいのアパートに、引っ越すことになった。
そのころひいばあちゃんは、近くに住む親せきの家に引き取られる?様な形で、お泊まりをしていた。
だから、必然的にじいちゃんは一人ぼっちだった。
引っ越しの準備をしている私に「引っ越さんでもいいのに」と言ったり。やっぱり、寂しいんだろうな、と思った。
でもやっぱり、相変わらず笑顔で肉を焼いているじいちゃんは、私に「食べるか?」と聞いた。
私は久しぶりに、「うん」と素直に肉を食べた。渡してくれたお肉が生焼けだった事は、言わずに飲み込んだ。
引越しの当日、親戚がトラックを出してくれて、3階までの運び入れが始まった。
じいちゃんはその日、一度も笑わなかったような気がする。
じいちゃんは引っ越す前、よく私にこう言っていた。
「孤独死してないか見に来いよ」と。私は笑いながら、「毎週泊まりにくるよ」と言った。
その日と、次の日は、じいちゃんの家に泊まった。生活用品が、一つもなかったから。
でも、三日目。私と母は、「疲れた」「めんどくさい」という理由で、じいちゃんの家には帰らなかった。
その日、じいちゃんはどんな気持ちだったんだろう。
そう思ったら、あの日めんどくさがった自分を殺したい。そして、私はじいちゃんに謝りたい。
一人にしてごめんね、って言いたい。
でも、それはもう叶わない。
その日の朝だった。
玄関を開けて、私の部屋に一直線で来た母の口から、告げられた。
「じいちゃんが死んだ」と。
意味が分からなかったし、最初は悪い冗談だと思った。
何言ってんだこいつ、と思ったし、もしかしたら母もぼけたかもしれない、とも思った。
でも、泣きそうな母の声と、顔が、現実味を帯びていた。
「人って、こんなにもあっけないんやね」そう言った母の言葉を聞いていても、まだ私は信じる事が出来なかった。
じいちゃんの家の門の前に、親戚の車が二台止まっていた。
そこで、私は現実だ、と思った。
以前、一度だけ感じた事のある、重い空気。それは、人が死んだときの、変に緊張巻のある空気だった。
どうしても、家に入ることができずに、下を向いていると、親戚が声をかけてくれた。
「入りや」 たったそれだけなのに、少し心にしみた。
家に入って、体操座りをして、ずっと縮こまっていた。それだけで。10分ぐらい。
誰もテレビをつけようとせず、静かな雰囲気だけが漂っていた。
まだ頭が混乱していて、本当の事なのか、夢じゃないのかなんて考えている私の頭を、叔父が撫でた時、涙が溢れだした。
安心、というか、悲しさというか。そのふたつが、合わさった感じ。
正直に言うと、まだ現実なのかわからない。
じいちゃんが居ない、死んだ事は分かっているのに、ま台着ているような感じがする。
ちょっと泣いちゃったんだけど
どうしてくれるんだ
>>46じいちゃんは本当にすげー人だったと思うよ
48:匿名:2015/11/02(月) 21:38 それから通夜までは、本当に一瞬だった。
じいちゃんの体を、業者の人が洗う時が来て、それまでお腹の上で組ませられていた手が、ほどかれたんだ。
普通、握っていたものを放したら、そのままの形で残るわけがないのに、じいちゃんの指は、組んだままの形で、動かなかった。
ぴくりとも動かない指と、お湯をかけてるのに目を覚まさないじいちゃんに、私はまた泣いた。
親戚が通夜の会場に来て、棺桶の中のじいちゃんを見たとき、「なにしとるんや、あんちゃん」って言ってた。
その日の通夜は、本当にあっという間だった気がする。
坊さんがお経を読んでるとき、なんか色々考えちゃうんだよ。私。他の人もかな?
「もう会えないんだなー」とか、「大好きだったな〜」とか。
そんなこと考えてたら、また涙が決壊した。頭も痛くて、その日は風邪かと思っていたけど、今考えたら、じいちゃんが死んだショックでなってたんだと思う。精神的な物だったのかな。
むかしっからずっと一緒で、家によく遊びに来ていた近所の幼馴染も来てくれた。
お焼香をするとき、一瞬顔をくしゃっとさせて、泣きそうになってたのが印象深いかな。
いい話過ぎるんだが
51:匿名:2015/11/02(月) 21:46 通夜が終わった後で、私は家に帰ることになった。
けれどアパートじゃなくて、じいちゃんの家に帰りたいって言った。
そこにじいちゃんが居ないのは分かっていたのに、家に帰ったらまた「おかえり」って言ってくれるような気も、してた。
帰り際、私は泣きながらじいちゃんの着ていたジャンパーを貰った。
じいちゃんが死ぬ時に来ていた服、それはじいちゃんの匂いがした。
家に着いて、一人シンとした空気に包まれた瞬間、私は声を上げた。
「うああああああああああああああああ」みたいな感じだったと思う。人生初、発狂。
叫ぼうとしてるんじゃないのに、何故か大声が出た。
大声で、私は泣いて、そして、大声で、謝った。
「ごめんなさい、じいちゃんごめんなさい、ごめんね」みたいな感じ。
じいちゃんの匂いがするジャンパー抱き閉めて、目が腫れるまで、喉がかれるまで泣いた。
でも少し冷静な部分もあって、「明日は葬式があるから、お風呂は入らなきゃ」って思って、入った。
玄関の近く、じいちゃんの部屋の近くの風呂場は、誰かが帰ってきたらすぐ分かるんだ。
私がお風呂に入っていたら、じいちゃんはいつもドアをあけずに「ただいま、○○か?」って言っていた。
だから、その日はドアを閉めずにお風呂に入った。
じいちゃんの幽霊がー、とか親戚に言われてたけど、そーゆーのは全然怖くなくて、むしろ、会いたいとさえ思った。
お化けは怖いけれど、じいちゃんなら。あの声なら、もう一回聞きたいって思った。
でも、やっぱり誰も帰ってこない。
一人で、「おかえりい、じいちゃん」とか言って、なんかまた悲しくなって、私は泣いた。
お風呂から上がっても、涙は止まんなくて、じいちゃんが大好きだった焼酎を仏壇に供えたりしてた。
まだじいちゃんが仏壇に居ない事は分かっているけれど、それでも、置いた。
私が誕生日に買ってあげた、「ナポレオン」っていう焼酎。
それをあげたとき、すっごい喜んでくれたじいちゃんを思い浮かべながら、氷もいっぱい入れて、置いた。
>>50
じいちゃんの良さが伝わっていくぜ
気付いたら朝で、泣きはらしたためか目が全然あかなかった。
じいちゃんのジャンパーを着て、ぶっかぶかの格好で、迎えにきた叔父の車に乗って式場に向かった。
親戚は私を見て、「じいちゃんのジャンパーか」と言った。私は、「うん」って答える事しかできなかったけれど。
葬式は、変わらず。私おおなきで、最後のお別れのときは、母も泣いていた。というか、全員泣いていた。
それほど、皆から慕われていたんだと思う。
お花で埋め尽くされた棺桶の中で眠るじいちゃんは、やっぱり目を覚まさない。
母が私に「最後にじいちゃん触っとき」と言った。私は、おでこをほんのすこし、指先で触る事しか出来なかった。
冷たいじいちゃんに触れるのが、嫌だった。
そのあとは、淡々としてた。
霊柩車で運ばれて、じいちゃんは骨になった。
また泣いちゃうかもな、って思っていたけれど、意外にも泣かなかった。
骨だけになったじいちゃんは、もう、じいちゃんに見えなかった。
「ああ、今の子ってるじいちゃんは、写真しかないのか」って思った。
じいちゃんの骨が上部すぎて、お骨を入れる骨壺に入れるために砕くとき、なかなか砕けなかった。
骨って、悪い所が緑色になるらしいんだけど、じいちゃんの骨は、真白だった。
なんで死んだんだよ、って感じ。
ちなみにじいちゃんの死因は、心臓の近くの血管?が破裂しちゃった、ってのが原因らしい。
病名は聞いたけど、私は忘れてしまった。
死んだのは、いつも朝立ち寄ると言っていた、コンビニだった。
それでじいちゃんの葬儀は終わり。
でもやっぱ、まだ現実感なくて、居る様な気もしてて、ずっとじいちゃんを待ってたと思う。
皆の夢の中には出ているのに、私の夢には、一度も出ない事が、不満だった。
そのころ、私がちょっと危険な事になる。
ぬいぐるみにじいちゃんの名前を付け、ずっと一緒にいた。
居なくなったじいちゃんの変わりが、そのぬいぐるみだったのかもしれない。
その頃の私は、学校の相談室に行くようになっていた。全くの頃より、少し進歩。
そのことを伝えられず、じいちゃんは死んでしまったけれど。
ぬいぐるみが居なくなるのが不安で、私は学校にまで持っていっていた。鞄の中だけど。
今考えたら、やっぱちょっとおかしい。
じいちゃんが死んでから、何ヶ月も夜泣き続けた。
いつまで!?って感じだけど、まだ引きずってると思う。
49日、100日のどっちか。それか、どっちも。じいちゃんが夢に出てきた。
最初の夢は、多分そのまま。じいちゃんが生きてるって設定の夢だった。
本当に普通の、前の生活見たいな夢。私の名前を呼んでくれるじいちゃんと、じいちゃんの匂いもしたと思う。
でもその夢は、最終的に怖い展開になる。
じいちゃんが「○○も一緒に来るか?」みたいなこと言う。そこで夢は終わります。
きっと、私は「うん」って答えるんだろうなって思った。
2回目?かな。その時の夢は、じいちゃんが私を慰めてくれる夢。
「じいちゃんが死んだのは、●●のせいじゃないよ」って言ってくれる夢。
「大好き」とか、言ってくれる、都合のいい夢だった。
儂は孫がほしいのぅ
59:匿名:2015/11/02(月) 22:11 その夢を見て、飛び起きた。
時計は夜の10時30分くらいだったと思う。
涙がボロボロ流れて、私は思わず母に電話した。途切れ途切れの言葉で、「じい、ちゃんが…夢に」みたいなこと言ったと思う。
私を慰める母の声が、いつもとうってかわって優しい声で、私はもっと泣いた。
じいちゃんの夢を見たのは、それが最後だった。あれから、まだ私は一度も見ていない。
>>58私はじいちゃんが生き返ってほしいっす
61:匿名:2015/11/02(月) 22:14 >>60
あなたみたいに思わるお爺ちゃんになりたかったが、息子もいないもんでのぅ
もう語りつくしたと思う。ストーリー性もくそもないけれど、思い出せて良かった。
あの頃の情緒不安定さは、やばかったと思う。
ふっつう泣かない曲のたったいちぶんの、「ずっと一緒に居たかった」だけで泣いたわ。一夜泣いたわ。
乙女ゲームの「もっと見守って居たかった」でも泣いたわ。一夜泣いたわ。
成人式、見たいって言ってたから、もし成人したら見せに行こうと思います。
ちなみに>>1は、今はもう学校行けてます。もっと早く行けてれば、もっと良かったけどね。
本当にじいちゃんが好きだった孫の話でした。終わり!!
お前らもじいちゃんとかばあちゃん大切にしろよ!!!
>>61
そりゃ孫は駄目ですわじいちゃん、愛する人から見つけなされ
>>63
もう儂を相手してくれる人はいないのかもしれん
応援ありがたや
いいなあ
うちの一族はクソばっかだから