人はどんな時に死ぬと思いますか?
「忘れられた時が本当の死だ」と良く聞きますけど、しゅしゅたんさんの考えを教えて頂きたい。よろしく、どうぞ。
うーん、難しい質問でしゅね(^q^)
以前にも似た質問に答えた気がしますが、今の考えで回答します(^q^)
「人に忘れられた時が死」とは僕も聞いたことがあります。でも、その死の定義はすべての人に当てはまらないと思います。例えば、栄誉を極めて教科書に載るような偉業を成し遂げ、自分の名声に誇りを持ち生きがいとする人にとっては、誰からも忘れられた時が本当の意味での死になるのかもしれません。しかし一方で、人付き合いが嫌で人と関わることを嫌い、山奥でひっそりと暮らすような人からすれば、自分の名が世間に残れば残るほど酷なように感じるかもしれません。「悪名高い」という言葉があるように、良い事だけが伝わる訳ではないのです。
一人ひとりにとっての死が何か、と問われれば、今の僕なら「目的が無くなった状態」と答えます。
「ご飯を食べる」「歩く」「爪を切る」のような些細なことでも、それをやろうとする限りは生きる根気はあるのだと思います。また、よく「なにもする気が起こらない」と悩む人がいますが、悩んでいる限りは「何かやりたいことを探したい」という目的を模索しているので、結局は行動しています。
しかし、うつ病にかかり、もはや息をすることすら苦痛な方がいます。完全に生存意欲を失い、やがて自殺という結論に至ります。生きていても死んでいる状態と変わらないからです。精神が先に死んでしまうと、やがて肉体も朽ちていきます(食事を拒んだり睡眠欲を失ったり)。でも肉体に致命的なダメージがあっても、生への執念で奇跡的に復活することは多々あります。よって僕は「精神的な死こそ本当の死」だと考えます。また、陽炎さんがおっしゃる「忘れられた時が死」というのは精神の死についてでしたので、僕も脳死等ではなく精神論でお返事させて頂きました。
死というテーマは永遠に人間を惑わせ続ける課題でしゅね(^q^)
以上が僕の考えでしゅた(^q^)
>>648
緑と白、アップルパイ、キリスト教関係の飾り物、ユニクロでマネキンが着ているセット、地球儀や栞やブックカバー、山
でしゅ(^q^)
>>649
違いましゅ(^q^)