いじめについて思うことを語るスレ

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1:みみ A:2021/08/20(金) 18:37 ID:WjQ

いじめについての考えを吐き出して下さい。
暴言、関係ないことは語らないでください。
誰でも乱入オッケーです。

2:ぴよ:2021/08/21(土) 07:34 ID:rxQ

いじめは、やって何が楽しいんだろうと思います

3:ぴよ:2021/08/21(土) 07:36 ID:rxQ

いじめは、やって何が楽しいんだろう?
と、思います
する方も、されるほうも、気持ちよくないきが、、、
まあ、いじめの当事者には、田武わかりませんが

4:みみ A:2021/08/21(土) 08:42 ID:WjQ

ぴよちゃん、だよね。

5:みみ A:2021/08/21(土) 08:45 ID:WjQ

私の意見です。犯罪って器物損壊がありますよね。器物損壊とは、物を壊すこと。治るのに時間がかかります。でも、いじめって、いじめられた人の物を壊すことになると思います。私の場合、私のものに触るのが嫌といういじめでしたが、心を壊されました。今精神病んでいます。解決してから2ヶ月経っていますが、まだ治らず、逆に酷くなったんです。下手したら犯罪ですよ。私はこう思います。

6:匿名さん:2021/08/26(木) 04:58 ID:0x.

苛め加害者は要らないが、被害者の方も隙があるので注意しろ。苛めの原因を取り去れ。

7:。。。。:2022/01/01(土) 16:26 ID:XvY

あのね、そうじゃなくて100%虐め側が悪いよ。
近年わかってきたのは、人格障害者が自信をつけるために、相手をこき下ろしする事が研究でわかってきた。
優しくて反撃しそうもない相手を選んでいて、理由は見方をつける為に、何でもいいから後付けだよ。
虐めてる加害者は、境界性人格障害、自己愛性人格障害、反社会性人格障害だから。
自己愛と反社会は最後まで反省しないし、これらの障害は遺伝する。

8:匿名:2022/02/14(月) 21:16 ID:WUU

加害者にも被害者にもなった事がある私から書かせてもらいます。
そりゃ加害者が100%悪いと思うよ。場合によるけど、被害者に原因があるのは事実。
被害者が悪い事したからっていじめていい訳じゃない。
加害者になったことのある私だけど、こんな事は繰り返さない。忘れないよ。許してもらう気はないけれど。

9:A:2022/02/15(火) 02:49 ID:mXs

>>8

いじめられる側に原因がある?ねーよ。いじめる側が100%悪いのに、場合によってはとか、矛盾してないか?

原因についてだが、例えば、性格がクソ悪かったとしよう。空気が読めずに他人の情事に関して、首を突っ込むような性格だったとしよう。

そこで、例えば、あるクラスメイトが、「クソ性格が悪い」のを根拠に、がいじめるとする。

はい、これは、いじめられる原因なのか?と言われれば、答えは否である。いじめられる原因ではない。

なぜなら、いじめられる根拠(原因)というのは、いじ
める側の、脳内だけで捏造されるものであって、何人たりとも、いじめられうる根拠なんて、持ち得ない。

デブだろうが、ブスだろうが、キモかろうが、全くいじめられる根拠にはならない。勝手に、いじめてもよしとする根拠と結びつけてんのは、いじめっ子の脳内での処理だけの話。全く、普遍的でも、一般的でもない。

もしも、それでも、いじめられる原因があるだなんて言うのであれば、画面の前のそこのお前は、ナチスと一緒。

したがって、被害者に原因があるというのは、「事実」ではない。その事実は、事実たり得ず、加害者の脳内の捏造であって、主観であって、恣意的解釈である。

10:匿名 hoge:2022/02/15(火) 12:34 ID:.tU

いじめる側が100%悪いけど、自衛するに越したことはない。

犯罪者が悪いけど、犯罪に巻き込まれないように鍵をかけたりSEC〇Mつけたり、できる対策を取るのと同じ。

財布を出しっぱなしにして盗まれたら、盗む方が悪だけど、そのままにしなければ狙われなかったというのも明白。

いじめも犯罪だというのならば、防犯意識がある方が回避しやすいのも間違いではないと思ってる。

いじめや犯罪が絶対的に悪いけれども、議論したところで加害者志向の人がゼロになる訳では無いと思うから、無くならないのであれば対策する、というのも世渡り方法の一つでは無いかと考えてる。

11:A:2022/02/15(火) 14:35 ID:jqo

>>10

それは、必要性の観点で言えば、「実用」の分野に限定される。
そして、それを万人に適用させようとするならば、「実用をしていなかった、もしくは少なかった奴にも問題がある」という論理が曲がり通るのと(現に実例がある)、いじめっ子を無くす動きには全く繋がらないので、メタ的な意味で、問題がある。
そもそも、いじめを減らさずに、自衛の必要性を迫られる社会なんてものは、問題がありまくり。
そして、いじめを減らす提案すらせずに、ただ自衛しようというのは、無思考そのものだ。

そもそも、いじめを無くす動きというのも、強めなければ、減らない。なので減らすには、例えば、いじめというのは、格差が大きければ大きいほど、増えるという相関関係が既に統計上出ている。これは、アメリカであろうが、イギリスであろうが世界的に共通している現象。

それから、「議論したところでとか」トンマなこと言ってるけど、議論がなかったら、改善も解決もしないんだが?社会合意や危機感は、国民の間にも(したがって、政府の間にも)、何も形成されなくないかと批判しておく。

教育の社会構成主義の立場からすると、「いじめを無くすことはできない」というのは合意だが、いじめを無くすことはできない、だから自衛しよう、だから議論をやめよう、というクソ論理を否定して、別の解答を出している。

それは、例えばいじめが起こったとしても、そのいじめを止めるような人間に、子供たちを育てるという教育だ。今の日本の、共同体(過程を含む)の崩壊、上から教育、自己責任教育、学校の機能低下(日本型学校主義より)では、個々の原子化、孤立化、傍観主義が進んで、それはほぼ困難だと言われている。

つまり、いじめを減らす方法、あるいは、いじめが起きたとしても、それを自己浄化する作用を持ち得る社会を作る方法は、いくらでもあるのに、現状に対しての処方箋もなしに、世渡り方法を提示するのは、一般論、社会論を扱う議論としては、ズレているような気がする。もちろん、悪いと言っているのではないが、あまりに不十分で問題があるということ。

12:A:2022/02/15(火) 15:20 ID:zoQ

>財布を出しっぱなしにして盗まれたら、盗む方が悪だけど、そのままにしなければ狙われなかったというのも明白。

これは明白ではない。勝手に原因を作りあげて、明白と言うのも違うんじゃないのか。

別に、財布を出しっぱなしにしてなくても、盗まれる例はある。お金が落ちていれば盗まずに届ける場合も少なくない。したがって、「財布を出しっぱなしにしていること」が、盗む一般的原因にはならないらしい。であれば、盗みというのは、「お金がないこと」
、つまり「貧困」が根本的原因の一つなのではないか。よって、明白ではない。限定的である。

いじめも同じだ。いじめる原因は、一般的原因ではない。主観的な都合で捏造される。性格が悪いとか、デブだとか、なんだとかで。それを、自衛のために、性格を良くしようとか、デブを直そうだとか、なんだとかを直そうだとか、というのは、普通におかしい。

ここから、あんたの言う自衛というものが、そもそも、言ってしまえば、いじめられる原因を減らす、ということと等しく、また、それは、明白に歪んだ対策だということを指摘しておきたい。

いじめられる原因とは、ある人間の主観的都合であって、捏造である以上、そのコンテクストによっても変わってくるのだから、どうやって、その人間の主観的都合を推測して、忖度するのか?という困難がまず初めに立ちはだかる。

次に、推測が困難なために、また自衛のために、合理的に自己表現を停止して、目立たぬよう生きるということを、子どもから実用だと教え込むのは、将来の社会の価値観が歪みかねない。ただでさえ歪んでいるのにも関わらず、より傍観主義が進み、より原子化や孤立化が進むと思われる。

なぜなら、自己表現が少ないというのは、個々の具体的人間の捨象であって、田村正勝いわく、共同体の状態から遠ざかる。
それは理屈から考えてみても、共同体が、血縁、村落、何らかの文化コミュニティ、あるいは現代だと「趣味」など、具体的人間の結合であるのに対し、共同体性の低い状態とは、その具体性が削がれている状態に等しい。これは、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトの議論においても見出されるように、個々の分離がより進む。
ハンナ=アレントは、個々の分離した状態において、全体主義の入り込む余地が大いにあるということを指摘している。既に日本社会は、維新のような政党が伸びていることからも、全体主義の匂いが立ち込めているわけだし。

ゆえに、自衛というのは、悪くはないが、やはり問題がある。自衛を教える際には、慎重かつ、丁寧に、「なぜ自衛を迫られるのか?」という根本に目を向けさせ、「自衛することそのものが理不尽を強いられている」ということを含めて教えないと、少なくともこの問題の改善には繋がらない。

13:?の人 hoge:2022/02/20(日) 18:26 ID:maI

命は人々にとって大事なもの。命なきゃ何もできない。その大切な命がいじめっ子の身勝手な行動によって何千も消えていく。
いじめっ子は「他の人と助け合おう」と言う気持ちが全くない。不愉快な奴だけ消して、共感できる奴が生き残る。
こんないじめっ子の性格にはもううんざり😢😮‍💨

14:KIYOHARADJ kyanbara:2022/02/28(月) 21:52 ID:ZFg

6013-6611-6612-6000-6011-6902で強盗及び車内暴行あり。鉄道界の恥。

15:8の人 hoge:2022/05/21(土) 22:44 ID:iVM

>>9
決していじめては駄目だけど、じゃあ仮にいじめられた被害者が犯罪者だったり元いじめ加害者だったりしたらみんなはどう思うの?

因みに私がいじめてしまった被害者には原因はないと思ってます
100%私自身が原因だと考えている。

16:匿名 hoge:2022/06/16(木) 07:19 ID:tss

いじめをする奴ってどういう思考回路で加害方法を思いつくんだろうね?嫌味の意味も含むけど単純な興味としても。

趣味でいじめを題材にした話を書くことがあるんだけど、自分の描写だとどうもリアリティがないというか。
多分自分の中の良心が「これ以上はやりすぎでは?」という無意識のストッパーをかけているんだろうけど、この仮説が正しいならいじめ加害者にはその良心ストッパーがないんだろうかね。
そういったものが先天的に欠けているのか、あるいはそれまでの人生で良心を学習する機会に恵まれなかったのか。

いじめは内容の壮絶さや悪質さに目が行きがちだけど、加害者の生い立ちや思考とかの根本的なところを深堀りすることも大事かもね。
そこから見えるものもあるだろうし、根元をどうにかすればいじめそのものを未然に防げるかもしれない。
「いじめをさせない、やめさせる」というのは当然として「人をいじめないような人に育てる」という方向からの対策も必要なのかも。

17:悩み:2022/07/18(月) 01:53 ID:NuU

被害者ですが、加害行為の嫌な記憶はふとした時に思いだしてしまうし、
加害者の言動を思い返しても、殺されるには充分すぎると思います。
かといって人を殺したりするのは良くないしそんな事をしても自分が刑務所に入るだけだし、
相手側が慰謝料を払ってくれたりしたらまだ良いかもしれませんが、
結局は泣き寝入りというか、やられ損みたいな感じになってしまっていて、
許せない気持ちや怒りや悲しい気持ちだけが消えずに残ってしまっていて悩んでいます。

18:悩み:2022/07/18(月) 02:09 ID:NuU

何か酷い目にあっている時に、「こんな目に合っています」という事を色んなところで発信したり相談したりする事は、解決への糸口になると思います。
加害行為が長引いた原因の一つに、自分の相談の仕方や発信が足りなかったというのもあると思います。現状を周囲に訴えるというのはやはり必要なのかなと思います。
もっと事細かに状況を説明したり、周りの人に相談する事をすれば良かったのかもしれません。

19:悩み:2022/07/18(月) 02:36 ID:NuU

何にせよ、やられ損みたいな感じなのでもんもんとして悩む日々が続いています。

20:あびす:2022/07/23(土) 07:02 ID:HTY

昔虐められた夢をみて虐めの加害者に対して不幸になって欲しい、早く苦しんで死んでほしいと思いました。虐めの恨みや憎しみを時々思い出して真っ黒な気持ちになります。ネットには加害者を許して成長しろ「私を大きく成長させるきっかけをくれてありがとう」くらい言えるようになれなどと書いてありましたが、全くしっくりきません。虐めの内容は犯罪であり、例えば子どもを殺された親に犯人を許して成長しろなどと言えるでしょうか?私は言えません。
だけど私も虐めの加害者だった事がありました。被害者面できないんです。チンパンジーのブルーノが黒人に強い恨みをもって殺した事件を思い出しました。私も虐めの加害者に強い恨みを持っています。それは私の身を守るための本能的なものなのかもしれません。自分より弱いものを虐めて笑い自分を強くみせようとする本能的なもの。人間もサルなのだ。私も虐めてきたあの人たちもその瞬間本能丸出しのサルなのだと思うと納得でき、真っ黒な気持ちが少し落ち着いたように思います。この気持ちを誰かに知ってほしくてそうする事でより気持ちをおさめれると思い投稿させて頂きます。

21:匿名 hoge:2022/08/24(水) 17:58 ID:XwU

苛め加害者は、赦せない。何れ戦争になるが。

22:匿名 hoge:2023/04/09(日) 03:19 ID:Hsw

「いじめ被害者にはいじめの原因があってもいじめの責任はない」という4コマ漫画を見かけて腑に落ちた。

仮に被害者の外見が醜悪で能力が粗末で性格が終わっていても、その改善は被害者の親なり教師なりの然るべきところに任せればいいのであって排除の免罪符にはならない。
とはいえ、目障りな人物が痛い目に遭えば気味が良くなるのも事実。その愉悦こそ否定しないが、それを実行しないための理性を重んじるべき。


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