人生は長生きするよりも早くしんだほうが幸福だよね。

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1:匿名:2019/11/12(火) 18:07 ID:kPQ

人生は長生きしたって幸せとは限らないしね。昔は15歳ぐらいで人生を終わってもよかった気がする。今は35歳ぐらいであの世にいきたいね。大人になるよりも、子供の時にしんでけばよかったなぁって思う。

17:匿名:2020/01/02(木) 10:29 ID:Iu6

生きた長さで幸せは決められないだろ

18:匿名:2020/01/06(月) 20:52 ID:AaQ

死にたい、という想いを突き詰めれば、きっと「死にたい」ではなく、「辛さから解放されたい」ということだろうと思う。

19:部活消えろ:2021/01/03(日) 21:59 ID:D5o

辛い死に方よりは生きるほうがまし
楽に死にたい

20:ログ:2021/01/07(木) 05:19 ID:Xgc

個人的な見解だけど、多くの人は、生きるのも死ぬのもどちらとも「めんどくさい」のように思える。
生きていく中で、何か理想像や目標があって、その自分の中での目標が達成されていない現状に辛さを感じている人はこの社会には腐るほどいる。
で、その自分の中での目標は、現実を変えることに等しいから、大抵、超長期戦で頭も精神も使わなくちゃいけない困難なことでもある。
だから往々にして人は、不可能性を感じ、行動に積極性がなくなっていく。不可能と決めつけているから。
それで結局、現実逃避→時間浪費の自覚→病み期→現実逃避・・・の悪循環ができてしまう。
その悪循環は、もちろん時間も浪費していくから、どんどん目標に対しての不可能性を感じるようになる。そうすると、目標達成まで「やること」が山積して、めんどくさいと感じるようになると同時に、死んだ方が楽かもしれないな、と思うようになる。
こういう仕組みで多くの人は「死にたい」ってなるんだと思う。ただし本物の自殺者は除く。
で、本題に入ると、長生きするより早く死んだ方が幸せだよねっていうのは、幸福の定義が曖昧だから、ここでは満足している状態とする。特に、自己や自己の周りに対して。
ここで、死んだ方が幸せだと言っている人は、自己や自己の周りに対して満足がない状態にあって、満足が今後、永久に得られない不可能性があって、さらにこれから永続的に不満を受け続ける状態が続くことを論証しなければならないことになる。逆に論証できなければ、死んだ方が幸せとはならない。

例えば、最終的に殺されると分かってる拷問。
拷問は、苦痛だけが与え続けられる不満足な状態と捉えることができる。で、結局ころされるわけだから、早く死んだ方が楽となる。
ここでポイントだと思うのが、拷問をどう捉えるか。生きているだけで、精神的な苦しみが与え続けられている場合もある。例えば、自分の意識は正常なのに、死ぬまで身体障がい者として生き続けなければいけない場合。しかも、その障がいが一生治らないようなものだった場合、文字通り、死ぬまでその人にとっての拷問が続くことになる。

ただ障害ではなく、重い病気で、「超努力すれば治る」という場合、しかもそれが自分にとっての満足につながることの場合、そこで死にたいと思うのは「楽をしたい」と言っているのと同じと捉えることができる。なぜなら、現実的に可能なのに、「死にたい」とその可能性を自分自らで放棄してしまっているからである。
ともあれ、社会の人たちが後者のようなパターンであることが少なくなかった場合、「はやく死んだ方が幸せだよね」という主張は一般化できずに破綻する。
逆に、前者のようなパターンが社会の人たちの大半を占めていたら、「はやく死んだ方が幸せだよね」という主張は一般化できる。

ちなみに、主さんのように大人になることそのものを苦痛として捉える場合、大人になるのは確定でしかも、大人に突入したら変えることが不可能だから、前者のパターンに属してしまうだろう。
ちなみに自分もそうで、正直大人になるのが怖い。そうした人間にとっては「はやく死んだ方が幸せ」と感じる。


ただ、これは難しい話で、若干、自己同一性の話でもある。今の自分は確かに、大人であることに苦痛を感じている。が、未来の自分はどうだろうか。苦痛を感じるのだろうか。その証明はできるだろうか。苦痛を感じない可能性があり得るのではないのか。むしろ、別の角度から物事を見て、幸福に思えるようになっているのではないのか。自己の枠組みの中で、今の自分だけを特別視するにたる理由はあるのか。そういう疑問がある。


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