ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホーイ
それ卑怯だぞwww
まず、ここを僕ゴリラでは無くぼくゴリラとした事が良い。
僕では無くぼく、とする事でこのゴリラの幼さを表現し、ゴリラである事の寂しさを表現しています。
さらにぼくゴリラとする事で一体感を醸し出しています。これは自分はゴリラでは無いのだと悲しくなる思いから、それでも僕はゴリラだと言う自信を表しているようです。
カタカナでボクと表記せず、僕でも無くぼくとする事で、人間の中学生のような揺れる心を表現されている、ここだけで才能が感じられますね。
次に一つもゴリラの鳴き声が同じでは無い。ここが凄い。
もしこれが、ぼくゴリラ ウッホホウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホーイ
なら、此処までの一体感は感じないのです。単純にウホウホとしないで、イや、ー、ッを使う事が凄いですね。
次に凄いのが、ウホホホホの部分です。ここに句読点やー、ッやイなどの小細工をせず、全て繋げている。ここに才能を感じます。
最後に私が1番才能を感じたのが、最後のウホホホホーイの部分です。ここで全て繋げ、ウホホホーイでは無くウホホホホーイとする。ここで投げやりな気持ち、それでも手放したくない気持ち、すこし悲しいような気持ちを醸し出しています。
これはとても素晴らしい短歌でした。