アリストテレスのポエチカ、ポーの詩の原理、ヴァレリーの手帳、ロシア・フォルマリズム、そこに帰ろう。
帰納法的な創作〜僕が小説を書く場合の精神過程〜
僕は短編小説を書きあげたいと思う。
理由は暇つぶし、興奮剤、それを求める故である。
まず、「効果」を選びたい。悲しみ、怒り、幸福……九鬼周造の「情緒の系譜」は、
レストランのメニュー表に過ぎぬ。
僕は今、「幸福」を食べたい気分である。オーダー!
幸福とは何か。「幸福論」を読むまでもなく、愛する人といつまでもいられる、ということが、
幸福なのだ、と言ったところで、(哲学的にいろいろつっこみどころがありそうでも)多くの人が
「まあ、そんなものかな」
と妥協するところのものだろう。
すると、いわゆる「日常系」が、まず思いつく。しかしただ男女の日常を書き綴っただけでは、ただの退屈である。
日常でも、それが特別な日常でなければ、つまり、「日常の異常性」が、その時間に生命を与えるのである。
そこで、アンチ日常、男女の日々を脅かす何者かの存在が、必要になってくる。たとえば仏教の無常、因果の考えは、
僕たちの今を、かけがえなくする。さらに言えば、本来、日常というものなど存在しない、あるのはただ異常だけで、日常とは、
それに疲れたくない人間の発明した言葉なのである。それを壊すのが、仏教の修行だとさえ言えそうだ。
そこで、それをシンボライズすると、こうなる。
そこは雪国でありました。それは不思議な雪でした。
その雪に触れると、体が石のように、動かなくなってしまうのです。
雪に触れると、心まで固まってしまうのかは不明ですが、体が固まってしまうということは、
間違いありません。
大学生の守が、雪よけの傘をさしながら、この村を歩いています。ざっざっざっと、大きな長靴で、魔法の雪を、
踏みしめて。好奇心の強い守は、この不思議な雪の魅力に引き寄せられて来たのです。
「この雪は、死のようなものだ。触れるとどうなる?どうにかなった時には、自分はもういない」
そんなことを考えながら歩いていると、ふと、美しい少女の像かと思われるものが立っているのを見つけました。
いや、それは像などではありません。まさしくこの雪に触れてしまって、固まってしまった少女なのでした。
「ここでは、固まってしまったものは、そのままにしておく風習があると聞いていたが、全くその通りだった。しかし、
この娘は、どういきさつで雪にさわってしまったのだろう?」
守は、こんなに美しい少女がなんでもなくなってしまったことを、残念に思いながら、旅館に向かって歩き始め
ました。旅館につくまでに、もう2、3人の、石像を見ました。そのうちの一人は、なんとなく腰のひけたような、
滑稽なポーズのまま、固まってしまっているのでしたから、守は、少し可哀想だと思ったのでした。
この魔法の雪が、例えば時に吹雪になり、家を破壊したりして、人々の生活をおびやかす。悪意でもって、
手袋をはめて人にぶつければ、誰かを石にできる。雪に埋もれるとは、日常に飲み込まれるということである。
さて、ここで凍ってしまったあの美しい少女をとかしたい、そして、恋に落ちたい、さらになぜ雪にふれてしまったのか、
それを聞き出して、その原因を根絶したい。すると、ついに幸福ではないか。そこで、このようにしてみる。
「こんな不便なところ、最初から誰も住まなきゃいいのにな」
と、旅館の露天風呂につかりながら、守は思いました。もっとも、露天風呂と言っても、雪に触れないように、
上にはガラスの屋根が敷いてあります。この雪国には、このように雪に触れないための伝統的な工夫が、よく見れば、
至る所に見られるので、守は興味深いと思いました。
ガラスの屋根に、雪が落ちて、それが悲しそうに溶けていきます。
湯からあがって、部屋でじっとカフカの断片集を読んでいると、さすがに退屈して来て、寂しいのでした。
窓から見える真っ白な景色を眺めながら、
「あの少女の像をここに持って来て、一晩中抱いていたい」
と、漠然と守は思いました。
「どうせ放っておかれてるものなんだし」
時間が五時調度になり、外も暗くなって来ると、なんとなく気持ちにメリハリができてしまって、こっそり部屋から
抜け出し、あの少女のところまで行き、布を被せて、誰にも見られずに部屋に連れて来ることができました。
服を脱がせて、綺麗なタオルでぬぐうと、見れば見るほど綺麗なのでした。白い肌は魔法の雪のようでもあって、
触ると自分が固まってしまいそうで恐いのでした。
明かりを消して、一緒に布団に入り、抱いていると、気持ちが高ぶって、ついキスをすると、突然少女は動きだし
「きゃあ!」
と叫んだのでした。守を殴りつけ、布団から出て、警戒するようにまわりを見渡しています。
愛のキスで生き返る、これは全く白雪姫のようである。氷雪だけに、まるまる剽窃でいいのだろうかという気持ちさえするが、
考えようによっては、キスで治るという設定は、ある種の残酷性を帯びていて、この少女のような、美しい者だけの特権のようで
もある。醜い老婆に愛のキスを送るものなどいるだろうか。キリストなら、キスをするだろうか?
それはともかく、さて、次の仕事は、少女が守を愛することだ。
守は正直に話しました。
「お前があんまり綺麗だったから、一晩中抱いていようと思ったんだ。だけど、まさか動きだすとは思っていなかった」
「そう」少女は言いました。「私汚されたわ」
「そんなことない。タオルで綺麗にしてあげたよ」
「汚すためでしょ!」
と、少女は怒鳴りました。
「君、どうするね?家に帰る?」
そう守が聞くと、少女の顔は曇りました。
「……帰りたくない」
「それじゃ、どうするね」
「わたし、もう一度雪に触れて、固まる。そして、もとの場所に立ってる」
そう言って立ち上がりましたが、
「そして僕がここに連れて来て、一晩中抱きしめる」
と守が言うと、少女は泣きながら、
「ああ、私本当は抱きしめてほしいのよ、ずっと、恐くて寒かったの……」
と言いながら、少女の方から守に抱きつきました。
雪に触れて体が固まっても、心は固まらないらしく、自分がそうなったところを想像すると、
守は精神崩壊しそうになりました。すると溜まらなくなって、守の方も、少女を抱いたのです。
と、ここで、僕は童貞だし、しかも一生それを捨てることはできそうにないのだから、その夜のことは
省いて、ほのめかすだけにとどめる。童貞は、変な誤解をしている、と言われるものだから、エロシーンを書くことは
危険である。もしかしたら、ただ本当に、純愛的に、抱き合っていただけかもしれない。
「固まった少女を一晩中抱いていよう」
という守の発想も、童貞的である。
守が少女に愛のキスを送ったのである。いやらしいキスではなかったから、少女は目覚めた。だから守は少女に愛される資格があった。
次に、少女が雪に触れたいきさつである。
次の朝、まぶしい太陽が二人の顔に挨拶をすると、ほぼ同時に二人は目を覚ましました。
二人して食堂に行くと、魚と卵焼きとみそ汁の朝食が出ていました。女将はあわてて
「あら、一人分しかご用意していません」
と言いましたが、
「いいのです」
と守はしりぞけ、それから少女に、
「半分ずつたべようね」
とやさしくいいました。
少女もにっこり微笑んで
「うん」
とうなずきました。
すでに少女は守にしっかり心を開いていたので、自分から、家族のことを話しだしました。
「わたしのママはもう死んでしまって、今のママは、二番目のママなの。最初のママほど
やさしくなくて、嫌な仕事を、全部わたしに押し付けるのよ。
だから、わたし嫌になって、家を飛び出した。そして、雪に触れて、固まった。固まった私を見て、ママは
言った、最高の気分って」
これもまんま白雪姫なのである。
考えられたのは、誰かによって雪に触れさせられた場合と、自分から自殺的に雪に触れた場合の二通りである。
どちらでもよかった。白雪姫のノリで、そのまま書いてしまうのが楽だった。
さて、ここまでくると、結末も自然と浮かび上がる。
いじわるな、ままははが、雪に触れて、固まってしまうという復讐劇。
ままははは、この雪国の慣習通り、永遠にそこに放っておかれる。
二人の愛は永遠に保証された。
旅行の最後の日、二人はバス停に立っている。
「必ず、また迎えに来るから!」
と大学生の守は言い残し、少女を残して帰る。嘘偽りのない言葉だった。
少女はバスを見送る。バスが見えなくなって、少女も帰る。
バス停のコンクリートに、ただあわ雪がぽつぽつ落ちて、溶けて消えていくのがずっと続くだけになる……。
もう夜も遅いし、見るところまで見ることはできたので、書くことの決まったものを、最後まで機械的に書くことは省く。
いい暇つぶしになりました。おやすみなさい。
ところで、書くことの決まったものを、いかに書くか(景色の描写、気の利いた比喩など)はまた別の問題である。
しかし、精神論になるが、その小説世界に愛があれば、自然と上いい比喩も、思い浮かぶ物だと思う。だから僕も多くの物が
愛せるように、人生経験を積んで行かなくちゃならない。そうして小説は深くなっていく。
あとこの物語は川端康成の雪国の劣化コピーでもありましょう。
そんなすごいものと比べる方がいけませんよ。
これは自分で楽しむものだから、人に見せられる水準は最初から求めてないけど、
それじゃあ「人に見せられる水準」とはなんだろう。
これは修辞学の問題だろう。そして、文学自体が修辞学なのだ。
「パイドロス」!お前が読みたい!
こちなくも、きこえおとしてけるかな。神世より世にあることを、記し置きけるななり(^ω^)日本書紀などは、ただ、方そばぞかし。これらにこそ、道々しく、くはしきことはあらめ\(◎o◎)/
源氏物語ほたるのまきの一説である(。・ω・。)ゞ問題は「神世」というこの言葉だ(´;ω;`)
江戸川乱歩は無意識に見過ごされるもののなかに悪魔を閉じ込めた( ; ゜Д゜)神世は無意識である\(◎o◎)/
無意識はあるーーー意識をしていないだけで(* ̄∇ ̄)ノ君が無意識に座っているその椅子の中に人が入っていると言われた時、君はそれを思い出したのだ(* ̄∇ ̄*)
神世は現実の外にあるのではない♪(/ω\*)現実以前にあるのだー\(^o^)/
日本文学論いいます
自然に帰る=破滅派、調和派の文学者等。雪舟、西行的。本音で生きて破滅するのもこれ。
自然が来る=かぐや姫、遠野物語、rewrite、小林さんちのメイドラゴン等。
おもに日本文学の構造はこの二パターンではありませぬか。
アメリカ文学論いいます
ポーは詩の原理で、もっとも美しいのは、愛する女性の死だと言っている
伝記を見ると、ポーは若い奥さんをなくしていて、その経験がしばしば詩のモチーフになっている
その個人的な経験から詩の原理を作っているきらいがある。
それはともかく、自分の悲しみを浄化するために悲しい物語を読む、みたいな、ギリシャ劇的な構造が
やっぱりアメリカ文学の構造ではないかしらん
日本は現実を捨てる。アメリカは現実と向き合う。そんな傾向が一般にあると思う。
しかし、勿論それだけが文学の全てだと言っているんじゃありません。
ノイロオゼ
僕は幽体離脱できるーーーそのせいですっかりノイロオゼになってしまった。
昼休みーーーお弁当を食べ終わり、庭に出て眠るフリをしながら、僕は幽体離脱をし、学校の中を
さまよった。
職員室ーーーK君は、近頃成績がよくありませんねーーーあいつは、もともとできない奴だよーーーいや、K君は、はっきりした頭を持っているはずなんです。だけど最近、悩み事でもあるのか、ぼんやりしているようなのですーーーあいつは、もともとぼんやりした奴だよーーー。
女子の会話ーーーK君って、キモいよねーーーそんなこと言って、本当はすきなんじゃない?ーーーばか!生理的に拒絶しちゃうわ!ーーーじゃあ、K君に言おうかなーーーやめてよーーーじゃあ、好きなのねーーー嫌い嫌い大っ嫌い。嫌いだから放っとけって言うのよ!ーーーまたまたあーーー(ぼそっと)殺すぞーーーえ?なんか言った?ーーーいや、なんでもないーーー。
男子の会話ーーーやっべ!宿題やってねえ!ーーー俺も!ーーーよし、いつものように、Kの机からノート出して、うつさせてもらおうか!ーーー勝手に見たら、悪いんじゃないかなーーー何言ってんだよいまさら。いつも見てるじゃないかーーーまあ、そうなんだけどさアーーー。
ところで、僕はC子に恋をしている。美術部の、後輩である。
僕の魂は、C子の元へ向かったーーーCちゃん、好きな人いる?ーーーうふふーーーえ!だれだれ?ーーー誰にも言わない?ーーー言わない言わないーーーR君。