よく学校は「魚を与えてもらうところではなくて、魚の釣り方を教わるところ」って言うけど、違うと思う。学校に行っても魚の釣り方なんか分からないし、それだけじゃ不十分なんだよ。
「釣竿や網の存在を教えてもらい、時にはその道具の構造も詳しく教わるところ」であり、その道具が一体何に役に立つのかとか、具体的にどう使うのかとかは自分で調べるしかない。存在自体を知らないと、そもそも調べることすら出来ないから、すごく意義のある事だと気づいて欲しい。
学校の教育は受験勉強のためとか、中には勉強なんて意味の無いとか言う人もいるけど、それがどう役に立つかは自分で見つけるしかないし、役に立たせようと思った者だけが学校の教育を活かせる人材になる。
学校に行ってない人は「釣竿や網の存在」自体も自分で調べていかなきゃいけないから負担は大きい。学校に行ってない=魚の釣り方を知らない は成り立たないことに注意して欲しいが、その事は以上の文章を読めば明白である。
魚を食えずに文句ばかり言う(あるいは、文句は言わなくても何も行動を起こさずそのままでいる)のか、それとも与えられた道具の使い方を自ら学んで魚の入手法を模索するのか、どちらに転んでも自分自身が決めた道であるということは胸に刻んでおくべき。
自分でいうのもなんやけどめっちゃ良いこと言ってて草