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478:シルビア:2012/05/04(金) 21:10

素早い判断が生徒を救う。 宮城の小学校(山下第二小。中浜小)。東日本大震災の津波避難成功例

  1節。
福島県境にある宮城県南部の山元町。津波は高さ約6.2メートルの防波堤を越え、美しい砂浜とのどかな田園が広がる町を襲った。いずれも海岸から約300メートルの低地にある町立の山下第二小(児童数202人)と中浜小(59人)は津波で校舎が壊れ、児童は25日からの新学期を別の学校で迎えた。あの日、山下第二小は先生が児童を車に乗せて逃げ、中浜小は全員が2階建て校舎の屋上に駆け上がった。それぞれの学校が誘導した児童は全員無事だった。子どもたちの命を守ったのは、判断の速さと、幸運だった。【遠藤浩二、澤木政輝】

  2節。 山下第二小学校。
 ◇確認作業打ち切り 
 3月11日午後2時46分。激しい揺れに山下第二小の作間健教頭(55)は校内放送のマイクをつかんだ。「机の下にもぐりなさい」。テレビをつけたが、揺れがひどく見られない。教務主任の太田久二男教諭(52)は職員室を飛び出し、1年生の教室に走った。泣き声が聞こえる。
 揺れが収まり、訓練通り全員が校庭へ出た。巡視係の太田教諭は校舎を一巡し、全員の避難を確認して最後に校舎を出た。その直前、1年生の教室のテレビで大津波警報が出ているのを知った。

 午後3時10分。校庭に保護者が次々に駆け付けた。学校は身元を確認せずに子どもを引き渡せない。氏名や家族構成、連絡先を記載した「非常持ち出し簿」と照合して児童を引き渡した。

 ◇車でピストン輸送
 怒声が響いた。「何やってんだ。早く逃げろ。津波が来るぞ」。走ってきた男性が言った。
太田教諭は振り返る。「こんなことやってる場合じゃないと気付いた。もしあの時、あの一声がなければ、逃げ遅れて全滅していたかもしれない」

 瓦ぶきの校舎で屋上避難はできない。渡辺孝男校長(52)は確認作業を打ち切り、即決した。「車を出せる先生は車で子どもを役場へ。他は残った子と歩いて役場へ」。役場は学校から約4キロの小高い場所にある。保護者の迎えがなく残った児童は約70人。太田教諭ら6人が車6台に子どもを乗れるだけ乗せ、残った30人ほどを作間教頭ら5人が連れて役場へ急いだ。

 PTA会長の岩佐政公さん(38)は学校に向かう途中、小走りの作間教頭と子どもたちに会った。「車が足りない。頼みます」。作間教頭の言葉に、自宅にワゴン車を取りに戻り、児童の列に追いつきドアを開けた。その瞬間「どでかい雷がずっと続くような音」を聞いた。津波だ。乗ったばかりの十数人の子どもたちが泣き始めた。

 ◇家のむ青波「先生、早く早く」
 教員の車6台は、役場と徒歩組の間を往復し、児童をピストン輸送した。学校の北西約500メートルのJR山下駅近くで、車に乗れた3年の渡辺志乃さん(9)は「乗車後、家をのむ青い波が見えた。『先生、早く早く』ってせかした」。

 JR山下駅付近で徒歩組の最後に車に乗った作間教頭は「駅に津波が来たのはそれから5〜10分後だったと聞いている。全員が歩いていたら、とても間に合わなかった」。

 渡辺校長は一人で学校に残った。その後に来る保護者に児童の避難を伝えるためだ。校門で20人前後に対応し、振り返ると、約300メートル先の防波堤を越える津波が見えた。2階に走った。水は2階に届かなかったが、図書室の本棚から本を出した。「万が一の時はいかだにするつもりだった。でももっと波がきたらアウトだと覚悟していた」。翌朝、渡辺校長は自衛隊のヘリで救出された。


シルビア:2012/05/04(金) 21:14 [返信]

はオレの小学校で、オレが5年生の時だった。


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