好きな言葉と嫌いな言葉を聞かれる事はあっても
言葉自体が好きか嫌いかを問われることは無い
どうしてか、言葉が無い人間の生活などありえないからでしょう
どの国でもその場所特有の言語が必ずある
言葉自体が好きか嫌いかを問われることは無い
私もこうして言葉を使っている
でも本心は半分ほど怯えながら使っている
人の話を耳や目で認識する事には差し障りは無いけれども
自分から発信することは本当に苦しい、胸が本当に少し苦しいほどに苦しい
信用のおける相手であっても口を噤んでばかり
こうして手で書き表す事も、たった一言だったとしても
怯えの気持ちが時間を酷く先延ばしにする
貴方は言葉が好きですか?
言葉をある程度は躊躇なく使う事に抵抗なく使えていますか?
ご意見お待ちしています。
私も>>1様と同じことを考えて生きてきました。仲間に出会えて嬉しいです。
私は言葉は嫌いではないです。ただ、好きでもありません。
お返事ありがとうございます。
因みに言うと私は言葉が嫌いです、出来れば一生使いたくない程に嫌いです。
もっと言ってしまえば…三日ほど生きとし生ける人間全員が、言葉を口に出す事・文字を書く事に対して恐れを抱いて沈黙した日を送ってほしい…なんていう不気味にしか思われない願望を抱いていたりします。
分かり合う事よりも「分かってくれるわけない」とずっと頭で思っていたからか
社会に溶け込むことも非常に困難な状態になっています。
尤も、こうして伝えられているので…自分のトラウマが判明する前までよりはまだマシな状態ですが。
貴方がもしも文字を読むことが嫌いでなければ、図書館や本屋の様々な本を読む事を薦めたいです。
人と話す事よりも、本を読む方がまだハードルは低いんじゃないかと思います。
…悩みを話せる人がいたはずにもかかわらず、全部自分の頭だけで考えては悪い結果ばかり残してきた私が言うべきではないですけどね。
グダグダと書いてみましたが、とりあえず私のようにはなってほしくないです。
言葉や文字を嫌いにならない方がいい、人間として生きている事すら嫌になる私のようにはならない方がいいです。
悲しい事故や理不尽な事件を知る度に
皆も同じように苦しんでいる、お前より苦しい立場にいる人だっていると言われる度に
この矛盾した願いが頭を過る
通じる事が当たり前でない事が共通認識の世界であれば
人間もここまで愚かにはならなかったのではないか
同時に、こんな考えを抱く事もなかったのではないだろうか
それでも元凶は…俺は悪くない、自分たちは一切悪くないと死ぬまでほざき続けるのだろう
こちらも、本気でこの手で殺してやりたいほどに許すつもりなど一切ない
愚かな言葉を紡ぐ口も文字を書くための手も…世界が許す事なら壊してやりたい
奴等に意思を伝える術など全て奪ってしまいたい
それが許されない事だと知っているから
私は人間から人語を無くしたいという愚かしい願望を生んでしまったのかもしれない
人間以外の生き物ならば
他人の発する言葉に怯える事もないのに
人間以外の生き物ならば
人語で発する事による他者への悪影響を考えずに済むのに
だからなかなか文字を書く事も出来ない
返事をする事・書く事は苦手意識が強い
結果として侵略されるか侵食してしまうか
私にとって人と言葉を交わし続ける事は少し大げさに表現するならそれに近いかもしれない
だからどちらも望まない、私は孤独でいい
かつて親友と呼べるほどの中の相手も…皆私の正体を知っては疎遠になってしまったから
だったら知り合いや稀に話をする友達止まりでいい、離れてしまうくらいなら親友なんていらない
自分のスピードが人よりも遅い事はよく分かっているから
何をするにも気持ちばかりが急いてしまってパニックに陥りそうになる
もたもたしてしまう 相手に余計な時間をとらせてしまう
だから怖い 何とも思われていなかったとしても被害妄想を膨らませる
いつだって終わらせてしまいたいと思っている
けれどもこうしてここに書く事で、それを許さない人を自分で作っている
ここに来る前から既にそういう人がいる事を知っているから
自分の暗黒色の思いを綴っては、抱えたまま実行に移さないようにしているだけに過ぎない
触れられないとしても、人間からは寂しく見えようとも
私が平穏な心でいる為には、その状態が最善
この偽りの世界の未成熟な言語とやら、これが全ての元凶でした。
言葉が嫌ならば一度捨て去りましょう。誰もが言葉に支配されている。言葉は操られるべきものです。
厨二板でお悩み相談室設けております。もしよければどうぞ。
孤独は否定されがちですが、そもそもそれは何なのでしょう。
存在の本質とは孤独であるということなのに。
書き込みありがとうございます。
ですが残念なことに、貴方の思いとは別の方向に私の感情は動きました。
恐らく貴方は助けようと思って書いて下さったのだと思います。
しかしそれを重々承知してはいるものの、この心の怨嗟の炎がさらに大きく燃え盛った事を事実としてお伝えしなければなりません。
記憶の始めから、私は言葉を使う力を奪われて育ちました。
そういうふうにさせた人種が、当時私と一番近い場所にいました。
その存在のせいで、私は言葉を捨てざるを得ない状態に陥りました。
一度、そう、既に捨て去りました。
これで人語というものから完全に離れる事が出来ていたなら、私はまだ心穏やかに時を過ごせていられたかもしれません。
しかし結局…人間として存在していて且つ、文字も発語もとめどなく使い続ける人間に囲まれている中
私は言葉から逃げられない事を知るだけでした。
大人になって一人暮らしを始めた一日目にして、それまでの人語に対する恐怖心の正体を明確に知りました。
物心ついたあの時から20年以上経った今、また言葉を捨てようとしても捨てる事などできはしない。
大嫌いであっても、人語が無ければこの人間の世界で生きる事は叶わない。
尤も、私の事を知っている人全員が私に無関心・私が記憶から消えているのだとしたら
また話は別だとは思いますが…そんな事はあり得ない事を既に私は知っています。
だから仕方なく、拙くも言葉を使いながら息をするしかない。
貴方は言葉を支配するべきだというけれど、それを全人間が絶対にできると言い切れることならば私も同意できる。
でも実際は違う、全くもって違う。
だから本当は言葉が大嫌いな私は、言葉なんてこの世から抹消・消滅してしまえばいいのにと願う。
そして言葉を急に使えなくなった事で主に言葉を軽く扱う人間に対して戸惑い・恐れ・絶望してしまえと願う。
終いにはその絶望感に飲み込まれて狂い死んでしまえとさえ呪っている。
あしらうようで申し訳ありませんが、私は認知されているだけで結構です。
他の人間には信じてもらえず嗤われるのがオチ、まず私が人間を信じられないのです。
相手が文字を使って干渉してこられる時点で、実は既に私の中では殆どアウトです。
実際の家の中ですら誰であろうと入って来るだけで侵入と捉える臆病者、それが私です。
いえ、良いのですよ。御心配なさらず。こちらも唐突で軽率だったのかもしれません。
どなたでも探られたくない領域、踏み入れられたくない領域はあるものですからね。
過去の嫌な記憶、思い出したくもないこと、ふと入り込んできた情報が発端となりネガティブな感情に呑まれてしまうこともあることでしょう。
貴方の文章や言葉の端々からはとても生きた感情が伝わってきますね。
その背景にある物語が、形はつかめなくとも、流れ込んでくるようです。
いいのですよ、どれだけ孤立しても。
この現実の中、貴方を取り巻く環境、それらを構成する要素ひとつひとつに目を向けて、現実的な解決を目指していこうとか、一切思わなくていいのですよ。
どんどん孤立して、そこにいるものとは違う己の世界を構築していってください。
いずれ見えてくるものがあります。
重要なのは、中途半端に絶望し、現実に呑みこまれてしまうことこそが怖いことなのですよね。
今戻ってきてみて、より少なく触れられる方がダメージが軽い事を知りました…やはり、変なのでしょうね
知ってほしいのに何かを言われたくない
情報を与えれば直接返って来るものがあって当然なのに、それが人間のごく普通のやりとりでその行動を理解しているのに
あるネットモニターでのアンケートで「被災地の方へ応援メッセージをお願いします」と書かれているものがあった
…おこがましいとは思いませんか?
家が潰れていたり、避難場所の移動を余儀なくされて放浪中だったりの中で
普段通り過ごせている人達の言葉なんて届くんでしょうか?
そうした人間達の殆どが、ちゃんと現状の裏の裏の隅まで考えて言葉を出すと信じられるのでしょうか?
私は絶対に信じられない 寧ろ逆だと思っています
だからそのアンケート欄を見た時、最初に怒りが湧きました
軽々しく言葉を扱う人種たちの事を思い出してしまいました
顔も知らない人達の事よりも、善行を不謹慎と罵るばかりの嫉妬の塊よりも
この心の傷を作った原因への感情がまた水面下まで上がってきました
ここ暫く少しは治まっていたのに…
やはり今度こそ払いきれるように地道に片道切符の運賃を作るしかないのでしょうね
お久し振りです、しぶとく生きております
今日偶々見つけたサイトで
ある意味で少し、このスレッドに近い雰囲気を感じるものを
勝手ながら張らせていただきます
https://ameblo.jp/hiragana3th/
よく確認して見ると、こちらに書かれている内容は
このスレッドが出来る約二か月前で更新が止まっているようです
この方の現状を把握することは叶いませんが…
この方の残した言葉を、必要とする人がいるのではないかと思います
少なくとも…私はもっと早くに気づきたかったと思いました