映画「沈黙」が公開されました。(私は遠藤周作の原作をよみましたが。映画はまだみてません)日本ではキリスト教徒は少数派です。なぜ明治になり禁令がとかれても、キリスト教が根付かなかったか❓皆様のご意見をおよせくださいませ。(私はカトリックの勉強をしたことがありますが。今だにその答えをみつけてません)よろしくお願いします。
2:一文◆aI:2017/01/28(土) 18:33 ID:MQI神道と仏教がすでに生活の一部になっていたからだろ
3:アーリア:2017/01/28(土) 18:45 ID:eSI キリスト教は切り捨て教だからだよ。
他の宗教の人は救われないんだろ?
だから、切り捨て教なんだよ
「八百万(やおよろず)の神」と表現されるくらい日本人は数多の神仏を取り入れて
“唯一絶対神”とは無縁で自由極まりない宗教的思想を保有し続けて来た国である為。
そんなワケで、キリスト教は遅れてやって来た南蛮渡来の宗派の一つに過ぎないから。
皆様ありがとうございます。皆様のご意見には納得します。しかし不思議なのは戦国時代には一時期は大流行した(キリスト教が)ということです。為政者が南蛮貿易による利益をえるために、布教をバックアップしたからにせよ。当時の日本人にとり神道や仏教にはない魅力があったからだと思います(でなければあれだけ多数の殉教者がでたり。長崎などで明治まで隠れキリシタンが残るわけはない気がします)細川ガラシャなどは禅宗に傾倒してたのに。結局禅宗ではなくキリスト教に精神的な救いを見いだしたわけですから。なのに明治になり解禁になったのに、信者はあまり増えなかった。しかもキリスト教の幼稚園やら学校は多数ある(キリスト教の学校はだいたい週に一度は宗教の時間があるのに)謎だらけです。
6:キアラ:2017/01/29(日) 14:11 ID:/R2わたくしごとになりますが。私はガラシャと共通点があります。それは「仏教の教えにふれていたのに。キリスト教に強烈に惹かれた(私は高校は仏教系女子校)」ということです。 ガラシャほどではありませんが(彼女は宣教師が舌をまくほど禅問答に精通していたらしい)、私も仏教については多少は学びました。神道についても同級生に神社の神主さんのお嬢さんがいたので(日本らしい話ですが。彼女によればキリスト教の学校にかよう神主の子もいるとのこと)、話をきく機会はありました。にもかかわらずガラシャも私も神道や仏教でなく、キリスト教に強く惹かれた。しかし私は洗礼をうけないまま、現在にいたります。なんとなく完全にはなじみきれなかったからです(遠藤周作氏がカトリック教徒でありながら。かんぜんになじみきらない自分がいたと告白してますが。それに近い)多神教の日本に生まれ育ったため「唯一神」ということに違和感がある。さらには日本は「白黒つけないグレーゾーン」というか「曖昧さ」をよしとする文化。キリスト教はそうではない。そのあたりが違和感の原因だと思います。あとは自分達の信仰のみをよしとし、他の信仰をもつ人に対して寛容でないーなど。(私は異なる信仰をもつ人に対して、寛大でありたい)信者でない人を切り捨てる(ようは救われないとするなど)。このあたりだと思います。
7:一文◆aI hoge:2017/01/29(日) 18:13 ID:MQI そりゃ新しい考え方が海外から入ってきたらそれを信じる人も多数いて
弾圧を受けてるときも信者がいるのはこれまで先祖が信じてきた宗教だからでしょ
どうでもいいけどキリスト教の学校に通う神主の娘って佳子内親王殿下と同じだよね
一文さん、ありがとうございます。たしかに佳子さまと同じですね。逆に「プロテスタントの牧師のこどもが、神道か仏教の学校にかよう」はあるのかー疑問になりました(ない気がします。キリスト教徒は他の宗教に寛容な人は少ない気がするので。カトリックの学校にすらいれなそう。おなじプロテスタントか無宗教の学校になる気がします)やはり日本は信仰に関しておおらかなんですね。よく考えてみたら佳子さまのケースは「英国のロイヤルファミリーのプリンセスが、カトリックの学校にかよう」ようなものですよね❓(たしか英国王室のメンバーは、基本的にはカトリック教徒は妃に迎えられなかったと記憶してます)