【メルヴァレ 桃を食す!】
「ヴァレちゃん、桃は好き?」
そう言って笑ったあの子は、甘い香りを漂わせていた。
「ん〜っ!あまぁい!」
なめらかな舌触り。舌先で蕩ける甘い果実。うっすらとピンク色に染まっているそれ__桃のひとかけらを口にして、猫なで声でそう感嘆の声をあげた。…先程話しかけてきた時に甘い香りがしたのはそれのせいだったようで、部屋中に甘い香りが充満していく。それが少し鼻について、手で口元を覆った。ちらり、それを見たあの子がこちらを見た。けれどまた果実に手を伸ばしては口いっぱいに頬張っていく。素手で食べているところに少しだけ引いてしまったのだけれど、彼女が言うには「どうせ汚れちゃうじゃない?なら最初から汚しちゃえばいいのよ!」なんて、よく分からない理論を言っていたっけ。あんまり興味が無いものだから覚えていない。
そんなわたくしはというと、まだ手をつけられずにいた。別に桃が嫌いでもお腹がいっぱいというわけでもないのだけど、なんだか、気分が乗らない。まあ、食べろと強制されているわけじゃないから食べなかったらいい話なのだけど。それでも、やはり目の前で食べている姿を見れば少しは意欲を持つ。何度か食べようと手を伸ばそうとしたけれど、手は動いてくれなくて。ならもういいやって、なってしまうでしょう?そんな感じで暫く彼女が食べているのを見つめていたの。
「ヴァレちゃんはいらないの?」
流石に気を利かせたのだろう、素早く桃に伸びていた手の動きが止まって、まあるいくりくりした瞳がわたくしを見つめた。いらないと言えば嘘になるけど、やっぱりわたしは素直に言えなくて。
「…ええ、わたくしは良いからお食べなさい」
「ふぅん…ほんとにいいの?」
じい、と見つめたままどこか不機嫌そうに細めた瞳がらんと光った。わたしの思いを見透かしているようで、思わずぷちりと視線を離した。それが答えだと思ったのか、ふいと顔を背けた彼女は先程のようにまた桃へと手を伸ばした。
あっという間にみるみる減っていく果実。ああ、やっぱりひとつくらい食べるといえば良かったのかも。主様はまた買ってくださるかしら。なんて考えつつ、いつの間にか最後になっていたひとつがあの子の口に吸い込まれるのを目にした。そうしたら、やっぱり、なんてしょうもない後悔がちびちびと溢れ出してきて。それを隠すように前へと目を向けて、皮をむいたままの皿に気付けばそれを手に取った。
「わたくしはお皿を洗ってくるから、その内に手を___…っ」
かたんと席を立つ。水気を多く含んだ甘い皮とピンク色の身が残ったたねを落とさないように、そっと皿を持ち上げた。そしてちらりと視線をあの子に向けて、べとべとになっている手を見てそう声をかけた。
そうしたら、あの子はいきなり立ち上がって、席に乗りあげた。手は汚れているからか、わたくしの首に腕を絡ませて、そのまま。その一部始終を見てしまい、わたしは呆気に取られて何も言えずに立ちすくむ。
「あなたの口、とってもあまいのね」
わたしを見下ろして、どこか優美に微笑む彼女。ぺろりと唇を舐めては、まばたきをふたつ。それと同じようにわたくしはまばたきをみっつ繰り返して、え、とらしくない声を漏らす。それからぽやん、と頬を赤くして。
「あはは、桃みたい。かわいい」
そう告げた彼女は、甘ったるい香りを放つ指を舐めた。そのあとすぐにぴょんと席から降りて、洗面台へと向かっていく。次に角を曲がって見えなくなるとき、ふと彼女はこちらを向いて、べ、と赤い舌を見せた。それはもう意地悪な甘い顔で。
へにゃへにゃと椅子に座り込んでしまう中、甘い熱だけが唇に鮮明に残っていた。
メルヴァレ小説、あめだまさまからお題もらいました( ぶい )