プロローグ
神隠し___それにあった子供は一体どこに行くのであろうか?
その質問に、僕はこう答える。
あやかし商店街だよ。
そう言ったら、君たちは笑うかもしれないね。でも、本当のことなんだから、しょうがないと思う!
だから、そのことを証明するため、あるお話を書いた。
このお話を読んでくれたらきっと分かってくれるだろう。
このお話は、いじめられっ子の女の子のお話。
君たちは創作だと言うかも知れないけど、いやいや、何を言ってるのか。
これは本当にあった話だよ。
……あ、ちょっとちょっとお客さん!
怪しいって思わないでよ!
店から出てくなら何か買ってからにしてよ!
ちょ、ちょっとお客さぁあぁん!?
__あ、ダメだよ!そっちのドアから出て行ったら!
ムクロですが、何か?(*´∀`)
……え、あぁ、はい。グロはないですよ。残念ですか?
わちゃわちゃしていて、時にはシリアスになるお話ですよ。
安心して下さいな。基本ほのぼのですよ。
彼女は道に迷っていた。
いじめっ子たちにつけ回されて、てきとうにグルグル逃げていたら、あまり来たことのない4丁目に来ていた。
彼女は、自分の家がある2丁目に、どう行けば分からなくて、とぼとぼ歩いていた。
後ろを振り向けば、いじめっ子たちはもういない。
彼女はいじめられっ子だった。
性格が暗いからか、それとも頭が悪いからか、それとも運動が出来ず、いつも皆の足を引っ張っているからか。
___いや、そのどれでもあるのだろう。
彼女はいじめられっ子。
それ以外に、彼女を表す適当な言葉は見つからない。
彼女は独りぼっちだった。
友達もいない。味方してくれる先生もいない。家族はいじめのことを知らないし、まず帰りが遅かった。
彼女が寝た頃に帰ってくる。
だから、必然的に家でも学校でも、彼女は独りぼっちなのだ。
……ああそうだ。そろそろ彼女と言うのはやめて置こう。
彼女に名前を出すことの許可は貰っているし。
彼女の名前は佐藤 留美子。
家族構成は父と母、そして姉がいる。
けれど、彼女___留美子の姉はもう居ない。
だが、死んだというわけではない。
ただ、その家に居ないというだけなのだ。
じゃあどこに?そんな質問が出てくるだろうから、答えてあげよう。
留美子の姉は、神隠しにあったのだ。
つまり行方不明。
もう、6年も前のことだ。
留美子は姉の美佐子のことが大好きだった。
家に帰れば、必ず美佐子がいた。
学校では、美佐子が一緒に遊んでくれた。
けれど、その美佐子が神隠しにあった。
それからだ。留美子が暗くなり、勉強にも運動にも精を出さなくなったのは。
___彼女がふと顔をあげた。
目の前は行き止まり。
どうしよう、と彼女は震えた。
今にも泣きそうな声で、お姉ちゃんと呟いた。
彼女の心の拠り所は、いなくなった姉の美佐子なのだ。
いつか必ず帰ってくると信じてもう六年。最後に見た、美佐子と同じ年になってしまった。
「お姉ちゃん……」
怖いよう、と言って、また下を向いた。
その言葉は、姉に届くことはあるのだろうか。
残念なことに、その言葉が届いたのは、赤の他人だった。
「どうしたんだ?」
留美子が後ろを振り向くと、いつの間にか高校生が立っていた。
留美子の通う小学校から近いところにある高校の制服を纏った高校生は、不思議そうに留美子を見ていた。
留美子はその高校生でさえも怖かった。震えて言葉が出ない。
高校生はそのことに気づいたのか、留美子の手を取って、どこかに向かって歩き出した。
誘拐、という言葉が留美子の頭によぎる。けど、それでもいいかな、と留美子は思った。
もしかしたら、消えた美佐子のところに行けるかもしれないから。
足りない頭で留美子はそう思ったのだ。
高校生は、ある商店街の、ある店に留美子を連れて行った。
その店の中にはお菓子がたくさんあり、そのお菓子を食べる場所であろう畳が三畳、店の隅にあった。
カウンターの奥には、また一人、高校生が座っていた。
「よー、店番さーん」
「んお?……あっれー、旦那じゃないかー久しぶりだねえ」
親しげに挨拶を交わす高校生二人を見て、ようやく留美子は安心した。
どうやら悪い人では無さそうだ。
それに、ここにはたくさんのお菓子があるし。
お菓子だけで留美子の心は変わるらしい。
留美子のことを連れてきた高校生が、店番さんと呼ばれた高校生に、留美子のことを話した。
道に迷っていた、と。
店番さんは、へぇ、と言って、お菓子を眺める留美子を見た。
「……まあいいや。えーと、君、お菓子食べる?もちろん、旦那の奢りだよ!」
「おい待てよ店番さん!なんで俺の___」
「おー、このチョコ?美味しいよね!よしよし、お茶も淹れてこようか!」
留美子は店番さんと高校生のやりとりに笑った。
彼女はお菓子と、この奇妙な二人に心を許していたのだ。
これも、頭が弱い故なのかもしれない。
留美子は店の隅の、三畳ある畳の上に座る。
その畳の上にあるテーブルに、人数分のお茶と数種類のお菓子が置かれる。
「自己紹介をしようか。僕は店番さん。店番さんって言うのはあだ名だね。本名は個人情報のため伏せておくよ」
最近、世間は個人情報個人情報とうるさいからね、と留美子は思った。
留美子よ、どうして君はそこまで頭が足りないのだ。
「俺は旦那な。どこの誰の旦那でもないけどな。これもあだ名だな。個人情報だから、本名はコイツと同じく伏せとく」
旦那ってどこからきたんだろうか。
留美子はチョコを頬張りながら思った。
店番さんがクッキーに手を伸ばし、それをパクリと一口。
旦那はお茶をすすった。
このような和やかな空気は、留美子にとっては実に久しぶりだった。
だから、留美子はこの時を忘れないだろう。__どれだけ年をとったとしても、この時のことは。
「で、お前は?」
旦那がお茶を置いて、留美子に顔を向ける。
留美子は個人情報なんてものを、早くもすっかり忘れ、普通に本名で名乗った。
「佐藤 留美子です」
店番さんが、あれぇっと一言漏らした。
「どうした店番さん」
「あ、いやねぇ?佐藤 留美子って、聞いたことあるんだよね。どこでだろう?」
首をかしげながら、次々とたくさんのお菓子を口の中に入れていく店番さんが取ろうとしたお菓子を、留美子が店番さんよりも早く取った。
留美子は、店番さんが固まっているのを見て申し訳なくなった。
固まるほどこのお菓子が欲しかったのかな……手にあるお菓子と店番さんを交互に見てから、留美子はハイ、とお菓子を店番さんに渡した。
「え、いいのかい?」
そう言う前にお菓子を取って、口の中に放り込む。言動が逆である。
「いいよ、別に」
いじめられ過ぎて、コミュニケーション能力が低下していた留美子が、ここまで喋るのは珍しいことであるのだが……それを知らない二人には、さぞ無愛想な子供に見えただろう。
いや、違ったらしい。
二人はニヤニヤと笑った。
「おうおう、最近の小学生はませてんなぁ?」
「そうだねぇ、おませちゃんだねぇ?」
ただし、留美子が驚いたのは、ませてる、とかそういう言葉ではなく、小学生となぜ分かったかについてだった。
赤いランドセルを背負っていることからして小学生にしか見えないのだが、どれだけ頭が足りぬのか……留美子はそんなところに驚いていた。
が、少したって、ランドセルのことを思い出してからようやく、その驚きが身を潜めた。
ランドセルに気づいたときにはもう、お菓子もお茶も無くなっていたのだが……。
「どうだ?少しは元気出たか?」
旦那が留美子に話しかけた。
留美子はこくりと頷いた。
「元気出ました」
「それならいいんだ。留美子を最初見たとき、元気が無かったからな。だから、子供が好きなお菓子がたっくさんあるここに連れて来たんだ」
ああ、なるほど。だからここに……。
店番さんはあっれぇとまた一言漏らした。
「旦那の好きな子に似てたから連れてきたんじゃないんだ!」
ゴツンっという鈍い音が店にこだます。
さて、この音は一体どこから?
留美子は目の前で頭を押さえる店番さんを見て、今のことは忘れようと決めた。
「痛いよ……痛いんだけど……?」
震える店番さんに、心の中で軽く手を合わせる。
どうか、無事成仏できるように、と。
留美子はバカというより、阿呆なのかもしれない。
「店番野郎、覚えてろよ……っ!」
「僕は悪く……悪いですね、すみません旦那」
ははぁーと土下座する店番さんを見て、旦那が頭を上げぇい、と言った。
何の劇場だろうか。
その光景をボッーと見ていた留美子に、すぐさま元気を取り戻した店番さんが話しかける。
留美子は少しビクッと驚いたが、それは反射的なもので、すぐにおさまった。
「で、君、一人で帰れる?」
ああ、そうだ。私は迷子なんだっけ。留美子はここに来た原因さえも忘れていたらしい。
留美子は、あの、とだけ言い、口をつぐんだ。
「どうしたの?まさか迷子?」
「ああ、だから元気無かったのか」
留美子はこくりと頷いた。
目には薄い水の膜が張り、その膜が今にも落ちてしまいそうだった。
迷子になった経緯と、迷子になったことによってのあの恐怖感。
それを思い出すと、留美子の頭はグシャグシャになるのだった。
それを見かねてか、店番さんが、近くの商品棚から、またひとつ、チョコを出して留美子に渡した。
留美子はそれを素直に受け取り、そして食べた。
チョコを飲み込むと、涙がポタリと落ちた。涙は木のテーブルに少しずつ染みていく。
「えっ、と……わた、私、迷子、で……帰れなくて……」
お姉ちゃん、と心の中で呼ぶ。
お姉ちゃん怖いよ、助けてよ、と。
旦那と店番さんは顔を見合わせ、そして留美子を見た。
留美子は次々と涙を落としていた。
実に小学生らしいのだが、普通の小学生ではないことにすぐに分かった。
気づかなかったがよく見れば、一房の髪が他の髪と長さが揃っていない。
そこだけ、てきとうに切られたように短いのだ。
いじめ、という言葉が二人の脳裏に浮かんだ。
『少なくとも』高校生である二人には、案外身近な単語であることは確かであり、また、昔にそのような出来事が、自分ではない誰かに起こっていたことは知っていた。
彼らは何を思ったのだろう。
懐かしさか、それとも悲しみか。
とりあえず、彼らは留美子を突き離そうなんて思っていなかったことは確かだと言っておこう。
何せ、この留美子という小学生、昔ここに迷いこみ、今やここに住み着いているあの少女に似ているのだから。
「なあ留美子。まさか、お前……__」
旦那が留美子に話しかけるが、留美子は泣いて何も返事をしない。
留美子の心は、また恐怖、不安、いろんな負の感情に侵食されていたからだ。
留美子はヒックヒックと肩で息をし、言葉を発しようとするも、怖くて言葉が出なかった。
頭も心もグシャグシャな彼女は、いじめられた後のようだった。
一房だけ短い髪が前に垂れ、留美子の目に止まる。
ニタニタと笑いながらハサミを向けてきた、クラスのリーダー的存在のいじめっこたちを思い出す。
本に出てくる鬼よりも、魔女よりも、妖怪よりも、怒ったお母さんよりも、この世の何よりも恐ろしい、いじめっ子たち。
今日の帰り道、追いかけまわされ、逃げても逃げても、後ろからクスクスという数人の笑い声が聞こえてきた。
その恐怖をどうやったら忘れられるのか!
恐怖は身を隠していただけなのだ。やはり、心のどこかに居座っていたのだ!
留美子の涙は止まらない。
これはいつものことだ。
その『いつものこと』というものは、いつになったら変えられるのだろうか。
店の中に、和やかさとは程遠い空気が流れる。その空気を破るようにして、新たな人物がやって来た。
「ちょっと〜この間貸した5万だけど〜」
そう言いながら店に入ってきたのは、店番さんと旦那と同じくらいの女で、いわゆるゴスロリというものを着ていた。
この店、そしてこの雰囲気には似合わない彼女に、男二人は驚き、そしてビクビクと震えた。
この世で一番恐ろしいものが来た!……ただし、お金に関してだけだが。
女が、泣く留美子に気付き、あれま、と声をあげた。
「何ィ?誘拐したの、あんたら」
それに猛抗議する二人。
「んなわけあるか!迷子のこの子を安心させるためにだなぁ__」
「僕じゃないよ!旦那だよ!」
「おいてめぇ、店番野郎!なんで俺なんだよ!」
「君が連れて来たんだろう!?」
「泣かせたのはお前じゃんかよおおおお!!」
「んなことどうでもいいのよッ!泣かせたまんまなんて、最低よ最低!だから男はダメなの!」
抗議から喧嘩へと発展していった二人を制し、女は留美子のところに歩いて行った。
留美子は突然現れた女にもまた、恐怖を抱いていた。
とにかく、あらゆるものが怖い。
その留美子を見て、女は目を細めた。そして口角をあげる。
女は微笑んでみせたのだ。
留美子の手を引いて、留美子に靴をはかせ、そして店を出る。
女は誰かが止める前に店を出てしまった。
旦那と店番さんはしばらく固まったあと、あれ、と首をかしげた。
女と留美子が出ていったドアを見て、二人して、あああああっと叫ぶ。
「あ、あのドアから出ていっちゃダメだよ!」
「あいつ何するつもりだよ!?」
この店にはドアが2つあった。
1つは旦那と留美子が入ってきた、普通のドア。
そして、もう1つは____……
「次はあそこね〜」と、女が言う。
留美子は女に連れられるがまま、色んな店を見て回っていた。
女は留美子に色んなものを見せ、そしてものを買ってくれた。
そのどれもが留美子の好みにあったもので、どうしてここまで合っているのだろうと不思議に思うくらいだった。
女に連れられ、あの店を出たあと、少したつと留美子は泣きやみ、何があったのかを女に話した。
女は真剣に聞いてくれた。そして、頑張ったね、と誉めてくれた。
それがどうしても姉の美佐子と被ってしまい、また泣きそうになった。
女が店ののれんを潜り、あら、と声をあげた。
「留美子、これなんてどう?」
可愛らしい髪飾り。小さな赤いリボンがついた髪飾りを手にとって、女が笑う。
「きっと似合うわよ〜?」
留美子は、でも、と言った。
「さっきから買ってもらってばかりで……」
団子に大福に飴に……食べ物から、ついには飾り物に。
さすがに買ってもらってばかりだ。遠慮してしまうのも頷ける。
が、女はなんで、と首をかしげた。
「似合うからいいじゃないのよ」
「そういう問題じゃあ……!」
「それとも、この私が選んだものはつけられないとでも?」
店の奥から、ヒィと声がした。店主が悲鳴をあげたのだ。
実はこの女、『ここら辺』では恐れられている。借金取りの仕事をしており、たまにどこかの用心棒となっては色んな組織を壊滅させた。
そのおかげで『ここら辺』は平和なのだが……やはり、怖いものは怖いのだ。
特に、借金をしているものにとっては。
「ちょっと店主。あなた、確か借金してたわよね?」
借金じゃなくてただのローンです!……なんて真っ正面から言えない店主は、ヒイヒイ言いながら店の奥から出てきた。
この店主の名は……個人情報のため言わないが、ここいらで呼ばれているあだ名は、照る坊主。
頭を輝きを詠ったのだろう、というのはすぐ分かる。
「これ、無料でいいわよね?」
もちろん、借金借金と言って追わないわよ。
その言葉が無くとも、無料で差し上げるつもりでしたとも、という店主の心の声はさておき。
留美子は悩んでいた。
よくも悪くも頭の弱い留美子は、また早くも恐怖心を無くしていた。
女心は秋の空、バカな心も秋の空。
けれど、悩んでいた。
このままここにいてもダメだ。
早く帰って、宿題をしないと。もし宿題を忘れでもしたら、いじめっ子たちに何されるか……。
でも、ここにいたい。
なぜそう思ったかは留美子本人でも知らぬ。
けれど、そう思ったのは換えがたい真実なのである。
家に帰っても独りぼっち。どうせ両親の帰りは遅い。このままここにいても良いのではないだろうか。
……が、しかし宿題がある。
……が、しかし帰りたくもない。ここにいたい。
どうすればいいのだろうか。
その時、おーいと二人分の声が聞こえた。
その声は近くなり、この店に入ってきた。
「ここ、に、居た、のか……ハア……ハア……」
「まったく、移動が、早、すぎる……」
肩で息をする二人は、旦那と店番さん。
留美子は反射的に、無意識に、女の後ろに隠れた。
黒いゴスロリの裾を掴み、ごくりと唾を飲む。
「あら、遅いわね」
「遅いもなにも……どうしてあのドアから出て行った!?」
「別にいいじゃない。この子も楽しかったようだし」
「そういう問題じゃないんだよ巫女さん!」
「巫女様と呼びなさいよ!」
「そういう問題でもねぇよ!」
「そうだそうだ!」
巫女、と女は呼ばれた。
この『巫女』というのが、女のあだ名である。本名は個人情報なので、これまた教えない。
が、いつか分かるだろうから、まあ……どうでもいい。
ちなみに、巫女という職についているわけではない。あくまであだ名である。
女__巫女は、留美子に尋ねた。
「ねえ留美子。貴女、帰りたい?」
「……え?」
帰りたい?
そう尋ねた巫女は確信していた。この子は帰りたくない、ということを。
もちろん、それは当たった。
予感的中100パーセント。それがまるで何かを予言する巫女のようだと、皆は言う。
「帰りたくは……ないかも、です」
ほらね、と巫女は笑った。
旦那が叫んだ。
「どうして帰りたくないんだよ!!迷子なんだろ!?」
それに留美子は何も答えなかった。
その様子で何があるのか察したのか、旦那は叫ぶのをやめ、はぁとため息一つ溢した。
店番さんが、何やら考え込むようにして辺りを見回した。
この店の回りには、他にもたくさんの店があった。その中には、自分の経営する駄菓子屋がある。
だがしかし、留美子は気づいていないようだ。
ここは、彼女のいた世界とはまた違うのに。こんなにも違うのに。
一見見れば、普通の商店街なのだが……よく見てほしい。
ところどころ、あってはならないものがある。
あの黒トカゲ。実に美味しそうなのだが、あれは留美子の住んでいる世界では食べないものなのだ。
というか食べられない。
例えばあの扇。あの扇を扇ぐと、地面が割れるという優れものなのだ。
もちろんこれも、留美子の住んでいる世界にあってはならないものだ。
ここは、留美子の住んでいる世界とは、また違った世界なのだ。
商店街の回りには、野原が広がっていて、その野原の回りには大きな森がある。その向こうを行けば、また新たな町があるのだが……。
なぜ気づかないんだろう。
店番さんは首をかしげた。
「留美子。貴女、もしかして、家に帰っても独りぼっちなの?」
少し間を置いて、こくんと頷いた。
「やっぱり、そうなのね。そりゃあ、いじめのこともご両親に言えないわけよね。それに、ここにいて楽しいんでしょ?そうなんでしょ?」
またこくんと頷く。
店番さんは「じゃあさ」と言った。
「君は両親に心配かけたい?」
なんでそんな質問がくるんだろう?
留美子は首をかしげた。
店番さんは呆れたのか、ため息をついた。
その隣にいた旦那が、ため息つくと幸せ逃げるぞと言う。
お前もさっきため息ついただろうに。
「あのね、信じないだろうけど、ここは君のいた世界とは違うんだ。どういう意味を持って、巫女さんが君をここに連れてきたかは分からない。けどね、そんなのどうでもいいんだ。帰らないといけないんだよ、留美子ちゃんは。ここにいたら、きっと君は行方不明ってことになる」
右から左へ言葉が流れていってしまい、言葉の意味を理解できない。
それを見かねてか、巫女が簡単に説明した。
「つまりね、留美子は妖怪の世界に来ちゃって、もしかしたらお家に帰れなくなるかもしれな〜い、どうしよ〜うって話なのよ」
たっぷり五秒。
留美子は、本日一番の大声をあげた。
「えええぇぇええええぇッ!?」
少し前の巫女の発言に、まだビクビクしていた店主__照る坊主は、留美子の悲鳴によって、今度こそちゃんとした悲鳴をあげた。
「ヒエエェエエエェェエエエエエエェッ!?」
「うるさい照る坊主!少しは黙れよ!」
「だけど旦那!オラァ、すっかり驚いちまって」
「何に!?」
「巫女さんにでっさぁ!」
「そっちか!!」
留美子の頭はグシャグシャでもなく、クルクルパーでもなく……どう表現すればいいか分からないほど混乱していた。
私、妖怪の世界に来たの!?帰れないの!?……と。
けど、その意味をごっくりと飲み込むと、留美子は逆に喜んだ。
なら、いじめられることもない!
そうだそうだ!勉強だってない!だってここは妖怪の世界だもん!アニメの歌でそう言ってたし!
が、留美子は分からぬまい、この世界の法則に。
さて、その法則についてだが……おや、旦那が教えてくれるようだ。
「いいか、よく聞けよ、留美子」
全て説明するつもりなのか、旦那はどこか意気込んでいた。
この男、実は結構な説明したがりやなのである。
「この世界の住人は、ほとんどが妖怪で、人間はほんの少ししかいないんだ。人間の世界……つまり、留美子の住んでいる世界とこの妖怪の世界は、別次元にあるということだ。
だがな、この商店街の店番さんの店には、妖怪の世界に繋がるドアと、人間の世界に繋がるドアがあるんだ。
つまり、あの店があれば、この世界とお前の世界を行き来できるんだ。
店番さんの店は、妖怪の世界と人間の世界の間にあると言ってもいい。だから、たまにドアを間違えて、こっちにくる人間も少なくはない……。
その間違えた人間が、なにあったって呼ばれてるか知ってるか?」
留美子は首をふった。
「神隠しって言われてるんだ」
神隠し……留美子はその単語に、強く反応した。
美佐子は神隠しに合ったんじゃないかと騒がれた。
今日(こんにち)まで見つからず仕舞いの美佐子。もしかしたら、この世界にいるのでは___?
これは喜びか、それとも切なさか。
もっとはやくここに来ていれば良かった?
もっとはやく気づくべきだった?
___結局、留美子は帰りたくない、という気持ちを強くしただけだった。
「でも、普通の場合は店番さんが正しいドアを教えて、元の世界に戻すんだ。けど、残念ながら、戻れないケースもある。そういったケースが神隠し。
どうして戻れないかって言うと、戻りたくないって思っちゃうからなんだ」
「ちなみに、戻りたいってながーく思ってたら、一生帰れないんだからね。貴女の場合はそうね……うん、まだ神隠しには会わないわね」
留美子の顔から、サァッと血の気が引いていく。
ようやく分かったのだ、自分の置かれている状況に。
親に心配をかけるつもりか、と店番さんは問うた。
それがようやく、分かったのだ。
留美子は帰りたくないと思っていた。つまり、その思いの結末は、神隠し___。
親に心配をかけるどころか、美佐子を同じ神隠しで失った両親は、今度こそ心が壊れるかもしれない!
じゃあどうすればいい?
帰りたくない、それは変わらない。
なぜなら、帰ったらまたいじめられるからだ。いつもと同じ日常に、溶け混んでしまうから。
家でも学校でも独りぼっちだから。
けど、両親のことを思えば、胸が痛くなる。
美佐子を失った両親の、あの一年にも及ぶ壊れようは目も当てられなかった。
一心不乱に、美佐子のことを忘れようと仕事に熱中し、夜中には悲鳴にも似た鳴き声が家に響いていた。
一人失って、あれだけ壊れたのだ。
次に私を失ったら?どうなっちゃうの?
足りない頭で考えに考えた末の、留美子が出した決断は___
「わ、私、帰らないと、いけない……!」
震えた声。けれど、心がしっかりしていた。
巫女は残念ねー、と言った。
彼女は、何を思い、何を感じて残念だと思ったのか。
ただの気まぐれだろうか?……ああ、そうだとも。彼女は気まぐれで行動するから、この時も、ただの気まぐれで残念がっていたのだ。
実に巫女らしいと思わないか。
……さて、留美子の言葉を聞いた旦那、店番さん、そして居るかも分からなかった照る坊主の店主はというと___
「ああ、そうだ。それでいい」
「辛いことがあったなら、いつでもここに来ていいんだよ。帰りたくないって思わなきゃ、普通に行き来できるからね」
「ああ、そういや旦那もそんな感じっすねー」
と、照る坊主がちょっとびっくりなことを言ったり、店番さんが優しいことを言ってくれたり、旦那が短く肯定してくれたりと、様々な反応をしてくれた。
「それじゃ、戻らないといけないね」
店番さんがそう言った。
「そうだな。んじゃ、店に戻るか」
「そうねー。残念だけれど、見送りしようかなー」
「留美子ちゃんやー、また遊びに来て下さいねー」
「私の名前出せば無料になるわよ?」
「ヒ、ヒイイィ……!」
最後に、留美子の通う小学校から店番さんの店までの地図を簡単に書いてもらい、留美子は『人間の世界』にへと戻った。
さあ、ここからようやく、非日常が日常となる___
辛い学校を終え、いじめっこたちに何かされる前に校舎から出ていく留美子は、六年たって傷だらけになったランドセルを弾ませながら、決して速いとは言えない走りで、あの商店街に向かっていた。
自分の帰るべき家に繋がる道を通り過ぎ、彼女がやって来たのは商店街。
その商店街の片隅にある駄菓子屋に入店すると、さっそく店番をしていた男子高校生に声をかける。
「こんにちは、店番さん!」
「やあ、こんにちは留美子ちゃん。学校お疲れ様」
「うん!店番さんも、店番お疲れ様!」
すっかり親しくなった店番さんは、今日も穏やかに微笑んでいる。
約3か月ほど前の、春と夏の間の季節。この留美子が、初めてこの店にやって来てから、もうそれほどたつのかと、店番さんは思った。
あの時の留美子は、これほど元気ではなく、どちらかといえば、暗い印象を与える少女だった。
それがもう、この店に来てしまえばこんなにも明るくなり___店番さんは、そっと感動した。
「店番さん、聞いてよ聞いて!」
店の隅にある、三畳ある畳の上に座り、そこに置いてある古い木のテーブルにランドセルから出したプリントを置く。
店番さんは、カウンターの奥から出てくると、そのプリントを見た。
そのプリントは、どうやら社会のテスト用紙のようで、点数の欄には『78点』という、頭の弱い彼女にしては高得点の点数が書かれてあった。
「おお、凄いねえ、留美子ちゃん!」
「うん、そうなの!私頑張ったんだよ!旦那さんのおかげだよねっ!」
その旦那が、どうやら入店したようだ。
2ヶ月前の留美子と同じように、何年も前にこの店にやって来て、妖怪の世界に間違えて行ってしまい、そして今やその常連となっている男子高校生、あだ名は旦那がやって来た。
実は店番さんとこの旦那は同じ学校の同じクラス在籍の同級生なのである。
が、店番さんは、この人間の世界と妖怪の世界を繋ぐ店の店主であり、どの世にも珍しい妖怪と人間のハーフである。からして、普通の人と感性が違うのかなんなのか……彼、店番さんは不登校児なのだ。
だから、いつもここにいる。
別にそれを可笑しいというつもりは、留美子にも、旦那にも無かった。
それが彼の普通であり、彼の人生であり、そして何より彼には学校が必要ないのだから。
……さて、大分話がそれたが、今回の社会のテストため、勉強を教えてくれたという旦那が、留美子のテスト用紙を見た。
「78……!?すげぇ!さっすが留美子だなぁ!」
そう言うと、留美子の頭をくしゃくしゃにした。これが旦那流の頭の撫で方なのである。
誉められて、嬉しくならないはずがない。
頬を赤く染めて、留美子はえへへ、と笑った。
「旦那さんのおかげだよ!ありがとう、旦那さん!」
「いやいや、お前、飲み込みがいいからな、お前の実力だよ!」
「そうだよ留美子ちゃん。……あ、はいこれ。最近仕入れ始めたお菓子」
「あ、店番さんありがとう!」
留美子は店番さんから、目新しいお菓子をもらい、それを頬張った。
サクサクとした食感が大好きな留美子にとって、そのお菓子はさぞ美味しいものだったに違いない。
留美子はそれを食べ終わると、もう一個ーと言った。
「はいはい。ちょっと待ってね〜……っと、あ、ちなみにこれは旦那の奢りね」
「なんでだよ!……おい、留美子、その辺にしておけ」
「一個50円!安いでしょ〜?だから大丈夫だよ、だぁんな!」
「今、俺、金欠なんだよおおおおッ!!」
金、という言葉に反応してか、2つあるドアのうち、留美子や旦那が入ってきた、人間の世界に繋がるドアとは別の、妖怪の世界に繋がるドアから、借金取りでありどっかの用心棒である巫女とは思えない、あだ名が巫女が入店してきた。
「さあ旦那!今すぐ私に借金しなさい!取り立ててあげるから!」
「嫌だよ!ぜってぇ嫌だよ!?何言ってんだよ、この鬼ィ!!」
「鬼!?何を言うのよ!?鬼は私じゃなくて、すぐそこの八百屋の店主でしょく!?」
「ものほんの鬼じゃねぇか!」
実は、旦那、この巫女という同年代の女が好きなのだが___いや、何でもない。
この騒がしく、そして奇妙な時間が、留美子の放課後であり日常である。
さて、この日常、またいつになったら非日常になるのやら……それはきっと、永遠に来ないのだろう___
旦那の奢りでお菓子を食べてお茶を飲む。
そのあとは、店番さんと旦那に巫女、留美子の四人で妖怪の世界に、ドアを通って行く。
ドアの先は、賑やかな商店街。その商店街、名をあやかし商店街と言った。
多種多様の妖怪が住み着き、買い物し、たまに人間がやって来る……実に平穏な商店街である。
留美子はこの商店街が大好きだった。
人当たりの良い妖怪たちがいて、妖怪だからこそ起こりうる出来事を、面白おかしく聞かせてくれたり、人間の世界のことを話してやったり___
どんどんこの商店街が大好きで堪らなくなっていく留美子は、どこからどう見ても、最初の暗めの彼女には見えなかった。
「おや、留美子ちゃん!ちょっと寄って来なよ!出来立ての団子があるよ!」
「それは旦那の奢りかしら?」
「もっちろんですよ〜。はい、旦那さん、350円ね」
「だからなんで俺なんだよッ!?」
苦労性の旦那、実に哀れなり。
さて、留美子とは言うと、早速出来立ての三色団子を食べていた。
もちもちとした食感。温かい団子。
やっぱり甘いものは美味しいと、留美子は思った。
「ミツさん、俺の財布の中身、もう1000円しか___」
「なんでぇい、あの旦那が350円も払えねぇってのかい!?」
「いや、だから、高校生のお財布事情は___」
「ちょっと照る坊主ちゃん、旦那が350円すら払えねぇってんだぁよぉ」
通りかかった、髪飾り屋の店主のあだ名が照る坊主が、これまたあだ名がミツさんに声をかけられ、基本的陽気な彼は、ハッハッハァと笑った。
「あの旦那とあろうものが、350円も払えんのですかぃ?」
「だーかーらー!!1000円しか無くてだなぁー!!」
ケチだなあ、とそろそろ団子を食べ終えそうな留美子は思った。
隣では、同じように団子を食べる巫女が、ニマニマ笑っている。
「バカよね〜、旦那は。そういうときはね、一時的にお金を借りればいいのよ。この私に!」
いや、それが一番バカな選択だと思う。が、そんなこと、口が裂けても言えない。
色んな組織の用心棒をしては、色んな組織を壊滅させ、この平和を築き上げた本人とも言えるこの人に、そんなことを言ってしまっては、命が亡くなるよりも酷いことをされるだろうから。
だから、留美子はとてもいい選択をしたと言えるだろう。
よく我慢した留美子。よく考えた留美子。拍手する価値がある。パチパチ。
結局、巫女と留美子が食べた団子の料金は、旦那と店番さんが割り勘して払ってくれた。
留美子も払うからと言ったのだが、子供は遠慮しなくていいの、と言われてしまった。
子供だけが許されることを、なぜ満喫しないのか……そういう考えが、この商店街の人達には広まっていた。
どうやらこの妖怪の世界は、子供に甘いらしい。
まあ、それが悪い方向に行くこともあるのだが……___
留美子を見て、巫女はふと昔を思い出した。
巫女にはかつて、妹がいた。
今も、あのころと同じように元気だろうか、ちゃんとご飯は食べてるだろうか、そろそろ中学生かな、勉強は大丈夫だろうか……考え出したら止まらない。
それほど大事な妹だった。
ここから出られない身となってしまっている巫女は、その大事な妹とはもう会えない。妹がここに迷い混んで来ない限り。
___神隠し。それは、ここから帰りたくないと思う子供に起こってしまう。
この世界は、そうやって子供の『願い』を叶えた。
ほら、良くも悪くも子供に甘い世界だろう?
「ありがとうございました〜」
「いやいやいいんだよう。こっちこそ、買ってもらって嬉しいからねぇ。んじゃ、また来て買ってねぇ」
「はぁ〜い」
いい子のお返事をして、また四人は歩き出す。
次はどこに行くのか。それは決まっていない。
ただ、時間が許す限り、ぶらり散歩をするのだ。この四人で。
「こらあああああッ!!」
ドンガラガッシャアン
大きな音が、あやかし商店街にある店から聞こえた。
その音に、ああまたか、と人々は思った。
「ちょっと待ちなさいいいいいッ!!」
「いーやーだーぁッ!!絶対嫌だあああああッ!!」
その騒ぎを初めて聞いた留美子は驚いた。
どうしたのだろうか、この平穏な商店街が、なぜこんなにも騒がしいのだろうか。
不思議に思う留美子に、説明大好き人間、あだ名は旦那が教えてあげた。
「サトリ姉妹だよ、妖怪サトリの姉妹。よく妹の方が修行をサボって、姉の方がそれを叱るんだよ。大声で。最近じゃ大人しくなってたから、もう妹の方は真面目になったと思ってたんだが……ああ、やっぱりあいつらは騒がしい方がしっくりくる」
妖怪サトリ……人間の心を読み取れるという、ある意味最強の妖怪。
留美子はこの商店街に来るようになってから、たくさんの妖怪を知り、そして出会った。
が、その妖怪の多くが__言っては悪いが__しょぼかった。
例えば赤なめ、小豆洗いなどなど。
妖怪ってだけで凄いと思うのだが、どうやらそれが留美子には分からないらしい。悲しいことだ。
「へぇ〜……!」
大変興味を引かれた留美子は、店番さんの店から出ると、とっとことっとこと、そこまで速くない走りで騒がしい場所に向かった。
その場所では、何やら奇術が披露されていた。
いや、披露などされていない。
妖怪だけが使える奇術を操り、例のサトリ姉妹が喧嘩しているのだ。
手を使わずに物を投げ、たまに素手で殴りあい……。
よく見れば、何やら空間が歪んだりしている。
きっと、『気』を使っているのだろう。
それを遠巻きに眺める人々は、子犬のじゃれあいを見ているように微笑んでいる。
まあ確かに微笑ましい光景であるのかもしれない。妖怪からしたら。
「お姉ちゃんはいっつもそうだ!聡子はゆっくり暮らしてたいのおおお!」
「そう言ってるから、力の制御も出来なの!こんの、馬鹿妹おおおおお!」
「んだとオラァッ!?この阿呆姉ええええ!」
「ゃんのかゴラァ!?」
「ゃんのかお"い!?」
だが、人間である留美子に取っては、耳が塞ぎたくなるような喧嘩だった。
すると、さすがサトリ妖怪。妹の方の聡子が、その留美子の心の声を聞き取った。
「んもおー!お姉ちゃんがそう大声出すから、怖がってる人間がいるじゃん!」
「アンタが悪いの!ほら、その人間もアンタに呆れてるわよ!」
「お姉ちゃんにも呆れてるよ!」
「アンタにもね!」
留美子は自分の心が読まれてることを、少しばかり不快に感じた。
まさか、ここまで嫌なものだったとは……。
その心を姉が読み、ほら見なさいと笑った。
「ちゃんと力を制御できるようにならないと、不快な思いをする人が増えるのよ!」
「し、知らないよ、そんなの……ッ!」
いやいやと首をふる聡子は、ペチンと頭を叩かれる。
「馬鹿ね、本当に!ほら、さっさと修行に戻る!……皆さん、お騒がせしてすみませんね〜おほほ〜」
いまだ首をいやいやと振っている聡子の手を無理矢理掴み、姉はさっさと店に戻ってしまった。
遠巻きに見ていた人々も、可愛いもんだねぇと言いながら、さっさと自分たちの店に戻って行った。
留美子にはどこが可愛いか分からなかったが、隣にいる旦那はカッカッカッと笑っていた。
彼も人間だが、ここの雰囲気に慣れすぎてしまっているため、あんな喧嘩でも可愛いって思ってしまう。
まあ、妖怪だしさ。そう言っていた。
「人騒がせだったね〜」
「まぁな〜」
そう言いながら二人並んで、店番さんの店に戻っていく。
戻れば、そこには店番さんと巫女がいた。
「あ、巫女さん!」
「やっほー、留美子。どうだった?サトリたちは」
苦笑いを浮かべながら、留美子は隅にある畳に座った。
「うるさかったです」
それに店番さんが答える。
「だよね。でも、慣れれば可愛いもんだよ。はい、お茶」
冷えた麦茶をテーブルに置き、近くにあった煎餅も追加で置いていく。
「ありがとう店番さん!」
お茶を一気に飲み干し、煎餅にかじりつく。
醤油の味が下に染みて美味しい!
この時、サトリ姉妹を疎く思っていた留美子だったが、年齢が近いこともあり、数日後、二人と仲良くなるのだが___それは後筆しよう。
さて、後筆すると言っていた、サトリ姉妹と留美子が仲良くなった話なのだが……最初、このように始まった。
「この間のお詫びです!」
「……でぇす」
「こら、聡子!」
「お詫び申し上げまぁす」
気だるげな聡子を叱り、大声を出しそうになった姉の里美は咳払いをした。
二人は店番さんの店、駄菓子屋にいる。
そして、勝手に心を読んでしまった詫びとして、留美子の前に立っていた。
聡子はどうして謝らなきゃいけないの……と不満を漏らしている。
留美子は正直言ってめんどくさかった。
なぜわざわざ、楽しいはずの時間を、このうるさい二人の喧嘩を見ることに使わなければならないのか。
その気持ちは分からぬでもない。だが、相手は妖怪サトリ。もう少し、無心でいられないものか。
ほら、聡子がさっそくその心を読みとったようだ。
「ちょっと、人間。聡子たちがわざわざ謝りに来てるのに、なんなのよ、その態度は!」
だってうるさいし。
聡子はそれも読み取り、キーッと怒った。
「謝りに来てやったのに!」
「その態度こそなんなのよ、聡子。ほら、私達の方が圧倒的に悪いんだから、ちゃんと謝らないと……!」
「お姉ちゃんもお姉ちゃんだよっ!どうして、こんなのに……!!」
嫌悪する目で留美子を見る。
留美子は現在進行形でいじめられっ子。だから、そんなもの、どうとも思わなかった。慣れているのだ、この目に、この言葉に、態度に。
正直、学校の連中の方がもっと悪いし……こんなの、可愛いくらいだよね。可愛いとは思ってないけど。
ハァ、とため息をついた。
「大変申し訳ございません、えぇと……」
「留美子だよ」
名前が分からないのか、言葉をつまらせる姉の里美に、名前を教える。
「え、あ、えと!留美子様、本当に申し訳ございませんでした!」
普通サトリなら、心を読めば名前を知ることなど容易いことなのだが、最近のサトリは修業をしていて、人の心を読み取る力を、制御できるようになっている。
この里美は、その力の制御がちゃんと出来ており、修業も終わらせていた。
……それに比べ、妹の聡子は。
だらけてばかりで、修業をするとなると、必ず逃げ出した。そして、そのたびに里美に怒られ、両親には呆れ返られていた。
ちゃんと修業すれば、きっと凄い妖怪になるだろうに……それが、両親の聡子に対する言葉だった。
「……」
相変わらず、今も力の制御ができない聡子は、留美子の『いじめ』についてを読み取ってしまった。
すると、これまた嫌そうな顔をした。
だが、勘違いするのではない。
聡子が嫌になったのは、その『いじめ』にだ。留美子についてではない。
「何よ、急に黙って」
低い声で、留美子が急に黙った聡子に聞く。
別に、と聡子がそっぽを向いた。
ボソッと、ごめんという声が聞こえたのは、留美子の聞き間違いではないだろう。
「本当に本当にすみませんでした!……あ、それで、お詫びと言ってはなんですが……」
里美が一呼吸置く。
「留美子様の気になる人の心を、お読みますよ」
気になる人ー?と、その場に唯一いた店番さんが声をあげる。
ちなみに、旦那はテストの補習があるので、今日は来れないのだとか。巫女は新たに借金を作った妖怪を追いかけまわしているらしい。
「ええ、気になる人ですよ!恋心を抱いている方、少し気になるあの人のこと、そして付き合っている彼氏の心などなど!」
「全部恋愛関係じゃん」
「あら、じゃあ友達の心の中でも___」
「友達いないし」
「……ご家族のでもいいのですよ!?」
とにかく、詫びたくて詫びたくて仕方がないのだろう。里美は留美子にじりじりと詰め寄ってくる。
留美子は、家族、という言葉に反応した。
家族の心が読める?じゃあ、お姉ちゃんのは………___
神隠しに合って、いなくなった姉の美佐子の心の中。
今何を思っているだろう、私のことは思い出しているのだろうか、どこにいるのだろう……。
力を制御するのをやめたのだろう、里美はなるほど、と言った。
「お姉さまのですね!?分かりました!貴方のお姉さまの心を見てあげましょう!」
ドンッと己の胸を拳で叩き、里美は意気込んだ。
里美の目が虚ろになり、光が消えた。
心を読んでいるのだろうか。
10秒くらいだろうか。里美の目に光が戻り、読みましたよ!と言った。
「お金お金お金ええ……と、思っておりましたね」
お金を連呼している姉。その光景を思えば、留美子は悲しくなるのだった。
なぜお金なのか。お金に困っているのだろうか。
__姉はこんな感じの人だっただろうか?
「また、どこにいるのか、というのも調べるため、心のさらに奥も読もうとしたのですが……えぇと……そのう……」
言葉を濁らす里美に、聡子はうんざりしたのか、つまりぃと言った。
「お姉ちゃんの力が足りなかった。だから読めなかった。そういうことでしょ?」
本当のことを言ってもいいのだろうか。
少なくとも、言われた本人に傷ついた様子はなく、むしろ、したり顔をしていた。
「……すみません、力不足で……けど!いくら怠け者でも、うちの一族の中でも飛び抜けて力の強い聡子がいるので!」
「……ちょ、なんで__」
「聡子が読んでくれますので!さぁ聡子!さっさと読んで読んでッ!!」
里美の勢いに負けたのか、それともなにげに自分が褒められていたことに嬉しくなったのか、わかったよ、と言って、目から光を無くした。
虚ろな目。その目がすうっと細められる。
その目が、いきなり突然開かれる。
かと思えば、また細められ、また開かれ、細められ……。
目に光が灯ると、ふぅっと息を吐いた。
聡子の顔は複雑な顔をしていた。
留美子の方に目を向けて、そしてまた目が虚ろになる。
すぐにまた、目に光が灯ると、より一層複雑な顔になった。
留美子は何事かと思った。
多分、さきほど自分の心の中も読まれたのだろう。心の中というより、奥かもしれないが___
里美の目からも光が無くなった。
その目に光が戻ったとき、里美の顔も複雑な顔になっていた。
「何、どうしたの〜?」
呑気な声で、店番さんが聞く。
それに、里美はこそっと耳打ちした。
曰く、姉の美佐子は、ここの商店街に住む『元』人間のあの人だと。
そして、もう人間の世界には帰れないということ。
留美子に知らせていいものか、この姉妹は悩んでいるようである。
詫びしに来たのに、落ち込ませるようなことを言ってはダメだろう。
けども、姉に会えると言うのなら、きっと留美子は喜ぶだろう。
さあ、どうしたものか。
店番さんは、言えば?と軽々しく言った。
彼は彼なりの予想があった。その予想が当たった今、言うべきなのが最善だと考えている。
だって、その姉が、この商店街に住み着いているというのなら、二度と会えないという悲しみは無くなるからだ。
留美子は毎日ここに来ている。大人になって仕事が忙しくならない限り、きっと毎日のように、これからも来るのだろう。
それなら、姉に会えないなんてことはない。
言うべきだ、なぜならそれが留美子にとっての最善だから、と店番さんは二人に向けて言った。
聡子の方は未だ渋っていたが、里美の方は分かってくれたようで、早速留美子に話した。
「聡子に読んでもらった結果、以下のようなことが分かりました。
留美子様のお姉さまは、この商店街に住んでいます。そして、もう人間ではなくなっており、この世界から、あなたの世界へは戻れなくなっております」
留美子は何を思ったのだろう。
大好きな姉が、もう人間ではなくなっており、そして戻ってこれなくなっている。
けれど、この商店街に住んでいて、商店街に来れば会える。
メリットの方が大きいか、デメリットの方が大きいか。
それともあまり変わらないのか。
留美子は震える声で聞いた。
「……じゃあ、あの、姉は、美佐子の、ここでのあだ名は……?」
皆、一人一つずつあだ名を持っている。
留美子はまだ持っていないが、さて、ここに長年いたであろう美佐子は、なんてあだ名を持っているのだろうか。
聞く留美子に、里美はすぐ答えた。
「美佐子さんのここでの名前は、『巫女』です」
聡子は信じられなかった。
留美子が傷つくのは目に見えているのにも関わらず、二人が協力して本当のことを話すのが。
もちろん、聡子の思った通り、留美子は傷ついた。
里美は顔がひきつり、どういうことだ、と店番さんを見た。
店番さんも、顔をひきつっている。
留美子は叫んだ。
「巫女さん、ううん、お姉ちゃんは、私のこと知ってたのに、何も言わなかったの!?教えてくれなかったの!?どうしてッ!?」
頭をかきむしって、クソックソックソッと床を踏む。
「どうせ店番さんも知ってたんでしょ!?ああ、あんたら、全員、知ってたんだ、なのに、隠してたんだあッ!!」
それは誤解だ、と店番さんが叫んだ。
「六年もたってるんだから、判別がつかないだろう!!それに僕は、姉妹だとは思ってなかった!!ほんのちょっと、そうなんじゃないかって思ってただけで!!」
「それを教えてくれればよかったじゃん!!バカバカ、みんなバカ!!」
留美子は外に出ていってしまった。
外では、留美子を呼び止める声が聞こえる。
三人は、急いで外に出た。
外に出ると、近くにいた人に心配された。その近くにいた人__団子屋のミツさんは、留美子が消えたのであろう道の先を見ながら三人に尋ねた。
「何があったんだぃ?あの子、ずっとお姉ちゃんって言いながら……しかも泣いてて……あの子にお姉ちゃんなんていたのかぃ」
聡子は何も言わず、ミツさんが見つめる先に向かって走り出した。
それに里美が呼びとめる。
「聡子、待ちなさい!」
聡子は聞いていないのか、黙ったまま走って行ってしまった。それに店番さんが続いて走っていく。
「ああ、もう!……ミツさん、ありがとうございました!!そ、それじゃあ!!」
「え、何がでぇ?……ああ、ちょっと!?」
二人と同じように走っていく里美。
ミツさんは、その背中が消えるまで見ていた。
里美も消え、自分の店に戻ろうと方向転換したとき、慌てた様子の髪飾り屋の照る坊主がやって来た。
「てぇへんだぁ!」
「なに、定年すんのかぃ?」
「ちげぇ、ミツさん。てぇへんなんだよぉ!天狗があ!」
照る坊主が空を指差す。
天狗と言えば、一時期この妖怪の世界を牛耳っていた大組織の者たちだ。
その組織はもう巫女のおかげで壊滅したはずだが___
ミツさんは空を見た。
空は不穏な曇り空で、その曇り空に黒がよぎった。
なんだ、とよく見れば、その黒は、黒い翼を持った天狗たちだった。
まさか、また恐ろしい事が起こるんじゃないだろうねぇ?
ミツさんは、空を見ながら、嫌な予感を覚えていた。
ふと空から、何かが降ってくる。
それは人だった。
今や、この世界を影で支配している元人間。
その元人間が、ストンッと地面に降り立った。
空気の抵抗か、黒いゴスロリの裾がふわりと浮いた。
「もう最悪ね〜。借金返してもらおうとしただけなのに、攻撃するなんて……!」
その人は、マジちょべりばぁと呟いた。
いささか古い気がするが、無視しておこう。
彼女は、固まるミツさんと照る坊主を見て笑った。
「どうしたんですかぁ、二人とも!そんな変な顔して〜……って、あれ?」
一瞬にして、彼女を取り囲む天狗たち。
さすが天狗、速い速い。
「何よ。私は仕事を果たそうとしただけなんだけど?」
不機嫌に言う彼女に対し、天狗はフンッと鼻を鳴らした。
「こちらこそ、仕事を果たしただけだ。借金も仕事のうち。その仕事が終わったのなら、借金は無いも同じ」
「……バカなの!?その口縫ってやりたいねっ!私、裁縫得意なんだから!!」
人差し指で、天狗のリーダーらしきものを指す。
「おやおや、そうですか、巫女さん。いや、美佐子さん、でしたか、本名は」
「わあ気持ち悪い!あんたに本名言われるって、ちょー最悪だわ!からすが人間様に向かって何言ってんの!?」
どこからともなくバッグを出し、そのバッグから、棒のようなものを出す。
それを見たことのない妖怪たちは首をかしげ、次に天狗は笑った。
「そのような棒で何ができ__おうわっ!?」
棒が天狗に投げられ、天狗がキャッチする。
「なに、なにをし__」
巫女が、後方へ飛んだ。
大きな音があやかし商店街に響きわたった。
巫女が投げたのは、威力弱めのダイナマイトである。
こっちの世界には、ダイナマイトなぞ存在しない。だからこそ、巫女は有利だった。
巫女がダイナマイトを出したバッグは、あの未来ロボットのポケットのように、なんでも無限に入るバッグである。
しかし、それをどこから出したかは___……彼女について語らねばなるまい。
彼女、巫女……本名は美佐子は、こちらの世界に迷い混み、神隠しに合ってから、ある道を歩み始めた。
その道は魔術の道。
神隠しに合って3年たてば、彼女は優秀な魔法使いになっていた。
その3年という年月は、あまりにも速すぎて、純粋な魔法使いの血脈である老女の魔法使いは、寿命が50年縮むほど驚いたという。
普通、人間が魔術を学び、一人前の魔法使いになるには10年はかかる。それを、美佐子はたった3年でやり遂げたのだ。
それから美佐子はたくさんの組織を壊滅させていったのだと記録している。
美佐子という魔法使いは、いろんな組織の用心棒として、いろんな組織を壊滅させ、壊滅させる組織がなくなると借金取りになった。
ここにきて六年。気づけば美佐子は、この世界を牛耳っていた。
……さて、その美佐子だが。
「うっわ〜。最悪最悪〜」
ケホケホと咳をして、爆発したところを見ていた。
そこには、焼き鳥が何個も……__。
「な、なんだいありゃあ!?魔術かぃ!?」
「ひえ〜!!お、おら村さ帰るだぁ〜!!」
「よりなまっとるよ、照る坊主!それに、あんたの出身はここだろう!?」
「んなこたぁ、分かってるよミツさん!!」
この騒ぎを聞き付けて、たくさんの妖怪がやってくる。
焼き鳥と化した天狗を見た妖怪たちは、誰がこんなことをしたか、すでに予想がついてしまった。
妖怪たちの目が、美佐子を見る。
「何よ?」
一斉に首を振る。
妖怪が震えるとは……なんとまあ不思議な光景だ。
だがしかし、首を振らせているのが美佐子ならば、不思議でもなんでもないだろう。
「さて、と」
焼き鳥となった天狗たちの持ち物を漁り、財布を見つける。
財布の表面は焦げてはいるが、中身のお金は無事のようだった。
少し、端が黒くなっているが。
「うんうん、これでおーけーおーけー!仕事おーわりっ!」
そのお金を自分の財布に入れ、その財布をポケットに突っ込む。
唖然とする妖怪たちに手を振ると、美佐子は空中に浮いて、そのままどこかへと行ってしまった。
美佐子の足が向く方角は、留美子たちのいる方角だった。
そして、その留美子たちと言えば……__
「こっち来ないでよおおッ!!」
「なんでよッ!!こっちは心配してるんだから、感謝しなさいよ、人間!!」
「いーやーだー!!……うわあああん、お姉ちゃぁん〜!!」
「うるさい、黙ってってば!!」
「あんたも黙れええ!!」
留美子と聡子は、喧嘩らしきものをしていた。
聡子が留美子の腕を掴み、放さない。
それを放し、逃げようとする留美子。
周りには田んぼや畑が広がっており、二人以外には誰もいなかった。
里美と店番さんは、途中で二人を見失っていたのだ。
里美と店番さんは、また別なところで合流し、二人を探していたのだが、その頃の二人と言えば、この状態。
心の読める聡子は、聞こえてくる心の声にうんざりしていた。
怖い、だの、助けて、だの、お姉ちゃん、だの。
同じことしか言わない留美子、そしてシスコン気味の留美子。聡子は殴りたくて仕方がなかった。
逆に、殴ることを我慢している聡子は誉められたものである。
比較的短期な聡子が、我慢。これは、ある意味歴史的奇跡なのである。
「放せ、放してよーッ!!お姉ちゃんに会いに行くんだからああッ!!」
「あんたのお姉ちゃんはあっちにいないよ!!商店街の方に行っちゃったよ、今!!」
頭の上の曇り空を横切って、さきほど美佐子はあやかし商店街の方に行ってしまった。
そのことを伝えれば、留美子は、はああッ!?と叫ぶ。
「なんでェ!?私を無視して行っちゃったってこと!?」
「違うわよ!なんか、天狗たちに……__」
遠くの方から、銃声を伸ばしたような音がした。
その音は、留美子にとってはテレビの中でしか響かない音だった。だから、聞いたとき、すぐにその音が爆発音であることに気づくことができなかった。
気づいたとき、留美子は至極冷静だった。
なぜなら、ここは妖怪の世界であり、留美子にとっての非日常が日常であるからだ。しかし、ここに爆発物は無いに等しい。つまり、留美子が冷静なのは可笑しいことなのだ。
「な、なにあの音は!?魔術か何か……!?」
対して、聡子は驚いていた。
その驚きから、留美子の腕から手を放す。
いくら遠くから聞こえる音であろうとも、あんな音は聞いたことがない。驚くのも当たり前だ。
例えるならば、大きな岩をいっきに地面に落としたような音。
なんだあの音は、なんて恐ろしい。
きっと、巫女が何か魔術を___
「おやおや、これは!」
いきなり、上空から声が。が、その声は、一瞬にして留美子の真後ろにいた。
「巫女さんが気にかけているという、人間ではないですか!」
留美子が後ろを向くと、すぐ近くに女の子の顔があった。
その女の子の背にはカラスのような黒い翼が。
その女の子は天狗であった。
この時、あやかし商店街で美佐子が倒した天狗たちの仲間、それがこの女の子であった。
彼女は別の仕事でここにいた。
なんの仕事かというと、天狗たちが美佐子に敗れた場合に備えて、美佐子の仲間を人質にとる仕事だ。
人質にとって、敗北を無理矢理勝利に変える。
天狗たちの属する組織が昔から使っていた手だ。
仲間が人質に取られるのは、どんな大物でも痛いものだ。
「天狗……!?___人質にとるつもり!?」
「おやぁ?サトリじゃないですかぁ?貴女は……まあ、どうでもいいです」
彼女が、留美子の腕を掴み、拘束した。
「え、な……え、天狗!?」
「ええ天狗です。あだ名は天女といいます。天狗なのに、天女というんですよ!ふふ」
彼女___天女は、そのまま空へ飛びたたんと翼を広げる。
さて、そこで天女に異変が起きた。
翼が震えだし、その震動が体に伝わった。
聡子はそれを見て疲れたように笑っている。
何が起こったのかと、留美子はのんきに首をかしげた。
天狗なのに、あだ名は天女の彼女の震えは止まることを知らない。
目からは涙が溢れ、歯はガチガチといい、飲み込むことを忘れられた唾液が顎を伝って落ちた。
留美子は不思議がって、疲れたように笑う聡子を見た。
その聡子の目は虚ろであり、生気を感じられなかった。これは、この世界の妖怪サトリが力を使っているときの証拠である。
__力を使う。心の中を覗いているんだろうか。
そう思ったのなら、知識が足りない証拠だ。
まあ致し方ない。この世界の妖怪は、ややオリジナルが入っているのだから。
さて、心を覗く以外の力だが、それはある意味最強の力なのである。
その力は、心の底から恐怖している、いわゆる『トラウマ』を引き出すというものである。
たがしかし、ただ『トラウマ』を引き出すのではなく、恐怖している本人の目の前に『トラウマ』の光景が現れるのである。
つまり、もう一度『トラウマ』を体験するということ。
それは恐ろしいことであり、もっとも避けたいこと。
だがそれは無理だ。
相手が恐怖で気絶するまで、この力は消えない。
「……聡子?」
ここで初めて、留美子が聡子の名を呼んだ。
しかし、そのことに聡子は気づかない。
いくら一族の中でも稀に見るほどの強力な力を持っていたとしても、さすがにこの力を使うのは疲れるものである。
普通の力を持ったサトリでも、この力を使うのには相当の準備を要する。
例えば黒トカゲを10匹食い、そのあと身を清めてから神社に参り___それを無視して、ここまで力を使うのは、ほぼ無理に等しかった。
それを、聡子はやってのけた。
聡子は疲れ笑いを浮かべながら言った。
「留美子を放しなさいよ」
彼女もまた、初めてここで留美子の名を呼んだ。
これに、留美子は気づいた。
留美子は喜び、聡子と呼んだ。
「聡子、あんた……!!」
「留美子を放しなさいよ、カラス」
この時、天狗なのにあだ名が天女の彼女は、恐ろしいものを見ていた。
昔、まだ彼女が8つの頃だったとき、一人の女が館にやって来て、たくさんの魔術を使い、館だけでなく、組織を壊滅させた。
その女が目の前で、炎の魔術をくりだし、おばあ様を焼いている。
おばあ様の美しいと褒め称えられた黒き翼が端から焦げて、そして灰となって散る。
骨がむき出しになり、聞こえていたはずの叫び声さえ聞こえない。
もう、声を発するおばあ様が死んだからだ。
その中で、女が自分の方を振り向く。
そして、その体が変形し、サトリの聡子の姿となった。
「留美子を放しなさいよ、カラス」
じゃないと……___。
天女は激しく首を縦に振った。
「お願いだから、もうやめてえええええ!!」
天女の視界が黒に染まった。
最後に見たのは、のどかな田んぼと畑と、そして自分が拘束していた留美子。
天女は気絶したのだ。
天女が気絶したことにより、聡子の使っていた力が効力を無くす。
聡子は膝を地面に着いた。
拘束の解けた留美子は、すぐさま聡子に駆け寄った。
「留美子……?」
「聡子、あんた、何したの!?あ、そんなことより、助けてくれたんだよねっ?妖術ってやつを使ってさ。よく分からないけど。とにかくありがとう、聡子!」
「……え、あ、うん……?」
聡子はうまく飲み込めなかったが、まあいいのだろうと結論付けた。
「さっすがサトリ!聡子、力凄いから、やっぱり強いわよね〜怖いわ〜」
二人が上を見れば、美佐子が空中に浮いていた。
「見てたわよ、さっきの戦い。サトリってなにげに怖いからね〜」
そのサトリが何やら怒ってますよ、お姉ちゃん。
留美子は晴れ晴れとした気持ちを抱えながらそう思った。
留美子の心に、もう雲はない。
なぜサトリ姉妹と店番さんを憎んでいたかは忘れたが、とにかく負の感情はない。
それに、あそこまで自分を嫌悪している様子だった聡子が、自分を助けてくれた。
多分、目に見えない力か何かで。
でも、とにかく嬉しい!
頭が弱いのが、役にたった。
留美子はすでに、なんで三人を憎んだのか、ということを忘れていた。
だから、美佐子を見ても、ああ、お姉ちゃんだ、だけで終わった。
___いや、違う。
それだけで終わっていなかった。
留美子は美佐子を見て、お姉ちゃんだということに気付き、そして鼻がツンとなった。
今まで探していたお姉ちゃんがここにいる。
けど、自分が妹の留美子だとは気づいていない。
当たり前だよね、だって、もう六年もたつもん……。
留美子は自分の言葉に頷き、そして『巫女』に改めて目を向けた。
スカートを押さえることもなく、地面に降り立つ巫女を、人間とは思えなかった。
当たり前だ。人間は空中に浮けない。
しかし、彼女は魔法使いなのだ。
空中に浮くことなど、箸で豆腐を壊すことよりも容易い。
「巫女……あんたは……!!」
聡子が、プルプルと怒りに震えている。
その理由を知らない巫女は、首をかしげることしか出来ない。
「何?」
「何、じゃない!あんたは、何をして___」
「ちょっと待ってよ聡子!」
留美子は言葉を遮った。
心の中の天使さんが言うのだ。
本当のことを巫女には言っていけない、と。
だから、それを留美子は守った。
留美子は単純でバカで運動音痴ではあるが、なにげにいい子なのである。
「留美子、これはアンタも___」
「いいの別に!このままでいいの!」
そこに、店番さんと里美がやって来た。
「ようやく見つけた〜」
「こんなところにいたの、二人共!」
店番さんは、ゼェゼェと息をしながら、あれ、と聡子と留美子を見た。
そして、全てを察した。
やっぱり、僕の思った通りだ。
ちゃんと本当のことを留美子に教えたからこそ、二人は仲良くなり、冷静になった留美子は、巫女に本当のことを話さなくてもいいと理解している。
きっと、今後は里美も聡子の介入で留美子と仲良くなるのであろう。
店番さん、勝者の笑み。
その横では、さきほどの聡子そっくりの震え方をした里美が聡子に怒鳴っている。
「なにしてんのよ、あんたは!力を使って、天女さんを気絶させるなんて……!!どういう頭してんのよ、このバカ!!」
「あいつ、組織のやつだよ、分かるでしょ!?私は留美子を人質にとろうとしたところを助けたの!!悪くないの!!」
「それはよろしい。けどね、あの力は、死ぬほど体が疲れるんだから___」
「私は大丈夫なの!!だって強いし!!」
「知ってるわよ!!この愚妹!!」
「な、なんてことを言うの!?愚かなお姉さまぁ!?」
「なんですって!?」
「なによ!?」
「やるき!?」
ふと、留美子は気づいた。
いつの間にか、この姉妹の喧嘩を可愛らしく思っていることに。煩わしく思っていないことに。
むしろ、この喧嘩を見て、安心してしまう。
ああ、なるほど〜。
留美子は手を叩いた。
つまり、この二人の喧嘩は、平和の証なんだ!
あながち間違いではない。
喧嘩するほど仲がいい、とはよく言ったものだが、留美子はこんな風なことを思った。
姉妹が喧嘩するほど、平和だってことだよね!
まさしく、その通りである。
「ねぇ巫女さん!」
「ん?何、留美子」
あのね、と巫女に留美子は聡子について話した。
あの子、私を助けてくれたんだよ。自慢の友達なんだ!___……と。
この言葉を聞いてしまった聡子は赤くなった。
ようやくデレたのである。
さて、その頃の人間の世界のある高校では、忘れ去られているであろう旦那が、地獄の鬼でも逃げ出す補習を終え、家でゲームをしていた。
ツンデレキャラを落とすゲームである。
関連性はあるのかないのか……よく分からない。
「あ、バッドエンド」
可哀想に。
病というのは、いつの時代でも、どの世界でも厄介なものだ。
だがしかし、特に厄介な病は、どの生き物にも起こりうる、身近な病である。
その病は時に人柄を変える。
病におかされたものは、異常な行動に走ってしまう。
例えば、特定の人物に対して、
「お願い!シュウジさん、死んで!一緒に死んで!愛してくれないなら、死んで!」
や、
「お前は本当にへなちょこだな!」
と言ったり。
さて、前者はヤンデレ、後者はツンデレと呼ばれるタイプなのだが……____
実はこの病というのは恋の病なのである。
そして、その恋の病に、あの旦那がかかってしまったのだ!
いや、違う。かかっているのだ!六年以上前から!
誰に恋をしているのか。
ふっふっふ。そう焦るでない。
その恋の相手は……______
______……あの魔法使い、巫女である。
そう、あの巫女である!あの、最強最悪巫女さんである!
なぜ?さあ、それは分からない。
どうして恋に落ちたのかは知らないが、とにかく旦那は巫女に恋をしているのだ。
さて、その旦那が何やら可笑しな行動をしているようだ。
場所はいつもの駄菓子屋。いるのは店番さんと留美子と聡子と旦那。
旦那は木のテーブルに向かい、紙に何か書いては、クシャクシャと丸めてその辺に捨てている。
「旦那さん、何書いてるの?」
留美子が聞く。が、旦那は危機が迫っているような表情で、言った。
「未成年には早い!!」
いや、お前も未成年だ。
そのことに気づかない留美子は、ええっと叫んだ。
「未成年はダメって……も、もしかしてエッチィやつ?」
「んなわけあるか!!」
うそぉだの、ほんとだぁだのと言い合う二人を横目に、聡子は、辺りに転がっている丸められた紙を拾う。
紙を開けば、たくさんの文字が並んでいた。
最初の文章は……____
「親愛なる巫女様。自分は貴女に恋文を綴ろうと思い、このような幼稚並みの文を書くに……__」
旦那がビクウッと反応する。
「お、おい聡子……!!」
「__……至りました。六年と九ヶ月前のこの日、自分は貴女に一目惚れをしました。それは運命だと確信しており___」
「や、やめてくれえええええ!!」
旦那が聡子から紙を奪い取り、細かく破いた。
紙くずが辺りに散らばり、床が汚くなる。
それを見た店番さんはため息をついた。
「それ、君が掃除してくれるんだろねぇ?」
旦那が惨状を見て、顔を青くする。
掃除が苦手な旦那は、がっくりと肩を落とした。
その間に、仲のよい聡子と留美子はキャッキャッと言いながら、恋文___もとい、ラブレターを読む。
妖怪と人間。種族が変わろうが、女の子はやはり女の子である。
このような恋沙汰は大好物だ。
「貴女の頬はまるで餅のようだって!」
「餅はないよね、餅は。……何々?……可憐な薔薇のような存在?」
「あ、薔薇ってあれでしょ?男と男の……!!」
「それじゃないでしょ、普通の花よ、普通の。留美子はバカだよね」
「うわあ!その甘そうな唇に自分の唇を重ねたいだって!」
「ええ何それキモーイ!」
旦那、とうとう床に膝をつく。あ、頭もついた。
「酷くね、お前ら……」
「いいから掃除してよ、旦那。お客さん来たらどうするの」
「……うぇーい、分かりました、店番さま〜」
旦那が掃除を始めてもなお、留美子と聡子は数々のラブレターを見ている。
そのたび読み上げられるものだから、旦那は堪ったものではない。
助けてくれ!という旦那の声は、誰にも届くことはなかった。
その声と同じように、旦那の思いも、巫女には届いていなかった……。
その日は、留美子の嫌いな授業があった。
それは音楽。
留美子は音楽という授業が嫌いである。
特に、歌を歌うのが。
留美子が音痴だからであり、皆の前で歌うことになっているからである。
忘れてしまっている人がいるかもしれないと思い、ここに改めて書いておく。
『留美子はいじめられっ子である』
だから、人の前に立つことを嫌がる。
ほら今も。
留美子が前に立ち、先生が伴奏を引き始めると、途端にクスクスと笑い声が溢れ出す。
「やだあ、あの子下向いてる〜」
「次俺が歌うんだけどさ、やけに上手く聞こえちゃうよな」
「えーマジでぇ?うわあ、いいなー、ラッキーじゃん」
「おい、始まるぞ、静かしろよ!!」
「ブフォ、何それうける!」
アッハハハハと笑い声が大きくなった。
いつもの留美子なら、ここで泣き出しただろう。
いじめっ子たちは、むしろそれを望んでいた。その方が、面白いからだ。
けれど、今日の留美子は泣かなかった。
なんで、と口々に言ういじめっ子たち。
留美子はすぅと息を吸い込んで、歌い始めた。
確かにやや音程はずれていたが、それでも、いつもの留美子の歌よりは聞きやすく、まあ下手なのかな〜というレベルになっていた。
大きな進歩である。
「……はい、終わり。次の人〜」
歌が終わり、伴奏も終わる。
次に歌うと言って笑っていた男子の顔がみるみる般若の顔になる。
この男子は、いじめを行うの中心人物の一人である。
舌打ちをして、自分の席に向かって歩く留美子に足をかけ、転ばせた。
留美子が派手に転ぶ。
鼻を強く打ったのか、鼻をおさえ、涙目になっている。
……可笑しい、と男子は思った。
こいつ、いつもなら泣き叫んでるのに。
留美子は立ち上がると、足早に自分の席に戻った。
留美子は鼻を擦り、最悪だ、と呟いた。その呟きを拾うものはいない。
伴奏がまた始まった。
留美子は机に置かれた教科書を見た。
表紙には、消しても消しても書かれる暴言が、また新たに書いてあった。
消えろ転校しろ音痴等々……。
が、留美子はそれを消そうとはしなかった。
それを強く睨みつけると、机の中にしまった。
「巫女さーん!!」
留美子はあやかし商店街に来ると、近くにいた巫女に泣きついた。
巫女は口の中に入っていた餅を飲み込み、どうしたの、と聞いた。
「あのねあのね、これ見てよ!!」
巫女に、あの落書きされた教科書を見せる。
それを見た巫女は、目をパチクリとさせ、次の瞬間にはハアアアアアと叫んだ。
「なによこれ!?ええ、いいわ、いいわよ!私がこれを書いたやつらを倒してやるわ!いや、呪うわ!絶対に呪うから!」
「その気持ちはありがたいんだけど……ねぇ聞いてよ、呪わなくてもいいからさ!あのね、実は今日ね___」
ここ最近、留美子はよく巫女に愚痴る。
巫女の反応が留美子には嬉しいのだ。
自分をここまで心配してくれるなんて……さすがお姉ちゃん!
……ということらしい。
教科書の落書きを消さなかったのもこのためだ。
留美子は最近、明るく強くなった反面、愚痴るようになっていたのだ。
さて、それがいいか悪いかはさておき……。
本格的に巫女が呪い出しそうなので、留美子は愚痴らなきゃ良かった、と言った。
これで少しは愚痴る回数も減るだろう。
「はぁーい!お久しぶりでぇーす!」
駄菓子屋のドアが、強く開けられた。
入ってきたのは、黒い翼を持った女の子___天狗なのにあだ名が天女だった。
先月、留美子を人質にしようとしたら、聡子にトラウマを見せられて気絶した子だ。
それがなぜここに?
留美子は旦那の後ろに隠れた。
旦那はよく分からなかったが、天女の翼を見ると、いいことは起こらないと悟った。
「巫女さんいらっしゃいませんかー?」
「い、いまセン!」
留美子の声が裏返る。
留美子に気づいた天女は、あっと言った。
「留美子さん、でしたっけ?あーそうそう、貴女でもいいんですよ!ちょっと手伝ってもらいたいことがありましてー。あ、旦那さんでもいいんですよ?」
突然指名された旦那は驚いた。
それをお構い無しに天女は言葉を続ける。
「実はですね、人間の世界について興味を持っている妖怪が増えているので、その妖怪たちのために情報収集をしようと思ってましてね?あ、別に今度は世界を牛耳るつもりはありませんよ、安心して下さい」
天女は一瞬で留美子の隣に来た。
けれど、瞬間移動ではない。天狗はすばしっこい……____いや、神速の妖怪である。
からして、瞬間移動に見えただけで、実際のところ、その速さを保って来ただけである。
「ってことで、留美子さん、旦那さん、人間の世界について、情報をどうぞ!」
いや、どうぞと言われても……
留美子と旦那は天女から逃げるようにして、人間の世界に通じるドアを開けて、駄菓子屋から出ていった。
いくら神速を持っていたとしても、反応が遅れてしまえば二人を追いかけることは無理だ。
しかも、二人はもう人間の世界に足を踏み入れてしまっている。
この世界の妖怪は、基本的に人間の世界には行けない。
だから、天女は舌打ちをして、
「あ〜あ、最悪ですね。こうなったら巫女さんでも探しましょうか」
ああでも巫女さん怖いんですよね、近づきたくないですし。今度火炙りにしてやりたいです。
と言って駄菓子屋から出ていった。
一部始終を見ていた店番さんは、今日も誰もお菓子を買ってくれなかったと肩を落とした。
それに、またお菓子を買ってくれない常連が増える。
旦那も旦那で苦労性だが、なにげに店番さんも苦労性なのである。
今日、とても珍しいお客さんが、駄菓子屋にやって来た。
「はぁ〜い、お久しぶり〜」
その声を聞いたのは何十年ぶりだろうか、と店番さんは思った。
駄菓子屋にやって来た少女は、その鼻につく声も、小柄な見た目も、何一つ変わっていない。
強いて言うのであれば、雰囲気が変わったことだろうか。
最後に会ったときの、トゲトゲしさが多少柔らかくなっており、この何十年という人の世で言えば長い年月が役立ったのだろうということは、よく分かった。
少女は昔とは違う制服を纏っており、胸元のスカーフを揺らしながら店番さんのいるカウンターまでやって来た。
「本当に久しぶりだね、君を見るのは」
「でしょう?……最近、色々あったから、なかなか来れなかったの」
「へえ、色々ね。お子さん絡みかい?」
「まあ、そんなところよ」
何もないところからティーカップを出し、その中身を飲み干した。
あやかし商店街では嗅ぐことのない、まったく異質な紅茶の匂いが鼻をつつく。
店番さんはそれに顔をしかめた。
店番さんは、紅茶の匂いが苦手なのである。
「あら、ごめんなさいね?貴方、紅茶苦手だものね」
クスクスクス……と笑う少女から、本当に『少女』かと疑いたくなるほどの雰囲気を感じとれた。
それはそうだろう。
何せこの少女、数えるのも億劫になりそうなほどの、長い年月を生きている魔女だからだ。
間違ってはならない。彼女は、人に魔術を教わってなる魔法使いではなく、女が悪魔と契約することによって成る魔女である。
ティーカップを魔法で消すと、ねぇ、と少女は言った。
「そっちはどうなのかしら?最近、どんなことがあった?」
その問いかけに、店番さんは留美子の顔を思い出す。
そういえば、留美子は委員会の仕事があるからと、今日はまだ来ていない。
大丈夫だろうか。最近強くなってきたが、まだまだ留美子はいじめられている。……心配だ。
その心配を面に出さず、店番さんはにっこりと笑って答えた。
「最近、新しい子が来たんだ」
「あら、そうなの。神隠しにはあった?」
「いいや。その一歩手間、かな。多分、あの子は神隠しにあわない」
つまんないわね〜と、彼女は笑った。
__……彼女は雰囲気だけでなく、中身も変わっている。ようやく成長できたのか。
店番さんは心からの笑みを浮かべ、彼女に聞いた。
「お子さん絡みの事件、どうだった?雲の上で色々やらかしたらしいけど」
言うと、少女は懐かしそうに目を細めた。
確か去年の夏ごろ、人間の世界で、この少女とその子共たちが上空で色々やってくれちゃったはず。
妖怪の世界だけでなく、人間の世界でも一番『そういうこと』に詳しい店番さんが、詳細まで尋ねるとは……__と、少女はニヤリと笑った。
「ようやく貴方も、情報収集能力が低下してきたのね。おめでとう、貴方も老人の仲間入りだわ」
「僕の祖父よりも長く生きている……下手したら、僕たち妖怪の祖先よりも長生きしている君には言われたくないね」
「褒めているの?」
「ああ、もちろん、褒めているのさ」
二人して笑う。
それは和やかな笑いではなかったが、彼らにとっては、これが普通であり、久しぶりの再会を実感できるものであった。
他のものがここにいたのなら、泣いて逃げ出しそうだが。
「……あら、そろそろ夕食を作る時間だわ」
店内の時計を見て、少女が言う。
「あ、そうなの?珍しいね、君が料理なんて」
「変わったのよ、色々と。……ふふ。その話を、今度してあげるわ」
「その今度というのは、何十年先だい?」
「あら、来週よ、多分。……それじゃあ、さようなら。またお話しましょう」
少女がその場を軽くジャンプすると、少女の体が消えた。
そういえば、昔もこんな帰り方だったか。
「そうだね。また来週会おう、マリア」
どこからか、クスクスクスという笑い声が聞こえてきた。
失礼します!
マリアって…前作のマリアさんですかね!?
>>23
はい、そうですよ〜。あの子のキャラが結構好きなので、もう一度出てもらいました。
マリアのキャラを生かしきれませんでしたが、それでも書いてて楽しかったです。
機会があればまた一度出そうかと思ってます(´∀`)
前作を知らなくても、マリアという子を楽しめるようにしたいですね。
「やっほー、留美子〜」
巫女が手土産を持ってやって来た。
手土産……と呼ぶには、少し人権的問題があるので、こう呼び改めることとする。
巫女が天狗を引きずってやって来た。
これなら違和感がないだろう。
巫女は気絶していると思われる天狗の天女の腕を掴み、引きずってきた。
それを巫女はこう呼んだ。
「はい、焼き鳥の材料持って来たよ〜」
人権など皆無だった。
天女は気を取り戻したのか、手足を動かしてジタバタと騒ぎだした。
「うええ!?だ、誰か助けて下さい!このままじゃあ、おばあ様と同じ運命を辿ることに……い、いやあああああ!!死にたくないですよおおおお!!」
「いきが良いわね!さ、食べよう食べよう!」
「天狗の神様ー、どうかお慈悲をー!!この哀れな女の天狗を助けて下されー!!」
留美子はぷいっとそっぽを向いて、宿題を再開した。
道のりを求める計算は、やっぱり苦手だ。ここは高校生の旦那に助けを求めなければ___
「ちょっと留美子〜」
「うわーん、留美子さん助けて下さいよお!!」
いや、私関係無いし。
留美子は苦手な問題をスッ飛ばし、宿題を終えて、近くにあったお菓子を口の中に放り込んだ。
甘さが舌に染みて、痺れに似た感覚が舌の上を走る。
「美味しい〜」
「それよりも美味しい、焼き鳥はどう?」
留美子はそれを無視してまたひとつ、お菓子を食べた。
最近、留美子は巫女に冷たい。
それについて、巫女が悩み、考えた末に、とある結論に至った。
それは、『酒を一緒に飲めば大丈夫』だった。
留美子も巫女も未成年なのだが、そのことについて忘れてるのだろうか。
まさか、無理矢理酒を飲ませて、酔ったところで何かするつもりだろうか。
ちなみに、このカラス___いや、天狗は焼き鳥にして、酒のつまみにしるらしかった。
留美子はじっと巫女を見た。巫女と目が会うと、目をそらす。
その顔は、どこかにやけている。
そこに巫女は気づかないまま、失敗か、と肩を落とした。
「神様神様神様神様神様神様神様」
天女は呪いの呪文のように助けを求めている。
巫女はそれが煩くなったのか、天女を放した。天女は一目散に逃げ、空に羽ばたいていった。
それを見届け、巫女は留美子に向き直った。
その目からは、強い意思が感じとれる。
「ねえ、留美子」
「何?」
そっけなく返す留美子に、怒鳴りそうになりながらも、巫女はあくまで落ち着いて言う。
「どうして、最近私に冷たいの?」
留美子がキヒッと笑い声をあげた。
あまりに留美子らしくない笑い声に、巫女は目を見開いた。
声は大きくなっていき、そして、高くなって鼻にかかるような声になっていった。
留美子の姿が、モザイクがかかったように判別つかなくなり、それが薄れたと思ったら、留美子とは違う、まったく別の人物になっていた。
「キャハハハハハアアッ!!なぁにぃ、妖怪の世界で一番強いと聞くから、どんなやつかと思っていれば、ただのお馬鹿じゃなぁいぃ?」
留美子と背丈は同じくらいだが、雰囲気は凶悪な妖怪……いや、それ以上のものだ。
放つ妖気に似たものは、いわゆる魔力というやつだろうか。魔力なら、巫女にもあるが、巫女のそれとは比べものにならないほど強力だ!
目の前の少女は、キャヒヒヒと笑って、どこからか出した紅茶を飲んだ。
中身を飲み干したのか、ティーカップが消えた。
「はぁい、こんにちはぁ。貴女は初めましてよね?……初めまして。マリアっていうのよ。よろしくね?」
スカートの裾を軽くつまみ、頭を垂れる。右足は少し後ろに引いている。
巫女ははじめて恐ろしいと思った。
こんな少女に、自分は怯えている。それを知った巫女は、より目の前の少女が恐ろしくなった。
そこに、のんきな店番さんが、店の奥からやって来た。
店番さんは、特に少女__魔女マリアに驚くこともなく、やぁと手をあげた。それに、マリアが同じように手をあげる。
その光景を見た巫女は、もしかして、と思った。
実はこの前、店番さんと話をしたとき、このような話を聞いたのだ。
曰く、昔の知り合いが最近訪ねてきたのだと。そこでまた来週会う約束をしたとか。
確か、その来週が、現在から見れば、今週だったとも言っていたか……。
まさか、その知り合いというのが、この少女なのだろうか?
巫女はまじまじと二人を見た。
確かに、親しげに話す光景はまさしく知り合い、いや友人だ。
けれどまさか、店番さんに、こんな大物の知り合いがいたとは……彼のことは、もうからかえなさそうだ。
___と、巫女は思った。
実際のところ、店番さんは妖怪の世界と人間の世界を繋ぐことのできる、力の強い妖怪と人間のハーフなのだが___巫女は知らないのか、覚えていないのか、とりあえず、巫女は店番さんを下に見ていたというのは分かった。
「なんてことない、ただの人間じゃないの」
「いやいや、彼女、魔法使いだからね?」
「でも、エリーと同じくらいじゃない。中途半端の魔女と同じって……悪魔と契約しないだけで、こんなに変わるものなのねえ」
エリー、というのは、マリアが作り出した、中途半端な魔女である。
中途半端と、巫女のことを言っているのだろうか……?
チラッと巫女を見る目は、明らかに挑発している。
売られた喧嘩は買う、それが巫女である。巫女はボキボキと指を鳴らした。
「ちょっと、二人とも、僕の店で喧嘩しないでよね。人間の世界最強と、妖怪の世界最強同士で争わないでよ」
その言葉に、巫女は目を細める。
「へぇ〜!貴女、人間の世界最強なのね?」
「ええ、そうよ。少し前には悪魔を倒したわ。貴女は何かあって?」
「あら、この世界では、もう私を倒そうとするものがいなくてね……そういう争い事はしていないの」
「そうなの?なんて可哀想」
「貴女こそ、なんて可哀想なの」
「その口、閉じることは容易いことなのよ?」
「そお?じゃあ閉じてみれば?」
ちょっと待ってよ、と店番さんが止めに入る。
すると、二人は笑顔らしからぬ黒いオーラを纏って、なぁにと店番さんを見た。
店番は怯むことなく、あのね、と言った。
「なぜマリアがここにいるんだい?」
それに、マリアが鼻で笑った。
愚問だと言うように。
胸をそらして、生意気そうにマリアは答えた。
「この子が妖怪の世界最強って聞いたから、少し前から魔法で潜り込んでいたの。わざわざ留美子という子に話をつけてね。条件として、宿題を代わりにやることになったけど、結構楽しかったわ」
ちなみに、外見だけでなく、中身だって完璧に演じてたわよ?
そう言うマリアに、巫女は怒りを覚える。
騙されていた私が言うのもあれだけれど、あれが留美子?留美子はもっといい子で素直で可愛げがあるわよ!
巫女は強くマリアを睨みつける。
「なに、なんなの?マリアに何か?」
「何か……じゃ、ないわよ、この___」
それを遮るように、別の声が店内に響いた。
「魔力を辿ってみれば、こんなところに!帰るわよ、マリア!」
その声に一番驚いたのは、誰でもない、呼ばれたマリアである。
声の主は、人間の世界に通じるドアの前に立っている、マリアと同じくらいの少女であった。
その少女の本名はエリー。マリアが生み出した、あの中途半端な魔女である。
「エ、エリー!?」
「今日はマリアがご飯を作る番でしょう!?……ってあら、皆様、すみません、うちのマリアが___」
「エリー!!」
「はいはい、分かったから、さっさと帰るわよ」
改めて、みなに礼をすると、そのエリーはマリアを引きずって駄菓子屋を出ていった。
巫女はしばらく呆然としていたが、頭がスッキリすると、笑い出した。
「なにやってんのかな、私!」
店番さんが、何が、と聞く。
それに巫女が笑ったまま答えた。
「強い相手がようやく出たのに、全然戦っていないじゃない!」
この女、何を目指しているのだろう。
それは、神さえも知らぬことなり___
___もう疲れたでしょう。さあ、いつもの場所にお行きなさいな。あなたは何も心配しなくていい。
あなたはまだ子供なのだから、何も知らなくていい。
暗い世の中から目を背けたら、ほら、いつもの明かりが見えるでしょう?
さあ、行きましょうね___
体育館裏で、小鳥のように小さな泣き声がする。
その体育館の裏には、留美子がいた。
留美子は泣いていた。ただただ泣いていた。
彼女の周りには、細い糸の束がたくさん落ちている。___それは髪の毛だ。
誰の?___それは留美子のだ。
なんで?___いじめの一貫で、髪を切られたのだ。
留美子の髪は、長さも量もバラバラに切られていて、それ以上に、手足についた傷が痛々しかった。
血は溢れ、緩やかな川を作って、最後には滝となって地面に落ちていった。
足には青アザがたくさんできており、まるでカビが生えているようだった。
もちろん、カビのようだと、留美子をいじめる子供たちは笑った。
留美子は自身の髪の毛だったものたちを見て、今度は声をあげて泣いた。
髪の毛が、風に運ばれて、留美子から離れていった。
近くに放られていたランドセルには、猫の引っ掻き傷のようなものが大量についていた。
その傷は、留美子がいじめっ子たちに引っ張られないよう、頑張ってしがみついた後だった。
たくさんの傷を作って、でも結局は引っ張られ、3メートルくらい引きずられた。
土ぼこりまみれのランドセル。傷を作ったランドセル。そのランドセル以上に土ぼこりまみれで、傷を作っている留美子。
今の留美子には、思考というものが無かった。
何も思えず、何も感じられなかったのだ。
ただただ泣くだけで、その意味すら理解しない___いや、理解できない。
助けてとも言えないで、ただ泣き叫んでいる彼女。
彼女をいじめたものたちは、さぞ楽しかっただろう。
いじめれらばいじめるほど、反応が面白くなり、髪を切れば、今まで見た、どのアニメの悲劇のヒロインよりも絶望した顔をしていた。
次あれをしたら、どうなるんだろう、という好奇心と、子供故の残酷な無邪気さと、遊び心が混じりに混じって生み出されたのが、この結末だった。
どれほど泣いたときだろうか。
5時半を知らせる音楽が、町中に響きわたった。
聞けば聞くほど虚しく、寂しくなる曲は、子供たちに家に帰りなさいと歌う。
けど、留美子は家に帰らなかった。
無心でランドセルを背負い、まるでそうプログラムされたロボットのように、いつもの駄菓子屋に向かって走っていった。
夕暮れ、太陽が山に沈む。いや、帰るのか。
不格好な髪型をした、走り行く子供の姿を見て、大人たちは笑った。
なぁに、あの子、どうしたの?___と。
それは好奇心。その好奇心は、留美子の再起不能な心に、またひとつひとつと傷をつけた。
駄菓子屋のドアを開いて、留美子は中に入った。
中には、いつもの店番さんと、旦那と、巫女がいる。
三人は、留美子を見ると、顔をひきつらせ、出ようとした声を必死に飲み込んだ。
留美子の心と同じく再起不能な頭には、優しい声が響いていた。
___ほら、ここにいれば大丈夫。もう安心。あんな世界、捨てましょう。
『うわあ、こいつ泣いてるう』
『見てみて!ベロに砂ついてる!』
『砂食べてるぅ、きもーぉ』
水の中にいるみたいに、音や声が歪んで聞こえた。視界も、まるで水の中にいるみたいだった。
それでも、目の前にいる人たちが、誰だか分かった。
その人たちを認識すると、動くことのなかった心と頭は、ようやく動き出した。
押し寄せてくる波は、負の感情ばかり。
いじめられている時の恐怖、絶望、怒り、悲しみ、惨めさが、濃い青色の波となり、心を飲み込んだ。
その場にうずくまる。
息が苦しくなって、ケホケホと咳き込むと、砂が少しと、数本の短い髪の毛が出てきた。
次に押し寄せてきたのは気持ち悪さ。
いじめっ子たちに蹴られたからか、胃が暴れだし、胃液を吐いた。
口の中に酸っぱさが残り、黄色い液体が、床に広がった。
それでもまだ気持ち悪くて、胃が口から外に出ようとしているようだった。
「留美子、ちゃん……?」
どうしたの、と店番さんの声がする。
留美子は顔をあげ、三人の顔を見た。
心配、なんてものじゃない。
顔が歪んでいて、旦那にいたっては泣きそうだった。泣きたいのは留美子なのに。……いや、もう泣いているか。
巫女は『昔のこと』を思い出したのか、一歩一歩また一歩と下がって、頭を抱えている。
店番さんは、普段寄せない眉を寄せて、唇を震わせている。その唇を押さえるように下唇を噛んでは、歯形を残している。
留美子は何を思ったか謝った。
__ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい、私が悪いんです、ごめんなさい、ごめんなさい、許して下さい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……___
留美子の呪文のような「ごめんなさい」は、巫女を可笑しくさせた。
巫女は喉がはち切れそうな悲鳴をあげた。
「やめてよおおおぅ!!ヒギィ、ア、アアアア、ィャァアアアアアアアアッ!!!!」
暴れる巫女を、旦那が羽交い締めにして、押さえ込む。
「やめてよ放してよおうッ!!!!あっち行ってよおおうッ!!!!」
「落ち着けよ、巫女ッ!!なんでそんなに___」
「化け物おおお、お前ら全員化け物だあああ!!人の顔した化け物めえええええッ!!」
巫女の目には、数人の人間が見えていた。
ニタニタと笑いながら、手をこちらに向けて、髪の毛を掴み、そして引っ張りあげる。腹を蹴られ、カッターを足に向けられる。
それは、巫女が人間で、小学生だったときにあった、本当の出来事だった。
それを、巫女は幻覚で見ている。
巫女の精神が、留美子の謝罪とその様子に触発され、過去を呼び起こしたのだ。
人間は化け物。そう叫んで、巫女は気を失った。
巫女の全体重が、旦那の胸に寄りかかる。旦那は巫女をお姫様抱っこして、隅にある畳まで運び、そこに寝かせた。
巫女の顔は真っ青だった。
旦那と店番さんが、初めて巫女と会ったときと、同じ顔をしている。
思えば、初めて留美子と会ったときも、その顔とまったく同じだったから、あんなに留美子を気にかけたのかもしれない。
巫女がかつて酷いいじめにあったように、その妹の留美子もまた、いじめにあっている。
巫女があやかし商店街に来たように、留美子もまた、同じ理由からあやかし商店街に来た。
まさか……___!!
旦那は、うずくまる留美子を見た。
留美子は絶えず謝罪をしていて、その背中を店番さんが擦っている。
旦那の背中に、何か冷たいものが伝う。
___あんな世界に、帰らなくていいのよ。
……どうして?
___貴女を酷い目にあわせたじゃない。ここは安全だから、ずっとここにいればいいわ。
……そうだよね……。やっぱり、そうなんだよね……。
___ええ、そうよ。ほら見なさいな。貴女の周りの人は、どこの世界に属する人?
……妖怪の世界。旦那は違うけど。
___じゃあ、旦那も妖怪の世界に属させましょう。……さあ、これでいいかしら?
……うん。
___それじゃあ、ようこそ、妖怪の世界へ。
留美子の謝罪がふと止まり、自分が吐いた胃液の中に倒れる。
ビシャリと胃液が飛び散り、辺りに静寂がおとずれる。
空気が重い。旦那は首を掻いた。
「……どうしようかね」
少し考えて、旦那が言う。
「とりあえず、サトリ姉妹を呼ぶか」
「うん、それが最善だね」
留美子を店番さんに任せて、旦那はサトリ姉妹の店に向かった。
外に出ると、いくつもの音が溢れていて、いつものあやかし商店街なのだと分かる。
いつも通りでないのは、駄菓子屋の中だけなのである。
いたずらをしでかしたのか、子供の妖怪が、その親の妖怪に追いかけられ、そして捕まる。
それを、通行人たちが微笑ましく見る。
が、しかし。その通行人の中には、それを横目に走り去っていくものもいる。それが、旦那だ。
旦那は『石屋』と書かれたのれんをくぐり、店内を見回した。
店内には棚がいくつか設けてあり、棚の中には色とりどりの天然石が置いてあった。
石たちは夕日をうけて、オレンジ色に反射する。
石から目をそらし、姉妹を探す。けれどいない。
旦那はできるだけ元気よく、サトリ姉妹を呼んだ。
「おーい、里美、聡子〜」
すると店の奥から、おろしたての可愛らしい着物を着た里美が出てきた。
旦那を見ると、あれまと口を開けた。
「珍しいこと。旦那さんがうちに来るなんて」
ああ、そうですか、と旦那は思った。
珍しいとかそんなのどうでもいい。
さっさと留美子たちのところに戻らないと……。
「実は、頼み事があってな」
「頼み事?……それなら、力を使った方が簡単よね」
「ああ。できれば、力をずっと解放してもらってる方が助かるんだが……」
里美の目が虚ろになる。
力を解放した証拠だ。
旦那の心を読んだ里美は、顔を歪めると最悪ね、と言った。
「ちょっと待ってて。聡子を呼んでくる」
着物が乱れるというのにドタバタと走りだし、すぐに聡子を連れてきた。
聡子の目も虚ろであり、事情を理解しているのか、怒りで震えている。
少しつついただけで、怒りが爆発しそうだ。
旦那が何かを言う前に、聡子は店から出ていき、駄菓子屋を目指した。
「おい、聡子!」
「早く行こう、旦那さん」
里美も走り出す。旦那も少し遅れて、店を出た。
通行人はまだいたが、ほとんどの店は店じまいを始めているところだった。
駄菓子屋に駆け込むと、旦那は目を動かした。
隅の畳の上に、巫女と留美子が二人並んで寝ているのを見ると、ホッと胸を撫で下ろした。
また騒いでいるかも、と思っていたのだ。
二人はどうやら穏やかに寝ているようで、カウンターの奥に座っている店番さんは、表情が柔らかかった。
店番さんの目が旦那と、サトリ姉妹を捉える。
「よく来たね」
歓迎の言葉を無視して、聡子は留美子のそばに駆け寄る。
小柄な体を揺すり、留美子留美子と呼び掛ける。当然、返事はない。
「どうして……」
聡子は留美子の心の底を読んだのか、そう呟くと、怒りを爆発させた。
「なんで留美子がいじめられるの!?」
誰も答えることはできない。
聡子が何を思っているのかを読み取った里美も、同じように怒りを爆発させた。
聡子が見た『いじめ』の記録を、聡子を通して里美も見たのだ。
「そうよ、どうして留美子ちゃんと巫女さんが、あんな酷いことを!?」
これが、人間というものなの!?
聡子に対してを除けば、あまり叫ばない里美が、叫んで言う。
里美は人間の世界に通じるドアに走っていった。
そして、そのドアノブをガチャガチャと鳴かせながら回す。
ドアは開かなかった。当たり前だ。妖怪の世界の住人は、人間の世界に行けないようになっているのだから。
「なんで開かないの!?」
ドアを強く蹴った。
「助けたいだけなのにッ!!」
「おい、里美!」
旦那が声で制止しようとするが、里美は無視して、また強くドアを蹴った。
「あだ名をまだ貰ってないから!?一人前じゃないから!?」
蹴っても蹴っても壊れないドア。
足に血が滲むほど強く蹴り続けていた里美は、とうとう限界をむかえ、その場に尻餅をついた。
「復讐するだけなのにッ!!」
__そう叫んで。
泣き出した里美を、旦那は宥める。
里美は人間め、人間め、と言う。人間である旦那は複雑な心境に陥った。
里美の気持ちは分かる。
留美子と巫女がああなったのも、全ては人間のせいだ。
しかし、その人間というものは限られている。
妖怪たちに善し悪しのものがいるように、人間にも善し悪しのものがいる。全員の人間が、あんなに酷い人間というわけではない。
宥めるのは無駄だと分かったのか、旦那は人間の世界に通じるドアに手をかけた。
妖怪はこのドアを開けることができない。なら、人間である自分が開き、妖怪を外に出すことは……?
___……そう思ったのだ。
ドアノブを握り、ゆっくりと回す。
そして、ドアをおす。が、しかし、そこでありえないことが起こった。
ドアが開かないのだ。
人間の世界に属する旦那が、このドアを開けられないわけがない。
里美が蹴ったから、壊れたのだろうか?
もう一度、けれど今度は強くドアを押してみる。だが、一向に開く気配はない。
「おい店番野郎!」
旦那は行き場のない焦りを店番さんにぶつけた。
「なんだこれ、開かねぇぞ!?」
店番さんは、目を見開いた。
この世界と人間の世界を繋ぐことのできるものは、この店番さんだけである。
だから、このドアが開かないのは店番さんが関係している。そう旦那は思っていた。
だがしかし、店番さんは関係なかった。なぜドアが開かないのかなんて、店番さんにも分からなかった。
「そんなの、知らないよ!!」
「んだとテメェ、投げ出すつもりかよ!?」
「違うんだ!!僕にだって分からない!!……何がどうなっているんだ?こんなの可笑しい。人間の世界に属する君が、このドアを開けれないなんて……」
そこまで言って、店番さんは気づく。
そう、みんな自分の属する世界のドアしか開けられない。
その例外は神隠し一歩手前の子供と、店番さんだけ。
となれば、まさか旦那はもう、神隠しに合ってしまっている___!?
「ちょっと待ってよ、旦那!まさか君、帰りたくないなんて、思ってないだろうね!?」
旦那はハァ!?と声をあげた。
「んなわけねぇだろッ!!今日の晩御飯は大好きなクリームコロッケなんだ!帰りてぇわ、ったくよぉ!!」
帰りたいらしい、何がなんでも。
じゃあ、どうして開かない?___店番さんは考えた。
属する世界が変わったのか?いや、しかし、この場合は神隠しに合わない限り、属する世界が変わることはないはずだ。
それに、そんなことができるのなんて、神様くらいだろうし……まさか、神様が?いや、そんなわけないか。
きっと、なんらかの事故なんだ。そう、事故。事故に決まっている。
このとき、誰も気づいてはいなかったが、店内には、旦那、店番さん、留美子、巫女、里美、聡子の計六人以外に、もう一人、人がいた。
その人は優雅に紅茶を飲みながら、心の中で笑っていた。
みんなバカよねぇ、そう思って紅茶を飲む。苦味が口の中に広がるが、それがまたいい。
誰に気づかれることもなく、優雅に紅茶を飲んでいたのは、人間の世界に属する魔女マリアだった。
店番さんの古くからの知り合いであり、人間の世界最強と言われる魔女である。
寝ている巫女の顔を見て、ニヤリと笑う。
貴女も落ちぶれてるようじゃなぁいぃ?そんなんで、妖怪最強?笑えるわね。
クスクスクス……と、声をたてると、一斉に12この目がマリアを捉えた。
マリアは空中に浮かんでおり、そのこともあって、人々を驚かせた。
「マリア、どうして君が……!?」
店番さんが聞く。マリアは鼻で笑う。
「ちょっと面白そうだったから、来てみたのよ。……残念ね、ドアが開かないなんて」
クスッと笑って、床に着地する。
マリアに初めて会ったサトリ姉妹と旦那は、何者なのか分からず、店番さんの顔を見た。
店番さんは、知り合いだよ、と答える。
マリアは旦那を見て、笑った。
「なに、その顔?笑えるわね。今の貴方の顔は、まるで殺される前の悪魔と同じ顔だわ」
それに機嫌を悪くしたのか、旦那は舌打ちをする。
それを特に気に止めることもなく、マリアは紅茶を飲み干し、ティーカップを消した。
この前巫女にしたように、制服のスカートの裾をつまんで、ぺこりと頭を下げる。右足は後ろにひいて。
「マリアって言うの。ここの店主の知り合い。悪魔と契約して、人間の世界最強となった魔女よ。よろしくね?」
不気味な弧を描く唇が、一瞬恐ろしいほど赤く見えた。
マリアの心を読んだサトリ姉妹は、ぶるりと震えた。
この女、関わったらダメだ……!!
恐ろしい。この女にこそ、恐ろしいという言葉が似合う。
マリアなんて、嘘っぱちだ。マリアというよりも___
「あら、サトリじゃないの」
マリアの目が、近くにいた聡子に向く。
聡子はヒッと後ろに一歩下がった。
「怖がらないで。今回、マリアは助けに来たのよ」
そう言うと、マリアは指を鳴らした。
すると、巫女と留美子の睫毛が震えて、二人の目が開いた。
留美子が起き上がり、辺りを見回す。
「あ、私、なんでここに___」
「留美子ぉ!!」
聡子が留美子に抱きつく。
留美子は駄菓子屋に自分で来たことすら忘れているようだった。そこにいきなり聡子が抱きつくものだから、心臓が飛び出るほど驚いた。
留美子は聡子を引き剥がし、見知らぬマリアを見て、誰、と聞いた。
「なぁに、また自己紹介しなきゃいけないのかしら?」
「彼女はマリア。僕の知り合いの魔女だよ、留美子ちゃん」
めんどくさそうに言うマリアに代わって、店番さんが紹介する。
留美子はどうも、と頭をさげた。
「うわ、頭痛……」
その隣で、巫女が頭を押さえて上半身を起こす。
巫女は目を動かし、留美子を見ると、ちゃんと覚えているのか、また叫びそうになった。
頭を押さえていた手を口に持ってきて、叫びそうになるのを堪える。
昔の記憶が溢れ、巫女の精神を侵す。
駆け寄ってきた旦那が、その背中を擦り、宥めた。
「ありがと、旦那」
旦那の頬が、照れ恥ずかしいのか、赤く染まる。
「いや、別にい___」
「ちょっと甘ったるい〜。やめなさいよ、そういうの〜」
マリアが旦那の言葉を遮った。
その声に反応して、巫女がマリアを見ると、マリアは手を振った。
巫女はたちまち笑顔になり、久しぶり、と言った。
「なんで、貴女がここにいるの?」
巫女が聞くと、マリアは思い出したように手を叩いた。
忘れていたのか。助けにきたと言っておいて。
留美子と巫女以外のものたちの心がひとつになった瞬間だった。
「助けに来てあげたのよ。貴女と留美子が可笑しくなって、しかも、旦那っていうやつが帰れなくなったらしいから」
留美子は、あれ、と思った。
自分が可笑しくなった?特にそんなことはなかったと思うが……__と、悩む留美子は、その時の記憶を無くしている。
よほどショックだったのか、放課後のいじめに関することについては、何も覚えていない。
対して、巫女は覚えていた。
寝て精神を落ち着かせたからか、さきほど旦那が宥めてくれたからか、今発狂することはない。
マリアは歩いて、人間の世界に繋がるドアの前に来た。
そのドアを指差し、皆を見る。
「このドアは、人間の世界に属するものにしか開けない。分かるわよね?」
個人差はあるものの、皆すぐに頷く。
「そうよ、そのドアは妖怪の世界に属するものは開けれない。だから、私は開けれなかった……!」
里美は下唇を強く噛み、血が滴り落ちた。
巫女と留美子が起き、幸か不幸か、留美子は一部の記憶を無くしていた。
里美はそれについては良かったと胸を撫で下ろしたが、いじめをした人間たちへの憎しみや怒りは消えない。
未だ里美の心には、黒いものが渦巻いていた。
それに気づいていたマリアは、里美が開けたくても開けれなかったドアを、簡単に開けて、言った。
「あなたたちも知っている通り、人間の世界に属するものでないと、ドアは開けられないわ。なら、属する世界を変えればいいじゃない」
マリアは旦那に目を移した。
「属する世界を変えるのは、とても簡単よ。貴方はいつもそうしていたんだから」
「……は?」
口をポカンと開け、マヌケ顔をしている旦那の体に、床から突如として生えた蔦が絡まった。
その蔦はマリアが魔法で出したものである。
呼吸をするのと同じくらい、簡単な魔法だ。
「ほら、こうやってね」
蔦が、旦那を人間の世界に放り投げる。
旦那はドンッという音をあげて、外の地面に落ちる。
簡単に人間の世界に帰れた旦那は、驚きで辺りを見回した。
「な、なんで、俺……」
いきなり駄菓子屋から飛び出てきた男子高校生を見て、通行人Aのお爺さんが心臓を押さえている。
可哀想に。驚いて心臓が飛び出そうになったのだろう。
「こんなの、魔女マリア様にかかれば、人間を妖怪に変えるくらい簡単だわ。マリアはそれを逆にしてやってのけただけなんですもの!」
キャハハハハハハハアアッ!!
マリアは高笑いをした。
その笑いを遮って、さきほどのマリアの言葉に巫女が指摘した。
「逆のことをしたって言ったわよね?それってつまり、貴女は属する世界を変えられるってことよね?」
マリアは頷いた。
「ええ、そうよ。というか、旦那と、そこにいる留美子はいつもそれをしていたわよ?必ず元の世界に戻れると無意識の領域で思っていたからね」
「……それって、つまり?」
今度は店番さんが聞く。
マリアは旦那を駄菓子屋の中に再び蔦を使って投げ入れ、答えた。
「だから、“絶対に行ける”と思ってなきゃ、ドアは開けれないのよ。旦那がどうして開けれなかったかっていうと、その思いを、誰かが操作したからよ
」
「絶対に……」
店番さんが復唱すると、マリアは頷いた。
「そうよ。絶対に行けると思っていないといけないの。揺らがぬ思いを持っていなければ開かないのよ。……これを理解しているのは、この中では巫女だけかしらね?」
マリアが巫女を見る。巫女は少し考えたふりをして、そうね、と言った。
「これは、魔術に似ている。魔術も、心の底から信じていないと使えない。これは、基本中の基本だわね。思い込む、って感じかしら」
「ええ、そう。旦那はその揺らがぬ思いを誰かに干渉され、多少は揺らいでしまったってわけ。マリアたちが念って呼ぶものが、揺らいで形を壊してしまったのよ」
『念』というものは、この世を構成する成分の一部である。
何かを思い、考えることによって『念』が生まれ、その『念』を生み出したものたちに何らかの力を与える。
例えば怨霊。
これは怨みの『念』が、怨んで死んだものに力を与え、この世をさまよわせ、目的を果たさせようとすることによって生まれるものだ。
念は色んな性質、力を持って、世界を構築する。
最近本が出版されるようになった「引き寄せの法則」も同じ。これも念の力によるものだ。
このような『念』を利用して、魔法使いや魔女は魔法を使い、妖怪や人間が、自分たちの属する世界に通じるドアを開けることができる。
だから、マリアと巫女は理解できたのだ。
このことを説明すると、留美子以外は理解したようで、なるほどと手を打った。
留美子は一人悩み、ついには「信じるものは救われる」という結論に至った。
あながち間違いではない。
「でも、それに干渉……操作することなんて、できるんですか?」
里美がマリアに聞く。
マリアは考えた。
確かに、干渉や操作はできるだろう。
なんて言ったって、念については魔女や魔法使いたちが何よりも詳しいし、自分は先ほど干渉をして、旦那を外に放ったのだ。
がしかし、マリアは何千年も生きて、その月日全てを魔法に費やした魔女であったからこそ、できたのだ。
そんじょそこらの魔女や魔法使いができるわけがない。
……あ、いや、魔女はマリアしか存在しないんだったか。最近は悪魔と契約しようとするものがいないから。
クックックッとマリアは笑った。
つまり、あれだ。
干渉や操作のできるのは、魔法使いだけ。その魔法使いたちではおそらく力と経験が足りない。
なら、考えられるのは、神様だけ。
全知全能の神様なら、容易いことだろう。
「マリアは最強の魔女だからできるけど、この世にマリア以外に干渉できるやつがいるとは思えないわね。だから、マリア以外にできるやつはこの世ではない、どこかにいるものだけ」
つまり!!
自分の中で完結させた想定を声高らかに言う。
「神様がやったのよ!!」
ポカンと口を開ける一同。
いち早く気を取り戻した聡子が、でも、と言う。
「そう言っておいて、マリアがやったって可能性は___」
ポキリ、という聞いてるだけなら心地のよい音がして、聡子の足があり得ない方向に曲がる。
聡子は倒れ、声にならない悲鳴をあげた。
「このマリアを敬称無しで呼んでいいのは、マリアが心許したものたちだけだ!!貴様のような愚か者の妖怪が、敬称無しで呼んでいい存在ではない!!身の程をわきまえろ、サトリめがッ!!」
何千年という月日を感じさせる威圧感と、マリアの底知れぬ闇をたたえた瞳に、聡子は呂律の回らぬ口で謝罪をした。
ごめんなさい、許してください、もうしません___
マリアは表情を固くしたまま、魔法で聡子の折れた足を元に治した。
聡子は泣いてまた謝罪する。それにようやくマリアが表情を和らげ、ごめん、と謝った。
「マリアも悪いわ、こんなことして。……ああ、またエリーに怒られちゃうわ」
でも。
「今度敬称を忘れたら、貴女はマリアの使い魔となり、一生を苦痛で過ごすでしょう。覚えておきなさい」
静まり返った店内に、マリアの声が響きわたる。
少しして、ごくり、と誰かが唾を飲み込む音がした。
「さて、と。で、これからどうするの?」
店番さんが、そう言って皆を見る。
気を取り直した聡子が、手をあげて言う。
「その、念っていうのを操作したのが誰か知りたい。ほっておいたら、また同じことが起きるかもしれないし」
口々にそうだね、念のためにね念だけに、と皆が呟いた。
けれど、その操作をした人物は誰かという問いに、マリアは『神様』だと答えた。
そんなことありえるのだろうか?
神様などいるだろうか?
そもそも、なぜ操作を行ったのだろうか?___……巫女は考え込んだ。
その間に、話は進んでいく。
「神様ですよね?なら、神社に行けばいいんじゃ?」
「里美はまだまだね。神社にいるような神様じゃなくて、天の上にいるような神様のことを言っているのよ?神様にだって、階級や種類というものが___」
「マリア、様、えっと、世界によって神様って変わる……ん、ですかっ?」
「あ、それ私も知りたい!……です!」
「淑女はそう慌てないのよ、聡子、留美子。……まあ確かに、神様にもいろいろいるって聞いたら、そう疑問を持つのは当たり前よね。いいわ。その疑問に答えてあげるわよ」
偉そうにいうマリアに、店番さんがうへぇーと声をあげる。
「無い胸をそってるー」
店番さんの上に、何か鈍器めいたものが落ちた気がしたが、気のせいであろう。
マリアは気にせず話続ける。
「世界が変われば信仰も変わる。だから、世界によって神様は変わるわよ。確か、妖怪の世界の神様は女だったかしら。執着心が強くて、子供を愛する女神だったわね」
「……子供ぉ!?」
子供、という単語に、旦那が反応する。
「なに?子供がどうかしたの、旦那」
「いや、なに、じゃないだろ、店番さん!子供だぞ!?子供!」
さて、少し思い出してもらいたい。
妖怪の世界の仕組みを。
妖怪の世界は、子供に『甘い』のだ。
子供は奢られて当たり前___留美子は、団子を無料で食べ、旦那がそれを奢った。
ここにいたいと言うのなら、帰りたくないと思うのなら、その通りになってしまう___そしてもとの世界に帰れなくなり、神隠しにあう。
妖怪の世界の女神が、子供を愛するあまりに、ありえないほど甘くなってしまったというのなら?
そして、執着心が強すぎて、その子供を手放したくないと思い、そこに引き留めようとするのなら?
そのために、『念』に干渉し、操作を行ったというのなら?
それを旦那は皆を見回して言った。
きっと、女神は俺を帰したくなくなったんだ!
___旦那は自分の手で自分を抱いて震えた。
が、旦那より震えているものが一人いた。
留美子だ。
留美子は目をキョロキョロと動かし、誰かが少し動いただけでも小さく悲鳴をあげた。
留美子の可笑しい様子に、ずっと考え込んでいた巫女が気づく。
「どうしたの、留美子」
うあ、と声をあげて、留美子は巫女を見た。
巫女はキョトンとして、留美子を見ている。
留美子はあのね、と言って、周りを見た。
未だに、俺を帰したくないんだ、だって俺すっげぇ可愛い子供だから、と言っている旦那に、みんな笑って、こちらに気づいていない。
留美子は、あのね、と声を張り上げた。
みんなの目が、こちらを向く。
留美子は口の中にたまった、ねばねばとした唾液を飲み込んだ。
「私、その女神さまとお話したかもしれない!」
ドアも窓も、何も開いていないはずなのに、どこからか風が迷い込んできた。
その風は徐々に色をつけ、目に見えるようになると、人のような___基本は人なのだろうが、頭に動物の耳らしきものが生え、背中でたくさんの触手らしきものがうごめいている___姿になった。
それは実体を持ち、留美子たちの前に現れた。
顔は美しいのに、それ以外は実に気味悪く、美しくなかった。
心の読めるサトリ姉妹の聡子と里美は、そのものの正体に、すぐ気づいた。
___女神さま。
心の中で二人はそう呟くと、里美は心を読む力を抑え込み、聡子は一歩退いた。
心を読んだから分かる。
目の前にいるこの女神は、厄介な『人間』なのだと。
全体的には醜い姿をした女神が、振り袖で口を隠し、笑った。
女神の背に生えてうごめく触手たちも、どこか楽しそうに踊っている。
言葉を失った面々は、ただ茫然と女神を見ることしかできなかった。
「ふふふ。わたしの子が、わたしを呼んだようだから、来てみたの」
留美子の頬に、潰れた指を当てた。可笑しい形の手で撫でる。
留美子は唾を飲み込むことさえもできず、恐怖に震えていた。
目の前の女神が怖い。
でも、でもそれ以上に、今溢れてくる記憶が恐ろしい!
留美子の頭には、失われていたはずの記憶がよみがえっていた。
放課後のいじめ__……数メートル引きずられ、髪を切られ、殴られて、蹴られて、罵られて。
何も感じなくなるほど泣いて、そして声を聞いた。優しい声。まるで絵本を読んでくれるお母さんのような、優しい声。
その声は、留美子に語りかけてきた。
そして、もとの世界に帰らなくていいと言い、留美子がそれに答えれば、旦那の属する世界を変えると言っていたか。
留美子は覚えのある記憶と、旦那の属する世界を……旦那の持っていた『念』を操作させてしまったことによる責任感、そして女神への恐怖感が混ざりあって、混乱していた。
女神は笑いながら、可愛いわねぇと言う。
子供を愛してやまない彼女は、目の前にいる留美子を、まるで自分の子のように思えていた。
いや、実際のところ、自分の子だと思っているのかもしれない。
昔々、とうの昔に失った、自分の子に留美子がとてもよく似ているから。
「何を固くなっているの。笑顔でいなきゃ、幸せはやってこないでしょ?」
頭に生えた、獣の耳がピクリと動く。
留美子の目には、薄い水の膜が張っていた。
女神の姿に、久しぶりの恐怖を味わったマリアは気を取り戻すと、留美子と自分の場所を魔法で入れ替えた。
一瞬にして、留美子とマリアの場所が変わる。
女神はすっと手を引いた。
「お久しぶりね、女神さま。と言っても、あのときは声を聞いただけだから、会った、とは言わないんでしょうね」
女神の顔が歪む。
ギリッと音をたてて、歯を食い縛る。
「マリア……っ」
「あら、覚えてくれていたの。マリアは貴女のことを、覚えていたくなかったのだけれどね。声に比べて、姿はずいぶんと醜いのねぇ?」
アッヒャヒャヒャ……ッ!
女神とマリアから離れるように、皆は一歩と退いた。
気の弱いものにいたっては、一歩まででなく、五歩も退いている。
「貴女は神にさえも、そのような態度をとるのね?バカらしいわ」
「あ〜ら、そうお?畏敬の念を込めてほしかった?……残念だったわね。マリアは不老不死の魔女よ。神様と敵対したようなもの。なんでそのマリアが、神様なんかに頭を垂れねばならないの?いえ、違うわよね……?」
マリアはどこからか杖を出し、杖の先を女神に向けて言った。
「貴女はもともと神様なんかじゃなかったわよね。ここ数百年で、ようやく神様になれた、かっわいそうな怨霊。様々な怨みの念を吸収していった、元人間。そうでしょう、『女神』さまぁ?」
聡子はその力故に、女神の今の心、そしてその心に映る影を見てしまった。
その影はとても濃くて、聡子は胸が苦しくなった。
酸素が足りなくなったのか、頭がやけに痛い。
「そうですか。でも、わたしはそう言われても、何も動じませんわ。わたしは、呼ばれたから来ただけ」
「誰に呼ばれたってぇ?ほら、言ってやりなさいな、留美子。貴女はこの女なんて知らない。そうでしょう?」
「何を言うのです。この子は、わたしの大事な子。惑わさないでくれないかしらね?」
「惑わすぅ?大事な子ぉ?」
「そうです」
「そのために、他人の念を操作するなんて……あーあ、留美子も旦那も可哀想ねぇ……」
留美子と旦那は訳もわからず冷や汗を流す。本能は正しいのだ。だから、別に変なことではない。
「なんですって?なにが可哀想ですって?」
「他人の属する世界を変えるほどまで、念を操作するなんて、なんて愚かなのかしら。本人の意思関係無しにすることは、このマリアでもしないわよ」
つまりね、貴女は所詮、自己中の怨霊あがりってことなのよ。
留美子は近くにいた店番さんの服の裾を握った。
その手は震えている。
「つまりね、貴女は所詮、自己中の怨霊あがりってことなのよ」
女神の背中に生えた触手たちが伸びて、マリアを締め上げる。
マリアはそれを気にせず、触手に炎を放った。
ゴオオゥという音がして、触手を火が舐める。触手を伝って、炎が女神の体に到達する。
女神はその炎を神の力で消し、マリアを睨んだ。女神の背中には、また新たな触手が生え、うごめいている。
「マ、マリア、さん……」
留美子がマリアの名前を呼ぶ。
その目は助けて、あいつを倒して、と言っている。
店番さんは、留美子の震える手を握りしめ、大丈夫、と呟いた。
そして、のんきな声で言う。
「危ないことするなら、外でやってくれないかな〜?」
「無理ね」
マリアが即答する。
「でも、すぐ終わるから大丈夫よ」
「いやいや、大丈夫って言われてもねぇ……」
女神の着物の中から、火の玉が飛び出してくる。その火の玉を魔法で出した水で消すと、マリアは魔導書を出し、そこに載っている呪文を唱えた。
女神を囲むように、突如現れた護符が浮かぶ。サソリの魔法陣が女神の足下に現れ、光を放った。女神が膝をついた。
「言いなさい。貴女はなぜ、旦那の念を操作したの。そして、留美子に何を話したの」
魔導書をしまい、女神に問う。
女神に生えていた触手が薄れ、消える。頭に生えていた獣の耳も消える。
潰れていた指は治り、異形だったものたちが元の姿に戻っていく。
元に戻った女神の姿は、とても美しい女の姿だった。
「さあ、言いなさい。言わなければ、このサトリたちに貴女の心の中、洗いざらい話してもらうわよ」
「ええ!?」
「わ、私達ですか!?」
驚くサトリ姉妹を無視して、マリアはなお語りかける。
「言いなさい、ほら」
ようやく口を開く女神。
目を何回かぱちくりさえ、不安そうにしている。
意を決したのか、口を閉じ、息を深く吸って、再び口を開いた。
「わたしは、その子が欲しくて仕方がなかった」
留美子を指差した。
「でも、その子は」
次に旦那を指差す。
「この子も必要だというから、仕方なく、本当に仕方なく、属する世界を変えるために、念に干渉し、操作したのよ」
手を下ろして、留美子を見た。
その目は優しい。
「その子は、わたしの大事な子。願いを叶えてあげないと、可哀想でしょう?」
「でも、どうして留美子なの?」
「留美子?何を言うの。その子はそういう名前じゃないわ。真佐子よ、真佐子」
「真佐子?……それって、妖怪の世界での名前?あだ名ってやつかしら?」
マリアが店番さんを見る。店番さんは、あだ名についてよく分かっていないらしいマリアに教えてあげた。
「ここで言うあだ名っていうものは、妖怪の世界の立派な住人だということを認められた証なんだ。または、一人前っていう証。つまり、あだ名を貰ったってことは、妖怪の世界に歓迎されたってこと。旦那だって、僕だって、巫女さんだってそうさ」
けど。
「あだ名を受け入れると、元の世界には戻れないよ」
「……なるほどね」
「名前は、縛り付けるものだから」
すると、女神が笑い出した。
最初は声を抑えるような笑い方だったのが、だんだんと大きくなり、最後には耳を塞ぎたくなるほどの、高い声で女神は笑った。
「んだよ、うっせぇな!」
旦那が口を悪くしながら、女神を睨んだ。女神はそれを見て、より高い声で笑った。
「魔女風情が、神であるわたしを魔法陣で捕らえる……?」
魔法陣が描かれた床に、ひびがはいる。すると魔法陣の光が消え、ついには魔法陣自体も煙のように消えた。
マリアの顔が、焦りで歪む。
その焦りを消すように笑っているが、無理して笑っているようにしか見えない。
「なんてバカげた白昼夢!」
女神が立ち上がる。
女神の体が、まるで紙に滲んでいく絵の具のように周りに広がりはじめ、目の前の景色を闇で染め上げた。
女神は真っ黒な闇となり、その闇の中央には、血走った目が一つ浮かんでいる。
女神というと、綺麗な女性を想像する。それを最初から裏切ったこの『女神』は、よく人間が想像する化け物へと姿を変えた。
闇から大きな声が聞こえる。
低くしゃがれた声だ。女とも、男ともつかぬ声が発せられる。
「おお、真佐子や。わたしのところに来なさいな。誰もいじめないし、誰も貴女を独りにさせない」
……闇が喋っている。
本当にあの女神なのか?
いや、むしろ、この姿の方がしっくりくるかもしれないな。
旦那はそう思うと、ふっと息をついた。
先ほどの店番さんとマリアの会話を思い出す。
__あだ名を受け入れると、元の世界に戻れないよ。
つまり、俺は神隠し一歩手前だったってわけか。
……そういえば、テストで自分の名前を書くときに、何回か旦那って書きそうになったっけ。
俺、あと少しで自分の名前さえも忘れるところだったんだな……。
自分の名前を思い出す。両親が頑張って考えて、辞書を引きながら漢字の意味を調べて、よくやくつけてもらった名前。
「……おや。なんでまあ、こうも嫌なことが続くのでしょうね」
血走った目が、旦那を捉える。
旦那はニヤッと笑った。
「俺は何も怖くないぜ。お前の都合のいい人間になるかっての」
「ほお、そうですか。でもどうでしょう。貴方の思い人は、自分が人間だったころの名前を思い出せないようですが」
「……はっ!?」
旦那が巫女を見る。巫女は頭をかきむしりながら、違う、そうじゃない、と言っている。しかも、巫女は留美子を見るたび、泣きそうになっている。
もしかしたら、留美子が自分の妹なのだと分かったのかもしれない。
留美子は店番さんの服の裾を握りながら、頭に流れこんでくるいじめの記憶に耐えている。
『うわ、こっち見たよ!』
その一言から、自分がいじめられているのだと分かって、次に友達だと思っていた子たちがいじめの主犯者なのだと知って、何日もの夜、枕を涙で濡らした。
その主犯者の子たちに、今日の放課後、今までにないいじめをされて、とうとう耐えれなくなって。
耐えきれなくて、お姉ちゃん、助けてと言ったら、またバカにされて。
ああ、どうしよう。また耐えきれなくなってる……!
「おねぇちゃあん……」
泣く留美子に、闇が、女神だったものが近づく。
「可哀想な真佐子。ほら、貴女のお姉ちゃんはそこにいる」
巫女の方に、闇が広がる。
巫女はそれに気づいても、その場を動けず、違う、私の名前は、と言っている。
マリアが蔦を使って、巫女を闇から遠ざけなければ、どうなっていたことか……。
「お姉ちゃんも、一緒に連れていってあげようね」
「だめ、そんなの、だめ」
「ダメじゃないのよ。こっちには、貴女を突き放す人なんていない。ほら、こっちに来なさい」
「……でも」
留美子が惑わされつつある。
「留美子ちゃんッ!!」
留美子に叫ぶ里美。里美の目は虚ろだ。力を解放している。
「ぜっっったいに、そっち行っちゃダメ!そっちには、真っ暗な闇しかないでしょッ!?私には分かる!そいつは、貴女を、昔亡くした娘の代わりにしようとしているのッ!!」
闇が叫ぶ。駄菓子屋がギシギシと音を鳴らし、床の一部は剥げてしまった。
闇の叫びは悲鳴とも怒号とも取れるような、どちらにしろ、負の感情を含んでいた。
「死んでなどいない!娘はそこにいる!真佐子、こっちに来なさい、真佐子!」
闇が大きくなる。すると、闇の向こうに、何かが見えた。
……あれは、人だ!
人を確認した巫女は、まさかと思って目を凝らし、よく闇の中を見た。
そこには、たくさんの子供がいるではないか!その子供のほとんどが、小学生くらいの女の子。
たまに男の子や、自分と同じくらいの子も見られる。が、圧倒的に女子小学生が多い。
まさかとは思うが、この女神、いや闇は、自分の子供だと思い込んで、たくさんの子供たちを神隠しにあわせているのか!?
そして、自分もそろそろあの中に入らされそうになっていたのか!?
今、私が大丈夫だとしても、留美子が危ない!
……ようやく分かった、あの子が私の妹だと。なのに、その喜びを味わう前にこんなことになった。
しかも、私は全然自分の名前を思い出せない。
なんだったっけ。美咲だっけ?
……ううん、違う違う。もうちょっと古風な感じ。けど、そこまで古いってわけじゃなくて。
えっと、えっと………!
「真佐子、真佐子や!」
「ち、違うっ!わ、わわ、わたっ、私は、留美子だもん!」
震える声で反論する留美子を見ると、巫女は自分が情けなくなる。
巫女は自分を落ち着かせ、名前を思いだそうとする。
あの闇の中にいる子たちは、きっと自分の名前を忘れてしまっている。そうなりたくない。
そんな惨めな人間にはなりたくない。
だって、私は妖怪の世界最強の魔法使いだもの。私は、『あだ名』が巫女の___ああ、本名が思い出せない!
こうなったら、反則技を、と巫女は思って、留美子に語りかける。
自分の名前は、留美子の姉の名前はなんだったか聞くためだ。
反則中の反則ではあるが、これも『自分』という人間……いや、魔法使いを保つための、大事な防衛なのだ。正当防衛。だから、罪はない。
___酷い逃げ道ではあるが。
「ねぇ、留美子!貴女のお姉ちゃんの名前は、なんて名前!?」
突然言われて、留美子は飛び上がるほど驚く。
けど、まさか、と思って顔を綻ばせる。
ようやく、思い出してくれたっ!?
留美子は嬉しくなって、姉の名前を何度も言う。その響きは、とっても綺麗で、自分がこの名前だったら良かったのにと思ったほどだ。
「美佐子だよ、美佐子!美佐子っていうの、お姉ちゃんは。美佐子、美佐子なんだよ!」
巫女の体に、名前が染みていく。
昔の嫌な記憶も、楽しかった記憶も、全てその名前に染みて、『美佐子』がよみがえる。
そうだ、私は___
巫女は、体が軽くなるのを感じた。
昔やっていたアニメに出てくる、結構強いキャラクターが言っていたセリフを思い出す。
そのセリフを言ったキャラクターは、かっこよく戦っていた。
だから、巫女も___いいや、美佐子もそれを言う。
「体が軽い。こんなの、初めて!」
魔法がどんどん出てくる。今までにないくらい絶好調だ。
端から見ていた旦那は、魔法を使う美佐子に、ついつい見惚れてしまう。
キラキラしていて、楽しそうだ。
駄菓子屋のことなんか、どうでもよくなるくらい、たくさん魔法を使う美佐子を見て、マリアはそうよね、と呟く。
「店のことなんか気にしてたら、強力な魔法なんて、使えないわ!」
炎に蔦に水に光に爆発に……たくさんの魔法を使って、マリアと美佐子は勝てると確信していた。
勝てる、という確信のもと、その性質を持った『念』が生まれる。
それを感じとったのは、何も二人だけではなかった。
聡子と里美は、力を出しあって、闇が、女神がトラウマとしているものを呼び覚ます。
攻撃を受け、トラウマを再び見せられ。闇と化した女神は何を思っただろうか。
真佐子!真佐子!……違う、わたしの子の名前は……___
闇が縮まり、両手におさまる程度のボールと、同じくらいの大きさになった。
赤黒いそれは、怨霊あがりの女神の魂だった。
荒れた店内を魂は移動して、留美子の手の中にやってきた。
留美子がそれを両手で包むように持つと、魂から留美子の脳へと、記憶が流れてきた。
激痛が頭に走る。そして、記憶が目の前に視覚化された。
それは昔の……侍がまだいたころの、今でいう商店街のような場所だった。
そこで、子供が馬に引きずられていた。
手足を縛られ、馬に繋がれ道を引きずられている子供は、着物を見るに女の子らしかった。
けれど、女の命とも言われる髪は赤黒く、髪とも判別できないようなものになっていた。
顔も、目や鼻、口などがなく、顔だと判別できないものになっている。
引きずられて、肉が取れたのだ。
生きているわけがなかった。
馬が走るのをやめた。
役人だと思われる男たちが、子供を馬から放し、子供をこちらに放り投げてきた。
目線が、子供を捉えた。
はだけたぼろぼろの着物、肉がとれた体。全てを鮮明に捉える。
するといきなり、留美子のすぐ近くから、大きな悲鳴が聞こえた。
いや、近くではない。
これは女神の記憶である。だから、これも全て女神の目線。女神が悲鳴をあげたのである。
女神の動きにあわせて、留美子の目線も動く。
女神が子供を抱き上げ、その子の名前を叫んだ。
「八重、八重、返事をおし、八重やッ!!」
役人たちが、女神に言う。
その子は罪を犯して死んだのだと。しょうがないと。これは罰なのだと。死んでも、地獄に行き、なおも罰を受けていると。
慰みも何もない。女神は泣き崩れて、子供の名前を呼んだ。
八重、八重、わたしだよ、八重。どうして何も言わないの、八重、八重ッ!!
子供を抱えて、立ち上がれば、周りの人間たちが悲鳴をあげた。
恐ろしい化け物を見るかのような目で、女神を見る。中に、好奇心の混じった子供の視線がある。
女神は泣きながら、家に走って行った。
しかし、家に帰ると、父が倒れていた。その隣で、夫も倒れている。
二人とも、血溜まりに倒れていた。
目を瞬かせても、その光景は変わらない。
「おとっちゃん、お前さん、ねぇ、ねぇ、どうしたの、ねぇッ!?」
家の奥から、たくさんの役人たちが出てきた。
「ああああああ、ねえ、お前さん、どうして血を流しているの、ああ、あああッ!!!!」
子供を抱えながら泣き叫ぶ女神を捕らえて、そのままどこかへ連れ去った。
留美子は、殺されるのだと分かった。だから、見たくなくて、目を瞑った。けれど、瞑っても瞑っても、目の前は暗くならない。
映像は続いているのだ。
大きな屋敷の前に来た。庭には、たくさんの生首が掛けてある。
__処刑場だ。
血生臭さは、社会科見学でいった、なにかの肉の加工場も、こんな臭いでいっぱいだった、と留美子は思った。
「どうして、どうしてわたしがッ!!」
冷たい土の上に座らされ、女神は目の前に立つ処刑人に叫んだ。
「うるさいぞ、この罪人めッ!!……盗み、人殺し、騙し、肉欲の罪で、貴様を処刑する!」
抱いていた子供を、取り上げられ、まるでゴミのように放り投げられた。
人にするとは思えないそれに、女神も留美子も、同じように叫んだ。
「この人殺しいいいいいッ!!!!」
処刑人が鼻で笑う。
「人殺しはお前だろうが!」
「わたしは人殺しをしていないッ!!それは濡れ衣だッ!!」
「うるさいぞ、女。これはお前ら家族の罪なのだ。地獄で家族共に罪を償ってこい!!」
白い布で目隠しをされた。布は女神の涙でぐっしょりと濡れた。
頭を無理矢理下げられ、女神の長い髪は切られる。
そして、首に何か冷たいものが当たる。
それが何かを気づいた女神は、何を思ったかこう言った。
「いいわ、いいでしょう。わたしは死ぬ。だがそれでいい。貴様らを、呪い殺してやる!!貴様らの家族、そして親しきものたちも呪う!!そのあとは、神にでもなって、地獄に行っても呪ってやろうぞッ!!」
気でも狂ったか……と、処刑人の声がする。
女神はひとしきり笑うと、首に当たる風を感じながら、こう言った。
「八重、迎えに行くからね」
ピリッとした、痛みが少し襲っただけで、あとは特に何もない。
目の前は真っ暗闇になり、体が水の上に浮かんでいるような感覚がある。
__女神は死んだのだ。
留美子の視界が、暗転する。
気づくと、荒れた駄菓子屋の中にいて、心配そうに巫女が、いや、美佐子が顔を覗き込んでいた。
「大丈夫、留美子?」
留美子は手の中にある、赤黒い魂を見た。
さきほどのを見て、留美子はその魂が酷く悲しいものであることが分かっていた。
だから、涙を流してしまった。
美佐子が、ええっ、と驚く。
「留美子、え、どうしたの、留美子!?」
「べ、別になんでもないよ、お姉ちゃん!……あ、違う、巫女さん!」
留美子は首を振った。
違うのだ。思い出したかもしれないが、けど、思い出していない可能性だってある。
そんな易々とお姉ちゃん、なんて呼んではいけない。
けれど、巫女は思い出している。
留美子は、自分の妹だと。六年もたつのだから、見た目も中身も違っていて、気づくのに時間がかかったが、それでも気づけた。
名前が同じなのだから、すぐ気づくはずだが……やはり、妹がバカなら、姉もバカなのだろう。
「違うよ、美佐子だよ、私は」
笑う美佐子を見て、留美子は目を見開いた。
……やっぱり、お姉ちゃんだったんだ。
手の中にある魂が震えた。
魂はふっと消え、マリアの手の中に一瞬にして移動していた。
マリアが魔法を使ったのだ。二人の邪魔をしないように……というわけでなく、自分の都合で。
隣にいた旦那が、魂を睨む。
「ったくよ。なんで俺を巻き込んだんだよ」
「こら、よしなさいな。魂が震えているじゃない」
「それは君のせいだと思うけどねぇ〜」
「店番、貴方を殺してやってもいいのよ?」
「それはごめんだね」
店番さんが笑いながら言った。マリアは鼻で笑うと、魂を見た。
赤黒い魂が、少しずつ薄くなっていく。消えようとしているのだ。
怨霊は天界にいけない。消滅するのみだ。
「神がいなくなると、この世界も危うくなるわね」
でも、と言った。
「この世界はマリアの世界にするわ。魔女の世界にするの。夢がまたひとつ叶うわねぇ?イッヒャヒャヒャヒャアアッ」
魂がまた震える。怒りに震えているのだろうか。
「ねぇ、どうだった?この世界はぁ。いい世界だったかしら、貴女が生きていた世界よりも。ああ、喋れないんだっけ?……ちょっとサトリィ!」
里美と聡子がマリアのもとにやって来る。
聡子はマリアが何かを言う前に、魂の心を読み、それを教える。
「いい世界だったって。けど、最後の攻撃と、わたしたちが見せたトラウマはもう嫌だ、最後は家族を見る方がいいって思ってる」
「……そうなの。じゃあいいわ。最後に見せてあげるわよ、その家族を」
魂が消える寸前、マリアは魔法をかけた。
魂は今までにないくらい、ぶるりと震えると消えた。
聡子は顔をひきつらせ、うわあ、と呟いた。
マリア先ほどまで魂があった自分の手を見て、一人笑っていた。
さすがは魔女と言うべきか。
マリアが魂に見せたものは、確かに家族の姿だった。だがしかし、酷い姿をした家族の姿であった。
娘は馬に引きずられ、肉が剥げた姿。
夫と父は血溜まりの中に倒れている姿。
魔女はどこまで残酷なのだろうか。
聡子は散歩後ろに下がった。
「一段落したね、良かった良かった」
店番さんが、店内を見回す。
「で、魔女っ子さんたち。これ、直してくれるよね?」
はじめまして。このお話はまだ途中までしか拝見しておりませんが、私にとって読んでいると自然と笑顔になれる小説です。文章も分かりやすくて言葉遣いも個人的にとても好きです。影ながら応援させていただきます(*^^*)頑張ってください!
上から目線だと思われたらすみません(__)
>>41
上から目線?いえいえ、全然上から目線じゃありませんよ!
それに、途中まででも、充分嬉しいですよ!
具体的に言ってくれて、ありがとうございます!
頑張ります!頑張って完結させます!
感想ありがとうございます!!(*´∀`)
「あれまぁ、綺麗になったねぇ」
日曜日の昼下がり。駄菓子屋にやってきた団子屋のミツさんは、店内を見回しながらそう言った。
留美子が挨拶をすれば、ミツさんは挨拶を返してくれた。しかも、懐からべっこう飴を出して、留美子の手に握らせてくれた。
留美子がキャッキャッと喜んでいると、店の奥から店番さんがやって来た。
「あれ、ミツさんじゃないですか」
「ああ、店番さん、良かったじゃないかぃ!店も綺麗になっててさぁあ!」
いいねぇ、わたしんとこも改装しようかねぇ、と簡単にミツさんは言うが、これほど駄菓子屋が綺麗になるまでに、様々な苦労があった。
マリアや美佐子の魔法のおかげで、店内の床は剥げてしまい、地面が見えてしまっていた。
壁もまたそうで、店番さんは何日も何日も、やってくる冷たい風に泣きながら寝ていた。いや、寝れなかった。
商品のお菓子は棚と一緒に炭になってしまったし……。
それらを全て直したのは、店番さんと旦那だった。
どちらもそういった技術は皆無だったのだが、何日もやってれば慣れるもので、二週間たつと、見れる程度にはなっていた。
それからまた四週間……約一ヶ月立つと、それはもう、元の店内よりも綺麗な店内になった。
そして、そこからお菓子を発注して、新しく作った棚に並べて……。
そういえば、一昨日、旦那がやって来て、技術のテスト用紙を見せながら店番さんとこのような会話をしていた。
__見ろよ、高校生とは思えませんって書いてある!
__本当だ。凄いね、旦那!
__だろぉ!?120点とかありえねぇって!
__ある意味マリアと巫女……あ、違うね。美佐子さんのおかげだ。
__そうだな。
__で、いつ美佐子さんに告白するんだい?
旦那は耳と頬を赤く染めながら、帰って行った。懐かしい。一昨日のこととは思えないほど懐かしく感じる。
店番さんが懐かしいと思っていると、留美子がねぇ、と声をかけてきた。
「どうしたんだい、留美子ちゃん」
「これ、ミツさんがくれるって!」
留美子がべっこう飴を店番さんに渡す。
店番さんはべっこう飴を受け取ると、包み紙を開いて、飴を口の中に放り込んだ。
胸が焼けるほどの甘さが、口の中に広がる。けれど、甘いものが大好きで駄菓子屋をしている店番さんは、特に気にすることもなく飴を転がした。
唾液が甘い。
「ありらとうごらいます、ミツさん」
「舐めたまま喋るのは宜しくないねぇ、店番さんやぃ」
「宜しくないね、店番さんや」
ミツさんを真似て、留美子が言う。
それはとても微笑ましく、店番さんは自分が叱られているとは自覚せず、小さく笑った。
__その店番さんの頭に、痛みが走る!
「いったあ!」
突如頭に走った痛みに嘆いていると、店番さんの横に、カランと音をたてて金盥が落ちた。
ミツさんはおんや、と声をあげる。
店番さんの隣の金盥の隣に、人間の世界の学校の制服を着た少女が現れる。
最近、妖怪の世界の管理者になった魔女マリアだった。
マリアは頬についた髪を払うと、ミツさんと留美子に向かって手をふった。
「マリアさん!久しぶりですね!」
「久しぶりね、留美子、それとミツ」
「久しぶりです、マリア様」
管理者となったマリアは、以前よりもこの駄菓子屋に来るようになった。
また妖怪の世界にも来るようになり、自分で魔法教室なるものも作りあげてしまった。
彼女の夢は魔法使いを多く生産し、最強の魔女である自分に都合のいい世界を作ることらしい。
そのために、今着々と準備を進めている。
マリアは店番さんをチラリと見ると、鼻で笑った。
未だ頭をおさえ嘆く店番さんは、至極マヌケであった。
「今日はちょっと開拓使を派遣しに来たのよ。妖怪の世界は、開拓しがいがあるものね」
「開拓ですかぃ?」
「そう、開拓よ、ミツ。妖怪の世界は些か原始的過ぎるわ。貝塚が未だに増え続けているし。だから、開拓するの」
店番さんが、また面倒なことを……と呟くが、マリアはそれを無視した。
人にとって面倒なことでも、マリアにとって楽しいものならば、構わない。
マリアは自己中心的だった。
その日の留美子はご機嫌だった。
学校が終われば、留美子はいつも通り、決して速いとは言えない走りで駄菓子屋にへと向かった。
ご機嫌な留美子はご機嫌過ぎて、留美子の後をつけるものが三人いることに気づいていないようだ。
その三人は留美子をいじめるものたちである。
ご機嫌な留美子を絶望させてやろうと思い、後をつけているのだ。
留美子がある商店街に入っていく。三人は、あれ、と思った。
「どういうこと、留美子の家はこっちじゃないでしょ」
フリフリの洋服を着た、山田が言う。
「知らないよ。でも最近、あいつ帰るの遅いらしいよ」
山田の言葉に、眼鏡をかけた佐藤が応える。
「あ、変な店に入っていったよ」
話し合う二人に、ピンクのランドセルの斎藤が言った。
駄菓子屋に入っていった留美子を追って、三人も駄菓子屋に近づく。
駄菓子屋についている窓から、そっと中を見た。
「見てよ。留美子が高校生と喋ってる」
息を潜める、店内を見る三人。斎藤が言った通り、留美子は男子高校生と喋っている。
思春期の女子小学生三人組は、彼氏じゃないの、と言い合った。
残念ながら、その男子高校生には他に思い人がいるのだが……。
男子高校生と、店のものらしき人と、留美子が喋っている。そこに、どこから入ってきたのか、女の人もやって来た。
三人が気づかないうちに、ドアから入って行ったのだろうか。
「何話してんだろ」
斎藤が誰にともなく呟くと、それに佐藤が応えた。
「さあね」
短い応えだ。
山田はじぃと店内を見、そして、そうだ、と声をあげた。
すぐさま佐藤と斎藤に注意されるが、それを軽く流し、山田は未だ睨んでくる二人に提案した。
「あの中に入ろうよ」
たまたま見つけて入ったってことにしちゃえば、全然大丈夫だって!
二人はすぐに賛成し、三人はドアの前に移動した。
お化け屋敷に入るときのようにワクワクする。
山田がドアノブに手をかけた。
留美子はあたしたちを見てどう思うんだろう。どんな顔をするだろう。
すっごい楽しみ!
___子供故の残酷さだった。
ドアを開けると、ギイィッと木の軋む音がした。
店内にいた、四人の顔が三人組の方に向く。
留美子の目が見開かれるのが分かる。それを見て、三人組はいやらしい笑みを浮かべる。
わざとらしげに、斎藤が言った。
「あれ、留美子じゃん!」
それに佐藤が乗っかる。
「ほんとだ、ほんとだ、留美子じゃん!適当に来たところに留美子がいるとか、凄い偶然だよねぇっ!」
留美子が涙目になり、震え出す。そして、あたしたちから逃げるように退く。
___そう山田は思っていたのだが。
現実には留美子は目を見開いただけで、特に怯えた様子もなかった。
「えっ」
三人の声が合わさる。
すると、留美子が女性の手を引いて、こちらにやって来た。三人組は一歩退いた。
「これから、ちょっとお姉ちゃんと散歩に行くの。どけてくれる?」
お姉ちゃん、と言われて女の人は顔を真っ赤に染めた。
三人組は、留美子と女の人を通すために、その場から避けた。
留美子が嬉しそうに言う。
「ほら、お姉ちゃん行こうよ。怖くないって」
「いやだって、念を使えば行けるとしても、少し怖くて」
「行けると信じてはいるの?」
「まあね。でも少しこわ__ひ、引っ張らないでってば、うわっ!」
留美子と女の人が外に出る。
女の人は何十秒か固まると、とたんに跳び跳ねて、やったあと声をあげた。
そしてスキップで遠ざかっていく。
留美子はそれを追いかける前に、三人組の方に振り返って言った。
「私、いじめなんかに負けないよ」
いつもの泣きそうな顔ではない。自信に満ち溢れ、そして威圧感がある。
待ってよお姉ちゃん、と留美子が走る。
三人組はそれとは反対方向に駆け出した。
恐怖が体を動かしている。どうして、こんなに怖いんだろう。
山田はねばねばした唾液を飲み込んだ。
旅人が野宿するには最適な野原。
周りにこれといって大きな森もなく___小さい森はあったが___狂暴な動物も出ないことから、この野原は旅をしている妖怪たちに重宝されていた。
今日もまた、その野原に旅の一団が通りかかった。
「最近じゃあ、故郷に帰ってねぇなぁ」
「あんたの故郷ってどこじゃ?」
「あやかし商店街だから、すぐ近くだあ」
懐かしい故郷の話をしながら、一団は野原を横切った。
今日は久しぶりに宿屋に泊まるから、野原は必要ないようだ。
そうして話ながら、野原を抜け、小さな森に入って行こうとしたそのとき、突然後ろで雷の音がなり響いた。
雷でも落ちたか、と一団が後ろの野原を見れば、そこには巨大な塗り壁らしきものが!
「な、なんだぁ!?塗り壁かぁ!?」
「いやちげぇ。ありゃあ、きっと狸か狐の仕業だべ!」
妖怪たちは恐怖を感じながらも、その『巨大なもの』に近づいていった。
赤信号みんなで渡れば怖くない、と言ったところか……あ、違うか。
そもそも、この世界に信号はないだろうし。
「これ、あれに似てるねぇ」
『巨大なもの』を触りながら、一人の妖怪が言った。
「あれって、なんでぇえ?」
それに、他の妖怪が聞き返す。
『巨大なもの』を触っていた妖怪はそれに応えた。
「南の港周辺の、洋館ってやつにさ、似てるんだよ、触り心地が」
「ああ、確かヴァンパイアたちが住んでたなあ」
ここからずっと南にある港。数ヵ月ほど前そこに行ったとき、一団はある洋館に泊めてもらった。
その港を管理しているという、西から来たヴァンパイア一族の洋館だ。
この辺では見たことのないもので洋館はできており、とても頑丈で、冷たい
雰囲気を持っていた。……ヴァンパイアたちは暖かかったが。
「んじゃあ、なに。これはヴァンパイアのものかい」
『巨大なもの』を指差しながら言う。
すると、上空から声が降ってきた。
「ちょっと、何をしているの」
一団が上を見ると、そこには一人の少女が浮かんでいた。
西の方で見るような服を着て、手には分厚い本を持っている。逆光でよく見えないが、色白らしかった。
少女は一団の前に降りてくると、退けて下さい、と言った。
「な、なんでぇ、お前は」
「魔法使いかぃ?」
少女はそれに首をふって言った。
「中途半端な人工魔女です」
じんこう?__と、一団は首をかしげる。
当たり前だ。この世界に『人工』という言葉はないのだから。
じゃあこの少女は人間の世界のものなのか、というと、まさしくそうである。
この世界の管理者となったマリアが連れてきた、魔女たちの一人。それがこの少女だ。
少女はマリアに一番気に入られていて、名前はエリーという。
「この度、開拓使としてここにやって来ました。このビルは開拓使の本部です。今から中の構造、窓、扉を作るので、少し退けてくれませんか。でないと、あなたたちの体が溶けてしまう可能性があるので」
一団たちが理解できない単語など色々あったが、聞いたら退きたくなる「体が溶ける」という言葉があったので、顔を真っ青にして十メートルくらい退いた。
一番の臆病者は、五十メートルも退いている。
少女__エリーは、手に持った魔導書を見ながら、舌がどうかしているんじゃないか、と思ってしまうような呪文を呟いた。
すると、ビルが雷に撃たれたように光り、爆発音をあげた。ビルの壁の一部が溶けていき、溶けた場所にガラスが張られる。
特に多く溶けたところには、重厚な扉が作られた。
妖怪の一団は目を丸くした。五十メートルまで退いた臆病者も、近くに寄って来て、扉やガラスを見た。
「すみません、この後もやることがあるので、旅を続けてもらえますか?あと、森の前にいる妖怪たちも帰らせてください」
見れば、森の前にはたくさんの妖怪が並んでいて、ビルを口をパカッとあけて見ていた。
マヌケな姿の妖怪たちのところに一団は走っていき、全力でもとの場所に帰らせた。
一団も、逃げるように妖怪たちについていった。
エリーは、驚かせ過ぎちゃったかな、とうなじを掻いた。
「エリーが敬語を使うなんて、怖いわぁ!」
後ろに現れたマリアの顔を見ることなく、エリーはビルに魔法をかけ続けた。
マリアが何やらべったりとしてくるが、気にせず作業を続けた。
「結構発展してきた……のかしら?」
マリアは紅茶を飲みこんで、折った煎餅を口に入れた。
紅茶に煎餅……西と東の文化が、口の中で混ざりあう。少し微妙な気がしたが、マリアは気にしないようにして、折って小さくなった煎餅を、また口の中に入れた。
目の前で同じように煎餅を折って食べる留美子は、そうだね、と頷いた。
留美子の近くにはランドセルの代わりにリュックが置いてある。
今日は土曜日。午前中から留美子はこの駄菓子屋に来ていた。
「確かに発展してきたかも。今じゃ自転車が大流行してるしね」
「自転車だけじゃないよ」
店の奥から、紅茶とほうじ茶二杯をお盆に乗せた店番さんがやって来た。
紅茶をマリアが、ほうじ茶を留美子がもらい、余ったもうひとつのほうじ茶を、畳の上に正座した店番さんが飲んだ。
「自転車だけじゃなくて、もっと都市部の方に行けば、車だってあるんだ」
「都市部?都市部なんてあるの?」
留美子は自分が知っている妖怪の世界を思い浮かべた。
確か、森や野原、集落ばかりで、都市部と呼べるような大きな街はなかったはずだ。
それにマリアが、それね、と紅茶を早くも飲み干して言った。
「都市部っていうのは、開拓使本部がある、元々野原だった場所。留美子も知ってるはずよ。まだもう少し暑かったときに、そこに皆でピクニックしに行ったじゃない」
それを聞くと、留美子は納得した。
発展させるための組織が、マリアの生み出した魔女たちによって結成されているのは知っている。
そして、そのリーダー的存在であるエリーという少女が、広く続く野原に、組織の本部としてビルを作ったことも知っている。
そのビルは、日本で言う国会議事堂。その周りが発展していくのは必然だ。
『ビル=国会議事堂→東京=都市部』という公式が留美子のちゃちな頭に出来上がっていた。
「車、走ってるんだ……」
「と言っても数台だよ。試験に合格する妖怪が少なすぎるし、まず、そんなもの必要ないって言う妖怪が多すぎる」
「楽だよ、車」
「運転する側は大変らしいわよ。……紅茶おかわり」
はいはい、とマリアから可愛らしいティーカップを受け取り、再び店番さんは店の奥に消えた。
マリアは何枚かの煎餅をせっせと折る。
それを見ながら、留美子は珍しく、非常に珍しく、まともなことを言った。
「でも、発展し過ぎたら、環境悪くならない?人間の世界では、地球温暖化って騒がれてるし」
煎餅を折る手を休め、マリアは留美子の顔を見た。
珍しく真面目なその顔に、マリアは驚いたが、それを顔に出さず応えた。
「大丈夫よ。魔法を使ってるから」
「でも、魔力が……」
「大丈夫と言ったら大丈夫よ。環境とか温暖化とか、魔法でちょちょいのちょいよ。魔法は基本、念で自然を操ってるんだから」
魔法とは便利だ。
留美子はそう思って、残り一口のほうじ茶を飲んだ。
駄菓子屋の外でチリンチリンと、自転車のベルを鳴らす音が聞こえる。
風鈴よりも聞くようになったその音に、留美子は寂しいような、嬉しいような、よく分からない感情になった。
季節が変われば、人間も妖怪も関係無しに成長する。
気づけば季節は春になっていた。
夏は川に、秋は森に、冬はあやかし商店街内で、留美子は仲間たちと楽しく過ごした。
けれど、それは妖怪の世界でのこと。
人間の世界では、留美子はいじめに耐えて耐えて、そして今日____
「ねぇねぇ、あの人達、どの子の親類?」
「美形揃いねー。あ、あの制服って……」
「あの高校のよね?」
「そうよ!やっぱりそうだわ!頭良いのね〜。誰かのお兄さんとその友達?」
「親戚でしょ〜」
今日は素晴らしい門出の日であり、親は涙し、子供の成長に喜びや寂しさを感じる日である。
子供も友と慣れ親しんだ学舎との別れを惜しみ泣く。そしてその涙を越えて、次の世界へと踏み出す。
誰もが通る道、儀式___今日は、留美子の通う小学校の卒業式だった。
留美子は両親の目に涙を浮かばせて家を出た。
学校に着くと、いじめっこたちに色々と暴言を吐かれた。けど、それももう終わり。今日で終わりなのだ。
それに、留美子は心が強く、いじめなぞには屈しない人間となっている。
留美子は惨めな自分に別れを告げるこの卒業式を、心待ちにしていた。
心待ちにしていたのだが……___
少し、いや凄く、恥ずかしい。
ゆったりとした音楽に合わせるように、卒業生もゆっくりと赤いカーペットの上を歩く。
その時間はとても苦痛だった。
卒業式会場に入った瞬間、目に飛び込んで来たのは、異色の集団。
この場にそぐわない若さを持った集団は、留美子が歩き出すと、泣きだしたり、喜びの声をあげたり……。
近くにいた親御さんたちの、あのグョッとした顔と言ったら……!
留美子は顔を真っ赤にして、下を向いた。
「留美子、顔を上げなさいよ〜」
誰のせいだ、誰の!
感動の卒業式が、音を立てて崩れた気がした。
卒業式に来ていた異色の集団は、あやかし商店街にいるはずの仲間たち。
旦那と店番さん、美佐子にマリアにサトリ姉妹。
特に美佐子とサトリ姉妹は、普段着ない洋服を着ていた。
嬉しいのだが、恥ずかしい。
留美子は未だ聞こえる、顔を上げなさい、というマリアの言葉に涙を浮かべた。
卒業証書授与。
出席番号順で名前を呼ばれて、壇上に上る。
留美子は恥ずかしさにも慣れ、気づけばいつも通りのすました表情に戻っていた。
そろそろ留美子の名前が呼ばれる。
留美子は特に高鳴ってもいない胸に、深呼吸をして空気を入れた。
__この卒業証書は、惨めな自分への卒業証書だ。
留美子は壇上に上って卒業証書を受けとる、いじめっこの斎藤を睨んだ。
あいつは元々私の友達だった。けど、そんなの見せかけで、ただのお遊びだった。
友達になるなんて、『いじめ』というお遊びの一貫に過ぎなかった。
けど、その遊びはいち抜けるね。
私は、もういじめられる可哀想な子なんかじゃない!
留美子の名が呼ばれる。
名前を呼んだ担任もまた、私をいじめた。見て見ぬフリをして、挙げ句の果てに、朝のホームルームでこう言った。
__みんな仲の良いこのクラスも、今日で終わりです。
留美子はこの日のためだけに綺麗にされたイスから立ち上がった。
歩き出すと、隣に座るいじめっこの一人である佐藤が、足を掛けてきた。
飛び出た足を踏み、留美子は壇上に続く階段の前に立った。
殺気染みたものを感じるが、それを無視して階段を上る。
たった三段の木の階段を、噛み締めるようにゆっくりゆっくりと上っていった。
壇上に立つ。目の前に白髪が残り少ない校長先生がいる。
名前を改めて呼んでもらって、卒業おめでとう、と言われる。
留美子はそれを受けとる時、走馬灯に似たものを見た。
いじめられた記憶。それはそれは酷かった。
何メートルも引きずられたこともあった。
給食に、ゴミを入れられたりしたこともあった。
日常的に暴力をふるわれた。
泣くだけの毎日だった。
家に帰って、何度カッターを握りしめたことか……!
けど、辛い記憶のあとは楽しい記憶だった。
あやかし商店街での日々。
髪飾り屋の照る坊主や、団子屋のミツさん、石屋のサトリ姉妹に天狗の天女。
巫女と呼ばれる美佐子と、店番さん、旦那にマリア。
他にもたくさんの妖怪がいる。
みんな留美子を甘やかし、楽しませ、いじめでついた傷を癒してくれた。
色んな事件だってあった。
元々妖怪の世界を管理していた元怨霊の女神。その女神が暴走した。
彼女の記憶を見たとき、留美子は辛くて仕方がなかった。そして、その彼女が消えたときも____。
右手を出し、卒業証書を掴む。
__けど全部、いい思い出。
最近になって、妖怪の世界は近代化していった。
となると、学校ができるだろう。その学校では、これと同じような卒業式が行われるかもしれない。
そしたら、妖怪の生徒たちは、今の留美子のような、晴々しい気持ちを抱くに違いない。
左手も出して、卒業証書を掴む。
夢みたいだった。あやかし商店街なんて。
楽しかった。嬉しかった。
あんな素晴らしい人たちに出会えて、本当に嬉しくて嬉しくて仕方がなくて、毎晩寝るのが怖かった。
朝起きたら、あやかし商店街なんてありません、って誰かに言われるのが怖かった。
そして一歩下がり、頭を下げる。
下げたら、電気の明かりで光っている床が、暗くなった。
涙が滲んで、特に高鳴ってもいなかった胸が、苦しくなる。
私、あやかし商店街の人たちに出会えて、本当に良かった……!
頭をあげるのに時間がかかる。
それがいかにマヌケに見えたとしても、別にいい。
留美子は今、惨めな自分から卒業したのだから。
涙の卒業式を終えて、慣れ親しむこともなかった教室に戻ってくると、そこにはたくさんの親御さんたちと、妖怪たちが教室の後ろに立っていた。
もちろん、その『妖怪たち』というのは、先ほどの卒業式にもいたいつものメンバーである。
留美子は涙を拭いて、席についた。
幸運なのかは分からないが、留美子の席は黒板近くにあった。
担任教師がゴホンと咳払いをする。
「えー、皆さん。今日まで六年間、お疲れ様でした」
せんせー、という泣き声がたくさん上がる。担任はそれに応えるように鼻をすすった。
「このクラスは、楽しいクラスでしたか。わたしは、とても楽しいクラスでした……」
留美子は唇を噛んだ。
楽しい?何が?このクラスが?このクラスが楽しい?先生も?
それってつまり、やっぱり、先生もいじめ楽しかったってこと?
留美子はハッとし、その気持ちを抑えようとスカートを握りしめた。
この日にしか着ることのない、フリフリした、どこかのアイドルみたいな洋服。
服がしわくちゃになっても、留美子は気にすることなかった。気持ちを抑えられれば、それで十分。
けど、その辛い思いをキャッチしたものがいた。
___サトリ妖怪の聡子だ。
聡子は担任をじろりと睨むと、大きく咳払いをした。
視線が聡子に集まるが、聡子はそれを気にせず、ぼそりと呟いた。
「いじめてたくせに」
聡子が立っていた近くの席に座る生徒が、興奮して我を忘れていたからか、聡子の呟きを聞くと大声で叫んだ。
聡子はこれを待っていた、とでも言うようにニヤリと笑った。
「んなわけないじゃん!いじめなんてしてないし!」
視線を前に戻し始めていた生徒たちも、ええっと反応してその生徒を見た。
その生徒は佐藤だった。留美子をいじめていた子供だ。
佐藤はみんなの視線に気づくと、ハッと我に返った。
「えっと〜……」
弁解しようとしても遅かった。
親たちが騒ぎ出す。口々に、いじめ、という単語を発している。
これにヤバイと感じた担任は、佐藤と代わるように弁解した。
「いえいえ、い、いじめなんて、なにも、ないですよ!!」
取り乱し、言い訳をし始める担任を、誰が信じようか。
留美子は聡子を見やった。
聡子はそっぽを向いて、留美子の顔を見ない。
留美子は感謝するべきか、そうでないか迷った。
ここでいじめのことを告白すれば、いじめたやつらに復讐できる。
でも、それでは自分が惨めな人間だったと告白するようなもの。
留美子の頭の中は真っ白になった。
教室内はいじめという単語に埋めつくされた。
担任も、留美子を除く生徒も、皆取り乱している。
その中で、マリアが一歩を踏み出した。
マリアに視線が集まる。
留美子はマリアを見た。マリアも留美子を見た。
留美子の母親が、娘を案じてか留美子と名を呼んだ。
マリアの口が開く。
「それで、貴女はどうしたいの」
留美子は目を瞬かせた。
「貴女、卒業できたと思ってる?」
頷くと、マリアは嫌悪という感情で顔を染めた。
留美子はいけないことを言っただろうか、と首をかしげた。
「留美子、貴女は愚か者だわ。紙切れ一枚、貰っただけで自分から卒業できたと思ってるの?……頭が弱すぎるのよ、この甘ったれッ!!!!」
教室が、魔女の威圧がいっぱいになる。
シンと静まり返った教室には、マリアの怒号が響きわたった。
「惨めな自分と卒業なんか出来やしない! 今まさに、何も言えないでいるお前は、ただの惨めな人間だ!
そうやって生きていくつもりかッ!?お前はその程度の人間かッ!?
このマリアが認めた人間が、こんな甘ったれた人間の小娘だったとは、見る目が落ちたってことかねぇッ!!
ええ、どうなんだ。何か応えてみろ、人間の小娘えッ!!!!」
留美子はマリアを凝視した。
あのマリアが、自分を叱ってくれている。あのマリアが、叱っている……!
マリアは怒ることはあったにせよ、『叱る』ことはしなかった。
そして、留美子は親に『叱られた』ことがなかった。もちろん、両親以外の大人にもだ。
留美子は『叱られて』、ようやく自分という人間が分かった。
自分で勝手に満足して、現実と向き合わない。自分の感情を『複雑』と称しては、本当に抱いてた感情から逃げて、本音を言わない。
__自分は、自己満足してばかりの人間だったのだ。
自己満足で卒業?……ああ、確かに怒るよね。マリアさんも叱っちゃうはずだ。
留美子は眉と目尻を下げて、自嘲した。
「私、バカだよね、やっぱり」
マリアはそれを聞くと、そうよ、と優しい声で言った。
マリアは振り向いて、妖怪たちを見た。
「あなたたち、何をしてるの」
妖怪たちはマリアの言葉に体の緊張を解した。
店番さんが先頭をきって、留美子のもとに向かってくる。
聡子が近くに来ると、留美子はありがとうと、小さな声で言った。聡子はそれだけで嬉しいのか、頬を桃色に染めてそっぽを向いた。
「それで、どうすればいいのですか、マリアさん」
里美がマリアに聞く。
マリアはすぐに応えた。
「あの汚れきった人間たちから、留美子を守りなさい。きっと何かしてくるわよ」
旦那は腕捲りをして、気合いを入れた。
店番さんはいつも通り、のんきに微笑んでいる。
サトリ姉妹は力を解放した。
美佐子は、いつでも魔術が使えるように念を作りあげている。
マリアは留美子の手を引いて、立ち上がらせた。
「さあ留美子。貴女もそろそろ卒業しなさい」
留美子は目を両親に向けた。
二人とも、何が何だかわからない、という顔をして留美子を見ている。
留美子は久しぶりにちゃんと見た両親の姿に、涙が込み上げてきた。
私が知らない間に、二人はあんなに老けてたんだ。
そんなに老けるまで、私のために働いていた。私は幸せものだ。
ありがとうございました、お父さん、お母さん。
ようやく卒業できるよ。
深呼吸をして、留美子はクラスメイトたちを見回した。
親に弁解しに行っていた担任は、いつもとは違う留美子を見て、脳内の言い訳リストに、たくさんの言葉を付け足した。責任から逃れるために。
仲間たちが、留美子の背中を押した気がした。
留美子は表情を固くして、声を出した。
普段大声を出さない留美子が叫ぶ。
クラスメイトたちと担任は、責任という名の化け物がやって来たのだと悟った。
人を呪わば穴二つ。
じゃあ、人をいじめれば___?
「……私はッ!!」
私は……___!!
留美子はねばねばになった唾を飲み込んだ。
「私は、このクラスの人達と先生に、いじめられていましたッ!!」
それは違う、と口を開きかけた担任は、首が絞められるを感じた。
苦しくなり、咳をすれば、その感覚はなくなった。
担任は視線を感じ、辺りを見回すと、高校生くらいの女がこちらを睨んでいるのが分かった。
まさかな……と思いつつも、担任は冷や汗をかき、どんどん増えていく親たちの視線に怯えた。
「私が友達だと思ってた子たちは、友達のふりをしていただけで、それもいじめの一貫で………私は、暴力だってふるわれてましたッ!!他にも暴言は当たり前!!酷いときは、髪の毛を切られることもありましたッ!!」
溢れる涙を拭っても、新しい涙は溢れてくる。
留美子は涙を拭うことは無駄なのだと分かり、拭う手を下ろした。
髪の毛を切られた、という発言に親たちは「ありえない」と言った。
特に、留美子の母親は嘘よ、と叫んだ。
「どうして留美子が、留美子がなんでッ……嘘よ嘘よ嘘よおおお……ッ!!」
留美子がいじめられていたと信じたくない。その思いが溢れていた。
その周りにいた他の親も、自分の子供が酷いいじめをしていたということを信じたくなくて、嘘だと泣き崩れる人も現れるほどだった。
「校庭を引きずられたときもありました。他にも、たくさん……。私は、ずっとずっといじめられていて、それで、先生も助けてくれなくて!!」
挙げ句の果てには!!
「先生は今日、仲良いクラスって言って、このクラスは楽しかったと言ってッ!!」
留美子は歪んだ顔をした担任を見た。
担任はビクリと肩を震わせ、一歩後ろに下がった。
「それって、いじめが楽しかったってことですか、先生ええッ!!??」
留美子の口を塞ごうと、担任が走ってくる。
それを、店番さんが足をかけ、そして担任が前のめりに倒れてガラ空きになった背中に、旦那が腰を下ろした。
同じように、店番さんも旦那の隣に腰を下ろす。ブイサインをマリアに送る。
マリアは微笑みを店番さんに向けた。
店番さんと旦那も、同じように微笑む。
その二人の下で、担任は暴れた。
「俺は担任だ!教師だ!そんなことしない!いじめなど、決して……ッ!!」
「そんなの嘘だよッ!!!!私は何度も先生に助けを求めたけど、全然助けてくれなかったッ!!!!」
留美子は倒れている担任を睨み、だから、と声をあげた。
「だから私も貴方を助けないッ!!そのまま苦しみを味わってればいいッ!!」
マリアが笑い声を必死で抑えている。
マリアにとって、この状況は非常に嬉しいものだった。
もちろん、留美子の成長が見れたこともあるが、このような汚い人間が泣きそうになっているのは見てて楽しい。面白い。
マリアはキヒッと笑い声を漏らした。
「じゃあなんだ!!俺がお前を助けて、なんになる!?もっと酷いいじめになる可能性もあったんだぞ、えぇッ!?」
「酷いいじめになったとしても、手をさしのべることもしないで、笑って見てるような人間なんて、先生になっちゃいけないッ!!!!教師という役職への冒涜だッ!!!!ねぇ、人の不幸は蜜の味なんですか、先生!!!!私の不幸は美味しかったですかッ!!!???」
担任の唖然とした表情を見ると、留美子は次にクラスメイトたちを見た。
クラスメイトたちは、こちらを見た留美子に震え上がって、卒業式で流した涙とは、まったく違う、別の涙を流した。
「あなたたちもどうです!?私の不幸、美味しかったですかッ!?」
留美子の辛い日々。それらを美味しいって言うのなら………___!!
留美子は近くの席の女の子の顔を見た。女の子はヒッと声をあげる。
「そうやって、泣けば解決できるの!?ねぇ、じゃあ今まで私が流した涙で、あなたたちは何か解決してくれたのおッ!?」
女の子が声をあげて泣く。
留美子は他のクラスメイトに、再び顔を向けた。
「私の不幸が美味しかったのなら、あなたたちは、人でなしだッ!!いつまで人間の皮を被ってるんだ、この化け物おッ!!!!」
ダンッと音をたてて、いじめっこの佐藤が立ち上がる。
「うるさいんだよ、さっきからッ!!!!いじめられるあんたも悪いんだよッ!!!!このバァアアァカッ!!!!」
すぐに帰れるように机の横にかけてあったランドセルを掴みとると、それを留美子に向かって投げた。
それを読み取っていた聡子は、飛んできたランドセルを掴むと、それを投げ返した。
ランドセルが、佐藤の顔面に当たる。
「そうやって暴力で、力で解決しようとしてるから、お前らは最低なんだ!!私は、お前ら大っ嫌いだ!!」
近くの席の山田が、先ほどまで座っていた椅子を持ち上げて、それを留美子に落とした。
さすがにそれに反応できなかった妖怪たちは、息を飲んだ。
椅子が、留美子の肩に当たり、留美子はその衝撃で倒れる。
留美子を見下ろしながら、山田が静かな声で言った。
「いいよ、別に。最低でも嫌いでも」
山田の両親は自分たちの娘のその姿に震えた。とても、自分たちの娘だとは思えなかった。
こんな恐ろしい子を、私達が……ッ!?
母親は目眩を起こしてふらついた。
「調子のんじゃないよ、グズったれ。黙ってよ、うるさいから。せっかくの卒業の日を無駄にしてくれちゃってさ。あんたの卒業?ハッ、勝手にやってればぁ?」
留美子は、自分に乗っかる椅子を退かして、立ち上がった。
椅子が派手な音を立てた。
「可哀想な人。そんなんだと、いつまでも卒業できないね」
「卒業したけど?あんたと違ってね」
「自己満足っていうんだよ、それ」
「……死んじゃえば」
「ごめんね、私死なないから」
美佐子が、留美子の肩に手をおくと、肩の痛みが消える。
耳元で、美佐子が応援する言葉を言う。
留美子は姉の言葉に励まされ、山田だげてなく、この教室にいる人間たちに言った。
「私はいじめられていました。自分を可哀想な人間だと思って、いじめを解決するための行動を起こしませんでした」
だから、私は惨めで愚かで最低な人間のままだった。
山田がうっせぇ、と言うが、それを無視して、留美子は言う。
「でも、今は解決しようとしてる。巻き込んでしまったのは、確かに悪い。けれど、これは責任なんです。責任を取る日が来たんです」
山田から数歩離れて、留美子はみんなに頭を下げた。
腰を折って、綺麗に整えられた髪を前に下げ、全てを終わらす。
「この日、この時に、こんなことをしてしまってごめんなさい。そして、ちゃんと責任を取ってください」
最初に動いたのは誰だったか分からないが、クラスメイトたちが留美子のもとにやって来て、頭を下げて謝った。
みんな泣いていて、そして留美子も泣いていた。
担任も謝罪する。
号泣しながらの謝罪は、留美子の心に響き、留美子は本当にごめんなさい、と呟いた。
パチパチパチ、と拍手が聞こえる。
見れば、妖怪たちが拍手をしている。
マリアは近くで拍手をする里美に泣きついた。
本当は怖かった、そう言って。
「卒業おめでとう、留美子」
妖怪たちが、そう言った。
留美子はそれに、涙笑いで応える。
「ありがとう、みんな」
騒ぎを聞き付けてか、多くの他クラスの生徒や他の教師が教室の外に集まってきている。
留美子の卒業式は、終了だ。
__春というものは、何度巡ってきても飽きないものだ。
僕は物語を綴った筆をクルクルと回した。けどすぐに、筆はポトリと手から落ちる。
僕はもともと、ペン回しなんて器用なものできないから、しょうがないね。
筆を机の中に無造作にしまい、出来上がった自作の本をカウンターに持っていく。
駄菓子の種類が増えた、僕の店。誰もいない、いつも通りの店内だ。
でも、本を捲ると、その『いつも通り』がやけに『非日常』に思えてしまう。
綴った物語から、はや25年。
僕もいい年になった。最近来なくなった旦那も、美佐子さんも、僕と同じくらいのいい年齢だ。
時がたつのは早い。
あの全盛期だった頃を忘れぬよう、すっかり一人前になったサトリ姉妹の力を借りながらこの本を完結させてみたものの、どうも虚しさが溢れてくる。
忘れないよう、とは言ったものの、忘れた方が良かったのかもね、と僕は笑った。
「こんな虚しい思いをするなら、忘れた方がいいに決まってるさ」
この呟きを、誰も拾ってはくれない。
僕はため息をついて、店の隅にある、三畳の畳の上に腰を下ろした。
畳の上には、古い木のテーブルがある。
よくみんなでテーブルを囲んで、お茶を飲んだものだ。
懐かしんでいると、ギイィッと出入り口であるドアが開いた。
開いたドアの隙間から、物語当時の留美子と同じくらいの少女が顔を覗かせている。
僕はカウンターに行き、その子に手招きをした。
少女がとてとてと、運動が苦手な人間だと分かるような足どりでこちらにやって来た。
「いらっしゃい。君は何をしにここに来たん___」
「神隠しにあうってホント?」
僕の言葉を遮って、何を言うかと思えばそれか……。
僕は少し考えてから、少女の問に答えた。
「神隠しね、神隠し……そうだね、会うかもしれないね。そして、神隠しに会った子供はどこに行くのであろうか、という問いにこう答えるよ。
あやかし商店街だよ!ってね」
「あやかし商店街ぃ?」
聞き返す小さなお客さんに、僕はそうだよと頷く。
「でも、君たち人間はそう言ったら笑うかもしれないね。でも、本当のことなんだから、しょうがないと思う!」
久しぶりに、楽しいかも。
僕は自作の本を少女の目の前に置いた。
ドンッと音が、その本は分厚めなのだと証明してくれる。
少女はそれを不思議そうに見やった。
これ何、という目だ。
「だから、そのことを証明するために、あるお話を書いたんだ。これは、あるいじめらっこの女の子のお話。
君たち人間は創作だろうって言うかもしれないけど、いやいや、何を言ってるのか。これは本当にあったお話だよ」
表紙を捲ると、少女はうわあ、と声をあげて一歩ずつ、ゆっくりと後退したかと思うと、踵を返して、走って行ってしまった!
「あ、ちょっとちょっとお客さん!怪しいと思わないでよ!店から出てくなら何か買ってからしてよ!ちょっとお客さぁあぁあぁん!?」
少女は、2つあるドアのうち、自分が入ってきたドアではない方を開けてしまった。
僕はヤバイと思い、カウンターから出てその子を追った。
「ダメだよ!そっちのドアから出ていったら!」
ドアノブを回し、ドアを開けると、そこには少女と、少女を驚いたように見つめる美佐子さんの姿があった。
「あ、えと……」
少女が挙動不審になっている。
その少女を見て、美佐子さんは大声をあげた。
「あんた、留美子のところの……!!」
「み、美佐子おばさん、久しぶりです……」
僕はとても良い予感を覚えた。
また、あの静かな駄菓子屋が賑やかになる予感。しかも、昔の面々も一緒に賑やかに騒ぐ予感。
僕はとりあえず、少女に言った。
「ようこそ、あやかし商店街へ!」
〜あとがき〜
やったー!完結だー!グロなしほのぼのとか三人称とか苦手過ぎるー!
とにかく完結したー!
ここまで読んで下さった方々、どうもありがとうございました!
今回のお話は、基本ほのぼの、たまにシリアスな内容で、しかも、前作に登場したマリアも乱入してのお話でしたが、皆様、ついて来れましたか!?
ついて来れなかったのなら、私の力量不足です。多分善処します。
……ところで。
話は変わりますが、どうやら私はグロなし、しかも一人称でないと疲れてしまう性質のようです(あ、性質と書いて「たち」です)。
ですので、次の作品を書くとなれば、多分、グロあり疑心暗鬼ありグログロありの一人称になると思われます!
その時は、どうか苦情など書かずに、そっとブラウザバックして下さい。
ムクロ氏という名を、セピア色に染め上げちゃって下さい(消してもいいですよ?)
まあ、なるべく、そうならないようにしたいんですがね!!
……とは言っても、無理な気が……いえ、なんでもありませんよ、大丈夫です。
そう!なんでもないんですよ!
だから、こんなあとがき忘れちゃって下さい。私の発言なんて忘れちゃって下さい。
それでは、私の発言を忘れた方々、さようならさようなら〜。
また次の作品でお会いいたしましょう〜(スマイル)