聖書こそが真理か?

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215:伊藤整一:2019/04/07(日) 13:59 ID:dxw

>>212
>論破しても、万人が納得するでしょうか?実際、世間でもその様なことは少ないでしょう。
論理に説得力があればいいのです。それとも、神の論理の説得力は大したことがないと?

>しかし反対者の思うやり方で、時間を掛けて実際にやらせてみて、それが失敗するならば、それこそ反対者が間違っているという完全な証明になるでしょう。
そうでしょうか。例えば大東亜戦争で、陸軍は島嶼防衛において、水際防衛を採用していました。しかし水際陣地は、圧倒的★火力と物量を持つアメリカ軍にあっさり粉砕され、本来の目的を果たせないことが多発しました。これを参考にして硫黄島などでは縦深陣地を採用し、長期の足止めに成功しました。沖縄戦では同じく縦深陣地を採用しましたが、精鋭の第9師団が引き抜かれたから採用したのであり、計画では水際作戦でした。このように、失敗から学ぶことは容易ではありません。

>治安が主な理由で寝たきりのお婆ちゃんの存在を肯定するのは悲しいと思います。功利主義では道徳は只の必要悪なのでしょうか。私はむしろ道徳こそ大切なもの、例えば効率や繁栄といった事柄よりも優先されるものだと思っています。
理想だけでは守るべきものも守れません。力が必要です。力をつけるには効率や繁栄が必要です。無論、道徳も治安維持の観点では必要です。

>未だ懐疑的です。スズメと比較し、イルカはどうですか?直ぐに泳ぎだしそうな気がします。
イルカは胎内で成長しています。成長期間はスズメの方は短いです。

>骨格が同じでも骨密度が高ければ可能でしょうか?
バランスが悪いので難しいかと。

>矢じりを発見して、これは人工物だと結論するのに対し、より複雑な生命体に対し、何故、意志も設計者も無く自然発生したと考えるのでしょうか?
矢は今でも使われており、それは人工物として存在します。生命は少なくとも人工物ではない。その違いではないでしょうか。

>>213
水の循環については、呂氏春秋などに示されています。古代ちうごくではやはりそういった概念があります。
参考:https://www.morikita.co.jp/data/mkj/029091mkj.pdf

DNAから人を作ることは不可能です。DNAで作れるのはせいぜい全体の2%ではないでしょうか。DNAは脳細胞なども決定しているわけではないのですよ。

>>214
神が関与したのだろうが、方法はよくわからないのですよね。よくわからないのではこちらとしては反論が難しいのですが。

>>208
量子的ゆらぎにおける密度差は今の科学では偶然ですね。しかし、全てが偶然では無いのです。

>一角獣をユニコーンと呼ぶのとマルチコーンと呼ぶのと、どちらが適切でしょうか?アゲハ蝶をアゲハ蛙と呼ぶのは如何ですか?白樺を赤樺と呼ぶのは?ナマケモノをハタラキモノと呼ぶのは適切でしょうか?
言葉は所詮人間の決めた概念を表したものです。我々がマルチコーンだとかの呼び方をおかしいと言えるのは、ユニコーンという言い方が当然だと思っているからです。後付け知識というやつですね。呼び方が定まっていない場合は何と言おうがおかしいと言えないのでは、と考えます。

リンク先への反論はまた今度行います。


伝道者◆zc:2019/04/12(金) 08:20 ID:rU. [返信]


>論理に説得力があればいいのです。それとも、神の論理の説得力は大したことがないと?

論理的説得力さえあれば万人が信じるわけではありません。しかし事実より明白な説得力はありません。それでも信じない者は、やはり信じません。心は鈍くなったり、頑なになったりするからです。

サタンに唆され、神の命令に反して善悪の知識の樹の実を食べた時、それは人間の意志表示でした。人間は神など要らない。善悪は自分で決められる。神に治めて貰うよりも、人間は自分で自分を治めた方が良い。そういう意志表示でした。

結果はどうでしょうか。上手くいっていません。人間は歴史の中で、王政、独裁制、民主主義、共産主義など、色々と試してきました。しかし飢餓や病気、戦争や苦痛など、問題は常に山積みです。人間は人間を上手く治められていません。

以下の聖句の通り、人間は人間を治める能力が無いからです。

エレミア10:23
エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません。

伝道の書8:9
人が人を支配してこれに害を及ぼした

一方、神の王国は、全ての問題を解決します。神に従順で、神の統治を支持すること、これが最善だと聖書は教えています。

>そうでしょうか。例えば大東亜戦争で、陸軍は島嶼防衛において、水際防衛を採用して失敗から学ぶことは容易ではありません。

上で述べた通り、事実という最も強い論証でも、従わない人は常にいます。心が頑なだからです。以下の聖句の通りです。

エレミア17:9
心はほかの何物にも勝って不実であり,必死になる。

>イルカは胎内で成長しています。成長期間はスズメの方は短いです。

論旨が分かりませんでした。人間も胎内で成長していますよね。しかし極めて無防備で生まれます。

>矢は今でも使われており、それは人工物として存在します。生命は少なくとも人工物ではない。その違いではないでしょうか。

天体としての地球は生命ではないですが、如何でしょうか。

>DNAから人を作ることは不可能です。DNAで作れるのはせいぜい全体の2%ではないでしょうか。

本当ですか。もう少し詳しく伺えますか。

>量子的ゆらぎにおける密度差は今の科学では偶然ですね。しかし、全てが偶然では無いのです。

偶然でないとは、どういうことですか。そこに意志があるということですか。

>我々がマルチコーンだとかの呼び方をおかしいと言えるのは、ユニコーンという言い方が当然だと思っているからです。後付け知識というやつですね。呼び方が定まっていない場合は何と言おうがおかしいと言えないのでは、と考えます。

角を一本だけ持つものを、一角(つまり英語でユニコーン)と呼ぶ方が、多角(つまり英語でマルチコーン)と呼ぶよりも適切であることに議論の余地があるでしょうか。

言葉には意味があります。三角形を四角形と呼ぶことは適切でしょうか。

適切とは何でしょうか。確かに緑の信号を青信号と呼ぶことはあるでしょう。しかし緑の信号を赤信号と命名するならば、そして赤の信号を緑信号と命名するならば、交通事故は増えるでしょう。その名前は適切ではないからです。

この点に関して、私の説明は論理的ではないでしょうか。心を頑なにされ、論理性度外視で、只、反論の為だけに反論されているのではないですか。お互い築き上げられる有意義な議論が出来ればと思います。


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