昔下書きしていたもの。今度はエタらないように頑張ります。
2:invincible◆oU:2020/10/27(火) 20:24 1944年9月15日、連合軍はペレリュー島に侵攻した。この島にはもはや戦略的価値はなかったが、海軍が陸軍に張り合うためだけに、攻撃を受けてしまったのだ。連合軍の兵力は圧倒的で、同島は簡単に占領できるものと考えられていた。しかし、日本軍の抵抗は頑強で、1ヶ月かかっても陥落せず、連合軍の損害は甚大なものとなっていた。
血生臭い長月の風は過ぎ去り、神無月の夜風が連合軍の塹壕を吹き付けていた。だが、月は変わっても、硝煙の臭いと腐臭は、米兵たちを不快にし続けた。新たに敵陣地攻略に参加した第五海兵連隊の兵士らも、最初は、1000ヤードの凝視をしている第七海兵連隊の将兵らの肩を叩いて「ご苦労様、俺たちが来たからもう安心だ」などと呑気な事を言っていたが、今では第七海兵連隊や陸軍の第321連隊と同じ気分を長い間共有している。
そんな彼らにとって一番不快だったことは、睡眠不足である。上層部が、日本軍の夜襲を恐れて、照明弾を毎時毎時撃つものだから、煩く、眩しくてまともに寝ていられない。それだけではない、上層部が夜襲恐怖症を拗らせたせいで、就寝が交代制にされたのだ。起きている間は、見張りをやる事になる。いつ、日本兵に狙撃されるかという恐怖と戦いながらである。上層部のこういった対応は、果断であったし、効果もあったのだが、前線の兵卒には傍迷惑な話であった。
ある日の夜、歩哨のムーア一等兵は、同期のキャンベル一等兵と共に、気だるそうに日本軍陣地の方を見張っていた。キャンベル一等兵が欠伸をした時、2人の顔がパッと明るくなり、聞き慣れた爆音が唸った。味方が照明弾を撃ったのだ。すると、ムーア一等兵が伸びをして、
「綺麗だな」
と独り言のように言った。この言葉が、彼が最期に発した言葉になった。一発の銃声とともに、一等兵の顔面は吹き飛び、血と脳漿を撒き散らしながら一等兵は地に伏した。キャンベル一等兵は、ムーア一等兵の死体を見て、顔を引攣らせると、数歩後ずさりして、
「ジャップだ!」
と断末魔のように叫んだ。そして、それは彼の断末魔となってしまった。彼は、ムーア一等兵の亡骸に折り重なるように斃れた。
彼の叫び声を聞いた米兵たちが一斉に飛び起き、塹壕によじ登って、射撃を始めた。撃ち合ってまもないうちに、新兵たちが転げ落ちてくる。1000ヤード先を凝視しながら。
いつしか、銃声は止み、風音と米兵の呻き声や罵声のみが塹壕内に響きわたるだけとなった。日本軍は機敏で、大勢の米兵が殺到した頃には煙のように消えてしまっていた。いくつかの分隊は、悔しさを噛み締めながら負傷者の応急処置をしている。アーネスト・パターソン軍曹の分隊もその一つであった。だだ、彼の分隊は、死体の回収も行なっていたが。この分隊に所属しているジェラルド・ホランド一等兵は、頭を吹き飛ばされたムーア一等兵の死体を運ぶことになった。彼は、原型を留めていないムーア一等兵の頭に触れると、すぐに手を離して、口元を押さえた。飛び出した脳みそや、死体独特の臭い、血のヌメヌメっとした感触は、まだ軍人になって間もないホランド一等兵を嘔吐させるには充分であった。そんな彼を見かねて、この分隊の数少ない古参兵であるバトラー伍長は、
「ホランド一等兵、俺が変わるよ。ちょっと休んどけ」
と言って、彼の腕を掴んで、下がらせると、血まみれの死体を手慣れた様子で担ぎ、陣地の奥の方へ運んでいった。
死体や重傷者を見て吐き出したり、発狂する新兵は、ホランド一等兵だけではない。死体や重傷者と生身で触れることに慣れていないものは、本土でいくら大言壮語を吐いていても、嘔吐してしまうものだ。だから、パターソン軍曹は、新兵たちは軽傷者に回して、古参兵たちに死体や重傷者を任せることにした。ここペレリューでの戦闘では、古参兵すら1000ヤードの凝視をしているぐらいだ。新兵など、簡単にそうなってしまうだろう。ともかく、辛い作業から解放された新兵たちは、
「なかなか話がわかるじゃないか、うちの軍曹は」
などと軽口を叩きながら軽傷者たちの所へ向かった。
ホランドが作業を終えて、眠りにつこうとした時、彼ら下っ端には滅多にお目にかかれない士官兵たちが大勢、慌ただしく塹壕内を走り回っていた。ホランドは、ひょっとしたら日本軍が攻めてこようとしているのではないかと思い、体を震わせながら、飛び起きた。そして、陣地の奥の方から血まみれで出てきた上等兵をつかまえると、その上等兵の両肩を掴んで、
「何があったのですか?」
と早口で尋ねた。上等兵は、ちょっと耳を貸してくれと、ジェスチャーすると、ホランドの耳に口を近づけ、震えた声で、
「第1海兵師団参謀のハンキンス大佐が視察中に射殺された……」
ホランドは怯えた声で、
「なんだって!?」
と小さな声で叫んだ。兵卒にとって、尉官ですら、雲の上の存在なのだ。その尉官より上の佐官、しかもそのトップの大佐までもが戦死したのだ。掃いて捨てるほどいる兵卒である彼が、自分の命に一切保証はないという事を思い知らされるには十分過ぎた。ふいに、ホランドの体の震えが止まった。だが、それは彼の恐怖が緩和されたからではない。より強い恐怖に震えることすらできなくなったのだ。見かねた上等兵は、
「ブラー大佐の第1海兵連隊なんかは数え切れないほどの尉官がジャップにやられている。ジャップが一番元気だった時期だ。だが、今はもう違う。大佐は運が悪かっただけだ」
と言った。だが、上等兵の言葉はホランドから一切、恐怖心を除くことはなかった。むしろ、大佐ですら不運で死ぬのだと、後ろ向きな解釈をしてしまったのだ。また、少し前に、歩哨2人が瞬時に射殺されたのを見ているので、日本兵が弱っているとも思えなかった。
彼は、ぎこちない様子で元いた場所に戻ると、うつ伏せになって、必死に目を閉じた。だが、彼の脳は思い通りには動いてくれなかった。満足に眠れないまま、交代になってしまった。
ホランドはゆっくりと体を起こして、塹壕の外を見遣った。どこまでも真っ暗で、何も見えない。日本兵の姿なんて、分かりようがない。しかし、日本兵たちには、自分達の姿が見えているのだ。一人一人がレーダーみたいなものだ。そして、歩哨とはその化け物達に全身をさらけ出す事になる。さらに彼は、先程、射歩哨二人が射殺されるのを見ている。恐怖心は尋常ならざるものであったろう。実際、彼はずっと肩を震わせていた。そんな一等兵を心配したのか、パターソン軍曹は彼の肩を叩くと、
「銃声を聞いたらすぐに塹壕内に倒れろ。俺が受け止めてやる」
と優しく言った。ホランド一等兵は深々と頭を下げて、塹壕の外へと出た。早く終わってくれと願いながらである。
一等兵がちらりと横を見ると、陸軍の兵士がいた。救援に来た山猫部隊こと第81師団だろう。アンガウルの激戦を乗り越えてきただけあり、極めて精悍な面構えである。照明弾が上がるたびに、隣にいかつい男がくっきりと映ってくれるので、一等兵にとって、とても頼もしかった。だからか、一等兵の震えも止まった。それどころか、
「大丈夫そうかな?」
と軽口まで叩くようになった。ひょっとしたら、隣の陸軍兵が恐ろしくて日本兵は黙ってるんじゃないかとも思うようになった。しかし、「アンガウルの日本兵を粉砕した陸軍がいるのだから、日本兵は恐れているはず」という彼の考えは、極めて甘い見通しであった。日本兵が黙っているのは、恐れているからではなく、嵐の前の静けさに過ぎなかったからである。そのことを彼が知ったのは、照明弾の発射が途切れた時であった。彼の耳朶を銃声と叫声が叩いたのだ。彼はハッとして、隣を見た。そこにいたはずの陸軍兵はすでに眼下へ消えていた。彼は顔を痙攣らせて、小銃を構えた。そして、あたりを頻りに見回したが、彼の目では何も見えない。だが、日本兵にはくっきりと見えている。いつ撃たれるかわからないのだ。彼の身体は汗でびっしょりと濡れていた。10月の寒い夜にもかかわらずである。
さらに、銃声が聞こえた。だが、これは運良く外れた。彼は一瞬身体を硬直させたが、すぐにあたりを見回し続けた。その間にも、日本兵は次の銃弾を込めているというのに。しかし、彼にはそんな簡単なことを考える余裕はなかった。彼は、とうとう頭がおかしくなったのか、小銃の引き金に指をかけた。いるかわからない日本兵に向けてである。その時、何者かが彼の右足首を掴んだ。彼は初めて叫声を上げて、掴んできた手を銃床で殴りつけた。すると、彼は左足首まで掴まれ、塹壕内へ引きずりこまれた。
「おい! 倒れろと言っただろ! 」
彼が振り向くと、そこにはパターソン軍曹がいた。片手が腫れている。彼は慌てて、軍曹に詫びた。しかし軍曹は、特に怒ることもなく、彼に交代するように言った。
つらい夜が終わり、朝になった。朝になると、今度は連合軍の手番だった。海と空から支援を受けながら、森を焼き払い、トーチカを破壊して、とにかく日本兵の隠れ蓑を取り払うことに躍起になっていた。しかし、島の形が変わるほどの砲爆撃に、戦車歩兵の猛攻撃を受けてもなお、日本軍は怯まなかった。ハッチから顔を出した途端に撃ち殺される戦車長、燃料タンクを撃ち抜かれて、文字通り消し炭になる火炎放射兵というのは、米兵たちにとって見飽きた存在になっていた。一方で連合軍も日本軍の放棄した防御陣地や、自然の障壁をうまく使ってなんとか堪えていた。
ホランドもこの防御陣地の一つに潜んで、闇雲に目の前の茂みに向かって射撃を続けていた。銃撃が当たっているのか、それどころかそこに日本兵がいるのかもわからないが、とにかく銃弾をばら撒くことが重要だった。そのうちに銃声は味方のものばかりになり、いよいよいくつかの隊が制圧に向かい出した。ホランド達の隊は待機していたが、30メートルほど前進しても反応がなかったから、2、3人ほど顔を上げて様子を見るものがあった。バトラー伍長が気づいて、慌てて注意をしようとしたとき、茂みの方から数多の銃声が唸った。前進していた者たちは皆打ち倒されてしまった。顔を上げていた兵も小さい呻き声を上げて、動かなくなってしまった。
「畜生、卑怯な猿め」
と兵士たちが罵る声を、女のわめき声のような日本軍の軽機関銃の銃声がかき消していった。だが、これは日本兵の位置が完全に露見したということでもあった。連合軍はすかさずありったけの砲弾を茂みの奥に向かって叩きこみ、ついに日本軍を黙らせてしまった。しかし、それでも反撃は厳しいもので、連合軍もそれ以上前進できなかった。だから後は負傷兵の救護と残兵の掃討だけが彼らの任務だった。ホランド達は後者の任務に当たったが、探し回っても、もうほとんどの日本兵は見ただけで生きていないとわかるようなものばかりだったので、極めて退屈な任務でもあった。だから、ホランドはギアリング二等兵とコリンズ二等兵を連れて分隊から少し離れてサボろうとした。ちょうどいい木陰があったので、そこに3人で座ると、やや遠くに、陸軍兵達が塹壕から傷ついた日本兵を引っ張り上げているのが見えた。ホランドが何気なくそれを見つめていると、
「手伝いにいきません?」
とコリンズ二等兵が躊躇いがちに言った。どうも彼は自分たちだけ仕事をしないことに負い目を感じていたようだった。申し訳ない気がしたので、ホランドはそれを承諾した。