海賊の国、ボルザー。……と言っても無法者の闊歩する国という意味ではなく、海賊と称する義賊のような集団が王オルフェロスの政治を助けていたことからその肩書きがついたのだ。
海賊船は、有能で最強とも呼ばれた一人の若い女提督に率いられて、日々外交や賊の討伐、測量に明け暮れていた。………………9年前までは。
オルフェロス王が崩御し、その息子であるマクラヤミィが即位すると、海賊に熾烈な弾圧が加えられ始めた。
提督は行方不明となり、一味も分裂してしまう。……やがて跡継ぎを名乗る海賊団がいくつも現れた。しかし、彼らは横暴で、残虐で、非道だった。
……やがてボルザーは荒れ果て、悪逆非道な海賊が支配する国へと変貌する。
ついにはボルザー国を滅ぼそうと他国から攻撃が仕掛けられるようになった。……この危機に、英雄はどこにもいない。
[百合小説書いてる奴の女主人公小説]
[チート?かもしれない]
[人によっては地雷を感じるかもしれない]
[見切り発車]
[よろしくお願いします。]
海が見える酒場。……そう言えばロマンチックだが、その酒場から見えるのは海……そこに浮かぶ残骸や瓦礫等だった。海賊達の夢の痕……そう言えば聞こえはいいが、実際猛烈に邪魔である。
酒場から見える遠くの海に、攻撃を仕掛けに来た一隻の異国船が見えるが、それも瓦礫に邪魔されてなかなか上陸できないといった様子である。
……それを見ても、ボルザー本土に反応はない。
酒場はだいぶ古びていたが、そこそこの活気があった。……半ばヤケクソ染みた活気が。
「……おい店主、もう一杯くれ!」
「こっちもだ!」
酒。……飲まずにはやっていられないといった様相だった。
そんな喧騒の中で、よれよれのシャツを着た一人の女性だけが静かにブドウジュースを飲んでいた。美形な細身で、歳は30にいくかいかないかに見える。金髪の髪はよく整えられていた。
「……おい、そこの姉ちゃんよ」
程なくして彼女に声がかかる。
ゆっくりと顔を上げると、先程騒いでいたマッチョでスキンヘッドの男がそこにいた。
「少し頼みがあるんだがなぁ」彼は薄く笑いながら声を出す。
……女性が周囲を見渡した時、いつの間にか酒場の全員の視線がこちらに集中していることに気付く。
「……なんでしょうか?」警戒を少しだけ声の調子に含ませ、反問する。
「有り金も身ぐるみも、全部ここに置いてけよ」
笑いの調子は変わらない。……ただただ普通のことのように。
「……はぁ。で?」
しかし女性はあろうことか首を傾げてみせた。……それだけで沸点が低い男は声を張り上げる。
「で?じゃねえんだよ!!いいか?俺らは泣く子も黙る海賊だ。……逆らったらどうなるか……分かってるよなぁ?」
周囲の屈強な男どもが一斉に得物を構える。ダガー、木刀、長剣、槍……室内で振り回すには危なすぎる代物である。
しかしそれを見ても彼女は冷静である。
「……短気すぎないかな」
苦笑いを浮かべる。
「外見た?今ここで争ってる場合じゃないよ」
そして静かに諭す。……しかし、短気な荒くれ者である男どもは聞く耳をもたなかった。
武器が一斉に振り下ろされる――――直後、何かが起こった。
何かが起こった────というか、酒場の壁が······異国船からの大砲射撃で吹っ飛んだ。
風圧や飛び散る破片、そして何より砲弾で、屈強な男共は次々となぎ倒されていく。······また、吹っ飛んだのは、大きめの破片を食らった女性も同じだった。
破片やその他諸々を食らわずに済んだ男共は顔を見合わせる。······風穴から見えるは、こちらに砲門を向ける異国船。
血の気が引く音が響いた。
「······いてて······」
その直後のことである。······たった今出来たばかりの瓦礫の山から、さっきの女性が呻きながら出てくる。······その体には割れた木材がいくつか刺さっていて、···血が相当流れていた。
それを見た男共は、再び血の気が引くような思いを味わった。······即死してもおかしくないダメージは負った筈なのに────という思いと、単純に絵面が悪かった。
他に巻き込まれた物の死体が、臓物が周囲に転がっていた。
······それでも、彼女は立ち上がる。
体に刺さった木を引き抜くたび、血が噴き出す。その血を浴びながら、穴の向こうの異国船を見据えて、
────「あの船を沈めます」。
空気が凍りついた。
声すらも出ず。
······そこでもう一発、砲弾が放たれる音が響く。
「······っ!!」
丁度風穴にそのまま入る軌道。
······女性は、近くにあった樽を無造作に抱えると、全力で······向かってくる砲弾へと、投げた。
炸裂する。
樽の中身はアルコール。それも純度がかなり高かったようで、砲弾に激突した瞬間炎上した。
距離がかなりあったので、幸いにも火は酒場には燃え移らなかったが────
「······今度は火薬入り砲弾······?徹底的に破壊するつもりかな」
炎上しながら落ちていく樽を見て、女性は一人呟く。そして、くるっと振り返り、
「誰か、私と行ってもいいという人は?」
静まり返る場に、問いを投げかける。
……その時、男どもより早く、今までずっと無言を貫いてきた店主が手を挙げた。
「……乗った。ここまでされて黙ってる訳にはいかないからな」
俯いていた顔を上げる。視線は壁に空けられた風穴に、……そして次に女性に。
不敵な笑みは期待ゆえにであった。
「ありがとうございます。……他には?できれば操舵ができる人だと助かる」
女性がそう言った時、再び砲弾が飛んできた。……が、今度は最初に飛んできた火薬入りでない砲弾を掴んで投げ、炸裂させた。もはや人間ではなく、別の生物と言われても男達は信じるだろう。
……そしてようやく手が上がる。
「……俺より操舵が上手い人はみんなさっきので死にました。……一応、下手ですが出来ないことはない」
そう言って、破片の直撃から間一髪で逃れたらしい男が歩み出てくる。彼も彼で傷を負っていたが、歩けない程ではない。
「……うん、他には?」
女性は頷いて歓迎する。……そして再び問いを投げるが、返答はもう無かった。
酒場の調理室兼倉庫内。中を一通り眺め、女性が尋ねる。
「武器とかはありますか?」
「……ん?いや、あんたなら素手でいいだろ……と言いたいところだが、ほれ」
そう言って店主は彼女に、よく手入れされているカトラスを渡す。そして彼はというと、壁に飾られていた銃を外してその手に握る。
操舵を任された男は、「この中から選べ」と渡された箱の中身を見て驚愕した。……数、種類、質……どれにおいても一級の装備がぎっしりと詰まっていた。
「……………」
そのまま固まっていると、店主がそれを覗き込んできた。
女性はいつの間にかドアを開けて酒場の中に戻ったらしい。
「さっさと選べ、もう一発来るかもしれんぞ」
「……これで」
彼が選んだのは軽い長刀だった。
……それにしても、これほどの物がある、ということは、ここの店主は昔海賊の一員だったのだろうか。
男はそのことを質問してみる。
「……ああ。結構前になるが、俺はとある海賊団の一員だった。……それが今ではこのザマさ」この銃はその時からの相棒なんだ、と付け加える。
男が黙っていると、再び轟音が轟いた。……どうやら女性がまた砲弾を迎撃したらしい。彼女が入って来る。……出血は未だ止まっておらず、よれよれのシャツを濡らしていた。
「準備できた?」
僅かに顔色が悪くなっている。
「ああ。早速行くか。あんたならどうかできそうだ」店主は気軽な調子で言う。
「……その前に、包帯くらいは巻きませんか」
瓦礫に隠されていたのは超小型帆船。
ここに、今……反撃の時間が始まる。
その帆船に乗るのは、超人とは言っても包帯を巻いた女性、寂れた酒場のマスター、そしてゴロツキの新人操舵手。誰がどう見ても寄せ集め、烏合の衆であった。────筈なのに。
狙いを変えた敵の大砲が火を吹く。······しかし、それは命中することなく、盛大な水柱を上げて海に沈んでいく。
「風向き良好······視界完璧······風強し!うん、次はそっちに帆を向けて」
女性が操舵手に向けて指示を出す。
「了解しました!······えっと、こうですか?」
「うんそう。······いやー、上手いね。これで敵の狙いを読めたらどんどん成長できるよ!」
「僕の専門は操舵手なんですが······っ、どわぁっ!?」
その直後。大砲の数が増えたのか、周囲に大量の水柱が上がり、舟に乗る三人にも水がかかる。
さしもの超人もそれには肝が冷えたようで、
「······ナイス。」
とだけ言った。
「おい、やけに景気いいじゃねぇか!お前ら大砲の弾一発に使う金の量知ってるか!?酒場が一日に稼げる分の数倍だぜ!」
今まで黙っていた酒場のマスターが突然敵船を煽りだした。さすがに元海賊なだけのことはあるようである。
······そして、
「さて、そろそろ俺も動くかな」
突然静かになり、持っていた銃を持ち上げる。
······女性がその銃口の先を目で追うと、豆粒くらいにしか見えなかった一人の砲手が海へと落ちていった。
「うひょ!やるねぇ!!」
その様子を見た彼女はとても楽しそうに笑う。
そのまま目を敵船に向けると、
「あれ?あれは······手漕ぎボートだね。直接攻撃するつもりなのかな?」
······そこから大量の舟が下ろされるのを見た。中には筏もある。
「······読めたぞ。あれは近距離戦闘用の砲を積んでないやつだな。攻城用か······?」
砲手を次々と深淵に落としながら酒場のマスターは分析する。「数が多すぎる、俺の武器じゃ倒せん」
「どうするんですか、砲弾は躱せますがあれはきついですよ!」
操舵手が泣き言を言い始めた。
「成程ねぇ────うん、躱せなきゃ粉砕するのみだよ?」
「え、」
直後、後ろに乗っていた女性がようやく動いた。
数回伸びをして、······そのまま大きな水音を立てて海に飛び込む。
────「はあああああああっ!?!?「うわ、やった」」
上がる水柱。舟の上にいた二人の声が重なる。
「いや、ちょっと待ってください······まだ危険なんですよ!?」
新人操舵手は叫ぶ。砲手はかなりの数が落とされていたがまだ周囲には大量の弾が降り注いでいる。
今までの細かく躱す軌道から大きく回る軌道に切り替えたはいいが、まだ未熟の自分の操縦ではそのうち砲弾が直撃するだろう。······そんなことを考えて空を見上げる。······灰色の空が悠々と流れつつこちらを睥睨していた。
「······まあまあそんな焦んな。ほら、これでも呑め」
どこに仕舞ってあったのだろうか、そう言いながら酒場のマスター兼狙撃手が取り出したのは葡萄酒の瓶である。そして彼はこれまた何処かから出てきたコップになみなみと紫の液体を注ぎ、気軽な調子で操舵手に手渡した。
ならず者の性で反射的に受け取ってしまったが、直後に操舵手はそれを突き返した。こんな状況で呑めるか、とでも言いたげである。
「つれないな······まあいいさ、慎重なのはいい事だ」
相手がそう言って引き下がったのは彼にとって幸いだっただろう。
そして数十秒が過ぎた。
マスターの銃弾を受けて脱落した船こそあれど、······もはや敵の小船の群れはこちらの舟を半包囲しようとしている。これまでか、やはり無理なのか────と操舵手はこの日何度目かわからない後悔を始めた
しかし······突如、敵の本船に異変が起こる。
具体的には傾き始めた。結構盛大に。
そして次の瞬間────ずどんっ!!!という鈍い音と共に、沈み始める。
「············え??」
その声は誰の声だっただろうか。
かつては憐れな小舟を睥睨していた空が、そこに乗る二人が、敵であるはずの大量の船の船員が······急転する状況に取り残された。······そして一人、状況を作っているのは、
「······ふふん。いっちょあがり!!!!」
周囲に朗々と響き渡る声の持ち主······先程飛び込んだ、女性だった。
あれからおおよそ10分。降参した敵を全員捕え、流れてきたロープで全員を縛っておいた三人は悠々と酒場に凱旋する······すると、酒場は既に粉々になっていて、もはや見る影も無かった。
「······あちゃー」
功労者たる女性はそう呟いて軽く頭を掻いた。その顔はさほど深刻な様子でもない。······他の二人に比べれば······彼女は部外者であるから。
「······さーて。盛大にやってくれたなあの船······」
「やっぱり防ぐものがないとこうなるのか······これからどうします?」
「それより俺は······おい、どうしてあの船を沈めたのかが聞きたいんだが。流石に腕力だけじゃ無理だろあの大きさ」
······しかしどうやら二人とも、酒場が粉砕されたショックよりも敵船が一人によって沈んだ衝撃の方が大きいようである。マスターがどうやって沈めたのかを女性に尋ねた直後、操舵手も「それですよね」と言った。······話の中心から抜け出せない彼女は再び頭を掻く。
「うーんとね······まずは言った通り、向かってきた小船を片っ端から沈めようとしたんだけど、思いの外材質が硬かったから諦めたんだよ。で、そこから一気に敵の本船に向かって······取り付いてからちょっと探してたら、木材が腐りかけてる場所あったから、そこに穴を空けて入ったんだよ」
ここで彼女は一旦息をつく。······なんでもないように言っているが、いくら敵船の整備が不十分だったとはいえおかしいのはこの女性の方なのだ。
「思ったより大きな穴が空いてさ······想像以上に傾いたよ。でもまあ、なんとか火薬庫までたどり着いたから······そこでドカン、ってね」
······どうやらだいぶ端折って説明したらしい。本当ならもっと様々な事が起こったはずだ────と操舵手は思うが、それは言わないことにした。
目の前の女性は異次元の存在である────それだけで彼にとっては十分だった。
「······でさ、二人とも······これからどうするの?」
「「············」」
いっそ無邪気な調子で質問してきた女性に返されるのは沈黙だった。方や家兼商売の場所を破壊され、方や仲間が完全にいなくなった。行くあてがない······情が薄い者達とはいえ、堪えるものはあるのだろう。
「······じゃ、こうしよっか。二人とも、私の仲間にならない?今なら二代目の伝説になれるチャーンス☆」
「······は?」
「······え?」
ある程度察しはついていた筈なのだが······それでも二人は固まってしまった。
その真っ白な脳に、再び女性の声が響く。
「本名は言えないけど······私は『提督』。九年前にいなくなったあの海賊団······そのリーダーだった人だよ」
「······なぁ、質問なんだが······」
「ほい?」
「お前の今の仲間は······何人だ?」
「······あー、うん。ちょっとその前に、二人とも名前を聞いていい?いい加減辛くなってきた。主にs······いやなんでもない」
酒場の元マスターの問いかけに女性────いや、『提督』はそう答えた。仕方ないな、という調子で二人は応じる。
「スコープだ。苗字は黙秘させてもらおう」
「ラスク・ブロンドスカイです。······元の仲間からは苗字とか名前では呼ばれなかったんですけどね」
酒場の元マスター改め、スコープ。新人操舵手改め、ラスク。それがこの二人の名前だった。
「(ブロンドスカイ······?もしかして······)」
「······で、こっちは言ったぞ。そっちの仲間は?」
提督が何かを考えていた折、スコープが先程の質問をしてくる。
「実はもう勧誘できてるんだよね。······二人ほど」
「二人か······少ないな?」
スコープの言葉に提督は寂しそうに笑う。
「これでも大変だったんだよ。何せ9年間潜伏してたんだから。······一人で」
「「························」」
「勧誘を進めてると私を信じてくれない人の多いこと······まあね。この国はもう終わってるんだから······今更何しに来た、ってとこだろうけどね」
完全に二人は押し黙ってしまった。
「······そうだな。今回は断らせてもらう」
暫くの後、そう言ったのはスコープだった。······それを聞いても、提督の表情に変化はない。まるで石像のような笑みだった。
「······そっか。行くあてあるんだね?」
「······ああ、無いわけじゃない」
「というと?」
「俺がどうやってあんな場所に酒場を建てたと思う?」
どうやらその言葉の意図は伝わらなかったらしく、提督は軽く首を傾げた。······それを見た彼は「あ、そうか」等と言いながら説明をする。
「この辺にも『海賊』がいるんだよ。······もちろん普通に残虐な奴らが」
何をやって認められたのかは黙秘させてもらうけどな、とスコープはため息をついた。······つまりは、
「じゃあ急がないとだ······ありがとね」
「······ラスクはどうするんだ?」
彼は提督の感謝には取り合わずにもう一人に向かって質問をする。
「僕は······はい、ついていきます。提督さん······よろしくお願いします」
ラスク・ブロンドスカイ。操舵手見習いが伝説の提督の仲間に加わった。
······彼の歩む道のりがどうなるかは······神のみぞ知るである。
「もうちょっとだからね〜」
スコープと別れてから数分。提督とラスクの二人は砂浜を歩いていた。······水平線の向こうに見える夕日が沈みつつある。周りに何も無いので退屈らしく、ラスクは色々と質問してくる。
「船はあるんですか?仲間ってどんな人なんですか?」
「······んーとね。船はまだ見つかってないんだよね。······今度捜索につれていってあげるから。仲間はね······よく働いてくれる人が二人と······アル中の穀潰しが一人」
提督は二つ目の質問に答える時に忌々しそうな顔をした。それを見たラスクはこの人でもこんな顔をするのかと思った。しかし彼がふと目を離した瞬間、彼女の顔は元に戻っていた。
やがて、二人の目には少し大きな掘っ建て小屋が見えてくる。······その上には、小屋には少し不釣り合いかと思われるマストが一本、でん!と立っていた。使い古されていると見えて、元々は白かったのだろうその色は、いくらか黄土色っぽくなっていた。
近づくと分かるのだが、その掘っ建て小屋の周囲にもいくらか即席らしい建物があるのだった。目を凝らしてみると、そこで片手で数える程の人が何か作業がしているのが見えた。
やがて二人は掘っ建て小屋の近くまでやって来る。提督はこちらを認めて駆け寄ってきた水夫を見るや否や、
「はーい、ただいま。私が居ない間に何かあった?」と言った。
しかし水夫はそれよりもラスクが気になるらしく、
「それより提督さん。そちらの人は?」
「ああ、この人はラスク。見習いとはいえ、操舵手だよ!これで船が見付かったとき、何時でも行動が起こせるってね」
「おぉ······」
ラスクは水夫の輝いた目に直面してややたじろいだが、
「······よろしくお願いします」
そう挨拶を返した。
「······じゃ、一応ここが今のアジトだよ。掘っ建て小屋たくさん。停泊所はフリゲート1隻置けるくらいかな······後で見ておいてね」
中央の広場のような場所。そこで両手を広げながら提督は説明を始める。
「で······皆の名前についてだけど······正直これからどんどん仲間増やす予定なんだよね。だからとりあえず昔の私の仲間の名前を覚えてくれれば大丈夫。······と言っても今は二人しか居ないけどね。」
プラスチック、それとサモン······と提督は指を折る。前者が穀潰し、そして後者が水夫長、とも付け加える。
「······ということは、もう一人の水夫は······」
「うん、私が勧誘したんだ。······ラスク君は二人目の新入りになるね」
······などと二人が話していた時だった。
「ん〜······。もうお酒おわりぃ······?」
······横の小屋から、酒で完全にできあがっている女性が現れた。
そのままその女性――――彼女がプラスチックだろう――――は提督にしなだれかかる。
「あ〜、ていとくちゃ〜ん、帰ってたんだ……なに〜、男でもひっかけてきたのぉ?」
辛うじて呂律は回っているようだが、口調がふにゃふにゃな上に足元がかなり怪しい。正常な判断は望めそうになかった。……それにしても、とラスクは思う。自分は提督にひっかけられるに値する男だろうか?……と。
「てーとくちゃんおさけ買ってきてくれた〜?」
「そんな余裕ないんだよね……」
「ちぇ〜……あ」
そんなこんなで提督に絡み終わったプラスチックは今度はラスクに目を付けた。提督が連れてきたということもあるのかもしれないが……ともかく酒酔い特有のめんどくさい攻撃が彼を襲う。
「キミ新人〜?よぉろしくね……私はプラスチックだよぉ〜……ところでねぇねぇ〜、キミさ、お酒は好きかなぁ?」
「まあ嫌いではないですけど……」
そう言いながらも半歩後ずさるラスク。その時……酒と聞いて、スコープに葡萄酒を注いでもらったあの舟を思い出した。受けとればよかったかな、等とぼんやりと考える。
「はいはいそこまで。ラスク君は貴重な操舵手だから酔わせちゃ不味いでしょ。それよりプラスチックさんは掃除でもしてて」
「はぁい」
かなり早いうちに提督から助け船が出た。どうやら流石のプラスチックも提督の頼みには勝てないらしく散らばっている酒瓶を拾い始める。
提督が奥の部屋に引っ込んだので、ラスクが掃除の様子を眺めていると、向こうから男がやって来るのが見えた。……水夫の格好をしているが、先ほどラスクが会った水夫とは雰囲気も体格も違う。……レジェンドの一人、水夫長サモンだとそれで知れた。
「よう、提督の話していた新人だな。俺はサモン、何かあったらいつでも頼ってくれや」
なかなか任侠な顔立ちの男はそう言って快活に笑う。……しかしラスクが自己紹介をすると彼は頷いただけでどこかに行ってしまった。
後で知ったことだが、今のサモンは建築・修繕担当と一番忙しい役割だった。しかし今のラスクはその事を知らない。……なので、自分は何か失礼なことをしただろうかと若干気に病んでいた。
やがてラスクが周囲を一周し終えて中央の大きな掘っ立て小屋に戻ってくると、提督がそこにいた。どうやら包帯を新しいものに代えていたらしい。そして彼女はラスクを見つけて駆け寄ってくる。
「どうかな、このアジト。……まあまだまだ発展させるけどね」
かつて全世界にその勇名を轟かせた伝説の海賊団。
……伝説も最初から伝説であった筈がない。きっと最初はこんなものだったのだろう。……それを理解して……ラスクは、歴史がすぐそばで動き始めたことを知った。
「······さて。ラスクくん、早速やってもらいたいことがあるんだけど」
あれから解散したはいいもののすることが無く、手持ち無沙汰になっていたラスクを見かねてか提督が声をかけてくる。
「······やってもらいたいこと、とは?」
新人の自分を動かすということは大した用件じゃないな、と思いつつもラスクは反応する。······どうやらその態度が相手にも伝わったらしく、提督は微妙な顔をした。
「今さ、大したことじゃないだろって思ったでしょ?······そうもいかないんだよ」
そう言って彼女は数枚の紙を差し出した。······それは新聞を一部切り取ったものである。······その内容から、『王国軍が海賊の残党の制圧を開始』『鹵獲した海賊船を順次解体予定』······といったことが書かれているのが読み取れた。
ラスクは思わず彼女の顔を見つめる。······目には真剣な表情が宿っていた。
中央の掘っ建て小屋に、今いる全員······提督含めて僅か6人が集められた。
「······皆新聞は読んだ?」
その場に集まった全員が首肯する。命令をどうぞ、という空気が途端に周囲に満ち溢れた。
「うん。······そうだね······『コンカラー』はなかなか見つからなさそうな所には隠しておいたんだけど······もういいかな。操舵手が手に入ったところだし、回収に行ってもいい頃かな。」
提督はラスクの方をちらりと見てそう言った。そして、すぐさま全員を見回す。
「······よしっ!私とプラスチック、そしてラスク君で旗艦『コンカラー』の回収に行くよ!その他は待機!もちろん酒場での勧誘も忘れずにね」
決断は早かった。······伝説の海賊団、再結成後初の大規模作戦が────わずか3人でだが────ここに始まる。
旗艦の捜索といっても、提督はそれを置いてきた場所を覚えているらしい。しかもその上小脇に地図を挟んでいた。つまり、作戦の第一段階は成功しているも同然の状態である。
とはいえラスクは油断しない。彼はこの海賊団の状況をかなり早い段階で把握していたのだ。……いくら伝説の復活とはいえ、それに溺れて生半可な覚悟のまま先へ進むと、完全復活の前に消えてしまう。その原因を自分が作りたくはなかった。
「……提督さん、これ本当に道合ってますよね?」
「うん。9年のうちに瓦礫とかいっぱい増えたけど……確かにこの道を通ったんだよ」
「ちなみに、それってどこに隠してるんですか?まさかむき出しな訳はないですよね」
「もちろん。海上洞窟……そこに大空洞があったんだ。……入り口は岩で塞いでるから、そうそう見つかることはないと思うな」
「でも岩で塞がれてるって……目立ちません?」
「そうかもね。……でも王国の地理書にはあそこのことはなーんにも書かれてなかったし、バレてもあの岩をどかせるような人はそうそういないよ」
「地理書、って……」
「オルフェロス王に見せてもらったんだよね」
などとラスクと提督が真面目なんだか軽口なんだかよくわからない会話をしている時、もう一人のメンバーはというと、
「ふらふら〜……」
片手には開けてない酒瓶を持ち(このあと空けるつもりだろうが)、かなりふらつきながら二人の後を追っていた。眼鏡さえ掛けていなければかなりゾンビに見える。
提督がちらと後ろを向くと、一応そんな様子でプラスチックもついてきているのが見えた。
……そして前に向き直った彼女は、岩山のようにも見える小島をその目に映したのであった。
「……さて、ここからは泳ぎでいくよ。目立つといけないから」
そうは言うものの、船を陸路で運ぶのはどれだけ小型でもかなりの難事業なので、言うまでもなく三人は泳ぐ覚悟をしてきていた。……唯一の懸念事項は泥酔しているプラスチックなのだが、
「だいじょ〜ぶだよぉ〜」
そんな怪しいことを言いつつ、ついに泳ぎきってしまった。一般人は決して真似しないでください。というかするな。
そして彼女とは違い強健な二人は特に問題もなく対岸に泳ぎ着いた。……さて、ここからが問題である。
提督の手引きにより件の洞窟にやってくる。
……そこで、三人は岩が全て取り除かれていることに気付いた。
「ちょっとまって……嘘でしょ」
その提督の声を聞き、ラスクは入口からその先までを見回してみる。……自分達がいる側には通路代わりの岩が点々と奥まで置かれている。そしてそれ以外は、まるで巨大な鯨が口を開いたような幅がある。泳いで対岸まで行くには先程より長く時間をかけねばならないだろう。
……ともかく、まずは奥の様子を確認するのが先決である。走って先に進む提督の後を慌てて追いつつも――――小型のボートが三艘ある。それだけは見逃さなかった。……そして、そこには……王国の紋章が刻まれていたのだった。
周囲はほとんど、足下すら見えないほどの暗闇である。……しかしラスクが思うに提督とプラスチックはすでに先へ行っている。既に何度か通った記憶があるからなのかも知れないが、その点でもやはりレジェンドの面々は一般人とは違う。
ラスクが慎重に歩みを進めていると、少し先の方で淡く、青白い光が浮かび上がった。……その謎の光を灯したのは提督らしい。ともかく、そのお陰で三人は集合することができた。
光を受けて、船くらいでしかお目にかかれないほど頑丈に繋ぎ止められた木材がその姿を現す。
「……これ。これが『コンカラー』……間違いないよ」
声を潜めて提督が言った。その手には青白く光っている何かが納められた小瓶が握られている。……そんなことを気にしている場合ではないが、ラスクは質問してみることにした。
「……あの、すいません。その瓶の中って……何入ってるんですか?」
「えっ」
表情を引き締めかけていたところにこの質問である。提督は一瞬間抜けな声を出しかけたが、
「……海水に浸せば光る謎の生物。……詳しいことはわからないけどね。宇宙人かもしれない」
それだけ言って、目を閉じる。
そろそろ集中しようか、とその表情が語っていた。
外壁をしばらく伝ったところに一つのドアがあった。……それを提督は躊躇なく引く。ギィ、という音が周囲に響き渡ったが、動きは9年間放置されていたにしては悪くなかった。
そのまま足を踏み入れる。――――中は全くの暗闇であった。
「誰もいない……?」
思わずラスクはそんな声を漏らしてしまう。……この暗闇である。人がいたらまず間違いなく明かりを灯す筈である。そして、声には出さないが提督とプラスチックも同じことを思っていた。構造上どこかからは光が漏れてくるはず、とは前者の思考で、どこか出かけてるのかなぁ、とは後者の思考であった。
……しばらく三人が探索を続けていると、武器庫に突き当たる。そこにはもう一つドアがあり、当然だが開けなければ中の様子は確認できない。光も漏れないようになっている――――船内でもかなり重要な場所であるのだ、ここの防御は固い。
……そしてラスクが軽い気持ちでドアを引く。土地勘(?)がないとはいえ、このまま二人に任せるのは男としてさすがにどうなのかという思考の表れだった。……だが、よりにもよってその時だけ、軽く明かりが灯されていた。
暗闇が薄暗がりになる程度の明るさだったが……明かりという時点でそのようなことは言っていられない。確実に人がいる証拠である。
三人は慎重に進む。所々、9年前に持ち出せなかった武器が青白い光を反射して妖しく光った。
……やがて、最奥までたどり着いた。……そこにいたのは、
「……エルザ……?」
提督の知り合い……というよりレジェンドの一員。彼女は座ったまま眠っている。
エルザ。黄髪の女性だった。
一人の少女がいた。
彼女はとても『戦い』の術に長けていた。
それはいつでも不動の概念だった。
10歳の時、彼女は故郷を襲った盗賊団およそ100人をたった一人で壊滅させた。
その際、気付けば現在の技術では考えられないような銃を手に持っていたという。
その銃は今でも彼女の手元にある。まあ、それでなくとも、徒手空拳であのタイガース将軍に一撃を与えたくらいである。
当然、彼女が殺人を犯したときに匿ってくれた海賊団の中でも善戦する者こそあれ、彼女に有効打を与えられる者は居なかった。
模擬戦で彼女の実力を知ったその海賊団の提督は、彼女を主席戦闘員に任命した。
……それから数年、彼女は悪徳海賊団を潰したり、まあ端的に言って王国のために働く『海賊団』の幹部として、伝説の名を賜った。
そして。
あれから九年……提督達は知らなかった。
再び立ち上がった『伝説』達を混乱の渦に巻き込むのは、同じく『伝説』の彼女であることを。
――――――――――――E・マロード著『伝説ふたたび』第1巻、1章『列伝』3節より抜粋
「エルザ……?」
その震えた呟きは、どうしてここに、という抽象的な意味も含まれていた。とはいえその声は響かなかったので、目の前のエルザを起こす結果には繋がらなかった。
提督はそれでもかなり早く我を取り戻すと、何かに気付いて壁に耳を当てた。……彼女しかわからないだろうが、入口の方からギィ、と扉を開ける音が微かに響いてきた。……この場所にたどり着ける存在は自分たちを除くと一つしかない。
まもなく、王国兵が奏でるブーツの音がそれに続いた。
「このままじゃバレるね、どうしようか」
提督は努めて冷静に言った。
「明かり消しますか?」
そう提案したのはラスクだったが、光源である燭台は、棚に置けなかった武器が乱雑に積まれた山の上に置かれていた。もし動かせば十中八九派手な音が出る。提督はゆっくりと首を横に振った。
再び提督は壁に耳を押し付ける。それにより自分達の存在がまだ気付かれていないこと、そしてまだ武器庫に兵士がやって来るまでは少しの猶予があることを明確にした。
彼女はプラスチックに目配せをする。……しかし、そのプラスチックは上をぼんやりと見つめて何か考えているようだった。……奇しくも(?)そこは眠っているエルザの正面。……そこで提督もラスクも気付く。この酒酔いが何をしようとしているかを。
彼女はゆっくりとした動きで酒瓶をその辺に置くと、右手を拳骨の形にして、眠っている女性目掛けて振り下ろした。
なかなか乱暴な起こし方だった――――しかし、拳が到達する寸前で、それは止められる。
目を開けたエルザが、拳を掴んでいた。
エルザが目を覚ました。……今にも拳を振り下ろそうとしていたプラスチックの腕を掴みながら。
「……エルザちゃ〜ん、……おっはよ〜」
掴まれた方のプラスチックはというと、……顔の赤みがほとんど消えていた。つまり酔いが醒めている状態である。
何故?
と、ラスクが答えを出す前に、エルザは立ち上がった。そして、プラスチックの腕を掴みながら、無造作に上へと一回転。
「がっ、っあ!?」
……物凄い音を立てつつ、彼女の身体が床に転がる。
……と、ここでエルザは初めて自分を起こした――――正確には起こそうとした――――人の姿を視認したらしい。
「あれ?プラスチックさんだ」
軽く呟く。……そして彼女は周囲を見回す。
無表情で見つめている提督と目が合った。
「……お久しぶりです。そしてちょっと待ってくださいな提督さん。普通危害加えられそうになったら自衛するでしょ、ね?」
「……うん、元気なようで何より。おしおきは考えておくから、まずはこの状況をなんとかしてくれる?」
一瞬空気が凍り付いたが、他意はないらしい。提督はため息をひとつ吐くと現状打破を彼女に願い出た。
「この状況、って?」
「わからないの?今の騒ぎで王国兵が来てるよ!」
「……あー、なるほど……了解」
エルザはその辺に落ちていたライフル銃を拾う。腰に差した銃は抜かず……盛大に背中を打って息が苦しそうなプラスチックを扉の近くから退かす作業は提督とラスクが行った。
数秒。
「何だ貴様らは……って、e
「雑魚は黙ってて?」
それは正に出落ちと呼べる現象だった。
エルザが動く。ライフルの長い銃身をまるで杖のように扱って、兵士の腰にぶら下がっていたピストルを突き上げる。……固定もされていないのがこの国の現状を示しているかのようだった。ピストルが空中で回転する。誰もがその様子に釘付けになる中で、エルザだけが前を見ていた。
ピストルを、掴んだ。……そして、軽い銃声が轟き、いとも容易く兵士は死体に変換された。……果たして彼にそれを知覚する猶予は与えられただろうか?
「……いっちょあがり。あと何人だっけ?」
まだ死体が崩れ落ちていないうちにエルザは振り向く。
「ボートは3隻。最低でも10人はいるものと思ってた方がいいかな」
満足そうな顔をして、提督はそれに答えたのだった。
それから五分もしないうちに十人近い兵士が雪崩れ込んできた。といっても扉は一つだけ、一度に入れる人数には限りがある。……およそ30秒のうちに、周囲は死屍累々と化した。
「ま、待て……」
今にもトドメを刺されようとしていたとある兵士は、そう言って数秒の余生を過ごすことができた。……心の準備をすることは不可能だったが。
待っても何もないことを数秒かけて理解したエルザは彼の頭にピストルを押し付けて引き金を引く。羽毛のように軽い引き金だった。
……提督は再び壁に耳を押し付ける。今度は囁き声も足音も、何も聞こえてこなかった。
「……まあ流石に報告役は出たと思うけど」
いっそ願いのような一言を口にして、エルザに向き直る。
「さて、エルザ……この後床掃除してもらう訳だけど、その前に」
それを聞いて、今まで鬼神のごとき戦果を叩き出していたエルザはぴたりと直立不動の姿勢をとった。……それと同時にプラスチックも起き上がる。「掃除してくれるなら吐いときゃよかったかな〜」という呟きは聞かなかったことにしておこう。
「で、エルザは何であそこにいたの?」
……至極全うな質問である。誰も居ないと思っていた場所に彼女がいたからだ。
エルザは一瞬目を逸らした。
「……捕まったんですよ。言っても信じないでしょうけど」
「……9年前なら信じなかっただろうね」
つまりそれは信じるということである。エルザの目が一瞬輝いた。
「あの時の私はまだまだ未熟だった。だからね」
提督は目を閉じる。昔を思い出しているのだろうか、それともエルザを捕らえられる者を記憶の引き出しから探しているのだろうか。……どちらにせよ、彼女にとってさほど良い記憶ではあるまい。
ラスクは次の変化をひたすら待った。
「……ともかくです。私も捕まるまでは放浪の毎日でした。提督さんもそうでしょう?……でも、今はプラスチックさんと……えっと、誰だろう?水夫かな?がいる……つまりまた何かを始めたという訳ですよね」
「……うん。……じれったいなあ、言いたいことがあるなら早目にね?」
船を動かすのも簡単じゃないからさ、と言って提督は微笑む。……元々エルザが仲間にならないという事態を想定していないらしかった。
「もうわかるでしょうに……もう一度、仲間に入れてくれないでしょうか」
「いいよ」
即答だった。
それから先は早かった。
いつの間に用意したのだろう爆薬で洞窟の拡張をすると、後はものすごい早さで事が運んだ。ラスクはこれだけ大きな船を動かすにはどれだけの船引き人夫が必要になるか計算して青くなったが――――あろうことか提督が全力の泳ぎで船を押して、……洞窟の外へと出してしまった。
そこから先は操舵手の仕事である。
「重っ……」
帆のうち一つはないが、それでも実感する、この船の偉大さを。歴史を。捧げられた思いを。……今やそれは圧倒的な偉容を誇り、再び青空の下に動き出す。
「……いやぁ助かったよ。なるべく早く行動したかったんだよね」
舵取りに悪戦苦闘するラスクのところに提督がやって来た。……ちら、と後ろを肩越しに見たらわかる。先程泳いでいた彼女の上半身はほぼ裸だった。
「……替えの服とか持ってきてないんですかね?」
なるべく前だけを見てラスクは言う。
「……うん、確かに迂闊だったかな。私は引っ込んでるとするよ」
その声と共に足音が遠ざかってゆく。
そこでラスクはようやく一息ついた。
数十分後。
彼はようやくこの船がとても目立つものだということをはっきりと認識した。……そして不安に駆られる。地理書に載っていないとはいえ、そろそろ気付かれていてもおかしくはない。
……そのとき、ちょうど彼の思考を察してか、エルザがやって来た。
「ども。提督さんから聞いたけど、キミもブロンドスカイ姓なんだって?」
……いや、これは単純な興味かもしれない。どちらにせよタイミングがいいのは確かであった。
「……そうですが……」
今度は相手の格好がきちんとしていたためラスクは相手の姿を見ることができた。返事の調子がこうなのは彼の癖のようなものである。
エルザは提督と違い、濃い金髪を二つ結びにしていた。そして物騒なことにピストルを片手で回している。とはいえ素人目でもわかるのはその隙のなさである。
「まあよろしく。そんな固くならなくてもいいから。……どうやら提督さん、キミのことをすごく評価してるみたいだし」
「……はい?」
ラスクは予想だにしない言葉を受けて固まった。その拍子に舵を取られ、一瞬だけ、なんだか嘔吐中枢を刺激されそうな揺れが船を襲う。……彼は冷や汗をかいたがエルザは動じない。
「人数少ないとはいえただの新人に任せていい仕事じゃないでしょ、これ……」
「……そういうものですかね?」
「海賊なめんなよ?」
睨まれた。
……と思ったら、彼女は片手を軽く振ってどこかへと消えていく。
そこからはラスクの元には誰も来なかった。抜けるような青空の下、静まり返った船が水を叩く音だけが響いていた。
ラスクが感じていた恐怖は無用になった。······引き上げる際に使った海路からは、少なくともこちらから見える範囲の中には人影は全くなかった。
そんなこんなで、無事に何事もなくアジトに到着する。
「これって微調節とかどうするんですか?」
「んー。適当でいいからその辺に錨投げておいて。······まずったなぁ、停泊所大きくしてればよかった······」
提督(服が乾いたので着用している)の嘆きもさもありなんである。······どうやら自分で言った「フリゲート1隻置けるくらい」との言葉を忘れていたらしい。
······その時である。
「よくやったああああああああ!!!」
奥の方から青バンダナの男······サモンが叫びながら駆け寄ってきた。······いやにテンションが高い。
彼は甲板から飛び降りてきた提督に駆け寄って何やら色々と質問を始める。······もちろんラスクには飛び降りる勇気はないので下の階の扉から降りた。この船には上と下、2つの出入口があるようで、様々な状況に対応出来るというのが売り文句だった。
「······さて······船は用意できたから······後は情報を集めなきゃね。何か情報は入ってる?」
まだ興奮冷めやらぬうち、中央の大きな掘っ建て小屋に全員を集め、早速提督が口火を切る。次の計画の準備に取り掛かるようだった。
「もう行くの?早くない?」
と、冷静な意見を出したのはプラスチックである。······どうやら彼女はアルコールが入っていなければかなり理性的な人物らしい。しかしそんな彼女も提督の皮肉で黙らされる。
「仲間が足りない。これまで酒場での勧誘も何回か行ったけど······帰ってこない人もいるんだよね。プラスチックは行ってないから知らないかもだけど」
「······ごもっとも〜」
そう彼女が言ってすぐ、いつの間に持ってきただろうか、酒瓶を開ける音が響いた。
「さて······今の私たちの人員は10人。凄いね······あの間に勧誘してくれたんだ」
確かに集まった人間の数は多少増えていた。この程度ならまだ目で追える変化である。
「けど酒場の勧誘も限界があるよね······ということでこれから、海賊らしいことをやろうと思う」
だん、と手元にあった机を叩く提督。ラスクは机が若干歪んだのを見逃さなかった。······さて、痛いのは彼女か机か。
「海賊らしいこと······?」
「アレですか、略奪ですか?略奪するんですね?」
「でもそれが仲間集めに繋がるんですか?」
好き勝手に水夫達が話しているが、それのどれも見当違いだった。······何故なら、
「違う違う。······近場の海賊団を襲って、誰かしら仲間に引き込もうと思うんだよ」
海賊という名前はだいぶ『悪』寄りである。────が、全てが悪とは限らないのだ。
「今のところ、偵察では近場にいくつかの海賊団があることが判明してる。······『バルサス・シンジケート』を除いてどれも9年前にはなかった海賊団だよ」
「バルサス・シンジケート······麻薬取り引きで有名な······」
提督の発言に対してとある水夫が震えた声を絞り出す。······だが彼女はそれに対して笑ってみせた。
「大丈夫、まだそこは叩かない。今回叩くのは······『ネフタル海賊団』」
「ネフタル海賊団······?」
誰かの語尾に疑問符が付いた。······と言っても、この場に居る誰もがその脳内から疑問符を払拭する事は出来ないであろう。······規模が小さすぎて情報が皆無なのだ。
「と言っても名前しか知らないんだけどね······」
ソースは酒場、と提督が苦笑する。
「敵の本拠地の場所はここから2Km程度。瓦礫さえなければここからも見えるかな?」
提督の声だけがその部屋に響く。······作戦会議には不向きな場所だったが彼女は気にしない。というより、もはや失敗はありえないので手を抜いていると言っても過言ではなさそうである。
「じゃあ作戦を説明するよ。······水夫4人は全員マスケット銃を持って私に着いてきて。一人は残っているように」
ひとまずそれだけ指示を飛ばしてこの場は解散となった。······その意図は読めない。とは言っても随行を許されていないので知りたくても知ることが出来ないラスクだった。
コンカラーの武器庫には様々な武器が9年前の姿のまま眠っている。流石に鏡のようにとはいかないが、すぐに使えるマスケット銃はものの数分で人数分が集まった。
そして、提督自ら先頭に立ち、ネフタル海賊団の攻略へと歩み出す。
「陣頭指揮を執るのは久しぶりだなぁ。多分上手くいくと思うけどね」
『どうやったか』『どのような作戦を立てたのか』については誰の耳にも入らない。······それでも、全ては復活、そして更なる拡大の為に。
「さてと。仕事しないとな」
提督が去ってからすぐにサモンが立ち上がる。
「見張り台作るか……エルザ来た事だし」
「お、それはいいですねぇ。力仕事は苦手なんですけどね、手伝いますよ」
そしてエルザも巻き込みつつ、アジトの内陸側へと消えていった。
やることがなくなったラスクは久々に王国の内陸部へと出掛けてみることにした。……もちろん、書き置きは残して。
そんなこんなで10分は経っただろうか、もはや村といっても差し支えのないような町、エリストンに到着する。……ラスクにはこの町に覚えがあった。少し前のチンピラ時、この町を襲ったことがあるのだ。……幸いにも、町民の中に彼の顔を覚えていた者は居ないようだったが。
淀む町角で密かに持ち歩いていた金入れを開く。中には石貨が6枚、銀貨が2枚ほど入っていた。……おおよそチンピラが持ち歩けるような金額ではないはずなのだが、そのような観点から見ても彼はどこか「違う」のだろう。
適当な酒場を見つけてそこに入る。……メニューを見て、最下等の酒を探すが、
「石貨1枚……ぼったくりでは?」
小さく呟く。その声を聞き付けてか、酒場の主人がそこに飛んできた。
「……うまっ!?……………失礼しました。」
即落ち2コマだった。……一般的な安酒は木貨5枚。そう、あくまで『一般的』なものである。
「はは、よろしい。んじゃ石貨1枚なー。お客さん」
「マスター、こっちにも〜」
「あいあい、今行くさ」
すばしこい狐のような雰囲気を漂わせた店主は石貨を受け取るや否や次の客の方に飛んでいく。……時間が早いからか、客があまり居ないことも回転を早くしている要因だった。
そんな具合では話し声も聞こえる筈がなく、退屈になってしまう。ラスクは特に理由もなく、先ほど自分に続いて酒を頼んだ客の方に視線を移す。
「ここのおさけおいしいんらよねぇ〜……」
もうすでにかなりできあがっている様子の女性がそこにはいた。灰色の長髪、眼鏡……
……というか、プラスチックだった。
「······なんでいるんですか?」
そんな事を言いながら席を立つ。
隠れようかとか、見ないふりをしようか等という考えは完全にラスクの頭から抜け落ちていた。それ程の衝撃だったのだ。
砲弾が横を掠めたような表情をしている彼に対して、酒が入っているプラスチックは特に調子も崩さず、
「え?ここのおさけ美味しいから〜······」
と、同じような言葉を繰り返す。
ただ、彼女の呂律が先程よりも僅かに回っている事にラスクは気付いた。
驚いた故の醒めなのかはわからない。だが、普段よりは話が通じると判断して、一気に相手の席へと歩を進める。
「なんでここにいるんですか?」
繰り返す。
「············」
プラスチックは返事をしなかった。コップ酒を飲み干すと、ふぅ、と軽いため息をつく。
気まずい時間が続く。
最終的にはラスクの方が折れた。
「······別に提督さんに報告しようとは思ってないですよ。ただ────驚いたもので」
「······そっかぁ」
こん、と軽い音が響く。木のコップがテーブルに置かれた音だ。そしてその手は隣の椅子に伸び、
「ここ、座っていいよ〜?」
新たに数名の団体客が入ってきた。彼らは席には座ったが、なかなか注文をしないようである。盛り上がってから酒を頼むタイプのようだ。
ラスクはプラスチックの横で、組んだ手に顔を埋める。
「······」
そして隣のプラスチックはというと、金入れから硬貨を取り出すところだった。
······木貨が9枚。それがその中身である。
「······まぁいいやぁ〜」
そう呟いて、彼女はテーブルに突っ伏した。
微妙な時間が過ぎていく。
それから2人はしばらく酒場に留まっていた。特に酒も頼まず、会話も発生しない。聞こえてくる雑音は遠くの席の話し声だけだった。
意味不明な時間がただ過ぎていく。
「······さ〜て、そろそろ戻ろうかなぁ。買っておいたおさけあるんだよね〜」
「······提督さんから怒られないんですか?」
プラスチックの態度を見て、たまらず再び口を開くラスク。それに対する返答は、
「いや?たぶん今回はおこられないよ〜」
だった。そしてポケットから1枚の紙を取り出し、ひらひらとさせてみせる。
「それは······?」
「まずは出ようか。ここ、前払いでよかったねぇ」
立ち上がった二人を追うかのように、遠くから出鱈目な歓声が響く。
「······それで、······『それ』、何なんです?」
酒場を出て数分、エリストンの町を抜けたころ、再びラスクは隣の酒酔いに質問する。
「『バルサス・シンジケート』······って知ってる?」
プラスチックは質問を質問で返した。しかも全く見当外れのようにも思える事柄である。
「先程提督さんも言ってましたよね。麻薬取引で有名な······僕も知ってますよ」
しかし、ラスクは見当外れだとは思わなかった。物語の読み過ぎなのだろうか、それが意味することを大方予想して、付け加える。
「······そこの、取引に関係する紙、ですか?」
「せいかーい」
ぴんぽーん、という声が聞こえた気がした。プラスチックはまた続けて、
「さっきの人たちから盗んだんだよね〜。麻薬のにおいがなんとなくしたからやってみたんだけどねぇ······」
と言った。語尾がやや消沈した。
その意味はラスクにもなんとなく分かった。
「······待て!」
突然、背後から凛とした声が響いた。二人は足を止める。
「お前達が証書を盗んだ者共か。我々がどういう組織の者か、知らずの犯行と見えるな?」
その顔をよく見てみると、先程の酒場に入ってきた団体の一人であった。そしてその後ろからは、数人の屈強な男がやって来るのが見える。
······彼らを一目見て、ラスクは悟った。少し前まで自分が所属していたチンピラ共とは比べ物にならない程に鍛えている。
「······ありゃりゃ。ばれちゃったか〜」
泰然自若、プラスチックの調子はいつも通りである。
「逃げるよラスクくん」
訂正。ラスクは思わず耳を疑った。
「逃げるよ、って······走れるんですか!?」
「泳げるんだもん、走れるよ〜」
そう言ってプラスチックは回れ右、脱兎の如く逃げ出した。ラスクもそれに慌ててついて行く。
足音と銃声が何度か耳に触れたが────結局、余裕で逃げ切ってしまった。
「······なるほどねぇ」
ラスクとプラスチックがアジトに戻ってきた時、当然のように提督も戻っていた。
息が上がっている二人を一瞬白い目で見たが――プラスチックが恭々しく差し出した紙を見て、血相を変える。
「この証書から察するに···一週間後に麻薬の輸送があるのかな。これは叩きたいなぁ···」
楽しそうな表情を見せながら、顎に手を当てて何かの計画を考えているようだ。
数秒間彼女はそのままだったが、二人がその顔を見つめているのに気付くと、
「あっ。うん、二人ともありがとう。お手柄だよ。ラスク君はともかくプラスチックさんはどうしようかと思ってたけど···まあ、いいよ。しばらく休んでて。少ししたら呼ぶから」
照れ隠しのように言って、再び紙に視線を落とした。
それからしばらくして、プラスチックは提督のいる掘っ立て小屋に引き返した。
「てーとくちゃ〜ん」
「プラスチックさん。呼ぶまで待っててって言ったよね」
仕方のないことだが、相変わらず彼女は辛辣だった。
しかし相対するプラスチックは動じない。
「もうひとつあるんだけど〜」
「えっ?なに、小切手でもくすねてきた?」
「いやちがう。ラスク君のことなんだけどね」
その言葉を聞いた途端提督は身構えた。また何か出てくるのではないか、とその表情が語っている。
プラスチックはそれを見て一瞬微笑んだ。提督に気付かれないほど、短く。
「操舵技術がすごい、って言ってたよね?それだけじゃなかった」
「···というと?」
「おさけ飲んでても走れてる」
「はぁ?······あっ、あー、そういうこと···確かにおかしいね、それは······」
···そう、ここまで読んで麻痺しているかもしれないが――酒を飲んで走るという行為はかなり危険なのである。
レジェンドの面々でも、酒に慣れていないうちはかなり危険な思いをしたことがある、一種のトラウマだ。
「危なそうだったらわたしが抱えていこうかと思ったんだけどねぇ〜」
「···ひょっとしてラスク君って特殊な訓練受けてたりする?」
「そうは見えなかったけど〜···」
「···そっか。とりあえずはありがとう。······そろそろ捕虜も起きるかな。何人か呼んできてくれる?」
捕虜、およそ8名。どれも零細海賊『ネフタル海賊団』の団員であった。というか、団長も捕まっているので、実質瓦解していることになる。
団長であるロレンスの信望はなかなか篤いらしく、彼を見捨てて逃げた団員は居なかったらしい。
「こんな小勢に捕まるとは…」
彼は諦めたようにため息をついた。
捕らえられた掘っ建て小屋には、提督の指揮によってネフタル海賊団を壊滅させた水夫数名が控えている。どれもかなりの手柄顔である。しかし隙はない。この掘っ建て小屋の出入口は一つであり、そこは三人の水夫で固めてあった。強引に突破しても時間は間違いなくかかる数だ。
ゆえにネフタル海賊団の面々は逃げない。ただ運命に従うのみであった。
やがて入口から一人の女性が入ってきた。彼女こそが提督である。
「指揮官は貴女か。やってくれたなぁ」
ロレンスの自若とした態度に、提督は笑顔で応える。
「まあね。自分でも死者なしで壊滅できるとは思ってなかった」
「それはこっちが無能っていうことかな」
「いや。そっちのチームワークもなかなかだった。人数が二倍くらいいたら勝敗は逆転してただろうね」
「……」
ここで彼女は言葉を切った。そして何を思ったか捕虜の縄を片端から解いていく。
「これでよし。…さて、単刀直入に聞くんだけど。私達の仲間になる気はないかな?」
「……」
ロレンスはしばらく無言であった。もちろんその配下も、今までの首領の顔を見つめている。
「解放されたとして…多分行ける場所はないな。そこそこの悪行働いてたしなぁ…」
財産も奪われたし、と言って苦笑する。
ただ、彼もまたそれなりの計算家だった。
「まあ、今回は貴女達は勝った。ただ、これからもそう上手くいくかな?見たところ、そこまで人材が豊富とは思えないけど」
提督は再び笑い出す。そして、相手がそれを怪訝に思う前に、
「入ってきて」
かねて言い含めていた数名を呼んだ。当然ながら、かつての伝説達ーーレジェンドの面々である。そして肩身を狭そうにしながらも、ラスクもその輪に入った。
「人材にはあんまり不自由してない。将来性のある人もいる。…もちろんもっと必要だけどね」
そこで彼女は辺りを見回し、
「足りないのは頭数。ちょうど、あなた方を吸収すれば単純な兵力は二倍になる」
もちろん褒美とかも出すよ、とどこから出したのか白金貨をちらつかせる。ロレンスの目の色が変わったタイミングでそれをしまう。もはや結末は確定していた。
「……ここまでされちゃ仕方ない。傘下に降りましょう。もちろんネフタル海賊団が集めた物資も、差し上げます」
やや残念そうにしながら、彼は言葉を絞り出した。
一夜明けて。
単純兵力は約2倍になり、だいぶ将来への展望も開けてきた。······と思ったら、
「······まずい」
偶然提督の掘っ建て小屋に入ってきたラスクが、偶然彼女の呻き声を聞いたのだった。
「············どうしました?」
──その原因はこうだった。この女性に、こんな表情があったのかという顔をさせる訳は、
「バルサス・シンジケートが来る······」
「······え?」
ラスクは一瞬固まったが、
「······酒場情報ですか?」
「いや──」
とある一室。豪奢な身なりをした男達、それとどうやら秘書らしき少女が集まって会議をしていた。
「もう9年前とは違うんだよ、提督さん」
「どうやらまだランバートがこの組織に居ると思っていたようですな。······奴は3年前に捕らえて牢に入れてある。そちらもなかなか苦労させてくれましたがね」
──王国を牛耳る巨大麻薬組織。バルサス・シンジケートの幹部たちである。
「ああ。いくらあっちの個の力が強いと言っても、我が組織の物量には勝てる筈もなかろう。······そうだ。カリナ?」
「はっ······はい」
「確かお前······ランバートの妹だったよな?······あいつらとの面識は」
バルサス・シンジケートの長、ギルド。そしてそれに怯えた様子で仕える少女秘書、カリナ。どう見ても平和な取り合わせとは言えない。
「······」
「答えろ」
「ないで······いや、無いわけではありません」
実際のところ、彼女には提督達との面識はない。······そもそも、9年前だと、まだ彼女は物心ついたかどうかの頃であったのだ。
しかし、
「あるのか。······じゃあお前スパイやってくれ」
「······」
「返事は?」
「ダメ······と言ったら」
「ランバートの命は保証しない」
どっちにしても終わったら処刑するくせに──と、カリナは脳内で思う。
ともかく、やらなければ、始まらないのだ。
「······わかりました」
「すぐ行ってこい。おそらくそのまま行っても登用してくれる筈だが······なぁに。お前の代わりくらい我がバルサスには捨てるほどいる」
「············」
「······という、訳でして······」
訝るラスクの前に連れられてきたのは赤毛の少女。バルサス・シンジケートの、もはや副がいくつつくか分からない秘書である。
······いや、であった、という表現が適切だろうか。
「ええと、申し遅れました。······カリナ・フリンツです。数時間前まで、バルサス・シンジケートの秘書を務めさせ······られてました」
提督はその言葉に一つ頷くと、
「この子はあそこに潜入させてた人の妹なんだ。······と言っても私も初対面なんだけどね······」
「······」
ラスクは少しだけ黙っていた。どことなく、カリナの態度に違和感を感じないでもない。
「あそこを裏切った理由、聞いてもいいですか?」
「······人を大切にしない場所に、私の居場所はないんです」
ゆっくりと噛み締めるように言う。それを聞いて提督はやや渋い顔をした。
「と言っても······カリナちゃんが来たって言うことは·····今頃ランバートくんは処刑されててもおかしくはないね。その辺大丈夫なの?」
カリナはそれにはっきりと答える。
「実は、来る前に兄に会ってきました。······好きにしろ、との返事を貰いました······もう、兄は拷問続きで精神が弱くなっているのだと思います」
その場はしばらくの間静かになった。遠く、どこからか鬨の声が聞こえてくるまで、提督ですらも黙ったままだった。だが、
「······いいよ。信じよう。このままだと流石にまずいからね。······早速だけど、······カリナちゃんが裏切ったこと······気取られてないよね?」
「あの人達に、そんな様子はありませんでした······」
「よし。······じゃあもう一回行ってきて偽情報とか流して撹乱したりして。こっちにはバルサス・シンジケートの布陣を逐次報告するように。······水夫を何人かつけるから······伝令お願いね」
情報は何にも勝る物である。提督がカリナに命じたのは二重スパイの任務だった。
時は正午。圧倒的戦力で推し潰そうとするバルサス・シンジケートと、人材・情報の力で耐え凌ごうとする復活の海賊たち。
······地獄が始まる。
「みんなー」
やけに気の抜けた声が響く。······提督だった。
本部の掘っ建て小屋の前に、真剣な様相の人々が集まる。······数日前と比べれば、その数は大違いである。
「敵が攻めてきたよ。前も話したとは思うんだけど、バルサス・シンジケートっていうところ」
それだけ聞くと、水夫の間に動揺が走る。真っ昼間から酒盛りをしていたらしきプラスチックも、目を擦って真剣な表情になる。
「人材はたくさん居て、しかも兵力も多い。なるべく衝突するまいと思ってやってきたんだけど、結構早かったね。······でも、不安になる必要はない!」
手を叩いて、高らかに呼びかける。先程から不敵な表情をしていたエルザや、柱に寄りかかっていたサモンも顔を上げる。
「既に向こうにはスパイを送った。武器もある。砲弾は少ないけど、コンカラーの大砲もいくつか使えるようにした。······撃退出来るだけの準備は整ってる!」
ロレンスとラスクは、瞳に確かな光を浮かべた。これなら······なんとかなる、と。
「さあ、······まずは、······目がいい人はいる?見張り台について。エルザは5人くらい率いて正面に伏せて。プラスチックさんは······単独になるけど、とにかく色々な所にこれを撒いて」
そう言って渡したのは、いくつかの透明な液体が入れられた瓶。何に使うのだろうか、というラスクの目に気付いたのか、提督は「後で教えるよ。ラスク君は一旦待機」と答えた。
その他ロレンスには何人か水夫を連れて何やら拠点の西側に行くようにとの指示があった。サモンはコンカラーに乗り、大砲を準備して待つように、との指示である。
敵が来た、との報告を受けて、提督は自ら見張り台に立った。······見れば、雑然とはしているが、見る者に圧力を感じさせる備えである。
「ざっと300人くらいかぁ······」
どうやら半包囲にかかるらしい体制を見て、彼女は少しだけ沈思する。
「エルザに通達して。瓦礫とかを使って上手く敵をやり過ごすように、って。······見た感じ、そこまで深く警戒してないみたいだから」
数分。
瓦礫の間に入り込む等して夥しい足音をやり過ごしたエルザ達は、自分達が敵の後ろにいる事を確認した。
既に敵は拠点を半包囲し、何やら叫んでいる様子。挑発か、降伏勧告か。······だがどちらにせよ、無駄に広い拠点は寂として無反応である。
その隙に······エルザは銃を構えた。
「······何を······?」
危ぶむ水夫の声に、エルザは不敵な笑みを作り、慎重に狙いを定める。
「差は10倍以上。普通に戦ってたら勝てないってね······だからこうする。さ、皆も構えて。なるべく豪奢にみえる人······つまり。指揮官を狙うんだよ」
拠点の奥の方に控えていた組は、突如として響く銃声を聞いた。その直後────今までこちらを罵っていた敵の声が突然消える。そして、何やら騒ぎ出した。
「よしきた!······ラスク君とその他数名!松明を数本持って敵に投げて!くれぐれもアジトの建物には当てないようにね」
早速提督の指示が飛ぶ。丁度待機していた掘っ建て小屋には、火のついていない松明が山と積まれていたので、命令を受けた者は30秒とかからずに行動に移る。
投げられる松明と共に、即座に上がる爆炎。かねてプラスチックが撒いておいた液体に次々と引火し、敵の集団を大混乱へと突き落とす。自然とそれらは火の上がらない場所に固まるものの、······丁度そこへ砲弾が飛んでくる。
運悪く直撃して即死する者、衝撃と爆炎によってなぎ倒される者、悲鳴を上げて逃げ惑う者────一瞬にして地獄絵図が形成された。
「逃げる敵は追わないように!倒れてる人は救助して勧誘するんだよ!」
ひとまずの勝利の光景を見下ろしながら、提督はひとまず息をついた。あれだけ居た敵が、見る影もなく四散している。
今回の大殊勲者であるエルザが戻ってくるのを見ると、彼女は両手を広げて迎えた。
「おかえり。······どうだった?」
「いやまあ何とも。最初はなかなか無茶だなーと思いましたけどね······」
そんなこんなで話し込んでいると、一人の水夫がこちらにやって来るのが見えた。カリナにつけた水夫だった。
「1000人以上の大軍がこちらに来ますよ。······第1波は撃退したみたいですが······今度は本軍がそのまま来るみたいです」
······地獄はまだ終わらない。
【ボルザー王国 宮殿】
「······」
どこか煤けた印象を受ける宮殿の奥、やや鈍い輝きを放つ王座にその男は座っていた。
この国で、その椅子に座れる男は一人しかない。······ボルザー王国、国王────マクラヤミィである。
その姿からは、もはや座っているだけという印象を受ける。まあ実際、王座に彼が座るのは、大抵臣下からの報告を受ける時である。人によっては違和感を感じる事もあるだろう。
それはともかく、数分後の彼は臣下からの報告を受けていた。
「ホワイト王国の軍が我が領土に攻め込んできた、との情報が入りました。······迎撃に兵をお貸しください」
「ホワイト王国······?って、あのホワイト王国か?」
「はい、"あの"ホワイト王国です。······驚いたことに」
どうやらボルザー王国に侵攻してきた国があるらしい。それだけならまだいいが、王はその国の名前を口にすると不思議な表情を浮かべた。
「今まで我が国が一方的に攻め込んでいたのに······これはどういう事だ?」
「簡単です。それだけあの男が能力を持っている······ということです。いい加減にお認めになりませんか」
「······まあいい。それより······あの方向には要塞があったな?」
「はい。······ディラルド要塞です。僭越ながら······ここを前線拠点とした方が宜しいかと」
「······面倒だな······エスシー!細かいところは任せる!」
最終的に全てエスシーというらしい臣下に投げた王であった。
「御意。······将軍は如何なさいますか?」
「また『海賊』がぶり返してきているとの噂も耳にする。タイガースだけは置いていけ。それ以外はどう使っても構わん」
「はあ。······また『海賊』ですか?そこまで悩むなら······いっそ弾圧など止しておけば良かったのですよ」
「······あれは······あの時は止めなかっただろ」
「あなた様の人柄が分かりかねたので、」
と、エスシーは平気な顔で言う。
「下手に諌言して処刑されても何もならぬ、と思ったのですよ」
「······お前程の能力の者は居ない。誰がそんな事をするか」
「しそうだから言っているのです。······ともかく、『海賊』の方は既に手は打っておきました。少々悪辣ですがね······」
「······ふむ。その辺も任せた。というか動員した兵の数は後で紙にでも書いて報告しておけ。どうせ無駄死にはさせないんだろ」
「承知致しました······ゲホッ」
割と洒落にならない咳を残してエスシーは退出する。それを見送ったマクラヤミィの目には、差し迫った脅威よりも······いつか来るであろう脅威への焦燥があった。
>>28
「······1000人ねぇ」
報告を聞いた提督は一瞬呆然としたようであった。
「どうします?流石に2度も同じ手は通じないでしょう」
「まあね。じゃああの手でいくよ」
不敵な笑みを浮かべるエルザの言葉を聞いて、再び水夫や幹部やらに指示を出していく提督。
しかし、
「君はここに留まってて」
一礼して戻っていこうとする水夫に対しては、この場に留まるように言うのであった。
「救助活動は一旦中止!目がいい人は見張り台へ!近付いてる方から順次片付けてくから!」
「流石に剥ぎ取った服を着るのはちょっと抵抗あるけど。そうも言ってられませんよね」
「服着るだけじゃダメだよぉ〜。汚れてたり傷ついてたりする雰囲気も出さないとね」
提督の声が響く中、エルザとプラスチックはとある小屋の中で何やら着替えを始めていた。後者は第1陣を追い返してから1杯呑んだようで、手つきが若干怪しくなっていたが、ともかく。
その着替える服が、バルサス・シンジケートの構成員から鹵獲したという────いわゆる偽装用の服だったのである。
「これを着て数人の水夫と一緒に敵陣に入り込む。それで機を伺って引っ掻き回す作戦だね〜。ちょっと手駒足りないけど」
「あと10人いたら、って軍師さんが嘆きそうだけど」
「それは禁句なんじゃないかな······?」
軽口のような何かを叩き合いながら着替えを済ませる女2人。エルザはともかく、プラスチックも参加するあたり、彼女も戦闘にはかなりの自信があるようである。
「ま、居ない人の事を話しても始まらない······私たちは暴れるだけです。行きますよぉ!」
アジトの一角から、バルサス・シンジケートの服を着た水夫が7、8人程飛び出していく。さも必死そうな様相をして。
「向こうは看守に回す人手すらないのか······」
「集めてても30人くらいだろ。手が足りるとも思えん」
「流石にさっきの3倍ほど居れば大丈夫だろ······と、時間だな」
海賊のアジトを望む、1000人程の軍勢。その中心には、護衛に護られた数名の男が集まっていた。何やらフラグらしい会話が聞こえるが、どうやら今すぐ仕掛けはしないらしい。時間だ、との声を受けても、軍勢には動く気配がない。
────まるで、何かを待っているかのような────
「遅いな」
と、苛立った声が響く。
その、直後。
掘っ建て小屋の一角から、炎が吹き出たのである。