余部橋梁ってのは、兵庫にあるJRの鉄道橋です。橋です。
この橋ってのは実は2代あって、旧いのと新しいのがあるんですね。で、今回はこの初代のほうについて話します。
これが建設された背景っていうのが、当時日本の国有鉄道網を管軸していた鉄道院が、山陰本線の東側の区間を全通させる必要があったことなんですね。
で、どんどん開通していくんですけど、香住と浜坂の区間は山が海に迫る地形で海岸沿いに線路を通すことは不可能だったんですね。この区間にどう線路を敷くか技師の間でもしばしば論争があったんですよ。そこで米子出張所長の石丸重美って人の主張する案があって。この案っていうのが、内陸側に迂回すると長大なトンネルが必要になるからそれを避けて、かつ最短経路を選択したものなんですね。でまあ、それが上層部に採用されるんです。
で、長大なトンネルを避けるためには山の標高の高い位置でトンネルを掘って抜ける必要があります。山は上にいくほど直径が短くなりますので。
久斗川の川筋を利用するために桃観峠に線路敷くんですね。それで桃観峠を頂点とした山形の線形を採用するんです。
しかしですね、それだとその途中の余部に谷間があるんですけどそれを回避できないので、谷を越えるために橋が築かれたということなんですね。