>>688でこれ思い出した
作者は「ゴリラも人と同じように孤独なのではないか」と感じで、その孤独感を表現したかったそうです。
なるほど、最初の「ぼくゴリラ」という部分ですが、ゴリラという動物の特徴的に「おれゴリラ」と書いた方がしっくりきます。
それを敢えて「ぼく」にすることで、気弱感を出しています。
もしくは子供のゴリラなのかも知れません。
それから、このゴリラは動物園のゴリラのことだそうですが、それも「ぼくゴリラ」という言葉からわかります。
短歌を見ている人に「自分はゴリラだ」と言うことは、動物園で「ゴリラ」と書かれた檻の中にいることを表しているんですね。
動物園の動物は、大自然の中ではなく、人間の作られた檻の中で生活しています。
檻の中で人間という種族に見られる毎日。
餌を貰えるし、大自然の厳しさよりは快適かも知れません。
それでも、「人間の作った檻の中にいる」というのが種としてはどうなのか。
ぼくゴリラというのは、自分の種としての姿を再認識するために、相手に伝えるのと同時に、自分にも言い聞かせているんでしょう。
檻の中でこういう生活をしているけど、自分は紛れもなくゴリラなんだ。
個体的な孤独ではなく、種としての孤独を非常に良く表していると思います。、
最初の一句目だけでここまで表現するのは素晴らしいと思います。
市長賞を取っただけのことはあります。
これ以降の四句は、ゴリラの鳴き声で、ゴリラの心情を表しています、
ゴリラの泣き声に四句まるまる充てることによって、インパクトと心情の強意を出しています。
「ウホホイウッホ」の部分には「イ」と「ッ」が両方使われています。
ウとホ以外のこの2つの文字は、明るさやテンションの高さを表しています。
ウホホイウッホからは、動物園の檻の中で、人間に見られながら元気に駆け回る様子が伺えます。
次の「ウホホホホ」は、無感情、もしくは負の感情が込められています。
これだけ見ると分かりませんが、前後の句と比べてみると一目瞭然です。
檻の中で生きることへの無常感、種としてこれでいいのかという葛藤が読み取れます。
次の「ウッホホウッホ」ですが、これがこの短歌の中で一番解釈が難しい部分です。
僕は前の句からのさらなる葛藤と解釈しましたが、みなさんはどうでしょう?
前の句のウホホホホは無常感や小さな葛藤、そしてこの句ではそれの膨れ上がった大きな葛藤を表していると思います。
前述した「ッ」を敢えて使うことによって、じっとしてはいられないくらいの葛藤の激しさを表しているんですね。
僕には、大きく葛藤し、人間が頭を掻いたり枕を殴るように、ドラミングをするゴリラの様子が思い浮かびました。
最後の「ウホホホホーイ」ですが、これはもう言うまでもないでしょう。
これは苦悩、葛藤からの開放です。
種として悩んだり、葛藤したりしたけれど、それを割り切って、個として精一杯生きるしかないんだと分かったんでしょう。
ここでポイントなのは、悩みや葛藤が解決したんではなく、その次元で考えることをやめたということです。
自分にどうすることもできない悩みを悶々と考えるより、自分に出来る限りを生き抜こう。
そういう意味の込められた句です。
ここまで練りこまれた短歌を高校生で作ることができるなんて、素晴らしいとしか言い様がありません。