はじめまして。ゆうと申します
ファンタジーものを書こうと思っています
ぜひ読んでくれると嬉しいです
序章 <神話>
遥か昔、この世界には『神』と『悪魔』と呼ばれる者達がいました
神たちは悪行の限りを尽くす悪魔達を大いなる力で封印し、世界から悪を祓い、その世界を治めました
神たちが支配する世界は、幾つもの種族が手を取り合って暮らしている平和な世界でした
しかし、ある時神たちは考え方の違いから巨大な戦争を始めました
世界は火の海となりました
戦争が終わる頃には世界は、ほぼ無に近い状態になっていました
戦争で夫を失い、悲しみに暮れた一人の女は、悪魔の封印を解いてしまい、世界に七人の『大罪の悪魔』を呼び出しました
生き残った九十九人の神たちは蘇った悪魔と戦い、死闘の末、悪魔を再び封印しました
その後、神達はこの世界を破滅へ押しやった罪を背負い、地上のある種族に自らの力を託してこの世界を去りました
神の後に世界の統治を任されたのは、人間と呼ばれる種族でした
神達が残した力により、人間はより良い世界の創造を果たしました
こうしていま私達が生きる世界が作られたのでした
聖典第一章 二節より
第一章 一節 <精霊の樹>
森の中にいると、まるで、自分が大いなる世界の渦の中に溶け混んでいるかのような、錯覚に陥る。
僕は、透き通った空気を吸い込み、吐きだした。
今日はどうしてここにいるんだっけ・・・?
もうじき、日が暮れる。そろそろ帰らないとな・・・と、思ったが、僕はそこから動くことができなかった。
僕にはもう帰りを待つ家族はいない。
父さんも、母さんも、妹のルリアも、死んでしまった。
精霊の樹のおじいちゃんによると、精霊の力を持ってしても死者を甦らせることはできないそうだ。
これからどうしていこうか?
もう僕の味方になってくれる人はいない。
「ねぇ、おじいちゃん」
僕は、『精霊の樹』の精霊であるユグドに語りかけた。
「何じゃ? トーヤ」
「僕は・・・これからどうやって生きて行けば良いのでしょうか。身内は僕を残して皆死んだ。僕一人でこれからどうして行けば・・・?」
ユグドは暫く黙っていたが、やがてこう言った。
「トーヤ、お前は自分が何のために生まれたのか、分かるかね?」
僕は、その問いに答えかねた。
「どういう意味ですか・・・?」
「トーヤ・・・お前ならその答えを見つけ出せるじゃろう。・・・・・・ワシはもう眠い。そろそろ休ませて貰うぞ」
僕は慌ててユグドの名を呼んだ。
彼は一度眠ると次にいつ起きてくれるかわからない。下手をすると一週間、いや、それ以上目を覚まさないこともざらだった。
僕が何のために生まれたのか?
それは、もしかしたら僕の血筋に答えがあるのかもしれない。
母は、ある力を持つことで疎まれ、この国へ逃れてきたと、生前に僕たちに言って聞かせていた。
今は亡き母の、明るい笑顔の底に隠された陰を思いだしながら、僕は帰路を急いだ。
家に戻り、いつものように食事の支度をする。蓄えておいた肉がそろそろ切れるなと思いながら、僕は手早く料理を済ませた。母さんが死に、料理を殆どしたことが無かった僕も、一人になって二ヶ月も経った今は簡単な料理なら大体のものは作れるようになっていた。
僕はこんがりと焼いた肉を口に運びながら、さっきユグドに言われたことを考えていた。
僕の生まれてきた意味。
それはなんだ? この村で畑を耕し、野菜を作って暮らすことか?
以前の僕なら、それでもいいと思っただろう。だが、家族を失った今は、そんな暮らしに虚しさを覚えるだけだった。
食事を終え、溜め息を吐き、僕はベッドに横になった。ベッドは古く、僕が横になるとギシギシと軋んだ。
ベッドの下に落ちていた、これまた古くて分厚い本を僕は引きずり出し、それを開いた。
父さんが生前よく読んでいたその本は、ミトガルド地方に伝わる神話を記した本だ。
父さんは幼い頃からその神話を僕と妹のルリアに語り聞かせ、神に祈りを捧げていた。しかし父さんが信じるその神話、『アスガルド神話』の後にこの地方に入ってきた宗教『ユダグル教』が人々の信仰の対象となった現在、その存在が消滅しつつあり、ミトガルド神話を信じている者は「異端」とされ、迫害されるようになっていった。
父さんが語ってくれた神話の英雄。剣を持ち、邪悪を討つ正義の存在。
僕はその英雄に、憧れの感情を抱いていた。
「僕もこんな風に、いろんな人を救える人になりたい!」
そう言った時、父さんはなんと答えただろうか。
英雄の剣。本の挿し絵に描かれたそれを見て、僕の記憶が蘇ってきた。
「おおっ、そうか。それなら、強くならなくちゃな」
その日から父さんは、僕に剣術の稽古を付けてくれた。
父さんはそんなに剣が上手くないし、剣の代わりに小さなナイフだったけれど、父さんが教えてくれた技は僕の体にしっかりと染み付いている。
でも今の僕には・・・・・・人に剣を振るう勇気すらない。いじめられ、泣いてユグドの元へすがりつく日々。
こんな僕でも、強くなる・・・そのためにはどうしたら良いのか。
僕は父さんが語ってくれた神話の、英雄の力のことを思い出し、『聖典』のページをめくった。
第二章の一節目に、こう記されている。
「英雄がその剣を抜いたとき、剣には『神』の力が宿った」
神が地上に残したと言われる力。それを手に入れた者は、巨万の富も、永遠の命も、世界でさえ自分の思うがまま。まさに、神の力だ。
「その力を手に入れれば、僕だって・・・・・・!」
僕は手を握る力をぐっと込めた。
少し風に当たりたくなり、僕は外に出ようとドアを開けた。
すると何か黒っぽい物体が家の前に落ちているのに気付いた。
なんだろう、これ・・・・・・?
恐る恐る、それを指でつっついてみた。
「うんっ・・・・・・」
「ひいぃぃぃっっ!!」
その物体がうめき声を上げ、僕は悲鳴を上げて飛び上がった。
落ち着け落ち着け・・・・・・。こんなんでひびってちゃだめだ。
僕は英雄になるんだ。
その物体に近付き、よーくそれを見てみると・・・・・・。
「お、女の子?」
家の前に落ちていた謎の黒っぽい物体は、なんと女の子だった。
僕は倒れていた彼女を家へ運び込み、ベッドに寝かせた。
黒いぼろ切れのようなマントを纏い、酷く痩せていた少女は、僕と同じくらいの年頃に見えた。
彼女はすうすうと寝息をたて、ぐっすりと眠っているようだった。この分なら翌朝には目を覚ますだろう。
彼女が何故こんな所に倒れていたのか知りたかったが、眠っている彼女を起こすのも気が引けたし、僕自身も眠くなってきたので、そのままベッドにもたれかかった姿勢のまま、僕はすうっと眠りに落ちていった。
朝になり、僕が朝ご飯の支度をしていると、彼女が起きてきた。
彼女は寝起きにしてははっきりとした口調で言った。
「ここはどこ?」
彼女に訊かれ、僕はたどたどしく答えた。
「えと・・・・・・ここは、ツッキ村。僕はトーヤ。君は僕の家の前に倒れていたんだよ」
「ツッキ村? 初めて聞く名前だねぇ」
彼女はベッドから降り、うんと伸びをしてから、辺りをぐるりと見回した。そして、僕の目をじっと見ると、何か納得した様子で頷いた。
「やっと会えたね。トーヤ君。私は君のことをずっと探していたんだ」
「探していた? 僕のことを……?」
「そうさ。半年間もかけて、君のことを探していた。ほんと、骨が折れたよ」
僕のことを探していた? なぜ? 僕なんて一介の農民に過ぎないというのに……。
少女はやつれた頬を緩め、安心したようにその場に腰を落とす。
そして僕を指差し、言った。
「トーヤ君。私の名は『エル』。君を導く者だ」
僕はますます混乱してしまう。
導く者? どこへ? この子は一体……?
エルと名乗ったその少女の腹がグーッと鳴った。
僕はパンとスープをエルに食べさせてやることにした。
悪い子じゃなさそうだし、少し面倒を見てあげてもいいかな。僕の家計はその分ピンチになるけど、腹を減らした女の子に何も与えないわけにはいかない。
エルは、僕の手からパンを半ばひったくるように取ると、一口でそれを飲み込んでしまった。
「そんなに急いで飲み込んだら……!」
案の定、エルはパンを喉に詰まらせ、苦しそうに喉を抑えて呻きだした。
「うぐーっ、ううう」
「大丈夫!? えと…こういう時は……」
僕は慌ててエルの背中をさすってやった。
エルは僕に背中をさすられると、少し落ち着きを取り戻した。
「水を飲んで」
彼女の口にコップの水を流し込む。エルはゴクリと喉に詰まっていたパンをなんとか飲み込み、ぷはっと息をついた。
「ありがとう。トーヤ君。この恩は一生忘れないよ!」
「そんな、ちょっと助けただけだよ」
僕はエルの顔色が徐々に良くなっていくのを見て、少し安心した。
「もっと食べていいよ。でも、よく噛んで食べなよ」
エルの顔がぱっと輝いた。
「ありがとうございます!!! 遠慮なく食べさせてもらいます!!!」
彼女が出された僕の分の食事を余りにも遠慮せずに貪るもので、僕は苦笑を浮かべてしまった。
僕はエルに訊いてみた。
「エルは、どこから来たの?」
「北の国さ」
「兄弟とかいるの?」
「うーん、お姉ちゃんが一人」
「歳は?」
「せ……十四歳さ!」
エルは僕の質問に対し、特に躊躇することなく答えてくれた。
簡単な質問を幾つかしてから、本題に入る。
「エルは、なんで僕を探していたの?」
一瞬、これはまずかったかなと思った。
その時のエルは、これまでのにこやかとした表情からは打って変わって、真剣な鋭い眼差しで僕のことを射すように見ていた。
僕は、その目を見て、本当にわずかな間だが、圧倒された。
それは、初めて『精霊の樹』ユグドに会った時と似たような感じだった。
「君は、」もしかして……」
……精霊?
この子、もしかして、精霊なのかな……?
一瞬だけど放たれたオーラ? 気?……とにかくこの子は何かある。それだけは確かだ。
「エル、君は精霊なの?」
僕は率直に訊いてみた。
「やっと分かったんだ。気づいてくれなかったらどうしようか考えてたところだったよ」
エルは微笑んで言った。
「じゃあ、君が僕のことを探していたのは、僕が精霊の声を聞けるから?」
僕は物心ついた頃から、精霊の声を聞くことができた。
僕が移民であることから、村の皆は、僕が精霊の声が聞けると言っても信じてくれなかった。
それどころか、「移民のくせに精霊の声を聞けると嘘をつくな」と、僕は村の少年たちからいじめを受けていた。
実は僕だけでなく、母さんも精霊の声を聞くことが出来たのだけれど、それが村の皆にばれることは母さんが死ぬ時までなかった。
エルは神妙な顔で言った。
「うん、そうだよ。でもね…私は普通の精霊とは違うんだ」
「普通とは違う……?」
「君が僕を見つけた時、僕のことを人間だと思っただろう? つまりそういうことだよ」
いやいや。どういうことだよ。
僕が返答に困っていると、エルが若干イラつきながら言った。
「だから……私は、人間に転生した元精霊なのさ。これでわかったかい?」
「あっ、そういうことだったのか」
納得。すぐに精霊だと気づけなかったのは、人間になっていたからなんだね。
「でも、普通の人間は僕の正体を見抜くのはまず不可能だろうね。僕の正体が見抜いたのは君が初めてだよ」
エルは僕に感心しているようだった。
そして何故か偉そうに、立ち上がって僕の肩に手を置き、言った。
「よし、私の正体については話したし…。私の目的を君に聞いてもらいたい。これは世界の命運がかかった大事な使命だ! 心してきいてくれたまえ」
世界の命運? 随分大袈裟にいうんだな……。どんなことだろ?
僕は軽い気持ちでエルの話を聞いていた。
「今、この世界に大きな異変が起きようとしている。私は何としてでもそれを止めなければならない。そのために君の力を貸してほしい!」
エルはぐっと拳を握り、強い口調で言う。
「再び解き放たれてしまった七人の『大罪の悪魔』……。その闇を晴らし、彼らをもといた場所へ戻してやってほしい。それが私の願いだ」
僕はエルの言葉を理解するのに少し時間がかかった。
世界の異変? 『大罪の悪魔』? いやそもそも『大罪の悪魔』なんてほんとにいたのかよっ。
「エル、なんとなく分かったけど……なんで僕なの? 僕じゃなくても、他にも適任がいるんじゃあ……」
「まだわからないのかい? 私は君を見て、すぐにこの子だと知ったんだ。人を思いやることの出来る、優しくて、暖かい心。少々自分に自信がないところもあるけど、私は導かれたのさ。君の、その力に……どこまでも伸びていくことができる可能性にね」
エルは僕の手を取り、包み込むような優しい声音で言った。
「僕の、『可能性』?」
「そうさ。君はどんなに荒んだ心の持ち主でも、その心を明るく晴らすことができるだろう」
「でも、初対面なのにどうしてそこまで僕のことを……」
「精霊であった私にはわかるんだ。その人がどんな心の持ち主であるかが……。そして君は、私が神に導かれて出会った、優しい心の持ち主だったってわけさ」
僕に、できるのかな? そんな大きな使命……。
「君なら出来るさ。なんたってこの私が選んだ子なんだ。私が君を、この世界のどこまでも導いてあげるよ!」
エルは、僕がいつものように農作業をしていると、とても興味深そうに見てきた。
「エル、どうしたの?」
エルはコホンと咳払いすると、少々もったいぶりながら言った。
「えー、実はねトーヤ君。私はね、一度……、人間の農業というものをだね、やってみたくて……」
「そっか、じゃあ手伝って貰おうかな」
一時間後。エルはへとへとに疲れた様子で地面にへばり込んでいた。
「トーヤ君、まさか畑を耕して種を撒く作業がこんなに大変だとは思わなかったよ。人間とやらはこんな重労働を毎日のようにやっているのかい?」
僕は汗だくになっているエルにタオルを手渡し、微笑んだ。
「慣れちゃえば気にならないよ。それに、大変なのは最初だけさ。後は肥料や水をやりながら、野菜が育つのを待つだけ」
僕は立ち上がって家の裏まで弓矢を取りに行き、エルにこっちに来るよう手招きした。
エルは面倒くさそうに、ノロノロと僕の所まで歩いて来た。
「トーヤ君、次は何をさせる気だい?」
「さっきのはエルが自分でやりたいって言ったんだろ。もう少し、手伝って貰うよ」
僕は矢を入れる箙を背負い、弓をその手につがえた。
「何をするんだい、トーヤ君!」
家の裏の森へ分け入っていく僕を追って、エルが大きな声で訊いた。
「最初は、見ているだけでいいから……。なるべく、音を立てずに付いてきて」
さあ、狩りの時間だ。
僕は息を殺し、獲物を探して静かに駆けた。
木々の間を抜け、森の中を流れる小川を飛び越える。
獲物は、どこだ……?
僕は五感を全て使って獲物の位置を探る。
ふと、カサカサ……と葉擦れの音がした。
見つけた。
箙から矢を引っ張りだし、弓をぐっと引く。
僕は獲物をその目に捉えると、静かに矢を放った。
矢は、風を切って真っ直ぐ獲物へと向かっていく。
獲物は狩人の存在に気付き、一目散に逃げ出そうとしたが、僕の矢の方が早かった。
「はぁ、はぁ……トーヤ君! 君、凄いね! アルテミスが見たら喜ぶかも!」
エルは顔を上気させ、こちらへ走って来る。
獲物は大鹿の牡。それも、かなり大きい。
「精霊樹ユグド。あなたの森の命、頂きます」
僕はユグドからの贈り物に、彼への感謝の言葉を言った。
エルは、狩人としてのトーヤの顔を見、驚いたように言った。
「トーヤ君、君はやっぱり凄いよ。こんなに大きな鹿を一発で仕留めちゃうんだから。私、もっともっと君の事知りたくなっちゃった」
トーヤ君が仕留めた大鹿をナイフで捌いている間、私は『精霊樹の森』を眺めていた。
この森……。人間界に来て初めてだ、こんなに精霊が多くいる森は。
その精霊樹とやらの影響なのか?
「なぁトーヤ君。ここの『精霊樹』を見たいのだけど、いいかな?」
トーヤ君は顔を上げ、ちょこっと笑
を浮かべ、頷いた。
「いいよ、エル。きっと君が見たら驚くと思うよ」
トーヤ君は鹿の処理を終えたようで、背中のトナカイ革の袋に鹿の肉を入れていた。
「よいしょ……今夜はご馳走だね」
満足気に笑うトーヤ君は、立ち上がり、私の方をちらっと見ると、歩き出した。
ふわふわと宙に漂うごく小さな精霊たちが、初めて見る私の姿に興味津々といった様子で、近付いてきては離れていく。
森の精霊は、その殆どが小さな光の粒のような姿をしている。
神々が住んでいる天界にいる精霊たちは美しい女性の姿が多いのに対し、人間界(神たちは下界と呼んでいる)の精霊は姿を持たない物が多い。
なぜ人間界と天界で精霊の姿が違うのかは、私にはわからない。
だがその理由も、『精霊樹』に訊けばもしかしたら分かるかもしれない。そういう期待もあって、私は『精霊樹』の名を聞いて、彼に会ってみようと思ったのだ。
「皆元気だった? 僕もだよ。ああ、そうなのか。知らなかったな〜」
トーヤ君は姿の無い精霊たちと言葉を交わしている。
端から見ると、やはり人間が精霊と語っているのはとても奇妙なものに思えた。
だが、天界から下界を見てきて、人と精霊はもう意思疎通することは無いのだなと寂しく思っていたことが、嘘のように嬉しくなっていることも確かだった。
私は、自然とトーヤ君と混ざって、精霊たちとの会話に興じていた。
「それで、おじいちゃんは何て言ったの?」
『それはかぼちゃか? だって。あの人ももう年だよねー』
「ちょっと待てよ。林檎をかぼちゃと見間違えるなんて、大丈夫なのかい? その精霊樹」
『あの時は寝ぼけてたのよ、ユグド様は。普段は本当に頭の切れるお方よ』
「へえ、そうなのか」
そうこう喋っている間に、精霊樹ユグドのもとへ辿り着いた。
私はその木を見て、思わず目を見張った。
「見慣れない顔じゃな……。お主は……?」
彼が、精霊樹ユグド……!?
エルは驚きを隠せなかった。なぜ、あの御方がここに居るんだ!?
「貴方は、『世界樹』ユグドラシル……どうしてこんな所に」
トーヤがはっと目を見張り、ユグドとエルを交互に見た。
「世界樹って、神話に出てくる……ええっ、おじいちゃんそんな凄い精霊だったの!?」
トネリコの大木に宿る精霊は、微笑みをたたえながらゆっくりと頷いた。
「トーヤが外から友達を連れてくるとは、珍しいのう。それに連れてきたのは、なんと人間に転生した精霊とは……」
エルはユグドに深く頭を下げ、名乗った。
「私は天界よりこの地に降り立った、精霊<エルフ>のエル。貴方が、『世界樹』で間違いないですね?」
「ああ。ワシが、かつてこの世を支えていた、『世界樹』じゃ」
トーヤはまだ目を大きく見開いてユグドを凝視していた。
ユグドは彼のその様子に、少し笑みを漏らすと、今まで誰にも語ることのなかった物語を語り出した。
「かつて……この世界が神々によって支配されていた頃、ワシは世界を支え、生命を与えていた大いなる存在だった。じゃが、『ラグナロク』により世界は滅びの寸前まで追い込まれ、それはワシとて例外では無かった。ワシは、その時目覚めた悪魔と、神の激しい戦いで体が引き裂かれ、バラバラになってしまったのじゃ」
トーヤは、神話には描かれていない『世界樹』のその後の物語を静かに聴いていた。隣のエルを見ると、彼女はもう知っていることのようで、表情を崩さず黙って彼の話に耳を傾けていた。
「無惨にもバラバラにされたワシの体は、九つに別れて世界中にばらまかれた。その内の一つの破片が、ここで芽を出し、こうして精霊樹となっているという訳じゃな」
トーヤは思わず溜め息をついていた。
僕が今まで何度も語り合ったこの老木は、この世界の成り立ちを知る、いわば神にも近い存在だったのだ。自分が神たる世界樹に気安く話しかけていたなんて……なんという無礼を犯してしまったのだろうか。
そんなトーヤの胸中を汲み取ったかのように、ユグドは言った。
「ワシは、もう『神』では無い。ただの、一本のトネリコの老木に宿る精霊に過ぎない。傲慢にもお前たちを跪かせるような真似はしたくはないのじゃ。ワシが、世界樹の破片から生まれた存在だからといって、ワシを特別敬うようなことはしなくて良い」
トーヤは慌てて首を横にブンブンと振る。
「でもっ……!」
「トーヤ、今まで通り、ワシのことを『おじいちゃん』と呼びなさい」
「だけどっ……あなたは……ううっ分かったよ、おじいちゃん」
トーヤは折れた。ユグドがそこまで言うのだ。仕方あるまい。
ユグドはエルに目を向け、穏やかな声で訊ねた。
「では、エル君……君の用は何じゃったかな?」
エルは一度深呼吸してから、こう告げた。
「トーヤ君にはもう話したけど、今この世界で大きな異変が起きようとしているんだ」
ユグドは目を細めた。
「それは、まさか……」
「そう、そのまさかさ。……『悪魔』が再び蘇ったんだ。何者かの手によって人為的に引き起こされたと、オーディン様は見ている」
オーディン。神話に出てくる偉大なる神の名。
エルは、オーディンと面識があるのか!?
僕はさっきから驚かされっぱなしだ。
「君はオーディンの『眷属』だったのか……」
「トーヤ君、君はアスガルド神話をよく読み込んでいるようだね。そう……私は、神オーディンの眷属。私は彼の命で下界に降りてきたのさ」
神の眷属とは、その名の通り神に仕え、神とともに戦う、神が作った神の家族だ。
「悪魔は……全員が解き放たれたのか?」
普段は穏やかな表情のユグドも、この時ばかりは今までに見たことが無いぐらい真剣な表情を作っている。
「ああ。七人の大罪の悪魔……傲慢のルシファー、嫉妬のレヴィアタン、憤怒のサタン、怠惰のベルフェゴール、強欲のマモン、暴食のベルゼブブ、色欲のアスモデウス……。
七人全員、あっという間に世界中にばらまかれたようなんだ」
エルの宣告に、ユグドも、僕も凍りついた。
世界を最後の破滅に陥れた、最強の七人の悪魔。この世の悪意の塊。
彼らが再びこの世界を破壊しようとしている……
そして、それを止めるため時空を超えてやってきた存在。『エル』。
「エルは、僕に悪魔を止めさせるために、僕の前に現れたのか」
僕はようやく話の全貌がわかってきた。
「そうさ。君には【英雄】になってもらう」
僕が英雄!? 神話の英雄には憧れていたけど、自分が英雄になれるなど僕はこれっぽちも思っていなかった。
「英雄って、そんなに簡単に……」
「簡単ではないだろうね。だけどねトーヤ君、この世界には神様たちが残した『力』がまだあるのさ。その力を手に入れれば、君だって『英雄の器』になれるんだぜ」
「神様が残した力…。本当にそんなものがあるの? エル」
僕は『神話』の伝説を大体は信じていたけど、神様の残した力については、いまいちピンとこないものがあった。
その力が一体どんなもので、どう使うのか『神話』に全く記されていなかったからだ。
「あるさ。神々が地上に残した偉大なる力。それは、【神器】となってこの世界のどこかに隠されているんだ」
ユグドは目を僅かに細めた。
少しの沈黙の後、ユグドは口を開いた。
「エルよ……【神器】の在処については分かっているのかね?」
エルははっきりと頷き言った。
「ああ! だから今から、トーヤ君をそこへ連れていく!」
エルは唐突に張り切り出した。
僕は突然エルに腕を掴まれ少し狼狽しながら、彼女に訊く。
「今から行くの!? まだ何も準備して無いよ。もう少し時間をくれよ」
エルは明らかに不服そうな顔をしたが、かなり時間をかけて「うん」と言った。
ユグドは微笑み、僕に声をかけてきた。
「トーヤ……【神器】を手に入れるのは簡単な事では無い。気を付けて行くのじゃぞ」
「はい! おじいちゃん」
僕の帰りの足取りは、誰が見ても一目で分かるほど浮かれていた。
だって、こんなに可愛い女の子が、僕を英雄にするために導いてくれるというのだもの。誰だって浮かれちゃうよ。
英雄……冒険……いいよねっ。男のロマンだよね。
「ねぇエル。その、【神器】って、どんな所にあるの?」
「うーん、それは神様によるけど……『神殿』とか、『館』とかかな。オーディン様や、トール様なんかは『館』に神器を託したと聞いているよ」
「……【神器】を託す?」
僕が気になって訊くとエルは丁寧に説明してくれた。
「つまりね、神様たちが地上を去るときに、【神器】を守るための堅牢な建物を造り、それに【神器】を託したんだ。『神殿』や『館』は意思を持つ。侵入者が【英雄の器】かどうか、様々な試練を与えて見極めるのさ」