しゅしゅたん、少しいいですか?
去年の秋、母方の曾お婆ちゃんが亡くなりました。
曾お婆ちゃんとは大きな思い出は無かったんだけど、私は曾お婆ちゃんのことが好きでした。
だからお葬式でも涙が止まらなかった。
曾お婆ちゃんが亡くなってから、死ぬのが怖いって思うようになったんです。
何時も私のことを心配してくれているお爺ちゃんもお婆ちゃんも、ずっと一緒にいるお父さんお母さん、弟、そして自分も何時かは死んでしまうんだ、って考えると怖くなります。
病に倒れて死んでしまったら、街を歩いている時にナイフなんかで刺されたり銃で撃たれたりしたら。
もともと不登校だということもあって、外に出るのも怖いんです。最近は全く外に出ていません。
馬鹿な考えだってことは分かっています。
しゅしゅたんはクリスチャンだからやっぱり死を恐れたりすることは無いんですか?
拙い文章でごめんなさい。
お気持ちよくわかります。身近な親族の死をひとたび体験すると、突然死のリアルさを実感するものですよね。
確かに僕はクリスチャンではありますが、実は死を恐れていないわけではありません。むしろ死ぬことを恐れるあまりにクリスチャンとなったのです。
僕は祖父を亡くしたとき自殺思想に染まりました。なぜあんなに素晴らしい人が亡くなってしまうのか、なぜ死んだのが自分ではないのか、あの人がいなくなった世界で生き続けることなど生き地獄に等しいと、そう考えていました。しかし僕は死ぬことはできませんでした。それは覚悟がなかったから、そして環境が許さなかったからです。独り息子で親族の中でも最も学歴において優秀だった僕は、祖父に「みんなを支えろ」と直接言われていました。僕よりも年上の叔父や叔母や母、従兄たちを任せるという言葉でした。しかし、頭では死にたくないと考えながらも体と心がどんどん崩壊していったので、最後の切り札としてキリスト教信仰の道を選びました。
キリスト教では自殺者は地獄におちます。というのも、自分の命は神様が与えてくださった物であり神様の物なので、勝手に死ぬのは神様を裏切ることになるからです。僕の自殺思想徐々におさまりました。
ただ、半年以上は不安が胸を渦巻き続けました。祖父の次に愛しているのが母でしたので、自分が学校に行って家にいない間に母になにかあったらどうしようとか、もし母まで亡くしたら今度こそ生き続けることは無理だとか、毎日が不安でたまらなかったです。2週間ほど学校をサボって母の傍に居続けたこともありました。
自分が死ぬことに関しては特に考えていません。もし今この瞬間に僕が死んでも、それは神様の決めたことなので身を任せようと思います。母を一人残して逝くことは忍びないけれど。
参考になればと思い自分の体験をほとんど書きました。
ひとつだけ言えることは、今のあなたは死をとんでもなく恐れていると思いますが、ある日急に死の恐怖を乗り越えるときが来ます。誰しもが死を迎えます。今のあなたより年上の人や年下の人も、いつかは生きている人には想像のできない死の瞬間を経験しなければいけません。どうせやってくるものだから恐れるのではなく、むしろいかにして「死の瞬間」を気持ちよく迎えるかを考えるのも良いと思います。よく言われる「今日が人生で最後の日だと思って生きる」という考え方です。
死が怖いのは当たり前です。それを受け入れられるようになることが大人になった証でもあります。今のご自分の「恐怖」を大事にしながら、どうぞ健やかに成長していってください。ちょっとずつ外に出て社会に触れてみることも、気が向いたときに試してみてください。太陽の光にあたるとポカポカしてとても気持ちいいですよ。