頭のイカれた心理学者、馬場みみるは、二人の男女が並んで歩いている
のを、後からついて、こそこそ見つめていた。
「人はどこまで共感できるのか」
それが彼の知りたいことだった。
「あのカップルは、愛し合っている。愛とは、共感である。それならば、あの女をさらって、
脳を改造する。そして、リモコン一つで、彼女の行動の『正常度数』を操作できるようにする。
その正常度数を、日々少しずつ上げて、彼女を異常にして行く。そこで、あの男が、どこまで
彼女の面倒を見るか、観察するのだ。」
みみるは彼女の家を突き止めて、それからラボに戻った。
例の装置を作り始めた。
そのカップルは大学生で、男の方は工学部、女の方は文学部だった。
しばしば話が合わない。しかしだからこそ、驚きもある。それが恋のエネルギーに
なっている。
男は山口進、女は岸田桃香といった。
進は初めて彼女ができたので、これを一生離したくないのだった。だから勉強に励んで、バイトもして、
とにかく頑張り、頼られる男になりたいのだった。
桃香は、恋人を作るのは三人目だが、最初の二人との恋は、中途半端だった。今では、進が、本当に好きだと思う。こんな
人がいるのなら、最初の二人と、形だけの恋人になんかならなければよかったと思っている。汚されたと思っている。
「できたぞ」
と馬場みみるは言った。
外は土砂降りの雨である。窓から、庭の木が、それにさらされているのが見える。
コーヒーをいれた。チーズケーキを冷蔵庫から持って来た。みみるは、ここ30年くらい、このコーヒーと、
チーズケーキしか食べていない。
王室の作法ばりに、かなり上品に、それを食べ始めた。
「雨が止んだら、実験を始めようかな」
と呟いた。雷がなったが、みみるは微動だにしなかった。
よく晴れた日曜日、進は公園で待ちくたびれていた。何度も何度も腕時計を確認し、何度も何度も電話をかけた。反応はない。
岸田桃香はすでに、みみるのラボでとらわれていた。
椅子に縛り付けられ、頭に変な装置が取り付けられていた。
脳には、ミラーニューロンというのがある。このミラーニューロンのおかげで、人は相手の気持ちを考えることができる。そして、みみるの
装置は、このミラーニューロンをみみるのリモコンとだけ調和するように仕向けるのである。
記憶を消すのは訳も無いことだった。二度と思い出したくもないほど、嫌なことを桃香はみみるにされた(それは、ここには書けない。もし
具体的に書いて、それを読んだ読者が精神に異常をきたしても、筆者は責任を取れないのであるから)。
すると自動的に記憶は抹殺され、気がつけば桃香は進むの待っている公園に向かっているだけだった。
公園では進がいらだたしげに待っていた。
「遅すぎ!寄り道でもしてたの?」
「いいえ、全然!急いできたはずなのに、おかしいなあ」
進は、怒ってやるつもりだったが、桃香を一目みると、そんな気持ちは消えた。