「どうかその日まで」
※SF?です。
絶対的要塞と化したその奥に、人々が喉から手が出るほど欲しがる「それ」は静かに佇んでいた。
今年も春が来た。この時期になると、僕は二つのことを思い出す。一つは、僕がまだ歩くこともできず、意思や感情というものも存在しない程に幼い頃、博士と一緒に桜を見た時のことだ。
確かあの時僕はベビーカーなんかには乗れそうにもなかったからって車椅子に乗せられたんだっけ。車椅子も博士のお手製のものだったが、その時は電動車椅子なんてのもなく、わざわざ博士が僕を乗せた車椅子を押していた。
なぜ博士がそこまでして僕を連れて行きたかったのかはいまだに分からない。でも、あの時の博士の表情が穏やかだったことは覚えている。
もう一つは、僕が博士を車椅子に乗せて、押しながら桜を見たことだ。こちらの方が最近のことだからか、やけに鮮明に覚えている。頑なに電動車椅子に乗らなかったのはなんでだろう。それも僕にはわからない。
こう言ってはなんだが、僕は博士が大好きだ。だからこうやって今も博士と暮らしたこの屋敷を、博士が愛してくれた僕自身を守ろうとしている。
しかし、僕はまだ「未完成」なのだ。博士は僕の「人の気持ちを汲み取る」という感情の回路を完成させる前に亡くなってしまった。老衰だった。
涙こそ流れなかったが、僕はとにかく悲しかった。大切なものを失う苦しみを初めて知った。でも、博士が僕をどう思っていたかなんて分からない。
だって、まだ「未完成」だから。しかも、感情の回路が。とにかくあんなにも僕に愛をくれた博士の思いが分からないことが悔しかった。博士と同じだけの知識や頭脳はあるのに、感情の回路の一部が欠けているというだけでこんなにも何も分からないことが。
知識や頭脳はあるくせに人の気持ちがわからない、というのはさぞ悔しいことだったが、それは同時に「僕が人の気持ちを汲み取ることのできる唯一の希望」でもあった。良くも悪くも、思い出はどの年のどの日のことについても記録されている。なら、僕自身の手で博士の発明を完成させることができれば、どの年のどの日に、博士がどのように感じていたか、を感じることができるかもしれないのだ。
僕の手で僕自身を完成させる、それが僕の夢であり、博士への最初で最後の恩返しだ。何事にも遅いということはない。だからそれまで、この屋敷を、僕自身を人々から守らなければならないのだ。
ゆず(まつり)ちゃんとお題交換して書いたものです。
お題「春」「思い出」「博士」「夢」