1.真空玲奈の特等席
ただ何となく歩いていたわけじゃない。直接的、間接的、二つの目的を持ってそこに向かっていた。
木陰に隠れた木のベンチ。あたしだけの特等席。
なのに。
誰かがそこで眠っていた。肘掛けに倒れこむように居眠りするそいつは、おそらく別のクラスか違う学年。見たことのない顔だった。
あたしはその時イラついてて、呟くようにこう言った。
「It is my ringside here.Would you get out,Mr.doze?」
寝ているし、起きていてもたぶん通じないだろうな、と思っていた。
でも違った。そいつは答えてくれた。
「I am sorry.But It is my ringside here,too.And I am not『doze』.」
驚いた。そして、それ以上に嬉しかった。
クラスの誰に言っても通じないであろう英語が通じた。たったそれだけであたしは直観的に思った。
『こいつはきっと話が合う』って。
「……とりあえず、どいてもらっていい?」
彼は目をこすりながら場所を空けた。
このベンチは三人掛け。二人で座っても間はある。
「で、ここは僕の特等席って言ったよね?」
まだ寝ぼけてそうな顔。寝不足なのか?
「その前に、あたしの特等席ですがって言ったでしょ」
あーはいはい、というマヌケな返事が返ってくる。男子にしてはやわらかめの声だった。
ちょっと意外。もうちょいシャキッとしてそうなイメージだったのに。
「じゃ、僕ら二人の特等席ってことで。あ、でも所有権は僕だからね」
勝手に言われた。とりあえず嚙みついておく(慣用句的表現)。
「ひっどい!唯一の逃げ場所なのにっ」
言ってから、あっと思った。しまった。本音が少し混じっちゃった。
「逃げ場所?」
彼は目ざとくそれに気付く。
「……そ、逃げ場所。何か?」
お願い、何も言わないで。あんまり人に言いたくないの。
そんな思いは伝わったのか、彼は興味なさそうにまた目を閉じた。
あたしは安心して伸びをする。グーッと腕を伸ばしたら右の指先が樹にぶつかった。……地味に痛い。左手でさすりながら樹をにらんでおく。
「……」
「……ねえ」
「んー?」
「ここがあんたの特等席って、いつから?」
「僕が入学してから数ヶ月かなー」
今は六月の中旬。あたしがここに通うようになってから彼に会ったことは無い。
そう話したら、彼は溜息混じりで答える。
「あー……部活が忙しくて、時間がなくってさあ」
「何部なの?」
「……一応、文芸部」
……文芸部っ!?初めて聞いたんだけど!
「文芸部なんて、うちの学校にあるの!?」
「え、ああ、そうだけど」
「転部したいっ」
「そりゃまあ大歓迎ですけど……」
「〜〜〜っ!」
チャイム音が鳴り響く。
いつもなら、憂鬱になるだけの無機質なその音。
確かに授業は嫌だけど。でも今は気にならない。
あたしの特等席は無くなったけれど、気の合う話し相手が出来たから。
その後あたしは、名前聞いてないや、と気づいた。
わたしはその原稿をバサッと机に置いた。滝ちゃん(センパイ編集者さん)が怪訝なカオしてるけどそんな場合じゃナイんです!
文香さん(わたし)は今現在、ひっじょーに興奮しているのですよっ!
コレは、わたしが担当している作家さん――天色アオイさんの原稿です。最初の方だけ出来たということで見てましたが……『真空玲奈』ちゃんて、センセイがモデルですよねぇ?なんか、授業が嫌みたいだけど、センセイは超絶優等生ですよね?なんでなのぉ……?
頭に付けたパステルグリーンのリボンをいじりつつ考えるけど、んと、やっぱ無理ぃ!
こーゆーのは本人に聞くべきですよねっ。
よし、そうと決まれば早速センセイに電話しよーっと。
……ん、スマホケースについてる飾りがとれそうかもぉ。むー、ウチにあるかな手芸用ボンド。……じゃなくてじゃなくて。電話だってば!
その後わたしは
『そのうちわかるよー♪』
なんていう、イタズラゴコロ満載な言葉をもらい、更に悩むことになりましたっと。むむむむむ……うあっ、リボンが左に傾いちゃったし!