αria and Ωpera 戯れと怒り ~ Scienta est potentia ~ 【厨二の手引き】

葉っぱ天国 > 変人・中二病 > スレ一覧キーワード▼下へ
1:向かう者、来る者◆FtV7Qs:2016/02/02(火) 22:55

智は、力也。智は、意志也。〜Scienta est potentia――――
力は意志也。

ゆえにこそ、非他なるものの手解きによって私達は飛翔する。
そしてその刹那に、総ては破壊され、超越されるだろう。
存在の彼方、神が忘却したものを自ずから奪い取り、照り輝かせる。
覚知を超えて―――Disce gaudere.





皆様、本日はいかがお過ごしでしょうか。

何気なく過ぎていく日常の風景。
――日々に飽きていく感覚。親しみが沸いたのに何故か愛せない。
街中へ行くと見えるお馴染みの光景。歩く男女、笑う声。
――埃が被り色褪せていて直視できない。
何かが違うとどこかで分かっていながら目の前のことを淡々とこなさせられる毎日。
――心は焦り、疲弊する、報われない、どうしてこんなに世界は小さいのだろう。


――本当は分かっているはずだ。

気付きましょう。
その総てが、ペテン師だということに。
神の意志と実存性を備えた我々を巧みに騙し操る悪魔であることに。

その咒(な)は――

“  現実  ”

死せる生者が彷徨い続ける箱庭、別名地獄。


此処は、総ての迷いを断ち切り、厨二の世界――「狂い」の最奥へと誘う座。
皆様と共に描く、いわば“厨二のススメ”とでもいうべき書物。

この手引き(スレッド)ではなるべく体系的に、しかし厨二板独自の雰囲気のまま自由にかつ優雅にかつ耽美にかつ暴虐の限りで踊り狂う歌劇のような演出を交えつつ、いわゆる「厨二病・変態変人・狂人」なるもののについて記していきます。
地獄を彷徨い続ける迷い多き者達を厨二病へと誘い、厨二の世界へと踏み出す一歩を与える、すなわち超越と破壊の法を授ける場として機能すればよろしいかと存じます。
既に「こちら側」にいる者達もその在り方を再確認する場として語りを挟むのもよいでしょう。
それは際限なく厄を提供し続ける日常(じょうしき)と言う回帰を破壊する鉄槌。
怒りを演出し、超越の奏でを彩る楽器。

やがて達する最奥、縛り付けられたものの滅却の果てに―――。

聖剣十三騎士団、そして葉っぱ天国発厨二変態板の活動の一環として、この「厨二の手引き」なる脚本を今より創造致します。
ちなみに「至らざる超越」という素晴らしき二つ名を貰い受けた私自身、その名の通りまだ完全なる超越には至っておりません。ゆえにこそ、その到達点、姿なき答えを皆様と共に見つけられるのであれば――それは祝福すべきこと。



現実との狭間で揺れ動き悩むとき、
此処に来れば少し悩みが滅却する、そんなスレを目指せればいいでしょう。
この手引きは癒しを与え恐れを取り払う。
そして「一歩」を促す。

狂気の果てを、観る。

7:とろろ◆FtV7Qs:2016/02/11(木) 00:36

>>6

やはり思った通り、あなたは一つの解に到達している。
そう、その通り。
いまこの世界を包んでいる法則。
あなたの言葉をお借りするならば、修羅道――人間存在に修羅の道を強制させる苦の摂理。
もしそれがあるとするならば、そうですね、物理法則はもっとも近しい苦の発現といって差し支えないでしょう。
「空を思うように飛びたい」
「上から物が落ちてきても当たらないようにする」
「一瞬にして片付けたい、一瞬にして他の場所に移動したい」
しかし我々はそれを思うだけで可能とすることが出来ない、強力な物理の制約。
その法則性が絶対だというならばあまりにも滑稽で整い過ぎていて、上手く働き過ぎていると思いませんか?

物理という制約の中で人は思考し様々なものを求め研究し発展させてきた。
その制約下における形の上では確かに、可能となった事例は多いのかもしれません。
しかし、疑ってみるべき点が此処にある。

「本当にそれは可能になっているのか」

気が付いた時には無明という鎖に強制的に繋がれていた、その悪夢の中で、
勝手に思惑を植え付けられ勝手にコンセプトを設けられているだけに過ぎないのではないか。

修羅道という言葉を用いましたが、実際には修羅道という理ですら存在しておらず、いろいろなものがごちゃまぜになって腐り果てた「ナニカ」がこの世界を支配しているのです。
否、支配という言葉では少ししっくりきませんね。
意味も実存もなく、ただそこに漂っている。ただただ存在の否定、偽りだけを露呈して。
言葉で表現できるものではない以上、ニュアンスとしてはこのような感じで表現する他ないですね。

現実の物理次元、これがいかに脆く、存在(実存)にとって否定されるべきものであるか。
超える時が来たのです。


「神は死んだ――――」

ニーチェの有名な言葉です。

またいずれ説明してまいりましょう。
皆様が現実という名の偽りそのものから解放されるために。

人は気付かない間に「諦めさせられていた」。
しかし私は宣告します。
「諦めは人を殺す」と。

8:とろろ◆FtV7Qs:2016/02/11(木) 01:48

◆◇ ―――  息も出来ない泥の中で笑う人々




ごきげんいかがですか。





さて、皆様はいまどこにいますか?
どのように生活されていらっしゃるでしょうか。

毎朝決まった時間に起きて、もしくは起こされて、兄弟や両親に顔を合わせ、
決まった通勤手段で学校に行き、友達と会話をして教師に叱られつつ、どうにか下校しているのでしょうか。
もしくはもう社会人としてそこそこの年数が経ち、仕事に出掛けて日々の業務をこなしていらっしゃるのでしょうか。
あるいは兵士として育てられ武力戦争の裏側で活躍している折、時間を縫って此処に来ている方もいるのかもしれませんね。

皆様の名前、性別、身体、両親や兄弟・姉妹といった家族、
友達や先輩もしくは仕事場の同僚や上司といった人間関係。
いまそこにある無数の繋がり、その線が交差する点に集約されるロール、
記号と言う名のパルスの集合。
誰もがそれを被って生きている。
まるでそうなること以外考えられないかのように、いつのまにか役を与えられている。




通りに出掛けるとそこには様々な人が歩いていることでしょう。

実に様々だ。

笑う人、話す人、はしゃぐ人、悲しい感じの人、ムスっとしている人。

彼らは一体何を思ってそこにいるのでしょうか。

一体、何を当たり前のようにそこでそのようにしているのでしょう。

何があったかは知らない。
どのような経緯でどのような因果でそこにいるのかは知る由もない。
だがそこにいて、何かを疑うこともなく、信じるとか疑うとかそういう発想もなく、ただそこで役を演じている。

教師が冗談を言う、どっと面白おかしく沸く教室の中。
清楚が売りで、だけど少し御茶目な生徒会長の女子が、向かいの男子に文句を言われスマートに言い返す。お熱いね、と茶化す他の生徒。笑い合う者達。「さあさあ授業続けるぞ」、とりまとめる教師。

職場の朝のラジオ体操。一日の始まりに長い部長の朝礼。文句を言いつつもデスクワークにつく。昼食の時間、弁当を食べながら今夜の飲み会について語り合う。費用は誰が一番多く出すの、それとも完全割り勘にする、とか。「いっそのこと部長に全部任せちゃうか」「賛成!」「ちょっとやめなよ〜」「部長の誕生日なんでしょ、かわいそうだよ〜」


ずっと気になってたあの子が自分のことを好きだって分かって、
公園に駆け寄ったら最後、周りに聞こえても構わない気持ちで歓喜を叫び続ける。

最初は少し嫌な人だと思っていたけど話してみれば結構よくしてくれる人で気付けば毎日いろいろ語り合っていた。たくさん支援もしてもらった。

恋人に嘘をつかれた。どうしよう。

友人に裏切られた。どうしよう。

どうしよう――――。


笑う者、泣く者、悩む者、会話する者。

苦しむ者。

皆それぞれがどこか「笑っている」。
笑っている?
何を笑っている?
何がおかしいというのだろう。

化けの皮が剥がされるそのとき、気付くのか。今、踏み越えるのか。


その顔には泥が塗られている。
いや違うでしょう。そうじゃない。泥、そのものだ。
ずっと気付かないでいる。騙され続けてきた。
泥で作られた人形が勝手にそこらじゅうを、まるで取り憑かれたように、オートプログラムに従って動いている。
泥の中で泥が蠢いている。
取り憑かれているというよりも、泥の性質、その発現そのものだ。
泥で作られている以上本当は息が出来ない。口をふさがれている。
なのに、笑う。


不自然に“嗤う”――。

9:とろろ◆FtV7Qs hoge:2016/02/12(金) 22:02

ご迷惑なことだとは存じていますが、>>1がだだ長くスマートではないと判断したためこちらを次元の空隙へと放逐し新しくスレッドを召喚致します。

10:革命主義者の暴走:2017/09/03(日) 21:43

もう失わない


新着レス 全部 <<前 次100> 最新30 ▲上へ
名前 メモ
画像お絵かき長文/一行モード自動更新