聖書こそが真理か?

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1:伝道者◆zc:2019/01/24(木) 07:25 ID:lE2

聖書こそ真理と確信している者です。

神はいるのか?聖書は神の言葉か?聖書は何を教えているのか?議論しませんか。

343:伝道者◆zc:2019/04/23(火) 18:35 ID:e3o

>>342

カーリーさん、現時点では私達の議論は無駄と分かりました。今後、当面はあなたに返信致しませんが、ご了承下さい。お互い、時間と労力を別のことに使うのが有益でしょう。

344:カーリー:2019/04/23(火) 18:45 ID:RO6

つまり聖書は私に屈したという事ですね。なぜなら聖書は真理ではないからです。私が真理です。聖書など捨てなさい。エホバなど捨てなさい。

345:伝道者◆zc:2019/04/23(火) 21:34 ID:e3o

>>335

>事故で腕をなくした人の子供は腕がないのですか? いいえ、ありますよね。遺伝的欠損でない限り、子は正常かと思います。成虫原基が正常に動かなかっただけでしょうから。彼らは父の失敗を知っているのですから。蛹は父より完全な形でできるでしょう。

勿論、只の人の出産であれば分かります。しかし完全変態は、芋虫が一旦ドロドロに液体化し、蝶になるプロセスです。失敗したらグチャグチャです。そのグチャグチャの個体が次世代に退化を継承させず、むしろ進化が継承出来るというのは、ちょっと感覚的に同意し難いです。生殖出来るかさえ怪しいでしょう。

そもそも「完全変態で進化しよう」と芋虫が思いつき、計画するのでしょうか。PDCAのサイクルを世代を超えて行うのですか、結構、無理がありませんか。

346:伝道者◆zc:2019/04/23(火) 21:41 ID:e3o

>>335

>だが実は進化論にも創造論にも馴染まないのが主に昆虫などの虫類です。

何故、創造論にも馴染まないとお考えなのか興味があります。

因みに聖書には以下の様に書かれています:

創世記1:20-21
神は言った。「水は生き物でいっぱいになれ。飛ぶ生き物が大地の上方を,空を飛ぶようになれ」。 それから神は,さまざまな種類の,海の大きな生き物や水の中を群がって動く生き物を創造した。さまざまな種類の,羽のある飛ぶ生き物も創造した

創世記1:24-25
神は言った。「陸に,さまざまな種類の生き物が現れよ。さまざまな種類の家畜と野生動物と地面を動く生き物である」。するとそのようになった。 神は,さまざまな種類の野生動物,さまざまな種類の家畜,地面を動くさまざまな種類の生き物を造った。

昆虫では悩んでいませんが、かつて私はバクテリアあたりで悩んだことはあります。

347:伊藤整一:2019/04/23(火) 22:22 ID:dxw

>>338
>だが大半の甲殻類は脱皮による成体化が基本なので、どー考えてもサナギ(完全変態)化へと至るルートが無い。
昆虫は完全変態するものより不完全変態するものの方が先に誕生している。不完全変態は脱皮であるから甲殻類からの進化と考えていい。

>でも菌類は各個体としての自立性があまりにも乏しいので、それはどうかと思う。
自律性のことですか? だとしたら菌類のそれは昆虫に劣ることは確か。個体数が多いことを条件とするならば菌類が頂点と言えるけど。

348:伝道者◆zc:2019/04/24(水) 06:52 ID:/0Y

人は罪深い状態にあり、救われることが必要である。

聖書はこの様に述べています。

かつて、私は聖書を揶揄して、「崖に突き落としておいてから救いを差し伸べるインチキな手の様だ」と思っていました。

かつて、私は自分自身を良い人間、少なくとも道徳的にマシな人間と思っていました。

しかし私は麻痺していました。私自身の道徳的基準が下がっていたのです。こう自問した時、それが明らかに分かります。「私の全ての考えや行動が万人に知られたら、私は恥ずかしい思いをしないだろうか?」私はきっと恥ずかしい思いをしたでしょう。

あなたはどうでしょうか?

道徳的基準が下がっていて、自分も下がっていることに気付かない状態、つまりそれは崖に既に落ちている状態です。それでも崖の上にいるのだと自らを欺いていました。確かに私は間違っており、聖書が正しいことを述べていました。

自分を変えるのは本当に大変です。しかし聖書は罪の原因、理由、内面からの本当の自己変革の動機付け、導き、支え、慰め、力、希望など、必要な全てを与えてくれます。

349:カーリー:2019/04/24(水) 12:32 ID:9dY

さてここで一つ真理を示そうと思います。
人間は無駄であると気づくのが我慢できません。人生は有限であり、努力に費やした時間が無駄であると思いたくないからです。
時間に余裕があればやり直しも利くのですが、年を経るごとにやり直しづらくなるでしょう。長い時間をかけて努力してきたのなら尚更です。今までの苦労が無駄であり、やり直すための時間もないとすれば、今までの苦労を何とか肯定しようとするのはごく自然な事です。
宗教がまさにこの典型になります。多くの場合、宗教は教義があるだけで理屈が存在しません。信仰しなければ滅びるなんてただの決めつけです。よって理屈によって否定されてしまう事になります。
そもそも思想は多様化するべきであり、一つに偏るのは危険であります。偏った思想が否定された場合、冒頭の理由で自分を何とか肯定しようとし、そのために他人を否定し、争いが起きるからです。
そのような事にも気づかず、マイ宗教を押し付けようとするのは、争いを拡大するだけであり、万人に受け入れがたいものである事は明白です。
最近のニュースでは宗教絡みのテロが複数報道されていますが、一神教同士の争いが多いように思います。一神教では思想が偏りがちなのでしょう。
特に一神教を信奉する人はこのような理由により、頑固になって、一生懸命自分を肯定しようとするのでしょう。きっと永久に分かり得ないのだと思います。真理足りえません。

350:伝道者◆zc:2019/04/25(木) 08:21 ID:k5k

私は世界のこと、人生のことにつき、様々な思想を見聞きし、その中に満足するものが見つからなかった為、何年も掛け、自分の知性と感性を傾け、ゼロから独自の思想体系を作り上げました。

それに飽き足らず、理論からでなく、直接的な体験から真理を得ようとも試みました。

しかし全ては虚しいものでした。それは私を幸せにも、より善良な人間にもせず、私は人生に絶望したままでした。

しかし、聖書について深い知識と理解を持つ誠実な人々に出会い、聖書を再考慮してみました。以前は熱心に批判していた聖書ですが、どんなに試みても粗が出ず、むしろ本当に素晴らしいものだと分かり、ようやく真理を見つけたと確信出来ました。

以下の聖句は以前の私を的確に描写しています。

格言3:7
自分は賢いと思ってはならない。エホバを畏れ,悪から離れよ。

コリント第一3:18-21
誰も自分を欺いてはなりません。皆さんの中に,今の体制において自分は賢いと考える人がいるなら,その人は愚かになりなさい。そうすれば,賢くなるでしょう。 この世の知恵は神にとっては愚かなものだからです。「神は,賢い人がその人自身のずる賢さに捕らわれるようにする」と書かれています。 「エホバは,賢い者たちの考え方がむなしいことを知っている」ともあります。 それで,誰も人間のことについて誇ってはなりません。

自分自身の知恵を誇りにしている間、誰も真理に辿り着くことは出来ません。しかし本当に優れた知恵を一度見出したなら、後は全き信頼を持って謙遜にそれに従うことが本当の賢さとなります。誇りではなく謙遜さに中に、本当の賢さを見つけました。


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