宮廷靴磨き 〜シューシャンボーイ〜

葉っぱ天国 > 小説キーワード▼下へ
1:にしき:2018/05/03(木) 00:57

スラム街の貧しい家庭に生まれた少年、セジョーア・ロックローズの両親は、街で靴磨きの仕事をして生計を立てていた。
しかし、ロックの両親は貴族の借金取りに臓器提供用のドナーとして拉致され、殺害されてしまう。
ロックはいつかその貴族の仇をとって復讐するため、靴磨きで資金を稼いでいた。

そんなある日、ひょんなことから宮廷専属の靴磨き師にならないかとキー第二皇子に持ちかけられる。
恨み続けている貴族の情報を集めるため、ロックは宮廷で靴磨き師として働き始める。

靴磨きを通して様々な客との出会いと事件に遭遇し、次第に巻き込まれてゆく。

2:にしき:2018/05/03(木) 00:58

・character data


・セジョーア・ロックローズ 15歳 ♂
カギトニア帝国にあるスラム街の貧しい家庭、ロックローズ家に生まれる。ロックと呼ばれている。
幼い頃から両親の仕事である靴磨きの手伝いをしていたため、靴磨きの腕前は一流。
街のゴミ捨て場に破棄された本を読んでいたため、ある程度の教養も備わっている。
街の酒場でバイオリンやピアノを演奏して金を稼ぐことも。
親譲りかギャンブルにも強く、たまに酒場でチェスやポーカーなどの賭けをして儲けている。


・カイジョーア・ロックローズ ♂
ロックの父親。スラム街でロックと暮らしていたが、借金を期限まで返却できず、ある貴族に全臓器を売られてしまう。
靴磨きの腕は超一流で、何人かの有名な貴族とも知り合いだった。
賭け事が好きで、ロックとポーカーやチェスの対戦を交えていた。
スラム街では多くの人に慕われていたらしい。


・キードラド・ オープンストナー 15歳 ♂通称キー
カギトニア帝国の王室に生まれた、次期帝王と期待されている少年。第二皇子。ロックからはキーと呼ばれている。
帝王候補だが勉強が嫌いで、度々サボって街へ繰り出す上に女好き。
街にお忍びで出かけた際にロックと出会う。
ロックの才能を見抜き、宮廷専属の靴磨き師として雇った。


・パスコー・ド・ニューリョック 40歳 ♂
キーの側近として仕えている大臣。ロックからはパスコー卿と呼ばれている。
ロックの父、カイジョーアの代からの常連客で、ロックの事情を知る数少ない理解者。
貴族に関する情報や助言を提供してくれる。


・ダイヤル・オープンストナー 14歳 ♀
カギトニア帝国の王室に生まれた、キーの妹。ロックからはダイヤル妃と呼ばれている。
宮廷に入ってきたロックのことを庶民だと見下し、度々嫌がらせを行う。
キーとは正反対の性格で、勉強や習い事も真面目に行うが融通が効かない頑固者。


・パンドレア・オープンストナー 50歳 ♂
カギトニア帝国の現帝王。ロックからはパンドレア帝王と呼ばれている。
キーやダイヤルを溺愛する親バカだが、帝王としての威厳も保ち、度々叱咤する。
靴に対して異常な執念を持ち、手入れにこだわっている。
出来がよく、靴磨きの技術も一流であるロックのことは実の息子のように思っている。

3:にしき:2018/05/03(木) 15:33

 いつも仕事をするとき、親父は言っていた。

 靴はどんな持ち物よりもヒトを表す、と──

 何年も靴と触れ合っていれば、靴一足から様々な情報を読み取ることができる。
 その靴の形状や色、値段、手入れの度合い、革の皺や底の擦り減り具合。
 そこから裕福さや貧困さはもちろん、几帳面さやプライドの高さを垣間見ることもある。
 そして俺は靴を磨くとき、その人の持つ人格を俯瞰するのだ。

 重厚な革靴、鋭いハイヒール、クタクタのブーツ。
 人の性格が十人十色というように、靴も多種多様だ。
 同じ靴を持っていても、時が経てば靴は持ち主の仕様に染まっていき、違いを生み出す。
 靴はただの道具でもなく従順なしもべでもなく、もう一人の自分だ。
 少なくとも俺は、そう信じている。
 
 
 持ち主の脚を支え、大地に触れる靴を癒して労う。
 俺は、この仕事──靴磨きが好きだ。

4:にしき:2018/05/03(木) 16:44

 ──カギトニア帝国。
 地中海に面している小国で、オリーブやトマトの栽培、そして牛の放牧が盛んである。
 そのため牛革の出荷量が高く、バッグや財布の製造が栄えている。

 その中でも一際栄えているのは靴の生産だ。
 様々なブランドが確立し、腕の良い職人の取り合いや技術の争いが絶えない。
 どんな革を使うか、デザインはどうするか、縫製はどうするか。
 数々のブランドが靴の販売に力を入れ、日々靴の開発に執念を燃やしている。

 そしてこの国の人々も靴に拘りを持ち、自分に合ったものを選ぶ。
 色や形はもちろん、履き心地や機能性も重視して買っていく。
 貴族の間では、どれだけ良い靴を履いているかということはステータスの一つとなっていた。



 ドレスに身を包んだ貴婦人や馬車、鎧を纏った騎士達が忙しなく動き出す朝の街。
 その一角にひっそり佇みながら街の喧騒を眺める。

 行き交う人の靴を見ては、ドレスから見え隠れするあのハイヒールは上物だとか、あの革靴の形状が流行っているな、なんてとりとめのないことを考えていた。
 兵士の擦り減った革靴、貴族の立派で砂一つかぶっていないブーツ、軽快な音を鳴らす貴婦人のヒール。
 どの靴もそれぞれの個性をもち、今日の大地を踏みしめていく。

5:にしき:2018/05/04(金) 00:58

 暫く俯いて地面に視線を向けていると、大きな人影が俺を覆った。
 思わずバッと勢いよく上を見れば、ニヤリといたずらっ子みたいな笑みを浮かべたおっさんが俺を覗き込んでいる。
「よぉ少年、元気にしてたか」
「……パスコーの爺さんじゃねぇか。驚かせんなよ」
 パスコー・ド・ニューリョック公爵。
 帝王の側近として代々仕えている名門貴族、ニューリョック家の出身だ。
 パスコーはニューリョック家の当主で、現在は大臣を務めている。
 
 親父の代からの常連客で、随分と贔屓にしてもらっている。

「今日はどうする?汚れ落として艶出し?」
「おぉ、それで頼むよ」
 パスコーは勝手知ったる木製椅子に腰かけ、いそいそと脚を差し出した。
 今日も今日とて彼は上質な茶色の革ブーツを履いていた。

 まるで樹木の幹を思わせるような深い品のある茶色。
 ふくらはぎまで届くほどの丈で、つま先が鋭くカーブしている。
 踵のヒール部分は太い直方体になっていて足場もグラつかず歩きやすそうだ。
 中央はいくつか穴があけられていて、その穴に黒い紐が通されている。
 紐を通す穴の数でサイズを幾分か調整できる仕組みのようだった。
 
「これは……有名ブランド『ブレークジョーマエ』の新作か」
 革靴の質感とデザインの既視感で分かった。
 一流の素材と有名デザイナーの起用で評判の高い高級ブランド、ブレークジョーマエ。
 庶民には手が届かず、高嶺の花……もとい高値の靴だ。滅多にお目にかかれないシロモノ。

「さすがロック、ご名答。よく見抜いたな」
「ブレークジョーマエの靴を磨くのは三度目さ。こんな立派な靴を磨けるとは光栄だぜ」
 久々に巡り合えた上等な靴に興奮しつつも、浮足立つ鼓動を押さえつけた。
 古びた木箱から汚れ落としとクロス、ブラシ、靴墨などの商売道具を取り出し、準備に取り掛かかった。

 

6:にしき:2018/05/04(金) 16:10

まず豚の毛から作られたブラシで念入りに靴の塵や埃を払う。
スッと柔らかい刷毛がなめらかに靴上を滑り、革に張り付いた塵を落としていく。
編み込みの入り組んだ隙間まで抜かりなく撫でる。
泥や砂は、革の劣化を早めてしまう恐れもあるのだ。

緩く弧を描いた皺が、くるぶし辺りに密集していた。
皺の深さからしてまだそれほど履き潰しているわけではないらしい。
何度か靴墨を塗った形跡があるため、ある程度自分で手入れはしているだろう

「そういやロック、お前さんここ一週間ずっと店開いてなかっただろう?それにいつも店を切り盛りしてる両親はどうした?」
不意にパスコーが思い出したように訊いたため、思わずブラシを動かす手を止めてしまった。
ブラシを握った手が暑い。じわじわとブラシの柄が手汗に塗れていくのが分かった。
脳裏に焼き付いた゛あの時のこと゛を思い出し、急に頭に血が上って、行き場のない怒りが手に集中した。
握りしめた手のひらにブラシの毛が強く刺さる。拳が小刻みに震えた。

「おい、どうしたロック」
黙りこくった俺を不審がったパスコーが、俺の顔を覗き込んだ。
そしてぎょっとしてヒッと情けない声をあげながら後ずさった。
カタンと木製の椅子が音をたてる。
さぞかし俺の顔が憎悪に浸食されていたんだろう、パスコーは恐ろしいものを見たように怯えた。

「親父は……連れてかれて、殺された」
「なっ……!?殺されただって!?一体なぜ、誰にだ!?それは本当か!?」
パスコーは目を大きく見開いて取り乱し、俺の肩を強く掴んで揺さぶった。


「……あれは一週間前のことさ」
俺は憎き男のことを思い出しながら、瞼を閉じた。

7:にしき:2018/05/04(金) 16:38

俺の家庭、ロックローズ家はスラム街の一角にある。
以前は有名な貴族だったが、カギトニア革命というこの国の諍いに巻き込まれて没落した。
財産を全て国に没収されてしまい、スラム街に身を潜めて生活を始めたということだ。
尤も、俺がこの世に生を授かった時からロックローズ家は貧困に苦しんでいたが。

親父、カイジョーア・ロックローズはとある貴族から借金をしていたという。
後になって知ったことだが、俺をの学校に行かせるための金だったらしい。
その額はおよそ50万ドーア。値打ちとしては純金約300g分だ。

その日の夜、俺と親父は仕事を終えて帰宅し、ポーカーで勝負していた。
「ロック……お前さては良い役揃ってんなぁ〜?」
「それはどうかな。親父こそ顏に出てるぜ?」
勝った方が明日の早朝に仕事の準備をしよう、なんてささやかな賭けをして。

台所でお袋がトントンとリズミカルにジャガイモを刻む音が快かった。
貧しいものの、俺にとっては何一つ不自由のない生活だった。

「じゃあいくぞロック……」
「おう。準備はいいぜ」
「「せーの!」」
一斉にカードを床に置き、互いの手札をバッと凝視した。
数秒、糸を張り詰めたみたいな緊張が走る。

「よっしゃ、俺の勝ちだロック。日の準備よろしくなー」
「くそ、ストレートかよ!?せいぜいフルハウス止まりだと思ったのに……イカサマしてねぇよな?」
「するわけないだろ。日頃の行いだよ、ひーごーろーのーおーこーなぁーい」
顏に出していないつもりだったのに、親父には全てを見透かされているような気がして居心地が悪い。
悔しいことに俺は一度も親父に勝ったことがない。チェスでもポーカーでも、ビリヤードでもダーツでも。
親父の賭けは絶対に外れない、なんてジンクスが成立してもおかしくないくらいだ。

「それで……そんな特技があんのに、なんで稼ぎに使わねぇんだよ」
「そりゃーお前、金を賭けるとなると、大体相手はイカサマしだすからよ。それじゃあ面白くねぇ」
親父は床に散らばった薄っぺらいトランプを、一枚一枚丁寧に拾い集めた。

8:にしき:2018/05/04(金) 17:21

───ガタン

唐突だった。
いきなりドアの開く音がしたかと思うと、ガタイの良い男数人がずかずかと家の中に入り込んできたのだ。
男たちは重そうな黒の軍服を身にまとい、腰に何本か剣を挿している。
呆気に取られていると、コツコツと床を忌々しく踏み鳴らす音が響いた。
上等で煌びやかな服を纏った貴族が一人。
しかし肝心の顔は、護衛と思われる男に遮られてよく見えなかった。

「ご機嫌麗しゅうございます、カイジョーア・ロックローズさん」
意地悪く厭味ったらしさを含んでいたものの、どこか品のある声だった。
「……何の用でしょう」
口調こそ丁寧なものの、親父の低い声は彼を警戒していた。

「な、なんだよお前ら……!?」
「あなた、まさかこの人たちは」
俺の質問に答えてくれる者は誰もいない。
お袋はなにか察していたみたいだったけど、俺には説明してくれなかった。
ただただ、俺だけが取り残されて時は進んでいく。

「50万ドーア……本日までの返却ですよ、ロックローズさん」
男は懐からサッと一枚の紙を取り出すと、親父の目の前に掲げてみせた。
「なんだと?期限はまだあと1年はあるはずだろう!?」
「そうだわ、来年の4月までの返却だと仰っていたわ!」
親父は噛みつくような勢いで男に歯向かい、普段大声を出さないお袋も声を荒げた。
しかし男は涼しい顔で親父とお袋を見下しているだけだ。

「半月ほど前に期限変更の通達をしたと思うんですけどねぇ。届いてませんでしたかねぇ?」
なんと白々しい声なのだろうか、聞く者全てを不快にさせるような声だった。
「そんな通達は受け取っていない。まだ1年の猶予はあるはずだ」
親父は頑なに食い下がり、男を鋭い目つきでキッと睨みつける。

「しかし期限は期限……おい、そこの者」
男がパチンと指を鳴らすと、即座に護衛の男が周囲に集まった。
「ロックローズ夫妻。契約書に乗っ取り、50万ドーアの代わりとして貴方の臓器を頂戴致します」
冷たく軽蔑するような声に、思わず背筋に冷たいものがゾッと走った。

「そんな、ひどいわ!」
「期限はまだ来ていないはずだろう!通知も来ていない!」
5、6人の男達に取り押さえられ、親父とお袋は縄で拘束された。

咄嗟の判断で台所から包丁を持ち出し、男に刃先を向ける。
「おい!やめろ!親父とお袋を返せぇっ!」
「おっと少年。野蛮な真似はお辞めなさい」
護衛の内の一人が近づき、手中の包丁を軽く弾き飛ばした。
包丁はくるくる空中を回転して落ち、やがて金属音を鳴らしながら床に叩きつけられた。

「残念だが少年。50万ドーアの担保として彼らの臓器をかけていたんだ。これは決定事項、どうにもならないのさ」
男と護衛の者たちが一斉にくるりと背を向け、歩き出した。
「ざけんな。どうせイカサマだろ!期限を変更し、あえて通達せず、期限超過で担保を没収。そんなクチだろ!」
俺の叫びに男は足をとめ、一瞬動揺したようだった。
そして酷く憎むような視線でこちらを睨みつけ、また歩き出した。

恐らく──図星だ。

「ふん、なんとでも言いなさい」
「ちくしょっ……親父!お袋!」
俺は何度も護衛の男に妨害され、二人を救うことはできなかった。

結局終始男の顔は確認できなかった。







「……どーよ俺の息子は。なかなか頭がキレるだろう?」
「……」
「賭けてもいいぜ。俺の息子は、いつかお前の仇を討ちにくるってな」
「馬鹿馬鹿しい」


そんな話声が、暗い闇に溶けていった。

9:にしき:2018/05/07(月) 14:23

【補足】
『靴専門販売店 ピッキング』
街にある小さな靴屋。
小規模だが有名ブランドからノーブランド品、靴磨きの道具まで広く取り揃えている。

10:にしき:2018/05/08(火) 19:31

俺は全てを話し終え、こみ上げてきた憤りを落ち着かせるようにふぅっと深呼吸した。
話を聞き終えたパスコーは何も言わず、ただじっと黙りこくってうつむいているだけだった。
悲しみに打ちひしがれているようでもあったし、憤慨を隠せないようでもあった。
さっきまで輝かしく真上を照らしていた太陽が、厚い灰色の雲に覆われていく。
雲は俺たち二人の間に影を落としていった。

「一週間前にそんなことが……」
パスコーの皺だらの手が、リンゴ一つ握りつぶしてしまえそうなくらい強く握られている。
それを見て、親父の死を心から悔やんでくれる人がいてくれてほんの少し安堵した。

「ところでロック、お前はこれからどうする?頼りにできる身寄りはいるのか?」
少し怒りと悲しみを抑えて冷静になったパスコーが思い出したように尋ねた。
「いや、親戚とかいねぇし……このまま靴磨きの仕事を継いでいくつもりだ。それだけじゃ足りねぇだろうから酒場でピアノとかバイオリン弾いて小金を稼ぐくらいは掛け持ちしねぇと」
幼い頃、街に捨てられていたバイオリンを使い、モーツァルトを弾いたことがある。
一時期世話になった教会のオルガンで軽く習ったため、鍵盤楽器の扱いも可能だ。
以前は小遣い稼ぎ程度に路頭でバイオリンを弾いたり酒場でピアノの演奏をしていくらか貰っていた。
いずれ使えると踏んで習得した能がようやく役立ちそうだ。

「とにかく今は金を稼いで食い扶持を確保する」
そう言いながらパスコーの方を見やると、少し悲し気な表情をしていた。
そして少し空を仰いで数秒考えて、俺の目を見て言った。
「ロック、お前をうちに……ニューリョック家に引き取ることもできるが」
パスコーの口調は真剣で、そして俺を同情しているような声色だった、

11:にしき:2018/05/08(火) 22:43

「うちに来ないか?パスコー。お前の腕は路頭でひっそり営むには惜しい。衣食住の保障もするし、お前の力を存分に発揮できるはずだ。悪くない話だろう?」
「……確かにな」

分かっている。
パスコーが俺の年齢と状況を考え、親切心と同情で誘ってくれたことは。
その日を暮らすこともままならない俺からしたら、衣食住の提供は非常に魅力的だ。
確かに悪くない話だし、むしろ俺なんかには贅沢すぎるほどの好条件である。

不覚にも、一瞬"覚悟"が揺らいじまったくらいには。

「……ありがとな、パスコー。でも悪いがその話には乗れねぇ」
「正気か?なにか不足でもあったのか?」
こんな条件、断られると思っていなかったのだろう。パスコーは焦りと不安に満ちた声で取り乱していた。
彼の厚意を無視することに、少しばかり罪悪感がじわじわと滲んでくる。

「悪い話じゃねぇし、むしろ俺には勿体ないくらいだ。けど、俺はいずれあの貴族に復讐するつもりだからよ。ニューリョック家の使用人から殺人犯が出たとなると、ニューリョック家の名誉に関わる。それだけは避けたい」
「ロック、お前……」

パスコーは心配そうな顔をした後、じっと俺の瞳孔を見据えていた。
その視線はまるで俺に人を殺める覚悟が本当にあるのか見極めているようだった。

「この落とし前は俺がつける。だからパスコーに世話になるわけにはいかねぇんだ」
俺はあの貴族に復讐してやると誓ったんだ。

いつの時代でも、いくら法を変えようとも王を変えようとも国を変えようとも、殺人は罪になる。
人の命を奪うということは、何よりも重い十字架を背負うということ。
犯した者には報いとして相応の処罰が求められる。
それがこの世の真理だ。

それは、向こうだって例外じゃない。
この世に生きる限り、その真理は守られなければいけない。

いくら神が許そうとも、俺が絶対に許さない。
あいつらが法で裁かれないというのなら、一体誰がこの悪夢を終わらせてくれるのだろう?

「俺は覚悟したんだ。復讐してやるって。パスコーが止めるっていうんなら、俺はパスコーとも縁を切るつもりだ」
向けられた見極めるような視線に応えるように見つめ返す。
交差した視線が張り詰めている。

俺の耳からは、周りの馬車の音も、話し声も靴が大地を踏む音も、全てが消え去った。
ただゆっくりと風の音がするだけだった。

──数秒の沈黙が流れ、パスコーははぁ、と疲れたようにため息をついた。
「ロック、お前らしいな」
ただそれだけ言って、諦めたような笑みを浮かべた。
俺の意を汲んだのか制止も叱咤もしなかった。

彼はゆっくり木椅子から立ち上がると、おもむろに白い手袋を外して手を差し伸べた。
「お前の意思を尊重しよう。もし何か協力できることがあれば言ってくれ。こっちもその貴族について調べてみよう」
「ありがとう、パスコー」
差し出された皺の多い手を取り、握手を交わした。
俺の手と違ってゴツゴツしていて温もりがあって、そして皺が深く刻まれていた。
俺より数十年も多く生きた勲章である。
何年も前に握った親父の手の感触と、似ているような気がした。

「んじゃ、靴磨き続けるか」
「おーそうだったそうだった、すっかり忘れていたよ」
厚い鼠色の雲はいつの間にか空を流れ、太陽が暑いくらいに真上を照らしていた。

12:にしき:2018/05/12(土) 16:12

──その日の夕方。

二、三人の客の靴を磨き、その日の業務を終えた。
カラカラと通り過ぎていく馬車の音を聞きながら、オレンジ色に染まった街道を眺める。
行き交う人々の中に、あの憎き男が紛れているのだろうかと考えながら。

パスコーの協力を得ることができたものの、やはり情報収集は厳しい道のりになるだろうとみた。
なんせ顔も名前も知らないわけで、手掛かりは声と靴──踵の高い白い靴、ということだけだ。
親父かお袋か、はたまた貴族の仕業かは分らないが、借金に関する書類は家から全て消えていた。
金融業を営んでいる貴族や財団は星の数ほどある。
一つ一つシラミ潰しに探していくのは無理があると踏んだ。



だがそれより現時点で先に解決すべきは……靴墨の問題だ。

道端に積んだ四つほどの靴墨の缶を見て軽くため息をついた。
そのうちの一つの缶を手で持ち上げ、缶の軽さにまたため息をつきそうになる。


靴墨は革靴を磨く際の仕上げとして塗るクリームだ。
艶出しはもちろん、革の保護や栄養補給、色の保持に欠かせない道具である。
革の色に合わせて黒や茶、無色透明など様々な色があり、靴の色に合わせて使い分ける。

その中でも茶色の靴墨は消費が早く、最後の一缶も底が見えるくらいに減っていた。
親父は生前、行きつけの靴屋で道具を購入していると言っていたが、店舗までは掘り下げて尋ねなかった。
缶にメーカーや店舗も記載されておらず、ただ缶の蓋に『SHOE POLISH』と手書きで書かれたラベルが貼ってあるだけだ。

別にすぐ近くの店舗で売っている靴墨でもできないことはないのだが、如何せん品質が悪い。
もちろん値の張る高級な靴墨なら高品質だろうが、俺の手が届くほどの靴墨はほとんど満足のいく仕上がりにならないだろう。
靴墨は磨いた靴の仕上がりを左右する。
どんなに腕が良くても、靴墨が悪ければ最高の艶を出すこともできない。
だから親父が買えるくらいの値段で、かつ高品質なこの靴墨を何としてでも入手したいのだ。


「いつもどこで買ってんだよ親父は……」

そんな嘆きは、落ちていく夕日に溶けていった。

13:にしき:2018/05/13(日) 21:03

翌日、朝早くから俺は知っている限りの靴屋を巡り、例の靴墨のありかを調べた。
だが近場で知っている靴屋には置いておらず、どこの製造元なのかすら不明のままだった。

最後の店の店長は、人柄の良さそうな初老の男性だった。
「この靴墨、なかなか良い蜜蝋を使っているねぇ。これは結構高いんじゃないのかい?」
「俺の家庭でも頻繁に購入できるくらいですから、それほど値の張るものではないと思うんですけど」

結局最後の靴屋にも置いておらず、靴墨の調達はお手上げだった。
しかし、意外にも収穫はあったのだ。

「そういえばあなたは確か、カイジョーアさんのとこの息子さんだね?」
「あぁ、はい。よくご存じで……」
この初老の男性とは初対面だし、どこで接点があったのかは分からないが、恐らく親父かなんかの知り合いだろう。
「この前街で親子二人が靴磨きをしているのを見てね。なかなか良い腕だと気になっていたんだよ。知り合いに訊いてみたら、この辺では結構有名な靴磨き師だそうじゃないか」
「そうなんですか……」

意外にも俺たちの存在は広く知れ渡っているらしく、怖いような嬉しいような気持ちが入り混じった。
知名度が上がって客が増えるのは嬉しいが、かえって例の貴族に目を付けられかねない。

「そういえば、何週間か前、カイジョーアさんをカギトニア国道で見かけたよ。そこの靴屋……確か『ピッキング』といったかな、そこに入ったのさ」
「それ、本当ですか!?」
思わず前のめりになるような形で身を乗り出してしまったが、そんなことはどうでもよかった。
男性は少しびっくりしたように後ずさり、小さくうなずいた。

「ありがとうございます。『ピッキング』ですね」
俺は飛び出すような勢いで店を後にし、カギトニア国道まで走っていった。

14:にしき:2018/05/25(金) 16:15

誠に勝手ながら、宮廷靴磨き 〜シュージャンボーイ〜を加筆修正しつつ別サイトに移行しています。
もし閲覧されている方がいらっしゃいましたら、把握をお願いしますm(_ _)m
後日サイトのURLを貼ります。

15:にしき:2018/06/02(土) 19:15

小説投稿サイト、エブリスタに
『宮廷靴磨き 〜shoes shine boy〜』
として作品を投稿させて頂きました。
https://estar.jp/_novel_view?w=25076935

今後はそちらでの更新となります。
何卒よろしくお願い致します!


書き込む スレ一覧 サイトマップ ▲上へ