冴えない男子高生が女装でミッション!?
男心は男が攻める!
ハニートラップで裏社会のミステリーを解き明かせ!
※グロ表現はそれほどありませんが人が殺されます
──僕は顔を隠して生きている。
10年以上前に誘拐されたことが発端だ。
リーマンショックの頃だった。
見目好い子供を攫っては子供に恵まれない金持ち夫婦に売り捌くという犯罪が横行しており、僕はそれに巻き込まれたのだと両親は語る。
記憶が薄くて思い出せないが、警察が匿名の通報から監禁場所を特定し、僕は運良く助かったらしい。
事件以来、母は僕の顔をやたら隠したがった。
あなたは人目を引く顔立ちだから、と。
親の贔屓目だとは思ったが、震える母を安心させる為にしぶしぶ顔を隠して生きている。
特に手入れをしていない枝毛だらけの黒髪、黒縁フレームの丸メガネ、口元を覆い隠すマスク。
漫画やアニメにしか出てこないような、典型的な陰キャ要素を盛りに盛り込んだスタイルは逆に目立つ。
──放課後。
ホームルームが終了したので席を立つと、背後から忍び言が耳に入った。
「こんな格好ドラマとかアニメの中だけかと思ってたわ、草」
「てか名前なんだっけ?」
「萩虎蜜義(はぎとら みつよし)?だったと思う」
「存在薄すぎて忘れてた」
おしい、僕の名前は萩虎 蜜義(はぎとら みつぎ)だ。
席替えで運悪く教室のど真ん中の席になって変に目立ってしまい、何かと好奇の目を向けられるようになった。
無駄に良い耳は聞きたくもない話まで拾ってしまう。
噂されるだけならまだ許容範囲内だが、絡まれるのは面倒。
「なぁ〜萩虎さーん! バッティングセンター行かね?」
「おい佐川やめとけ、骨折れるって!」
「それもそーだよな!」
「じゃあボーリングにするか?」
運動部なのだろう、程よく日に焼けた男子数人が僕の机を囲む。
僕の席は鍋じゃないんだぞ。
教室中に嘲笑が広がった。
明らかに好意からではない誘い。
「……用事あるんで」
こんな地味な格好はしていても、別にコミュ障ではないのでハッキリ断る。
赤髪や金髪を押し退けると、背後から舌打ちが聞こえた。
ぶるりと心臓が震えたが、ついて行ったところでATMにされるのがオチだ。
それに、用事があるのは嘘じゃない。
「あー蜜義(みつぎ)! やっと来たか!」
車高が低く、スタイリッシュなスポーツカーは路地裏に不釣り合いですぐに分かった。
「親父! どこに車停めてんだよ……」
「仕方ないだろー、学校に駐車するのは流石に目立つし」
「まぁ……確かに」
後部座席のドアを開け、スクールバッグを放り投げて座る。
親父はパリッと糊のきいたシワひとつ無いワイシャツに、濃紺のジャケットを羽織り、ウィンザーノットでネクタイを結んでいた。
イギリスの大使館で働いていたせいか、ウィンザーノットをやたら好む。
「パーティは19時からだけど、1時間前から会場は開いてるからそこで着替えよう」
「ん」
助手席に置いてある紙袋を取って中を確認すると、中々上等なスーツ一式が綺麗に折り畳まれていた。
ご丁寧にネクタイピンとカフスボタンまで用意されている。
ドレスコードが厳しいような所なのかと怖気づいている内に、車は走り出した。
親父は外交官で、度々有名人や政治家が参加するような大規模なパーティーに招待される。
今日は看護師の母が夜勤で夕飯を用意できず、親父がどうせならパーティーの料理を夕飯にしよう言い出し、その為だけに俺もパーティーに参加することになった。
有名企業が主催する家族同伴が可能なパーティーらしく、子供を連れてくる人も多いらしい。
小一時間ほど経つと、ヤシの木の並木道が窓ガラスを滑るように流れていく。
南国のリゾートを模しているらしく、外国人観光客もぽつぽつ歩いている。
「あー着いた、ここだよ」
「うわ、でけぇ」
親父は"parking"の文字が踊るネオンの看板に従い、右折した。
かなり巨大な高級ホテルで、ナイトプールや大道芸、マジックショーで賑わっている。
会場はこのホテルに設けてある大ホールを貸切にして行れるらしい。
「俺は挨拶しなきゃいけない人がいるから、着替えたら好きに回ってていいぞ。招待状あればほとんどの所は入れるはずだ」
「分かった」
親父は車の鍵をかけると、そう言い残して忙しそうに行ってしまった。
残された僕は悪目立ちする眼鏡とマスクを外し、ホテルのエントランスに入る。
ゴテゴテと装飾の多いシャンデリアがフロア一面を照らす、いかにも高級ホテルって感じのロビーだ。
学ランが不釣り合い過ぎて恥ずかしいので、一刻も早く着替えたい。
受付の女性に招待状を見せて事情を説明すると、快くトイレへ案内してくれた。
「お着替えが済みましたら、またお声かけくださいね」
「ありがとうございます」
着替え一式が入った紙袋を抱え、トイレへ入ろうとした時だった。
「あーもう、なんでよりによって男子トイレ……」
一人の女性が男子トイレ前に膝を抱えて座り込み、ガラケーをカチカチと打ち込んでいた。
令和にもなってガラケーは珍しいな、と何となく視線を向ける。
肩まで伸びた紺碧の髪が、ぱさりと揺れた。
青と白を基調としたサテンのカクテルドレスは赤い絨毯に良く映える。
「どうしよ……男装……いや無理無理無理無理……」
白い肌は心なしか青ざめており、脂汗が滴っていた。
見るからに具合が悪そうだ。
軽く声をかけて、何かあればホテルスタッフに丸投げしてしまえばいい。
「……大丈夫ですか?」
のろのろと顔を上げた彼女の瞳孔が顕になった。
一言で表すとしたら、夜空以外思いつかないような、そんな瞳。
次の瞬間、彼女は勢いよく立ち上がり、僕の肩を爪痕が残るくらい強く掴んだ。
「えっ、あの……?」
「ねぇ君〜!」
脳震盪を起こしそうな勢いで揺さぶられて気持ち悪い。
「ゔぇあ、あの!?」
やっと止んだかと思うと、鼻が触れ合うくらいの距離を詰められ、反射的に後ずさった。
「ねぇ! 君、ちんこ付いてる!?」
──その瞬間、沈黙が走った。
「────僕って……ちんこ……付いてないんですか……?」
「知るわけないでしょ! こっちが訊いてんのに」
「ゑっ? ゑっ?」
なに、この人、痴女?逆ナン?
それとも自分で気づかない内にちんこをどこかに落とした!?
誰かに拾われて悪用されたらどうしよう。
「あの……ちんこって交番に届きます……?」
「はぁ!?」
そっちから尋ねたくせに、なにドン引きしてるんだこの女!?
身体中の血液を脳に回してもパニックは収まらない。
恐る恐る股間に手を当て、スラックスの上から自分のちんこの安否を確かめる。
「……ちんこ……ありました…… 」
「あ゛〜よかったぁ〜、ちゃんと男かぁ」
「それはこっちの台詞なんですが?」
やっぱり逆ナンってやつなのかと身構えていると、彼女は胸元に付けていた青いの薔薇のコサージュを外し、僕の胸ポケットへ乱暴に突っ込んだ。
「いい? トイレに入ったら『皇帝と王様、どちらが腹黒い?』って尋ねられるから、『王様だ、なぜならキングペンギンは雛の時に毛が黒い』って答えて! そして渡された物を私に渡して!報酬は弾むから、ね!?」
よく噛まずにベラベラ喋れるもんだなと感心したが、具合が悪いわけじゃないなら関わりたくない。
どうやら取引の待ち合わせ場所を男子トイレに指定されてしまい、女の自分が入れないから男の僕に代行を願い出た、というところだろうか。
犯罪の匂いがする。
「いや僕は早く着替えたい……」
「いーから! お願い!」
「おい!」
僕は咄嗟に二階のトイレへ向かおうとするも、素早く手首を捕まれ足を踏まれ、一瞬の内に拘束されていた。
「なっ、いつの間に……!?」
「後はよろしくぅ!」
「ちょっと! うわぁ!」
断る余裕も与えられず、強引に男子トイレへ突き飛ばされ、勢い余ってたたらを踏んだ。
体勢を整え、周囲を見回す。
鏡の前に立つ初老の男性が鏡越しに映る僕を見ていた。
グレースーツの胸ポケットに僕と同じ青い薔薇が挿入されているから、恐らくこの人が彼女の取引相手だろう。
よくよく見ると、青い薔薇に数ミリのライトが点滅している。
ただの薔薇のコサージュじゃなくて、GPSか何か仕込んであるな、これは。
「……皇帝と王様、腹黒いのはどちらだ?」
低くドスの効いた声。
洋画の吹き替えができそうなくらいなイケボだ。
「……王様です。幼少期のキングペンギンは毛が黒い」
「ほぉ〜ん? 君が例の子ねぇ〜ん?」
「はぁ……」
合言葉が通じたらしく、僕が取引相手だと分かると先程の声はどこへやら、一気にオネエ口調になる。
顔立ちが整ってるとはいえ、中年男性がオネエ口調でクネクネしているのはちょっとクるものがある。
つーかこんなトンチが合言葉なのかよ、一休さんが敵のスパイじゃなくて良かったな?
「変装は上手いと聞いていたけど、本物の高校生かと思って驚いたわぁ〜。ま、アタシの好みのタイプじゃないけど」
「ははっ、僕もイカついおじさん想像してたのでびっくりです……」
正真正銘、僕はただの、ちんこのついた現役男子高校生です。
「それじゃあ、約束の物を」
朗らかだった男性(?)の顔が引き締まり、僕も自然と真剣な眼差しになった。
なんだかスパイ映画にありそうな展開だとちょっと心躍る。
成り行きと勢いで引き受けてしまってはいたが、スパイ映画は嫌いじゃない、むしろ好きだ。
男性はジャケットの内ポケットから──ブーブーびっくりチキンを取り出すと、こともなげに俺へ手渡した。
──プゥー。
緊張感の走る取引現場の中、プゥプゥと間抜けな鳴き声が響き渡る。
子供用の靴で歩く度に鳴るみたいな、あの音。
「……え」
ブーブーびっくりチキンを渡されて戸惑っていると、男性は微笑を浮かべた。
「最近娘が遊んでいるのを見てハマってねぇ〜、それケンタッキー州限定のブーブーびっくりチキン。ブーじゃなくてプゥって鳴るのよぉ〜レア物よ〜?」
「そ、そうなんすか……え、例のものって……」
こんな仰々しく取引してる割にはクソどうでもいい玩具かよ!
緊張感一気に引いたわ。
ていうかこのオカマ、娘いたのか……。
それにこのブーブーびっくりチキン眼力やばいから目が合うとすげぇ怖い、こっちみんな。
「どうも……それじゃ」
廊下に着替えも置いたままだし、早く回収して着替えてパーティーに参加しなければ。
これをあの女の人に渡せば解放される……。
焦る気持ちでトイレのドアノブを握ると、僕が回すより先にドアノブが回転した。
「よぉ僕ちゃん、ブツを寄越しな」
「へ……」
驚いて見上げた時には、額にガチャリと固いものが突きつけられていた。
冷や汗が頬を伝い、顎から滴る。
「引き金を引かれたくなきゃ、大人しく"例の物"を渡せ」
僕より何倍も太い腕が、ドアの隙間から覗いていた。
「おい、なんだよ!?」
突きつけられた銃口から遠ざかろうと退くも、男は僕の額を抉るようにして詰め寄る。
欧米系の筋肉質な男性で、僕とは対照的に日に焼けた肌が逞しい。
「あらイイ男〜。でも野蛮なのは好みじゃないわ」
「た、助けてくださいよ!」
「名が知れた捜査官の割には情けないわねぇ。所詮ぶりっ子。アタシはちゃんと届けたからね」
後ろを向いてオカマのおじさんに助けを求めるも、引き止める間もなく窓から飛び降りて逃亡してしまった。
あのオカマぁぁ!
ついでに言うと僕は捜査官でもなんでもないし、ぶりっ子してない、可愛くない!
「仲間にも見捨てられたか」
すぐに顎を掴まれて顔を向き合わされ、今度は左目のすぐ目の前に銃口を向けられる。
まつ毛をかすめる程の近距離、撃たれれば失明は免れない。
「あ、あんなオカマ仲間じゃねぇ〜!」
「ダジャレを言う余裕があるみたいだなぁ?」
「違うんです、わざとじゃないんですよぉぉ! マジで撃たないでぇ〜!」
恐怖のあまりチビりそうになり、ちんこを引き締めて我慢したら目から水が止まらなくなった。
すぐ横に便器があるのに用を足せない悲しさよ。
「例のブツはどこだ?」
「僕はただ女の人に頼まれただけで、し、知らないです……」
「目印は青い薔薇だって情報はこっちに入っている。ごまかせると思うなよ」
「例のブツ? ってらこれじゃないんですか……?」
そう言って握っていたブーブーびっくりチキンを鳴らしながら差し出した、次の瞬間。
──ビュッ
厚い風圧が僕の耳元を横切った。
その直後、背後でぴしっとヒビの花が咲き、散った。
バラバラと落ちていく鏡の破片に、僕の固まった顔が無数に映る。
一瞬なにが起こったか分からなかった。
……目の前の細い煙が立ち上るまでは。
「大人をからかうのも大概にしろ」
拳銃特有の火薬臭さと、備え付けられた芳香剤のフローラルの香りが混じっていびつな匂いが充満している。
映画にありがちな銃声音ひとつなく、静かに静かに割れた。
これでは通行人に気づかれるものも気づかれない。
「ほんとに何も知らなくて!僕を殺したところで何にもならないですよ!?」
「まぁいい。殺害タダだ。減るもんじゃねぇし」
「減るでしょ!? 僕の命が!!」
彼は僕のツッコミに返答せず、代わりに一発天井に向けて打ち込み、威嚇した。
カラン、と薬莢が落ちる金属音だけが響き渡る。