「私が嫌い?」「嫌い」はいじめ?!

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1:法律の「いじめ」の定義を考える "互いが互いをいじめ合っていた"?:2022/10/19(水) 00:47 ID:BvE

「私が嫌い?」「嫌い」はいじめ?!
――法律の「いじめ」の定義を考える――
https://imadegawa.exblog.jp/32855764/

■"互いが互いをいじめ合っていた"?
佐賀県伊万里市の女子中学生が自殺した件で、
万里市教育委員会は報告書を公にした。
 
報告書は、
自殺した女子生徒がLINEで
「私が嫌いなの?」との問いかけたのに同級生が
「いまのXは嫌い」などと答えたことを
いじめと認定した(NHK佐賀 NEWS WEB)。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/saga/20221017/5080012982.html

そして、
自殺した女子生徒の側が この同級生に
「嫌い」と発信したこともまた、
いじめとして認定した(『読売新聞』電子版)。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20221018-OYT1T50067/

他方、
このやりとりは自殺の約20日前で、
「内容自体も
 積極的な害意や悪意を告げるものではない」ため
「自殺の決定的な原因となったと認定することはできない」
ともした(『佐賀新聞』電子版)。
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/933990

いじめ防止対策推進法は いじめを、
「児童等(酒井注:=児童生徒)が
 心身の苦痛を感じているもの」と定義する。
「私が嫌い?」と聞かれて
「今のあなたは嫌い」と答えるのも、
そう言われて「嫌い」と返すのも定義上、
共に「いじめ」となる。
「互いが互いをいじめ合っていた」。
法律の定義上、そうなる。
いじめ防止対策推進法上、確かに そう なるのだが、
こういった定義が適切か どうかは
考えるべきではないだろうか。
こうした定義では、
社会通念上相当な範囲を
特段 超えているとは言えない行為も
恣意的に「いじめ」とされかねない。
思想・信条・表現の自由や幸福追求権を保障する憲法上も
問題が有る。

いじめか否かを全て「いじめられた側の主観」に委ねる
今の「いじめ防止対策推進法」の問題点は他にも有る。
客観的に「いじめであろう」と思われてしかるべき行為も、
それを されている本人が
「心身の苦痛を感じて」いないと主張すれば、
定義上、それはいじめでなくなってしまう。
それでいいのか。

「いじめ防止対策推進法」において いじめは、
第四条で「児童等は、いじめを行ってはならない」と
明確に その禁止を うたうものである。
そうである以上、
いじめの定義は、
「児童等が心身の苦痛を感じうるもので、
 社会通念上相当でないもの」などと
すべからく改めるべきではないだろうか。

また、
今の「いじめ防止対策推進法」は、
いじめをする主体を
「児童等(学校に在籍する児童又は生徒)」に限っている。
最低でも教職員は ここに含むべきではないか。
もっとも、
いじめを
「対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」と
するままでは、
授業も宿題も全てそうなりかねないが。

2:亡骸:2024/01/27(土) 18:59 ID:mP2

同感

3:あ:2024/02/05(月) 00:31 ID:sBU

私が嫌いなの?って質問するくらいなんだから、嫌われてると思う出来事があったんじゃないの?


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