アウレリウスは幼少の頃から、戦士となるためだけに育った。
剣を持つための精神統一法、持久力をつける運動、兵法、そんなことばかり教えられた。
また、敵の国がどれだけ悪い国なのか、徹底的に教え込まれた。
ところが1635年の暖かい春、天から神が降りてきて、突然、戦争を終結させた。
人々は神にひれ伏した。神の教えに従って、人々は助け合い、もはや戦士というものは
必要なくなった。虫や獣達は祝福し、地球がパラダイスみたいになってしまった。
アウレリウスは歯ぎしりした。
あれだけ悪いと教え込まれた、敵の国のやつらも、昨日、やさしく微笑みかけてきた。おれはなんだかぞっとしたぞ。
ああ、おれは戦士なんだ。徹底的に、根っこから、戦士なんだ。神よ、わたしは誰かと戦わなければならない。だけど、もはや誰とも戦わなくていいらしいのだ……。
このようにアウレリウスは自分がどうすればいいのか、わからなくなっていた。
アウレリウスのような者が、まだたくさんいたのである。
それは、アウレリウス達の敵だった国の中にも、たくさんいたのである。
彼らはある晩、神が現れてから、毎晩のようにもよおされる祭りに行かずに、暗い部屋に集まった。
「どう思う?」
と一人が言った。
「みんなも、おれと同じだろう?戦わなければならない。戦わなくてい。」
アウレリウスを始め、全員うなずいた。それからみなは、口々に語り合った。
「神。神。なんなんだよ、あれ」
「酷い。」
「神ってんならさ、おれらのことも助けてほしいよな」
「おれたちは落ちぶれてしまった。平和になったから」
「なあ。」とアウレリウスは言った。「つまりさ、神こそが、今の俺たちの敵なんじゃないかな?」
人々は黙ってしまった。神を敵だというのは、あまりにも恐れ多い。
しかし、アウレリウスはこの発想をどこまでも貫きたかった。他のものだって、そうだったに違いない。
「神だもの。殺したって、許すさ」
アウレリウスはこうこじつけた。すると、みなの顔つきが晴れやかになった。
神はいつも空高くからやってきて、人々に食べ物と、神の教えをほどこしたあと、
また空高く飛んで天国かどこかに帰って行く。
白いひげをはやした、いかにもありがたいおじいさんの姿をしているのだ。
ある日、アウレリウス達は、こっそり木陰で神の降りてくるのを待ち伏せしていた。
そして、人々に迎えられながら神が地面に降り立った瞬間、
「いまだ!」
というアウレリウスのかけごえとともに、無数の弾丸が神の方へ、雷の速さで飛んだ。
神は微動だにしなかった。念じたのかもしれない。弾丸は、止まって、落ちた。
人々はアウレリウス達をせめた。
ところが神がそれを制して、
「やりかえしてはいけないよ。わたしはかれらを愛しているのだから」
そう言うと、人々は神に拍手を送った。アウレリウスの仲間から、2、3人拍手するものが出た。彼らは
兜を脱ぎ、銃をすてて、神を褒める人々に混じって消えた。
「冗談じゃない!」
アウレリウスは叫んだ。
「愛されたって、救われない」
なんとか神を殺す方法はないものか……。
アウレリウス達は議論をした。そこで、あの神は偽物だというウワサを流す、ということに決まった。
チラシを配った。
あれは神なんかじゃない。宇宙人だ。おれたちは家畜と一緒だ。上手く飼いならして、いつか食っちまうつもりなんだ、と。
最初は当然、相手にされなかった。
だけど、奇怪な事件が連発するようになってから、このチラシの内容が怪しくなってきたのである。
毎日、毎日、どこかで誰かがいなくなるのである。
「まさか、あの神が……!?」
人々は不安になった。
だけどある日神は言ったのである。
「ああ、私が連れて行ったのだよ。彼らは選ばれし者達だ。だから天国に連れて行ってやったのさ」
人々は安心した。さらに、
「神様!私も連れていってください!」
とお願いする者が少なくなかった。
「神の教えを、ちゃんと守っていれば、もしかしたら、いつか、連れて行ってやれるかもしれないよ」
と神は言った。
そんな神に対抗して、アウレリウス達は雑誌を出した。
ペンは剣よりも強し、と言ったのはフランスの風刺作家、アレティノの言葉だったが、まさに彼らは剣で敵にせめこむように、
もの凄い筆致で神に切り込むのである。
「神は、あんなことを言ってるが、余計にあやしい。本当は、消えた人たちは天国なんかにいったんじゃない。
実際のところ、神を名乗る宇宙人が、料理して食べたんだ。」
昔の神学者の言葉をひいて、
「神が現れたら、それは神じゃない。神とは、全てのことなのだから。ということは、あの空から神の姿をしてやってくる
老人の正体は、神なんかではないのだと推理できる。宇宙から人類を食べにやってきた、宇宙人だ」
雑誌は売れた。
「週刊えくはると」は、人々を不安にした。真実を知りたい人が買った。そうして生まれた疑いを、神は決まって、
「そんなことは決してないのだよ。神の道を歩いていれば、必ず天国にたどり着けるのだから」
とか言い、安心させるのだった。
さて、ある日、アウレリウスを始めとする、敵のいない戦士達は、いっぺんに消失した。
神が降りてきて、人々は質問をした。
「彼らは天国にいけたんでしょうね?」
神は微笑んで言った。
「勿論だよ。楽園で楽しく遊びながらも、自分たちが出した、あの雑誌のことは、いつも後悔しているよ。だから、お前達も、
がんばって、神の道を歩みなさい」
人々は歓声をあげた。
おしまいです
小説を書きたくても、書くべきことなんかなかった。それで、敵のいない戦士達を、書くことが
できた。
結局、神は、神だったのか?宇宙人だったのか?それは、書いた僕にもわからないのです。ただ、
いずれにせよ、戦士達は戦えて幸福でした。つまり、僕も書いていて幸せでした。
感想おまちしています。
書かなくていい、ということは、あたりまえだが、書かなくても「いい」のである。
ならばなおさら、書いたって「いい」じゃないか
アウレリウスが正しく、邪魔になったから「天国に連れていった」(消した)とも見える。
10:武装親衛隊:2017/04/04(火) 06:48 【途中送信失敬】
アウレリウスはやっぱりただの戦狂いで、神は間違いなく人々を救う神だったとも取れる秀逸な描写ですなあ。
9、10
ありがとう!
とても嬉しい感想です!
思うに、「どっちともとれる物語」って、
原発は安全だと思ってた、だけど実はとても危険なものだった、
オウム真理教は人々を救うと思ってた、だけど実は誰かを傷つけるものだった、
という、悪しき平成(勿論良いこともたくさんあった)の比喩になるんじゃないでしょうか。
平成もそろそろ終わりそうだ。
それにあたって、僕は「どっちともとれる物語」から、さらにもう一歩進んだ何かを
書きたくなった。
てんのうへいかばんざい!
世界観が少しわかり辛い。
1635年となると国によるがそこまでファンタジックな感じじゃないはず。
それにそこまで前の時代となると地球と言うもので理解されていないため、どちらかと言えば世界という表現が正しい。
つまり宇宙人という言葉もおかしい。その時代は科学などはまだあまり解明されていないはず。つまり異世界人という言い方がまだマシと思われる。もしくは詐欺師など。
そしてこのような復讐劇などは基本的に三人称視点より、キャラを複数用意しての一人称始点を開始するとまた読みやすくなる。
ぞっとしたぞ。と書いてあるもののどのようにぞっとしたか。
例:なんだか裏で凄いことでもやっているのか、それとも頭がおかしくなったのか。俺はぞっとしたぞ。
そしてその時代ならば雷の落ちる速度で弾丸などを放つことは出来ない。そして雷の落ちる速度はまず空気中の気温や高度などによるので正確な速さはないのでどれほどの速度で打ち込んだかはわからない。
神を崇め立てるなら神様という呼び方も正しいかもしれない。
週間えくはると、というものもこの時代的におかしい。基本的にこの時代の本は基本的に小説や新聞のため、書くならばエッセイの方が良いかもしれない。最も、売れるかどうかはわからないが。
そして神の決まりを守る。というよりも、「人々へ善や仁を示す良い人であれば、天国への道は開かれるでしょう。」と言った方が神様の丁寧な口調で似合う。
そしてペンは剣より強しと言ったのはエドワード・ブルワー=リットンである。
更に発表したのも1893年のため、絶対にありえない。
批評的になったが、これらを直して書き上げるとそれなりに良いと思う。
そしてなるべく尺稼ぎ・・・じゃなくて長引かせると読者の期待を見ることも出来る・・・
はず。
12
ありがとう!
何度も読みました
歴史のリアリズムが、確かに
めちゃくちゃですね
ぼくは歴史が苦手なのでいっそ
1635年だとか書かずに
「いつでもない時」「どこでもない場所」
をどうどうと書いていれば
よかったのかも知れません
もっとも神は全てである、とかいう神学じみた格言も、実はでっち上げなんだよ
12さんのように、ペンは剣より強しの出所を知っている人はちょっと特殊だと思うんだ(笑)
僕は積極的に、フランス語でいう「ミスティフィカション」を行いたい気分もある
なぜなら人生自体、神によるミスティフィカションだから
でたらめの真実、というテーマについて春休みのうちにゆっくり考えようかな