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4:ホタルユキ。◆OE:2023/02/25(土) 22:45

【籠の夢】
段々坂を横切る道を自転車で駆け抜ける。風が心地好い。少し疲れたから休憩。視線斜め少し下、空き地には沢山の太陽が咲き誇っている。光を受けてきらきらと輝いている。視線まっ直ぐ、群青の青。青は一つじゃない。上、青。空色。微妙な線が二つの青を隔てている。家々の窓は碧い青を映していた。自転車再開、一番下まで下れば横断歩道との境目、暗い青。水溜まりは水鏡。
海の見える町。空の綺麗な町。向日葵のある段々坂。
胸一杯は噎せるだろう。目を閉じて少しだけ潮風を胸に宿す。
「……」
ゆっくりと目を開ければ、無機質な白が出迎えた。あの町、あの坂は夢だったらしい。見たことも無い癖に、やたらとリアルで鮮明だった。もう戻れはしないけれども、もう一度目を閉じて先の景色を蘇らせる。
……この目で確かめたい、あの景色を。そんな気持ちが芽生えた。尤も、この体で動くことなど不可能なのは僕が一番分かっていることだ。
無機質な白、窓の外は黙りこくった灰色。夜は果てしなく広がる真暗にチカチカと眩しい光の粒。僕はこれ以外の景色は知らない。精々絵本の中だけだ。無邪気にクレヨンで塗られた空、野原。
少しだけ、引っかかった。あの夢の坂はどんな絵本にも漫画にも小説にもテレビにも、何にも映ったことはなかった。記憶に残っていないだけかもしれないけれど、違う気がした。ピンとも来ない。
ずき、もう考える余裕は無いと言うように頭が痛んだ。動くことも無ければ何か考える他無い。なのに考えるにも限界が来てしまう。最悪な日々だ。せめて少しくらい動くことが出来たのなら。
ガラ、とドアが開いた。ここの人達とはもう顔見知りになっている。とは言え会話は殆ど無い。いつもなら会釈くらいはするのだけれど、あの坂ばかりが気になっていたから、俯いたままどうぞとだけ言う。
「おー、ここか」
無遠慮な声に思わず顔を上げる。知らない男の人が、本当に本当に無遠慮にこっちへ来た。よくよく考えてみれば普通はみんなドアもノックしていた。この人は絶対に変な人だ。
「おもしれー顔」
彼はそう小さく笑った。きっと表情に出ていたのだろう。
「……何の用ですか」
長らく大きな声を出していなかったからだろう、語勢を強めて言ってみたものの、出た声は威圧のいの字も無いものだった。
「んーと、まぁ、お前の望みを叶えに来たって感じだな」
「望み?」
彼は笑った。そうだとも、何だって叶えてやると高らかに宣言した。
「こんな狭っ苦しいトリカゴの中なんぞ嫌だろ?」
ああ、この人は全てを見透かしているんだ。彼にキツく当たるのも、意味を成さないんだろう。
ここが彼の言った「鳥籠」ならば、僕は傷付いた小鳥だ。大空を知らない、ボロボロの羽を抱えた小鳥。そのまま籠を開けられても飛び立てないような。
「さ、どっちを選ぶ。この真っ白な鳥籠の中で一生を過ごすか、安全も何も保証されていない大空に飛び立つか。オレはお前を尊重するが」
ぴし、と彼はブイの字と共に選択肢を突き出してきた。
鳥籠に、意味はあるのだろうか。例え待ち構えているだろう果てしなく広い空に危険が潜んでばかりであろうと、多少の延命にしかならない箱にいる意味など。
そういえば僕は今までずっと、この無機質な白から抜け出せなかった。逃げることなんて出来なかった。そんな想定もしなかった。空に憧れつつも、いざ飛び立つことは考えられなかった。先の夢から覚めた直後のように。
「さ、早く選べ」
「……お願い、します」
彼の双眸をしっかり見据える。
良い返事だと彼はまた笑った。よく笑うなぁ。僕とは大違いだ。
「決まりだ。お前を苦しみから解き放ってはやれないけれども、狭い狭い籠からは解き放ってやれる」
すっと彼は手を差し出した。僕はその手を取ってゆっくりと起き上がる。体の上げる悲鳴のような危険信号に知らない振りをする。彼は僕を引き寄せて、そのまま軽々と抱き上げた。
「さ、確り掴まるんだ。離れないように。今からオレが、お前を広い大空へ飛び立たせてやる」


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